「輝けBay City Rollers」一覧
レスリー・マッコーエン、他界後日米英で1位獲得
少し古い記事ですが、MUSIC LIFE CLUBより全文を引用します
「Danny Boy」
Les McKeown · Vanessa Anne Redd
レスリー・マッコーエン、他界後日米英で1位獲得、そして葬儀でも流されたデュエット新曲がリリースに。一方ウッディのベイ・シティ・ローラーズも間も無く新曲を発表2021.06.08
去る4月20日、65歳で急逝したベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンの葬儀は、5月23日に身内のみで開かれたということです。その葬儀でも流されたレスリーとヴァネッサ・アン・レッドとのデュエット曲「Danny Boy」が、翌24日にデジタルでリリースされています。
一方、当時だけでなく近年もレスリーと一緒にツアーを回ることもあったスチュアート・ウッディ・ウッドも、間もなくベイ・シティ・ローラーズとして新曲をリリースする模様。現在その予告動画が公式のYouTubeチャンネルで公開されています。
まずはレスリー・マッコーエン周辺に関して。今回リリースされたレスリーとヴァネッサ・アン・レッドによる「Danny Boy」の収益は、慈善団体「Music Support UK」に直接寄付されるとのこと。
また、これに先立つ5月1日のことですが、レスリーの他界後、家族やファンが一体となってSNSで「レスにもっと1位を!」キャンペーンが展開されました(日本語字幕でのキャンペーン動画が公式サイトで現在も見ることができます:下動画)。その結果、選ばれた楽曲「Goodbye」がまずアマゾンUKで1位を獲得。このあと最終的にはアメリカ、日本を加えた3ヵ国でナンバー・ワンを獲得したということです。
ベイ・シティ・ローラーズは1981年の解散後、間も無く再結成してその際には日本公演もありましたが、基本的にはレスリー、ウッディ、イアンの3人は、それぞれ自分の名を冠したベイ・シティ・ローラーズとして活動。時に共演・再集合してのツアーを行なうこともあったものの、昨年9月にイアン・ミッチェルが他界、続いて今年4月にレスリーが他界。現在はスチュアート・ウッディ・ウッドが中心となって、ベイ・シティ・ローラーズとして活動しています。
そのウッディによるベイ・シティ・ローラーズが今週、1分足らずの動画を公開。近年の日本公演でのステージやサイン会の様子、また当時の動画も挟み込みつつ、最後に「NEW BAY CITY ROLLERS MUSIC / COMING YOUR WAY」と、新曲のリリースを予告する内容となっています。現時点ではまだ発売の日時は公表されていません。
・Ian Thomson(lead vocals and guitar)
・Marcus Cordock(bass)
・Jamie McGrory(drums)
・Stuart “Woody” Wood(guitar)
公式サイト(thebaycityrollers.co.uk)より
「Goodbye」 - Les Mckeown
ご視聴ありがとうございました
若くして世界的成功を収めたベイ・シティ・ローラーズ
Curse of the Bay City Rollers
若くして世界的成功を収めた代償!?
ベイシティ・ローラーズ、その後の人生の”呪い”
Published on 5/7/2021
https://www.cubeny.com/topic_21rollers.htm#container
こちらより引用いたします
この記事は彼等の様々な問題について、詳しく語っています
2021年4月20日に報じられたのが、元ベイシティ・ローラーズのヴォーカリスト、レスリー・マッコーエン死去のニュース。 自宅で突然息を引き取った彼の死のニュースと共に報じられたのが、「ベイシティ・ローラーズの呪い」の報道。 そう言われて仕方がないほどに、災難やトラブルが多いことで知られていたのがベイシティ・ローラーズの元メンバーたち。
1970年代半ばにメンバーのほぼ全員がティーンエイジャーとして世界規模のサクセスを収めたベイシティ・ローラーズは 当時イギリスでは「ビートルズの再来」と言われた存在。 そのサクセスが世界に轟き始めたのは1975年のヒット曲「Bye Bye Baby」が6週連続でイギリスのヒットチャートのNo.1に輝き、 ティーンエイジャー達がローラーズのトレードマークであるタータン・チェックのスカーフやファッションを身につけて熱狂するようになってから。
そして大ヒット曲「サタデー・ナイト」がアメリカでもビルボードNo.1に輝いたベイシティ・ローラーズは、 以来1億枚以上のレコードを売上げ、1970年代を象徴するポップカルチャー現象の1つになっているのだった。
そのサクセスの最中でもメンバーの交代劇が起こり、ドラッグの問題やメンバーの不仲が常に取り沙汰されてきたベイシティ・ローラーズが解散したのは1981年のこと。 ですが人気が根強かった日本では1982年、1983年に元メンバーが集まったコンサート行われ、1985年には レスリー・マッコーエン、パット・マッグリンが中心となったリユニオン・アルバム「ブレークアウト」が日本とオーストラリアのみで発売。 しかしその後は活動がストップし、2015年にリユニオン・コンサートが行われたのがローラーズとしての最後の活動。
解散からの約40年間にベイシティ・ローラーズのメンバーが見舞われたのはドラッグ&アルコール中毒、病気、破産、逮捕等、様々な問題で、 若くしてサクセスを収めたセレブリティに”転落”は付き物とは言え、その様子は前述のように”呪い”とまで言われるもの。
以下ではベイシティ・ローラーズのメンバーのその後の人生のフォローアップをご紹介していきます。
■ レスリー・マッコーエン
ベイシティ・ローラーズのサクセスの立役者と言われるのがオリジナル・メンバーのヴォーカリスト、ノビー・クラークに代わって1975年に18歳でメンバーに加わったレスリー・マッコーエン。 彼がローラーズに在籍したのはその後の4年間で、最初の約2年間がベイシティ・ローラーズの黄金時代。 しかし1978年にメンバーから「自分達のことをバックバンドだと思っている」と言われたレスリーはローラーズを脱退。 その後ソロ活動をしていた彼であるものの、約20年に渡ってアルコール&とコカインの中毒状態。 2006年には0.5キロのコカイン流通に関与したとして刑事起訴され 裁判では無罪になったものの、法廷で認めたのがコカインを長く常用していたこと。
彼の人生の中で唯一安定していたのが1978年に出会って直ぐに結婚した妻のペコ・ケイコ。 レスリーは30年に渡ってゲイであることを隠し、 少なくとも12人の男性パートナー、多数の女性浮気相手が居たものの、彼を見捨てることなく寄り添ってきたのがケイコ夫人。 そのケイコ夫人にとっても、レスリーがゲイであることを乗り越えるのはかなりの苦痛であったと言われますが、ドラッグ中毒のレスリーをリハビリに送り出したのは彼女で、 彼女無しには2015年のローラーズ・リユニオン・コンサートは実現しなかったとレスリーはコメントしています。
■ アラン・ロングミュア
アラン・ロングミュアは1964年にベイシティ・ローラーズの前身を設立したメンバー。 当時はサクソンズという名前で、彼の弟のデレク、従兄、クラスメート2人というメンバーであったものの、デレク以外が全員入れ替わった状態が サクセスを収めたローラーズ。1976年にローラーズがサクセスの頂点にある段階で、10歳年下のイアン・ミッチェルと入れ替わりに脱退した彼は、1977年に ソロ・デビュー、1978年にはイアンの後釜のパット・マッグリン脱退の後を埋めるために再びバンドにカムバック。1981年にバンドが解散した段階の彼には 6台の車、邸宅、農場など、かなりの資産があったものの、僅か2~3年で破産状態になり、バンドが成功する前の職業、配管工に戻らざるをえなかったとのこと。
やがて定年を迎え年金を受け取っていたアランですが、2015年のベイシティ・ローラーズのリユニオン・ツアーにレスリー、ウッディと共に参加。 その後アルバムをレコーディングして、日本ツアーを行う計画があったものの、バンドは2016年に再び解散。 原因は彼とウッディがレスリーと対立したため。そのアランは2018年にメキシコで感染した謎のウィルスが原因で死去しています。
■ スチュワート・ウッディ・ウッド
15歳でオリジナル・メンバーとしてベイシティ・ローラーズに加わったスチュワート・ウッドは、ウッディのニックネームで呼ばれ、現在64歳。 ギターの弾き方も知らない状態からスタートして、ベースとキーボードを担当。 バンド解散後は小規模なライブハウス等で パフォーマンスを続け、一時はLAに3年、サウスアフリカに5年間移住。2003年にはパートナーと共に小規模なレコード・ラベルを設立しています。 彼は今もエジンバラに妻と共に暮らしており、レスリー・マッコーエンの悲報について、「彼とは何年も意見の違いや対立があったが、本当に残念だ。 ベイシティ・ローラーズの歴史にとって悲しいことだ」とコメントしています。
■ デレク・ロングミュア
現在69歳のデレク・ロングミュアはアラン・ロングミュアの弟で、ティーンエイジャーでローラーズのオリジナル・メンバーとなり、ドラムを担当。 81年にローラーズ解散した後は 音楽業界をリタイア。 エジンバラの小児病院でボランティアをしたことがきっかけで、 1990年からナースになるためのトレーニングを始めたデレクは、1993年に資格を取得。しかし1998年に警察に寄せられた匿名の通報がきっかけで、 チャイルド・ポルノグラフィー所有の容疑で捜索を受けた彼の自宅から 153本のビデオ、73枚のフロッピーに収められた1000以上の チャイルド・ポルノ写真が押収され、本人はそれを自宅に滞在したアメリカ人の友人のものと主張。
しかしメディアのさらし者になるのを避ける理由で 罪を認めた彼は2000年に300時間のコニュニティ・サービスの判決を受け、 小児科病院からは解雇処分を受けています。 2001年には再びナースとして働くことを許され、以来目立たない生活を続けてきたデレクが 最後にインタビューを受けたのは2005年のこと。「ベイシティ・ローラーズの成功と名声はトラウマになっているか?」と尋ねられた彼は、 「トラウマになっているのは成功や名声ではなく、音楽ビジネスが如何に冷酷であったかだ」と語っています。
■ エリック・フォークナー
現在67歳のエリック・フォークナーはローラーズの中にあって、比較的まともな人生を送っている存在。 「Money Honey」 、 「Love Me Like I Love You」といったヒット曲の作曲を手掛けていた彼は スチュワート・ウッド同様に バンド解散後もずっと音楽業界で活動を続けた存在。 ソロになってもツアーをしていますが、2015年のローラーズ・リユニオンの際は、レスリー・マッコーエンとの不仲が原因で不参加。 その2015年に エリックは ウイルス性脳炎で死にかけており、回復はしたものの 脳炎後症候群が持病として残り、 同じ症状で苦しむ人々のために募金集めをスタートしています。
一時は音楽を続けるのは不可能と思われたものの、2017年にはレコーディング・スタジオに戻り、2018年にはミュージック・フェスティバルに出演。 しかし現在は長年彼をフォローしていたジャーナリストでさえ 何処で何をしているかを 把握していないとのことです。
■ イアン・ミッチェル
アラン・ロングミュア脱退と入れ替わりに加入したイアン・ミッチェルは僅か7ヵ月のみローラーズに在籍。ファンの間での人気は高く、バンドに音楽的には貢献したものの、 本人は脱退の理由を 「ガスオーブンの中に頭を突っ込みたくなる前に辞めた」と説明しています。 その後ローラーズと同じマネージャーの下で ロゼッタ・ストーンというバンドをスタート。 日本とタイでのツアーを成功させるものの、欧米ではサッパリで、 程なくロゼッタストーンは解散。再び自らバンドを結成するものの それも振るわず、やがてアメリカに移住。 その後ベイシティ・ローラーズのリユニオンには参加したものの、 コンピューター・プログラマーを営みながら、モチベーショナル・スピーカーを時折務めるという地道な生活を送り、2020年9月に特にメディアの注目を集めることもなく 62歳で死去。
2001年の「フレンズ」のエピソードでは、コートニー・コックス演じるモニカのベイシティ・ローラーズについての台詞で 彼の名前が出ており、本人は2016年の英国メディアとのインタビューで 「そのシーンを観た時は、驚いて椅子から転げ落ちた」と語っていました。
■ パット・マッグリン
イアン・ミッチェルがローラーズを脱退した1976年後半にギタリストとして加入したのがパット・マッグリン。日本で大人気を博した彼は1977年にはローラーズを辞めて、1978年には マット・マッグリンズ・スコッティ―ズというバンドで、日本とドイツでツアーを行っています。そのパット・マッグリンは来日の際、 中野サンプラザでコンサートを行いましたが、楽屋から出て来る彼を近くで観ようと考えたファンが こぞって会場を出て楽屋出口に向かったことから、アンコール・パフォーマンスのために彼がステージに戻った時には会場がガラガラだったというエピソードが残っています。
2003年にパットは「マネージャーが1977年にホテルの部屋で自分をレイプしようとした」と告発しましたが、証拠不十分のためマネージャーは刑事訴追されずに終わっています。 2005年にはパットは元ローラーズの仲間、レスリー・マッコーエンと共にドラッグ使用の容疑で逮捕されましたが、こちらも不起訴処分に終わっています。 現在63歳の彼が近年メディアを賑わせたのは、2018年に実の兄に対する暴力で逮捕された時。この兄との問題は複数回警察沙汰になっています。
■ 6人目のローラーズと言われたマネージャー、タム・ペイトン
ベイシティ・ローラーズを生み出し、破滅させと言われるのが ”6人目のローラーズ” と言われたマネージャーのタム・ペイトン。 2009年に70歳で死去した彼は、ベイシティ・ローラーズのメンバーをドラッグでコントロールしていたと言われ、 レスリー・マッコーエン自身も、「ペイトンによってドラッグを覚えさせられた」と証言しているほど。 アイドルに肥満は大敵と考えた彼は アンフェタミンでローラーズのメンバーにダイエットをさせ、 メンバーが疲労やストレスを訴える度に エクスタシー、スピード、コカイン等を与えてきたとのこと。
前述のように2003年にパット・マッグリンにレイプ未遂で告発されたペイトンですが、レスリー・マッコーエンもローラーズのツアー中、 彼がドラッグでハイになっていた時にペイトンがアレンジした男性との関係を強要されたと証言。 そのペイトンは1982年に未成年の少年に対する性的虐待で1年の服役刑を受けており、 翌年にはマリファナを供給していた罪を認めて、20万ポンドの罰金を支払っています。 彼は深刻な健康問題を抱えており、心臓発作で死去する以前にも 2回の発作と1回の脳卒中に見舞われていたとのことです。
ベイ・シティ・ローラーズ 新曲リリース
あのベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)が、新曲のリリースを発表しています
曲名やリリース日は未発表ですが、「新しいベイ・シティ・ローラー・ミュージックがやって来る!」というコメントが添えられたティーザー映像が公開されました
曲名やリリース日は未発表ですが、「新しいベイ・シティ・ローラー・ミュージックがやって来る!」というコメントが添えられたティーザー映像が公開されました
Leslie McKeown's EgoTrip/THE GREATEST
【ザ・タイガースの瞳みのるが追悼 ベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエン死去】
〈週刊朝日〉
5/30(日) 16:00配信より引用いたします
4月20日、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)のリードボーカルを務めたレスリー・マッコーエンさんが急逝した。享年65。数々のヒット曲を携え世界中に“タータン旋風”を巻き起こしたレスリーさんと日本との縁は深い。苦悩を抱えたスターの晩年は、日本人の妻と家族に支えられていた。
* * *
「S・A・T・U・R・D・A・Y NIGHT!」
1970年代に数多(あまた)の少年、少女たちの心を震わせた青春のおたけびのような、あの歌声。レスリーさんの急逝は4月22日、Twitterの公式アカウントを通じて遺族から発表された。
「私たちの最愛の夫で父親でもあるレスリー・リチャード・マッコーエンの死を深い悲しみと共にお伝えします。2021年4月20日火曜、レスリーは自宅で急逝しました。現在、我々は葬儀の手配中で大きな喪失にショックを受けているため、プライバシーの尊重をお願いします」(※原文は英語)
18年にBCRの創設メンバーでベーシストのアラン・ロングミュアーさんが、20年にはギタリストのイアン・ミッチェルさんが亡くなり、そしてレスリーさんまでもが──。かつて「ビートルズの再来」とまで言われた世界的人気バンドのフロントマンの急逝にファンや関係者からは悲しみの声が相次いだ。
日本では、過去に共演経験のある川崎麻世が自身のInstagramに「大好きなベイシティローラーズのボーカル、レスリーが亡くなった。35年前にNHKレッツゴーヤングでも共演してるし、2019年2月にはライブを観に行って楽屋で再会も出来て、また国内のライブがある際には行きたいと思っていたのに」と投稿。交流があった桃井かおりもInstagramにレスリーさん、レスリーさんの妻との3ショットを投稿し「こんなに元気だったのに。悲しい! RIP レスリー」と胸の内を綴っている。
レスリーさんは1955年11月12日、北アイルランド出身の両親の元、スコットランドの首都エディンバラで生まれた。18歳の時、先任のリードボーカルだったノビー・クラークに代わってBCRに加入し「バイ・バイ・ベイビー」「二人だけのデート」などヒット曲を連発。その甘い歌声とファッショナブルなタータンチェックの衣装で、ティーンエイジャーを中心に絶大な人気を博した。コンサートを開くたび続出する失神者の数はそのつど新聞に報じられ、家出して渡英する若者がニュースになるなど「タータン旋風」は社会現象となった。
■タイガースのレコードを机に
78年に方向性の違いから脱退したものの、近年はたびたび再結成に参加し、日本でのライブ活動も積極的に展開していたレスリーさん。親日家として知られたが、彼と日本との縁をより深いものにしたのが「Peko(ペコ)」のニックネームで知られる日本人の妻の存在だ。Pekoさんをよく知るザ・タイガースの瞳みのるさんは、ニュースでレスリーさんの訃報を知り、驚いたという。
「Pekoに『ご主人のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。心中辛い事と察します。まだまだ若く、僕よりほぼ10歳近くも年下なのに。ご子息、十兵衛さんも辛いでしょう。ペコは、レスリーの分まで健康で長生きして下さい。また、会える日を楽しみにします。』というお悔やみの言葉を送ると、しばらくして『………メールありがとうネ 十兵衛と私 涙が止まらない………ピー元気でいてね。。。』という返信がありました」
瞳さんは旧友とのやりとりを振り返りつつ「65歳というと、まだまだこれからの世代。家族仲がとても良さそうで、直前まで元気そうだっただけに、残されたPekoと十兵衛くんたちには辛いものがあると思います」と、その死を悼む。
瞳さんとPekoさんとの出会いは、グループサウンズブームが盛り上がりつつあった66年だった。
「Pekoとはザ・タイガースがまだファニーズという名前で大阪のラサプールで演奏した時に知り合いました。熱烈な音楽ファンで、共演した先輩バンドの加賀テツヤとザ・リンド&リンダースを観に来ていたんです。まだ10代半ばなのに大胆なビキニスタイルで、“トランジスターグラマー”って言葉がぴったり。明るく社交的な性格で、リンドのメンバーに紹介されるとすぐに仲良くなりました。翌年にデビューしてからは疎遠になってしまっていたんですが、8年ほど前に六本木でお店をやっていた柳田シローから『Pekoが会いたがっている』と知らされて再会し、また友達付き合いが始まりました」(瞳さん)
レスリーさんは80年にザ・タイガースのヒット曲「花の首飾り」「銀河のロマンス」をカバーして話題を集めたが、そのきっかけを作ったのはPekoさんらしい。
瞳さんは「レスリーにカバーしてほしくて毎日机の上にそれとなくタイガースのレコードを置いたそうです(笑)。英語詞で歌った雰囲気が好きで、僕もたまにレスリーバージョンの『銀河のロマンス』をライブで披露しているんですよ。『一度、3人で会おうよ』という話もあったんですが、果たせませんでしたね。つくづく残念です」と話す。
18歳の時、BCRのマネジャーだったタム・ペイトンからレイプ被害に遭い、その影響か70年代後半以降はたびたびアルコール依存症や薬物依存症に苦しんだというレスリーさん。08年から09年にかけて出演した依存症克服をテーマとしたテレビ番組「Rehab」で、過去に複数の同性と肉体関係にあったことを告白した際は危機もあったようだが夫婦で乗り越え、関係は修復したという。
若くしてミュージシャンとして成功をおさめたものの、以後の人生を常にスターであることのプレッシャーとストレスにさらされ続けたレスリーさんにとって、自身の等身大の人格と音楽を理解してくれるPekoさんの存在は、大きな心のよりどころだっただろう。
65歳での死は大往生とは言えないが、愛する家族に囲まれたレスリーさんの最期の日々は、決して不幸ではなかったのだと思いたい。(中将タカノリ)
瞳みのる(ひとみ・みのる)/1946年9月22日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から引退。解散直後に高校(京都府立山城高等学校)に復学し、1年間の猛勉強で慶応義塾大学文学部に合格。文学部中国文学科を卒業後、同大文学部の修士課程を経て慶応高校で教壇に立つ。2011年に芸能界へ復帰し、ザ・タイガースのメンバーとも積極的に競演する。2021年9月20日には烏山区民会館(東京都世田谷区)でバースデーイベントを予定。
※週刊朝日 2021年6月4日号
■ Leslie McKeown's EgoTrip/THE GREATEST
申し訳ございません。YouTubeに飛んでお聴きくださいm(__)m
EWS-91007 TOSHIBA EMI 1980
Side1
1 Sylvie My Love(銀河のロマンス)0:00
2 Shall I Do It(ワン・モア・ナンバーワン)3:10
3 Long Distance Love(恋の長距離電話)7:50
4 Bouncing Heart Beating (バウンシング・ハート・ビーティング)13:13 Live at Budokan on July 21,1980
5 You Made Me Believe In Magic(夢の中の恋)17:22 Live at Budokan on July 21,1980
6 Down Home(ダウン・ホーム)20:32
Side2
1 Sayonara (さよならマイ・ラブ)26:35
2 Kings Road Chelsea (キングス・ロード・チェルシー)29:58
3 The Way I Feel Tonight(愛をささやくとき)33:35 Live at Budokan on July 21,1980
4 Manhattan Mafiosa(マンハッタン・マフィオサ)38:15
5 You're The Woman For Me(花の首飾り)42:04
6 Dedicate This Record(デディケイト・ディス・レコード)46:13
ご視聴ありがとうございました
大好きなレスリーへ
日本独自の編集『ニュー・ベスト』 と、その後の彼等の活動について
『ニュー・ベスト』は、1976年に日本独自編集で発表されたベイ・シティ・ローラーズのコンピレーション・アルバムです。
1976年8月20日に、アリスタ・レコードのレーベルで、東芝EMIから日本だけにリリースされています。
ジャケットや帯に英字で「Rock and Roll Love Letter」と記されているため、北米市場向けに編集された同じく1976年のコンピレーション・アルバム『ロックン・ロール・ラブレター (Rock n' Roll Love Letter)』と混同されることがありますが、内容は大きく異なっており、全く別のアルバムです。
ベイ・シティ・ローラーズが初来日した1976年12月以降に売れ行きが伸び、オリコン週間LPチャートでは、1977年1月31日付から2月14日付まで3週にわたって首位に立ったアルバムです。
取り上げられた楽曲は、
『エジンバラの騎士 (Rollin')』(1974年)から4曲(A3、A6、B1、B5)
『噂のベイ・シティ・ローラーズ (Once Upon a Star)』(1975年)から3曲(A5、B2、B4、B7)
『青春のアイドル (Wouldn't You Like It?)』(1975年)から2曲(A2、A4)
『青春に捧げるメロディー (Dedication)』(1976年)から2曲(A1、A7)
アルバム未収録シングル曲2曲(B2、B6)
ジャケット写真は、イアン・ミッチェル在籍時のものです。
トラックリスト
A面
1. ロックン・ロール・ラブレター
"Rock and Roll Love Letter"
(Tim Moore)
2. 恋をちょっぴり
"Give a Little Love"
(Phil Wainman, Johnny Goodison)
3. ベイ・シティ・ローラーズのテーマ
"Shang-a-Lang"
(Bill Martin, Phil Coulter)
4. ダンスはゴキゲン
"I Only Wanna Dance With You"
(Eric Faulkner, Stuart Wood)
5. エンジェル・ベイビー
"Angel Baby"
(Faulkner, Wood)
6. 太陽の中の恋
"Summerlove Sensation"
(Martin, Coulter)
7. マネー・ハニー
"Money Honey"
(Faulkner, Wood)
B面
1. サタデー・ナイト
"Saturday Night"
(Martin, Coulter)
2. ラブ・ミー・ライク・アイ・ラブ・ユー
"Love Me Like I Love You"
(Faulkner, Wood)
3. ひとりぼっちの十代
"My Teenage Heart"
(Faulkner, Wood)
4. 朝まで踊ろう
"Keep On Dancing"
(Young)
5. 想い出に口づけ
"Remember (Sha La La La)"
(Martin, Coulter)
6. 明日に恋しよう
"All Of Me Loves All Of You"
(Martin, Coulter)
7. バイ・バイ・ベイビー
"Bye, Bye, Baby"
(Bob Gaudio, Bob Crewe)
ベイ・シティ・ローラーズの特集を組んで主な楽曲やアルバムをご紹介させていただきました
お付き合いいただき、ありがとうございましたm(__)m
音楽には多岐にわたってジャンルがございます
皆様が心地良い音楽と出会えますように…
私もこれからも音楽に親しみたいですし、芸術的な音楽との出会いを心待ちにしています
最後に、メンバーのその後について記しておきます
■ エリック・フォークナー
(Eric Faulkner、本名:エリック・ファルコナー、Eric Falconer)
ギタリスト、ソングライター、歌手として活躍しています。
1953年10月21日、スコットランド、エディンバラにあるエディンバラ王立診療所(英語版)で生まれています。
幼い頃からヴィオラの演奏を学び、子どもオーケストラで演奏したこともあった。そのほかにもヴァイオリン、マンドリン、ベース、キーボードを演奏します。高等学校は、エディンバラのリバートン高等学校(英語版)に学んでいます。
KIP(旧名 Sugar)というグループで活動した後、1972年にベイ・シティ・ローラーズにギタリストとして加わりました。彼はその後、ローラーズが存続した1980年代までメンバーでした。
彼はローラーズが録音した楽曲の過半数において共作者に名を連ねました。その中には、いずれもスチュアート・ウッドとの共作で、全英シングルチャートでヒットした「マネー・ハニー」や「ラブ・ミー・ライク・アイ・ラブ・ユー」も含まれています。
1976年、ローラーズの全盛期に、フォークナーは睡眠薬の過剰摂取による自殺未遂騒ぎを起こし、メディアに大きく取り上げられています。ベイ・シティ・ローラーズのマネージャーだったタム・ペイトンはこの一件を宣伝に利用しようとして、救急を呼ぶより先にメディアに電話をかけたとも言われています。フォークナー自身は一貫して、これは自殺未遂ではなく、事故であったとしています。
フォークナーは、他の5人の元ベイ・シティ・ローラーズのメンバーたちとともに、契約上の不正によってロイヤルティーの支払いを怠っているとして、2007年にアリスタ・レコードを訴えました。
長年にわたって、彼はエリック・フォークナーズ・ベイ・シティ・ローラーズ (Eric Faulkner's Bay City Rollers) を名乗って、往年のローラーズの楽曲をレベリオン・フェスティバル(英語版)やリヴァプール国際音楽祭(英語版)など各地のフェスティバルで演奏し続けていました。
2015年2月、ウイルス性脳炎に感染したフォークナーは、一時的に重篤な状態に陥っています。当初は、順調に回復しつつあるようにも見られましたが、後遺症が残り、2015年8月以降は公の場での演奏は行わなくなっていました。その後、病状は回復し、2017年には、新曲を書き、録音しています。
2018年夏、フォークナーはステージに復帰し、8月の the Heart of Hawick Music Festival に出演しました。
■ スチュアート・ウッディ・ウッド
(Stuart John Wood、1957年2月25日 - )
スコットランドのミュージシャン、ソングライター、音楽プロデューサー
1974年にベイ・シティ・ローラーズに参加し、当初はリズムギター担当であったが、1976年にベースのアラン・ロングミュアーが脱退した後、ベースに転向しました。
ベイ・シティ・ローラーズが全盛期を過ぎ、活動休止となった後も、ウッドは様々な再結成の機会にしばしば参加しており、2015年から2016年にかけては、レスリー・マッコーエン、アラン・ロングミュアーとともに、ベイ・シティ・ローラーズ名義でイギリス各地で公演をおこない、注目されました。
その後も彼は、自らが率いる新世代のベイ・シティ・ローラーズと世界をツアーし続けており、2018年には来日公演も行いました。また音楽産業の裏方として、自ら設立した The Music Kitchen を通した音楽プロデューサーとしての活動もしています。2020年現在では、彼自身と3人のメンバーから成る Rollers というバンドでギターを演奏しています。
■ デレク・ロングミュアー
(Derek Longmuir、1951年3月19日 - )
スコットランドのエディンバラ出身の元ドラマー、1970年代のポップ・グループであったベイ・シティ・ローラーズの結成時からのメンバー。彼の兄アラン・ロングミュアーは、このグループでベースを弾いていた。
1980年代半ば以降は、看護師として働くようになっており、後述の不祥事の時点ではエディンバラ王立診療所で働いていました。その後も看護師として働き、ベイ・シティ・ローラーズ再結成の動きには関わっていません。
不祥事
1999年8月、ロングミュアーの自宅を強制捜査した警察は、多数の児童ポルノ動画などを押収。
2000年、ロングミュアーは、児童ポルノ所持の罪で、300時間のコミュニティ奉仕の判決を受けました。
判決文によると、彼は働いていた診療所から解雇されたというが、後に看護師登録は再認定されました。彼は裁判で有罪を認めたが、違法なポルノ自体は自分のものではなく、知人が置いていったものだという主張を貫いた。ロングミュアーによれば、有罪を認めたのは、「メディア・サーカス(英語版)」状態を避けたかったからだったということです。
2000年5月7日の『サンデー・ヘラルド (Sunday Herald)』紙のインタビューで、ロングミュアーの養子ホルヘ・ローレイロ (Jorge Loureiro) が語ったところによると、ロングミュアーは無実であり、この件は友人であった偏執的なアメリカ人のファンがでっち上げたもので、問題のディスクは、彼が逮捕される数日前に匿名で送られたものだったという。
■ パット・マッグリン
(Patrick James McGlynn、1958年3月31日 - )
スコットランドのエディンバラ出身の元ベイ・シティ・ローラーズのメンバーで、おもにリズムギターを担当。ベイ・シティ・ローラーズ脱退後には、自らのバンド、パット・マッグリンとスコッティーズ(Pat McGlynn's Scotties)でもヒットを出しました。
1977年5月にベイ・シティ・ローラーズを離れたマッグリンは、自分のバンドであるパット・マッグリンとスコッティーズ (Pat McGlynn's Scotties) を率いて活動。同年秋には英語原題ではセルフタイトルのデビュー・アルバム『パット・デビュー! あの娘はアイドル (Pat McGlynn's Scotties)』を出し、シングル「あの娘はアイドル (She'd Rather Be With Me)」をイギリスと日本でヒットさせ、大規模な来日公演も成功させています。
1980年代以降、ときおり企画されるベイ・シティ・ローラーズの再結成にしばしば参加しています。
2003年、かつてベイ・シティ・ローラーズのマネージャーだったタム・ペイトンを、1977年にホテルの一室で自分に性的暴行を加えようとしたとして訴えています。
しかし、警察は、ペイトンを訴追できるだけの十分な証拠はないとする決定を下しています。ペイトンには以前にも、未成年の少年に対する淫行を理由に逮捕された前歴があります。
2005年5月、かつてのローラーズのリード・シンガーだったレスリー・マッコーエンとともに、薬物関係の嫌疑で逮捕されましたが、後にその嫌疑は晴れています。
2009年には、過去のソロアルバム全5作が初めてCD化されたのを機に、23年ぶりの日本公演が行われました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇
マネージャー
"タム"・ペイトン(Thomas Dougal "Tam" Paton、1938年8月5日 - 2009年4月8日)
ポップ・グループのマネージャーで、特にスコットランドのボーイズ・バンドであるベイ・シティ・ローラーズのマネージャーとして知られる。
ボーカリストのレスリー・マッコーエンは後に、ペイトンはバンドのメンバーたちに薬物をやらせたと語り、「僕たちがちょっとばかり疲れていると、アンフェタミンを与えられた」としている。2005年時点の回顧で、マッコーエンは、「彼は僕たちを眠らせないように、スピードとかブラック・ボンバーを与えた。最後はもうお互いにいかにバカげた薬をやっているかを自慢し合っているような状態になってた」と述べている。
1970年代後半には、ペイトンはロゼッタ・ストーン(英語版)のマネージャーを務め、そのギタリストだったポール・ラーウィル (Paul Lerwill)、後のグレゴリー・グレイ(英語版)と恋愛関係にあった。
1982年、ペイトンは、当時、合意に基づく行為が合法とされていた21歳に満たない、16歳と17歳の十代の少年ふたりに対する性犯罪で有罪を宣告され、3年の懲役刑となり、1年間実際に服役した。当時、ゲイの性行為に関する合意が成立する年齢は、ストレート(異性愛)の性行為の場合の16歳よりも高かった。この不均等は2001年まで残っていた。
2003年1月には児童性的虐待により逮捕されたが、この疑いは後に晴れた。2004年4月、ペイトンは大麻を提供した罪で20万ポンドの罰金を課された。2003年には、1977年にあるホテルで、当時ベイ・シティ・ローラーズのギタリストだったパット・マッグリンを強姦しようとした、として告発された。警察当局は、証拠不十分として起訴しなかった。
2009年4月8日、ペイトンはエディンバラの自宅で、おそらくは心筋梗塞により70歳で死去した。
ペイトンは、ゲイであることを公言していた。
参考資料は、Wikipediaより引用しています
ご視聴ありがとうございました
再結成、武道館ライヴ 1982 BAY CITY ROLLERS
もうBoys Bandではないけれど、彼等だけに許された特権だと思います(*^^*)
彼等以外には醸し出せない魅力がありますね~
ピュアで初々しい、独特の世界があります
レスリー、27歳ですね!!
「4年間で何か変わりましたか?」の質問に答えた、デレクの言葉が印象的でした
目立たない人ですけど、正直な人ですね♥
「Don't Let The Music Die」は何度聴いても泣けますね
ありがとう、B.C.R.
そして、この貴重な映像をUPして下さったsama-jun様に感謝しています
心よりお礼申し上げます
この映像、広島ホームテレビの番組『サンデープレゼント』で放送されたものの様です
ご紹介していますCDとは、曲順が違っているようです
monotone-extra様より引用いたしますm(__)m
https://monotone-extra.co.jp/SHOP/281429/281432/list.html
Bay City Rollers
2枚組 CD
Tokyo,Japan 1982 2 Shows
その現場を特級サウンドで真空パックしたライヴアルバムが復刻です。
本作に収められているのは「1982年9月4日:日本武道館」。
この年の再結成・来日公演は1日限り。その代わり(?)この1日に夕方・夜の2公演が行われました。本作は、その2公演を特級サウンドのオーディエンス・アルバムとサウンドボード・アルバムで捉えきった2枚組です。
この録音は、かつて『REUNION 1982: SATURDAY NIGHT CONCERT』として発掘され、大絶賛を博したもの。今回は、録音家本人から譲られたオリジナル・カセットからダイレクトにCD化しなおした極上品です。
それでは、2公演をそれぞれご紹介していきましょう。
【夕方の部:フル・オーディエンス録音】
まず登場するのは、夕方公演。コンサート全編を素晴らしいサウンドでフル収録したオーディエンス・アルバムです。そのサウンドは、それはそれは見事。リアルな空気感は「まるでサウンドボード」とはちょっと違いますが、真っ直ぐに届く演奏/歌声の芯の太さはライン録音にも匹敵する。
その上で、その芯を彩る“鳴り”の美しさは、間違いなくオーディエンス録音。その空気感が透明に透き通っており、細やかなディテールまでハッキリ伝わるのです。
ベース・サウンドにややビビリはあるものの、逞しく飛び込む歌声が距離感もほとんどなしに飛び込みつつ、その会場音響が頭の後ろに広がるような感覚。
詳しい録音ポジションは失われてしまったものの、PAの間近で録音されたのでしょう。もちろん、録音家本人から譲られたマスター・カセットだけに鮮度は究極的です。
そんな輝くクリア・サウンドで描かれるのは、BAY CITY ROLLERSだけではない。実は、日本武道館の現場に集った観客たちの息吹もキラキラとしているのです。こう書くと話し声や絶叫にまみれた録音をイメージされるかも知れませんが、そういうタイプではありません。もちろん、猛烈な黄色い嬌声が沸き立つのですが、間近な声は一切なく、まるでムードを盛り上げるSEのように曲と同化し、几帳面な手拍子はエッジも鋭くリズム隊と一体化している。
BAY CITY ROLLERSの5人を全力で歓待する気持ちが溢れ出し「盛り上げて喜んでほしい!」というムードが八角形の空間に充ち満ちている……そんなライヴアルバムなのです。
その嬌声の黄色いことと言ったら……。5人が登場するやキャアッキャア、曲間でもキィィィヤァアァ。その立体感だけでメンバーがどこに立ち、どう動いているのか目に浮かんできます。
「I Only Want To Be With You」のサビでレスリーがマイクを向けるのですが、「I only want to be with キャアッ!」になってしまう(笑)。しかし、そんな声が微笑ましくてもウザくないのは、遠いからでしょう。恐らく現場には推しメンバーの名を叫んでいる女の子が大量にいるはずですが、その名前が聴き取れるほど近くない。総体としての“うねり”になっているのです。そして、その“うねり”がやけに感動的。
「Bye Bye Baby」後の声援の海、「Don't Let the Music Die」で歌詞の1語1語までキッチリと歌いきる洋楽女子たち……。お約束の「S-A-T-U-R-D-A-Y night!」もすんごいことになってます。
【夜の部:60分の放送サウンドボード】
そんな“夕方の部”は、ディスク2の4曲目まで。ディスク2の残りには“夜の部”の放送音源が収録されています。番組用に60分枠に合わせて編集されており、途中にインタビューも入るラジオ音源です。
本編である“夕方の部”も素晴らしく“80年代のリアル”を伝えてくれましたが、こちらも凄い。サウンドボードだからこその超ダイレクト感が鮮烈で、コーラスの一語一語まで誰の声かハッキリと分かります。
そして、こちらでも現場の洋楽女子が大活躍。放送ですから如何様にもミックスできるわけですが、なんとオーディエンス録音の“夕方の部”よりもデカく入れている(笑)。普通、ラジオ放送は曲間だけ歓声をミックスし、それ以外はほとんど消してしまうのが常識。ところが、この場組では演奏中でもお構いなしに悲鳴が絶え間なく、全編真っ黄色。しかも、この歓声が疑似ではなく、完全に本物。キャアキャアの中にメロディを歌う声が紛れており、各曲のサビに達するや女子声がレスリーと同じくらいに強烈なのです。もちろん、曲間でもレスリーが「コンニチワッ」と言えば、「こんにちわぁ!」、「Hallow!!」と言えば「はろー!」と、ひらがなで返す絶叫。ここまで大胆に歓声を重視したミックス、よほど日本の大歓待が嬉しかったのか……。日本武道館の洋楽女子たちは、間違いなく「6人目のメンバー扱い」になっているのです。
“日本とBAY CITY ROLLERS”と言えば、公式盤『LIVE IN JAPAN』『ROLLERWORLD』にも刻まれた蜜月の仲。しかし、前者にはロングミュアー兄弟が不在で、後者にはアランがいませんでした。それに対し、本作は“あの5人”が全員勢揃い。上記2枚を揃えても聴けない「When Will You Be Mine」「The Pie」「My Lisa」「Back On The Street」もたっぷり聴かせてくれるのです。
“あの5人”だからこそ、日本だからこその熱狂。その2公演を特級オーディエンスと放送サウンドボードで真空パックした1本。
Live at Budokan, Tokyo, Japan 4th September 1982 Afternoon & Evening Show TRULY AMAZING SOUND(from Original Masters)
Afternoon Show Disc 1(73:13)
1. Land Of Hope And Glory
2. Remember (Sha La La La)
3. Shang-a-Lang
4. Wouldn't You Like It
5. The Way I Feel Tonight
6. Rock 'n Roll Honeymoon
7. Rock 'N Roller
8. When Will You Be Mine
9. The Pie
10. Don't Stop The Music
11. My Lisa
12. Give a Little Love
13. Shanghai'd In Love
14. Love Fever
15. Back On The Street
16. You Made Me Believe In Magic
17. Rebel Rebel
18. Rock 'n' Roll Love Letter
19. It's A Game
20. Money Honey
Disc 2(77:29)
1. I Only Want to Be With You
2. Bye Bye Baby
3. Don't Let the Music Die
4. Saturday Night Evening Show (Broadcast)
Evening Show
5. Land Of Hope And Glory
6. Remember (Sha La La La)
7. Shang-a-Lang
8. Rock 'N Roller
9. The Way I Feel Tonight
10. Interviews
11. Wouldn't You Like It / Interviews
12. Rock 'n Roll Honeymoon
13. Love Fever
14. Give a Little Love
15. You Made Me Believe In Magic Session (Studio)
16. You Made Me Believe In Magic
17. Rock 'n' Roll Love Letter
18. It's A Game
19. Money Honey
20. I Only Want to Be With You
21. Bye Bye Baby
22. Don't Let the Music Die
23. Saturday Night
Les McKeown - Vocal
Eric Faulkner - Guitar
Stuart "Woody" Wood – Guitar
Alan Longmuir - Bass
Derek Longmuir - Drums
彼等以外には醸し出せない魅力がありますね~
ピュアで初々しい、独特の世界があります
レスリー、27歳ですね!!
「4年間で何か変わりましたか?」の質問に答えた、デレクの言葉が印象的でした
目立たない人ですけど、正直な人ですね♥
「Don't Let The Music Die」は何度聴いても泣けますね
ありがとう、B.C.R.
そして、この貴重な映像をUPして下さったsama-jun様に感謝しています
心よりお礼申し上げます
この映像、広島ホームテレビの番組『サンデープレゼント』で放送されたものの様です
ご紹介していますCDとは、曲順が違っているようです
monotone-extra様より引用いたしますm(__)m
https://monotone-extra.co.jp/SHOP/281429/281432/list.html
Bay City Rollers
2枚組 CD
Tokyo,Japan 1982 2 Shows
その現場を特級サウンドで真空パックしたライヴアルバムが復刻です。
本作に収められているのは「1982年9月4日:日本武道館」。
この年の再結成・来日公演は1日限り。その代わり(?)この1日に夕方・夜の2公演が行われました。本作は、その2公演を特級サウンドのオーディエンス・アルバムとサウンドボード・アルバムで捉えきった2枚組です。
この録音は、かつて『REUNION 1982: SATURDAY NIGHT CONCERT』として発掘され、大絶賛を博したもの。今回は、録音家本人から譲られたオリジナル・カセットからダイレクトにCD化しなおした極上品です。
それでは、2公演をそれぞれご紹介していきましょう。
【夕方の部:フル・オーディエンス録音】
まず登場するのは、夕方公演。コンサート全編を素晴らしいサウンドでフル収録したオーディエンス・アルバムです。そのサウンドは、それはそれは見事。リアルな空気感は「まるでサウンドボード」とはちょっと違いますが、真っ直ぐに届く演奏/歌声の芯の太さはライン録音にも匹敵する。
その上で、その芯を彩る“鳴り”の美しさは、間違いなくオーディエンス録音。その空気感が透明に透き通っており、細やかなディテールまでハッキリ伝わるのです。
ベース・サウンドにややビビリはあるものの、逞しく飛び込む歌声が距離感もほとんどなしに飛び込みつつ、その会場音響が頭の後ろに広がるような感覚。
詳しい録音ポジションは失われてしまったものの、PAの間近で録音されたのでしょう。もちろん、録音家本人から譲られたマスター・カセットだけに鮮度は究極的です。
そんな輝くクリア・サウンドで描かれるのは、BAY CITY ROLLERSだけではない。実は、日本武道館の現場に集った観客たちの息吹もキラキラとしているのです。こう書くと話し声や絶叫にまみれた録音をイメージされるかも知れませんが、そういうタイプではありません。もちろん、猛烈な黄色い嬌声が沸き立つのですが、間近な声は一切なく、まるでムードを盛り上げるSEのように曲と同化し、几帳面な手拍子はエッジも鋭くリズム隊と一体化している。
BAY CITY ROLLERSの5人を全力で歓待する気持ちが溢れ出し「盛り上げて喜んでほしい!」というムードが八角形の空間に充ち満ちている……そんなライヴアルバムなのです。
その嬌声の黄色いことと言ったら……。5人が登場するやキャアッキャア、曲間でもキィィィヤァアァ。その立体感だけでメンバーがどこに立ち、どう動いているのか目に浮かんできます。
「I Only Want To Be With You」のサビでレスリーがマイクを向けるのですが、「I only want to be with キャアッ!」になってしまう(笑)。しかし、そんな声が微笑ましくてもウザくないのは、遠いからでしょう。恐らく現場には推しメンバーの名を叫んでいる女の子が大量にいるはずですが、その名前が聴き取れるほど近くない。総体としての“うねり”になっているのです。そして、その“うねり”がやけに感動的。
「Bye Bye Baby」後の声援の海、「Don't Let the Music Die」で歌詞の1語1語までキッチリと歌いきる洋楽女子たち……。お約束の「S-A-T-U-R-D-A-Y night!」もすんごいことになってます。
【夜の部:60分の放送サウンドボード】
そんな“夕方の部”は、ディスク2の4曲目まで。ディスク2の残りには“夜の部”の放送音源が収録されています。番組用に60分枠に合わせて編集されており、途中にインタビューも入るラジオ音源です。
本編である“夕方の部”も素晴らしく“80年代のリアル”を伝えてくれましたが、こちらも凄い。サウンドボードだからこその超ダイレクト感が鮮烈で、コーラスの一語一語まで誰の声かハッキリと分かります。
そして、こちらでも現場の洋楽女子が大活躍。放送ですから如何様にもミックスできるわけですが、なんとオーディエンス録音の“夕方の部”よりもデカく入れている(笑)。普通、ラジオ放送は曲間だけ歓声をミックスし、それ以外はほとんど消してしまうのが常識。ところが、この場組では演奏中でもお構いなしに悲鳴が絶え間なく、全編真っ黄色。しかも、この歓声が疑似ではなく、完全に本物。キャアキャアの中にメロディを歌う声が紛れており、各曲のサビに達するや女子声がレスリーと同じくらいに強烈なのです。もちろん、曲間でもレスリーが「コンニチワッ」と言えば、「こんにちわぁ!」、「Hallow!!」と言えば「はろー!」と、ひらがなで返す絶叫。ここまで大胆に歓声を重視したミックス、よほど日本の大歓待が嬉しかったのか……。日本武道館の洋楽女子たちは、間違いなく「6人目のメンバー扱い」になっているのです。
“日本とBAY CITY ROLLERS”と言えば、公式盤『LIVE IN JAPAN』『ROLLERWORLD』にも刻まれた蜜月の仲。しかし、前者にはロングミュアー兄弟が不在で、後者にはアランがいませんでした。それに対し、本作は“あの5人”が全員勢揃い。上記2枚を揃えても聴けない「When Will You Be Mine」「The Pie」「My Lisa」「Back On The Street」もたっぷり聴かせてくれるのです。
“あの5人”だからこそ、日本だからこその熱狂。その2公演を特級オーディエンスと放送サウンドボードで真空パックした1本。
Live at Budokan, Tokyo, Japan 4th September 1982 Afternoon & Evening Show TRULY AMAZING SOUND(from Original Masters)
Afternoon Show Disc 1(73:13)
1. Land Of Hope And Glory
2. Remember (Sha La La La)
3. Shang-a-Lang
4. Wouldn't You Like It
5. The Way I Feel Tonight
6. Rock 'n Roll Honeymoon
7. Rock 'N Roller
8. When Will You Be Mine
9. The Pie
10. Don't Stop The Music
11. My Lisa
12. Give a Little Love
13. Shanghai'd In Love
14. Love Fever
15. Back On The Street
16. You Made Me Believe In Magic
17. Rebel Rebel
18. Rock 'n' Roll Love Letter
19. It's A Game
20. Money Honey
Disc 2(77:29)
1. I Only Want to Be With You
2. Bye Bye Baby
3. Don't Let the Music Die
4. Saturday Night Evening Show (Broadcast)
Evening Show
5. Land Of Hope And Glory
6. Remember (Sha La La La)
7. Shang-a-Lang
8. Rock 'N Roller
9. The Way I Feel Tonight
10. Interviews
11. Wouldn't You Like It / Interviews
12. Rock 'n Roll Honeymoon
13. Love Fever
14. Give a Little Love
15. You Made Me Believe In Magic Session (Studio)
16. You Made Me Believe In Magic
17. Rock 'n' Roll Love Letter
18. It's A Game
19. Money Honey
20. I Only Want to Be With You
21. Bye Bye Baby
22. Don't Let the Music Die
23. Saturday Night
Les McKeown - Vocal
Eric Faulkner - Guitar
Stuart "Woody" Wood – Guitar
Alan Longmuir - Bass
Derek Longmuir - Drums
世界中の少女達が彼等から受け取った、『Rock N'Roll Love Letter』
『ロックン・ロール・ラブレター』(Rock N'Roll Love Letter) は、1976年はじめに、アリスタ・レコードから北アメリカ市場だけにリリースされました。
収録された11曲のうち、2曲はベイ・シティ・ローラーズが1975年にイギリスでリリースした『噂のベイ・シティ・ローラーズ』(Once Upon a Star) から、7曲は『青春のアイドル』(Wouldn't You Like It?)から採られ、残り2曲は新たに録音されたシングル曲でした。レコードのジャケット写真は、『青春のアイドル』と同じものでした。
リリース 1976年3月
録音 1975年
プロデュース
フィル・ワインマン
コリン・フレッチャー (Colin Fretcher)
トラックリスト
1. マネー・ハニー
"Money Honey"
(Eric Faulkner, Stuart Wood)
2. いとしのジュネ
"La Belle Jeane"
(Faulkner, Wood)
3. ロックン・ロール・ラブレター
"Rock and Roll Love Letter"
(Tim Moore)
4. アイム・ア・フール
"Maybe I'm a Fool to Love You"
(Faulkner, Wood)
5. 二人でいつまでも
"Wouldn't You Like It"
(Faulkner, Wood)
6. ダンスはゴキゲン
"I Only Wanna Dance With You"
(Faulkner, Wood)
7. 恋のシャンハイ
"Shanghai'd in Love"
(Faulkner, Wood)
8. レッツ・ゴー・ミュージック
"Don't Stop the Music"
(Faulkner, Wood)
9. ディスコ ・ キッド
"The Disco Kid"
(Faulkner, Wood)
10. イーグルズ・フライ
"Eagles Fly"
(Faulkner, Wood)
11. 若さでロックン・ロール
"Too Young to Rock & Roll"
(Faulkner, Wood)
このアルバムは、「Rock And Roll Love Letter」を除いて、オリジナル曲10曲を収録しています。
■ パーソネル
エリック・フォークナー
ギター
アラン・ロングミュアー
ベース
デレク・ロングミュアー
ドラムス
レスリー・マッコーエン
リード・ボーカル
スチュアート・ウッディ・ウッド
ギター
■ ベイ・シティ・ローラーズの主な活動を振り返ってみました
活動期間
1966年 - 1987年
1990年
1998年 - 2000年
2015年 - 2020年
歴代メンバー
ノビー・クラーク (Nobby Clark)
1950年9月10日
リード・ボーカル(1973年脱退)
レスリー・マッコーエン (Les McKeown)
1955年11月12日 - 2021年04月20日
リード・ボーカル
エリック・フォークナー (Eric Faulkner)
1953年10月21日
リード・ギター
スチュアート・ウッディ・ウッド (Stuart John Wood)
1957年2月25日
サイド・ギター、ベース
アラン・ロングミュアー (Alan Longmuir)
1948年6月20日 - 2018年7月2日
ベース
デレク・ロングミュアー (Derek Longmuir)
1951年3月19日
ドラム
イアン・ミッチェル (Ian MItchell)
1958年8月22日 - 2020年9月1日
ギター
パット・マッグリン (Pat McGlynn)
1958年3月31日
ギター
ダンカン・フォール (Duncan Faure)
1956年12月16日
リード・ボーカル、ギター
デイヴィッド・ペイトン(英語版)(David Paton)
1949年10月29日
ギター
スタジオ・アルバム
『エジンバラの騎士』 - Rollin' (1974年)
『噂のベイ・シティ・ローラーズ』 - Once Upon A Star (1975年)
『青春のアイドル』 - Wouldn't You Like It? (1975年)
『青春に捧げるメロディー』 - Dedication (1976年)
『恋のゲーム』 - It's a Game (1977年)
『風のストレンジャー(英語版)』 - Strangers in the Wind (1978年)
『エレベーター(英語版)』 - Elevator (1979年)
『ザ・ヒーロー(英語版)』 - Voxx (1980年)
『リコシェ(英語版)』 - Ricochet (1981年)
『ブレイクアウト』 - Breakout '85 (1985年)
A Christmas Shang-A-Lang (2015年) ※Bay City Rollers Reunion名義
ライブ・アルバム
『ライヴ・イン・ジャパン』 - Live in Japan (1985年)
『武道館ライヴ 1977』 - Rollerworld : Live at the Budokan 1977 (2001年)
おもなコンピレーション・アルバム
北米向け
『ベイ・シティ・ローラーズ』 - Bay City Rollers (1975年)
『ロックン・ロール・ラブレター』 - Rock N'Roll Love Letter (1976年)
『Greatest Hits (1977)』 - Greatest Hits (1977年)
The Definitive Collection (2000年)
日本向け
『ニュー・ベスト』 (1976年)
『B.C.R.グレイテスト・ヒッツ / ハートで歌おう』(1977年) - 米盤『Greatest Hits (1977)』から「アイム・ア・フール」をカットし「恋のゲーム」「ロックン・ローラー」「ハートで歌おう」を追加収録
『ベスト・オブ・ベイ・シティ・ローラーズ』 (2002年) ※北米向け『The Definitive Collection』と同内容
代表的な楽曲
日本では独自の訳詞やタイトルを付けてカバーされている事も多い
・「バイ・バイ・ベイビー」 - "Bye Bye Baby"
フォー・シーズンズのカバー
・「サタデー・ナイト」 - "Saturday Night"
作曲フィル・クールター、作詞ウィリアム・マーティン
1989年に三菱・ミニカ(6代目)のCMソングに起用された
・「二人だけのデート」 - "I only want to be with you"
ダスティ・スプリングフィールドのカバー
TBS系「はなまるマーケット」のオープニングトークテーマ曲として番組開始〜2004年3月、2014年1月〜最終回まで用いられた
なお、2004年4月〜2013年12月はTommy february6のカバーしたものが使用されていた
・「ロックン・ロール・ラブレター」 - "Rock and Roll Love Letter"
ティム・ムーアのカバー
・「イエスタデイズ・ヒーロー」 - "Yesterday's Hero"
ジョン・ポール・ヤングのカバー
テレビ
『独占!ベイ・シティ・ローラーズ特集』(1977年10月14日、フジテレビ)
おもなシングル
朝まで踊ろう (1971)
想い出に口づけ (1973)
ベイ・シティ・ローラーズのテーマ(恋のロックン・ロール) (1974)
太陽の中の恋 (1974)
バイ・バイ・ベイビー (1975)
恋をちょっぴり (1975)
二人だけのデート (1975)
イエスタデイズ・ヒーロー (1975)
サタデー・ナイト (1975)
マネー・ハニー (1976)
ロックン・ロール・ラブレター (1976)
夢の中の恋 (1977)
愛をささやくとき (1977)
ハートで歌おう (1978)
資料は、Wikipedia、Wikiwandを引用しています
ご視聴ありがとうございました
僕等はあの日の夢が船出していくのをただ見つめていた、悲しみの『Strangers In The Wind』
『風のストレンジャー』は、エア・サプライのヒット曲をプロデュースしたハリー・マスリンのプロデュース作品をフィーチャーした、グループの6枚目のオリジナルスタジオアルバムです。
1978年初頭、創設メンバーであるベーシストのアラン・ロングミュアーが2年間の休止期間を経てバンドに復帰し、、ローラーズの最も成功したラインナップが再結成されました。このグループは、土曜日の朝のNBC番組である、独自のネットワークテレビシリーズであるベイシティローラーズ主演のクロフトスーパースターアワーに合わせて、ニューアルバムのリリースのタイミングを調整しました。
バンドは、1979年リリースの『エレベーター』で、別の新しいラインナップと名前の変更で再びグループをつくりました。
Released 1978
Recorded 1978
Producer Harry Maslin
Track listing
Side one
1. "Another Rainy Day in New York City"
(Eric Faulkner, Stuart Wood)
こちらの歌詞も素敵なので掲載いたします
洋楽和訳 Neverending Music
音時(オンタイム)様よりお借りいたしました
ラジオを聴いてごらん
早朝番組が
"きみは一人じゃないよ"って教えてくれる
ある雨の日のニューヨーク
ざあざあと どしゃ降りだ
まるで
早朝に出会った見知らぬ者どうし
2人にはもう何も話すことがない
口にできるのは..."じゃあ またね…"って
あの夜のことを想い出す
すべてがうまくいってると思ってた
僕には知るよしもなかったんだ
いまはもう きみの気持ちは
どこかに行ってしまった
だってきみに電話をしたときに
交換手さんが言ったのさ
"どなたもお出になりません..."
ある雨の日のニューヨーク
夜の街灯りはきっと
とても素敵に見えるだろう
僕はキャンドルを風にかざして
夢が船出していくのをただ見つめてた
どこにでもある風景さ
雨の日のニューヨーク...
つい昨日のように思えるよ
人生は僕にとって気楽なゲームだった
今日のニューヨークは雨
ざあざあと どしゃ降りだ
そして僕は一人ぼっちで
ラジオをつける
"太陽は顔を出さず くもり"だそうだ
きみの口にした言葉が
僕の頭のなかをぐるぐる回ってる
ああ きみを忘れなきゃと思うけど
僕にはそれができないんだ...
ある雨の日のニューヨーク
夜の街灯りはきっと
とても素敵に見えるだろう
僕はキャンドルを風にかざして
夢が船出していくのをただ見つめてた
どこにでもある風景さ
雨の日のニューヨーク...
何でもない普通の
雨の日のニューヨークの一日
それでも夜になると
街の灯りはきっときれいなはずさ…
日本語訳 by 音時
2. "All of the World Is Falling in Love"
(Faulkner, Wood)
3. "Where Will I Be Now"
(Chris East)
4. "Back on the Street"
(Faulkner, Wood)
5. "Strangers in the Wind"
(Faulkner, Wood)
とても良い歌詞なので掲載いたします
歌詞をameba blog せまる様
https://ameblo.jp/semarusan/theme-10021814161.html
よりお借りいたしました
「風のストレンジャー」
スーツケースいっぱいに夢を込めて
街の生活に向かって旅立つ僕
ほど遠い願いを果たせなかった
そんな過去を思い出そうとしても
彼女の言葉は思い出せない
でも僕の答えはいつも一緒だった
そしてそんな彼女を
僕は前にも見ていた
でも今度だけは何もかも違って見えたのさ
一度だって僕のものじゃなかった
友達にさよなら
まだ僕をおぼえてるかい?
自分を大切にしろよ
捨てばちにならないで
夢も約束も破れてしまった君は
果たして僕のことを知っているのかな?
僕らも今は大人になったけど
君はちっとも変わらないね
本当に必要な人のために祈るんだ
土曜日にはたくさんの連中が帰ってくるから
気にかけるんじゃないよ
いうことは山ほどあるけれど
決して変わらないものもあるさ
たくさんの顔が僕のそばをとおり過ぎていく
僕の役割ももう終わったよ
金がものをいうと人はいう
僕はただ混乱しながらも
君に向かって笑うだけ
古いアパートだったところを
彼らは極彩色の空に浮かぶ
ジグソーに変えたっけ
子供たちの遊び場にね
でも子供たちはもういないよ
ドアにナンバーのついた
素敵な部屋があるのに
彼女の瞳の中には僕の安らぎがあるのさ
オープンなハートの中に
隠れることもできるんだよ
変化を悔やんでもしょうがないよ
人生は日々新しくなっていくのさ
彼女は待っててくれるかな?
全てが終わった後も
彼女はまだ自由にしてるかな
それともチャンスを失ってしまうのかな?
愛を得るのは難しいよ
夢が夜の闇を吹き荒れる中で
彼女の手には一冊の本が開かれていて
彼女は合図してそれからページをめくった
彼女は微笑みの中に
物語の終わりを知ってたのさ
でも僕の眼に写る彼女は見てるのさ
僕らは風の中の見知らぬ同士
「Strangers In The Wind」
(訳:武内邦愛)
Side two
1. "Love Brought Me Such a Magical Thing"
(Barry Kirsch, Charlie Spencer)
2. "If You Were My Woman"
(Faulkner, Wood)
演奏は、0:24~2:00の間です
3. "Every Tear I Cry"
(Iain Sutherland)
4. "Shoorah Shoorah for Hollywood"
(Faulkner, Wood)
5. "When I Say I Love You (The Pie)"
(Iain Sutherland)
■ Personnel
【Group members】
Eric Faulkner
Lead guitars, acoustic guitars, vocoder, Roland synth-guitar, harmony vocals
lead vocal on "Back on the Street"
Date of birth 10.21.1955
Alan Longmuir
Rhythm & acoustic guitars, synthesizer, harmony vocals
Date of birth 6.20.1949
Derek Longmuir
Drums, vocals
Date of birth 3.19.1951
Les McKeown
Lead vocals, harmonies
Date of birth 11.12.1955
Stuart "Woody" Wood
Bass, saxophone, harmony vocals
lead vocal on "Magical Thing"
Date of birth 2.25.1957
生年月日表記 MM/DD/YYYY
メンバーの生年月日につきましては、参考資料によって違うようですm(__)m
【Other personnel】
Harry Maslin – producer
David Richards – engineer
Martin Pearson – assistant engineer
Barry Fasman – strings and brass arrangements
Richard Belis – vocal arrangements
Nicky Hopkins – keyboards
Neal Preston – photography
Bob Iwanicki – sleeve illustrator
Recorded at Mountain Studios, Montreux, Switzerland
このアルバムは、イギリスでの人気に陰りがみられ、アメリカを意識した音作りが行われている作品です。美しいストリングスで始まる 「雨のニューヨーク」 は日本でも人気がありました。
1曲目の楽曲である「雨のニューヨーク」は、悲哀に満ちている
エリックとウッディがレスリーのことをたとえているようで
美しいけれど、悲しくて涙なしでは聴けない曲だ
大好きなのに、抱きしめたいのに、彼は背を向けて行ってしまう
いつも一緒だったのに・・・
そんな悲しい風景だ
一番悲しかったのは私達ファンではなくて、彼等だったんだろう
今はそう思える
築き上げてきたものが全て壊れていく悔しさを感じたのは、彼等だったと思う
B.C.R.の活動はここで終わってしまった
あなた達の奏でる音楽を聴いていた11歳の少女は
その後も多くの音楽を楽しんできた
そして、45年後の彼女は今もあなた達の音楽を愛している
本当にキラキラと輝く人達だった
ありがとう、Bay City Rollers
ご視聴ありがとうございました
資料は、Wikipediaから引用しています
4人がプロの意地を見せた、5th Album 『It's A Game』
『恋のゲーム』(It's a Game)
5枚目のスタジオ・アルバムです。
デヴィッド・ボウイを手掛けて成功していたハリー・マスリン(英語版)がプロデュースしました。
この作品は、アメリカ合衆国でゴールド・ディスクを獲得しましたが、彼等の人気は当初の爆発的な成功から大きく揺らぎはじめており、本作以降のアルバムは売り上げが縮小しています。日本でも、「人気も過熱気味」と言われたタイミングの1977年7月13日にリリースされ、7月25日付と8月1日付のオリコン・アルバムチャートで首位となった作品です。
『青春に捧げるメロディー』に参加していたギタリストのイアン・ミッチェルは、1976年後半にバンドを脱退し、パット・マッグリンに交代。
マッグリンはバンドとともにツアーし、『恋のゲーム』の録音セッションにも当初から参加していましたが、程なくしてバンドを追われています。
完成したアルバムは、4人編成のバンドとしてのローラーズの作品とされており、マッグリンが参加した痕跡ははありません。その後、1978年には、結成当初のメンバーであったアラン・ロングミュアーが復帰して、バンドは再び5人編成となりました。
トラックリスト
Side One
1. 恋のゲーム
"It's a Game"
(Chris Adams)
2. 夢の中の恋
"You Made Me Believe in Magic"
(Len Boone)
3. ハートで歌おう
"Don't Let the Music Die"
(Eric Faulkner, Stuart Wood)
4. ラヴ・パワー
"Love Power"
(Teddy Vann)
5. 愛をささやくとき
"The Way I Feel Tonight"
(Harvey Shield)
6. 冷たいあの娘
"The Pie"
(Iain Sutherland)
Side Two
1. ラヴ・フィーバー
"Love Fever" (Faulkner, Wood)
2. スイート・バージニア
"Sweet Virginia"
(Faulkner, Wood, Derek Longmuir, Les McKeown, Pat McGlynn)
3. 孤独の涙
"Inside a Broken Dream"
(Faulkner, Wood, McKeown)
優れた楽曲なのでご紹介したかったのですが、
オリジナル音源がありませんでした
グラハムボネ太郎様のお好きなキャンディーズのカバーです
作詞・作曲:E. Faulkner・Steve Wood・Leslie McKeown
編曲:あかのたちお
オリジナル歌唱:Bay City Rollers
4. ダンス・ダンス・ダンス
"Dance, Dance, Dance" (Faulkner, Wood)
5. 炎の反逆
"Rebel Rebel"
(David Bowie)
日本盤LPではA面の6曲目として「冷たいあの娘 (The Pie)」が追加されており、1990年代以降に発売されたCDにおいてもこれを含めた11曲が収録されています。
■ パーソナル
エリック・フォークナー
ギター、ボーカル
デレク・ロングミュアー
ドラムス、ボーカル
レスリー・マッコーエン
リード・ボーカル
スチュアート・"ウッディ"・ウッド
ベース、ボーカル
■ こちらは、1977年のTV映像です(Fuji Studio)
ナレーションは八木誠さんですが、語りが多くて声が邪魔しています
1.It´s A Game
2.Saturday Night
3.You´re A Woman
4.Rock´nRoll Love Letter
5.Rebel Rebel
6.Sweet Virginia
7.Love Fever
8.Dance Dance Dance
9.Money Honey
10.Don´t Let The Music Die
バンドはメンバーチェンジを繰り返し、混乱する中においても、
「ハートで歌おう」
「スィート・ヴァージニア」
「孤独の涙」
「ラヴ・フィーバー」
「ダンス・ダンス・ダンス」などの
優れた楽曲を生み出しました
彼等はプロの意地を見せたのです
しかも、彼等はボーイズ・バンドからロック・バンドへ見事に転換していました
以前の彼等とは違いますが、良い作品だと思います
苦しい状況の中に於いても、
仕事をこなし、確実に結果を出しました
私達には分からない裏側で彼等は闘っていたのです
そう思うと感慨深いものがあります
資料は、Wikipediaより引用しています
ご視聴ありがとうございました