リンキン・パーク、20周年記『ハイブリッド・セオリー』を語る・・・インタビューその2

ブラッド:マイクの答えが気に入ったよ。考えたことなかったけど、「ペイパーカット」は実にクールだね。全ての影響をシームレスに封じ込めてる。俺自身、好きな曲は頻繁に変わるんだ、素晴らしい曲がたくさんあるからね。だからこのアルバムはまとまりがあるんだと思う。全ての曲が重要な役割を果たしてる。それに、このアルバムには多様性もある。

ジョー・ハーン(DJ):実は長い間、「ワン・ステップ・クローサー」が好きじゃなかったんだ。四六時中かかってて、毎回プレイを望まれるから、嫌気が差しててね。もちろん曲が嫌いだったんじゃない。今でもショウの凄くいいラスト曲になってる。だから、その後は嫌じゃなくなって、今は僕が一番好きな曲のひとつだよ。





フェニックス:ジョーは「キュアー・フォー・ザ・イッチ」って言うべきだよ。アルバムでDJのショーケースの瞬間になってるからね。

ジョー:あ、答え変えていい(笑)?

フェニックス:ははは。ベーストラックが数曲あって、そのひとつが「キュアー・フォー・ザ・イッチ」。もうひとつが、何て名前だっけ?

マイク:「ベリー・ベーシック」だよ。最高にベーシックな曲。

フェニックス:そのベーシックな曲が、CDになったら入ってなくてね。あれが僕が一番好きな曲になるはずだった。

ブラッド:2番目の質問は、デイヴィッド・リー・ロスだよ。当然。



──香港人でありアジア人として、リンキン・パークは特に私達が親近感や結束感を感じる存在です。マイクとジョーがアジア人の血を引いていますから。あなた方も信じていると思うのですが、音楽は世界共通の言語ですよね。『ハイブリッド・セオリー』が世界中で大きな共感を呼んだことについてどう思いますか?

ブラッド:活動を始めた時、俺達はどこに行ってもローカルバンドになれるだろうと思ってた。そして、俺達は世界のどこでも深い繋がりを築いてきた。アジアはメンバーの大半が初めて行ったんだけど、英語が第一言語ではない場所で観客が俺達の曲を大声で歌い返してくれるのを聴いた時、感激したんだ。君が「共感」と言ったように、俺達の歌詞にもサウンドにも感情が込められていて、世界中の人達が共感できるものだった。アジアでは特に俺達、ローカルバンドの気分だったよ。

ジョー:ブラッドと同意見だよ。それに加えて言えば、マイクとチェスターのコラボレーションには自然なダイナミズムがあって、二人のフロントマンがいることが、時には挑戦になったと同時に、僕達をユニークにしていたと思う。歌詞もハーモニーもね。彼らは凄くパーソナルな出来事を曲にしていたんだけど、ふたつの視点から書かれているわけだから、それらの合致する場所を見出す必要があったんだ。でも、彼らは共通の土台を見つけて、それが凄く普遍的な感情に翻訳された。彼らは最高にパーソナルであると同時に、最高に共鳴できる曲を作ることによって、人々の共感を呼んだ。二人は凄いよ。作曲する度に上手くいってたわけじゃないから、大変でもあったと思うけど、時間をかけていく間に、そのマジカルな瞬間がどんどん曲に表れてきたんだ。

──『ハイブリッド・セオリー』は、あなた方にとって巨大な恩恵となりましたが、同時に呪縛のような側面もあったかと思います。あまりにも素晴らしい作品だったために、新作を出す度に多くのファンは『ハイブリッド・セオリー』と比べていましたから。このアルバムの持つふたつの側面が、どのようにあなた方のキャリアに影響してきたと思いますか?

ジョー:その質問に答えるには、いい時期だね。過去20年の間、その時々でこのアルバムに対する気持ちは変化したけど、僕達は『ハイブリッド・セオリー』に匹敵する作品を作ろうと思うと同時に、進化した別バージョンの『ハイブリッド・セオリー』を出していこうっていうやる気を持っていた。今でも、音楽を作る時はそれを目指して努力してるよ。このアルバムに少し引き止められてるような気がした時もあったし、何かを決断する時にも影響していた。でも、バンドのことをよく知らないプロデューサーがビッグなサマーソングとかを作りたがった時、僕達はみんながどんな音楽を期待をしてるのかを分かってた。だから、このアルバムからはそういうことを学んだんだ。一方で全般的に言えば、このアルバムは僕達に偉大な機会をもたらしてくれたと思う。ファンはこのアルバムが大好きで、それは何も悪いことじゃない。ファンが僕に声をかけてくれる時、このアルバムに対して感謝されることが一番多いんだよ。このアルバムがどんな風に辛い時期の助けになったとか、このアルバムはアガるから聴きながらエクササイズするのが大好きだとかね(笑)。

ブラッド:このアルバムは、まさしく恩恵だったと思う。それ以外の何物でもない。当時は何が起こってるのかを理解するのが大変だったけど、それでも、今でも恩恵になってる。このボックスセットに収録されてる本に、『ハイブリッド・セオリー』のロゴをタトゥーで入れてる人の写真があるんだけど、「この音楽が大好きなんだ。タトゥーを入れたんだ」って見せてくれた人に数え切れないほど会ったよ。僕達はアーティストだから、そんなことまでしてくれて本当に素晴らしいっていつも思ってた。それに、彼らにコミュニティーの一員みたいな体験を提供していたとも思うんだ。進化を遂げた俺達のキャリアを通して、彼らはずっと僕達の音楽に献身してくれた。『ハイブリッド・セオリー』はその全てをスタートさせたアルバム。だから、このアルバムは恩恵だと思う。

◆インタビュー【3】へ


■最初は僕達の音楽に怒りがあって
■最終的に共感に置き換えられた

──過去20年を振り返って、どんな感慨を覚えましたか? そしてこの旅路で、あなた方が最も感謝していることがあるとしたら、それは何でしょうか?

ブラッド:俺はこの旅路そのものに感謝してる。ある1曲とか、あるコンサートとか、レコード契約を獲得した時とか、さまざまの特別な瞬間だけでなくね。このメンバーと一緒に歩んできた旅路、全ての山と谷と曲がり道とサプライズの数々に感謝してる。振り返って、このアルバムは特別な遺産であり、楽に感謝できるよ。もちろん当時は、本当に厳しい時もあった。『ハイブリッド・セオリー』のツアーは2年半ずっと続いたんだ。少しだけ家に帰る時間があったけど、家にいて友達や家族と過ごす生活から、気持ち的には2年半ずっとツアーに出て人前で生活するようになるというのは、本当に大変で孤独だったし、辛かったし、嬉しかったし、最高でもあった。誰もが「経験してる間に楽しみなよ」って言ってたけど、俺にとってはカオスで、地に足をつけているのが精一杯だった。だから、感謝は後から湧いてきたんだ。そして今振り返って、“なんて驚異的なロケットに乗ってたんだ”って思える。それをこのメンバーでやれたことに感謝しているよ。

マット(司会):ボックスセットに収録された初の<プロジェクト・レヴォルーション・ツアー>のライヴ映像のことだけど、あの年、確か君達はデフトーンズの「マイ・オウン・サマー」をカバーしたよね?

ブラッド:俺達にカバーの歴史はあまりなくて、他のバンドが僕達をカバーした時のほうが優れていたと思うよ。俺達がカバーしようとしたのは楽しかったけどね、珍しいから。

フェニックス:僕達がやったカバーは数曲しかなくて、その曲は覚えてる。いつも演奏するのが楽しかった。多分、他にやったカバー曲はナイン・インチ・ネイルズの曲だったんじゃないかな。僕達はそもそも、何をカバーするかで意見が一致することが殆どなかった。そして、稀にやることになった時は、一か八かなんだ。




マット(司会):2001年のフィルモア公演のDVDも入っていて、これが素晴らしい。当時のライヴ映像を見返してどう思った?

マイク:子供の時、タレントショーか何かに出演した時の映像を見ているみたいな気分で。見てて恥ずかしくなったよ。覚えてるのは、凄くプレイを重ねたから、バンドが成長して凄くタイトなサウンドになってたこと。それから、『ハイブリッド・セオリー』は40分以下だったんだけど、フェスティバルでヘッドライナーに近い時間に出るようになって、最後から2番目とかになると、観客は60分のセットリストを見たがるんだよ。

ブラッド:90分ぐらいプレイしてくれって言われたからな。

マイク:ああ、ヘッドライナーになったら、そう言われたね。

ブラッド:それで俺達、「どうしろって言うんだよ?」って。同じ曲を3回やるの?って。

マイク;ははは。それに、当時チェスターと僕はステージ上でのペルソナというか、キャラクターを探ってて。チェスターも僕もMCが普段の話し方とは違ったんだよね。その理由のひとつはステージ上での居心地の悪さを隠すためで、いつもと違うペルソナの裏に隠れていれば、“何千人もの観客に見つめられている”っていう事実を認識せずに済むと思ってたからなんだよ。みんな覚えてる? プレス用の写真を撮る時の一番の問題は、“手はどうしてたらいいのかな”とかで(笑)。僕達は若く、それぐらい経験が浅かったんだ。雑誌の表紙撮影で、「この手はどうすりゃいいんだ、バカっぽくみせたくない」とか「大丈夫だよ、ただポケットに突っ込んどけ」とかヒソヒソ話してた。

ブラッド:思い出したよ。『ローリング・ストーン』の表紙撮影で、俺以外の全員が表紙に出てて、俺は上の帯に隠れてて、手だけ出てたんだよ。帯を開かないと俺の全身が見えないんだ。でも、あれが俺の一番好きな表紙の写真。俺達が漁師みたいな設定だった。

ジョー:あれ、“一番売れなかった『ローリング・ストーン』だ”って最近聞いたよ。

マット(司会):それはないよ(笑)。

ブラッド:俺が表紙に出てないからだ。

マット(司会):今日は時間を作ってくれてありがとう。最後に言いたいことはある?

フェニックス:僕達のファンにありがとうを言いたい。僕達は最初から恵まれていて、大勢の人達が支えてくれて、ファンベースを作ってくれて、僕達がやろうとしてるアートに繋がってくれて、友達とシェアしてくれて、前線に立って僕達が音楽をリリースすることを助けてくれた。今でもそうだよ。20年経過して、大勢の人達が今もそこにいてサポートしてくれている。スペシャルなことだし、ユニークなことでもあるし、ファンだけでなく僕達も一緒に祝うべきことだと思う。それこそ僕達が活動する理由だから。小さな部屋に集まってレコーディングしていた時から僕達が本当にやろうとしてたのは、誰かと繋がって僕達の楽曲を共有して、人々との繋がりをシェアしたいってことだった。これまでの全ての過程で、僕達には本当に特別なファンベースがあった。何よりもそのことに感謝しているよ。

ジョー:これを実現してくれたチームのみんなと、ファンにありがとうを言いたいね。バンドを始めた当時、僕達の音楽には怒りがあって、それが最終的に、共感に置き換えられて、僕達のコミュニティーが築かれた。だからみんなに、そのことを覚えていて欲しいと言いたい。自分たちを大事にして、物事が凄くシリアスになっても深刻に捉えすぎないで、お互いに助け合って欲しい。そうすれば、なんとかなるよ。

マイク:みんなが全部言ってくれたと思う。付け加えることはないよ。このメンバー達に感謝してるし、チームにも、ファンにも感謝しているよ。僕達のこれまでの旅路を振り返れて嬉しかったよ。

文◎鈴木美穂

■『ハイブリッド・セオリー:20周年記念盤』
2020年10月9日(金)リリース
【国内通常盤】WPCR-18363/64 2,980円+税
【スーパーデラックス版】※日本国内ではワーナーミュージックダイレクトで予約販売中
http://store.wmg.jp/shop/linkin_park


BARKSより全文を引用しています

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リンキン・パーク、20周年記念盤『ハイブリッド・セオリー』を語る「これまでの旅路やサプライズの数々に感謝している」

リンキン・パークの歴史的デビューアルバム『ハイブリッド・セオリー』の20周年記念盤が10月9日に発売された。これを記念して9月29日、オンライン世界記者会見が行われた。


アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、スペイン、ポルトガル、メキシコ、香港、タイ、そして日本など、世界各国のジャーナリストが各1問ずつ順番に質問した同記者会見では、多くのジャーナリスト自身が『ハイブリッド・セオリー』に大きな影響を受けたことを語り、この名盤の20周年をバンド(休暇中のロブ・ボードン以外の全員)とともに祝福した。司会はMTVの『ヘッドバンガーズ・ボール』と『120ミニッツ』のVJとして人気だったマット・ピンフィールド。終始愉しげな祝賀ムードの中、新たなエピソードやチェスター・ベニントン(vo)の思い出が語られる貴重な会見となった。

   ◆   ◆   ◆

■ハイブリッド・セオリーとは僕達のこと
■様々なスタイルを融合するっていう概念

──アルバム『ハイブリッド・セオリー』には巨大な遺産があります。歴史上最も売れたアルバムのひとつですし、何千万人もの人々の人生に影響を与えました。ロックだけでなく音楽シーン全体に影響を与え、今聴いても収録曲は最高です。このアルバムで、あなた方が最も誇りに思っている部分は何ですか?

ブラッド・デルソン(G):このアルバムの長寿だね。アルバムを作っていた時の目標が、“タイムレスなアルバムを作る”っていうものだったから。ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリン、ナイン・インチ・ネイルズ、ガンズ・アンド・ローゼズ、メタリカとか、俺達をインスパイアし、影響を与えたアルバムのようにね。作られた当時に共感を呼んで、しかも何十年後にも影響を与え続けている。当時このアルバムを体験して、それからずっと俺達と一緒に体験してきた人達にとって、今も重要な作品である上に、ギターを初めて手にしたキッズが「ペイパーカット」のギタープレイを学んでるとかって、信じられないよ。このアルバムが今も今日的であり続けているのは、俺達が望んでいたことではあるけど、一度も期待も予想もしていなかった。

フェニックス(B):それに付け加えると、数日前に友達と話していて気づいたんだけど、『ハイブリッド・セオリー』で僕達はバンドを軌道に乗せたわけで。でも、そこからの多くはバンドとして何をするかを探る道であり、自分達の意見や信念を大切にするようになっていく。決してカップケーキやユニコーン、レインボーやおとぎ話でいっぱいの道ではなかった。僕達はたくさん「NO」と言われたし、立場が上の多くの人達から「やってることを変えろ」とか「あるメンバーがやってることを変えろ」とか、いろいろと言われた。そのプロセスの中で、どんな風に何をやりたいか/やりたくないかを見つけていったんだ。そして、ありがたいことに、自分達の信念に従うことが、結果的に成功へと導いた、ものすごくね。だから『ハイブリッド・セオリー』が作った軌道は、僕達自身を信じて僕達自身に賭けるってこと。メンバー6人で前に進む上で、どんな風に仕事をしていきたいかを描いた素晴らしい青写真になったんだ。そして、もし僕達がやりたくないことなら、それは試みる価値がないことだって考えるようになった。






──『ハイブリッド・セオリー』の発表後、大きな門が開かれたような感じでした。リンキン・パークは、最大のフェスである<オズフェスト>や、<ファミリー・ヴァリューズ・ツアー>に招かれたほか、自身のツアーも開催、『リアニメーション』というリミックスアルバムもリリースしました。『ハイブリッド・セオリー』は、その後のあなた達をどのように形成しましたか?

ブラッド:みんな知ってると思うけど、ここで改めて言っておくと、俺達のバンドの名はもともと“ハイブリッド・セオリー”だったんだ。でもレーベルの人に変えるように言われて。チェスター(・ベニントン[Vo])が「リンキン・パークはどう?」と言うから、「意味は何だ?」って聞いたら、「分からないけど、クールだろ」って。だから実を言うと、ハイブリッド・セオリーとはこのバンドのことで、様々なスタイルの音楽を融合するっていう概念。この時までに俺達が作った全ての多様な音楽が、最終的にこのアルバムになって世に出ていったんだ。レコード契約を手にして、スタジオに行って、そこで突然“これは現実だ”って実感して、プレッシャーも感じて。まるで映画の中にいるみたいだったよ。

──今回の『ハイブリッド・セオリー20周年記念盤』のようなデラックス盤はまた作りますか? これを作ったことで、“次にどんな音楽をやろう”というような話にはなりましたか?

マイク・シノダ(Vo):このプロジェクトを始めた時、本当に完成するのか少し疑ってたんだ。友人達や家族がいろいろなものを見つけてくれて、それを集め始めるまではね。長年の間にこういうものが貯まっていたのは分かっていたけど、クオリティーは保証されていないから。でも今回のプロジェクトに収録したものは、見るのが本当に楽しかった。このバンドの種は僕と12〜13歳の頃からの友人のマーク。そのマークはブラッドの家の隣に住んでたんだ。マークの家の窓から石を投げたら、ブラッドの家の窓に当たる距離でね。ブラッド、君がメタリカの曲を練習してたのが聴こえてたんだよ。

ブラッド:お前達だったのか? 変な視線を感じてた(笑)。

マイク:女子だったら良かったね(笑)。マークと僕で曲作りを始めた時のデモもこのプロジェクトに収録されている。リリースできるようにマークにお願いして、すごく特別な曲を入れることができたんだ。スーパーファンだけじゃなく、当時このアルバムを聴いて楽しんだ思い出があるような人達にも喜んでもらえると思う。

フェニックス:僕達の音楽を楽しんでくれる人達が大勢いるのは知ってるけど、『ハイブリッド・セオリー』が発表された時は、僕の3人の娘達はまだここにいなかった。彼女達に20年前の僕達を見せるのはすごく楽しかったよ、娘達はメンバー全員に会ってるからね。だから、もし今後もアルバムの記念盤をリリースする話があるとしたら、個人的にはやりたいと思うよ。

ブラッド:それに俺達はいつだって、曲を作るのが大好きなんだ。『ハイブリッド・セオリー』の次のアルバムでも可能な限りたくさん曲を作って、そこから絞っていた。毎回平均して60曲〜100曲を12曲に絞るっていうことをやっていたんだよ。



マット・ピンフィールド(司会):ボックスセット収録のCD『Forgotten Demos』には12曲の未発表デモ曲が入っているね。その中の1曲、「ピクチャーボード」について教えてくれる?

マイク:すごく面白かったのは、「ピクチャーボード」という曲が19年〜20年前から存在してるっていうことを、ファンは知ってたんだ。でも、それがどんなサウンドかは知らない。昔、ファンに聞かれたことがあったから、ファンクラブ用にリリースすることも考えたんだけどね。サンプルが入ってるから、それを除いて曲を発表しようかなと思ったんだけど、やれると思えなくて。ブラッドが言ったように、本当にたくさんの曲があるから、この曲だけにフォーカスするのはどうかなって。でも遂に、このボックスセットのためにモス・デフのヴォーカルサンプルの許可を取って、発表できるようにしたんだ。この曲のオーディオクリップを聴いたファンが、2000年か2001年のロックフェスティバルで、僕達がインタールードにこの曲を使ったことを発見してたよ。しかもファンは、そのインタールードに勝手に名前をつけてたんだ。ネットで彼らと話していて、「それは君達がつけた名前だろ、何のことを言ってるのか分からないよ」ってね。だから、ファンに聴いてもらうのがすごく楽しみ。

ブラッド:俺の記憶が間違ってなければ、初めてチェスターの声が入った曲を俺が聴いたのは、「ピクチャーボード」だったと思う。「こいつどう思う? デモを送ってきたんだけど」ってデモを聴かされたとき、嬉し泣きまではいかなかったけど、ほぼそんな気分になった。ヴァースは小さくて繊細なのに、ヘヴィなパートではさまざまな音色やハーモニーが聴こえて、ぶっ飛ばされた。それで、「こいつに会おう」と言ったんだ。

🔹インタビュー【2】へ

■マイクとチェスターの二人は凄い
■マジカルな瞬間がどんどん曲に表れてきた

──チェスターとの初リハーサルで、何か特別なものを感じた瞬間があったと思いますが、そのときのことについて話していただけますか?

マイク:僕達にはバンドのアイデンティティーとかやりたいこと、今後フォーカスしていきたいヴィジョンがあって。でも、まだそのときにはそれが存在してなくて、ヴィジョンを固めたかったんだ。だからチェスターが入ってきた時、彼がどんなに才能に溢れているか、どんなに凄い歌声を持ってるかを全員でずっと話したんだよね。長年言ってることだけど、僕達がデモを作ってる間、チェスターもまた、どんなヴォーカリストになりたいかを見つけようとしていた最中で。彼は本当に独自のユニークな表現ができたけど、このスタイルの音楽には何が合うか、バンドにとって何がベストか、その両方を同時に歌いながら探っていたんだ。レコーディングしながら彼がやることに僕達が反応して、そしてそれが、バンドのアイデンティティーにゆっくりと発展していった。だから、彼が何かを歌って“これだ!”と興奮する瞬間があったというより、小さなステップを重ねて行く作業だったんだ。ボックスセットに「シー・クドゥント」っていう未発表曲が入っているよね。当時は気づいてなかったけど、これは凄くクールな曲でね。歌詞に「君は一人じゃない」っていう一節があって、チェスターは曲中で叫んでないし、ヘヴィなディストーションギターも入ってない、リズムトラック全体がほぼサンプルなんだけど、僕達とチェスターの関係の初期に、「この曲はずっと後に、僕達のアイデンティティーの一部になる」って感じてたんだ。2007年とか2010年ぐらいの僕達の音楽の方向性を示唆していたんだよ。全てはすでにこのデモの中に入っていて、僕達はただそれを発見する必要があっただけなんだ。


──チェスターのヴォーカルが入った未発表曲の数々は編集するのが大変でしたか? それともセラピーのような感じになりましたか?

マイク:「シー・クドゥント」を聴いた人から、「現代的にアップデートされていて、モダンに聴こえる。クールだね」っていう感想をもらったんだけど、実際僕達は何もしてないくて、デモをそのまま使ったんだ。これらの曲はマスタリングはしたけど、ミックスしなかったし、サウンドも変えなかった。だから、モダンに聴こえるというのは僕にとっては褒め言葉でね。で、ヴォーカルを聴き返したことについては、古いアルバムを見るような感じで、すごくノスタルジックな気分になったし、僕達が経験してきた旅に感謝の気持ちが溢れた。「シー・クドゥント」や「ピクチャー・ボード」といった初期のデモは、チェスターが加入する以前のXero (ハイブリッド・セオリーの前のバンド名)時代のものなんだ。当時の僕達はただのキッズで、全く関連性がないさまざまで大好きな音楽を融合して、シームレスに感じられるものに仕上げる方法を見出そうとしてたんだ。

──『ハイブリッド・セオリー』の中で一番好きな曲は何ですか? そして、同じワーナー・ミュージック所属の偉大なバンドとして答えていただきたいのですが、ヴァン・ヘイレンのベストシンガーは?

マイク:最初の質問は楽に答えられるよ。僕にとっては「ペイパーカット」が一番だよ。ロックという点において最高の僕達が出てるし、僕達が作ろうと励んでいたタイプの曲だった。バックビートが僕達がやってたエレクトロニックミュージックの集結になってて、当時起こってたダブルタイムのドラムビートが入ってて、サンプルをループしてて、ラップはチェスターがやったラップコーラスの中で唯一「僕じゃなくて彼がリードを取るべきだよ、凄くいいから」って言ったものなんだ。そして曲の終わりはすごくメロディアスになっている最高のエンディング。このアルバムから一曲だけ聴くとしたら、僕にとってはこの曲だね。ヴァン・ヘイレンの質問はパスする。




BARKSより全文を引用しています

次回の記事に続きます

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