ホワイトアルバムの暗号と「いとしのエリー」への遺伝子
※1970年代、ホワイトアルバムに見入る少年たちの記憶をイメージした自作映像
― 小6のトラウマから54年、音楽の深淵へ ―
「人類が生き残るために、1枚だけアルバムを残せ」と言われたら、
私は迷わずThe Beatles――いわゆる《ホワイト・アルバム》を選ぶ。
だが、私とこの白い怪物との出会いは、むしろそれは、少年時代の私に刻まれた、
一種のトラウマから始まっている。
1. 1972年、学園祭の「音の地獄」
― 小6で浴びた『Revolution 9』の洗礼
72年小学6年生、12歳。地元高校の学園祭で、
ふらりと入った「音楽鑑賞会」の教室。
そこで流れていたのは、メロディもリズムもない、
不気味な声と物音が延々と続く、まるで音の地獄のような作品だった。
Number nine, number nine…
後になって知る。それがRevolution 9だったことを。
「 Let It Be」「Yesterday」を歌うビートルズしか知らなかった少年にとって、
それは音楽ですらなかった。だが、この“変な音楽”の記憶は、
脳の奥深くに、強烈な楔として打ち込まれた。
これが、ホワイト・アルバムの気持ち悪い出会いの最高の前振りだった。
2. 大人になって気づいた「切なさの遺伝子」
― 『Dear Prudence』の寂しいメロの下降フレーズ
その後、本格的にロックを聴くようになり、何度もこの2枚組と向き合う中で、
私の心を執拗に捉えて離さない曲が現れる。
それがDear Prudenceだった。
ジョン・レノンのフィンガーピッキングは、執拗なまでに下降していく。
階段を降りるように進行する。
寂しさと切なさと緊張が続く、大人になり、
音楽を「構造」として聴けるようになったとき、
音楽の生まれる流れを見たと思っている。
この曲に流れる
**「切なさの遺伝子」**は、Mind Games へ
そして――いとしのエリーへと、確かに繋がっている。
桑田佳祐という稀代のミュージシャンが、ホワイト・アルバムの深淵から何を感じ、
日本のPOPロックへと変換したと、意味合いが解けた瞬間、
音楽とは、偶然を装った必然の繋がりを感じた。
3. バラバラの「個」と、孤独な少年
― 『Dear Prudence』という寂しさのメロの誠実さ
「Dear Prudence」は昔は調べまくった話によると、うら覚えの記憶ですが
いろいろなアクシデントが重なり、ビートルズは1968年、インド・リシケシュでの瞑想合宿へ。
John Lennonが書いた曲。合宿には多くの仲間も参加して、
ミア・ファローの妹、プルーデンス・ファローが
瞑想に没頭しすぎ、小屋に閉じこもってしまった。
仲間が彼女を外へ誘うために、この歌は生まれたと言われてる。
Won’t you come out to play?
この呼びかけは、決して説得ではない、相手の距離を尊重した、
誠実な声だ。
私の少年時代は、中学を三度転校した。
常に「よそ者」で、一人で自分を守るしかなかった。
だからこそ、ビートルズ4人がバラバラの方向を向きながら、
それでも同じ場所で鳴ろうとしたこのアルバムは、
私にとって共鳴感の究極のパートナーになったと思う。
2026年の視点
ライフ・ビートは止まれない(直ぐに止まりそうですが(笑))
2026年。私は66歳になる、12歳で浴びた『Revolution 9』の洗礼から、
半世紀以上が過ぎた。早すぎる、家では8歳レベル、4人家族で一番下扱い。
「物事を好き嫌いで決めなくて、なんで決めるの」とほざき、
家族に無視され知らん顔される(笑)
この50年以上経ても
どんな整えられた名盤よりも私はこのアルバムを通して、
自分自身の「孤独」と「革新」の履歴と重なりを感じる。
仕事は新しい事が大好きだった、でも人に命令される事は毛嫌いした。
プルーデンス、
空は青く、
君もその一部なんだ。
あの日の少年に、そして今を生きる自分に、
同じモノがあり続ける
編集後記|皆様へ
ホワイト・アルバムを初めて聴いたとき、
あなたは「好き」それとも「嫌い」でしたか。
私は、その両方でした。
音楽好きな方々にも、思いのある、
長く付き合っている一曲が、きっとあるはずです。
それは、どんな曲でしたか。
4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
【再編集2026】プロジェクト始動。
ロック前
ロックはここから始まった!
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