
東京 快晴です


趣味の音楽(ロック)や映画などの雑記を記してます
〜2026年・朝は曇りでしたが、今は晴れの東京の空の下より〜
あけましておめでとうございます。
前略、ピート・タウンゼント様、ロジャー・ダルトリー様
2026年、令和8年の正月。
東京の空の下で、私はいま、あなたたちの爆音を聴いています。
知ってますか。
かつて、あなたたちは「My Generation」で
I hope I die before I get old
――「老いぼれる前に死にたい」なんて、ずいぶん威勢のいいことを歌っていた。
私も10代の頃、70年代ロックを後追いで聴きながら、
それが最高にカッコいいと信じて、あなたたちに憧れて生きてきました。
あれから、もう半世紀以上が過ぎました。
私は今年で66歳になります。
それでもね、ピート。家ではいまだに「8歳レベル」
なんて言われています。
還暦を過ぎ、「知命」の域に入ったはずなのに、
頭の中では、今も「My Generation」のベースラインが
鳴り響いたままです。
思えば、2015年の5月。
心臓が悲鳴を上げ、私は一度、あちら側の世界に
片足を引きずり込まれそうになりました。
あの時、病院のベッドで、ふと思ったんです。
「おいおい。ロックを聴いて、世の中を見通してきたつもりだったのに、
心臓の機嫌までは見通せなかったのか」と。
それでも、おかげさまで私は、こうして生きています。
あなたたちも、80歳を超えてなお、現役。
その姿は、かつての歌詞への
最高の“裏切り”であり、
最高の“アンサー”です。
ロックが「クラシック」と呼ばれ、教科書に載るような時代になりました。
それでも――あなたたちがギターを叩きつけるのをやめない限り、
そして私が「8歳のガキ」のまま
爆音を鳴らし続ける限り、息子に「うるさい音量下げて」言われ続ける限り、
この物語に終止符は打てません。
ピート、ロジャー。
15年書き続けてきたこのブログも、2026年からは【再編集】として、
もう一度、リフレッシュして、いくつもりです。
2026年、正月。
私の新しいスローガンは、これでいい。
草々(笑)
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Manfred Mann's Earth Band(MMEB):マンフレッド・マンズ・アース・バンドの「Circles:サークルズ」で、アルバムは『Watch:ウォッチ』(1978)ですね。
なんか古臭い曲でも、ニュー・ウェイヴ出始めの頃、MMEBですが、サイケ、プログレをPOP化の70年代かもです。このバンド、60年代にはUKでマンフレッド・マンズとして、ヒット曲「Do Wah Diddy Diddy」(1964)「Mighty Quinn」(1968)があり、70年代後追いでラジオのFENで聴いた、覚えありますが。
マンフレッド・マンは名前で、本人は南アフリカ出身のキーボードですが、60年代はPOPなバンドであったりですが、メンバーには、ジャック・ブルース(クリーム)やその後任にクラウス・フォアマンがいたり。ブログしてから、知りました。
ビートルズ、ストーンズと同時期の頃、UKRockの始めバンドで、シングルで全英1位になっているようで、当時はビートルズが全盛期でも、ライバルはいたのですね。でも、ビットバンドになれず、60年代末に解散。
そのマンフレッド・マンが70年代に入り、メンバーを変えてマンフレッド・マンズ・アース・バンド。70年代の前半の頃はプログレもありブルースもありのバンドだったのですが、メンバーを変え76年に「Blinded by the Light:光に目もくらみ」がアメリカから大ヒットで、厳密には、これがきっかけで「マンフレッド・マンって何?」と思った人も多かったはず。
マンフレッド・マンズ・アース・バンドは、いちおうプログレ、モーグシンセの使いで有名だったようですが、メンバーも変えながら、「Blinded by the Light:光に目もくらみ」の『静かなる叫び: The Roaring Silence 』(1976)あたりから、POPとプログレの折衷のようなアルバムで、両極端。
あと、自前の曲が少ない、コンポーザー不在とは言いすぎかもしれませんが、カバーが多く、それがヒットして、編曲、アレンジ、伴奏力が優れているかもで、不在を逆手に取った「編曲術」
でも、当時のプログレはライバルが超強力、それこそ時代を創ったバンドがUKでは目白押しでしたから、日本の10代のロックキッズには、興味が向かなっかた 仕方ないかも です。
同様なバンドでスーパートランプがいますが、これは英米で人気が高く、日本の5大プログレ(イエス、EL&P、ピンク・フロイド、キングクリムゾン、ジェネシス)と同等とする欧米のロックHPもありますので、日本のプログレファンの思いと欧米のファンとの差はありますね。
このアルバム『Watch:ウォッチ』では、ライブ演奏風、スタジオ録音の混合。最初聴いた時のギャップとPOPな曲、AOR風とプログレ風の曲の相反するような、逆コンセプトアルバム(笑)
それぐらい、不思議なバンド、マンフレッド・マンズ・アース・バンド。70年代は前半のアルバムはプログレぽい、ジャケデザインは好みでないけど(笑)
そして、良く言えばノスタルジックですが、70年代後半これは、固くなMMEBのアレンジャーとして意思、編曲の力でポップとプログレの境界線を行き来していたと後日談と言えますが、当時、聴く方が耳は、ニュー・ウェイヴでした(笑)
と云うことでおまけはカバー曲で60年代の自らマンフレッド・マンズの曲で、原曲は私の苦手なボブ・ディランでした
Manfred Mann's Earth Band - Mighty Quinn
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【ロック前② 世の中、偶然はなく、すべて必然です。】2011年06月25日を刷新・大幅追記。
【再編集2026】ロック前② 世の中、偶然はなく、
すべて必然です。……その後
― 少年時代から、映画とロックが一本につながった話 ―
テレビ番組 ”木枯らし紋次郎”「かっこいい」とはこう言うことがわかった時期、小6 12才 1972年。フジテレビの土曜日、夜遅くの番組でこの曲にしびれる。(映像は新木枯らし紋次郎となってますがオープニングは同じ)
12歳の土曜の夜、「かっこいい」の定義が決まった
あれは“時代劇”の顔をした、西部劇だった。
そして、主題歌「だれかが風の中で」が流れた瞬間、背中に電気が走った。
映像は、伊那谷の峠道の風景。
左奥に雪をかぶった山が見える。 仙丈ヶ岳だと言われている。
──高校の登山部で、私は実際に仙丈ヶ岳に登ることになる(1977年の夏山合宿)。
この時点で、もう“偶然”の顔をした何かが、人生の前に置かれていたのだと思う。
主題歌「だれかが風の中で」作詞は 和田夏十、作曲は 小室等
あの乾いた孤独と、どこかに“誰か”がいる感じ。
少年の心には、十分すぎるほど刺さった。
「かっこいい」の延長線に、映画があり、仕事があった
自分になかで、「かっこいい」はマカロニウエスタン、木枯らし紋次郎、マッドマックス その憧れの延長で映画が好きになり、仕事になり、「2006三島由紀夫映画祭」にたどり着く。
そこで知り合ったのが、映画プロデューサー 藤井浩明 さんだった。
80年代の前半の大学時代、授業に出ず、新宿・池袋の映画館を徘徊して、毎日映画の日を体現していた私にとっては大プロデューサー、天上人等しいお方。大映のプログラムピクチャー時代(1950~70年)制約があるなかで名作を世に出し、70年代80年代90年代21世紀まで活躍。2014年にお亡くなりました。
大映のプログラムピクチャー時代からだと市川崑、増村保造をはじめ、多くの監督の作品に関わり、フィルモグラフィーは膨大。
市川崑なら
『炎上』(1958)、『鍵』(1959)、『黒い十人の女』(1961)、『破戒』(1962)……
増村保造なら
『巨人と玩具』(1958)、『からっ風野郎』(1960)、『妻は告白する』(1961)、『卍』(1964)、『刺青』(1966)……
原作・監督・主演 三島由紀夫監督『憂国』(1966)でしめます。
(解説を書き始めたら、生きてるうちに終わらない量、ほんとに)
藤井さんは70年代は独立して行動社おこし、76年「大地の子守唄」78年「曽根崎心中」を大映時代から仕事仲間の増村保造監督としていました。
映画界でご活躍以上に驚いたのは、三島由紀夫の築地本願寺で葬式の弔辞を川端康成と役していること。藤井さんが、三島由紀夫原作を映画化している信頼関係を感じましたし、当時は大映社員で、制作・マネジャーまでかかわった『憂国』に加担した間柄も判りました。
映画祭の期間中、私はほぼ毎日のように藤井さんと会っていて。
市川崑、増村保造、三島由紀夫、和田夏十、白坂依志夫、宮川一夫、市川雷蔵──
“名前”だけなら本で読める。
でも、同じ空気の中で語られると、歴史が急にこちらへ歩いてくる。
今悔やんでます。記録しておけばよかった、と。
(ボブ・マーリーの日本公演に行かなかったことも、同じ痛みで思い出す。一生の不覚)
「差し入れ」
由一覚えているのが、問いかけがある。 直球で、「良い映画プロデューサーとは?」と聞いた時のことだ。藤井さんは、柔らかな笑顔を浮かべてこう答えた。「差し入れ」
シンプルだが、あまりにも深い。 予算を組み、キャスティングをし、映画を作る。その全ての根底にあるのは、現場で戦うスタッフや役者の心を鼓舞する細やかな気配り。
「人を動かす」とはどういうことか。その真髄を、私はこの一言で教わった気がする。
偶然じゃない、必然だった──腹落ちした瞬間
私が70年代のTV作品、とりわけ『木枯らし紋次郎』のファンだと知ると、
藤井さんは大映時代の友人で、『木枯らし紋次郎』の制作スタッフの方を連れてきてくださった。あの“オープニングのかっこよさ”が、作り手の言葉で立ち上がってきた。
夢が叶う、というより──
点が線になっていく。
少年の土曜の夜 → 登山 → 映画 → 仕事 → 映画祭 → その人たち。
偶然のふりをした必然 が、腑に落ちた。
“必然”って、
あとから自分の人生に 意味返しをしてくれる言葉 なんだと思う。
かっこよさの系譜と、ロックの居場所
私の中の「かっこいい」は、
マカロニ・ウエスタン、木枯らし紋次郎、マッドマックス。
そしてこの時、「三島由紀夫映画祭」でスクリーンで観ることができた
企画:市川雷蔵、藤井 浩明:三隅研次監督・市川雷蔵主演『剣』(1964)も、そこに加わった。
昔から私は、群れない。友人はいるが、つるまない。
美学と言うほど立派じゃないが、たぶんこれは変わらない“芯”だと思う。
その私に、ロックがあった。
ロックは、群れない人間の背中を押してくれる時がある。
と云うことでおまけはは70年代後半の曲で締めるなら、陰陽で
「だれかが風の中で」 ──かすかな 陽。 孤独の向こうに、誰かいる……
「Message in a Bottle」 ──さびしく 陰。 結局、人は皆、孤独だ。
ロックも、人生も、たぶんそんなものだと思う。
The Police - Message In A Bottle
※本記事内の画像は、作品理解・紹介で引用しています。
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昨日、たまたま知り合った同世代の人と、クリスマスの話をした。
不妊治療をあきらめず、いまは小学生の子どもが二人いるという。
うちはもう、二十代の終わりと二十代半ば。
そんな年齢の子どもがいる身だから、一瞬、時間の感覚がずれた。
「長く治療しました。何十年も」その言葉が、静かに胸に残った。
私は「クリスマスは?」
「サンタさんは、まだ来ると信じているらしいんです」
場の空気がふっと和らいだ。
私も、自分がクリスマスプレゼントを探し回ったドジな話をして、笑った。
なんだか、その時間が少しだけ、あたたかかった。
この人、幸せなんだ。そして、そう思えた自分も、幸せなのかも。
いま、人の幸せをそのまま受け取れるのは、ありがたい……
自分がクリスマスプレゼントをもらった、遠い記憶もよみがえった。
今年亡くなった父が、買ってくれた野球のグローブ。
嬉しかったことを思い出す。
それでも――
少年は、いつサンタクロースを信じなくなったのか。
はっきりした瞬間を、私は思い出せない。
今日会った彼の子どもたちは、まだ信じているという。
クリスマスの夜、プレゼントは「サンタが持ってくる」。
グレッグ・レイクの75年のヒット曲、
「I Believe In Father Christmas:夢見るクリスマス」は、
多くのクリスマスソングとは、少し違う場所に立っている。
もっと、シビアだ。
この曲には、もう素直には信じられなくなった大人の視線。
それでもなお、何かを信じたいという、かすかな願い。
今日の会話を思い返しながら、
私はふと、その子どもたちの顔を想像した。できるだけ長く続けばいいと。
久しぶりに、この曲が聴きながら、その記憶・思い出が大切に思えることが、
きっとあると。
グレッグは歌う。 “The Christmas you get you deserve”
「あなたにふさわしいクリスマスが、訪れますように」
この言葉を、昨日出会った彼とその子供たちに贈りたい。
このブログを読んでくださっているあなたにも!!
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【1970年小4 10歳、サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」を聴いてい音楽に目覚める。綺麗なメロディーが好きだったと思う】2011年06月25日の記事
1970年。小学校4年、10歳。
サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」を聴いて、
音楽に目覚めた——らしい。これは、ブログを始めて1か月目、
「自分の洋楽の始まりは何だったんだろう」と思い出して書いた記事。
文、短い(笑)
当時、叔父さんが洋楽好きで、オーディオも当時としては立派なコンポーネントを揃えていた。
一体型ではない、分かる人には分かるやつ。
そこで聴いたのが、
サイモンとガーファンクルの「明日へ架ける橋」そして、ビートルズの「レット・イット・ビー」
どちらも、今さら説明のいらない超名曲だが、10歳でこの2曲を聴けたのは、やはり大きかったと思う。
当時の自分は、ロックがどうとか、メッセージがどうとか、
そんなことは何も分かっていなかった。
ただ、綺麗なメロディが好きだった。それだけだった気がする。
でも、不思議なもので、
今もその時の感動の延長線上で、音楽を聴き続けている気がする。
この叔父さんは、1970年の大阪万博にも連れていってくれた。
音楽だけでなく、マカロニ・ウエスタン映画やディズニー映画、
1970年公開の『トラ・トラ・トラ!』なども、映画館で観せてくれた。
のちに映画が仕事になるのだから、三つ子の魂百まで、とは本当!
——もっとも、
2011年当時の自分は、YouTubeの上げ方をようやく理解した頃で、
「ネットをちゃんと勉強しておけばよかったな」と少し悔やんでいた時期でもある。
2000年代40代になった頃、会社から「ネットプロモーションをやれ」と命じられた。
当時は、ちょびっと偉そうな課長で、気に入らないことがあると役員に食ってかかり、
直属の上司から「頼むから役員から言われた事はまずイエスと言って」
社長からは会議室に1対1で呼ばれ「君たちがいなければ、うちは利益でるから」
と実話です。いまだに君たちでなく、「君がいなければ」問いたかったのか?と思う(笑)
でも、会議では好きな映画について1時間演説したり、誰も止められない、慢心自己中マイペース社員(笑)
だって仕事量は膨大で、誰もが尻込みしていた、新ジャンルの仕事。
本当に寝なかった。ひどい時は、枕がノートパソコンだった。
優秀なコピーライター兼編集長やディレクターがいて、
自分はクライアントの意向を偉そうに指示し、イベントを探し創りプランを出し、完成形にだけこだわった。
でも、正直に言えば、ネット中身はあまり勉強しなかった。
ネットが普及する前、会社のホームページ制作に2000万円オーダーした同期が、
全社員を敵に回した、なんて話もあった。当時はそれくらい、言い値の世界だった。
それもほんの一瞬。すぐに30万円でデザインを請け負う個人が現れ、
そこでようやく「サーバーが重要なんだ」と知る始末。
社員みな、似たようなものだった。
今は、ネットもスマホも生活に溶け込んで、人間が進化した気になっている。
でも、やっていることの量は、昔とそう変わらない。
これって、退化じゃないか、とも思う(笑)
14年前のブログを刷新しながら、こんなことを思い出している。
シニカルさは、60代になっても残っているようで、
それがちょっと嬉しい。
これがないと、どうも元気が出ない。
……つくづく、
自分はイエスマンじゃない(笑)
このシリーズの原点となる勝手な所信表明は、
こちらにまとめています。
▶ 【再編集2026】来年15年目で思うこと・したいこと「じぶんROCK」(2025年12月16日付け)
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(ChatGPTにライティングの対話で書いてもらいました)






