
江の島近くのシラス丼 美味しくいただきました。
誘われるだけでも、ありがたい!
趣味の音楽(ロック)や映画などの雑記を記してます
スプーキー・トゥースの「I Am the Walrus(アイ・アム・ザ・ウォルラス)」で、アルバムは1970年『The Last Puff(ザ・ラスト・パフ)』ですね。カバーですがヘビィロックです。
あんまりカバーを上げるブログでないが、今や「アイ・アム・ザ・ウォルラス」はビートルズが偉大である証拠となる曲ですね。後にU2のボノ、オアシスも唄っていた。
60年代後半から70年代になるが、サイケ・ヘビィロックのスプーキー・トゥースがアルバムを出していた。アメリカのミュージシャン、ゲイリー・ライトが加入して、バンド名をアートからスプーキー・トゥースに変えたのですね。知らなんだ! Wikiに書いてあった。
ゲイリー・ライトも単発であったが、75年『The Dream Weaver(夢織り人 - ドリーム・ウィーヴァー)』は大好きでした、
70年代を代表するアルバムと思う。初期電子音楽POPとして。
でも、このアルバムは最初の解散間際で楽曲提供1曲のみの、ちゅうぶらりん状態で、演奏には参加せず、ヘビィロック風の「アイ・アム・ザ・ウォルラス」だったようで。
■ アルバムリリース情報
アルバムタイトル The Last Puff(ザ・ラスト・パフ)
初版(UK)発売年1970年
位置づけ
通算4枚目のアルバム
前作『Ceremony』での実験的な試みの後、バンドは一度解散状態、ゲイリー・ライトは制作前に脱退。マイク・ハリスンを中心とした「Spooky Tooth featuring Mike Harrison」名義のプロジェクトに近い立ち。初期ヘヴィ・サイケ路線、アートロックの残り香
原曲のビートルズ版は1967年、そこから3年後の1970年になると、ロックはずいぶん様相を変えて、いろいろなバンドが起動、アートはサイケ、ヘビィがハード、そしてプログレ登場にストーンズが生きる道を探しあてる時代と思う。
Spooky Toothのこのカバーは、まさにその変化を詠んだと思うけど、原典がヘビィというか、簡単にいかない曲をバンドのノリで体現した。好き嫌い別れると思う。
小生は絶賛ではなかった初聴きは、60年代の幻覚を、70年代のバンドが、試行錯誤で曲にした、そんな感じかな~
60年代末ブリティッシュ・ロックの過当競争のなかで、生まれた多様性の空振りとヒットの交差かなと、その中で少し後追いで、日本では精錬された質の高いバンドが聴れていた。そのアルバムを手に入れることが難しかった。10代。
ミュージシャンとして捨て駒でないのですが、量があるからこそのいろいろな曲風があったアルバムの『The Last Puff(ザ・ラスト・パフ)』と思うのでした。
と云うところでおまけは同アルバム曲で、ゲイリー・ライトがコンポーザーの曲で
Spooky Tooth – The Wrong Time
4500頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
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ロック前
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ウルトラヴォックスの「I Remember (Death in the Afternoon):追憶 」で、アルバムは1981年『Rage in Eden:エデンの嵐』ですね。80年代の忘れじのシンセPOP。
ピコピコサウンドもディスコで踊るダンスミュージックになると、かっこよく聴こえたわけで、
それなりに夢中になりました。
心情的はミーハーというか華やかなデュラン・デュランも嫌いではなかったのですが、暗さあり憂いありのウルトラヴォックスも侮りがたし。
前作80年『Vienna(ヴィエナ )』の「ニュー・ヨーロピアンズ」がCMで使われて、ディスコでもかかるし、歌舞伎町NYNYに通ったころを思いだす。もう45年前、その後で、椿ハウスに行きだしが時系列のディスコ修行だったような(笑)

このリズムはみんな真似した。レベッカの大好きな「フレンズ」もそうだし(笑)。
80年代時勢の音、リズム。だれが始めたのかは? メンバーがジョン・フォックスからミッジ・ユーロ を変わっても、ウルトラヴォックスなると思うけど、自信なしだけど、彼らが一端に握っていたで間違いないと思う。
■ ミッジ・ユーロの歌唱
ウルトラヴォックス武器であるミッジのボーカル、2013年ミッジ・ユーロ from ウルトラヴォックス ビルボードLIVE 東京に行ってました。もう13年前、時の経過が早すぎる(笑)
ライブはロック調でバンド編成と記憶しております。席が運よく目の前、写真は撮っていなかったような、残念。ボーカルが声が通ると覚えております。で、このアルバムの曲も歌いましたね。
「I Remember (Death in the Afternoon)」はシングルでないが、ファンの間では人気曲。
アルバム『Rage in Eden』は全英4位。
実験的な音響処理(テープの逆再生やエフェクトの多用)をして、これが小生には違いありの憂いありに聴こえ、ダンスミュージックでも、違いのあるバンドと思ったわけです。
と云うことでおまけも如何にも80年代の曲風で
Ultravox‐The Voice
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いちおう都民 都税と区民税払ってる。
私ごときでも、ラスベガスの噴水ショーは、観てる。
これ、プランニングした方、何をリスペクトしたのか、普通に、疑問!
家にかって、追記編集!
おーーい、調べた。
「ODAIBAファウンテンの事業費は二十六・四億円、毎年の維持費は二億円近く」
ODAIBAファウンテンなんて、知らねえ納税者も多いだろ。
一句。
二十六億 名のみ華やぐ 春の湾
あ、思い出した。
「都庁プロジェクションマッピング」
令和6年度の都負担金として 9億5,000万円。
6年度って書いてあるけど?
今は令和8年。どういうこと×3なの。
28億円、もう使ったって意味か?
おーーい、頼んでねえけど、なんも知らんかった。
そこで一句。
都庁壁 映して九億 まだ足りぬ
と云うことで、微々たる納税者ですが心境は、
Metallica - Seek And Destroy
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はっぴいえんどの「春らんまん」で、アルバムは1971年『風街ろまん』ですね。
この歌、よく聴くと、春らんまんを唄っていない。やっぱり、はっぴいえんど らしい(笑)
ソメイヨシノが散り始めたら、八重桜。
そしてサツキが、街で咲き始めどころか花満開ですね。
チューリップは終わりのようです。
暖かくなりました。強風ですが、汗ばむようで!
今日は散歩、初夏の装い、風は強いですが。 あっという間に暑くなる予感がします。
【忘れられないロック・POP シリーズ】
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朝起きたらニュースやっていた。
俺にとっては、ロック最高のドラマーだよ、高市さんも好きな事知っていたけど…
まあ、首相は 中東問題で活躍してほしいなと思ったりして(無理だけど)
パフォーマンスのみ都知事と同じノリはなあーー憂都と憂国 はああーー(笑)
ディープパープル来日なんだね。
76年に聴いた「ブラックナイト」が、ブリティッシュロックファンとして、ビートルズ・ストーンズをさらにうわ乗せして、16才の男の子を夢中にさせた。
ラジオで覚え、やっと買えたレコードで聴いた時の興奮は、しっかりしみついてる。あの感動は、そうそう人生でない。今になって判った。その利息でブログ書けてるのようなもんだもん!
もう50年前、半世紀前のコンピレアルバム、ここから、72年『Machine Head (マシン・ヘッド)』と『Made in Japan(ライヴ・イン・ジャパン)』
そして、自称パープルⅡ期派となった。
現パープルは、中心はⅡ期のメンバーだけど、2018年に皆さんへ思いは表明している。
(ライブ行く予定の方は、ご覧にならないでください)
Deep Purple - Flight of the Rat
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ニーナ・シモンの「I Loves You, Porgy」で、アルバムは1959年のデビュー作『Little Girl Blue』ですね。
このアルバムは、ジャケット表記から『Jazz as Played in an Exclusive Side Street Club』の名でも知られていますね。
録音は1957年、発売は1959年。彼女の核が、最初からすでに光っていた。
この後直ぐに、レコード会社を移り、『The Amazing Nina Simone』や『Nina Simone at Town Hall』といった初期の名盤を続けて世に出した。 最初からただ者ではなかった、ということ。
まあ、ジャズが本当に好きになったのは大人になってからで、この『Little Girl Blue』も映画やサントラなどで耳にするうち、少しずつ覚えていった作品。
UPの為あらためて調べて、なるほどと思ったのが、ニーナ・シモンが2018年にロックの殿堂入りしていること。
その年の顔ぶれは、ボン・ジョヴィ、カーズ、ダイアー・ストレイツ、ムーディー・ブルース、そしてニーナ・シモン。前の4組の方が守備範囲、その並びに彼女がいることに、最初は少し不思議さもありましたが、ジャンルを越えて刺さる声という意味では、当然。
ニーナ・シモンは、まさに唯我独尊。 こんなアーティスト・シンガーは、結局ニーナ・シモンしかいない。黒人霊歌のような深みをたたえ、ピアノにはクラシックの気品、 この人だけの気高さがある。
■ アルバムリリース情報
■ I Loves You, Porgy について
この「I Loves You, Porgy」は、ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』の劇中歌ですね。 本当に多くの歌手が取り上げてきたスタンダード、ニーナ・シモンはやはり違う。
彼女の歌には、ジャズ・シンガーの技巧を超えた、語りや祈り。ジャズでありながら、どこかソウルやロックにも通じて聴こえる。 ロックの殿堂入りにも、一理あると思わせる所以。
■ 祈りと絶望を響かせる声
ニーナの声は、低く沈みながらも、ふと震えるように高みに触れ、歌い方には感情をむき出しにしすぎない気品。
黒人霊歌の深みと、クラシックのピアノの端正さ。 両方を一人で抱えているところが、ニーナ・シモンの唯一無二。
ピアノ・スタイルには、バッハへの敬愛、単なる伴奏では終わらない。 歌とピアノが対等に立っているところも、シモンならでわ。
■ 時代と評価
この曲は1959年にビルボード・ポップ・チャート18位、R&Bチャート2位を記録し、ニーナ・シモンにとって初期の代表曲。その成功に対して、彼女自身には十分な印税が入らなかったとも言われていますね。
ニーナ・シモンというと、公民権運動とともに語られることが多い。 それは重要なのですが、その前にまず、これだけの歌で人を惹きつけたからこそ、彼女の言葉も広く届いたのだと思う。 思想だけではなく、まず音楽そのものが圧倒的だった。
後年80年代、「My Baby Just Cares for Me」がCMのBGMで再び知られることになり、小生はそちらからニーナ・シモンを認知、多くの同世代の皆さまも同じと思う。
ということでおまけもは後年、広く親しまれることになったこの曲で
Nina Simone ‐My Baby Just Cares for Me
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レディオヘッドの「Creep(クリープ)」で、これがデビューシングル92年、アルバムは1993年『(パブロ・ハニー)』ですね。
暗い名曲と申しますか、今聴いても暗い(笑)
でも、当時はこちとらがいい大人で、30代。ブリティッシュロックへの渇望に近い執着心と愛情は薄れ。
ブリットポップってなに? さらに、80年代中から末ぐらいまでは、確かに最先端のロックだったような認識でクラブで覚えていたが、シューゲイザーがメインなロックって何に。
ブリティッシュロックが、同じような調子じゃ変わり映えしねえと(笑) 思ってたりして。
その中では、ロックらしいが根暗のようなレディオヘッドですが、後年『OK Computer(OKコンピューター)』(1997年)、『Kid A(キッド A)』(2000年)の名盤につながりました。
世紀末のロックバンド、UKらしいと思います。お気に入りブログの方からも、この2作の評価を問われることもありましたので、この年代のバンドとして、人気ありとの思い。
アルバムタイトル: Pablo Honey(パブロ・ハニー)
初版(UK)発売年: 1993年
日本盤発売年: 1993年(東芝EMI)
位置づけ: レディオヘッドの記念すべきデビュー・アルバム。イギリスのシューゲイザーや、アメリカのグランジを消化しつつ、トム・ヨークの歌唱力のギター・ロック。次作からの実験的指向でなく、ストレートでエモーショナル暗さありのロックかな!?
この「Creep」は、彼らが世界的なバンドへと飛躍するきっかけとなった楽曲のようですが、いわく付きの代表曲、ロックらしくねえ感じ(笑)
■ ジョニーの「ガガッ!」という衝撃音
ジョニー・グリーンウッドがギターの弦を叩きつけるように鳴らすミュート音。ノイズが曲にインパクトを与え、ファンがついたと言われるが、小生は反シューゲイザーと思ったけど、ここらへんが70年代主力のロック屋との分かれ目(笑)
■ トム・ヨークの美しくも痛切なファルセット
「自分はここにふさわしくない」と嘆く歌詞を、高音まで使い分けて歌い上げるトム、これは凄いと今は言えるけど。これでヒットするんだは、当時の小生(笑)。
■ 時代と評価
英BBCラジオ1で「暗すぎる」という理由で放送禁止に近い扱いを受け、本国イギリスでの初動は低調、知らんかった。
アメリカやイスラエルで火がつき、1993年に国際的ヒットとなる。
10年かけて、英国でも再発売後にトップ10。初から"これが時代の顔だ"と判っていなかった。
聴き手を選ぶ曲・バンド、その説明が、レディオヘッドにドンピシャ合うと思う。
そうゆうバンドですね。
小生にも聴きやすいもん、根暗で人見知りだから(笑)
と云うことでおまけも同アルバムから
Radiohead-Blow Out
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カンサスの「People of the South Wind(まぼろしの風)」で、アルバムは1979年『Monolith(モノリスの謎)』ですね。
アメリカのプログレで覚えは、カンサスになると思いますが…
どうしても「Carry On Wayward Son」や「Dust in the Wind」のような、代表曲の印象がつきますが…
70年代末の、このアルバムはそこそこヒットだったような、ラジオのFENでかかったと思うのですが、まず覚えの「People of the South Wind(まぼろしの風)」がそこそこヒットだったようです。
70年代末、東京上京の浪人生、ニュー・ウェイヴに首ったけですので、もうプログレはピンク・フロイドの『ザ・ウォール』で集約感。 カンサスは、プログレ感は、この曲になかく、AOR風のPOPロックへの認識だったような。
さらに、カンサスのアルバムジェケデザインは、 UKRockファンは普通にヒプノシスに鍛えられるから、違和感ありあり、よう判らんセンス(笑)
それでも、久しぶり聴いたら、キャッチーな曲とプログレ風のカンサスならでロック感。古いけど。
ここらへんんは好き嫌いの別れ道、80年代以降のアルバムをヒット曲はあったが、全く覚えていない、全く気にしなかった。
プログレがAOR風、認めなかったようで、狭い料簡。
アルバムタイトル: Monolith(モノリスの謎)
初版(US)発売年: 1979年(Kirshner)
日本盤発売年: 1979年(CBSソニー )
位置づけ: 通算6枚目のスタジオ・アルバム。前2作の大ヒットを受け、初めてセルフ・プロデュース。コンセプト主義から、よりタイトでストレートな楽曲へとシフトし始めた、POP化の変わり身になるかな~
この「People of the South Wind」は、カンサスのメイン・ソングライターであるケリー・リヴグレンが、ルーツであるカンザス州の先住民「カウ族(Kanza)」に敬意を表して曲のようです。知らんかった。
直訳:南風の人々を邦題:まぼろしの風はセンスありで、伝承なら納得。でも邦題は記憶なしでした。
カンサスの象徴とも言えるバイオリンの軽快な疾走感が、風そのもの表す。コーラスは、プログレ・バンドですが、口ずさめるポップさに仕立てた。
全米シングルチャート、23位、カンサスにとってヒットだったようですが、後、バンドは中心メンバーであるスティーヴ・ウォルシュの脱退(1981年)、音楽性が変りましたね。
このアルバムはPOP化の変遷ですが、ロック・バンドとして意味ありの教示だっかも。
と云うことで、おまけも同アルバムから、これも好きな曲で
Kansas-On the Other Side
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