ブルース・ディッキンソンが語る、ポール・ディアノ時代

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ブルース・ディッキンソン、自身が加入する前 ポール・ディアノ時代のアイアン・メイデンについて語る     
amass
2021/09/16 18:26掲載より全文を引用しています

アイアン・メイデン(Iron Maiden)のブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)は、自身が加入する前、ポール・ディアノ(Paul Di'Anno)がヴォーカルを担当していた頃のアイアン・メイデンについて語っています。

『The Eddie Trunk Podcast』のインタビューの中で、「自分が参加していない最初の2枚のアルバムの曲を歌うのは好きですか? ディアノの曲を歌うのは好きですか?」という質問に対して、ディッキンソンは次のように答えています。

「ああ、それらのアルバムには本当に好きなものがあるよ。“Prodigal Son”は最高だよ。初期のメイデンに影響を与えたジェスロ・タルのようなものを聴きたいなら、それと、“Killers”という曲と、“Murders in the Rue Morgue”だね。

とにかく素晴らしい、最高だよ。これらの曲は、俺がサムソン(メイデンの前に所属していたバンド)にいたときに、メイデンのライヴで初めて聴いた曲だ。

メイデンを初めて見た夜のことを覚えているよ。俺たちは大きなクラブでヘッドライナーを務めていて、メイデンは特別ゲストのようなものだった。それで“じゃあ、後ろの方に立って、彼らをチェックしてみようかな”と思ったんだ。

観客は200〜300人くらいだったんだけど、メイデンが登場する10分くらい前に500人くらいの人がドアから入ってきて、動けないくらいの大混雑になったんだ。そして彼らが登場し、“Killers”と“Murders in the Rue Morgue”を演奏したときには“やばい!”と思ったよ。

それまでは、ディープ・パープルの全盛期などを見たことがなかったので、彼らが何をしたのか想像するなかった。実際のところ、彼らは何もしていなくて、リッチー(ブラックモア、ギター)以外は立ち尽くしていたんだ。

でもメイデンは、俺の頭の中で彼らがやっていたであろうことを実際にやっていて、それと同じレベルの興奮があったんだ。俺は“わあ、すごいな。神よ、俺はこのバンドで歌いたい!”と思ったよ。

セットが終わったら500人のお客さんが全員帰ってしまい、俺は“ああ、そうか、半分になったホールに行くことになるのか。うーん、それは考えものだな......”と思ったよ」











ご視聴ありがとうございました
写真は無料写真からお借り致しました

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