2019年12月一覧


ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズ、新曲“Adore You”

ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズは、ニュー・アルバムより新曲“Adore You”を公開しています



ハリー・スタイルズはセルフタイトルのデビュー作からおよそ2年半ぶりとなるセカンド・アルバム『ファイン・ライン』を12月13日にリリースすることが決定しており、“Adore You”も同作に収録されるそうです

なかなかのイイ感じの曲です(*^^)v

Queen,Japan 1975 来日映像

クイーンが、1975年の初来日を振り返る動画をオフィシャルのYouTubeで公開しています

クイーンは初来日時に1974年発表の『シアー・ハート・アタック』を引っ提げて、日本武道館公演を行いました



Fat Joe ,Lord Above

ファット・ジョーの12月6日にリリースされた最新作『ファミリー・タイズ』に収録されているエミネムとメアリー・J・ブライジが参加した“Lord Above”

とにかく、おしゃれな楽曲です






KISS 前説

KISSの「STRUTTER:ストラッター」で、全てはここからは始まったのですね。1st『KISS:キッス・ファースト 地獄からの使者』からです。

中学の時は気持ち悪し、アメリカの変なバンドが、76年高1の時は、『Destroyer:地獄の軍団』の「デトロイト・ロック・シティ 」に衝撃をうけ、学校に持ち込み音楽鑑賞でかけ、あまた多いブリティッシュ・ロックファンのロック友に聴かないといけない、アメリカのハードロックバンドとぶっていた。あれから、もう43年経つのですね。ジジイになります。

少年老い易く学成り難し、ほんと何も学んでない、でも、ブログしてロックがぶり返して、毎日ほぼ音楽聴くようになったし良いかも。





と云うことで、スティングは誘われず、U2は自己都合(笑)により断腸の思いで断念。

で、今年の最後の自己イベントの目玉、KISSです。
でも、全部他力本願(笑)

「ドーム音悪いから、ビックアーティストでも厳しい、でも小さい会場だとチケット高くなるし」とぼやきを聴いた、いつもチケットを押さえてくれる年下の友人・80年代ロック通の方が、なんと仙台を押さえてくれました。

「ゼビオアリーナ仙台」のようで、キャパは4000席ぐらいのようで、東日本大震災の後に2011年に竣工だったようで、それも、意味あるモノと感じました。

仙台・盛岡・東京・大阪・愛知 と東北2箇所なんですね。
北海道、九州、中国・四国も入れば良いのに、これは自然に思いました。大人の事情なんですかね。

まあ、取り合えず、仙台に行くこと。行き・高速バス、帰り最終新幹線日帰りだそうです。ほんと他人まかせ、別に往復新幹線でも良いのにと思いましたが、高速バスも何十年ぶり、行きは友と音楽の話で盛り上がると思いますので、それも意味あるのでしょう。






















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小林 ハル

小林ハル  
誕生:1900年1月24日  
新潟県南蒲原郡井栗村(現 三条市)  
死没:2005年4月25日(105歳没)  
新潟県北蒲原郡黒川村(現 胎内市)  
死因:老衰 
 
職業:瞽女(ごぜ)  
活動期間:1905年-2005年   
著名な実績:選択無形文化財 「瞽女唄」 保持者認定  
活動拠点:新潟県・山形県・福島県  
受賞:黄綬褒章(1979年)

生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。
数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」「最後の瞽女」として脚光を浴びた。
8歳で初めて巡業に出て以降、1973年(昭和48年)に廃業するまでの間、 西頸城郡を除く新潟県全域と山形県の米沢・小国地方、福島県南会津地方を巡った。
1978年(昭和53年)「瞽女唄」が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択され、その保持者として認定される。
1979年(昭和54年)、黄綬褒章を授与される。
選択無形文化財の保持者に認定されたことをもって人間国宝と呼ばれることもある。




【黄綬褒章(おうじゅほうしょう)】
褒章の一種。
多年にわたり仕事に励んできた、人々の模範たるべき人に対して授与される栄典。

吉田兄弟 「RISING」 「PRANA」

吉田兄弟 
北海道登別出身の津軽三味線の兄弟奏者
活動期間: 1999年-現在

メンバー
吉田良一郎1977年7月26日生まれ
吉田健一1979年12月16日生まれ 

5歳より三味線を習い始め、1990年より津軽三味線奏者・初代佐々木孝に師事。
津軽三味線の全国大会などで頭角を現し、弟の吉田健一とともに吉田兄弟として1999年にメジャーデビュー。

2003年の全米デビュー以降、アメリカ・ヨーロッパ・アジア・オセアニア等世界各国での活動や国内外問わず様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行い、日本の伝統芸能の枠を超えて、世界的に活動している。







「津軽じょんがら節」「鼓動」






吉田兄弟は、「津軽じょんがら節」や「あいや節」などの伝統音楽を得意とする一方、ピアノ、パーカッションとの共演を通して日本古来の楽器の可能性を追求し続け、海外からも高い評価を得ている。

【津軽三味線について】
津軽三味線は、津軽地方で成立した三味線音楽。本来は津軽地方の民謡に用いられるが、現代においては特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多い。
撥(ばち)を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴がある。

弦楽器そのものの発祥は中東とされる。その後構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部において「三絃」が成立。
この「三絃」が沖縄を経て畿内に持ち込まれ(異説あり)、江戸時代中期に日本各地の土着芸能を融合して様々に発達し、当時日本の最北端であった津軽地方において津軽三味線となる。

専業の演奏家では特に消耗が激しく、数年おきに買い換えることが多い。このため、演奏家が舞台で現実に使用する三味線は、おおむね200~300万円程度が上限であると言われるが、個人により差が大きい。

エレキギターの様に聴こえますねヽ(´∀`)ノ