地下鉄サリン事件、オウム真理教一連事件

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風化させてはいけない事件なので投稿いたしました
今日は26年前、地下鉄サリン事件が起きた日です

私は超常現象などは信じていないので、こういう境地は理解できません
若者達はどうしてこんな愚かな事に陥ってしまったのでしょう

こんないかさまを真剣に信じていたのでしょうか
彼等は何を獲得したかったのでしょう
彼等は自分自身を信じることすら出来なかったのでしょうか


■ 【「空中浮揚」をうまく活用】の文章を引用します
辻田 真佐憲
文筆家
近現代史研究者
2018.07.19

そもそも教祖の麻原彰晃は、希代のプロパガンディストだった。

麻原は、1984年にオウム真理教の前身にあたるオウム神仙の会を設立した。そのころより、かれはメディアを強く意識していた。

当時、「ノストラダムスの大予言」のような終末思想や、ユリ・ゲラーのような超能力者が世間を騒がしていた。麻原はそこに着目し、1985年、オカルト雑誌の双璧だった『ムー』と『トワイライトゾーン』への寄稿を開始。みずからの「空中浮揚」の写真を掲載するなどして、会員の獲得に努めた。

『トワイライトゾーン』については、毎号のように広告を出して、連載枠を獲得したという(高山文彦『麻原彰晃の誕生』)。

麻原の活動はとどまるところを知らない。1986年には、週刊誌の『プレイボーイ』にみずからの「空中浮揚」の写真を掲載させることにも成功した。

これは、蓮華座を組んだ麻原が飛び跳ねているのを、カメラマンがそれらしく撮影したものにすぎなかった。ただ麻原は、外部のものによって自身の超能力が証明されたとして、この写真を全面的に利用した。

1987年に刊行された最初の著作『超能力「秘密の開発法」』はその象徴だった。麻原はその同書に『プレイボーイ』に掲載された写真を載せて、みずからの超能力を誇示したのである。

さらに麻原は、同年にはインドのダラムサラに飛んで、ダライ・ラマと接見。そのとき撮影したツーショット写真を本部道場のいたるところに貼らせた。自分は、ダライ・ラマともコネクションがあるという露骨なアピールだった。明らかに麻原は、写真の宣伝効果を知り尽くしていた。

こうしたメディア戦略が奏功して、オウム神仙の会は急成長した。同年半ばにオウム真理教に改称されたときには、会員数が1000人近くに上っていた。

できもしない「空中浮揚」を何度も利用している点からみても、麻原は当初から真摯な宗教者というより狡猾な宣伝マンだったことがわかる。




■ 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)は事件後、山梨県にあった教団施設の隠し部屋で発見されましたが、ANNはその際に撮影された未公表の写真を入手しています


■ オウム真理教事件(オウムしんりきょうじけん)とは・・・
1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした一連の事件の総称である。

オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本を乗っ取って、自らその王として君臨するという野望を抱き、それを現実化せんとする過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。世界史的に見ても、アルカーイダやISILによるテロを先取りした事件である。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。
教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」とされている。

■ 「オウム真理教 20年目の真実」
この映像は、年齢制限がございます



■ こちらは、「隠された謎に迫る!! 今夜明かされるオウム無差別殺人への道」
ザ・スーパーサンデー (1995年12月17日放送)
1時間51分です


もう一つ、私がとても無念に思うことです。
熊本県阿蘇郡波野村は、オウムが数千万円で取得した土地を9億2000万円で買い取ることで和解していたのです。

■ 松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する東京地裁判決によると、この年の2月にあった衆院選で松本死刑囚らが惨敗、4月ごろになって無差別大量殺人の実行を教団幹部らに宣言した。波野村への進出は、その直後だった。後に、波野村の施設で90年秋ごろから、毒ガス「ホスゲン」などの製造工場をつくろうとしていたことが明らかになる。

 実際、土地を入手した教団はすぐ、施設建設に着手した。最も近い場所に農地があった岩下浩徳さん(57)によると、大型トラックが行き来し始め、村が管理する道は勝手に広げられ、プレハブの建物がどんどん建っていった。

 村民は6月、「波野村を守る会」を結成。教団に建設計画の説明などを求めたが拒否された。古くからの住人が大半を占める人口約2千人の村は、次々と信徒がやってくる状況を前に、「住民票を移されたら村が乗っ取られて、『麻原村長』ができる」と混乱に陥った。

 8月には、計約400人の信徒と村民がもみ合いになり、十数人のけが人が出る事態も起きた。村は、約450人の転入届の受理を拒み続けたが、教団に訴訟を起こされ敗訴。94年夏、村が教団に9億2千万円を払うことで、教団は土地を明け渡すという内容で和解が成立した。村の年間予算の半分近い金額だった。

 守る会の幹部だった飛田祖久美(ひだそくみ)さん(83)には、「もっと額を抑えられなかったのか」という思いもある。それでも和解によって、村民に死者が出る前に教団は出て行った。飛田さんは「あの時はあれでしょうがなかった」と振り返る。

 死刑執行は「あれだけの罪をしている。間違いが二度と起こらない社会を実現するには、やむを得ない」。そう受け止める。教団施設の跡地はいま、荒れ地になったままだ。(後藤たづ子、福井悠介)2018.07.06朝日新聞より





私は、大勢の犠牲者を出したこの事件を忘れることはできません
そして、自分の事として考えずにはいられません
ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipediaより引用あり

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Linkin Park Live in Camden

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3月20日はチェスターの45回目の誕生日です
彼への感謝の気持ちと変わることのない愛を送ります

こちらは、リンキン・パーク・ライヴ映像
2014.08.15 ニュージャージー州カムデン


1. Guilty All The Same 1:40​
2. Given Up 7:38​
3. Points of Authority 11:10​
4. One Step Closer 14:22​
5. Blackout Instrumental 17:43​
6. Papercut 19:31​
7. Rebellion 21:48​
8. Runaway 25:38​
9. Wastelands 27:04​
10. Castle of Glass Experience 30:28​
11. LOATR/SOTD/Iridescent 34:51​
12. Robot Boy Instrumental 40:06​
13. Mr. Hahn Solo 42:05​
14. Burn It Down 44:20​
15. Until it Breaks/ Waiting for the End 48:15​
16. Final Masquerade 53:49​
17. Mike Shinoda Medley 57:53​
18. Numb/Encore: 1:00:28​
19. In the End 1:04:04​
20. Faint 1:07:35​

21. Lost in the Echo: 1:16:14​
22. New Divide 1:17:54​
23. Crawling 1:21:03​
24. Until It's Gone (With You rap) 1:23:15​
25. What I've Done 1:26:24​
26. Bleed It Out 1:30:13


ありがとう リンキン・パーク(^.^)
心からの尊敬と信頼をメンバー6人に感じています
パワフルで重低音、飽きることのない楽曲・・・大好きです

チェスターはいつもステージを全力で取り組んでいました
私もチェスターから愛を受け取ったひとりです

この約3年後、チェスターが居なくなるなんて誰もが想像していなかったことでしょう
当時、チェスターが突然に亡くなったことを"無責任だ"とネットに書いた人がいましたが、私には感謝しかありません
彼に贈る最後の言葉が「無責任」という一言だとしたら
悲し過ぎます

どんなに苦しくても、疲れていても、ファンの前では彼は常に精一杯尽くしていました
私達は彼から多くのものを貰ったのです
このことに感謝しています
私は何百回でも記事を書き続けて、この感謝の気持ちをチェスターに伝えます

「無責任」と書いた人も10年後、20年後にチェスターの偉大さに気付く時が来るでしょう


ご視聴ありがとうございましたm(__)m

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