2021 LIVE INFORMATION 2021年06月12日(土) 兵庫県・神戸市, LiveHouse CASHBOX 【2020/3/20,7/11からの振替公演】YASUHIRO SUZUKI SOLO LIVE 2021@神戸,LiveHouse CASHBOX 2021年06月13日(日) 大阪府・大阪市, Soap opera classics-Umeda- 【2020/11/21からの振替公演】YASUHIRO SUZUKI SOLO LIVE 2021@大阪,Soap opera classics-Umeda- 2021年06月20日(日) 東京都・千代田区, TOKYO FM HALL あじさい2021 ~KAMAKURA NOSTALGIE~@TOKYO FM HALL 2021年06月27日(日) 神奈川県・横浜市, 神奈川県民ホール 小ホール 【1/30からの振替公演】YASUHIRO SUZUKI SOLO LIVE 2021@神奈川県民ホール(小ホール)
前作『We are』のアルバムタイトルとつなげて“We are over”(我々は終わりだ)と読めることから、暗に解散を伝えるメッセージだという噂が広まったが、小田和正は当時のインタビューで「自らを“超えて”いくことを“over”のタイトルに込めた」と答えていた。しかし、この時鈴木康博がグループを離れることが既に決まっており、小田は、鈴木のいないオフコースを続けることはできないという気持ちを強く持っていたことから、実際に解散も考慮されていた。
1982年の武道館でのコンサートの際、「言葉にできない」が演奏されたとき、バックのスクリーンに“We are over”というメッセージが投影された。
Manager KAZUHIKO HISHIZAWA・HIROSHI UENO KAZUTOYO KOUCHI・KANAME TOGASHI Assistant FUMITO YANAI Recorded at FREEDOM STUDIO 1 & 2 from Sept.12 to Oct.26 Remixed at CHEROKEE STUDIO from Oct.27 to Oct.31 Cutting at THE MASTERING LAB
小田和正のファンクラブでもあるFAR EAST CLUBが監修、TOKYO FM出版が出している「地球音楽ライブラリー・小田和正」によると、80年の年末に鈴木康博が「抜けたい」と打ち明けた時、「オフコースとは別の場所で自分の音楽の可能性を試したい」と言ったのだそうだ。更に、「でも僕が抜けた後も4人で続けていって欲しい」と希望したともある。小田和正は、その後の雑誌のインタビューなどでもその時のことを「悲しかった」と短く述懐している。ただ、彼は、このアルバムのレコーディングに入るときには、解散を決めていたと言う。
照明・音響・映像、そしてエンジニア。信頼できるチームを整えていく。このアルバムからTOTOやボズ・スキャッグスを手がけていたロサンジェルスのエンジニア、ビル・シュネーと組んだ。小田和正と同い年である。海外レコーディング自体が特別だった時代だ。エンジニアを特定し、トラックダウンのためだけに行くという、今でこそ当たり前になった方法の先例となったのがこのアルバムでもある。 より濃密なバンドサウンド。ジャケットには全員の名前だけがプリントされている。ロックバンドがステージで“We are …”と自己紹介するあのフレーズ。作詞・作曲のクレジットにも全員の名前があるのもそんなアピールだろう。 「一億の夜を越えて」の作詞、安部光俊は、当時交流のあったシンガー&ソングライター。(田家秀樹さんの解説より抜粋して引用しております)
リリース 1980年11月21日 録音 1980年8月21日 - 9月28日 FREEDOM STUDIO 1 & 2 1980年10月1日 DAVLIN STUDIO (Saxophone & Steelguitar)
クレジット Produced by OFF COURSE Arranged by OFF COURSE
Keyboards KAZUMASA ODA Guitars YASUHIRO SUZUKI Electric Bass HITOSHI SHIMIZU Guitars & Harmonica KAZUHIKO MATSUO Drums & Percussion HITOSE “Jiro” OMA Strings TAMANO Strings Section Saxophone GARY HERBIG Steelguitar DOUG LIVINGSTON
Exectuive Producer TOSHIFUMI MUTOH (Assistant MASAHIKO INA) Recording Engineer SHIROH KIMURA (Sept-1) Mixing Engineer BILL SCHNEE (Assistant STEVEN FONTANO) Assistant Engineer SUSUMU MERA (FREEDOM STUDIO) Associate Engineer RYOJI HACHIYA Recorded at FREEDOM STUDIO 1&2 from Aug.21 to Sep.28 Saxophone & Steelguitar at DAVLIN STUDIO (Oct.1) Remixed at CHEROKEE STUDIO from Sep.29 to Oct.2 Cutting at THE MASTERING LAB (Oct 7,10)
General Manager KAZUHIKO NISHIZAWA Promotion Manager HIROSHI “MAJO” UENO Tour Manager KAZUTOYO KOUCHI Road Manager KANAME TOGASHI
Graphic Concept, Design HIROYUKI FUKUZATO Photography JIN “TAMJIN” TAMURA
オフコース(英語: OFF COURSE) 1967年から1989年まで活動した日本のバンド。1970年デビュー。「さよなら」や「Yes-No」などのヒットで知られ、1982年には日本武道館において連続10日間のコンサートを成功させています。
照明・音響・映像、そしてエンジニア。信頼できるチームを整えていく。このアルバムからTOTOやボズ・スキャッグスを手がけていたロサンジェルスのエンジニア、ビル・シュネーと組んだ。小田和正と同い年である。海外レコーディング自体が特別だった時代だ。エンジニアを特定し、トラックダウンのためだけに行くという、今でこそ当たり前になった方法の先例となったのがこのアルバムでもある。 より濃密なバンドサウンド。ジャケットには全員の名前だけがプリントされている。ロックバンドがステージで“We are …”と自己紹介するあのフレーズ。作詞・作曲のクレジットにも全員の名前があるのもそんなアピールだろう。 「一億の夜を越えて」の作詞、安部光俊は、当時交流のあったシンガー&ソングライター。(田家秀樹さんの解説より抜粋して引用しております)
リリース 1980年11月21日 録音 1980年8月21日 - 9月28日 FREEDOM STUDIO 1 & 2 1980年10月1日 DAVLIN STUDIO (Saxophone & Steelguitar)
クレジット Produced by OFF COURSE Arranged by OFF COURSE
Keyboards KAZUMASA ODA Guitars YASUHIRO SUZUKI Electric Bass HITOSHI SHIMIZU Guitars & Harmonica KAZUHIKO MATSUO Drums & Percussion HITOSE “Jiro” OMA Strings TAMANO Strings Section Saxophone GARY HERBIG Steelguitar DOUG LIVINGSTON
Exectuive Producer TOSHIFUMI MUTOH (Assistant MASAHIKO INA) Recording Engineer SHIROH KIMURA (Sept-1) Mixing Engineer BILL SCHNEE (Assistant STEVEN FONTANO) Assistant Engineer SUSUMU MERA (FREEDOM STUDIO) Associate Engineer RYOJI HACHIYA Recorded at FREEDOM STUDIO 1&2 from Aug.21 to Sep.28 Saxophone & Steelguitar at DAVLIN STUDIO (Oct.1) Remixed at CHEROKEE STUDIO from Sep.29 to Oct.2 Cutting at THE MASTERING LAB (Oct 7,10)
General Manager KAZUHIKO NISHIZAWA Promotion Manager HIROSHI “MAJO” UENO Tour Manager KAZUTOYO KOUCHI Road Manager KANAME TOGASHI
Graphic Concept, Design HIROYUKI FUKUZATO Photography JIN “TAMJIN” TAMURA
オフコース(英語: OFF COURSE) 1967年から1989年まで活動した日本のバンド。1970年デビュー。「さよなら」や「Yes-No」などのヒットで知られ、1982年には日本武道館において連続10日間のコンサートを成功させています。