元ジャーニーのスティーヴ・ペリー、エディ・ヴァン・ヘイレンとの逸話の真相を明かす

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元ジャーニーのスティーヴ・ペリーはエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報を受けて長年話されてきた逸話について真相を語っている。

逸話はヴァン・ヘイレンとジャーニーが1978年に一緒にツアーを行っていた時のもので、デイヴィッド・リー・ロスに苛立ったエディ・ヴァン・ヘイレンがワカモレディップを投げつけたところ、デイヴィッド・リー・ロスには当たらず、スティーヴ・ペリーに当たってお気に入りのサテン・ジャケットにかかってしまったという。スティーヴ・ペリーはその後泣き始めたとされていた。

今回、スティーヴ・ペリーは米『ローリング・ストーン』誌の新たなインタヴューで1978年のツアーで起きた事件について語っている。

「ある夜、エディ・ヴァン・ヘイレンに『大好きだよ』と伝えなきゃいけないと思ってね。ドアを開けて『やあ』と言おうとしたら、カッテージチーズのような容器に入ったワカモレディップが飛んできたんだ。連中はフードファイトをやっていたんだよ」とスティーヴ・ペリーは説明している。

「ドアを開けたところにワカモレディップの容器が飛んできて僕の左にあった鏡に当たって、最も高価な所持品にかかったんだ。当時はフレスノ出身の小さな街から出てきたキッズだったからね。あれはサテンのツアー・ジャケットで、背中に『Journey』と入っていたんだ。着ると、別人になれたんだよね」

「ワカモレディップが左の肩と腕にかかってね。それを見下ろした後、顔を上げたら連中は申し訳なさそうに『ヤバ』と笑っててね。彼らを見てドアを閉めて立ち去ったんだ。怒ったからね。トイレに行って怒っていたよね。最も高価なジャケットだったからね。いまだに気に入っているよ。それ以降は彼らに敬意を払うことはできなくなったね。サテンのジャケットからワカモレディップは拭き取ったよ」

スティーヴ・ペリーはこの事件で「泣いていない」として次のように締めくくっている。「ワカモレディップでは泣かなかったけど、どこかで神話のようになったんだよ。笑える話にね」

ツアー全体を振り返ってスティーヴ・ペリーはヴァン・ヘイレンとツアーを行ったことはいいことしかなかったと述べている。


「あのような音楽的才能の近くにいられたことは幸せだったよね。だって、人生を変えたからね。自分でやりたいこと、自分のソングライティングでやりたいことも変わった。評価するものも変わった。ヴァン・ヘイレンはジャーニーをよりよいバンドにしてくれただけでなく、多くのバンドをよりよいバンドにしたことはみんなに知ってほしいね」

インタヴューでスティーヴ・ペリーは1985年のデイヴィッド・リー・ロス脱退後に実現しなかったヴァン・ヘイレンとのコラボレーションについて語っている。スティーヴ・ペリーによれば、エディ・ヴァン・ヘイレンはサミー・ヘイガーの加入前にスティーヴ・ペリーをジャムに招待したものの、スティーヴ・ペリーは断ったという。

「エディはどこかで来てもらって、一緒にジャムで演奏すべきだと言ってきてね。エディの天性の才能は尊敬していたから自分としては光栄に思ったところもあったよ。彼は生まれながらの天才だったからね。すごくやりたかったよ。音楽的にどれだけクールなものになるか話していたりしたからね」

「でも、その時点でヴァン・ヘイレンの素晴らしさを体現するものって自分にはヴォーカル的に合わないと思ったんだ。違うタイプの歌い方なんだよね」

エディ・ヴァン・ヘイレンは咽頭ガンとの闘病の末に10月6日に亡くなっており、トニー・アイオミ、サミー・ヘイガー、オジー・オズボーンらは追悼の意を表している。

文章は、NME JAPANより全文を引用していますm(__)m




ペリーの言う通りですよね(*^^*)

ペリーのハイトーン・ボイスとヴァン・ヘイレンの演奏ってイメージ的に合わない気がしますね

ペリーはヴォーカリストに徹していたんですね

私もヴァン・ヘイレンのアルバム『5150』を買いました

ヴァン・ヘイレンって私が思っている以上に凄いバンドだったんですね

ペリーの言葉を読んで、改めてヴァン・ヘイレンの偉大さを感じました

JOURNEY 「Opened The Door」

私は今もジャーニーの大ファンなのです(*^^*)
私にとっての彼等の最大の魅力は、全体の美しさにあります
ロック・バンドに美しさは必要ない・・・って言われてるんですが、上質な音楽を愛することは仕方のないことです

美しくて、バランスのとれたロック・バンドがジャーニーです
この美しさが表現出来るバンドは、ジャーニーだけ
他には聴いたことがありません
多分、存在しません
今日ご紹介する曲は、今でも大好きな曲
「Opened The Door」

journey cd 1




リリース: 1978年

ソングライター
Gregg Rolie
Neal Joseph Schon
Stephen Ray Perry


Journeyを聴くなら、先ずはこの曲を私はお勧めします(*^^*)
究極の美しさを表現しています


■ 参加ミュージシャンは・・・

スティーヴ・ペリー
ヴォーカル

ニール・ショーン
ギター、バッキング・ヴォーカル

グレッグ・ローリー
キーボード、ヴォーカル

ロス・ヴァロリー
ベース、バッキング・ヴォーカル

エインズレー・ダンバー
ドラムス、パーカッション


"産業ロックだ"と随分と批判を受けたジャーニーですが、彼等が優れたバンドであることは多くの人が知っていますね

そして、彼等の楽曲は今も愛され続けています

ジャーニー愛が止まらない・・・

これからもずっと一緒です(*^^*)



ご視聴ありがとうございました
2020.10.21付 投稿記事を修正しておりますm(__)m



宮崎駿 『風立ちぬ』

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私も映画『となりのトトロ』が大好きです(^_^)
この作品は、子供達への愛を感じる作品ですね
『風立ちぬ』も素晴らしい作品です

2013年の当時のインタビューで、宮崎駿さんが作品に込めた想いを語っています





【内容】

子ども向けファンタジーに徹してきた宮崎駿(72)が、初めて戦争のただ中に生きた人々を描いた「風立ちぬ」。この映画をどうしても見せたかったのが、近現代史の裏表を知り抜く作家・半藤一利(83)だった。
半藤が独自の視点で読み解く「宮崎版昭和史」とは? 
今、昭和に向きあう意味とは? 
声優のプロを起用しない理由から、トトロ誕生秘話まで、宮崎を「久々に出会う天才」という半藤が、その創作の秘密に迫る1時間。

『SWITCHインタビュー 達人達』(スウィッチ インタビュー たつじんたち)は、NHKが2013年4月にEテレでの放送を開始したインタビュー番組です。


キング・プリンセス、新曲“Only Time Makes It Human”

おはようございます(*^^*)
子供達の諸々の問題は、一時的に解決出来ました(^_^)

そう太郎様、メッセージありがとうございました(^_^)
子供達も精神的に大人になっていました
私が居なくなっても自分達で生きて行けそうで安心しました

今日からまた大好きな音楽ブログに投稿します
ブログを通じてお友達になった方、記事を読んでくださる方に親近感を感じています
こうしてめぐり逢えたことの喜びと幸福
皆様に心から感謝しています(^^)/

こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします



爽やかでノリノリの曲、キング・プリンセス

新曲“Only Time Makes It Human”のご紹介です(^_^)





外が明るくなりました

ウォーキングに行って来ま~す!(^^)!

皆様もお気を付けてお出かけくださいね

いってらっしゃい


レモン・ツイッグス、最新作より“Hog”

ザ・レモン・ツイッグスは最新作より“Hog”のパフォーマンス映像が公開されている。

“Hog”は今年8月にリリースされたサード・アルバム『ソングス・フォー・ザ・ジェネラル・パブリック』に収録されている。

“Hog”のパフォーマンス映像はこちらから。




『ソングス・フォー・ザ・ジェネラル・パブリック』はロング・アイランドの自宅スタジオ、ロサンゼルスのソノラ・スタジオ、ニューヨークのエレクトリック・レディー・スタジオでレコーディングされ、ダダリオ兄弟がすべての作曲とプロデュースを手掛けている。


NME JAPANより全文を引用しています

ブリング・ミー・ザ・ホライズン、リンキン・パークの『ハイブリッド・セオリー』の偉大さを語る

ブリング・ミー・ザ・ホライズンのジョーダン・フィッシュはリンキン・パークの『ハイブリッド・セオリー』から受けた影響をについて語っている。

リンキン・パークの『ハイブリッド・セオリー』は今月20周年を迎えることとなっており、このジャンルでも最も影響力の大きいアルバムの一つとなっている。


『NME』のインタヴューでジョーダン・フィッシュは『ハイブリッド・セオリー』からの広範囲にわたる影響はブリング・ミー・ザ・ホライズンのどのアルバムでも聴くことができると語っている。

「今、作っている音源でもそうだよ。いまだに参考にしているんだ。曲を次にどこに向かわせるか考える時に心の片隅に常にいるバンドの一つだよね」

「ヘヴィでキャッチーな音楽をエレクトロニックやポップ・ミュージックと融合させる時のバイブルだよ。本当に多くの領域をカヴァーしていて、それをあんな形でやってしまっているんだ」

ジョーダン・フィッシュは次のように続けている。「リンキン・パークはマッチョなバンドじゃないだろ? 反抗的でありながら、自分の母親もラジオで楽しめる“In The End”のような普遍的な曲もあるわけでさ。あの頃の曲ってストレートに『全員ファックだ!』みたいな怒りによるものが多かったけど、リンキン・パークはもっとエモで内省的なんだ。彼らには多くのニューメタル・バンドにあったバカげた激しさがないんだ。彼らは憂鬱なものなんかを歌っているんだ」



NME JAPAN 引用

非正規雇用にボーナス・退職金認めず 事実上の“身分制“

【格差問題】
非正規雇用にボーナス・退職金認めず 事実上の“身分制“
古いままの働き方どう改革?
同一労働同一賃金は絵に描いた餅なのか・・・



こんな仕組みを放っておいて良いのでしょうか?
私達はこの事実から目を背けてはならないと思います

自分は正社員だから関係ないと思っている人も多いでしょう

しかし、子供や孫には現実的な問題です


Pat Travers – Makin’ Magic

パット・トラバースの「Makin' Magic:メイキン・マジック」で、アルバムは76年・2nd同主題『Makin' Magic』ですね。

前回パット・トラバースのブログ、80年『Crash and Burn』の時、書きましたが、フェイスブックそしてアメブロを始めた2011年頃、カナダのインディーズの18才高校生Stevie(今は27才)とネット上で知り合い、FBでコメント交わす間柄になるのですが。

小生のカナダを代表するロッカーはニール・ヤングとの問い?に、返答はハード・ブルース・ロックのギタリストのパット・トラバースとのことで、リスペクトされていることを知ったのですが、何分にも、日本ではそこまでの人気は無かった。

ノリはアメリカンハードロック調で、思想・趣味は置いといてテッド・ニュージェント(最初はテッド・ナジェントだった・笑)に近い、テッド同様にギターギターらしい音色で、パット・トラバースは正にギターロック。

ご時世クラシック・ロックと同様な扱いのギター、今でもギターはロックの主役と思っている者には、70年代はギターロック炸裂、その申し子のようなパット・トラバースと思うのです。ヒットも70年代末でした。


 


Makin' Magic


 


70年代にはロンドン在住時もあったようで、ブリティッシュロックにも近い、この時『Makin' Magic』はスーリーピースバンドで、ベースがピーター“マーズ”コーリング、ドラムはニコ・マクブレイン、アイアンメイデンの83年『Piece of Mind:頭脳改革』からのドラマーですので、軟では無い。

ゲストには、シン・リジーのブライアン・ロバートソンとパープル解散後のグレン・ヒューズで小生的にも親和ありです。

1曲目から捨て曲なしと思いの小生、潔さ、パット・トラバース自身がギターを演り始める10代にジミヘンをライブに行ってるようで、ジミヘンのなま体験者。
この時期のギタリストは特にロック系は、それはジミヘンには影響受けます。

で、フェイスブック友だったStevieとは、5年ぐらい前、カナダ大使館主催の東京でのカナダのインディーズバンドのライブ開催がありましたが、告知メールを気がつかずライブに行けず、会えずじまいで、生で話をしたかったとの思いがありました。

で、今回『Makin' Magic』の曲目に、「Stevie」との曲がある…彼の芸名をこの曲からつけたと、今になって気がつく始末。ほんと鈍い、鈍感びっくり

この頃、映画の商談、切った張ったのギリギリの交渉を思い返す事があるのですが…

今になって「ほんとは嫌っていた」「会社存亡を賭けていた」「はなからバカにしていた」と気がつく始末、反省したり怒ったり、今更なんも意味もなさない事ですが、何故か思い出す。人生にはジャストタイミングが必要、でもオール、必要でも無い。

と云うことでおまけは『Makin' Magic』の「Stevie」でグレン・ヒューズのシャウト付きで

Pat Travers -Stevie


























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