エルトン・ジョン、コラボアルバム『The Lockdown Sessions』

エルトン・ジョン、コラボアルバム『The Lockdown Sessions』をリリースへ。
BY VOGUE JAPAN
2021年9月3日より引用いたします

エルトン・ジョンが、『The Lockdown Sessions(ザ・ロックダウン・セッションズ)』と題されたコラボレーション・アルバムをリリースする。新型コロナウイルスのパンデミックとそれに伴うロックダウン中、多くのアーティストたちとともにリモート体制でレコーディングされた16曲収録の最新作は、10月22日に発売予定だ。

デュア・リパ
リル・ナズ・X
マイリー・サイラス
ニッキー・ミナージュ
リナ・サワヤマ
スティーヴィー・ワンダー
ブランディ・カーライル
チャーリー・プース
エディ・ヴェダー
ゴリラズ
SGルイス
スティーヴィー・ニックス
サーフェシズ
イヤーズ&イヤーズ
ヤング・サグ
らが参加したニューアルバムについて、エルトンはこう声明に綴っている。

「ロックダウン期間中、アルバムを作ることになるなんて、少しも予期していなかった。でも、感染拡大が進むにつれ、単発のプロジェクトが続々と持ち上がったんだ。レコーディング・セッションの中には、Zoomを使ってリモートで行わなければならないものもあったんだけど、言うまでもなく、僕にとっては初めての経験だった。今回のセッションの中には、とても厳格な安全規定の下で録音が行われたものもあった」

「例えば、他のアーティストと一緒に作業をしてはいるんだけれど、間がガラスの衝立で仕切られていたりしたんだ。でも、僕が今回取り組んだ曲はどれもすごく興味深く、多様性に富んでいたよ。世の中に知られている僕の代表曲とは全く異なっていて、慣れ親しんだ安全地帯から、完全に新たな領域へと僕を連れ出してくれるものだった」

「そして、こういった作業に何だか不思議な親しみを感じている自分に気がついたんだ。キャリアをスタートさせた60年代後半頃、僕はセッション・ミュージシャンとして働いていてね。ロックダウン中に様々なアーティストたちと一緒に仕事をしていて、そのことを思い出したよ。僕は一周まわって、再びセッション・ミュージシャンに立ち返った。そしてそれはやはりとても素晴らしい体験だったんだ」

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「Chosen Family」




ご視聴ありがとうございました

<ライヴエイド>未公開パフォーマンス含む新しい映像を随時公開するなんて、嬉しい企画

1985年7月に行われたチャリティーコンサート<ライヴエイド>の嬉しい話題です

このコンサートのYouTube公式チャンネルは、ここででしか見られない新しい映像を随時公開していくと発表しています
未公開パフォーマンスや、レストア/リミックス/リマスター・ヴァージョンも含まれるとのことで、近日公開予定です

今回は、トレーラー映像が公開されています




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先日大切にしていたDVDを売却したので嬉しいです
ご視聴ありがとうございました

メタリカ

メタリカはが、米ラジオ番組『The Howard Stern Show』に出演した時の映像です

メタリカはこの番組で「Sad But True」と、
マイリー・サイラスと共に「Nothing Else Matters」を演奏しています




スティーヴ・ペリー ニュー・アルバム『The Season』より

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元ジャーニー(Journey)のヴォーカリスト、スティーヴ・ペリー(Steve Perry)のニュー・アルバムの話題をお伝え致します

クリスマス/ホリデー・アルバム『The Season』を11月5日発売するそうです
すごく嬉しい
ペリー、リリースおめでとう!!

このアルバムから「I’ll Be Home For Christmas」が公開されました



『The Season』
スティーブ ペリー
1. The Christmas Song

2. I’ll Be Home For Christmas

3. Auld Lang Syne

4. Winter Wonderland

5. What Are You Doing New Year’s Eve

6. Santa Claus Is Coming To Town

7. Silver Bells

8. Have Yourself A Merry Little Christmas

8曲, 25分
リリース日:November 5, 2021



この曲についてペリーは次のように語っています

「この曲を歌っているとき、僕は目を閉じると、突然、祖母の家のリビングルームに面したドアの前に立っている自分に気がつきました。祖母の家のクリスマスツリーの下にはいつもプレゼントが置かれていて、僕と母がツリーをキラキラさせるためにつけたティンセルで覆われていました。そのツリーが頭の中にはっきりと浮かんできて、目を開けると“あれ、僕はどこに行っていたんだろう?”と思いました」


写真と情報をamassよりお借り致しました
ご視聴ありがとうございました

アウシュヴィッツ生き延びた101歳の苛烈な手記

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アウシュヴィッツ生き延びた101歳の苛烈な手記
残虐非道な強制収容所で心の支えとなった友情

2021/09/09 17:30東洋経済より引用いたします

エディ・ジェイク

アウシュヴィッツにいた被収容者の平均生存期間は7カ月だ。もしクルトがいなかったら、わたしはその半分も生きられなかっただろう。わたしが喉を痛めたときは、喉を温めて治せるよう、クルトは自分のスカーフを半分に切って、わたしにくれた。おそろいのスカーフをみて、兄弟だと思った人もいた。それほどわたしとクルトは親しかった。

 わたしたちは毎朝目を覚ますと、仕事の前に周囲を歩きながら話をし、はげまし合った。ささやかなプレゼントの隠し場所は、トイレの壁のなかだ。わたしがレンガをひとつはずせるようにしておいたのだ。ここに石けんや歯みがき粉、ぼろ布などを隠した。

 この友情と彼への感謝の気持ちは、ヒトラーがつくり出した非人道的な場所で生き抜くのに欠かせないものだった。多くの人は生きるよりもみずから命を絶つことを選んだ。それが普通になり、こんな言葉まで生まれた。「フェンスに行く」。アウシュヴィッツ第2収容所のビルケナウは、いくつかの収容所の集まりである広大なアウシュヴィッツ収容所の一部で、周囲の有刺鉄線には電気が流されていた。


人の営みの中で最もすばらしいのは愛されること

 このフェンスに触れると確実に死ねるので、ナチスに殺す喜びを与えずに自分の人生を終わらせられる。多くの人はフェンスまで走って有刺鉄線をつかんだ。わたしの親しかった友人もふたり、この方法で死んだ。ふたりは手をつないで裸でフェンスまで走った。彼らを責めることはできない。わたしだって、死んだほうがマシだと思う日がよくあった。

 だれもが寒さに凍え、体調も悪かった。わたしは何度もクルトに言った。「フェンスに行こう。生きててどうなる? 明日も苦しむだけじゃないか?」。

 クルトは首を振った。彼はわたしをフェンスに行かせようとしなかった。

 わたしがいままで学んだなかで最も重要なことはこれだ。

 「人の営みのなかで最もすばらしいのは、愛されることだ」

 特に若い人には、何度でも大声で言いたい。友情がなければ、人間は壊れてしまう。友人とは、生きていることを実感させてくれる人だ。

 アウシュヴィッツは悪夢が現実になったような、想像を絶する恐ろしい場所だった。それでもわたしが生き残れたのは、親友のクルトがいたからだ。もう1日生きのびたら、また彼に会えると思えたからだ。たったひとりでも友人がいれば、世界は新たな意味をもつ。たったひとりの友人が、自分の世界のすべてになりうる。

 友人は、分け合った食料や暖かい服や薬よりも、ずっと大切なものだ。なにより心を癒やしてくれるのは友情だ。友情があれば、不可能も可能になる。

(翻訳:金原 瑞人)


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とても良いお話でしたのでご紹介致しました

生涯において、自分を愛してくれる人を一人見つけられたら、それは最高の幸せだと思います
今苦境に立っている人にも、その巡り逢いを求めて、希望を持って生きて欲しいです

"友情があれば不可能も可能になる"


竹田の子守唄

この歌は、部落出身者の悲しみを唄っていたのですね
とても切ない歌ですね
私はオフコースのレコードで初めて聴いたのですけど、元となった曲を今日初めて聴きました




竹田の子守り唄 / 山本潤子


Yellow channel Japanより引用いたします

リリース 1971年(昭和46年)2月5日
規格 シングルレコード
ジャンル 民謡
フォークソング
レーベル リバティ(東芝音楽工業)
作詞・作曲 (日本民謡)
赤い鳥 A面 竹田の子守り唄 B面 翼をください

(概要)
この曲は複数の被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」であり、子供を寝かしつけるのではなく、部落出身で子守として奉公に出され、学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われている。
明治時代中期の発祥とされるが、題名にある竹田地区の住民が実際に唄っていたのは、昭和初期に10代だった世代までであった。

(唄が広まる経緯)
1964年12月(または1965年1月)、東京芸術座が公演した労演主催の舞台作品である住井すゑ原作の『橋のない川』で、尾上和彦が多泉和人(おおいずみ かずと)のペンネームで音楽を手掛けることになり、主題に即した曲を使おうとしたが、尾上は部落問題を肌で感じることができなかったため実感を得るため、別の仕事で訪れたことのある被差別部落の一つである京都市伏見区竹田地区を訪れ、当地の部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーの1人の母親から、情緒たっぷりどころかカラっと明るく唄って教えてもらった民謡を編曲して使ったものである。

尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったため『竹田の子守唄』とされたが、それ以前は題名が付いていなかった。きちんとした楽譜もなく、1番と2番でテンポも違った唄は、子守り奉公で苦労する中にも強く暖かい人間性を内在させ、『赤いサラファン』に共通する部分も感じられ、聞かせてもらった女性の唄を尾上が解体してつくったのが今日に知られる旋律である。
唄の後半に『ロンドンデリーの歌』のような、非常に豊かな音の広がりも加えた4分の2拍子で書き上げたが、発表後に複数の関西の研究者が「この唄は自分で採譜した」と主張、これについて尾上は、唄を聞かせた女性はその後は人前で披露することはなく、彼女の唄は発表されたものよりテンポが速い16分音符でなければならないと否定している。
それが合唱団のレパートリーとなったことで、当時のフォークソングの歌手たちにも広まり、その一人が後の赤い鳥の後藤悦治郎であった。
後藤悦治郎は、関西フォークの定例コンサート「大阪労音例会」で、大塚孝彦・高田恭子のデュエットが歌唱しているのを聴き、本作を初めて知って感銘を受ける。
後藤はフーツエミールというグループのリーダーだったが、レパートリーが英語の歌ばかりなことに不満を抱いていた。後藤はこの曲に触れたことでフーツエミールを解散し、赤い鳥を新結成するに至る。
赤い鳥の結成時は持ち歌が他に『カム・アンド・ゴー・ウィズ・ミー』しかなかったが、後藤は本作の練習には力を入れるほど心から惚れ込み、デビュー作としてシングルレコードを発売、結成7か月後の1969年11月の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで本作を歌唱してグランプリを飾った。

ご視聴ありがとうございました


カミラ・カべロ パフォーマンス映像

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カミラ・カベロの最新映像です
オリヴィア・ロドリゴの“Good 4 U”をカヴァーしたパフォーマンス映像が公開されています

これはBBCラジオ1の『ライヴ・ラウンジ』のために収録されたもの

自身の楽曲である“Don’t Go Yet”も披露しています














Boston – Boston (Full Album)

今日は、Bostonが聴いてみたかったので取り上げました




「More Than a Feeling」何度聴いてもイイ曲で大好きです

Boston
作詞 / 作曲
Tom Scholz

ボストン(Boston)は、アメリカ合衆国出身のロック・バンドです
以下、Wikipediaより引用いたします

1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード(スタジアム・ロック)」の代表的グループの一つとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの一面を持つ。
デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している。

活動期間 1976年 -


最近の活動

2013年、11年ぶりの6thアルバム『ライフ、ラブ&ホープ』を発表

2014年、35年ぶりの来日公演を開催

メンバー
現ラインナップ
トム・ショルツ (Tom Scholz) -
全楽器、ボーカル (1976年- ) ライブでは主にギター/キーボード等を担当

ギャリー・ピール (Gary Pihl)
ギター、キーボード (1985年- )

トミー・デカーロ (Tommy DeCarlo)
リードボーカル、キーボード (2008年- )

トレーシー・フェリー (Tracy Ferrie)
ベース (2012年- )

ジェフ・ニール (Jeff Neal)
ドラムス (2002年- )

ベス・コーエン (Beth Cohen)
キーボード、ギター (2002年、2012年、2015年- ) 女性プレイヤー



アルバム
『幻想飛行』 - Boston (1976年) ※全米3位 2000万枚
『ドント・ルック・バック』 - Don't Look Back (1978年) ※全米1位 800万枚
『サード・ステージ』 - Third Stage (1986年) ※全米1位 400万枚
『ウォーク・オン』 - Walk On (1994年) ※全米7位 100万枚
『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1997年) ※全米47位 200万枚
『コーポレイト・アメリカ』 - Corporate America (2002年) ※全米42位 50万枚
『ライフ、ラブ&ホープ』 - Life, Love & Hope (2013年)
※注:順位はビルボード・アルバムチャート
売上枚数はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数です

Randy California – Downer

ランディ・カリフォルニアの「Downer」で、アルバムは1972年・ソロ1st『Kapt. Kopter And The (Fabulous) Twirly Birds:Kapt、コプターと(素晴らしい)ツイリーバード』と訳してみましたが(笑)

60年代後期から活躍のアメリカのサイケデリックロックバンドのスピリットのギターリストのランディ・カリフォルニアのソロ。

けっこうアバンギャルドなパワーで、これこそサイケデリック・ハードロックと言いたい。

スピリットのランディ・カリフォルニア作の68年「Taurus:トーラス」がZEPの71年「天国への階段」の元ネタとして、裁判になっていましたが、米連保最高裁で2020年敗訴。

話題になった時、ZEPもパクり、もとい、参照あるんだと……
リッチーブラックモアがいけない、YouTubeでいらんことに、曲の元ネタ披露みたいな事していたので大御所もそれなりに、曲作りには、参照があるのかなと。簡単にバレバレになるような元ネタで(笑)

でも、ここらへんは時代の潮流かなと「トーラス」で、「天国への階段」全部には無理があるなと、イントロ争いだったようですが。


 


KAPT. KOPTER AND THE (FABULOUS) TWIRLY BIRDS


 


今回ウィキで確認したら、ランディ・カリフォルニア97年没で、訴えは2016年に遺産管理人が訴訟だったようで、曲のオリジナル争いより、お金の為?流石、訴訟天国アメリカ。

で、本日の本題(笑) ランディ・カリフォルニアのソロは、スピリットの曲より、時代を映し出す、サイケな曲、少し遅れ気味と思うけど、ハードロック風でもあり楽しめる。

本人ランディ・カリフォルニアはジミヘンに教わり、バンドの一員だったようで、このアルバムのファズ ギターが効きすぎ、ゆるせる時代だねぇと一人納得でした。

ソロ『Kapt. Kopter And The (Fabulous) Twirly Birds』はワイルドな自由奔放でサイケなハードロックでした。

と云うことで聴くと疲れますが捨て曲なし、好きな曲で

Randy California-Things yet to come




























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