【15年「騙されるな」を続けたワケ 第5部】【再編集2026】
この機会に3回に分けて、小生のクイーンの思いを再編集して書き直します。
第4部のディープ・パープルに続き、今回はクイーン。
再編集2026の作業でクイーン記事を数えたら、15年で29本書いていた。
このブログでは記事数10位 Queenは1位でない。
でも、パープルやツェッペリンとは明らかに違う距離感で、
それでも50年付き合ってきたバンド。
なぜか?
それはオンタイム。洋楽聴きだしと、自分の成長と同じだったから、
少年から青年(笑)そして大人。
共に成長。まあ、日本では1975年来日公演あたりから女性を中心に人気があったけど、
又そうゆう風にTV・音楽雑誌(ミュージックライフだけど)に広められた。
新作への期待感と実際聴くと感動だったり、???だったりと心が揺れた。
評論は自分だった!
他のビックバンドが微妙に後追いだったが、正にオンタイムはクイーン。
聴いたけど心情的にはアメリカンロックのイーグルス、
そして売れた時期は毛嫌いしたフリートウッド・マックあたりが、
70年代のロックのメインだったと思う。そしてキッスも、小生的にはいれたいが(笑)
第1回は1974年、中学2年・14歳の原点から、出会いから書きたい。
■ 近所のお兄さんの家で聴いた1st『Queen(戦慄の王女)』
親・公務員の関係で、県庁所在地・水戸市に引っ越し。国体の為の臨時(増員)のようだった。
官舎に住めず、最初の家はボロボロの家で、なんと4畳半と台所だったような記憶。
すぐ水害にやられて、又引っ越し。アパート一階、間取りは4畳半と6畳だったような、
これもボロボロ。
ステレオも満足に聴けないと思ったのが不憫だったのか、
親がモノラルのラジカセを買ってくれて、
これで当時夢中になった洋楽をラジオでも聴き、録音を始める。
テレビでは、愛川欽也さんと今野雄二さんのTV番組『リブ・ヤング!』の影響は大きかった。
いろいろなミュージシャンがいると知る。カーペンターズ、スージー・クアトロ、
ローリング・ストーンズ、そしてグラムロックのT・レックスやデヴィッド・ボウイ、
スレイド、スウィート、そしてクイーン……
近所の方は良くしてくれて、無料で塾をしてくれている家に遊びに行けるようになった。
そこのお兄さんに、クイーンの1st『Queen(戦慄の王女)』(1974)を聴かせてもらった。
これが出会い。
印象に残ったのは「Liar」と「Keep Yourself Alive(炎のロックン・ロール)」だった。
カッコイイ!!
■ ハードロックという認識はなかった
クイーンって何?その後音楽雑誌で立ち読みする。なんか服装が、
ビートルズ・ストーンズでなく、ボウイのような。これがグラムというのか…
「イギリスの新しいバンド」。それが14歳の率直な受け取り方だった。
ギタリストとして最初に注目したのはブライアン・メイ。
よくよく考えると、この後、三大ギタリストなるものに洗脳されるが、
最初のギタリスト、ロックはギターで聴くモノと刷り込ませたのは、
クイーンのブライアン・メイ。
ギタリストとして有名だけど、
三大ギタリスト(エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ)、
デヴィッド・ギルモア、アルヴィン・リー、ポール・コゾフ。
他にもたくさんいるが、ライバルが多い時代。
ロック隆盛の時期のギタリスト、だからメイなりに変革的なモノをしてきたと、
自前のギターなどと、後日談的に知るし、知ったかぶりでして、ロック談義した。
■ 怒涛の3枚 ―『戦慄の王女』『クイーンII』『シアー・ハート・アタック』
74年3月から12月まで、わずか1年で3枚(日本盤)。多感な中学生に、
この3枚が立て続けに刷り込まれた。後年も小生の答えは変わらない。
好きなクイーンのアルバムは初期3部作、特に『シアー・ハート・アタック』。
1stから3rdまでは、グラムぽいかなと思ったが、
「クイーンはクイーンのロック」だった!
この間に、バドカン、フリーも知るのだが、76年高1になると、
後追いで聴く、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、クリーム、
テンイヤーズ・アフター、そして、プログレ・バンド群。
有限のこづかい、買いたいアルバムの多いこと。この頃の夢は、
好きなミュージシャンのアルバムを全部揃えること。
その中でクイーンへの思い入れは、位置づけは、微妙に変わってきた。
これは次回で書きたい!
50年後、配信で月額数千円で、全アルバムを聴くことは、ほぼ可能になったが、
あの頃の音楽への渇望感のほうが、価値を感じる。
と云うことでおまけは『シアー・ハート・アタック』からで、ハードロックでした(笑)
Queen - Stone Cold Crazy























