2026年01月一覧

ビートルズ編③ 『白い怪物』の正体と「Dear Prudence」【再編集2026】

ホワイトアルバムの暗号と「いとしのエリー」への遺伝子

※1970年代、ホワイトアルバムに見入る少年たちの記憶をイメージした自作映像

 

― 小6のトラウマから54年、音楽の深淵へ ―

「人類が生き残るために、1枚だけアルバムを残せ」と言われたら、
私は迷わずThe Beatles――いわゆる《ホワイト・アルバム》を選ぶ。

だが、私とこの白い怪物との出会いは、むしろそれは、少年時代の私に刻まれた、
一種のトラウマから始まっている。


1. 1972年、学園祭の「音の地獄」

― 小6で浴びた『Revolution 9』の洗礼

72年小学6年生、12歳。地元高校の学園祭で、
ふらりと入った「音楽鑑賞会」の教室。

そこで流れていたのは、メロディもリズムもない、
不気味な声と物音が延々と続く、まるで音の地獄のような作品だった。

Number nine, number nine…

後になって知る。それがRevolution 9だったことを。

「 Let It Be」「Yesterday」を歌うビートルズしか知らなかった少年にとって、
それは音楽ですらなかった。だが、この“変な音楽”の記憶は、
脳の奥深くに、強烈な楔として打ち込まれた。

これが、ホワイト・アルバムの気持ち悪い出会いの最高の前振りだった。

The Beatles ホワイトアルバム

 

 

 

 
 
 

2. 大人になって気づいた「切なさの遺伝子」

― 『Dear Prudence』の寂しいメロの下降フレーズ

その後、本格的にロックを聴くようになり、何度もこの2枚組と向き合う中で、
私の心を執拗に捉えて離さない曲が現れる。

それがDear Prudenceだった。

ジョン・レノンのフィンガーピッキングは、執拗なまでに下降していく。
階段を降りるように進行する。

寂しさと切なさと緊張が続く、大人になり、
音楽を「構造」として聴けるようになったとき、

音楽の生まれる流れを見たと思っている。

 

この曲に流れる
**「切なさの遺伝子」**は、Mind Games
そして――いとしのエリーへと、確かに繋がっている。

桑田佳祐という稀代のミュージシャンが、ホワイト・アルバムの深淵から何を感じ、
日本のPOPロックへと変換したと、意味合いが解けた瞬間
 

音楽とは、偶然を装った必然の繋がりを感じた


3. バラバラの「個」と、孤独な少年

― 『Dear Prudence』という寂しさのメロの誠実さ

「Dear Prudence」は昔は調べまくった話によると、うら覚えの記憶ですが

いろいろなアクシデントが重なり、ビートルズは1968年、インド・リシケシュでの瞑想合宿へ。
John Lennonが書いた曲。合宿には多くの仲間も参加して、

ミア・ファローの妹、プルーデンス・ファローが

瞑想に没頭しすぎ、小屋に閉じこもってしまった。
仲間が彼女を外へ誘うために、この歌は生まれたと言われてる。

Won’t you come out to play?

この呼びかけは、決して説得ではない、相手の距離を尊重した、
誠実な声だ。

 

私の少年時代は、中学を三度転校した。
常に「よそ者」で、一人で自分を守るしかなかった。

 

だからこそ、ビートルズ4人がバラバラの方向を向きながら、
それでも同じ場所で鳴ろうとしたこのアルバムは、
 

私にとって共鳴感の究極のパートナーになったと思う。


2026年の視点

ライフ・ビートは止まれない(直ぐに止まりそうですが(笑))

2026年。私は66歳になる、12歳で浴びた『Revolution 9』の洗礼から、
半世紀以上が過ぎた。早すぎる、家では8歳レベル、4人家族で一番下扱い。

「物事を好き嫌いで決めなくて、なんで決めるの」とほざき、

家族に無視され知らん顔される(笑)

 

この50年以上経ても
どんな整えられた名盤よりも私はこのアルバムを通して、
 

自分自身の「孤独」と「革新」の履歴と重なりを感じる。

仕事は新しい事が大好きだった、でも人に命令される事は毛嫌いした。

 

 プルーデンス、
 空は青く、
 君もその一部なんだ。

 

あの日の少年に、そして今を生きる自分に、
同じモノがあり続ける


編集後記|皆様へ

ホワイト・アルバムを初めて聴いたとき、
あなたは「好き」それとも「嫌い」でしたか。

私は、その両方でした。

 

音楽好きな方々にも、思いのある、
長く付き合っている一曲が、きっとあるはずです。

 

それは、どんな曲でしたか。

 

 

 

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

ロック前

 

 

 

 

ロックはここから始まった!

 

 

気になった記事から、読み進めていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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フィル・コリンズの影で──トニー・バンクスが1991年に見た「幕切れ」と『Still』

トニー・バンクスの「Angel Face」。 収録アルバムは1991年の**『Still』**。

Tony Banks(トニー・バンクス)は、ジェネシス創始期から在籍した紛れもない中核メンバー。

その彼が90年代に発表したこのソロ作は、今振り返れば非常に象徴的な、

ある種の「時代の節目」に位置していた。

トニー・バンクス『Still』アルバムカバー

 

 

Still

成功者たちの影で──トニー・バンクスという「もう一つの車輪」

ジェネシスは70年代のプログレ路線から、80年代のポップ──あえて言えばダンス寄り路線までを鮮やかに乗り切った稀有なバンドと思う。

  • ピーター・ガブリエル

  • フィル・コリンズ

  • マイク・ラザフォード

他のメンバーはソロでも華々しい成功を収め、とりわけフィル・コリンズは時代そのものを象徴する“メジャー・アーティスト”となり、その陰で、どこか地味に見えてしまうのがトニー・バンクス。

ジェネシスのポップ路線を牽引したのはフィルだと思われがちですが、実際にはトニーもまた両輪の一角。フィルのソロがジェネシスと地続きでヒットしたのに対し、同じ方向を向いていたはずのトニーのソロは、なぜか「いまひとつ」届かなかった。そんな印象がある。


アルバム『Still』と、Fish、ニック・カーショウの個性

久しぶりに『Still』を聴き返してみると、ゲスト・ヴォーカル陣の存在感が光ります。 Fish(フィッシュ)やニック・カーショウ。彼らの歌声には確かな個性があり、トニーの構築する世界を彩っています。

ただ正直に言えば、全体は「ジェネシスの亜流」と感じてしまう瞬間があるのも事実。

しかし、それは決して否定的な意味ではないと言いたい。

1991年という年。あれほど巨大な人気を誇ったジェネシスが、実質的な最終章に差し掛かったと感じさせた

**『We Can’t Dance』**が発表された年。 

『Still』は、まるでその終りに呼応するかのように、ジェネシス終盤の空気を静かに、そして真摯に引き受けているように思える。


1991年、小さな音量で語られた「幕引き」

巨大な成功のあとに、声を張り上げるのではなく、小さな音量で自らの歩みを語ろうとしたアルバム。 1991年の『Still』を聴くと、それは70年代でも80年代でもない、UKロックの一つの到達点に立っているような気がします。

 

21世紀に復活したジェネシスには、フィルの衰えが否応なく見えてしまい、正直なところ「懐メロ」以上の何かを見出すことはできませんでした。 旬の頃のミュージシャン、旬の頃のバンドをリアルタイムで体験してきた者にとって、時の移ろいはただ感慨を深めるだけのものでした。ポール・マッカートニーやストーンズが、別枠、凄いのかもしれないが。

 

と云うことでおまけは、アルバムの最後を飾る曲を。

 直訳すれば**「幕が下りる(The Final Curtain)」**。 

トニー・バンクス自身、この時すでに、何かの終わりを自覚していたのか。

 

Tony Banks -- The Final Curtain 

 

 

編集後記

ブログを書き始めて、もうすぐ15年。 4500頁もの熱量を積み重ねてきた中で思うのは、

音楽は単なる「過去の思い出」ではなく、今この瞬間も続く「人生の途中経過」です。

こうした少しマイナーな、しかし愛すべき作品を聴く時間が、幸せでもあります。

今回もインターネットラジオ「Radio Paradise」で気がつきました。

皆さんの「1991年の記憶」の頃のロック、POP、もちろん日本の曲でも、知りたいです。

 

 

 

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

ロック前

 


ビートルズ編②1974年冬、上映会の幻惑『ストロベリー・フィールズ』の迷宮【再編集2026】

この記事は【再編集2026・ビートルズ編】の一編です。

 

ビートルズ 「Strawberry Fields Forever」

――「サージェント」のあとで、まだまだ世界は広いと感じ始めた――

 

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

アルバムでは1968年『Magical Mystery Tour』
に収められている一曲ですが、この曲は、「迷宮」となった。


1974年冬、上映会という幻惑

中2で初めて聴いた『サージェント・ペパーズ』の衝撃が、

まだ体のどこかに残っていた1974年の冬。

ファンクラブの集いで、ビートルズのTV映画Magical Mystery Tour
を上映会で観る機会に恵まれた。

極彩色のバスが走り、支離滅裂なイメージが連なっていく。

ビートルズ、マジカル・ミステリー・ツアーのメンバー

いまなら、
“ロングPV的な先進的映像作品”と評価されている。

だが当時は、意味不明、判らんちん、駄作――
そんな低評価の言葉ばかりが、わずかな情報として伝わってきていた。

正直、心は少し怖気づいた。

 

それでも、
動くビートルズを観られる
 

それだけで、十分に幸福だった。上映中は無我夢中だった。
ただ、「もっと観たい」その思いだけが、強く残っている。

 

50年後、歩きながら、電車で、映像を観られる時代が来るなど、
当時の誰が想像できただろう。


そして始まる「迷宮」

ここで、問題が起きる。アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』に入っている
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が、

TV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』には存在しない。

中学2年の少年には、チンプンカンプン、ビートルズの「迷宮」。

 

いまなら、検索一つで答えは出る。

「この曲は67年、『サージェント』のアルバム候補だったが、

シングルとしてリリースされた」

だが当時は、青盤(ベスト盤)も手に入っていない。

事の次第が分かるまで、長く時間がかかった。

――いまは便利だ。
だが、そのぶん探求心は失われたのかもしれない。


でも、その幻惑が、面白さを倍増させた

この少年を幻惑させた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。

リバプールの街を幻想的に描いた日本語訳、リバプールへの想像。

そして摩訶不思議な旋律。それらすべてが、

ビートルズの面白さを、何倍にも膨らませた。

 

オープニングのメロトロンの音色は、のちに夢中になる
キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリン、

ロキシー・ミュージックへの
予行演習になっていたのだから、恐れ入る。


マイルス・デイヴィスというシメ

マイルス・デイヴィス、トランペットを演奏

この曲を語るうえで、思い出すエピソードがある。

ジャズの帝王、Miles Davis

晩年、彼が自らのトリビュート的ライブで
選んだ曲の一つが、「Strawberry Fields Forever」だった。

 

1990年、東京ドームで行われたジョン・レノン追悼コンサートで、

マイルスが演奏「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」だった。

こびへつらわないマイルス。観客に背を向けるように吹くトランペット。

その音が、妙に焼き付いている。

少年時代、「なぜ映画にないのか」と迷走したあの感覚が、よみがえる。

 

偶然ではなく、必然として

ジャズという枠すら飛び越えた巨人が、なぜ、この曲を選んだのか。

 

そして私は、ビートルズと自分の距離感を「本物だった」

とどこかで信じている。

 

うぬぼれた幸せがあった。

 


The Beatles - The Beatles - Strawberry Fields Forever (Official Music Video) [2015 Mix]

 

 

ブログ15年分の記憶をいまの視点で削り出していると、
音楽は「思い出」ではなく、人生の途中経過だったのだと気づきました。

 

あなたにも、迷わせてくれた一曲が、あると思います。

それは、どんな曲でしたか。

 

 

 

 

※4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。

 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

少年時代ロック前

ロックを聴く以前、
すでに心は音楽に触れていた。


【再編集2026】ビートルズ編②1974年冬、上映会の幻惑『ストロベリー・フィールズ』の迷宮

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

ビートルズ 「Strawberry Fields Forever」

――「サージェント」のあとで、まだまだ世界は広いと感じ始めた――

 

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。

アルバムでは1968年『Magical Mystery Tour』
に収められている一曲ですが、この曲は、「迷宮」となった。


1974年冬、上映会という幻惑

中2で初めて聴いた『サージェント・ペパーズ』の衝撃が、

まだ体のどこかに残っていた1974年の冬。

ファンクラブの集いで、ビートルズのTV映画Magical Mystery Tour
を上映会で観る機会に恵まれた。

極彩色のバスが走り、支離滅裂なイメージが連なっていく。

ビートルズ、マジカル・ミステリー・ツアーのメンバー

いまなら、
“ロングPV的な先進的映像作品”と評価されている。

だが当時は、意味不明、判らんちん、駄作――
そんな低評価の言葉ばかりが、わずかな情報として伝わってきていた。

正直、心は少し怖気づいた。

 

それでも、
動くビートルズを観られる
 

それだけで、十分に幸福だった。上映中は無我夢中だった。
ただ、「もっと観たい」その思いだけが、強く残っている。

 

50年後、歩きながら、電車で、映像を観られる時代が来るなど、
当時の誰が想像できただろう。


そして始まる「迷宮」

ここで、問題が起きる。アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』に入っている
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が、

TV映画『マジカル・ミステリー・ツアー』には存在しない。

中学2年の少年には、チンプンカンプン、ビートルズの「迷宮」。

 

いまなら、検索一つで答えは出る。

「この曲は67年、『サージェント』のアルバム候補だったが、

シングルとしてリリースされた」

だが当時は、青盤(ベスト盤)も手に入っていない。

事の次第が分かるまで、長く時間がかかった。

――いまは便利だ。
だが、そのぶん探求心は失われたのかもしれない。


でも、その幻惑が、面白さを倍増させた

この少年を幻惑させた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。

リバプールの街を幻想的に描いた日本語訳、リバプールへの想像。

そして摩訶不思議な旋律。それらすべてが、

ビートルズの面白さを、何倍にも膨らませた。

 

オープニングのメロトロンの音色は、のちに夢中になる
キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリン、

ロキシー・ミュージックへの
予行演習になっていたのだから、恐れ入る。


マイルス・デイヴィスというシメ

この曲を語るうえで、思い出すエピソードがある。

ジャズの帝王、Miles Davis

晩年、彼が自らのトリビュート的ライブで
選んだ曲の一つが、「Strawberry Fields Forever」だった。

 

1990年、東京ドームで行われたジョン・レノン追悼コンサートで、

マイルスが演奏「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」だった。

こびへつらわないマイルス。観客に背を向けるように吹くトランペット。

その音が、妙に焼き付いている。

少年時代、「なぜ映画にないのか」と迷走したあの感覚が、よみがえる。

 

偶然ではなく、必然として

ジャズという枠すら飛び越えた巨人が、なぜ、この曲を選んだのか。

 

そして私は、ビートルズと自分の距離感を「本物だった」

とどこかで信じている。

 

うぬぼれた幸せがあった。

 


The Beatles - The Beatles - Strawberry Fields Forever (Official Music Video) [2015 Mix]

 

 

ブログ15年分の記憶をいまの視点で削り出していると、
音楽は「思い出」ではなく、人生の途中経過だったのだと気づきました。

 

あなたにも、迷わせてくれた一曲が、あると思います。

それは、どんな曲でしたか。

 

 

 

 

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 


Blue Öyster Cult-In Thee

Blue Öyster Cult:ブルー・オイスター・カルトの「In Thee」で、アルバムは79年『Mirrors :ミラーズ』ですね。

 

日本では、BOCというと――
76年「(Don't Fear) The Reaper(死神)」と、77年「Godzilla(ゴジラ)」。
この2曲が、70年代の代表曲としてまず浮かぶ気がします。

で、彼らって本来、ジャケットも“妙に凝ってる”。
幾何学だったり、戦闘機だったり、オカルトだったり。
バンドのマーク(例のフック&クロス)も含めて、
「気持ち悪いのに、知的で、ロック」みたいな匂いがある。

Blue Öyster Cult アルバムジャケット集

© Blue Öyster Cult / Columbia Records  ※本画像は非商用・レビュー目的で使用しています

 

ところが――『Mirrors』だけは異質。
ジャケが普通(笑)。
もちろんマークはいる。でも、雰囲気が違う。

Blue Öyster Cult Mirrors アルバムジャケット

 

 

Mirrors

 

 

だからこそ、このアルバムは1979年を反映しているかも。

70年代後半、米ハードロックは分岐点に立っていた。

プログレはもう呆られた? パンクする? ディスコは売れている。その狭間で、多くのバンドが
AOR風なり、POPなり 特にアメリカンロックは、この選択をしたのかなと思う。

 

In Thee ―― POPで、AORで、でもBOCらしい

このアルバムの中でも、「In Thee」はとりわけ異質で、そして面白い。AOR的。メロウ。
派手なリフも、ない。

 

でもでも、ここらへんのロック踊り場を、今思えば、そりゃあ、ニュー・ウェイヴ を聴いてしまうのも納得(笑)

 

久しぶりにBlue Öyster Cultの『Mirrors :ミラーズ』聴いて、ブルー・オイスターや、

あえて言わせてくださいドゥービー・ブラザーズが迷い道になったのが、判るような気になった(笑)

 

キッスは偉い!仲悪くても売れ筋ディスコティックしても、

ハードロックの素は残ってずーと継続していた…

 

と云うことでおまけは、代表曲で15年目で初めてあげます。

 

Blue Öyster Cult- (Don't Fear) The Reaper (1976)

 

 

 

あなたにとって好きだった“バンドが迷った1枚”って思ったアルバムがありますか?

 

 

 

 

 

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

 

 

 

ロックはここから始まった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ビートルズ編① 14歳の衝撃「A Day In The Life」【再編集2026】

この記事は【再編集2026・ビートルズ編】の一編です。

 

ビートルズ「A Day In The Life」

――すべては『サージェント・ペパーズ』から始まった

 

「A Day In The Life:ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で、アルバムは67年『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band:サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』ですね。

ビートルズ『サージェント・ペパーズ』のメンバー4人

 

 

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 

今さら言うまでもない名盤だが、
近年の**Rolling Stone誌「オールタイム・ベストアルバム500」では、
かつて1位だったこのアルバムが、2020年版で
24位**まで順位を下げた。

名盤であることに疑いはない。
だが、正直に言えば――この下げ、ポリコレの影響じゃないの?
と、思わなくもない。アートや芸術には、時代評価とは別に、絶対値がある
これは持論だ。

 

ちなみにそのランキング上位を見ると、

1位 Marvin Gaye『What’s Going On』2位 The Beach Boys『Pet Sounds』

3位 Joni Mitchell『Blue』4位 Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』

5位 The Beatles『Abbey Road』6位 Nirvana『Nevermind』
7位 Fleetwood Mac『Rumours』8位 Prince and the Revolution『Purple Rain』

9位 Bob Dylan『Blood on the Tracks』10位 Lauryn Hill『The Miseducation of Lauryn Hill』

……まあ、普通に全部聴いている(笑)。

正直に言えば、『Pet Sounds』は今でもそこまで好きじゃない。それでも2024年のSpotifyではトップ再生した。

『Rumours』に至っては、いまでも自宅のネットワーク・ステレオを仕上げていくためのリファレンス音源

 

小生的な感覚で言えば、1位はホワイト・アルバム、2位にクラプトン絡み、3位『Abbey Road』
『サージェント・ペパーズ』は体感的に10位以内

 

でも言わせてほしい。

『サージェント・ペパーズ』を24位にした責任者、出てこい。
延髄斬りからノーザンライトボム、かましてやる(笑)


それでも――【再編集2026】ビートルズ編は、
**完全に個人的な「メモリー・アルバム」**として始めたい。

その起点が、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』


ポール・マッカートニー、ビートルズ『サージェント・ペパーズ』収録

親の仕事の都合で、1973〜75年の前半、中学校を学年ごとに3校転校した。

今思えば、これが自分の「孤独」や「ソロ」に強く惹かれる性格の原点かもしれない。

 

10歳の時にビートルズの「Let It Be」を聴き、中1〜中2(1973〜74年)頃から
本格的に洋楽・ロックを聴き始めた。

 

だがその頃、ビートルズはすでに解散していた。

リアルタイムで知っていたのは、カーペンターズ、スージー・クアトロ、

ローリング・ストーンズ、そしてグラムロックのT・レックスやデヴィッド・ボウイ。

 

愛川欽也さんと今野雄二さんのTV番組『リブ・ヤング!』の影響は大きかった。
スレイド、スウィート、そしてクイーン……
70年代前半のUKロックは、正直、永遠にブログが書けそう(笑)


初めて買ったLP(昔はこう言った)は、少し浮気して

ローリング・ストーンズ『Goats Head Soup』(1973)

理由は単純で、「悲しみのアンジー」が好きだったから。

だが正直に言えば、それ以外の曲は、当時ほとんど分からなかった。

いまでは「Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)」が大好き。
人の好みというのは分からない。(また横道にそれた・笑)


当時のビートルズ体験は、
「Yesterday」「Help!」「Let It Be」「Hey Jude」など、シングル中心だった。

LPレコードは高価で、お小遣いでは簡単に買えない。頼りはFMラジオだった。

中2の時、ようやくラジカセ(モノラル)を買ってもらい、
ラジオやテレビ放送を録音して、カセットテープのライブラリーを作り始めた。

だが、アルバム全体を通して聴く体験には、なかなか辿り着けなかった。


転校先の中2の学校で、秀才の友人ができた。

彼は洋楽好きで、『サージェント・ペパーズ』のLPを持っていた。

彼の家でそれを聴いたとき、ラジオで聴いていたロックンロールや
メロディアスなバラードとはまるで違う音楽に、言葉を失った。

 

曲と曲の間が途切れず、音楽が一つの“流れ”として続いていく。

「Lucy in the Sky with Diamonds」で心を奪われ、アルバム終盤、
「Sgt. Pepper’s Reprise」のロックギターに痺れていたところに――

 

「A Day In The Life」が始まる。

二人のボーカルが交差し、「ハーハー」という不思議な声。
当時の英語力では「A Day In The Life=人生の一日」くらいしか分からない。

豪華なライナーノーツの歌詞を、英語教師だった友人のお父さんが訳してくれた。

 

最初はニコニコ読んでいたのに、後半になるにつれ、急に真剣な顔になったのを覚えている。

結局、詳しい意味は分からないままだった。

 

――昨日の夕飯を何を食べたか忘れているのに、
この記憶「大人が真に黙り込んだ空気」だけは、なぜか消えない。


メロディがいい、リズムがいい、そういう次元ではなかった。

こんな音楽が、この世にあったのか。

まだ聴いていない曲、知らないアルバムをとにかく聴きたい。

ここで、自分の中の「音楽の扉」が本気で開いたのだと思う。


その後すぐ、ビートルズ映画『Let It Be』や『Magical Mystery Tour』を
上映会で観る機会にも恵まれた。

 

新しい音を求めること、未知の音楽に出会うこと――
それ自体が、ロックだった。そして、その後に知っていくUKロックは、
すべてが革新的で、すべてが新しかった。

 

これが、
マイ・ブリティッシュ・インヴェイジョン

起点は、
『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』。

そして原点は、
間違いなく――「A Day In The Life」

 

 

 

 

あなたが最初に出会ったビートルズは、どんな曲でしたか?
それは、どんな場所・どんな年頃でしたか?

 

 

 

 

※4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。

 【再編集2026】プロジェクト始動。

少年時代ロック前

ロックを聴く以前、
すでに心は音楽に触れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【再編集2026】ビートルズ編① 14歳の衝撃「A Day In The Life」

ビートルズ「A Day In The Life」

――すべては『サージェント・ペパーズ』から始まった

 

「A Day In The Life:ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で、アルバムは67年『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band:サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』ですね。

ビートルズ『サージェント・ペパーズ』のメンバー4人

 

 

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 

今さら言うまでもない名盤だが、
近年の**Rolling Stone誌「オールタイム・ベストアルバム500」では、
かつて1位だったこのアルバムが、2020年版で
24位**まで順位を下げた。

名盤であることに疑いはない。
だが、正直に言えば――この下げ、ポリコレの影響じゃないの?
と、思わなくもない。アートや芸術には、時代評価とは別に、絶対値がある
これは持論だ。

 

ちなみにそのランキング上位を見ると、

1位 Marvin Gaye『What’s Going On』2位 The Beach Boys『Pet Sounds』

3位 Joni Mitchell『Blue』4位 Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』

5位 The Beatles『Abbey Road』6位 Nirvana『Nevermind』
7位 Fleetwood Mac『Rumours』8位 Prince and the Revolution『Purple Rain』

9位 Bob Dylan『Blood on the Tracks』10位 Lauryn Hill『The Miseducation of Lauryn Hill』

……まあ、普通に全部聴いている(笑)。

正直に言えば、『Pet Sounds』は今でもそこまで好きじゃない。それでも2024年のSpotifyではトップ再生した。

『Rumours』に至っては、いまでも自宅のネットワーク・ステレオを仕上げていくためのリファレンス音源

 

小生的な感覚で言えば、1位はホワイト・アルバム、2位にクラプトン絡み、3位『Abbey Road』
『サージェント・ペパーズ』は体感的に10位以内

 

でも言わせてほしい。

『サージェント・ペパーズ』を24位にした責任者、出てこい。
延髄斬りからノーザンライトボム、かましてやる(笑)


それでも――【再編集2026】ビートルズ編は、
**完全に個人的な「メモリー・アルバム」**として始めたい。

その起点が、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』


ポール・マッカートニー、ビートルズ『サージェント・ペパーズ』収録

親の仕事の都合で、1973〜75年の前半、中学校を学年ごとに3校転校した。

今思えば、これが自分の「孤独」や「ソロ」に強く惹かれる性格の原点かもしれない。

 

10歳の時にビートルズの「Let It Be」を聴き、中1〜中2(1973〜74年)頃から
本格的に洋楽・ロックを聴き始めた。

 

だがその頃、ビートルズはすでに解散していた。

リアルタイムで知っていたのは、カーペンターズ、スージー・クアトロ、

ローリング・ストーンズ、そしてグラムロックのT・レックスやデヴィッド・ボウイ。

 

愛川欽也さんと今野雄二さんのTV番組『リブ・ヤング!』の影響は大きかった。
スレイド、スウィート、そしてクイーン……
70年代前半のUKロックは、正直、永遠にブログが書けそう(笑)


初めて買ったLP(昔はこう言った)は、少し浮気して

ローリング・ストーンズ『Goats Head Soup』(1973)

理由は単純で、「悲しみのアンジー」が好きだったから。

だが正直に言えば、それ以外の曲は、当時ほとんど分からなかった。

いまでは「Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)」が大好き。
人の好みというのは分からない。(また横道にそれた・笑)


当時のビートルズ体験は、
「Yesterday」「Help!」「Let It Be」「Hey Jude」など、シングル中心だった。

LPレコードは高価で、お小遣いでは簡単に買えない。頼りはFMラジオだった。

中2の時、ようやくラジカセ(モノラル)を買ってもらい、
ラジオやテレビ放送を録音して、カセットテープのライブラリーを作り始めた。

だが、アルバム全体を通して聴く体験には、なかなか辿り着けなかった。


転校先の中2の学校で、秀才の友人ができた。

彼は洋楽好きで、『サージェント・ペパーズ』のLPを持っていた。

彼の家でそれを聴いたとき、ラジオで聴いていたロックンロールや
メロディアスなバラードとはまるで違う音楽に、言葉を失った。

 

曲と曲の間が途切れず、音楽が一つの“流れ”として続いていく。

「Lucy in the Sky with Diamonds」で心を奪われ、アルバム終盤、
「Sgt. Pepper’s Reprise」のロックギターに痺れていたところに――

 

「A Day In The Life」が始まる。

二人のボーカルが交差し、「ハーハー」という不思議な声。
当時の英語力では「A Day In The Life=人生の一日」くらいしか分からない。

豪華なライナーノーツの歌詞を、英語教師だった友人のお父さんが訳してくれた。

 

最初はニコニコ読んでいたのに、後半になるにつれ、急に真剣な顔になったのを覚えている。

結局、詳しい意味は分からないままだった。

 

――昨日の夕飯を何を食べたか忘れているのに、
この記憶「大人が真に黙り込んだ空気」だけは、なぜか消えない。


メロディがいい、リズムがいい、そういう次元ではなかった。

こんな音楽が、この世にあったのか。

まだ聴いていない曲、知らないアルバムをとにかく聴きたい。

ここで、自分の中の「音楽の扉」が本気で開いたのだと思う。


その後すぐ、ビートルズ映画『Let It Be』や『Magical Mystery Tour』を
上映会で観る機会にも恵まれた。

 

新しい音を求めること、未知の音楽に出会うこと――
それ自体が、ロックだった。そして、その後に知っていくUKロックは、
すべてが革新的で、すべてが新しかった。

 

これが、
マイ・ブリティッシュ・インヴェイジョン

起点は、
『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』。

そして原点は、
間違いなく――「A Day In The Life」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※この記事は、ブログ15年目を前に行っている
〈再編集2026〉勝手なプロジェクトの一編です。

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Jackson Browne- Doctor My Eyes

 ジャクソン・ブラウンの「Doctor My Eyes:ドクター・マイ・アイズ」で、アルバムは72年『Jackson Browne:ジャクソン・ブラウン・ファースト』ですね。動画は2023年、Playing For Changeの「 Song Around The World」として、参加して唄ってる、素晴らしい!チャーさんも演奏してるし!

 

 

ジャクソン・ブラウン debut album cover

 

 

ジャクソン・ブラウン・ファースト

 

昨年のスポティファイの聴いたミュージシャンでトップアーティストがジャクソン・ブラウンで驚き!

UKRockファンとしては、昨年亡くなった、オジー・オズボーンを聴いていた体感としては、違うようで……

 

70年代はブリティッシュロック、ハードロックがメインで、聴いていたが、米のカントリーロック、フォークロックを聴かず嫌いで、なかば柔い音楽として、バカにしていたような。

 

若気の至りでなく……

小生の場合、バカ気のいたり。

 

当時やっと知っていた事は、少し後追いで聴いたイーグルスの72年「テイク・イット・イージー」が、グレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作ぐらい知識。

 

大きく興味を持つようになったのは30代になってから、95年映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の挿入歌「Running on Empty:孤独なランナー」に痺れた! ここも孤独がつく、ほんと、孤高とかソロとか、ついて回る己の志向(笑)

 

 

 

それが、近年、特に、60代に入ると、そもそもメロディー追いなんで、ジャクソン・ブラウンの曲が身に染みると言うか、違和感なしの生活の音に、よく流しで聴いていた。

 

 

— 見えすぎてしまった時代に、目を閉じるという選択 —

 

 70年代アメリカは激動の時代(今もそうだけど、この米国の本質と思う、安定より上昇気運、あつれきもいとわない)

60年代の熱狂が終わり、理想も革命も現実に飲み込まれていく時代へ、「世界を変える」という言葉が、みんな疑いがあるかもと、「自分を守る」と変質していく中で 当時は能天気な音楽では?(あくまで小生の感じ方だが)
そう思わせたウエストコースト・ミュージック。であるが、彼らは苦悩、深考していたかも。
 

「Doctor My Eyes」は、叫ばない強さ、誇示しない深さがある。

派手なギターもない。革命のスローガンもない。だが、耳を澄ますほどに、時代の違和感を唄う。

ジャクソン・ブラウンは、22歳、1972年発表のデビュー作『Jackson Browne』の時点で、
すでに“観て”いた。サウンドは“軽やか”、言葉は“重い”

 

「Doctor My Eyes」は、不思議な曲だ。メロディは明るく、リズムも軽快。だが、歌詞は決して軽くない。

70年代アメリカン・ロックにも、奥ゆかし知性があったのですね。

 

そもそも「ノー・ニュークス」の参加者でした、79年からやってましたジャクソン・ブラウン。

 

ジャクソン・ブラウンの歌は、聴き手に“同意”を求めない。「君はどうだ?」と問いかけている。

「Doctor My Eyes」、このアルバム『Jackson Browne:ジャクソン・ブラウン・ファースト』は、そんな世界への、ロックとしての回答として聴きたい。

 

若かった頃より、今の方が刺さる曲、正直に言えば、この曲は10代・20代の頃より、
年を重ねてからの方が効く

いろいろな事が起きる身の回り そして世界も、 ジレンマがついて回る、生きてるかぎり!

この曲、若い頃と、今とで、どう聴こえていますか。

 

と云うことでおまけは同アルバムから好きな曲で

 

Jackson Browne- A Child in These Hills

 

 

 

 

 

 

 

 

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