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Pet Shop Boys – Home And Dry

ペット・ショップ・ボーイズの「Home And Dry:ホーム・アンド・ドライ」で、アルバムは2003年『Release:リリース』ですね。

生きてます、高齢の父の病気入院から退院へ、介護施設入所。ケアマネジャーと介護施設所員のアドバイスに従いました(ルールがあるようで、既製パターンようですが)日本もちゃんとしてると思いました。

制度化した方々は賢いと思いましたが、偏屈なんでしっかりビジネス化とも感じますが、昔・子供の頃は自宅で、家族が介護していたと思うけど。核家族化で、これが社会的選択かなと。精神的余裕ができるわけでなく、今後の準備期間をいただいたような…これが正直は気持ちかも です。


 


Release


 


 このブログでは、珍しの21世紀のアルバムですが、ペット・ショップ・ボーイズですから(笑)まあ、なんだかんだと言っても、Pet Shop Boysは私にとっては、80年代のテクノPOPなんですが。

特に86年1st『ウエスト・エンド・ガールズ』や87年2nd『哀しみの天使』あたりが社会人になって、自ディスコブームがクラブ遊びに変わる頃、ピコピコサウンドも踊るのでなく、聴き流しに。

ロック寄りからスタートのニュー・オーダーやデペッシュ・モードよりはソフト軟く、メロディアスのペット・ショップ・ボーイズが心地よかったかも。

2nd以後もカバー「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」や「ゴー・ウエスト」もヒットで、90年代も寡作ですが、コンスタントに活動でした。こちらの方が大人になり、POPPOPの曲は、ベスト盤あたりで流しか、今では配信で流しでしたが、たぶん今回が初めて本気で『Release:リリース』聴いた、アコギよりでメロディアスな大人なテクノPOPなっていた。

「ホーム・アンド・ドライ」ギターには、ジョニー・マーが参加ようで、ロック気は感じるようで、ロック芯もありとかなと…ちと感じました(笑)

と云うことでおまけも同アルバムから

Pet Shop Boys - London






























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Tom Petty And The Heartbreakers – The Waiting

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの「The Waiting:孤独な世代」で、アルバムは82年『Hard Promises:ハード・プロミス』ですね。

 だみ声で特徴あるトム・ペティですが、ロックボーカルの声色に好き嫌いが激しいのですが、デビュー曲「Breakdown」や「American Girl」の76年1st『Tom Petty and the Heartbreakers』から注目でした。

FENで覚えたと思うけど、当時はボブ・ディラン一家の流れと思い込み、80年代もこの認識だったですが、ディランとライブツアーや、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、ロイ・オービソンにディランとのトラヴェリング・ウィルベリーズもあり、間違いでは無かったかも。

 で、ブログしてから、レーナード・スキナードを深く聴きくと、レッドネック、プアホワイトなりの言葉を知り、労働者層のファンに支持されていたと、その流れで70年代後半から、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・シーガーも、ヒット出ていたと。

アメリカには音楽にも、区別、階層があるようで、確かにYouTubeで見る当時のライブシーンの観客は白人は多い、ソウル系は黒人が多い。日本の洋楽好きは、音楽なんで同一フラットで感じる事ができると思いがあり、これは幸せな事。


 


Hard Promises


 


好きなトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズですが、80年代前半のあんまり注目していなく、MTVで話題になった85年「Don't Come Around Here No More:ドント・カム・アラウンド」あたりから、ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートと共作の不思議感ぐらいから。

80年代前半はスティーヴィー・ニックスに曲提供と共演もこなしていたトム・ペティですが、この曲が、スティーヴィー・ニックスが関連する二股、三股、四股それ以上(笑)とブログしてから知りましたが、「君子危うきに近寄らず」が「Don't Come Around Here No More」とは、自戒なのか禁止行為なのか? やっぱり東洋人と西洋人とは違う!

 トム・ペティは、好きなアルバムは80年代後半からの方が多いのですが、久しぶりに地味なジャケデザインの『Hard Promises:ハード・プロミス』を聴くと、アメリカンロックの王道?? ハートランド・ロックがある。

当時は流れでのロックンロールぐらいの音楽との思いに同時期のニュー・ウェイヴに夢中でしたが、アメリカでは頑なに形を変えず、音楽友人との交流で、新しさを模索していたトム・ペティとの思いになりました。

と云うことでおまけは同アルバムから

Tom Petty And The Heartbreakers - A Woman In Love (It's Not Me)

































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Jefferson Starship – Stranger

ジェファーソン・スターシップの「Stranger:ストレンジャー」で、アルバムは81年『Modern Times:モダン・タイムス』ですね。

このブログで再三取り上げるジェファーソン・エアプレインからのジェファーソン・スターシップ、そしてスターシップ、KBC、再結成ジェファーソン・エアプレイン、再結成ジェファーソン・スターシップの流れは、皆さまの音楽ブログとWikiでやっと把握、理解した感で、これはブログして良かったと思えた事です。

 音楽なんでロックバンドなんで、アルバムを追っていけば、いいと思いますが、主メンバーの離散の繰り返しとさらに新メンバーとの集離脱と、例えばディープ・パープルような判りやすさを無いと。

 でも、音的に曲風的にはPOP化してますが、60年代サイケを感じる幹感はあると思う、70年代の大好きアルバム 75年『Red Octopus』や大きく当時の時勢に合わせた79年『Freedom At Point Zero』あたりでも、野暮ったいと感じ、60年代のサイケ感はあるところに、聴いていたワケもある。

ノスタルジックなロック、けして産業ロック化でなく、だってなんかあか抜けない感あり(笑)


 


Modern Times


 


 この『Modern Times:モダン・タイムス』では3年離れたいたグレース・スリックがアルバム制作末に復帰だったようで、「Stranger:ストレンジャー」では、ミッキー・トーマスとのツインボーカル。アルバム全体はハードPOPロック、ギターロックで、70年代ロック好きとサイケ好きの小生も満足、カッイイでなく、このバンドのメロは、懐かしいですね。

流れ的に『Freedom At Point Zero』からの『Modern Times:モダン・タイムス』は、当時も厳しい批評はあったようですが、昔も今も、昔は良かった調のジジイはいるもので(ならないように気をつけよう(笑))売れ筋に舵を切る塩梅は、反発あった。

ジャケデザインは不思議感、『Freedom At Point Zero』も何にこれ??でしたが、『Modern Times:モダン・タイムス』も! 今回表紙コンセプトが日本人の方と知りました。

と云うことでおまけはノスタルジック的な曲、ポール・カントナーで「俺達はやりたいことをやる」おしゃる通りと思います!

Jefferson Starship - Stairway to Cleveland (We Do What We Want)


































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遠藤賢司-雨あがりのビル街

 遠藤賢司の「雨あがりのビル街」で、アルバムは70年・1st『niyago』ですね。正式な曲名は「雨あがりのビル街《僕は待ちすぎてとても疲れてしまった》」です。表題表記の字数制限があると思い、簡略化ですが、エンケンファンには「雨あがりのビル街」で、通じると思う。

 このブログ2011年から起点はUKのフー、ピンクフロイドからなんですが、日本は遠藤賢司、1st『niyago』は上げていなかったようで。

遠藤賢司は、高校生時にURC:アングラ・レコード・クラブのレコードを聴いて、吉田拓郎や井上陽水以外にもフォーク歌手がいるんだと存在を後追いで知り、79年上京、浪人予備校通いのつもりが全く勉強せず、映画・名画座とライブハウスに夢中で、エンケンの79年『東京ワッショイ』のロック化で一気にファンになった気がします。

この時に、同郷のミュージシャンと知りますが、小生は南の方生まれで、遠藤賢司さんは北の方、高校時代は北の方だったので、友人はいましたが、驚きました、あんな街でも、ミュージシャンは生まれるんだと!?

若い頃は田舎へ偏見から、上京したようなもんで、今では東京在ですが、帰りたい!


 


niyago


 


 昨日、田舎・茨城の父の介護施設へ面会訪問で「なんできた?」と相変わらず、ドライな冷静な性格は変わらじで「これから用事あるから帰れ」用事とは夕方5時からの夕食、スタッフも笑っていた(笑)

帰り高速で常磐道・首都高から湾岸線に抜けようとして、渋滞の表記、高速トンネルが冠水???とラジオつけると港区、品川区で豪雨、渋谷川氾濫危険と。6号向島でおり下道。雨はやみ、正に雨あがりのビル街の抜けて、帰宅。エンケンの唄を思い出す。


 遠藤賢司の79年『東京ワッショイ』や80年『宇宙防衛軍』のファニー感や田舎者の覚悟に共鳴感でしたが、初期やアコギのエンケンのフォークは、後に30歳すぎて、ニール・ヤングやティム・バックリィがすんなりと聴けるようなったのは、ハードなフォークへの耐性は、エンケンが聴いていたからこそと思える。

この「雨あがりのビル街《僕は待ちすぎてとても疲れてしまった》」の伴奏は、はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂、松本隆が参加は知っていたけど、ベースが静謐でも、のれる、音楽の一体感がある、70年のデビューでこの心境、やっぱり好きな遠藤賢司だあ~でした。




























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The B-52’s – Summer of Love

B-52's:ビー・フィフティートゥーズの「Summer of Love:サマー・オブ・ラヴ」で、アルバムは86年『Bouncing Off The Satellites:バウシング・オフ・ザ・サテライツ 』ですね。
動画音源は後の98年の『Time Capsule - Songs For Future Generation』のリミックス盤です。

今回14年目になるブログですが、ビー・フィフティートゥーズはThe B-52'sの表記と思っていましたがもしくは B-52'sと、今はThe B-52sとなっていたのですね。2008年からだって、知らなかった。何故??

1st79年『警告!THE B-52’S来襲:B-52’S 』から、聴いているから、もう45年、なにがニュー・ウェイヴだよねーですが、ほんとは超オールド・ウェイヴ、でも好きなんですね。

B-52'sとDevoのファニー感は、この歳になっても聴ける軽さとウィット感があると思う。テクノPOPでもありますが、当時初めて聴いた時の なんだこれ? 勢い、時勢があった。


 


Bouncing Off the Satellites


 


B-52'sのアルバムでは、ヒットしなかったと言われる『バウシング・オフ・ザ・サテライツ 』ですが、アルバム制作に入り、創始メンバーのリッキー・ウィルソンが病死、おもだったプロモせずリリース、売れる為の宣伝はしなかった。

アルバムはファニー感あるのですが、翳りも感じるPOP、このバンド、二人女性ボーカル、ケイト・ピアソン、シンディ・ウィルソンと掛け合いにシャウトもありですが、愁いありで、落ちき感も、一本調子でない。

プロデューサーはa-ha「テイク・オン・ミー」やアズテック・カメラとやっていた英トニー・マンスフィールドで、時勢の勢いを取り入れ進化も、していたと思う。

これが後、ヒットアルバム89年『コズミック・シング 』に繋がったと、テクノPOPでも、バラエティーになるには、紆余曲折ありなんですね。

と云うことでおまけも同アルバムから

The B-52's - Girl From Ipanema Goes To Greenland
































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Ric Ocasek – Connect Up To Me

リック・オケイセックの「Connect Up To Me」で、アルバムはソロ81年『Beatitude:ビーティチュード』ですね。ニュー・ウェイヴでもUKでなく、アメリカのカーズ、そのリーダーのリック・オケイセックの初ソロ。

カーズがデビュー78年1st『The Cars:錯乱のドライヴ/カーズ登場』その後のこれも好きなアルバム79年『Candy-O:キャンディ・オーに捧ぐ』のヒット、これも聴いた。

 70年代後半、アメリカ物ではカーズ、ブロンディ、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ディーヴォ、The B-52sは、キャラ濃く、個性派ぞろいで、本場UKにも、負けんかった感ありかもと、今言えることですが、当時UKがニュー・ウェイヴがNo1と思っていたけど!

その中でPOPロックでも一捻りありカーズ、ボーカルが2人、曲風も豊かで面白かった。リック・オケイセックのボーカル特徴ありで好みあると思うけど、この方は大丈夫だった。
小生、ロックボーカルついては相性、好み、好き嫌いが相当激しいので、イエスやラッシュは我慢して、聴いている(笑)


 


Beatitude


 


POPロックよりなカーズでも80年3rd『Panorama:パノラマ』あたりから、けっこうアバンギャルド、未だにブログ上げることができない。ニュー・ウェイヴも多くライバルがいる、曲風や新しい事にチャレンジだったのかなと思う、でも、ヒットはしにくい。

この後、大好き81年4th『Shake It Up:シェイク・イット・アップ』で、又POPよりなメロもキャッチ-に戻る。

この頃が少し踊り場状態で、リック・オケイセックがはやりたい事、ロックンロール的でもしっかりがニュー・ウェイヴがソロ81年『Beatitude:ビーティチュード』かなと。

「Connect Up To Me」なんか、テクノロックンロール風、明るめニュー・オーダー風、なんか当時はみんな一方方向だったかなと…それが時勢だったと…

アルバムは明暗ありのトーンの曲風、ここで上手く要らんもの取捨選択、カーズの80年代アルバムのヒットにつながったかなと思うのです。

と云うことでおまけも同アルバムから

Ric Ocasek - Something To grab For





























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Elton John - Friends

エルトン・ジョンの「Friends:フレンズ」で、71年映画『Friends:フレンズ〜ポールとミシェル』のサントラですね。

エルトンの初めての1作目サントラ、今はコンピレにも、入ってる曲ですね。

70年代前半の最高・最強のメロディーメーカーは英エルトン・ジョンと米スティーヴィー・ワンダーと思いますが。

エルトン・ジョンはジョン・レノンとの交友でのロック色強めの曲から、カバーでヒット曲となった74年「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」や前年「Saturday Night's Alright for Fighting:土曜の夜は僕の生きがい」あたりから、聴き始め。

後追い「Your Song:僕の歌は君の歌」初期作品から、シンクロ同時代おりつけヒット曲に慣れ親しんできました。ロック強めも好きですかが、なんかこの頃、しっとりメロディーで聴かせる曲が合う。あまく切なく、なんかセンチな気分。



初期もピアノとバラードの曲はメロディー主で、今さらながら、エルトン・ジョンの才は抜きでてる。ポール・マッカートニーがNo1と思っているけど、ほぼバトンつなぐ感じで、英で二人出てくる事が、当時のブリティッシュロック・POPの隆盛との思う。他にハードロック、プログレもいるんだもん(笑)

この頃、『Friends:フレンズ〜ポールとミシェル』の後アルバム71年『Madman Across the Water:マッドマン』をよく聴いていたのですが、華やかでも寂寥感ありのメロのアルバムに、エルトンの本質が視える気がする。

で、なんかたらない…楽曲が…と思ったら、『Friends:フレンズ〜ポールとミシェル』を思い出した。日本では、自分よりちょい上のお姉さん達に人気があった映画。そのサントラがエルトン・ジョン。

映画はTVでもやったと思うけど、10代恋物語が当時の日本のTV作品の原典になっていた、今になって言えることですが。

同時代、エルトンのメロの才がその映画に華をそえたと、音楽の力と思える曲「Friends」だと思う。

と云うことでおまけも同サントラから

Elton John - Michelle's Song



























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Peter Green-In the Skies

ピーター・グリーンの「In the Skies」で、アルバムは79年『In the Skies:虚空のギター』ですね。

ソフト化たスティーヴィーとリンジー期のフリートウッド・マックのアルバム類は今では流しで聴く分には、最高POPロックと思いますが。
 
三つ子の魂百まで、70年中頃、最初のフリートウッド・マックはピーター・グリーン時、アルバムは68年『英吉利の薔薇』から、その時はもうボブ・ウェルチやスティーヴィーとリンジー期のアルバムが出ていたましたが。
 
クリーム、エリック・クラプトンの影響で、60年代末のブルースロックの興味をもっていた時期、ピーター・グリーンのギターの音色は寂寥感ありで、カッコイイ、アルバムや音楽誌情報の少ない写真でも。当時のロックはカッコイイだった!

 

In the Skies

 

79年に出た、このアルバム時、フリートウッド・マックの79年『Tusk:牙』の大々好きなクリスティン・マクヴィー作「Brown Eyes」のギター伴奏で、これも同類のような曲で、ピーター・グリーンの寂しい切ない感は、ほんと独特、簡単に泣きのギターと言いたいくないかも。

 

一本調子でなく、POP化も、クラプトンに比べたら、不器用と思いますが、ファンクやレゲエ、逆にサンタナぽくありも、79年『In the Skies:虚空のギター』後から1年ごとの80年『夢幻のギター』81年『自由へのギター・ロード』82年『無垢のギター』83年『彩りのギター』アルバムが続き、POP化ソフト化ですが、ピーター・グリーンのギターのバリエーションを増やしたかなと。

 

このIn the Skies:虚空のギター』スノウィー・ホワイトのサポートの貢献大で、ピーター・グリーンがリズムギターを演ったり、ブルースロックへ思い入れも拡散が、自ブルースロック曲が際立つ結果になってるかもです。

 

In the Skiesは虚無でなく、空を駆け抜けると訳した方が良い思うけど、活発な活動な時期となりましたが、クラプトンのようなメジャーには成れずでしたね。

 

と云うことでおまけも同アルバムからで「In the Skies」同様にリードギターはスノウィー・ホワイトですね。

 

Peter Green-Slabo Day

 

 

なんかアメーバーのYouTubeの貼り付け仕様が変わった。自PC側のせいなのか、アメーバー側変更なのか、判らんちん。
ジジイなんでけっこう対応大変、昔は自作PCが趣味でしたが、もうOS・ソフト関係を調べたり調整は、勘弁してほしい、時間が無い、老々介護が佳境ですので。
 
ほっとする憩いのブログを、簡易にやりたいのですが、PC側の問題なのかな????
 
 

 

 
 

 
 
 

 

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Fleetwood mac - Peacekeeper

フリートウッド・マックの「Peacekeeper:ピースキーパー」で、アルバムは03年『Say You Will:セイ・ユー・ウィル』ですね。小生では珍しの21世紀のアルバムですが、フリートウッド・マックですから。

スマホの勝手に上がるニュースは吹き出しの設定はいつも間にか、出なくなってきましたが、グーグルマップニュースには上がる、音楽ニュースは目を引きます!

この頃、ドラマーのミック・フリートウッドが、昔は恋仲で別れたが、音楽的パートナーとして緊張関係でも、名曲は創ったスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムの破綻した仲の戻したいとのコメントが、音楽ニュースで上がっていた。

 70年代ピーター・グリーン時フリートウッド・マックのブルースロックが、いちばんロックの興味を持っていた時期に、軽いPOPになりがやってと思った16歳のおこちゃまでしたが、スティーヴィーとリンジー期になって、万人に人気がでた別次元になったフリートウッド・マック。


 


セイ・ユー・ウィル


 


歳へて、今では流しで、よく聴いているスティーヴィーとリンジー期のフリートウッド・マック。メロディアス、もうひとりコンポーザー兼シンガーのクリスティン・マクヴィーの曲も好みで、お気に入りに好きなバンド、紆余曲折ありましたが、もう50年ちかく聴いている。

その年月があっても、今でも、こじれてたスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガム、爺婆になっても、お互いに歩み寄りもできないほど、事があったのかな~と。

スティーヴィー・ニックスの70年代末から80年代にかけて男性ミュージシャン達との恋仲それも凄まじいもの下世話なニュースで信じきった時期もあったけど、たぶんそれだけでない、権利関係やマネジメントの問題と思う。

アルバムは03年『Say You Will:セイ・ユー・ウィル』は、スタジオアルバムとして最新で最後のアルバムと思うけど、20年前。

この時はクリスティン・マクヴィーが脱退していて、ゲスト・ミュージシャン扱いのようで、楽曲の主力はスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガム。アルバムジェケは、二人のフォーカスのデザイン、ここまでは、間柄は保っていたのか?

今回流しでなく、本気で聴いたら、70年代POPロックへのノスタルジックであると思うが、愁いあり、バラエティーで、やっぱり才はある。クリスティン・マクヴィーの曲が無いのは、ちと寂しいですが。

この後、新作はなく、ライブ盤、ベスト盤と、ビジネスよりの展開。この後も出るのか?

リンジー・バッキンガム作が「Peacekeeper:ピースキーパー」は平和、調停者が訳。同じアルバムに、スティーヴィー・ニックス作の「Thrown Down:スローン・ダウン」は、捨てる、投げ捨てるの意味。いつの世も女性の一刀両断は、男性は恐怖を感じる、奥方に捨てられないよう頑張ろう(笑)

と云うことでおまけは同アルバムから、その「Thrown Down:スローン・ダウン」で

Fleetwood mac -Thrown Down




























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The English Beat – Save It For Later

ビートの「Save It For Later:セイヴ・イット・フォー・レイター」で、アルバムは82年『Special Beat Service』ですね。
正式には、 The English Beat :ジ イングリッシュ ビートですが、ビートで覚えていました。

アメリカデビューで、米に同名バンドはいたため、 English とつけたようですが、忘れていたでなく、当時もビートの表記があったと思うけど、こちらは自信なし。

 尽きないニュー・ウェイヴですが、80年代に入る頃から、ポリスで覚えたホワイト・レゲエでなく、スカというモノも出始めで、スペシャルズ、ザ・セレクター、マッドネスあたりも知るのですが…

ビートルズの「オブラディオブラダ」のカリプソ連想で、ファニー感があんまり好みでは、なかったのですが、TVCMで使われたり、ディスコでもかかったりと注目ありましたね。


 


Special Beat Service


 


 その中で、ビートがいちばん洗練された曲風、好みの曲風が聴きやすかったかも、80年1st『I Just Can't Stop It』から、脳天気なノリばかりでなく、小気味いい洒落たカンジで、聴けた。

この頃、勉強皆無の大学生、輸入盤の店も覚え、レコードもいろいろ目につくようになってましたが、しがない下宿学生は、なかなか買えず、お金持ちの先輩によく入り込んで聴きました。ここらへんは、高校生頃と変わなかった(笑)

他3バンドもスカのノリでなく、いろいろなバリエーションの曲風もあるのですが、その中ビートは気になったワケは、今回判ったのですが、売れなかったけど、このビートの主メンバーとデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズとメンバーと組んだりが、あったようです。

明るめバンドでも、メロディアス系譜につながり音がやっぱり好きなようです。

と云うことでおまけも同アルバムから

The Beat - I Confesst































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