2026年02月一覧

ビートルズ『アビイ・ロード』B面の秘密― 50年後に完成した「三日月の地球儀」【再編集2026】

なぜ、あのB面は未来へ向かって回転していたのか。

 

■ 人類最後のアルバムを選ぶなら

もし「人類が最後に残すアルバム」を一枚選べと言われたら、
私は『ホワイト・アルバム』か『アビイ・ロード』で迷う。
……が、押すのは『ホワイト・アルバム』だ。

それでも、「時間・音楽の魔法」を最も強く感じるのは、
間違いなく『アビイ・ロード』のB面メドレーだ。

あのB面には、確かに**「音楽の魔力」**がある。

Rolling Stone誌「オールタイム・ベストアルバム500(2020)」で
『アビイ・ロード』は5位。
『サージェント・ペパーズ』(24位)を大きく上回った。

それでも、ビートルズが1位でないことには正直腹が立つ(笑)。
未だにビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』が2位なのも、
どうにも納得がいかない。

――――――――――――――――

■ 中学の美術室で描いた「三日月の地球儀」

転校したばかりの中学3年。
美術の授業で、私は奇妙な絵を描いた。

半分だけ欠けた地球儀。
やがてそれは、三日月のような形へと変化していった。

 

理由は分からなかった。
ただ、耳と心を支配していたのは
『アビイ・ロード』のB面だった。

「半月の地球儀」というイメージを、
美術の先生は強く評価してくれた。
転校生だった私は、そこで初めて注目された。

 

音楽好きの自覚はあったが、
図工も技術家庭科も苦手。
母には「ぶき不器用」と言われ続けていた。

音楽には、インスピレーションを
別の表現へと変換する力がある――
そんな気分になった。

もっとも、後に絵の才能も楽器の才能もないと分かる。
母の見立ては、やはり正しかった(笑)。

 

1975年中3、アビイ・ロードのレコードを裏返した瞬間、

「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ビコーズ」からの

「You Never Give Me Your Money」から最後まで、

こんな曲があったのかと。『サージェント~』の

「ア・デイ・イン・ザライフ』とは違う、フィーナーレのような高揚感。

――――――――――――――――

■ B面メドレーという「運動体」

You Never Give Me Your Money  
Sun King  
Mean Mr. Mustard  
Polythene Pam  
She Came In Through The Bathroom Window  
Golden Slumbers  
Carry That Weight  
The End

ビートルズ アビイ・ロード B面 メドレー

後に知った。
ジョンとポールが持ち寄った、未完成の断片だったことを。

普通ならボツになるような素材を、
ジョージ・マーティンが編集でつなぎ合わせた。

完成された彫刻ではない。
未完のまま、動き続ける音楽だった。

 

――――――――――――――――

■ 25年後、東京ドームで完成したB面

1990年3月東京ドーム。日本初ソロ・ポール・マッカートニー公演に

アンコールで、遭遇する。不意打ちだった、

昔はネットなく何の曲が演奏されるか、知らない状況。

 

でも、聴く方が立て込んでいた。

1990年2月ローリング・ストーンズ初公演でいたく感動、

これぞロックと堪能、友人のコネを使いアリーナ正面14列目も効いた。

ビートルズファンと自覚しながら、

最初かったロックアルバムはストーンズの73年『山羊の頭のスープ』。

 

翌月のポール・マッカートニーの公演はコネはきかなく、

球場座席、100mぐらい離れていた。

それでも、1975年・1980年の中止をこえて、

生のポール・マッカートニーを観れた事に、

感激で号泣のままで、アンコール不意打ち、

 

Golden Slumbers から You Never Give Me Your Money リフレイン 

Carry That Weight The Endで、

よみよみがえりの「三日月の地球儀」をイメージ。

 

あのB面は、
未来で完成することを、どこかで知っていたかのようだった。

――――――――――――――――

■ 欠けているからこそ、回る

中学時代に描いた三日月の地球儀は、

東京ドームで自分の中で完成した。

私にとっては『アビイ・ロード』のB面は、

未来に向けて作られていたモノかもしれない。

 

過去の記憶はすべて断片だ。
だが、つなげて回し続ければ、構造になる。

『アビイ・ロード』B面のように。

ビートルズも又、
「世の中、偶然はなく、すべて必然だ」
そう教えてくれた気がしている。

――――――――――――――――

 

 

編集後記

再編集2026という作業に、AIを導入したが、簡略化どころか悪戦苦闘(笑)全然楽にならん。 

今までは、誤字脱字極力注意してるつもりで(笑)直書きが、編集行為になり時間が倍になる。

さらに考え込む。編集には作為が作用するから、心直球の直書きにこだわってきたのに。

人間だもの!

 

ただ、導入動画を作る時、現物の絵は無く、記憶だけを頼りに書いたら、30分で4案が出てきた。その中から選ぶだけ。

 

50年前に頭の中にあったイメージが、ついに現物・完成形になった。

 

 宣伝の仕事をしていた者には、驚異的。デザインワーク、映像制作の部下が常にいる状態。

20年前を思えば、タダ同然の費用で瞬時に完成する。これ、良いのか悪いのか? 

まあ、クリエイトするのは人間だから、ゼロイチは人間。

 

でも、まもなく自律型AIができると思う。その時、人はまだ自前でブログ書くのか? 

 

とりあえず『ビートルズの後期5部作【再編集2026】』完結。

後にビートルズ前期や「レット・イット・ビー」もやりたい。

再編集して気づきがあり、ビートルズを後追いで聴き始めた頃、

クイーンはオンタイムで聴いていた。

 

次回【再編集2026】は、クイーンを書きたいと思ってます。

 

 

 

ロックはここから始まった!

 

 

 

 

 

 

4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カルメン・マキ『Easy Come, Easy Go』~長谷川和彦監督への追悼に寄せて

長谷川和彦監督の訃報を聞いた。

思い出すのは、1979年、新宿住友ビルの広場だ。

浪人生が出くわした現場

79年、19歳。大学受験に落ちて、中野のアパートに住んでいた。

高田馬場の予備校からの帰り道、

バス代がもったいなくて、新宿の高層ビル群を抜けて歩いて帰るのが日課だった。

初夏の夕方、新宿住友ビル(三角ビルと呼んでいた)の広場を通りかかったら、

何か撮影をしていた。

 

田舎から出てきたばかりで、映画の撮影なんて初めて見る。興味津々で近づいたら、

いきなり怒鳴られた。キョトンとした。何が起きたのかも分からなかった。

邪魔にならない場所に立たされて、

 

そこから撮影されている人を見たら――沢田研二だった。

1979年の沢田研二だ。歌謡界の大スター。東京ってすごいところだと思った。

その作品が、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』だった。

太陽を盗んだ男 沢田研二 長谷川和彦監督

「俺はここにいた

10月に公開された。受験生なのに、すぐ観に行った。

映画の中で、主人公の城戸誠が高層ビルを支えるシーンが一瞬出てくる。

そのシーンが映った時、心の中で叫んだ。

「俺はここにいた」

太陽を盗んだ男 撮影現場

映画の中に、自分がいた場所が映っている。その場所に、あの日確かに立っていた。

それだけのことなのに、興奮した。

映画は、容赦しなかった

『太陽を盗んだ男』は、容赦しない映画だった。

高校教師が手製の原爆を作る。国を脅す。警察が追う。

1979年、原発は「安全」だと誰もが(信じさせられていた)時代に、

原子爆弾を個人が作るというストーリーは、相当な覚悟がなければ撮れない。

でも、俺たちは本当に信じていたか?

 

原発が安全だなんて。

誰も本気で信じちゃいなかった。ただ、そういうことになっていただけだ。

 

長谷川監督は、その嘘を映画にした。

映画もロック!

この映画の音楽は、井上堯之バンドが担当している。

全編を通して、緊張が続く。リズムは無機質で、観客を突き放す音。

 

ほんの挿入歌でカルメン・マキの「Easy Come, Easy Go」。

日本ロックも凄いと思っていた頃、浪人生なのに、ライブハウスを知り、通い始めた頃。

 

カルメン・マキの声が解く。

Easy come, easy go
なるようにしかならない。

 

 

偶然はない、すべて必然

あの日、新宿住友ビルの広場を通らなければ、映画の撮影現場を見なかった。

怒鳴られなければ、沢田研二を見ることもなかった。

 

映画を観なければ、「俺はここにいた」と叫ぶこともなかった。

その後、映画業界に入った。希望の大学には入れなかったが、映画の仕事には就けた。

 

1979年のあの日、新宿住友ビルの広場で、確かにあの現場にいた。

 

世の中に、偶然はない。すべて必然だ。

長谷川和彦が遺したもの

長谷川和彦監督は、多くの作品を撮らなかった。

だが、一本の映画が、一人の人生を動かすことはできた。

 

1979年、19歳。浪人生。予備校帰り。新宿住友ビルの広場。

そこで出会ってしまった映画が、これも私の原点。

 

『太陽を盗んだ男』は、今でも邦画No.1だと思っている。

 

世界は、今日もそのままだ。原爆も原発も。

 

長谷川和彦監督、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 【再編集2026】プロジェクト始動。

 

 

 

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【再編集2026】少年時代ロック前 三部作  おまとめページ

ロックは、ある日突然、耳に飛び込んできたわけではない。
それ以前に、すでに心のどこかに「受け取る準備」ができていた。
テレビのブラウン管、物語の余韻、もの寂しい旋律──
少年時代に無自覚のまま刷り込まれた感情の型が、のちにロックを“必然”として迎え入れる。
この三部作は、音楽以前の記憶をたどる試みであり、回顧ではない。
私がロックと出会う前に、すでに形成されていた世界の輪郭を、再編集という視点で掘り起こす。

 

 

 

 

 

この三部作は、過去を振り返るためのものではない。
ここで形づくられた感情の輪郭が、この先のロック体験──そして現在の私の聴き方へと、確かにつながっていく。

 

 

所信もここにあります。