このブログ2011年から起点はUKのフー、ピンクフロイドからなんですが、日本は遠藤賢司、1st『niyago』は上げていなかったようで。
遠藤賢司は、高校生時にURC:アングラ・レコード・クラブのレコードを聴いて、吉田拓郎や井上陽水以外にもフォーク歌手がいるんだと存在を後追いで知り、79年上京、浪人予備校通いのつもりが全く勉強せず、映画・名画座とライブハウスに夢中で、エンケンの79年『東京ワッショイ』のロック化で一気にファンになった気がします。
この時に、同郷のミュージシャンと知りますが、小生は南の方生まれで、遠藤賢司さんは北の方、高校時代は北の方だったので、友人はいましたが、驚きました、あんな街でも、ミュージシャンは生まれるんだと!?
若い頃は田舎へ偏見から、上京したようなもんで、今では東京在ですが、帰りたい!
昨日、田舎・茨城の父の介護施設へ面会訪問で「なんできた?」と相変わらず、ドライな冷静な性格は変わらじで「これから用事あるから帰れ」用事とは夕方5時からの夕食、スタッフも笑っていた(笑)
帰り高速で常磐道・首都高から湾岸線に抜けようとして、渋滞の表記、高速トンネルが冠水???とラジオつけると港区、品川区で豪雨、渋谷川氾濫危険と。6号向島でおり下道。雨はやみ、正に雨あがりのビル街の抜けて、帰宅。エンケンの唄を思い出す。
遠藤賢司の79年『東京ワッショイ』や80年『宇宙防衛軍』のファニー感や田舎者の覚悟に共鳴感でしたが、初期やアコギのエンケンのフォークは、後に30歳すぎて、ニール・ヤングやティム・バックリィがすんなりと聴けるようなったのは、ハードなフォークへの耐性は、エンケンが聴いていたからこそと思える。
この「雨あがりのビル街《僕は待ちすぎてとても疲れてしまった》」の伴奏は、はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂、松本隆が参加は知っていたけど、ベースが静謐でも、のれる、音楽の一体感がある、70年のデビューでこの心境、やっぱり好きな遠藤賢司だあ~でした。
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