「2019年11月」一覧
THE BEATLES – GET BACK – ROOFTOP PERFORMANCE 1969
ルーフトップ・コンサート (Rooftop Concert、Rooftop Performance)
1969年1月30日にザ・ビートルズがイギリス・ロンドンのサヴィル・ロウにあったアップル・コアの屋上で映画撮影のために突如行ったゲリラライヴのことです
事実上ビートルズの最後の歴史的なライヴ・パフォーマンスとなりました
The Beatles - Don't Let Me Down
Writers
John Lennon, Paul McCartney
The 5th DimensionーPuppet Man
フィフス・ディメンション:The Fifth Dimensionの「Puppet Man:パペットマン」で、アルバムは70年『Portrait :素敵なポートレート』です。
フィフス・ディメンションは、小生的にも皆様的にも69年「Aquarius/Let the Sunshine In:輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」ですが、ミュージカル『ヘア』から派生した曲で、これも後追いのFENで覚え、又60年代の名曲POPとして、親しまれていますし、映画の挿入曲になっていました。
フィフス・ディメンションはメンバーを変え、今も現役のようですが。
66年からの変遷で、その都度の基本POPコーラスですが、曲調・音色も時代に合わせていたと思います。
特に人気のあった60年代後半から70年代前半には、ソフトPOP、R&Bですが、バラティエなアルバムがあると。
70年『Portrait :素敵なポートレート』はライトなファンクぽさもあり、定番のバラードは黒いママス&パパスと言われてる??ほんと? 絶妙なコーラスははずさず素晴らしい。ロックPOP好きにも、聴きやすいアルバム。
「Puppet Man:パペットマン」のファニーな曲風ですが、コンポーザーがニール・セダカで、聴きやすいし、懐かしいのメロ。
小生的にコーラスはロック的にはCSN&YまあCSNですが、POP・ソウルでは、男女コーラス・グループ、フィフス・ディメンションもこれも素晴らしい、もちろんすり込まている60年代・70年代ミュージク、懐かしさ、ノスタルジーなんですが(笑)
と云うことでおまけはこのアルバムの一番ヒットシングルでバート・バカラック作で
The Fifth DimensionーOne Less Bell to Answer:悲しみは鐘の音と共に
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押していただき感謝です。m(_ _ )m
フィフス・ディメンションは、小生的にも皆様的にも69年「Aquarius/Let the Sunshine In:輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン」ですが、ミュージカル『ヘア』から派生した曲で、これも後追いのFENで覚え、又60年代の名曲POPとして、親しまれていますし、映画の挿入曲になっていました。
フィフス・ディメンションはメンバーを変え、今も現役のようですが。
66年からの変遷で、その都度の基本POPコーラスですが、曲調・音色も時代に合わせていたと思います。
特に人気のあった60年代後半から70年代前半には、ソフトPOP、R&Bですが、バラティエなアルバムがあると。
70年『Portrait :素敵なポートレート』はライトなファンクぽさもあり、定番のバラードは黒いママス&パパスと言われてる??ほんと? 絶妙なコーラスははずさず素晴らしい。ロックPOP好きにも、聴きやすいアルバム。
「Puppet Man:パペットマン」のファニーな曲風ですが、コンポーザーがニール・セダカで、聴きやすいし、懐かしいのメロ。
小生的にコーラスはロック的にはCSN&YまあCSNですが、POP・ソウルでは、男女コーラス・グループ、フィフス・ディメンションもこれも素晴らしい、もちろんすり込まている60年代・70年代ミュージク、懐かしさ、ノスタルジーなんですが(笑)
と云うことでおまけはこのアルバムの一番ヒットシングルでバート・バカラック作で
The Fifth DimensionーOne Less Bell to Answer:悲しみは鐘の音と共に
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Beatles『Abbey Road』終盤のメドレー
私は5学年上の兄と、二人兄妹で育ちました
彼が高校入学のお祝いの時に親から贈られた物が、ステレオでした
あの当時30万円以上した高額なオーディオセットでした
私が小学5年生から洋楽好きだったのは、そんな兄の音楽好きの影響が大ですね!(^^)!
当時、実際にレコードを聴きあさっていたのは兄自身よりも暇を持て余していた私の方だったのですね(^^)
兄のコレクションを全て聴きました
お兄ちゃん、ありがとう
BEATLES『ABBEY ROAD』もその中の1枚でした
ザ・ビートルズ (The Beatles)
1960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リヴァプール出身のロックバンド
20世紀を代表するアーティストの一つですね
音楽誌『ローリング・ストーン』による「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1位にランクされています
経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルの統計算出に基づく「史上最も人気のある100のロックバンド」にても1位となっています(^^)『グラミー賞』7回受賞(23回ノミネート)
『レット・イット・ビー』と『アビイ・ロード』は、収録順と発売順とが逆になっています
1969年1月、ゲット・バック・セッション
1969年4月、『アビイ・ロード』録音開始しており、8月に終了しました
1969年9月、『アビイ・ロード』発売
1970年5月、『レット・イット・ビー』発売
(アルバム『ゲット・バック』として発売する意向だったが、4月のポール脱退で事実上解散し、「ゲット・バック」困難となったので名称を変更し、アルバム『レット・イット・ビー』として発売した)
ポールの提案による『ゲット・バック・セッション』は1969年1月3日〜31日に行われた
演奏がカッコ良すぎて大好きです
1962年、デビューした彼等は当初はアイドルとして人気を獲得しました
そんな彼等の集大成と言っていいアルバムがこの作品です
ハーモニーも美しいですが、やはり演奏に聴きごたえがあります
彼が高校入学のお祝いの時に親から贈られた物が、ステレオでした
あの当時30万円以上した高額なオーディオセットでした
私が小学5年生から洋楽好きだったのは、そんな兄の音楽好きの影響が大ですね!(^^)!
当時、実際にレコードを聴きあさっていたのは兄自身よりも暇を持て余していた私の方だったのですね(^^)
兄のコレクションを全て聴きました
お兄ちゃん、ありがとう
BEATLES『ABBEY ROAD』もその中の1枚でした
ザ・ビートルズ (The Beatles)
1960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リヴァプール出身のロックバンド
20世紀を代表するアーティストの一つですね
音楽誌『ローリング・ストーン』による「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1位にランクされています
経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルの統計算出に基づく「史上最も人気のある100のロックバンド」にても1位となっています(^^)『グラミー賞』7回受賞(23回ノミネート)
『レット・イット・ビー』と『アビイ・ロード』は、収録順と発売順とが逆になっています
1969年1月、ゲット・バック・セッション
1969年4月、『アビイ・ロード』録音開始しており、8月に終了しました
1969年9月、『アビイ・ロード』発売
1970年5月、『レット・イット・ビー』発売
(アルバム『ゲット・バック』として発売する意向だったが、4月のポール脱退で事実上解散し、「ゲット・バック」困難となったので名称を変更し、アルバム『レット・イット・ビー』として発売した)
ポールの提案による『ゲット・バック・セッション』は1969年1月3日〜31日に行われた
演奏がカッコ良すぎて大好きです
1962年、デビューした彼等は当初はアイドルとして人気を獲得しました
そんな彼等の集大成と言っていいアルバムがこの作品です
ハーモニーも美しいですが、やはり演奏に聴きごたえがあります
Beatles 『Abbey Road』 “Come Together”
ザ・ビートルズが1969年9月26日に通算11作目となるアルバム『アビイ・ロード』をリリースしてから今年で50年を迎えましたね
ザ・ビートルズの4人が最後にレコーディングしたのはこのアルバム(同作の後に『レット・イット・ビー』がリリースされているが、収録曲のほとんどは『アビイ・ロード』よりも前にレコーディングされている)です
『アビイ・ロード』は私も大好きで、小学5年生の頃からよく聴きました
今でも時々取り出しては聴いています!(^^)!
良い曲ばかりでオススメです
ザ・ビートルズの4人が最後にレコーディングしたのはこのアルバム(同作の後に『レット・イット・ビー』がリリースされているが、収録曲のほとんどは『アビイ・ロード』よりも前にレコーディングされている)です
『アビイ・ロード』は私も大好きで、小学5年生の頃からよく聴きました
今でも時々取り出しては聴いています!(^^)!
良い曲ばかりでオススメです
IRON MAIDEN – Flight 666
Flight 666は、2009年に発売されたDVDです
私も当時買いました
6,660円でした
ブルース・ディッキンソン素敵、素晴らしい !(^^)!
大規模なこのツアーは、僅か45日間で世界中を周航し、特別にカスタマイズされたボーイング757機でメンバーはもちろん、クルーや12トン分の機材やステージ・セットを乗せ、アジア、オーストラリア、北米、中米、南米でスタジアムやアリーナでのソールド・アウト・ショウを繰り広げました。
途中、アゼルバイジャン共和国やパプアニューギニアに燃料補給に立ち寄り、彼らは13ヶ国、70,000キロを回り、のべ50万人のファンの前で演奏しました。
このツアーが異色なのは、バンドのリード・シンガーでパイロット資格を持つブルース・ディッキンソンは、全23公演に出演しただけではなく、飛行機の機長として操縦のほとんどを行った。
クルー・機材を含めたツアー一行は、『エド・フォース・ワン』と命名された“魔法の絨毯”のようなメイデン専用機で世界中を駆け巡ったのだ。