2021年06月一覧

Char 「Stylist」MV公開、TOKYO FMで福山雅治と対談

SMO様とももPAPA様が記事として取り上げていた、Charさんに関する話題です
amassより全文を引用いたします
2021/06/13 17:25掲載

ギタリストのCharは「Stylist」のミュージックビデオを公開。またCharが2021年6月パーソナリティをつとめているTOKYO FM『Monthly Artist File-THE VOICE-』にて福山雅治とのラジオ対談が実現。ギターセッションもあります。6月20日(日)放送

●「Stylist」のミュージックビデオ

口ぶえピーピーふきながら
街の女をひやかして
最新ファッションと思いこみ
かたで風きるタケナカ君
Char

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歌詞の中に登場する70年代の原宿青山のファッションシーンを華やかに彩った人物、風景などの写真と現代を生きるCharが織り交ぜられた内容となっております。
新進気鋭の映像作家、ミラーレイチェル智恵さんに監督していただきました。




■『Monthly Artist File-THE VOICE-』
◇放送時間: 毎週日曜日 13:00-13:55
◇放送局 : TOKYO FMをはじめとするJFN全国37局ネット
◇2021年6月度パーソナリティ: Char
◇番組ホームページ: https://www.tfm.co.jp/maf/

TOKYO FMで放送中の、Charが2021年6月パーソナリティをつとめている番組『Monthly Artist File-THE VOICE-』(毎週日曜13:00-13:55 TOKYO FMをはじめとするJFN系列全国37局ネット)では、6月20日(日)放送回のゲストに、福山雅治を迎えることが決定しました。世代の異なる2人のミュージシャンが2021年のいま語り合う出会いから楽曲提供秘話、ライブ共演のエピソードのほか、さらに福山がCharに提供した楽曲「7月7日」のギターセッションも披露されます。どうぞご期待ください。
★「お金のことを考えるなんてロックじゃないって言われた時代だったけど…」(Char)
★「還暦記念の武道館ライブ、Charさんにすごく感謝していることが…」(福山雅治)


Charと福山雅治は、以前からCharとの交流も深く、番組では1995年の楽曲「今このひとときが夢のように」が制作されるまでの出会いから、2015年のCharの還暦記念アルバム『ROCK+』での、『7月7日』のプロデュース秘話を語り合うほか、そしてギタリストとして活躍し続けるCharの真髄に福山が迫る場面も。そして、2人によるこの日だけの『7月7日』ギターセッションバージョンも披露されます。アーティストとしてのギター、音楽との向き合い方や、それぞれの最近の音楽事情、さらには日本武道館で行われたChar還暦ライブで福山が感動したエピソードなど、必聴のトーク&スタジオライブです。どうぞお聴き逃しなく!






Starship – Sara

スターシップの「Sara:セーラ」で、アルバムは『Knee Deep in the Hoopla:フープラ」ですね。

70年代からですが、完璧後追いジェファーソン・エアプレイン、ほぼオンタイムでのジェファーソン・スターシップで、創始メンバー・ポールカントナーが抜けて、継続のバンド命名で揉め、互いにジェファーソンを禁句にして、スターシップと聴いた事に。

当時はそんなの判らん状態、曲風の変化が、このバンドの定番・定型と、ジェファーソン・エアプレインは60年代アメリカンロックの元祖との羨望でしたが、ジェファーソン・スターシップでは、他のバンド同様、時勢ロックと。

まあ好きでしたが、才あるベテランでも、お高くともらず、チープ感(たぶん60年代のノスタルジー)もあり、親しみ感。

スターシップになるとAOR風、打ち込みシンセPOPロックになり、少しハードロック風にしましたが、これがますます違うと……


 


Knee Deep in the Hoopla


 


でも、3バンドの時期で、シングル全米1位になったのが、スターシップ期なんですね。このアルバムに1曲名「We Built This City:シスコはロックシティ」
不治テレビの「情報プレゼンター とくダネ!」のオープニング曲として、完璧に刷り込まれてますが(笑)

時代に合わせ、マーケットに合わせは、先進と思っていたロック、特にジェファーソン・エアプレインはカウンターカルチャーとしてロックとの思い込みもあり、違和感・隔世を感じました、当時は。

そもそもアルバムジャケが名は体を表す、楽しいそうなカラフルな絵、当時のスターシップの立ち位置を示す。

復活してのメンバー・グレイススリックが、次作87年『No Protection :ノー・プロテクションで映画『マネキン』のサントラになった「Nothing's Gonna Stop Us Now:愛はとまらない」でも、ヒット、その後にアルバム出て、解散でしたね。

正に80年代サウンドの終焉と同じ時期、30年近くバンドには紆余曲折あり、激変して持ったのですから、たいしたモノ。

このバンド、60年代から系譜で聴こうとすると3系と細分化で、けっこう面倒だったのですが、今はウィキ、ファンサイト・ブログを拝見確認で、ネットは便利、ありがたい状態。
21世紀も20年過ぎて、やっと理解できた(笑)

久しぶり3枚のスターシップのアルバム聴きましたが、コンポーザーご多分にもれず、外注の曲ですが、勢いはあり正に80年代サウンドとの思いでした。

と云うことでおまけは同アルバムの曲で

Starship - Tomorrow Doesn't Matter Tonight




























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両腕のないギタリスト、Johnatha Bastos

生まれつき両腕のないブラジルのギタリスト、ジョナタ・バストス(Johnatha Bastos)さんの驚愕のギター演奏をご紹介いたします

両足でエレキギターを弾いてガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)「Sweet Child O' Mine」を完璧にカヴァーしている映像が素晴らしいです




彼はピアニストでもあります
ピアノを演奏する際は、短い両腕と顎を使って演奏します









Nazareth – Razamanaz

ナザレスの「Razamanaz:ラザマナズ 」で、アルバムは同主題73年『Razamanaz』ですね。

これもブリティッシュロック、正確にはスコットランドロックですが。

75年のヒット曲カバー「ラヴ・ハーツ」がFENでよくかかっていました。その曲からアルバム『Hair of the Dog:人食い犬』の人気ありで、後追いでロジャー・グローヴァーがパープルしながらプロデュースした73年『Razamanaz:ラザマナズ』と知るわけですが。

パープルの前座も経験してますが、ブリティッシュロックでもハードロックンロール風のノリ。


 


Razamanaz


 


このアルバム『Razamanaz』では、ロックンロール・ハード・ブギと三すくみの融合、アクも強い。

ノリだけなら、同時期のステイタス・クォーが上手かもですが、ボーカルのダン・マッカファーティーのハイトーン・ダミ声に、オリジナルがありかも。久しぶりに聴くとモロ70年代だけのロックともいえる(笑)

ガンズのアクセル・ローズ(クイーンといい、UKRockファン)のお気に入りバンドのようですが、なんか判るようなマッカファーティーの歌い方。

ナザレスは、カバーも得意のようで、『Razamanaz』でもレオンラッセル、ウディ・ガスリーを演っている。アメリカンロック、トラディショナル指向で、そもそもザ・バンド(カナダだけど)の「ザ・ウェイト」の聖書引用のナザレからのバンド名なんですね。これ覚えてもいなかった。

2013年ダン・マッカファーティー引退で、メンバーも変えて、今も現役なんですね。

と云うことでおまけは同アルバムのヒット曲で

Nazareth - Bad Bad Boy


























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FUSION

フュージョン・バンドが好きなので、今日は有名どころをご紹介いたします

Fruitcake 「Summer Melody」



Level 42 「The Sun Goes Down (Livin' It Up)」



Chick Corea Elektric Band 「RUMBLE」




Mezzoforte 「Fusion Blues」



Return To Forever 「Medieval Overture」



「Birds of Fire」
Mahavishnu Orchestra




「宇宙のファンタジー」
Earth, Wind & Fire



「Mi Amore」 (Instrumental)
松岡直也
Arranger, Composer: Naoya Matsuoka




■ フュージョン(Jazz fusion、Fusion)
1970年代半ばに発生した、ジャズを基調にロックやラテン音楽、電子音楽、時にはクラシック音楽などを融合(フューズ)させた音楽のジャンルである。
ジャズの派生ジャンルとされている。

マイルス・デイヴィスのエレクトリック・ジャズはクロスオーバーを経て、後年フュージョンへと変質した。
様式的起源 ジャズ、ロック、ラテン音楽、クール・ジャズ、ビバップ、モード・ジャズ、クロスオーバー
文化的起源 1960年代後半、アメリカ合衆国
使用楽器
エレクトリックギター、ピアノ、エレクトリックピアノ、ドラムス、サクソフォーン、トランペット、キーボード、エレクトリックベース、シンセサイザー、ボーカル

派生ジャンル
スムーズジャズ
アシッドジャズ
パンク・ジャズ
プログレッシブ・ロック
ジャズ・ファンク

■ ジャズ(英: jazz)
19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国南部の都市を中心に発生した音楽ジャンル。
演奏の中にブルー・ノート、スウィング、コールアンドレスポンス(掛け合い演奏)、インプロヴィゼーション(即興演奏)、ポリリズム(複合リズム)などの要素を含んでいることが、大きな特徴とされている。



文章は、Wikipediaより引用しています
ご視聴ありがとうございました

2020年、英国で最も流れた曲とアーティスト・トップ10

英国の著作権管理団体PPLが、2020年に英国のテレビ、ラジオ、公共の場で最もプレイされた曲とアーティストのランキングを発表した。


曲では、2月から4月にかけて非連続8週間全英チャートの1位に輝いたザ・ウィークエンドの「Blinding Lights」がトップだった。2位にデュア・リパの「Don’t Start Now」、3位にカイゴの「Higher Love」と続いた。両曲ともチャート上は最高2位だった。買わずとも頻繁に耳にしていたことになる。

アーティスト別では、2017年から連続トップだったエド・シーランを破り、デュア・リパが1位となった。彼女がこのランキングに登場するのは2度目で、2018年、8位につけた。女性アーティストがトップに輝くのは2014年のケイティ・ペリー以来だという。

デュアは「みんな、2020年の1年間、私の音楽を聴き、愛してくれて本当にありがとう。最もプレイされたアーティストになったなんて、ものすごく誇らしい」とコメントしている。

PPLが発表した2020年英国で最もプレイされた曲トップ10は──

1. ザ・ウィークエンド「Blinding Lights」
2. デュア・リパ「Don’t Start Now」
3. カイゴ&ホイットニー・ヒューストン「Higher Love」
4. トーンズ・アンド・アイ「Dance Monkey」
5. ハリー・スタイルズ「Adore You」
6. ルイス・キャパルディ「Before You Go」
7. デュア・リパ「Physical」
8. マルーン5「Memories」
9. ジャックス・ジョーンズ&エラ・ヘンダーソン「This Is Real」
10. レディー・ガガ&アリアナ・グランデ「Rain On Me」

アーティスト別のトップ10は以下のとおり。

1. デュア・リパ
2. エド・シーラン
3. アリアナ・グランデ
4. サム・スミス
5. カルヴィン・ハリス
6. リトル・ミックス
7. コールドプレイ
8. ジャスティン・ビーバー
9. マルーン5
10. ザ・ウィークエンド

Ako Suzuki
BARKSより引用いたしました


今日は1~3位の楽曲をご紹介いたします
1. ザ・ウィークエンド「Blinding Lights」
2. デュア・リパ「Don’t Start Now」
3. カイゴ&ホイットニー・ヒューストン「Higher Love」


The Weeknd - Blinding Lights (Official Video)



Dua Lipa - Don't Start Now (Official Music Video)



Kygo & Whitney Houston - Higher Love (Official Video)



ご視聴ありがとうございました

若くして世界的成功を収めたベイ・シティ・ローラーズ

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Curse of the Bay City Rollers
若くして世界的成功を収めた代償!?
ベイシティ・ローラーズ、その後の人生の”呪い”
Published on 5/7/2021
https://www.cubeny.com/topic_21rollers.htm#container
こちらより引用いたします
この記事は彼等の様々な問題について、詳しく語っています



2021年4月20日に報じられたのが、元ベイシティ・ローラーズのヴォーカリスト、レスリー・マッコーエン死去のニュース。 自宅で突然息を引き取った彼の死のニュースと共に報じられたのが、「ベイシティ・ローラーズの呪い」の報道。 そう言われて仕方がないほどに、災難やトラブルが多いことで知られていたのがベイシティ・ローラーズの元メンバーたち。
1970年代半ばにメンバーのほぼ全員がティーンエイジャーとして世界規模のサクセスを収めたベイシティ・ローラーズは 当時イギリスでは「ビートルズの再来」と言われた存在。 そのサクセスが世界に轟き始めたのは1975年のヒット曲「Bye Bye Baby」が6週連続でイギリスのヒットチャートのNo.1に輝き、 ティーンエイジャー達がローラーズのトレードマークであるタータン・チェックのスカーフやファッションを身につけて熱狂するようになってから。
そして大ヒット曲「サタデー・ナイト」がアメリカでもビルボードNo.1に輝いたベイシティ・ローラーズは、 以来1億枚以上のレコードを売上げ、1970年代を象徴するポップカルチャー現象の1つになっているのだった。

そのサクセスの最中でもメンバーの交代劇が起こり、ドラッグの問題やメンバーの不仲が常に取り沙汰されてきたベイシティ・ローラーズが解散したのは1981年のこと。 ですが人気が根強かった日本では1982年、1983年に元メンバーが集まったコンサート行われ、1985年には レスリー・マッコーエン、パット・マッグリンが中心となったリユニオン・アルバム「ブレークアウト」が日本とオーストラリアのみで発売。 しかしその後は活動がストップし、2015年にリユニオン・コンサートが行われたのがローラーズとしての最後の活動。
解散からの約40年間にベイシティ・ローラーズのメンバーが見舞われたのはドラッグ&アルコール中毒、病気、破産、逮捕等、様々な問題で、 若くしてサクセスを収めたセレブリティに”転落”は付き物とは言え、その様子は前述のように”呪い”とまで言われるもの。
以下ではベイシティ・ローラーズのメンバーのその後の人生のフォローアップをご紹介していきます。



■ レスリー・マッコーエン

ベイシティ・ローラーズのサクセスの立役者と言われるのがオリジナル・メンバーのヴォーカリスト、ノビー・クラークに代わって1975年に18歳でメンバーに加わったレスリー・マッコーエン。 彼がローラーズに在籍したのはその後の4年間で、最初の約2年間がベイシティ・ローラーズの黄金時代。 しかし1978年にメンバーから「自分達のことをバックバンドだと思っている」と言われたレスリーはローラーズを脱退。 その後ソロ活動をしていた彼であるものの、約20年に渡ってアルコール&とコカインの中毒状態。 2006年には0.5キロのコカイン流通に関与したとして刑事起訴され 裁判では無罪になったものの、法廷で認めたのがコカインを長く常用していたこと。
彼の人生の中で唯一安定していたのが1978年に出会って直ぐに結婚した妻のペコ・ケイコ。 レスリーは30年に渡ってゲイであることを隠し、 少なくとも12人の男性パートナー、多数の女性浮気相手が居たものの、彼を見捨てることなく寄り添ってきたのがケイコ夫人。 そのケイコ夫人にとっても、レスリーがゲイであることを乗り越えるのはかなりの苦痛であったと言われますが、ドラッグ中毒のレスリーをリハビリに送り出したのは彼女で、 彼女無しには2015年のローラーズ・リユニオン・コンサートは実現しなかったとレスリーはコメントしています。



■ アラン・ロングミュア

アラン・ロングミュアは1964年にベイシティ・ローラーズの前身を設立したメンバー。 当時はサクソンズという名前で、彼の弟のデレク、従兄、クラスメート2人というメンバーであったものの、デレク以外が全員入れ替わった状態が サクセスを収めたローラーズ。1976年にローラーズがサクセスの頂点にある段階で、10歳年下のイアン・ミッチェルと入れ替わりに脱退した彼は、1977年に ソロ・デビュー、1978年にはイアンの後釜のパット・マッグリン脱退の後を埋めるために再びバンドにカムバック。1981年にバンドが解散した段階の彼には 6台の車、邸宅、農場など、かなりの資産があったものの、僅か2~3年で破産状態になり、バンドが成功する前の職業、配管工に戻らざるをえなかったとのこと。
やがて定年を迎え年金を受け取っていたアランですが、2015年のベイシティ・ローラーズのリユニオン・ツアーにレスリー、ウッディと共に参加。 その後アルバムをレコーディングして、日本ツアーを行う計画があったものの、バンドは2016年に再び解散。 原因は彼とウッディがレスリーと対立したため。そのアランは2018年にメキシコで感染した謎のウィルスが原因で死去しています。



■ スチュワート・ウッディ・ウッド

15歳でオリジナル・メンバーとしてベイシティ・ローラーズに加わったスチュワート・ウッドは、ウッディのニックネームで呼ばれ、現在64歳。 ギターの弾き方も知らない状態からスタートして、ベースとキーボードを担当。 バンド解散後は小規模なライブハウス等で パフォーマンスを続け、一時はLAに3年、サウスアフリカに5年間移住。2003年にはパートナーと共に小規模なレコード・ラベルを設立しています。 彼は今もエジンバラに妻と共に暮らしており、レスリー・マッコーエンの悲報について、「彼とは何年も意見の違いや対立があったが、本当に残念だ。 ベイシティ・ローラーズの歴史にとって悲しいことだ」とコメントしています。



■ デレク・ロングミュア

現在69歳のデレク・ロングミュアはアラン・ロングミュアの弟で、ティーンエイジャーでローラーズのオリジナル・メンバーとなり、ドラムを担当。 81年にローラーズ解散した後は 音楽業界をリタイア。 エジンバラの小児病院でボランティアをしたことがきっかけで、 1990年からナースになるためのトレーニングを始めたデレクは、1993年に資格を取得。しかし1998年に警察に寄せられた匿名の通報がきっかけで、 チャイルド・ポルノグラフィー所有の容疑で捜索を受けた彼の自宅から 153本のビデオ、73枚のフロッピーに収められた1000以上の チャイルド・ポルノ写真が押収され、本人はそれを自宅に滞在したアメリカ人の友人のものと主張。
しかしメディアのさらし者になるのを避ける理由で 罪を認めた彼は2000年に300時間のコニュニティ・サービスの判決を受け、 小児科病院からは解雇処分を受けています。 2001年には再びナースとして働くことを許され、以来目立たない生活を続けてきたデレクが 最後にインタビューを受けたのは2005年のこと。「ベイシティ・ローラーズの成功と名声はトラウマになっているか?」と尋ねられた彼は、 「トラウマになっているのは成功や名声ではなく、音楽ビジネスが如何に冷酷であったかだ」と語っています。



■ エリック・フォークナー

現在67歳のエリック・フォークナーはローラーズの中にあって、比較的まともな人生を送っている存在。 「Money Honey」 、 「Love Me Like I Love You」といったヒット曲の作曲を手掛けていた彼は スチュワート・ウッド同様に バンド解散後もずっと音楽業界で活動を続けた存在。 ソロになってもツアーをしていますが、2015年のローラーズ・リユニオンの際は、レスリー・マッコーエンとの不仲が原因で不参加。 その2015年に エリックは ウイルス性脳炎で死にかけており、回復はしたものの 脳炎後症候群が持病として残り、 同じ症状で苦しむ人々のために募金集めをスタートしています。
一時は音楽を続けるのは不可能と思われたものの、2017年にはレコーディング・スタジオに戻り、2018年にはミュージック・フェスティバルに出演。 しかし現在は長年彼をフォローしていたジャーナリストでさえ 何処で何をしているかを 把握していないとのことです。



■ イアン・ミッチェル

アラン・ロングミュア脱退と入れ替わりに加入したイアン・ミッチェルは僅か7ヵ月のみローラーズに在籍。ファンの間での人気は高く、バンドに音楽的には貢献したものの、 本人は脱退の理由を 「ガスオーブンの中に頭を突っ込みたくなる前に辞めた」と説明しています。 その後ローラーズと同じマネージャーの下で ロゼッタ・ストーンというバンドをスタート。 日本とタイでのツアーを成功させるものの、欧米ではサッパリで、 程なくロゼッタストーンは解散。再び自らバンドを結成するものの それも振るわず、やがてアメリカに移住。 その後ベイシティ・ローラーズのリユニオンには参加したものの、 コンピューター・プログラマーを営みながら、モチベーショナル・スピーカーを時折務めるという地道な生活を送り、2020年9月に特にメディアの注目を集めることもなく 62歳で死去。
2001年の「フレンズ」のエピソードでは、コートニー・コックス演じるモニカのベイシティ・ローラーズについての台詞で 彼の名前が出ており、本人は2016年の英国メディアとのインタビューで 「そのシーンを観た時は、驚いて椅子から転げ落ちた」と語っていました。



■ パット・マッグリン
イアン・ミッチェルがローラーズを脱退した1976年後半にギタリストとして加入したのがパット・マッグリン。日本で大人気を博した彼は1977年にはローラーズを辞めて、1978年には マット・マッグリンズ・スコッティ―ズというバンドで、日本とドイツでツアーを行っています。そのパット・マッグリンは来日の際、 中野サンプラザでコンサートを行いましたが、楽屋から出て来る彼を近くで観ようと考えたファンが こぞって会場を出て楽屋出口に向かったことから、アンコール・パフォーマンスのために彼がステージに戻った時には会場がガラガラだったというエピソードが残っています。
2003年にパットは「マネージャーが1977年にホテルの部屋で自分をレイプしようとした」と告発しましたが、証拠不十分のためマネージャーは刑事訴追されずに終わっています。 2005年にはパットは元ローラーズの仲間、レスリー・マッコーエンと共にドラッグ使用の容疑で逮捕されましたが、こちらも不起訴処分に終わっています。 現在63歳の彼が近年メディアを賑わせたのは、2018年に実の兄に対する暴力で逮捕された時。この兄との問題は複数回警察沙汰になっています。



■ 6人目のローラーズと言われたマネージャー、タム・ペイトン

ベイシティ・ローラーズを生み出し、破滅させと言われるのが ”6人目のローラーズ” と言われたマネージャーのタム・ペイトン。 2009年に70歳で死去した彼は、ベイシティ・ローラーズのメンバーをドラッグでコントロールしていたと言われ、 レスリー・マッコーエン自身も、「ペイトンによってドラッグを覚えさせられた」と証言しているほど。 アイドルに肥満は大敵と考えた彼は アンフェタミンでローラーズのメンバーにダイエットをさせ、 メンバーが疲労やストレスを訴える度に エクスタシー、スピード、コカイン等を与えてきたとのこと。
前述のように2003年にパット・マッグリンにレイプ未遂で告発されたペイトンですが、レスリー・マッコーエンもローラーズのツアー中、 彼がドラッグでハイになっていた時にペイトンがアレンジした男性との関係を強要されたと証言。 そのペイトンは1982年に未成年の少年に対する性的虐待で1年の服役刑を受けており、 翌年にはマリファナを供給していた罪を認めて、20万ポンドの罰金を支払っています。 彼は深刻な健康問題を抱えており、心臓発作で死去する以前にも 2回の発作と1回の脳卒中に見舞われていたとのことです。