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Becoming Led Zeppelin

小生の ブリティッシュロック:UKRock最強は69年説は証明された(笑)

行ってきました、普通、行く、観ないと、たくさん観たい映画があるが、9月定期健診と個別持病の年次検診が2つもあり、暇そうでも相続の手続き中、一応社会人の雰囲気だしているので、ほんと時間が無い状態で、1日1回上映に行ってきた。


よく参照している映画サイトには、厳しい評もありましたが、
「何言ってるの?? 書いてあるじゃん、Becoming 起源と」が小生の意見です。
こないだネット記事で、現国・文の読解力のない人が増えたと嘆きのコラムを読みましたが、なるほど(笑)

history Led Zeppelin でなく Becoming Led Zeppelinです。 名は体を表す…と思う。

まあ、10代70年代崇めていたレッド・ツェッペリンですから、いちゃもんつけちゃダメ(笑)

76年高1で登山部入部でしたが、何故か部員がロック好きで、ここで多くレコードを貸してもらい買えなかったバンドを聴けたのが、その後、音楽鑑賞が一生の趣味になった起源だと思う。あとラジオのおかげ。

高2・77年には、69年『レッド・ツェッペリン I』『レッド・ツェッペリン II』70年『レッド・ツェッペリン III』71年『レッド・ツェッペリン IV』73年『聖なる館』75年『フィジカル・グラフィティ』76年『プレゼンス』を巡り、登山部内でどれがNO1アルバムかの論争が1年かけて勃発、登山部なのに(笑)

最後は『IV』も退き、『Ⅰ』と『 II』で熱き戦いの論争があった10代って、やんぱり感性があったのですね、この映画『Becoming Led Zeppelin』を観て、つくづく思った。
ホンモノ、熱い真がやっぱり感動するものだと。そりゃあ『レッド・ツェッペリン IV』『フィジカル・グラフィティ』『プレゼンス』も聴き倒しましたが、小生は始めから『Ⅰ』押しは変わらなかった。

UKRock最強は69年説『レッド・ツェッペリン I』『レッド・ツェッペリン II』ビートルズの『アビイ・ロード』ストーンズの『『レット・イット・ブリード』キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』ですから、正確は69年から72年ぐらいまでがUKRock最強と思う。
時勢に乗った音楽がロックだったと言うことでしょうか…

で、高校生の時はディープ・パープルⅡ期派が、登山部内で立ち位置でしたが(笑)

60代になると、ビートルズ=ストーンズ=レッド・ツェッペリン 派かな、
もちろんパープル、サバス、ピンクフロイド、クイーン、ポリス、クラッシュも大好きですが…

やっぱりすげなと思ったレッド・ツェッペリンでした。

と云うことでおまけは『Ⅰ』から、
何回も上げていますが、映画プロモしている時、取引先・提携先で現国・文の読解力のない人と交渉している時に思い浮んだ曲で、この頃はなくなりました、コミュニケーションをしていない難しい仕事はしていないということかも(笑)

Led Zeppelin - Communication Breakdown



さらにおまけは、バンド名レッド・ツェッペリン名づけ親のキース・ムーンのザ・フーの映画が同時日公開だったの!?

誰ブッキングした奴、バッテッイングと思うけど、70年代ロックなんってクラシック・ロックと言われているのに、スポティファイでシェアは0パーセント以下と言われているのに、マーケティングとかやってるのか? とか余計な心配しますが………観たい!(笑) 時間作らないと!
































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The Mighty Lemon Drops- Inside Out

マイティ・レモン・ドロップスの「Inside Out:インサイドアウト」で、アルバムは88年『World Without End:終わりなき世界』ですね。

80年代、多様化しすぎで陳腐化と思っていたUKロック(持論です)(笑)
でも、80年代にはシンプルなバンド、マイティ・レモン・ドロップスがありました!
70年代末に、今では一発屋もどきの「マイ・シャローナ」のザ・ナックもシンプルなロックで、こちらは大ヒットでしたが、マイティ・レモン・ドロップスはそれほど注目を集めませんでした。

 ネットラジオで流れてきたのをきっかけに久しぶりにアルバムごと『終わりなき世界』を聴いてみると、素晴らしい作品だと改めて感じました。60年代・70年代のロックが好きだった者へ、80年代にリファレンスした歪みの少ない音のシンプルロックを届けていたことに気がつきました。ノイジーな音色が好きだったので、当時は評価していなかったかもしれませんが、相変わらず何十年前のアルバムの優秀さを今になってやっと気がつくという、鈍い感性の持ち主です(笑)


 


World Without End


 


アルバムジャケット、ファッションもいかにもロックンロール。このバンド、今ではネオサイケ、ポストパンクと言われるようです。当時はそんな言葉は使わなかったです、私。

エコー&ザ・バニーメンの次席のバンドのような評価だったようですが、全く覚えていない。
マイティ・レモン・ドロップスはリバプールのバンドで、70年代末から80年代にかけて、ビートルズの故郷からもロックが生まれていましたが、メジャーにはなれず、そうしたバンドがいくつもあったと思います。その流れのバンドだったと思う。

英国は土地が広くない国ですが、ロンドン、リバプール、マンチェスターなど各地からロックが派生します。

マイティ・レモン・ドロップスはギターロックでPOPロックですが、インディーズ時代はニューウェイヴ的なスタイル、それを清廉化してシンプルなロックに徹したのが『World Without End:終わりなき世界』かなと。93年には解散し、インディーズとメジャー時代のアルバムが5枚ありますが、これにハマっています。音が誠実なんですね。たまにはノイジーが少なく、歪みが少ないギターも良いかな~と。

ということで、おまけとして同じアルバムから好きな曲で日本の歌謡曲っぽい感じがあり、出所が日本なのか英国なのか面白い

The Mighty Lemon Drops - Fall Down (Like A Rain)





























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Don Henley – The Last Worthless Evening

ドン・ヘンリーの「The Last Worthless Evening:最後の無駄な夜」で、アルバムは89年『The End of the Innocence :エンド・オブ・ジ・イノセンス』ですね。

ドン・ヘンリーは小生にとって、ドラマーよりはボーカリストの方と思いが強いかもで、イーグルスの75年「呪われた夜」77年「ホテル・カリフォルニア 」のすり込みが効いている。

82年イーグルスの解散の後でも、何気なくソロ、82年『アイ・キャント・スタンド・スティル』
ヒット曲になった「ボーイズ・オブ・サマー」の効果で聴いた84年『ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト』と、この『エンド・オブ・ジ・イノセンス』は覚えありですが。

流れなのか、ソロの2作目までは、なんかイーグルスのままの雰囲気があったような、それぐらい70年後半イーグルスはドン・ヘンリーとグレン・フライの仕切りであったのでようで、ソロになっても各自ドン・ヘンリーとグレン・フライは、イーグルスの延長線上の曲風だったかなと。


 


The End Of The Innocence


 


そのなかでやっとAOR風でも、ソロとしてボーカルリストで、聴かせるアルバムが『エンド・オブ・ジ・イノセンス』かなと思う。

 スティーヴィー・ニックスの81年『麗しのベラ・ドンナ』のデュエット「レザー・アンド・レース」も俊逸でしたが、この時は二人は恋仲で、同アルバムで、もう1曲デュエット曲「嘆きの天使」のトム・ペティは、全く相手にされず、後にボヤキの曲を唄いましたね。ここらへんのウエスト・コーストサウンドは複雑(笑)

80年代後半になるとぐっと落ち着いてのロックで『エンド・オブ・ジ・イノセンス』で、ドン・ヘンリーの本当のソロとして認知だったかもです。主題もヒット曲になりましたが、アルバムはバラードも含めて、ちと大人になった当時の小生に相性があったアルバムかもで、特別な一枚になったと思う。

これで感化でされ、再結成されたイーグルスの日本公演たびには出向く事になりましたが、14年前、最後が2011年3月6日 東日本大震災前のだった。

ただ、その時は球場席で音がぐるぐる回ってしまい、正直“音楽を聴く”というより“観た”ライブって感じだったのを思い出した、ホント、大会場でのライブでの良い音は難しいです。

と云うことでおまけは同アルバムから

Don Henley - The Heart Of The Matter























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U2 – The Fly

U2の「The Fly:ザ・フライ」で、アルバムは91年『Achtung Baby:アクトン・ベイビー』ですね。

70年代のハードロック志向・指向のロック少年(言わせてください、10代だもん(笑))が、70年代末にはパンク、ニュー・ウェイヴで、バンドでは、ポリス、クラッシュ、そしてU2で80年代は乗り換える。

UKRock・ハードロックファンとして、アイアン・メイデンなりニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルのバンドも聴きましたが、ライブも行きましたが…メインはU2になった。

U2の初期の3作、80年『Boy:ボーイ』81年『October:アイリッシュ・オクトーバー』83年『WAR:闘』のプロデューサーのスティーヴン・リリーホワイトのキラキラサウンド(に聴こえた)が新鮮で、それまで聴いたことないサウンド! 若いロックンロールのロックでもあり、同世代のシンパシーも感じられ、物申すロックであった。さらにライブ盤83年『Under a Blood Red Sky:ブラッド・レッド・スカイ=四騎=』を聴いたときの衝撃も忘れられない。


 


アクトン・ベイビー - U2


 


その後の続くアルバム、84年『he Unforgettable Fire:焰』 87年『The Joshua Tree:ヨシュア・トゥリー』 でその頃、アンビエントにも夢中で、崇めていたブライアン・イーノがプロデューサーになり、これも大きかったと思う。

ロックと環境音楽の融合、ロッキシーミュージック風のロックよりバンド、でもあるとの思いに独自性。いろいろなバリエーション、多面体のバンド! これがアメリカでも受け、売れ、ビックバンドになったが…

90年代になると、己も30代、偏屈な男になるわけで(笑)音楽指向も変わるわけで、UKRockに翳りの感じるようになり(U2はアイルランドです) あれだけ好きだった、ご贔屓のバンドでU2が91年『Achtung Baby:アクトン・ベイビー』が境に冷めて聴く雰囲気が…

『Achtung Baby』を聴いた時、ストーン・ローゼズやソニックユースの方が斬新だと思わされ。このアルバムについては「ここまで変化させるの?」とか「迎合する必要がある?」といったを感じ、魅了されていたU2への熱量や感動を見失ってしまった気分。

83年の『WAR(闘)』や87年の『ヨシュア・トゥリー』が含んだ、熱、相反するような静謐な感動ロック(伴奏下手だけど、ライブ経験しております)がしぼんだ、霞んでしまった…

その頃から、U2は80年代の作品を中心に評価される「一般的な大物バンド」と位置づけたかも、それでも愛着が残っているれど(笑)

同世代のバンドへの同時性、想い入れのシンパシーは、ずっと一緒でないことを大好きなバンドU2から、教わった事かなと。当時は音楽は進化し、好きなバンドもいつか変化せざるを得ない、それも教えてくれたのかなと、今では思う。

 ブログを始めた後は、『Achtung Baby』を柔軟な気持ちで聴くようになり、手間を掛け込んだ作品だと感じるようになって、当時に感じていた刺々しい抵抗感は薄れていますが、これもまた30年以上前の作品についての話。不思議なくらい自分の「体内音楽時間」が、時の流れとは一致しない(笑)

と云うことでおまけは同アルバムから、何種のリミックスがあるよですが、スティーヴン・リリーホワイトがかかわった曲で

U2 - Even Better Than The Real Thing





















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Martha and the Vandellas-Dancing in the Street

マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Dancing in the Street:ダンシング・イン・ザ・ストリート」で、アルバムは65年『Dance Party:ダンス・パーティ』 モータウンですね。

当時に聴いた曲ではなく、5歳だったので、ミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイの85年「Dancing in the Street」で!カバーでした。MTVのおかげで映像と曲として、UKロックファンですから、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」はミックとボウイの曲として刷り込まれました。

70年代、AMではFENを聴いていたので、レコードまでは買いませんでしたが、モータウンサウンドは知ることに。その中でもシュープリームス(今はスプリームスの表記のようです)やスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、テンプテーションズあたりを覚えましたが、他にもたくさんの有名どころのミュージシャンがいました。後に映画が好きになり、サントラ、挿入歌でも覚えましたね。

小生にとってこれが、ソウル、アメリカンミュージックでしたが、その中でも60年代のダイアナ・ロスのシュープリームスが、これは今でも好きで、よく聴くのですが……

その流れで、同じ女性コーラス・グループで、マーサ&ザ・ヴァンデラスも思い出し、違和感なしで、一日中流しても耳になじむ。


 


Dance Party


 


 初期モータウン、マーサ&ザ・ヴァンデラスはシュープリームスより先輩で、ヒットも早く、これによってモータウンが基盤を固め、さまざまなミュージシャンが輩出されたようです。

デトロイトはロックシティー。スージー・クアトロ、ボブ・シーガー、その前はMC5やストゥージズ、さらにアンボイ・デュークスからテッド・ニュージェントまで。スージーはイギリス時代のバンドとして大好きでしたが、こちらも聴いたロックです。

工業都市でありながら音楽文化のある街で、オールジャンルにわたり、ソウルやロックだけでなく、元々ジャズ、ブルース、ゴスペル、カントリー、そしてテクノも生み出した街だということを知りませんでした。

マーサ&ザ・ヴァンデラスを流しで聴いて思い出しましたが、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」以前のヒット曲が1963年の「Heat Wave:ヒート・ウェイヴ」で、これも多くの映画で使用されていたようです。有名どころでは、みんなが大好きな1993年の『天使にラブ・ソングを…』でも使われていましたね。

カバーではUKロックファンとしてニューウェーブから、ザ・ジャムの1979年『セッティング・サンズ』が一番聴いたし、好きだったかもしれません。ザ・フーのUK盤1966年『A Quick One:ア・クイック・ワン』にも収録されていますね。フーは素直に上手いと思ったアルバム。ジャムはこちらの影響があるかもしれませんが、元のマーサ&ザ・ヴァンデラスが素晴らしいので、感化された!?

ロックンロールがロックになる過程でソウルの力を借りていたと思う。

それがここ数日、マーサ&ザ・ヴァンデラスが違和感なく、疲れず、耳触りが良いと感じる理由なのかなと……

ということで、おまけは「ヒート・ウェイヴ」 これもカバーで覚えましたが、元曲で

Martha Reeves & The Vandellas ‐ Heat Wave

























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Neil Young – Ambulance Blues

ニール・ヤングの「Ambulance Blues:アムビュランス・ブルース」で、アルバムは74年『On the Beach:渚にて』ですね。

 父の新盆が終わり、ほっとしてます。

13日から17日まで、休み。内の田舎のしきたりの裏覚えですが、お墓で13日午後、提灯に火をつけ向かえ盆、車中では消しますが、父宅着で火をつけ、仏壇で蝋燭に火を移し替え、線香へ、16日午後、送り盆、は正に逆、巻き戻し、お墓まで。小さき頃の記憶、地方・地区ごとに微妙に違いあるようです。まして、ここは父の生地でない(同じ県ですが終の住処は違う離れた所)
小生の記憶の基は母方の実家の作法、まあ、それでやりました。

お盆間は奥方(同郷)の親戚周りなど、故郷に戻れば、やる事は続きました。

まったりの気分は、東京に戻りで、ニール・ヤングの『On the Beach:渚にて』


 


ON THE BEACH [Analog]


 


ニール・ヤングの70年代の頃は、小生のフォークロックやカントリー系への聴かず嫌いがあり、無視状態の10代。

この頃、60年代になると本当に心に響くようになり、生きているうちにぜひライブを観たいと思うようになりました。 当方もあちらニール・ヤングも時間が無い(笑)
介護もひと段落したので、自分の目標として、海外のライブに行くことを前向きに考えています。

フォークロック路線 この時期の70年『After the Gold Rush:アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』73年『Harvest:ハーヴェスト』74年『On the Beach:渚にて』は、この歳になって愛聴盤に。CDも持っていますが、もっぱら配信(最近ではQobuzかな)で聴いています。

エネルギー感・反骨精神を感じるのは『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』で、心に刻む力があると思う。一方、まったり牧歌的でありながら、どこか暗い晴れない感があるのは『On the Beach:渚にて』かなと。

今回知ったのですが、『On the Beach:渚にて』の前には仲間をオーバードーズで失い、音楽的にもヒット的にも上手くいっていた時期かと思っていましたが、さらにニール・ヤングのパートナーとの離別や新たな出会いなど、様々な出来事があり、決して順風満帆ではなかったことを知りました。

翳りのあるアルバム・曲風が、なんとなく納得。 そもそも「Ambulance Blues:アムビュランス・ブルース」(直訳すると救急車ブルース)というタイトル自体が、彼ニールの独り言の叫びだった!

ということで、おまけとして同アルバムから、全て好きな曲が詰まったアルバムですが

Neil Young - See the Sky About to Rain

























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Vangelis – Losing Sleep(Still,My heart)

ヴァンゲリスの「Losing Sleep (Still, My Heart):ルージング・スリープ(スティル・マイ・ハート)」で、アルバムは1995年『Voices:ヴォイシズ』ですね。

サントラ、TVでも聴いたヴァンゲリス、アンビエントとしてはブライアン・イーノとは違う音色。テクノっぽいジャン・ミッシェル・ジャール、親子として映画音楽としての父モーリス・ジャールも聴きましたので、ここらへんは70年代から活躍で、年代後半になるとサントラとアンビエントの塊がやってきた感じで、これも夢中になりました。

特にサントラでは82年『炎のランナー』『ブレードランナー』83年『南極物語』が特出でしたが、まあ『南極物語』のメロよりは、『炎のランナー』『ブレードランナー』が強烈にすり込まれています。

カール・セーガンの80年TV『コスモス(宇宙)』も印象深い元ネタ『77年『Albedo 0.39』とロック寄りの、もといプログレ寄りの声が苦手なジョン・アンダーソンもボーカルの75年『天国と地獄』もありました。


 


ヴォイシズ


 


90年代になって、ボーカル参加のアルバム『Voices:ヴォイシズ』では、表題どおりボーカルやコーラスがあり、アンビエントでもワールドミュージック寄りな静かなシンセが特徴的。ヴァンゲリスのアルバムとしてもヒットしたようで、サントラは目立ちましたが、オリジナルではヴァンゲリスの本質を聴けるかもしれず、癒されます。

エンヤなりのニューエイジ・ミュージックも一時期夢中になりましたが、だいたい聴くミュージシャンが決まってしまっています。ヴァンゲリスも外せません。

「ルージング・スリープ(スティル・マイ・ハート)」のボーカルはマイク・アンド・ザ・メカニックスのボーカルゲスト、ポール・ヤング(有名でない方)で、これも癒されます。

メカニックスも好みなので、ニューエイジとPOPロックの塩梅の良さがここでも発揮されていると思います。

だいたい好み・嗜好・志向は、変わらない、保守???(笑)

ということでおまけも同アルバムからスウェーデンの女性ボーカル、スティーナ・ノルデンスタムで。

Vangelis - Ask The Mountains Vangelis




おまけのおまけ、買っちゃうよね!




















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The Doobie Brothers – Neal’s Fandango

ドゥービー・ブラザーズの「Neal's Fandango:ニールのファンダンゴ」で、1975年アルバム『Stampede:スタンピード』ですね。

当時、ウェストコースト・ロックのジャンルではイーグルスよりもドゥービー・ブラザーズがお気に入り。フォークロックやカントリーのテイストは聴かず嫌い。なぜかドゥービーの音楽には心惹かれた。

1973年の前々作『キャプテン・アンド・ミー』のジャケットは秀逸で、アメリカ70年代の魅力的なアートワークの中でも特に洗練されていると。アルバムジャケでは名盤・名作品を多数生んだイギリスのヒプノシスに劣らない独特の存在感を放っている、と思うほど。

ヒプノシスはあの時期、他と比べ物にならないほど多作なことから、アメリカからもたまにはこうした素晴らしいアートが生まれたのかも。

『Stampede』の時代には、まだジェフ・バクスターいた。その後、トム・ジョンストンが脱退し、代わりとしてマイケル・マクドナルドが加入。

このタイミングでドゥービー・ブラザーズのサウンドはロック寄りからソフトロックへと、大きく変わった。1976年の『ドゥービー・ストリート』辺りから、イーグルスが大人気、多くのロック友でも、評価が急上昇した。


 


スタンピード


 


ソフトロックとAORの境界線は今でもはっきりとは理解していませんが、マイケル・マクドナルドのは両方を語る上で外せないと思う。小生、彼が加入してからのドゥービーの音楽にはどこか馴染めず、以前の方が好みでした。

そんなドゥービー・ブラザーズが、この6月に新アルバム『Walk This Road』をリリース。メンバー構成はトム・ジョンストン、パトリック・シモンズ、マイケル・マクドナルド、そしてジョン・マクフィーと、初期から中期、さらには後期まで網羅したベスト選出ような陣容。支える伴奏メンバーも素晴らしい才能の顔ぶれ。

これだけのメンバー構成なら感服でしたが、まさに一粒で三度おいしい!といった感じと思いきや?
新作の感想…どこか穏やかな仕上がり。人生経験を重ねた年齢層のための音楽(笑)
ちなみに23年日本公演にも行きましたのでUKRockファンですが、ちびっとファンかもの自覚はあります(笑)

小生も60代なので軽々しいことは言えませんが、「もっとロックして」と。マイケル・マクドナルドが強すぎて、彼の表現力・世界が持っていってしまうのかな…と

作品タイトルが『Walk This Road』この道を行く 言ってますので、小生の感想なっんて、余計なお世話(笑)

というわけでおまけはそんな新作から、トム・ジョンストンが手がけた曲を

The Doobie Brothers - Call Me






























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Black Sabbath‐Children of the Grave



起きて、リビングに行くと
奥方が「オージー死んだよ」
小生 「何言っての? お父さんの納骨式5日、地元イギリスで10時間ライブしてるし、最後に出たけど。出てるバンドが皆すげえかった、納骨で頭いっぱいで観れんかった」
奥方「今、テレビでやったよ」
小生「……」スマホで検索して、絶句!
  「ライブ、チャリティーで270億円寄付してんだよ」 
  「なんで??」
    
生きとし生ける者、終わりがありますが、訃報が続く
寂しい……涙が自然にこぼれた 


私にとってのオジー・オズボーンは70年代ブラック・サバスのオージー、ここらへんが一番聴いたし、アルバムも大好きだった。



このブログ、反原発で始まったブログ、ブラック・サバスのこの曲も拠り所

ありがとう、オジー・オズボーン、感謝!

Black Sabbath‐Children of the Grave























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Ted Nugent ‐ Street Rats

テッド・ナジェントの「Street Rats:ストリート・ラッツ」で、1976年アルバム『Free-for-All:ハード・ギター爆撃機』ですね。邦題が懐かしい。

今では「テッド・ニュージェント」と呼ばれるこの名ですが、76年9月5日に放送されたNHK・FMの渋谷陽一氏が担当する『ヤングジョッキー』初回放送では、「テッド・ナジェント」として曲が紹介。もう50年前の話になりますね。

この日の放送では、ブライアン・フェリーからスタートし、エリック・クラプトン、モントローズ、そしてテッド・ニュージェントと。渋谷陽一さんが取り上げることで新しい音楽との出会いがあり、当時私は一気にその魅力に惹きこまれて盲信。(今振り返るとそう思う)

高校時代のことなので懐かしく思い返しますが、その当時はレコードを手に入れるのが簡単ではなく。アルバイトが校則で禁止されていたこともあり、集められるお金といえば小遣いやお年玉くらい。加えて、登山にも夢中だったのでお金は無い。

この頃に力を発揮したのがラジオ、叔父から譲り受けたFMレシーバーとラジカセを手に、音質のキレイでクリアなFM放送を必死でロック音楽を聴き込んでいた。

ラジオで流れる新曲や新しいバンドは、翌日の学校で仲の良いロック友との話題の中心となるもので、かなり刺激を受けたことを思い出。放課後にはレコード店を覗いたものの、限られた小遣いでは簡単に購入できず、ため息ばかりの日々でした。それでも気持ちは常に、「次こそこのアルバムを買うぞ!」と情熱に満ちていた、純粋…それが今じゃ、配信で聴けるし・反省!

純粋な時代、渋谷陽一さんの『ヤングジョッキー』の紹介のおかげで音楽に対する好奇心がさらに広がり、ロックとの距離がぐっと縮まった。

このブログでかかる70年代、80年代前半の曲は 渋谷陽一さんの影響モロ受け、ほんと!
このブログ、渋谷陽一『ヤングジョッキー』『サウンドストリート』できている。


 


Free for All


 


スマホから渋谷陽一さんの訃報を目にして、思えば、自分も今年年金がもらえる歳になり、時の移ろいをひしひしと感じさせます………

懐かしい70年代、このテッド・ニュージェントが大好きでした。ハードロックながらメロディアス、好み。力強さが溢れる曲には、当時ブリティッシュロックファン、UKRockハードロックファンと自覚ありでしたが、アメリカンロックも凄いと心をゆさぶられました。
 まあ、ボーカルのミート・ローフの写真を見た際には「ロック=カッコいい」という概念が崩れましたが、ある意味、鮮烈な批評が自分の中で生まれたものですが。

渋谷陽一さんの影響は、1979年上京後、音楽、映画、もろもろと広がる興味から、宣伝や映画プロモーションの仕事つき、渋谷さんの評論に、盲目的でなく冷静に拝見できるようになりましたが…

今もロックへの興味は持っていると思う。

三つ子の魂百までロックに! 

始まりの始まりに、感謝です。渋谷陽一さん ありがとうございました。


と云うことでおまけは第1回目 渋谷陽一『ヤングジョッキー』でこれもかかった曲で

Ted Nugent ‐ Hammerdown

























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