Boston – Boston (Full Album)
今日は、Bostonが聴いてみたかったので取り上げました
「More Than a Feeling」何度聴いてもイイ曲で大好きです
Boston
作詞 / 作曲
Tom Scholz
ボストン(Boston)は、アメリカ合衆国出身のロック・バンドです
以下、Wikipediaより引用いたします
1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード(スタジアム・ロック)」の代表的グループの一つとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの一面を持つ。
デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している。
活動期間 1976年 -
最近の活動
2013年、11年ぶりの6thアルバム『ライフ、ラブ&ホープ』を発表
2014年、35年ぶりの来日公演を開催
メンバー
現ラインナップ
トム・ショルツ (Tom Scholz) -
全楽器、ボーカル (1976年- ) ライブでは主にギター/キーボード等を担当
ギャリー・ピール (Gary Pihl)
ギター、キーボード (1985年- )
トミー・デカーロ (Tommy DeCarlo)
リードボーカル、キーボード (2008年- )
トレーシー・フェリー (Tracy Ferrie)
ベース (2012年- )
ジェフ・ニール (Jeff Neal)
ドラムス (2002年- )
ベス・コーエン (Beth Cohen)
キーボード、ギター (2002年、2012年、2015年- ) 女性プレイヤー
アルバム
『幻想飛行』 - Boston (1976年) ※全米3位 2000万枚
『ドント・ルック・バック』 - Don't Look Back (1978年) ※全米1位 800万枚
『サード・ステージ』 - Third Stage (1986年) ※全米1位 400万枚
『ウォーク・オン』 - Walk On (1994年) ※全米7位 100万枚
『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1997年) ※全米47位 200万枚
『コーポレイト・アメリカ』 - Corporate America (2002年) ※全米42位 50万枚
『ライフ、ラブ&ホープ』 - Life, Love & Hope (2013年)
※注:順位はビルボード・アルバムチャート
売上枚数はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数です
「More Than a Feeling」何度聴いてもイイ曲で大好きです
Boston
作詞 / 作曲
Tom Scholz
ボストン(Boston)は、アメリカ合衆国出身のロック・バンドです
以下、Wikipediaより引用いたします
1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード(スタジアム・ロック)」の代表的グループの一つとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの一面を持つ。
デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している。
活動期間 1976年 -
最近の活動
2013年、11年ぶりの6thアルバム『ライフ、ラブ&ホープ』を発表
2014年、35年ぶりの来日公演を開催
メンバー
現ラインナップ
トム・ショルツ (Tom Scholz) -
全楽器、ボーカル (1976年- ) ライブでは主にギター/キーボード等を担当
ギャリー・ピール (Gary Pihl)
ギター、キーボード (1985年- )
トミー・デカーロ (Tommy DeCarlo)
リードボーカル、キーボード (2008年- )
トレーシー・フェリー (Tracy Ferrie)
ベース (2012年- )
ジェフ・ニール (Jeff Neal)
ドラムス (2002年- )
ベス・コーエン (Beth Cohen)
キーボード、ギター (2002年、2012年、2015年- ) 女性プレイヤー
アルバム
『幻想飛行』 - Boston (1976年) ※全米3位 2000万枚
『ドント・ルック・バック』 - Don't Look Back (1978年) ※全米1位 800万枚
『サード・ステージ』 - Third Stage (1986年) ※全米1位 400万枚
『ウォーク・オン』 - Walk On (1994年) ※全米7位 100万枚
『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1997年) ※全米47位 200万枚
『コーポレイト・アメリカ』 - Corporate America (2002年) ※全米42位 50万枚
『ライフ、ラブ&ホープ』 - Life, Love & Hope (2013年)
※注:順位はビルボード・アルバムチャート
売上枚数はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数です
Randy California – Downer
ランディ・カリフォルニアの「Downer」で、アルバムは1972年・ソロ1st『Kapt. Kopter And The (Fabulous) Twirly Birds:Kapt、コプターと(素晴らしい)ツイリーバード』と訳してみましたが(笑)
60年代後期から活躍のアメリカのサイケデリックロックバンドのスピリットのギターリストのランディ・カリフォルニアのソロ。
けっこうアバンギャルドなパワーで、これこそサイケデリック・ハードロックと言いたい。
スピリットのランディ・カリフォルニア作の68年「Taurus:トーラス」がZEPの71年「天国への階段」の元ネタとして、裁判になっていましたが、米連保最高裁で2020年敗訴。
話題になった時、ZEPもパクり、もとい、参照あるんだと……
リッチーブラックモアがいけない、YouTubeでいらんことに、曲の元ネタ披露みたいな事していたので大御所もそれなりに、曲作りには、参照があるのかなと。簡単にバレバレになるような元ネタで(笑)
でも、ここらへんは時代の潮流かなと「トーラス」で、「天国への階段」全部には無理があるなと、イントロ争いだったようですが。

今回ウィキで確認したら、ランディ・カリフォルニア97年没で、訴えは2016年に遺産管理人が訴訟だったようで、曲のオリジナル争いより、お金の為?流石、訴訟天国アメリカ。
で、本日の本題(笑) ランディ・カリフォルニアのソロは、スピリットの曲より、時代を映し出す、サイケな曲、少し遅れ気味と思うけど、ハードロック風でもあり楽しめる。
本人ランディ・カリフォルニアはジミヘンに教わり、バンドの一員だったようで、このアルバムのファズ ギターが効きすぎ、ゆるせる時代だねぇと一人納得でした。
ソロ『Kapt. Kopter And The (Fabulous) Twirly Birds』はワイルドな自由奔放でサイケなハードロックでした。
と云うことで聴くと疲れますが捨て曲なし、好きな曲で
Randy California-Things yet to come


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60年代後期から活躍のアメリカのサイケデリックロックバンドのスピリットのギターリストのランディ・カリフォルニアのソロ。
けっこうアバンギャルドなパワーで、これこそサイケデリック・ハードロックと言いたい。
スピリットのランディ・カリフォルニア作の68年「Taurus:トーラス」がZEPの71年「天国への階段」の元ネタとして、裁判になっていましたが、米連保最高裁で2020年敗訴。
話題になった時、ZEPもパクり、もとい、参照あるんだと……
リッチーブラックモアがいけない、YouTubeでいらんことに、曲の元ネタ披露みたいな事していたので大御所もそれなりに、曲作りには、参照があるのかなと。簡単にバレバレになるような元ネタで(笑)
でも、ここらへんは時代の潮流かなと「トーラス」で、「天国への階段」全部には無理があるなと、イントロ争いだったようですが。

今回ウィキで確認したら、ランディ・カリフォルニア97年没で、訴えは2016年に遺産管理人が訴訟だったようで、曲のオリジナル争いより、お金の為?流石、訴訟天国アメリカ。
で、本日の本題(笑) ランディ・カリフォルニアのソロは、スピリットの曲より、時代を映し出す、サイケな曲、少し遅れ気味と思うけど、ハードロック風でもあり楽しめる。
本人ランディ・カリフォルニアはジミヘンに教わり、バンドの一員だったようで、このアルバムのファズ ギターが効きすぎ、ゆるせる時代だねぇと一人納得でした。
ソロ『Kapt. Kopter And The (Fabulous) Twirly Birds』はワイルドな自由奔放でサイケなハードロックでした。
と云うことで聴くと疲れますが捨て曲なし、好きな曲で
Randy California-Things yet to come
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ボストンの創始者トム・ショルツ

ボストン(Boston)の創始者トム・ショルツ(Tom Scholz)は、バンドのデビュー・アルバム『Boston(邦題:幻想飛行)』の発売45周年を記念して、Apple Musicの番組『Rock Classics Radio with Jenn』に出演。「Foreplay」がボストンにとって初めて完成した楽曲であることや、「More Than A Feeling」がロック史の中でどれほどインパクトのある曲なのかを気づくのに40年かかったことについて語っています。
■「Foreplay」はボストンにとって初めて完成した楽曲であることについて
「その通りだよ。これはインストゥルメンタルなので歌はないけど、1969年(※22歳頃。マサチューセッツ工科大学在学中)に書いたものだよ。
Wurlitzerのエレクトリック・ピアノで書いたんだ。Wurlitzerのエレクトリック・ピアノを知らない人のために説明すると、実際には中に奇妙な小さな振動するリードが入っていて、すべて電気的な機械だったんだ。だから、演奏するときには、本物のピアノのように鍵盤を激しく叩くことになる。電子キーボードではなかったんだ。
僕の家は住んでいたアパートの4階にあったんだけど、宿題が終わって少しでも時間が残っていると、エレクトリック・ピアノを夢中になって演奏していた。その中に、この“Foreplay”という曲があった。宿題が終わった後、夜遅くまでやっていた。夜中の12時くらいに、この曲を叩いていた。床はフローリングで、アパートの下の階に住んでいた3人の女の子の部屋の天井と直接つながっているとは知らなかった。あの子たちは僕を嫌っていたんだろう、誰も文句を言わなかった。僕が2年後にアパートを出るとき、彼女たちは“毎晩、あなたがピアノを弾いているのを聴いていたわ”と言った。彼女たちは最高だった。神に感謝します。(もしも文句を言われていたら)僕は立ち止まっていたかもしれないから。今でも、あのピアノは僕のお気に入りの曲のひとつ。そしてありがたいことに、一度も練習しなくても覚えているものの一つなんだ」
■ボストンの「More Than A Feeling」の衝撃に気づくのに40年もかかったことについて
「人々がこの曲に夢中になるとはあまり思っていなかった。僕は6年ほど前から、素材を作ったり、スタジオを作ったり、音楽機材を作るための機器を設計したり、必要な音を作ったりと、本当に苦しい作業をしていた。その間、僕はいつもみんなに拒絶されていた。ポジティブなサポートはほとんどなかった。
好きなドラマーがいて、一緒にジャムをしたり、アイデアを出し合ったりすることはあったけど、それ以外には誰もいなくて、誰からも励ましてもらえなかった。だから、“More Than a Feeling”の最初のレコーディングをしているときは、誰も気に入ってくれないだろうと思っていた。その時には、このプロジェクトを始めてから6年ほど経っていた。僕の目標は、地元のラジオ局で曲を数回流してもらい、地元でバンドを組んでギターを弾くことで、人々に曲を知ってもらいたいということだった。
その後、“More Than A Feeling”が入った最後のデモを送った。これが最後のデモだと思って送ったんだ。それが完成したら、機材を整理しようと思っていた。僕はもうすぐ30歳になろうとしていたけど、基本的にすべての時間とお金をこの仕事に費やしていた。だから、そろそろ他のことをするべきだと思ったんだ。だから、皆がここまで気にしてくれるとは思っていなかった。
この曲が随所で耳にすることに衝撃を受けたよ。つまり、ロックを聴かない人でも、この曲を知っているということだよね。気が付いたのはいつ頃からかと言われると、本当にそうなんだけど、40年くらい後かな」
amassより写真と全文を引用いたしました
ご視聴ありがとうございました
日清・日露戦争ー帝国主義への道
まず自国のことを知りたいという気持ちが強くて、時々勉強しています
自分たちが生まれる前の日本はどんな国だったのかが気になりませんか
私は日清戦争や韓国のことを詳しく知りませんでした
今まで、学生時代に教科書で習った程度の知識でした
日本って恐ろしい国だったんですね
当時の日本国民は戦争による貧困に苦しんでいたこと
「国の為に戦うは子供の名誉である」と学校で教えていたこと
武器製造の為に八幡製鉄所が建てられたこと
もし、このまま変わっていなかったら、今の平和はなかったでしょう
以下、Wikipediaより引用いたします
帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism)またはインペリアリズム
一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。
日清戦争(にっしんせんそう)
1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。
なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。
李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で両国は交戦し、日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。また、講和条約の会議に出席したのは陸奥宗光外相と伊藤博文首相である。
講和条約の中で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、また巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになった。戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、支払われた賠償金の大部分は軍備拡張費用、軍事費となった。
━─━─━─━─━━─━─━─━─━─━─━
NPO法人科学映像館より引用いたします
製作:東映教育映画部
カラー(一部白黒) 19分27秒 主として写真と絵画による映像作品
アジアの植民地を狙う列強諸国の利害が対立する時代、近代的な国家づくりと朝鮮支配をめぐる2度の戦争によって国際的地位を向上させた明治の日本の姿を描く。
スタッフ
製作:布村建/松本寿夫
脚本/演出:米内義人
自分たちが生まれる前の日本はどんな国だったのかが気になりませんか
私は日清戦争や韓国のことを詳しく知りませんでした
今まで、学生時代に教科書で習った程度の知識でした
日本って恐ろしい国だったんですね
当時の日本国民は戦争による貧困に苦しんでいたこと
「国の為に戦うは子供の名誉である」と学校で教えていたこと
武器製造の為に八幡製鉄所が建てられたこと
もし、このまま変わっていなかったら、今の平和はなかったでしょう
以下、Wikipediaより引用いたします
帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism)またはインペリアリズム
一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。
日清戦争(にっしんせんそう)
1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。
なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。
李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で両国は交戦し、日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。また、講和条約の会議に出席したのは陸奥宗光外相と伊藤博文首相である。
講和条約の中で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、また巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになった。戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、支払われた賠償金の大部分は軍備拡張費用、軍事費となった。
━─━─━─━─━━─━─━─━─━─━─━
NPO法人科学映像館より引用いたします
製作:東映教育映画部
カラー(一部白黒) 19分27秒 主として写真と絵画による映像作品
アジアの植民地を狙う列強諸国の利害が対立する時代、近代的な国家づくりと朝鮮支配をめぐる2度の戦争によって国際的地位を向上させた明治の日本の姿を描く。
スタッフ
製作:布村建/松本寿夫
脚本/演出:米内義人
Red Hot Chili Peppers – Otherside
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「Otherside:アザーサイド」で、アルバムは99年『Californication:カリフォルニケイション』ですね。
このブログは 当日浮かんだ曲、下書き無し、書き溜め無し、で書くのですが、誤字脱字、てにはを 間違いも多く、時たま指摘をなされる方もおられますがご了承を(笑)
レッチリは80年代から聴いていてメジャー前から興味がありました。90年初海外研修でNY訪問した時には、レコード店正確にはCD店の一押しがレッチリで、これはけっこう驚き。これからのロックバンドは、アメリカのレッチリなの??? と覚えてます。
90年代以降のロックには疎く、ブリティッシュ系がオアシス、ブラー、レディオヘッド、もうPOPですがコールドプレイそれなりに聴きましたが、ロック系強しバンドは、ニルヴァーナ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッチリも含めアメリカ方と強く感じました。
さらにレッチリ、80年代末ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスの加入で俄然聴きやすくなっていった。

2015年に心筋梗塞で死線でしたが、その時浮かんでいた曲、アルバムがなんとレッチリの『Californication:カリフォルニケイション』で、いまだに何故と思う。どこで刷り込まれ洗脳されたと思う(笑)まあ好きなアルバムなんでしょうが。
このアルバムの持つの不思議な魅力、小生のように、古いロック好きでさえ、面白なファンク・ハードロック風、メロ追いを納得させてしまう寂寥感ありのバラード、かなと…
シンプルには激しくともメロなアルバムかなと、ヒップホップには耐性なしですが、これも聴ける流せる。
ハードでファンクでなんでもありで面白いバンドが、ギターのジョン・フルシアンテが加入してから寂しいメロディアスが加わったようなカンジになりましたね。ソロには根暗なアルバムがありました。
この『Californication:カリフォルニケイション』は一度抜けたジョン・フルシアンテが復活のアルバムですが、バラエティで正に捨て曲なし、通しで聴けるアルバム、小生では珍しいの近作、それでも22年前の作品(笑)
と云うことで同アルバムから、これも好きな曲で
Red Hot Chili Peppers - Easily


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このブログは 当日浮かんだ曲、下書き無し、書き溜め無し、で書くのですが、誤字脱字、てにはを 間違いも多く、時たま指摘をなされる方もおられますがご了承を(笑)
レッチリは80年代から聴いていてメジャー前から興味がありました。90年初海外研修でNY訪問した時には、レコード店正確にはCD店の一押しがレッチリで、これはけっこう驚き。これからのロックバンドは、アメリカのレッチリなの??? と覚えてます。
90年代以降のロックには疎く、ブリティッシュ系がオアシス、ブラー、レディオヘッド、もうPOPですがコールドプレイそれなりに聴きましたが、ロック系強しバンドは、ニルヴァーナ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッチリも含めアメリカ方と強く感じました。
さらにレッチリ、80年代末ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスの加入で俄然聴きやすくなっていった。

2015年に心筋梗塞で死線でしたが、その時浮かんでいた曲、アルバムがなんとレッチリの『Californication:カリフォルニケイション』で、いまだに何故と思う。どこで刷り込まれ洗脳されたと思う(笑)まあ好きなアルバムなんでしょうが。
このアルバムの持つの不思議な魅力、小生のように、古いロック好きでさえ、面白なファンク・ハードロック風、メロ追いを納得させてしまう寂寥感ありのバラード、かなと…
シンプルには激しくともメロなアルバムかなと、ヒップホップには耐性なしですが、これも聴ける流せる。
ハードでファンクでなんでもありで面白いバンドが、ギターのジョン・フルシアンテが加入してから寂しいメロディアスが加わったようなカンジになりましたね。ソロには根暗なアルバムがありました。
この『Californication:カリフォルニケイション』は一度抜けたジョン・フルシアンテが復活のアルバムですが、バラエティで正に捨て曲なし、通しで聴けるアルバム、小生では珍しいの近作、それでも22年前の作品(笑)
と云うことで同アルバムから、これも好きな曲で
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The Lords of the New Church – Russian Roulette
ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチの「Russian Roulette:ロシアンルーレット」で、アルバムは82年・1stバンド名の『The Lords of the New Church 』ですね。
NYパンクのデッド・ボーイズはセックス・ピストルズ同様に短命ですが、小生的に大好き。
デッド・ボーイズの存在を知ったのは上京して80年代になってから、その中心メンバーのボーカル、スティーブ・ベイターがUKとの交流!
ロンドンパンクのダムド初期のギタリストのブライアン・ジェイムス、シャム69のベースのデイヴ・トレガンナ、ドラムはレインコーツ・バラクーダズのニックターナーとバンドを組んだが、ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチ。
一応、英米混合パンク・バンド、グンバツに売れ筋の元バンドではありませんが、そもそもパンクはメインストリームでなく、カウンターソングですから、パンク好きにはヘビィな存在感。

小生が気がついたのは、デビューより少し遅れて84年、その頃社会人になるのですが、映画会社に入ったのに他部門に配属、自暴自棄に…夜中夜中、新宿夜遊び徘徊、クラブでローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチを知るわけで…
レコード、輸入盤を探しに六本木に。でも今は手元に無い(笑)この頃、アパートの部屋鍵かけず、近所の高校生・大学生のたまり場。
本人は家にも帰らない遊ぼうほうけて、最後は肺炎で医者に入院しないと「死ぬ」と言われ、その場で緊急入院させられた頃。
このバンド、懐かしいのと、やるせないセンチが交錯する、いまだに。
NYのニューヨークドルーズのジョニー・サンダースのソロアルバム『ソー・アローン』もロンドン録音でUK系ミュージシャン達のヘルプありでしたが、NYミュージシャンとUKと交わるといい塩梅にロック、パンクする。
この『The Lords of the New Church 』アルバムは小生にとって、捨て曲なし。この次作83年『Is Nothing Sacred? 』は幾分POP化、ダンスミュージックでも好きでしたが。
やっぱり1stが鮮烈です!!
と云うわけでおまけは同アルバムの曲で
The Lords of the New Church - New Church


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NYパンクのデッド・ボーイズはセックス・ピストルズ同様に短命ですが、小生的に大好き。
デッド・ボーイズの存在を知ったのは上京して80年代になってから、その中心メンバーのボーカル、スティーブ・ベイターがUKとの交流!
ロンドンパンクのダムド初期のギタリストのブライアン・ジェイムス、シャム69のベースのデイヴ・トレガンナ、ドラムはレインコーツ・バラクーダズのニックターナーとバンドを組んだが、ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチ。
一応、英米混合パンク・バンド、グンバツに売れ筋の元バンドではありませんが、そもそもパンクはメインストリームでなく、カウンターソングですから、パンク好きにはヘビィな存在感。

小生が気がついたのは、デビューより少し遅れて84年、その頃社会人になるのですが、映画会社に入ったのに他部門に配属、自暴自棄に…夜中夜中、新宿夜遊び徘徊、クラブでローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチを知るわけで…
レコード、輸入盤を探しに六本木に。でも今は手元に無い(笑)この頃、アパートの部屋鍵かけず、近所の高校生・大学生のたまり場。
本人は家にも帰らない遊ぼうほうけて、最後は肺炎で医者に入院しないと「死ぬ」と言われ、その場で緊急入院させられた頃。
このバンド、懐かしいのと、やるせないセンチが交錯する、いまだに。
NYのニューヨークドルーズのジョニー・サンダースのソロアルバム『ソー・アローン』もロンドン録音でUK系ミュージシャン達のヘルプありでしたが、NYミュージシャンとUKと交わるといい塩梅にロック、パンクする。
この『The Lords of the New Church 』アルバムは小生にとって、捨て曲なし。この次作83年『Is Nothing Sacred? 』は幾分POP化、ダンスミュージックでも好きでしたが。
やっぱり1stが鮮烈です!!
と云うわけでおまけは同アルバムの曲で
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映画『Les Miserables』

『レ・ミゼラブル』(原題: Les Misérables)は、2012年12月21日公開の、イギリス・アメリカ合作のミュージカル映画です
ヴィクトル・ユゴーの同名小説を原作として1980年代にロンドンで上演され、以後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていた同名のミュージカルの映画化された作品です
(小説を基にしてできたミュージカル版。そのため、映画のストーリーは下記の小説版「あらすじ」とは細部で異なっています)

パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは、仮出獄後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受けて改心する。
やがて運命的な出会いを果たした女性ファンテーヌから愛娘コゼットを託されたバルジャンは、執念深いジャベール警部の追跡を逃れ、パリへ。
バルジャンとコゼットは親子として暮らすが、やがて激動の時代の波に飲まれていく。第85回アカデミー賞でアン・ハサウェイが助演女優賞に輝いた名作です。
2012年製作/158分/G/イギリス
出演者
ヒュー・ジャックマン
ラッセル・クロウ
アン・ハサウェイ
アマンダ・サイフリッド
エディ・レッドメイン
ヘレナ・ボナム=カーター
サシャ・バロン・コーエン
アーロン・トヴェイト

「Do You Hear the People Sing?」

「2012 Les Miserables Soundtrack」
0:07 Look Down
3:22 The Bishop
4:57 Valjean's Soliloquy
8:16 At the End of the Day
12:41 The Docks (Lovley Ladies)
16:39 I Dreamed a Dream
21:08 Fantine's Arrest
23:07 Who Am I?
25:42 Fantine's Death
28:34 The Confrontation
30:29 Castle on a Cloud
31:40 Master of the House
36:28 The Bargain
39:53 Suddenly
42:20 The Convent
43:14 Stars
46:00 Paris/Look Down
49:12 The Robbery
52:02 ABC Cafe/Red and Black
56:22 In My Life
1:00:36 A Heart Full of Love
1:02:35 On My Own
1:05:47 One Day More
1:09:23 Do You Hear the People Sing
以下、『映画 ひとっとび』より抜粋して引用いたします
ミュージカルの原作はフランスのロマン主義作家ヴィクトル・ユゴーが1862年に執筆した「ああ無情」です。原題「Les Misérables」の意味は「悲惨な人々」や「哀れな人々」という意味。たった一本のパンを盗んだために19年間も牢獄で生活することになってしまったジャン・バルジャンの話です。
物語は1815年から1833年の18年間のフランスを舞台に、当時の社会情勢や人々の暮らしなどを非常に細かく描写しています。
『レ・ミゼラブル』の舞台は、今から2世紀程遡ります。
フランスは、それまで主流だった絶対王政に反発する形で起きた1789年のフランス革命がきっかけで、近代国家の道を歩み始めます。1804年、王に変わる形でナポレオン1世が皇帝に即位しますが、約10年ほどで失脚しブルボン家が王に復位。レ・ミゼラブルの話が始まるのはこの後の1815年、ナポレオン1世が再び皇帝に即位するところからです。その後ワーテルローの戦いで再び失脚し、ルイ18世が王に復位してしまうんですけどね。
1824年、そのルイ18世が亡くなり、シャルル10世の復古王政が始まります。そして1830年に、シャルル10世の専制君主政治に反対した学生や労働階級たちが自由主義を唱え、パリにバリケードを建てた”7月革命”が起こります。ここが今作のクライマックスだと言われています!
その後、7月革命で中心となった反政府派がルーブル宮殿を襲撃し、シャルル10世はイギリスに亡命。1814年から亡命していたルイ・フィリップが帰国し、”自由主義”と”立憲君主制”を採用して、7月王政が始まりました。
この作品を通して作者ヴィクトル・ユゴーが伝えたかったのは、映画のキャッチコピーにもなっている「愛とは、生きる力」だということです。
このことはコゼットを思うバルジャンの心境によく表れています。ファンティーヌからコゼットを託された時、彼の人生の目的が”コゼットを愛し、守り続けること”に代わり、そして自分と同じようにコゼットを愛するマリウスが現れると自らの任務を全うしたかのように、この世を去るんです。元は罪人だったバルジャンですが、コゼットへ愛を注ぎ続けたことで、ファンティーヌに導かれながら天国へと旅立ったのではないでしょうか。
また、映画のキャッチコピーとは別にメインになっているのは、もう1つのテーマとも言える「許し」です。
バルジャンが真っ当に生きると決意するきっかけとなったのは、バルジャンが銀食器を盗んだ時に司教がそのことを許したから。そこでバルジャンは改心し、温厚な性格で知られる市長として人々を助けることになったのです。
ご視聴ありがとうございました