「鬼畜の家」 

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使用済みのオムツが悪臭を放ち、床には虫が湧く。暗く寒い部屋に監禁され食事は与えられず、それでもなお親の愛を信じていた5歳の男児は、一人息絶え、ミイラ化した。極めて身勝手な理由でわが子を手にかける親たち。彼らは一様に口を揃える。「愛していたけど、殺した」。ただし「私なりに」。親の生育歴を遡ることで見えてきた真実とは。家庭という密室で殺される子供たちを追う衝撃のルポ。

次男をウサギ用ケージに監禁、窒息死させ、次女は首輪で拘束した夫婦。電気も水も止まった一室で餓死させた父親。奔放な性生活の末に嬰児2人を殺し、遺体は屋根裏へ隠す母親。「愛していたのに殺した」という親たち、その3代前まで生育歴をさかのぼることで見えて来た真実とは? 家庭という密室で殺される子供たちを追う。
初版発行: 2016年8月
著者: 石井光太


この本はノンフィクションであり、『厚木市幼児餓死白骨化事件』『下田市嬰児連続殺害事件』『足立区ウサギ用ゲージ監禁虐待死事件』の3つの事件について、加害者の生い立ちを取材している。

どの事件も衝撃が大きく、私には許し難い事件です。
ここまでの状況に至るまでに、この人達は何故対処出来ないのだろうか?
この親の立場に立って考えてみても私には許せないし、この親を哀れには思えないのです。
この親が哀れだとするならば亡くなった子供達はどうなのだろう?
この親と共に生き続けていくことも哀れで、この親から逃れられないのだから、親以上に苦しみは深いと思います。

親になるべきでない人が、次々といとも簡単に子供をもうけている。

2016年度に虐待によって死亡した子供の数は、77人(うち心中が28人)。凄惨な事件が毎年何十件という頻度で起きるそうだ。

真っ当な子育てが出来ない親がいる。子育てで問題が起きても解決できない未熟な親が多いことに驚いている。
インターネットでも検索できるし、育児書にも正しい導き方が掲載されているのに、何故この人達は学ばないのだろうか。
問題解決の方法は幾らでもあるのに彼等は学ぼうとしないのだ。
そもそも問題に気付いていないのかもしれないが…。

学校や保健所、産院での性と育児に関する教育を徹底して欲しいと心から願うばかりです。


■ 厚木市幼児餓死白骨化事件について
ゴミ部屋に閉じ込め…愛児の遺体を7年放置した父親の「言い分」
ノンフィクション作家・石井光太が凶悪事件の深層に迫る。衝撃ルポ 第2回
2021年02月05日より全文を引用します
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神奈川県厚木市の閑散とした住宅街のアパートで、3歳の男の子は2年間、真っ暗な部屋に閉じ込められていた。電気も水もガスも止まり、2トンを超えるゴミが山積みになって悪臭を放っていた。

男の子は部屋から出ることができず、鍵の閉まったドアを叩き、「パパ、パパ」と何度も呼びかけた。運送の仕事をしていた父親はほとんど家に帰ってこず、食べ物もろくに与えなかった。部屋に閉じ込められてから2年後の2006年1月、5歳になった男の子は1人きりで息絶えた。暗く冷たい部屋で身につけていたのはTシャツ1枚だった。

それから7年間、男の子の遺体は部屋に放置されつづけた。小学校に一度も登校せず、中学の入学手続きも行われなかったことから警察がアパートを訪問し、ようやく事件が発覚したのだ。


「居所不明児童」

この事件によってそんな言葉が社会に広まった。戸籍はあるのに、所在が知れぬ子供たちのことだ。私がこの事件を『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮文庫)で取り上げた時に感じたのは、事件の責任者を特定し、裁くことの難しさ、そしてゆがんだ愛の形だった――。

********************

父親の齊藤幸裕は、1978年の生まれだ。3人兄弟の長男だった。

家庭環境は劣悪で、精神を病んだ母親が自殺未遂やボヤ騒ぎを頻繁に起こした。工事でつかう三角コーンを道に並べて火をつけて悪魔ばらいをしたり、家で大量のろうそくにつけた火が体に燃え移って全身火傷して入院したりしたというから、幸裕が相当振り回されてきたことは想像に難くない。

幸裕は高校を卒業した後にそんな家を離れて働きはじめる。非正規労働で職を転々とする一方で、趣味は車の改造やドライブ。物静かであまり友人がいないタイプだった。後に妻となる愛美佳(仮名)と知り合うのは20歳になるかならないかの時だった。

愛美佳は当時高校2年。実家は箱根の有名旅館を経営している名家だったものの、その家庭環境は悪かった。


1年で家庭に興味が失せ……
父親は女をつくって家出、母親にも男の噂が絶えなかったが、自らのことは棚に上げて娘にスパルタ教育を施した。こうした影響からか、愛美佳は非行に走り、夜遊びをしていた時に、幸裕と出会ったのだ。

愛美佳は、家出して幸裕のアパートに転がり込み、同棲をはじめる。間もなく妊娠し、出会った翌年に生まれたのが、長男の理玖君だった。幸裕が21歳、愛美佳が18歳の時のことだった。

2人は厚木市内に新しくアパートを借り、新生活をスタートさせた。愛美佳の実家からはそれなりに金銭の支援があり、幸裕も契約社員を止めて運送会社のドライバーとして働きだした。最初の1年間は、2人は若いなりに精いっぱい子育てをしようとしていた。だが、1年経つか経たないかの頃には心が家庭から離れるようになる。

まず、愛美佳が「自由に遊びたい」と言い出した。同年代の友達が青春を謳歌しているのがうらやましかったのだろう。彼女は家の片付けや料理をしなくなり、理玖が夜泣きをしても放ったらかした。後に拘置所で幸裕は言った。

「仕事から帰っても家は散らかり放題でした。それで注意したら言い返してくるのでケンカです。一方的に俺がやっていたわけじゃありません。俺が注意したら、あいつが物を投げてきたり、つかみかかってきたりするのでやり返す感じです。ほとんど毎日そんな感じでした」

どちらが悪いというのではなく、お互いに未熟だったのだろう。夫婦の関係は日に日に荒んでいた。


遊ぶ金欲しさに風俗店勤務

母親が働いていた厚木市の風俗店街
そんな中、愛美佳は遊ぶ金欲しさに本厚木駅にある風俗店で働きだす。毎日昼過ぎに託児所に理玖を預け、閉店の午前零時頃まで客をとった。当時の店長の話によれば、客や黒服に愛想をふりまく一方で、同僚の女性に対しては嫉妬深い態度をとっていたそうだ。

さらに愛美佳は店の客とは別に、恋人をつくっていたらしい。幸裕が携帯電話をのぞいたところ、知らない男性とラブホテルに行っていることが書かれており、そのことで何度も大ゲンカになったという。

愛美佳がアパートから失踪したのは、理玖が3歳になった年のことだった。夜、買い物に行くと言って出たきり、行方がわからなくなったのである。幸裕と理玖は捨てられたのだ。

幸裕は理玖に言った。

「これからは2人生きていこうね」

幸裕は理玖を自分1人で育てていくことにした。だが、まったく生活感覚のない人間で、やっていたことは子育てとはとうてい呼べないものだった。

まず愛美佳の家出から数ヵ月のうちに、電気、ガス、水道などのライフラインが料金未払いですべて止まった。理玖の食事は1日1回、パンかおにぎりとジュースの「食事セット」を置くだけで、オムツの交換は数日に一度、外へ連れて行くのも月に一度だった。


小便はペットボトルに
幸裕の生活感覚のなさは、電気、ガス、水道が停止した後も、料金を払わずにアパートに住みつづけたことだ。小便はペットボトルにし、水は公園の水道からくんで、ゴミはどんどんたまっていく。給料があるのに未払いのまま放置し、その部屋に寝ていたというから怠慢としか言いようがない。

また、幸裕は仕事で留守をしている間に、理玖が外へ出て行くのを防ぐため、雨戸を下ろして部屋のドアには鍵をかけて閉じ込めていた。暗い部屋に監禁しているのと同じだ。それでも、幸裕は子育てをしていたと思っていたのだから驚きだ。彼の言葉である。

「理玖とは時々遊んでましたよ。家にエロ本があったんです。そのページをやぶって、紙クズをペットボトルに入れて、上から降らせてあげるんです。紙吹雪ごっこ。理玖はすごく喜んでいました」

事件後、幸裕のこうした性格を挙げて「知的障害がある」と語る人もいたが、私は何度も面会を重ねた経験からそうは思わない。車の改造を自分でしていたし、愛美佳をナンパするだけのコミュニケーション能力もあったし、会社での成績も「A」だ。障害というより、生活能力がすっぽりと欠如していただけなのだろう。

一方、愛美佳は家出の後、夜の街にどっぷりとハマって生きていた。夢中になっていたのがホストクラブだ。

金のない時ですらホストクラブへ行ってツケで飲み回り、返済を求められると行方をくらます。ホストクラブの間で、彼女は「掛け飛び(料金踏み倒し)」の常習犯としてブラックリストに載っていた。

店側はツケの回収のため、彼女が店に置いていった保険証もとに、夫の幸裕を割り出して職場に押しかけ数十万円を肩代わりさせていた。他にも、愛美佳は携帯電話の請求書を幸裕に押しつけて支払わせていたし、幸裕の名義でマンションを借りて家賃250万円を未払いのまま逃げたというから、自分が捨てた幸裕を利用していたと言わざるを得ない。


現実逃避にキャバクラ通い
幸裕にしてみれば、なんで自分だけがせっせと働いて理玖を育て、愛美佳のツケを払わなければならないのかという不満を抱くのは当然だ。経済的にもどんどん苦しくなっていった。

やがて彼は現実逃避するようにキャバクラに通いはじめ、理玖の面倒をみなくなっていく。まじめに生きているのがバカバカしくなったのだろう。そして、そこで出会ったホステスと恋仲になった。

ホステスによれば、幸裕は誠実だったようだ。2人は週に何度かラブホテルに泊まったが、その間、理玖はアパートに置き去りにされた。2、3日帰らないこともザラだった。そんな中で、理玖は衰弱していくことになる。

2006年の12月、幸裕は有給休暇を取って恋人のホステスと共に東京ディズニーランドへ遊びに行った。そこで撮影したプリクラには「いつまでも一緒にいようね」の文字が書かれていた。結婚も考えていた。

理玖が人知れずアパートで亡くなったのは、その1月後のことだった。2トンものゴミが散乱する部屋に敷きっぱなしになった布団の上でうつぶせになって息絶えたのである。

後日、久々に家に帰った幸裕は、そんな息子の姿を見つける。あ然とした彼はコンビニで理玖が好きだったコロッケパンとジュースを買って玄関に供えて手を合わせ、ホステスのもとへ逃げ出した。

その後、幸裕が賃料を払いつづけていたためにアパートの遺体は放置され、7年後まで事件が発覚することがなかったのである。

2015年秋、幸裕は裁判にかけられた。理玖に対する育児放棄と死体遺棄の罪である。

私は拘置所にいる幸裕と面会を重ね、事件に対する思いを訊いた。会うたびに、彼は声を荒げてこう言った。

「俺だけが裁かれるのはおかしいです。だって、理玖を捨てたのは愛美佳ですよね。俺は彼女の代わりに一人で面倒を見ていたんですよ。それなのにあいつは罰せられることなく、俺だけ裁かれる。そんなの間違っています!」

彼が理玖を死に至らしめたのは事実だし、それで裁かれて罰を受けるのは当然だろう。

だが、同時に彼が主張するように、愛美佳が何の罪にも問われないことには疑問を覚えずにいられない。彼女は理玖を捨てたばかりか、その後も夜の街で遊びつづけ、多額の支払いを幸裕に押しつけてきた。事件の一因が彼女にあるのは明らかだ。しかし、日本の司法制度の中では、彼女を罰することは難しい。

もし幸裕の詳しい生い立ち、愛美佳の事件後のことなどを知りたければ、拙著『「鬼畜」の家』を読んでいただきたいと思う。

何にせよ、この事件からわかるのは、生活感覚のまったくない男女が一緒になった時、その犠牲になるのがか弱き子供だということだ。裁判で幸裕と愛美佳もそろってこう語っていた。

「私は理玖を愛していました」

彼らは自分たちの「愛」がゆがんでいることに気づいていない。

愛情の形はそれぞれ違う。その間違った愛ゆえに、子供の命が奪われることもある。そう考えた時、私たちは「親の愛情」「母性愛」といった言葉に信頼を置くのではなく、子育てができない大人が一定数いるという前提に立ち、支援のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。

取材・文:石井光太



■ 『下田市嬰児連続殺害事件』について
セックスに溺れた女が、現実逃避の果てに2人の我が子を殺すまで
ルポ・下田市嬰児連続殺人事件より全文を引用します
2017/01/23

嬰児殺しの原因は貧困か?
嬰児殺しとは、母親が産んで間もなくの赤ん坊を殺めることだ。児童の虐待死は、心中を除けば0歳児の犠牲者が4割。その8割以上が0歳0ヵ月の生まれて間もない子供なのだ。

実際、この種の事件は毎年何件も報じられており、昨年12月にも岐阜市内の神社で、捨てられたリュックの中からへその緒がつながったままの嬰児の遺体が見つかったことがニュースになっている。

マスメディアはこうした事件が起こると、母親の貧困が原因だというニュアンスで報じることが多い。学生やシングルマザーが望まぬ妊娠をして育てられないので殺害したのだ、と。

しかし本当にそうなのか。

たとえば、静岡県下田市で起きた嬰児連続殺害事件の犯人は、実家や叔母の家で暮らしていた。ファミリーレストランとコンパニオンの仕事の給料に児童手当を加えれば、収入は毎月28万円ほど。

だが、彼女は高校2年生の時から約10年間の間に夫や恋人の子供を8人も妊娠し、そのうち生きているのはわずか3人だ。

何かが異常だ。にもかかわらず、彼女が嬰児殺しをした原因を、貧困のせいと言い切れるだろうか。

こうした事件は1年に覚えられないくらいに起きている。女子高生がトイレで赤ん坊を生んで便器に捨てた、ゴミの中から生まれたばかりの赤ん坊が見つかった、家の中から赤ん坊のミイラが発見された……。だが、メディアはどの事件もしっかりと検証せず、その場かぎりの報道しかしない。

私は『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮社)という著書で、嬰児殺しと呼ばれる事件を深く取材した。その中で気づいたのが、嬰児殺しをした女性たちが持っている一つの共通する特性だ。

拙著で描いた下田市嬰児連続殺害事件を例に、そのことについて考えてみたい。


「天井裏の子」と「押し入れの子」
下田の事件の被告は、高野愛(逮捕時28歳)だ。舞台は伊豆半島の南、砂浜やヨットが停泊する港が広がる観光地である。冒頭に述べた下田市の犯人とは、彼女のことである。

愛は3人姉妹の長女として育った。母親は若い頃に働きに行っていた神奈川県で知り合った男性と恋仲になり妊娠。未婚のまま下田に帰って産んだのが愛だった。その後、たまに下田にやってくるその男性と関係しては、次女、三女と出産するも入籍することはなかった。

母親は気性が激しく高圧的な性格で、人の意見にまったく耳を傾けず、マシンガンのように自己主張だけをした。しかも主張の大半が自己本位で意味を成さなかった。愛は長女としてその母の罵詈雑言を一身に受けて育つことになった。

妹の1人はこう語る。

「お姉ちゃんは、何を言われても『はい、はい』ってすべてを受け入れる性格なんです。そうなったのは、お母さんの責任だと思います。お母さんが何を言っても怒鳴ってばっかだったから、お姉ちゃんはいつも『思考停止』しちゃう。何も考えずに、どんなことでも従っちゃうんです」

困難に陥った時、「思考停止」してその状況を受け入れる。彼女にとって、それがこの家庭で生き抜く手段だったにちがいない。
母親は先述の男性と別れた後、別の男性と恋愛関係になった。そして同じように籍を入れず、愛にとっては父親のちがう弟を産む。

愛はその影響からか、性に対する自制心が軽薄で、中学生の頃から男性との肉体関係が盛んだった。そして高校2年の終わりに妊娠、彼女もまた母親と同じく籍を入れずに出産した。

愛はファミリーレストランでパートをし、その間の我が子の世話を叔母や母親に頼んだ。すると、叔母や母親は子守を理由に愛から「生活費」をむしり取るようになる。給料の半額の支払いを要求し、さらに児童手当が振込まれる通帳を取り上げたのだ。

愛は毎日数百円で食費から交通費までをやりくりしなければならなかった。

愛が夜の仕事をはじめるのは、そうした生活苦がきっかけだった。朝6時すぎから午後4時頃までファミリーレストランで働き、その後宴会のコンパニオンのバイトを零時過ぎまでする。だが、コンパニオンのバイト代も「子守料」として母親にほとんど奪い取られていた。

愛は自暴自棄になったように数え切れないほどの男性とのセックスに溺れる。家庭での鬱憤を晴らしたかった上に、もともと人に何かを言われればすべて「はい」と答えて受け入れてしまう性格だ。夜の仕事で知り合う男性は一様に欲望をむき出しにしており、その誘いにことごとく乗っていった。

間もなく街に「尻が軽い女がいる」という噂が広まると、ハイエナのような男はさらに群れてくるようになった。
一方で、彼女は心の支えと家庭の安定を求めるようにして、年下の男と結婚する。だが、その夫はDVをくり返し、金銭感覚はないも同然だった。

そのため、彼女は夫に愛想をつかせ、浮気を繰り返すようになる。この当時の愛の転落ぶりは、拙著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』に詳しいので参照していただきたいが、そうした生活の中で彼女は次々と妊娠していくのである。

10年間で8人の子供を妊娠したと冒頭で書いたが、その多くはこうした無軌道な男性との関係によって引き起こされたことだ。

彼女はその度に中絶手術を受けたり、出産をしたりとその場しのぎの行動をしてきたが、良くも悪くもそれは「夫」という存在があったからできたことだ。DVをする夫であっても、彼の存在があるからどうにか中絶費用をかき集められたし、出産を決意して産休を取れたのである。

だが、愛にとってDVは耐え難いものだった。同じ男性と二度結婚したが、DVが我が子にまで及ぶのを見てついに別れることを決意した。これによって彼女はまったく助けのない状況に置かれ、その後二度にわたって「父親のわからない子」を妊娠するのである。
夫のいない状況で妊娠した時、愛は母親からの搾取のせいで中絶に必要なお金がまったくなかった。さらに母親に怒られるのを恐れて相談さえできなかった。父親がわからないので、男にお金を出してもらうわけにもいかない。

そこで、彼女がとったのは、幼い頃に身につけた「思考停止」という手段だった。かつて母親から理不尽な罵倒を受けた時、考えるのをやめてすべてが終わるのを待ったように、彼女は妊娠という状況から目をそらしたのだ。

妹は語る。

「この時、彼女は何を聞いても『妊娠してない!』『太っただけ!』と言ってました。誰にも本当のことを教えてくれない。どうするかも言わない。だから、周りの人も圧倒されて何も言えなくなったんです」

愛は妊娠という現実から目をそらしつづけたのだろう。

だが、母親の罵詈雑言は時間が過ぎれば終わるが、胎児の成長は止められない。彼女はどうするという明確な答えすら持たずに、ひたすら妊娠を隠しつづけ、やがて出産の時を迎えてしまう。

そして、事件は起きた。

場所は、二度とも深夜の自宅だった。実家の四畳の和室に敷いた2枚の布団の上で、子供3人が眠っているにもかかわらず、自力で出産。1人目はすぐに天井裏に捨て、約1年後に産んだ2人目はタオルケットで顔を押さえて窒息死させた後に押し入れに隠した。

事件の発覚は思わぬところからの通報だった。愛を追い詰めた母親が、何の考えもなしに市の職員に「うちの娘がいつの間にかお腹が小さくなっていたけど、赤ちゃんが見つからない」と話したのである。結局これがきっかけになり、警察が捜査を行い、自宅に隠された死体を発見。2件の事件が明るみに出たのである。

愛は2人の赤ん坊に名前をつけておらず、次のように呼んでいた。

「天井裏の子」と「押し入れの子」。


現実逃避としての「嬰児殺し」
こうして事件の概要を見ると、高野愛が事件を起こした背景には、彼女の幼少期に形成された特異な性格があることがわかるだろう。つまり、「すべてを受け入れてしまう性格」と「困った時に思考停止に陥る性格」である。

人が人生において様々な困難に直面するのは当然のことだ。それを乗り切る方法は大きく二つ。立ち向かって解決するか、その場から逃げるかである。もし困難を受け入れてしまえば、事態は暗転していくだけだ。

高野愛はゆがんだ家庭の中で「すべてを受け入れる」と「思考停止」という自己防御のための装置を身につけた。そうしなければ、理不尽な現実に対応できなかったからだ。

しかし、大人になってもこの装置を持ちつづけたために、逆に人間関係を円滑にしたり、問題を解決したりする術を失ってしまった。自己防衛のための装置が、人生を狂わせるための装置になってしまったのだ。

そして、彼女は「すべてを受け入れ」「思考停止」した結果、目の前に出産という逃げようのない現実を突きつけられる。そこで彼女がとった現実逃避の手段が、嬰児殺しという犯罪だったのである。

日本の社会には、彼女のような女性を救済するセーフティーネットはいくつも存在する。母親支援のNPO、自治体の相談窓口。もし赤ん坊を育てられなかったとしても、赤ちゃんポストや特別養子縁組の斡旋団体も存在する。

ところが、事件を起こす親というのは、そうしたものを活用しようとしない。なぜなのか。それは、親自身にそれを利用して問題解決するという能力がないからである。愛でいえば、その問題解決の代わりが、「すべてを受け入れる」「思考停止」になってしまっているのだ。

こうした問題はいかにすれば解決できるのか。それは自治体やNPOのサポートを充実させるだけでは不十分だ。いくら数があっても、プライベートな性生活やお産にまでなかなか介入できない。そこに手を伸ばせるのは、家族や友人といった身近な人々だ。

私は拙著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』で嬰児殺し事件を細かく分析することで、プライベート空間にどのような負の連鎖があったのか、そしてどのようなサポートが抜け落ちていたかを明らかにしたつもりだ。

赤ん坊の命を救うために、一人一人が事件の詳細を知ることで、それについて考えてもらいたいと思う。

文 石井光太


■ 『足立区ウサギ用ゲージ監禁虐待死事件』
3歳男児が窒息死 “足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件”の両親は次々と子供をつくっていった
凶悪事件から読み解く貧困問題 石井光太インタビュー #2より全文を引用します
2019/09/28

日本の7人に1人が貧困層の今、貧困問題は決して個別の事象でもなければ自己責任でもなく、少年犯罪、虐待、売春、精神疾患、薬物依存と密接につながっている。新著『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』を上梓したノンフィクション作家の石井光太氏が、「忠生中学生徒刺殺事件」から「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」まで、数々の凶悪事件から貧困問題の本質を浮き彫りにする。

「山形マット死事件」「旭川女子中学生集団暴行事件」……
――90年代の「いじめの時代」に移行したわけですね。

石井 学校での表向きの暴力が力で押さえつけられたら、今度は大人の目の届かないところで陰湿ないじめが起きるようになっていきました。暴力は不可視化され、陰湿なものになっていった。教育環境が落ち着いたと思っていた大人たちは、いじめによる死を突然突きつけられ、混乱しました。「葬式ごっこ」で男子中学生が自殺に追い込まれた80年代後半の「中野富士見中学いじめ自殺事件」を先駆けに、90年代には「山形マット死事件」「旭川女子中学生集団暴行事件」など陰湿きわまりない事件が起きていきました。体育館のマットで逆さにぐるぐる巻きにされて男子生徒が窒息死した山形の事件では7人の子が加担し、旭川の事件では男子生徒10人が性的暴行を加え、うち1人がレイプしています。力の強い不良同士の暴力ではなく、普通の子が普通の子を集団でいじめる構図のなか凄惨な事件が起きました。

 個人的な体験でよく覚えているのは、僕が中学のときクラスに知的障害の女の子がいて、お父さんに性的虐待をされて母子で東京に逃げてきたんですが、見た目が汚いし、「私、お父さんとセックスした」とか周りに言ってしまうわけです。すると男子生徒がおっぱいやお尻を触ったりしていじめる。いまなら軽い知的障害や発達障害の子は専門的な支援が受けられますが、当時は「普通の子」と同じように扱われていましたから、ケアの対象にならず、陰湿ないじめのターゲットにされたことも多かったと思います。

 国はさまざまな事件を受けて全国的ないじめ防止キャンペーンを行い、啓発活動に取り組んだ結果、学校でのいじめはしだいに減っていきました。90年代初頭のバブル崩壊はいわゆる「失われた20年」の始まりだったわけですが、失業率と離婚件数は増加の一途をたどり、問題を抱えた家庭も多かった。そして2000年代になって、子供たちの間に「自傷行為」「不登校」「引きこもり」といった現象が目立ち始めます。学校内のいじめを封じ込めていったら、今度は暴力性が他者ではなく自分に向いたり、無気力に家に引きこもる子供が大量に出現したわけです。

2000年以降の「虐待の時代」
――こうした現象の背景に何があったのでしょうか。

石井 問題を抱えた子供たちを調査すると、背景に家庭での虐待経験があることが分かってきたんですね。もちろん、以前から今で言うネグレクトや家庭内暴力はありましたが、メディアで盛んに取り上げられたことで顕在化しやすくなり、統計的にも虐待の相談件数が急増しました。これが2000年以降の「虐待の時代」です。リストカットや引きこもりといった社会的不適合の子供たちが内面に問題を抱えていること、虐待やネグレクトなどによって、脳の発達が遅れてしまうことや精神疾患を抱えやすくなるといったことが広く知られるようになり、いままで教育の領域だったものが医学の領域にシフトしました。

 また、家庭の問題は「親を支援しないと解決につながらない」という視点がこの時代になってようやく出てきました。実際に虐待家庭を取材すると、貧困家庭が多く、親がアルコール依存症などの問題を抱えているケースが多く見受けられます。無論、貧困だから虐待をするという意味では決してありませんが、比較すれば貧困などが要因としてあるというのは統計に表れています。どの家庭にだって似たようなトラブルが起きるものですが、貧困家庭では親自身の問題が経済的問題によってねじれにねじれてしまっているのです。

一例を挙げると、僕が『「鬼畜」の家』で書いた「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」は、2013年当時3歳の皆川玲空斗くんが両親にウサギ用のかごに監禁され、口にタオルをまかれて窒息死させられた凄惨な事件ですが、父親の皆川忍、母親の皆川朋美のふたりとも、貧困の連鎖のなかで形成された、いわば世間から孤立した「非社会の親」でした。朋美はホステスをやっていた母が客との間につくった子で、母の再婚相手の家で腹違いの兄弟たちとともに育ちますが、中学のときに学校で深刻ないじめを受けて不登校になり、中卒で自らもホステスになった。10代で店で知り合った客との間に子供をつくっていた朋美は、母に連れられて初めて行ったホストクラブで、同じく中卒でホストをしていた忍と出会い、ひと月後には同棲をはじめ、毎年のように子供を生み続けるんです。朋美は専業主婦になり、忍はホストをやめて派遣会社に登録して運送の仕事をしていたんですが、当然大家族で暮らせるわけがない。彼らの財源は生活保護。生活保護を支給されるようになってから再就職しようとせず、第5子、第6子と出産していき、最終的には月40万を超える支給額を受けていました。生活保護をもらって密室で暮らせるから、誰もストップをかける人がいないまま、次々と子供をつくっていった。

虐待している意識のない親たち
 一方の忍はホステスの母とトラック運転手の間にできた子で、奔放な母に育児放棄され乳児院と児童養護施設で育てられています。小学校のころから(目につくものはなんでも口に入れてしまう)異食症を発症し、さまざまな問題行動を重ねていた忍は、中卒後、当時ソープランドで働いていた母と暮らしますが、食事もろくに作られず水道やガスが止められることも日常茶飯事な劣悪な環境で、高校を中退して職を転々とした勤め先のひとつが朋美と出会ったホストクラブだったわけです。

 彼らの住んでいたアパートではゴミ屋敷のような部屋で犬猫を15~16匹飼っていたんですが、走り回る犬を犬小屋に閉じ込める感覚で「うるさいから」と玲空斗くんをウサギ用のケージに監禁し虐待を繰り返していた。次女の玲花ちゃんには犬用の首輪をつけて動きを制限していた。ある日、ケージのなかで玲空斗くんがギャンギャン泣き始めて、やかましいと忍がタオルで口を縛ったら、翌日死んでいた。僕は取材前、どれだけ極悪人の夫婦かと思っていたら、本人たちは虐待している意識がなく、彼らは彼らなりの仕方で子供を愛していたことに強い衝撃を受けました。二人とも親の貧困という闇があって、すべての感覚や優先順位が狂ってしまっているまま、生活保護で「非社会の親」になり、子育てでまわりとつながることもないまま、結果として子供を虐待死させてしまっている。

――福祉政策、支援のあり方を深く考えさせられる事件ですね。

石井 冒頭でも言ったように、自己否定感というその子が抱えている精神的な問題をなくさない限り貧困問題は解決できません。お金だけ、箱だけ用意しても絶対に駄目なんです。もちろんそういう物理的な支援も必要ですが、社会のなかで多様な価値観を認めて、さまざまな境遇にある人たちの特性を認め、尊重する――そうやってその子のなかで自己肯定感を育んでいくことこそ大切です。

痛ましい事件を繰り返さないために
 4つの時代のなかで現在の虐待の時代はとりわけ孤立しやすく、自分のなかに問題を抱え込んでしまった人が自己否定感を雪だるま式に膨らませてしまいやすい。新著『本当の貧困の話をしよう』では精神的なケアを含めた問題解決へのアプローチ、さまざまな支援策やソーシャル・ビジネス、貧困の壁を突破した先人たちの知恵と勇気を書きました。これまで数多くの学校で貧困問題に関する講演をしてきましたが、本書はその集大成として17歳に向けて語りかけるスタイルで一冊にまとめたものです。社会の諸問題の根っこにある貧困の連鎖を歴史のなかできちんと位置づけて考えることは、地域社会の未来をつくっていくうえで必要不可欠であることはもちろん、自分自身の人生を切り開いていくうえでも、たくさんの本質的な「気づき」があると思います。痛ましい事件を繰り返さないためにも、本書がみなさんにとって「これからの未来を語り合う」きっかけになれば嬉しく思います。

石井光太 (いしい・こうた)
77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。






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