マイク・シノダ 『ポスト・トラウマティック』

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私達は同じ悲しみを心に抱く仲間であり、同じ想いで繋がっています
もうすぐチェスターが居なくなって4年になりますが、悲しみは変わることはなく、乗り越えることは一生出来ません
しかし、悲しんでばかりもいられません
私達は前進するしかないのです

マイクも同じ気持ちだったと思います
恐れずに、ありのままを形(音楽)にすることが表現者であり、マイク自身のあり方だからです


「Looking For An Answer」
2017年10月、LINKIN PARKがハリウッド・ボウルで開催したChesterの追悼公演
MikeはChesterが亡くなった8日後に書いた「Looking For An Answer」という曲をピアノの弾き語りで披露しました。この曲はアルバムには収録されていませんが、彼のソロ曲は、この夜初めてファンに紹介されました。



皆大丈夫だよというけれど
俺は忘れられないんだ
どうすればいいか教えてくれ

俺はひとり  
見失ってしまったんだ

答えを探してしまうんだ
そんなのどこにもないのに


Album 『Post Traumatic』


■ 以下、rockin'on 2018.02.13の記事より全文を引用いたします
【マイク・シノダが最新EP『Post Traumatic』に託した、「チェスター喪失の先」を生きる決意】

1月25日に配信リリースされたマイク・シノダの最新EP『Post Traumatic』。リンキン・パークの一員としてともに音楽を紡いできた盟友=チェスター・ベニントンを喪った衝撃に今なお揺れ続けるシノダの胸中が、今作に収められた切実な新曲群“Place To Start”“Over Again”“Watching As I Fall”からも色濃く滲んでくる。

「僕が作り上げるものは粉々に壊れてしまうかもしれない」と怖れるのはもう嫌だ、終わりなんて知りたくない、僕が欲しいのは「始まりの場所」だ――とモノローグのような調子で切々と歌われる“Place To Start”。昨年10月27日に米LA・ハリウッドボウルで開催されたチェスター追悼コンサートの舞台に立つまでの感情を包み隠さずラップ越しに述懐した“Over Again”。そして、重厚かつ不穏なリズムトラックとともに「《彼ら》は僕が墜ちていくのを見ている」と自分を取り巻く世間の視線に対する違和感を露わにした“Watching As I Fall”――。

リリース直後にシノダがTwitterでファンに向けて公開した自筆のメッセージにも「これはリンキン・パークでもフォート・マイナーでもなく、僕自身だ」と綴られていた通り、ここにあるのは極めて私的な、シノダの心の奥底にある想いの結晶そのものなのだろう。
リンキン・パークのライブアルバム『ワン・モア・ライト・ライヴ』の発売に際して昨年12月に行われたInstagram上のリスニングパーティーで「チェスターの声をあんなに長い時間聴いているのが辛かった」と途中退席したことを後日明かしていたシノダ。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)を示唆するシリアスな作品タイトルはそのまま、彼自身の状態を残酷なまでにダイレクトに自ら描ききったものと言える。

しかし。今作には、チェスター追悼コンサートでシノダがピアノ弾き語りで披露した“Looking For An Answer”は収められていない。チェスター急逝後のシノダ自身の、虚空を彷徨うような喪失感をそのまま焼き込んだあの楽曲の哀しい美しさとは、今のモードは明確に一線を画したものである――ということも、この『Post Traumatic』という作品はリアルに物語っている。

「リンキン・パークを続けるつもりだし、メンバーみんな同じ気持ちだ。でもそのために、たくさん立て直さなきゃいけないものもあるし、答えるべき問いもある。時間が必要だ」――困難な状況に屈することなく一歩一歩前に進もうとするシノダのアティテュードが、彼の日々のツイートから伝わってくる。今年8月にはマイク・シノダ名義で「SUMMER SONIC 2018」に出演することも決定。「その先」へ向けて歩み始めた彼の決意に、最大限の拍手を贈りたい。(高橋智樹)


■ 【マイク・シノダ1万字インタビュー:チェスター・ベニントンの死と自身の現在地】
Rolling Stone Kory Grow 2018/06/28 より一部分を引用しています

● 『ポスト・トラウマティック』のテーマはベニントンの死というよりも、彼を失ったシノダが向き合った自分自身の姿だ(本作がベニントンのトリビュートアルバムと解釈されることだけは避けたいと彼は話す)。ベニントンの死の直後に書かれたと思われる、悪夢の中を彷徨っているかのような「プレイス・トゥ・スタート」で彼はこう歌う。「誰か俺の存在意義を教えてくれないか?過去を忘れようと必死なんだ」


「感じたままを歌詞にしたんだ」彼はそう話す。「こんなことは曲にすべきじゃないとか、世間はどう思うだろうとか考えたこともあった。大切な誰かを失った人間が何かを生み出そうとする時、それは避けられないと思う。途方もない悲しみに暮れている時、人は不毛な自問自答を繰り返す。俺もそうだった。曲を作ることに怯えていた時期もあった」


シノダの友人でもあるデフトーンズのフロントマン、チノ・モレノは彼に共感する。2008年にバンドのベーシストだったチ・チェンが交通事故に遭い、5年間生死の境をさまよった果てにこの世を去った。ベニントンが逝去したことを知ったモレノは、当初はシノダに連絡することをためらっていたが、後にメールを送ったという。それがきっかけで2人は共にスタジオ入りし、『ポスト・トラウマティック』に収録された「リフト・オフ」を共にレコーディングした。

またその時、2人は両者が経験した喪失感について語り合ったという。「主に話し合ったのは、罪悪感を覚えることなく創作活動ができるようになるまでに、どれだけの時間が必要かということだった」モレノはそう話す。「彼が生み出してきた音楽のいちリスナーだからこそ、俺には彼の葛藤がよく理解できたんだ」



● シノダが最後にベニントンと会ったのは、彼がこの世を去るわずか数日前のことだった。「あいつからワツキーっていう名前の少年を紹介されたんだ」ラッパーであり詩人でもあるその少年の才能に、ベニントンは惚れ込んでいたという。「あいつは彼のことをしょっちゅう話題にしてたから、俺にも紹介してくれよって言ったんだ。それからしばらくして、ワツキーは友達と2人で俺たちがいるスタジオにやってきた。彼らが帰った後も、チェスターと俺はしばらくスタジオに残ってた。できそこないの曲をいじってみたり、控えていたブリンク182とのジョイントツアーのことなんかを話したりしてた。どうってことのない、いつものムードだったよ」


その数日後、ベニントンはロンサンゼルスの自宅で自ら命を絶った。本誌の取材に応じた友人によると、彼はアルコールへの依存に苦しんでいたという。また同年上旬に行われたインタビューの場で、リンキン・パークのヒット曲「ヘヴィ」について尋ねられたベニントンは、うつ症状に悩まされていることを告白している。検死報告書によると、ベニントンの体からはアルコールが検知されている。「当日の彼がどれだけ飲んでいたかは分からないけど、彼のアルコール依存の深刻ぶりを考えれば、わずかな量がその引き金になってしまった可能性も否定はできない」ベニントンの友人であり、彼のサイドプロジェクトであるデッド・バイ・サンライズのメンバーであるライアン・シャックは本誌にそう語っている。「ほんのわずかなアルコールが、彼の自制心を奪ってしまったのかもしれない」



● シノダから見たベニントンは、予測不可能で巨大なエゴを抱えた、複雑なキャラクターの持ち主だった。「声だけじゃなく、あいつはパーソナリティもラウドだった」彼はそう話す。「あいつはどこでも誰とでもすぐ打ち解けるって、いつも俺たちからからかわれてた。とにかく楽しいことに目がないやつだったんだよ。その一方で、内面はとても繊細で複雑だった」

「やたら熱いくせに、ものすごく冷淡なところもあるんだ」彼はそう続ける。「あいつは映画オンチだって、俺はいつもネタにしてた。俺がまだ観てない映画の感想を聞くと、『10点中11点』とか『あんなクソみたいな作品に巨額の金が注ぎ込まれたなんて信じらんねぇよ。金返せってんだ』なんて言ってた。そういうやつだったんだよ」

感謝祭の日には何十人もの親戚を招いて料理を振る舞うなど、家庭人として知られたベニントンは、他人にも驚くほど気さくに接することもあったという。「まるで予想がつかないんだ」シノダはそう話す。「そっけない態度をとることもあれば、相手がひくような話をし始めることもある。飛行機で隣に座ってる赤の他人を相手に、どう考えても場違いな話を延々と続けたりね。小さな子供のように純粋で、無防備なところがあったんだ」

ベニントンの死の直後、リンキン・パークはウェブサイトにコメントを掲載した。ある一節が感じさせる切実さは今も当時のままだ。「悪魔がお前を奪い去ることは運命だったと、俺たちは自分に言い聞かせようとしてる。音楽を通じてその悪魔と向き合ったお前に世界中の人々が共感したことは、きっと奴らとの契約の一部だったんだろう」

その一節について尋ねられると、シノダはしばらく押し黙り、適切な言葉を探すかのように周囲を見渡していた。「あのくだりが言わんとしていることを一言で説明するなら、俺たちはあいつがどういう人間かを知ってたってことだよ」彼はそう話す。「何が起きてもおかしくないと、俺たちは心のどこかで覚悟してたし、それはあいつ自身も同じだったと思う。そういうことだよ。大切な人間を失った悲しみは、そう簡単に癒えはしない。傷口は今も開いたままだ」

● 「誰かの死と向き合うっていう行為は、様々な感情に順番に向き合っていくことだと思ってた」彼はそう話す。「実際はそうじゃない。家族や友人がその人物の死を悼む時、彼らは同じタイミイングでまったく異なる感情を抱えている。その状態はカオスへと変貌していくんだ。精神的脆さを露呈する人間もいれば、ただ悲しみに暮れたり、怒りに身を任せる人もいる。かと思えば、中にはその事実を深刻に受け止めようとしない人間だっている。そういう感情のズレは、やがて人間関係に影響し始める。俺が1人で作品を作ろうと思ったのは、そのカオスから自分を遠ざけ、自分自身の感情と向き合おうとしたからでもあるんだ」

● 「過去数年間で、俺はソングライターとして大きく成長したと感じているんだ」彼はそう話す。「それはヒット曲を書けるようになったっていう意味じゃない。ある曲に対して、多様なアプローチができるようになったってことなんだ。以前は曲の大半を俺が一人で書き上げて、スタジオでバンドのメンバーに弾いてもらうっていうやり方だった。彼らと一緒に曲を作り上げていくこともあったけど、あまりいい結果に繋がらなかったんだ。でも(リンキン・パークの2014年作)『ザ・ハンティング・パーティ』の一部、それと『ワン・モア・ライト』(2017年)の大半で外部のソングライターと作業した経験を通じて、俺はそれまでとは異なる作曲アプローチを身につけた。それは今作にも生かされているし、その制作過程からも多くを学んだと思う」

「あらゆる曲にはテーマがあるべきだ」彼はそう続ける。「人生そのものに退屈してしまっているような状況では、優れた作品は生まれにくい。でも人生が波乱に満ちていると、想像力の泉から無数のアイディアが湧き起こってくるものなんだ」


● 冒頭曲の「プレイス・トゥ・スタート」から、最終曲の「キャント・ユー・ヒアー・ナウ」を書き上げていく過程は、彼の心情を大きく変化させていったという。『ポスト・トラウマティック』は、彼が大切な人間を失ったという現実を受け入れられるようになるまでの、9ヶ月間にわたる精神面の変遷を描いた作品だ。歌詞の中には自意識の膨張を抑えきれず、理性的な言葉を見つけられなかった部分もあるという。本作には「ホールド・イット・トゥギャザー」のバースデイパーティーの一節のような、彼の日常を切り取った描写が数多く登場する。

「あのラインは特に印象に残っているもののひとつだ」彼はそう話す。「普段は『これは曲になるかもしれない』なんていう風に、日常のワンシーンを書き留めておくようなことはしないんだ。このアルバムにおけるそういう描写は、俺が創作活動にいかに没頭していたかを物語ってると思う。その幾つかは、アルバムにおける個人的ハイライトと言ってもいい」

「このアルバムを作ることは、俺のキャリアにひとつの区切りをつけるっていう意味もあったんだと思う。『思いはすべて吐き出した、もう言うべきことはない。このチャプターは終わりを迎えた』そんな風に感じてるんだ」彼はそう話す。「普段なら恐怖を伴う感覚だ。でも俺にとっては、新しいチャプターの幕開けを告げるコールだったんだ。このアルバムを完成させたことで、こういう区切りのつけ方もあるってことを学んだよ」

彼の描く絵がそうであるように、その音楽もまたベニントンの死と切り離して受け止められることは決してないということを、シノダはある時点で理解したという。「アバウト・ユー」のコーラスでは、その思いがこう歌われている。「思い浮かべるのは別の誰かなのに、気づけばそれはお前の姿をしているんだ」シノダはこう話す。「チェスターのこと以外にも、俺は曲にしたい思いをたくさん抱えてる。でも人々は、何もかもをあの悲劇的な出来事と結びつけてしまう。そのもどかしさを曲にしたかったんだ」


そのコンセプトは『ポスト・トラウマティック』をリリースするべきかどうかという葛藤とも結びついていた。「有名人の身に起きる出来事を、世間はいつだって深読みしようとする」彼はそう話す。「ある男性が彼女が別れた途端、『知ってる? 彼はコーヒー党なのに、今朝は紅茶を飲んでたらしいわよ。きっと彼女と別れたせいね』なんて世間は噂し始める。本当のことは誰にもわからないのにさ。インターネットは誰かのイメージを勝手に作り上げてしまうんだよ」

自身もその状況に置かれるであろうことを「ある程度は覚悟している」と話す彼は、他人と気まずいやり取りを交わすことにも慣れたという。


● リンキン・パークの今後について考える前に、まずは『ポスト・トラウマティック』がどう受け止められるかを見極めたいとシノダは話す。5月にソロのミニツアーを開催した際、当初こそ感情の波に飲み込まれそうになりながらも、自信をつけるまでに長くはかからなかったという。「すごく緊張したけど、ショーの半分を終えた頃にやっと落ち着きを取り戻して、マイクを通してオーディエンスにこう話したんだ。『一番ハードな部分を乗り越えたから、最後までやれるはずだ』」彼はそう話す。「決して感極まったわけじゃないんだ。ただ過去のショーとは何もかもが違ったから、覚悟を決めるまでに少し時間がかかったってことさ」


当日のセットリストは『ポスト・トラウマティック』の曲やリンキン・パークのトラックだけでなく、シノダの別プロジェクトであるフォート・マイナーの曲も交えられていた。その内容は今後変わっていく予定だという。「今はいろんな選択肢を残しておきたいんだ」そのスタンスは、ショーの内容が(ベニントンに対する)トリビュート的だとする批判を受けてのことなのかもしれない。「そんなつもりはないんだけどね」彼はそう話す。「トリビュート的な部分もあるかもしれないけど、それはあくまでショーの一部でしかない。後日、あのショーがトリビュート的だったかどうかファンに意見を求めたんだけど、大半はそうじゃないって言ってくれた。メディアはアクセスを集めるヘッドラインを立てようとするもんなんだよ」

彼は席を立つと、飲み干したコーヒーの隣で手付かずのままになっていたマフィンを手に取った。どんなことがあったとしても、自分が置かれている状況を受け入れて前に進み続けること、それが彼がファンと共有しようとするマインドセットだ。「アートには傷を癒す力がある」彼はそう話す。「俺は大切ものを失い、悲しみに暮れていたけれど、こうしてまた再び歩き出した。このアルバムが、同じように感じてる誰かの背中を押してくれることを願ってるよ」


■ Track listing

特に記載のない限り、 すべてのトラックはマイク・シノダによって書かれています
01. Place to Start
02. Over Again
03. Watching as I Fall
04. Nothing Makes Sense Anymore
05. About You (featuring Blackbear)
ShinodaMatthew Musto
ShinodaJordan ReyesAaron Harmon

06. Brooding (Instrumental)
07. Promises I Can't Keep
08. Crossing a Line
09. Hold It Together
10. Ghosts
11. Make It Up as I Go (featuring K.Flay)
ShinodaBrad DelsonKristine Flaherty

12. Lift Off (featuring Chino Moreno and Machine Gun Kelly)
ShinodaRory AndrewColson BakerAndrew DawsonChino Moreno
ShinodaAndrew Dawson

13. I.O.U.
14. Running from My Shadow (featuring Grandson)
ShinodaBrad DelsonKevin HissinkRoss GolanJordan Benjamin
ShinodaBoonn

15. World's on Fire
16. Can't Hear You Now
17. Prove You Wrong
18. What the Words Meant

■ Personnel
Mike Shinoda – vocals, piano, guitars, bass, drums, percussion, keyboards, synthesiers, samplers, mixing, composer, art direction, paintings, producer

【Additional musicians】
Rob Bourdon – percussion on 1
Darren King – drums on 9
Boonn – guitar on 14
Blackbear – vocals on 5
K.Flay – vocals on 11
Chino Moreno – vocals on 12
Machine Gun Kelly – vocals on 12
Grandson – vocals on 14


チェスターは、明朗で周囲の人達に気配りのある人でした
しかし、自分自身を受け入れる事が出来ず、苦しんでいました

今も私の悲しみが消えないのは・・・
4年近く経つのに何がそんなに悲しいかって?

彼がもっと気楽に生きられたら良かったのに
自分自身をそこまで追い込まなくても良かったのに・・・と思うからなのです


「Brooding」



ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipedia引用あり

マイク・シノダ 『ポスト・トラウマティック』

私達は同じ悲しみを心に抱く仲間であり、同じ想いで繋がっています
もうすぐチェスターが居なくなって4年になりますが、悲しみは変わることはなく、乗り越えることは一生出来ません
しかし、悲しんでばかりもいられません
私達は前進するしかないのです

マイクも同じ気持ちだったと思います
恐れずに、ありのままを形(音楽)にすることが表現者であり、マイク自身のあり方だからです


「Looking For An Answer」
2017年10月、LINKIN PARKがハリウッド・ボウルで開催したChesterの追悼公演
MikeはChesterが亡くなった8日後に書いた「Looking For An Answer」という曲をピアノの弾き語りで披露しました。この曲はアルバムには収録されていませんが、彼のソロ曲は、この夜初めてファンに紹介されました。



皆大丈夫だよというけれど
俺は忘れられないんだ
どうすればいいか教えてくれ

俺はひとり  
見失ってしまったんだ

答えを探してしまうんだ
そんなのどこにもないのに


Album 『Post Traumatic』


■ 以下、rockin'on 2018.02.13の記事より全文を引用いたします
【マイク・シノダが最新EP『Post Traumatic』に託した、「チェスター喪失の先」を生きる決意】

1月25日に配信リリースされたマイク・シノダの最新EP『Post Traumatic』。リンキン・パークの一員としてともに音楽を紡いできた盟友=チェスター・ベニントンを喪った衝撃に今なお揺れ続けるシノダの胸中が、今作に収められた切実な新曲群“Place To Start”“Over Again”“Watching As I Fall”からも色濃く滲んでくる。

「僕が作り上げるものは粉々に壊れてしまうかもしれない」と怖れるのはもう嫌だ、終わりなんて知りたくない、僕が欲しいのは「始まりの場所」だ――とモノローグのような調子で切々と歌われる“Place To Start”。昨年10月27日に米LA・ハリウッドボウルで開催されたチェスター追悼コンサートの舞台に立つまでの感情を包み隠さずラップ越しに述懐した“Over Again”。そして、重厚かつ不穏なリズムトラックとともに「《彼ら》は僕が墜ちていくのを見ている」と自分を取り巻く世間の視線に対する違和感を露わにした“Watching As I Fall”――。

リリース直後にシノダがTwitterでファンに向けて公開した自筆のメッセージにも「これはリンキン・パークでもフォート・マイナーでもなく、僕自身だ」と綴られていた通り、ここにあるのは極めて私的な、シノダの心の奥底にある想いの結晶そのものなのだろう。
リンキン・パークのライブアルバム『ワン・モア・ライト・ライヴ』の発売に際して昨年12月に行われたInstagram上のリスニングパーティーで「チェスターの声をあんなに長い時間聴いているのが辛かった」と途中退席したことを後日明かしていたシノダ。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)を示唆するシリアスな作品タイトルはそのまま、彼自身の状態を残酷なまでにダイレクトに自ら描ききったものと言える。

しかし。今作には、チェスター追悼コンサートでシノダがピアノ弾き語りで披露した“Looking For An Answer”は収められていない。チェスター急逝後のシノダ自身の、虚空を彷徨うような喪失感をそのまま焼き込んだあの楽曲の哀しい美しさとは、今のモードは明確に一線を画したものである――ということも、この『Post Traumatic』という作品はリアルに物語っている。

「リンキン・パークを続けるつもりだし、メンバーみんな同じ気持ちだ。でもそのために、たくさん立て直さなきゃいけないものもあるし、答えるべき問いもある。時間が必要だ」――困難な状況に屈することなく一歩一歩前に進もうとするシノダのアティテュードが、彼の日々のツイートから伝わってくる。今年8月にはマイク・シノダ名義で「SUMMER SONIC 2018」に出演することも決定。「その先」へ向けて歩み始めた彼の決意に、最大限の拍手を贈りたい。(高橋智樹)


■ 【マイク・シノダ1万字インタビュー:チェスター・ベニントンの死と自身の現在地】
Rolling Stone Kory Grow 2018/06/28 より一部分を引用しています

● 『ポスト・トラウマティック』のテーマはベニントンの死というよりも、彼を失ったシノダが向き合った自分自身の姿だ(本作がベニントンのトリビュートアルバムと解釈されることだけは避けたいと彼は話す)。ベニントンの死の直後に書かれたと思われる、悪夢の中を彷徨っているかのような「プレイス・トゥ・スタート」で彼はこう歌う。「誰か俺の存在意義を教えてくれないか?過去を忘れようと必死なんだ」


「感じたままを歌詞にしたんだ」彼はそう話す。「こんなことは曲にすべきじゃないとか、世間はどう思うだろうとか考えたこともあった。大切な誰かを失った人間が何かを生み出そうとする時、それは避けられないと思う。途方もない悲しみに暮れている時、人は不毛な自問自答を繰り返す。俺もそうだった。曲を作ることに怯えていた時期もあった」


シノダの友人でもあるデフトーンズのフロントマン、チノ・モレノは彼に共感する。2008年にバンドのベーシストだったチ・チェンが交通事故に遭い、5年間生死の境をさまよった果てにこの世を去った。ベニントンが逝去したことを知ったモレノは、当初はシノダに連絡することをためらっていたが、後にメールを送ったという。それがきっかけで2人は共にスタジオ入りし、『ポスト・トラウマティック』に収録された「リフト・オフ」を共にレコーディングした。

またその時、2人は両者が経験した喪失感について語り合ったという。「主に話し合ったのは、罪悪感を覚えることなく創作活動ができるようになるまでに、どれだけの時間が必要かということだった」モレノはそう話す。「彼が生み出してきた音楽のいちリスナーだからこそ、俺には彼の葛藤がよく理解できたんだ」



● シノダが最後にベニントンと会ったのは、彼がこの世を去るわずか数日前のことだった。「あいつからワツキーっていう名前の少年を紹介されたんだ」ラッパーであり詩人でもあるその少年の才能に、ベニントンは惚れ込んでいたという。「あいつは彼のことをしょっちゅう話題にしてたから、俺にも紹介してくれよって言ったんだ。それからしばらくして、ワツキーは友達と2人で俺たちがいるスタジオにやってきた。彼らが帰った後も、チェスターと俺はしばらくスタジオに残ってた。できそこないの曲をいじってみたり、控えていたブリンク182とのジョイントツアーのことなんかを話したりしてた。どうってことのない、いつものムードだったよ」


その数日後、ベニントンはロンサンゼルスの自宅で自ら命を絶った。本誌の取材に応じた友人によると、彼はアルコールへの依存に苦しんでいたという。また同年上旬に行われたインタビューの場で、リンキン・パークのヒット曲「ヘヴィ」について尋ねられたベニントンは、うつ症状に悩まされていることを告白している。検死報告書によると、ベニントンの体からはアルコールが検知されている。「当日の彼がどれだけ飲んでいたかは分からないけど、彼のアルコール依存の深刻ぶりを考えれば、わずかな量がその引き金になってしまった可能性も否定はできない」ベニントンの友人であり、彼のサイドプロジェクトであるデッド・バイ・サンライズのメンバーであるライアン・シャックは本誌にそう語っている。「ほんのわずかなアルコールが、彼の自制心を奪ってしまったのかもしれない」



● シノダから見たベニントンは、予測不可能で巨大なエゴを抱えた、複雑なキャラクターの持ち主だった。「声だけじゃなく、あいつはパーソナリティもラウドだった」彼はそう話す。「あいつはどこでも誰とでもすぐ打ち解けるって、いつも俺たちからからかわれてた。とにかく楽しいことに目がないやつだったんだよ。その一方で、内面はとても繊細で複雑だった」

「やたら熱いくせに、ものすごく冷淡なところもあるんだ」彼はそう続ける。「あいつは映画オンチだって、俺はいつもネタにしてた。俺がまだ観てない映画の感想を聞くと、『10点中11点』とか『あんなクソみたいな作品に巨額の金が注ぎ込まれたなんて信じらんねぇよ。金返せってんだ』なんて言ってた。そういうやつだったんだよ」

感謝祭の日には何十人もの親戚を招いて料理を振る舞うなど、家庭人として知られたベニントンは、他人にも驚くほど気さくに接することもあったという。「まるで予想がつかないんだ」シノダはそう話す。「そっけない態度をとることもあれば、相手がひくような話をし始めることもある。飛行機で隣に座ってる赤の他人を相手に、どう考えても場違いな話を延々と続けたりね。小さな子供のように純粋で、無防備なところがあったんだ」

ベニントンの死の直後、リンキン・パークはウェブサイトにコメントを掲載した。ある一節が感じさせる切実さは今も当時のままだ。「悪魔がお前を奪い去ることは運命だったと、俺たちは自分に言い聞かせようとしてる。音楽を通じてその悪魔と向き合ったお前に世界中の人々が共感したことは、きっと奴らとの契約の一部だったんだろう」

その一節について尋ねられると、シノダはしばらく押し黙り、適切な言葉を探すかのように周囲を見渡していた。「あのくだりが言わんとしていることを一言で説明するなら、俺たちはあいつがどういう人間かを知ってたってことだよ」彼はそう話す。「何が起きてもおかしくないと、俺たちは心のどこかで覚悟してたし、それはあいつ自身も同じだったと思う。そういうことだよ。大切な人間を失った悲しみは、そう簡単に癒えはしない。傷口は今も開いたままだ」

● 「誰かの死と向き合うっていう行為は、様々な感情に順番に向き合っていくことだと思ってた」彼はそう話す。「実際はそうじゃない。家族や友人がその人物の死を悼む時、彼らは同じタイミイングでまったく異なる感情を抱えている。その状態はカオスへと変貌していくんだ。精神的脆さを露呈する人間もいれば、ただ悲しみに暮れたり、怒りに身を任せる人もいる。かと思えば、中にはその事実を深刻に受け止めようとしない人間だっている。そういう感情のズレは、やがて人間関係に影響し始める。俺が1人で作品を作ろうと思ったのは、そのカオスから自分を遠ざけ、自分自身の感情と向き合おうとしたからでもあるんだ」

● 「過去数年間で、俺はソングライターとして大きく成長したと感じているんだ」彼はそう話す。「それはヒット曲を書けるようになったっていう意味じゃない。ある曲に対して、多様なアプローチができるようになったってことなんだ。以前は曲の大半を俺が一人で書き上げて、スタジオでバンドのメンバーに弾いてもらうっていうやり方だった。彼らと一緒に曲を作り上げていくこともあったけど、あまりいい結果に繋がらなかったんだ。でも(リンキン・パークの2014年作)『ザ・ハンティング・パーティ』の一部、それと『ワン・モア・ライト』(2017年)の大半で外部のソングライターと作業した経験を通じて、俺はそれまでとは異なる作曲アプローチを身につけた。それは今作にも生かされているし、その制作過程からも多くを学んだと思う」

「あらゆる曲にはテーマがあるべきだ」彼はそう続ける。「人生そのものに退屈してしまっているような状況では、優れた作品は生まれにくい。でも人生が波乱に満ちていると、想像力の泉から無数のアイディアが湧き起こってくるものなんだ」


● 冒頭曲の「プレイス・トゥ・スタート」から、最終曲の「キャント・ユー・ヒアー・ナウ」を書き上げていく過程は、彼の心情を大きく変化させていったという。『ポスト・トラウマティック』は、彼が大切な人間を失ったという現実を受け入れられるようになるまでの、9ヶ月間にわたる精神面の変遷を描いた作品だ。歌詞の中には自意識の膨張を抑えきれず、理性的な言葉を見つけられなかった部分もあるという。本作には「ホールド・イット・トゥギャザー」のバースデイパーティーの一節のような、彼の日常を切り取った描写が数多く登場する。

「あのラインは特に印象に残っているもののひとつだ」彼はそう話す。「普段は『これは曲になるかもしれない』なんていう風に、日常のワンシーンを書き留めておくようなことはしないんだ。このアルバムにおけるそういう描写は、俺が創作活動にいかに没頭していたかを物語ってると思う。その幾つかは、アルバムにおける個人的ハイライトと言ってもいい」

「このアルバムを作ることは、俺のキャリアにひとつの区切りをつけるっていう意味もあったんだと思う。『思いはすべて吐き出した、もう言うべきことはない。このチャプターは終わりを迎えた』そんな風に感じてるんだ」彼はそう話す。「普段なら恐怖を伴う感覚だ。でも俺にとっては、新しいチャプターの幕開けを告げるコールだったんだ。このアルバムを完成させたことで、こういう区切りのつけ方もあるってことを学んだよ」

彼の描く絵がそうであるように、その音楽もまたベニントンの死と切り離して受け止められることは決してないということを、シノダはある時点で理解したという。「アバウト・ユー」のコーラスでは、その思いがこう歌われている。「思い浮かべるのは別の誰かなのに、気づけばそれはお前の姿をしているんだ」シノダはこう話す。「チェスターのこと以外にも、俺は曲にしたい思いをたくさん抱えてる。でも人々は、何もかもをあの悲劇的な出来事と結びつけてしまう。そのもどかしさを曲にしたかったんだ」


そのコンセプトは『ポスト・トラウマティック』をリリースするべきかどうかという葛藤とも結びついていた。「有名人の身に起きる出来事を、世間はいつだって深読みしようとする」彼はそう話す。「ある男性が彼女が別れた途端、『知ってる? 彼はコーヒー党なのに、今朝は紅茶を飲んでたらしいわよ。きっと彼女と別れたせいね』なんて世間は噂し始める。本当のことは誰にもわからないのにさ。インターネットは誰かのイメージを勝手に作り上げてしまうんだよ」

自身もその状況に置かれるであろうことを「ある程度は覚悟している」と話す彼は、他人と気まずいやり取りを交わすことにも慣れたという。


● リンキン・パークの今後について考える前に、まずは『ポスト・トラウマティック』がどう受け止められるかを見極めたいとシノダは話す。5月にソロのミニツアーを開催した際、当初こそ感情の波に飲み込まれそうになりながらも、自信をつけるまでに長くはかからなかったという。「すごく緊張したけど、ショーの半分を終えた頃にやっと落ち着きを取り戻して、マイクを通してオーディエンスにこう話したんだ。『一番ハードな部分を乗り越えたから、最後までやれるはずだ』」彼はそう話す。「決して感極まったわけじゃないんだ。ただ過去のショーとは何もかもが違ったから、覚悟を決めるまでに少し時間がかかったってことさ」


当日のセットリストは『ポスト・トラウマティック』の曲やリンキン・パークのトラックだけでなく、シノダの別プロジェクトであるフォート・マイナーの曲も交えられていた。その内容は今後変わっていく予定だという。「今はいろんな選択肢を残しておきたいんだ」そのスタンスは、ショーの内容が(ベニントンに対する)トリビュート的だとする批判を受けてのことなのかもしれない。「そんなつもりはないんだけどね」彼はそう話す。「トリビュート的な部分もあるかもしれないけど、それはあくまでショーの一部でしかない。後日、あのショーがトリビュート的だったかどうかファンに意見を求めたんだけど、大半はそうじゃないって言ってくれた。メディアはアクセスを集めるヘッドラインを立てようとするもんなんだよ」

彼は席を立つと、飲み干したコーヒーの隣で手付かずのままになっていたマフィンを手に取った。どんなことがあったとしても、自分が置かれている状況を受け入れて前に進み続けること、それが彼がファンと共有しようとするマインドセットだ。「アートには傷を癒す力がある」彼はそう話す。「俺は大切ものを失い、悲しみに暮れていたけれど、こうしてまた再び歩き出した。このアルバムが、同じように感じてる誰かの背中を押してくれることを願ってるよ」


■ Track listing

特に記載のない限り、 すべてのトラックはマイク・シノダによって書かれています
01. Place to Start
02. Over Again
03. Watching as I Fall
04. Nothing Makes Sense Anymore
05. About You (featuring Blackbear)
ShinodaMatthew Musto
ShinodaJordan ReyesAaron Harmon

06. Brooding (Instrumental)
07. Promises I Can't Keep
08. Crossing a Line
09. Hold It Together
10. Ghosts
11. Make It Up as I Go (featuring K.Flay)
ShinodaBrad DelsonKristine Flaherty

12. Lift Off (featuring Chino Moreno and Machine Gun Kelly)
ShinodaRory AndrewColson BakerAndrew DawsonChino Moreno
ShinodaAndrew Dawson

13. I.O.U.
14. Running from My Shadow (featuring Grandson)
ShinodaBrad DelsonKevin HissinkRoss GolanJordan Benjamin
ShinodaBoonn

15. World's on Fire
16. Can't Hear You Now
17. Prove You Wrong
18. What the Words Meant

■ Personnel
Mike Shinoda – vocals, piano, guitars, bass, drums, percussion, keyboards, synthesiers, samplers, mixing, composer, art direction, paintings, producer

【Additional musicians】
Rob Bourdon – percussion on 1
Darren King – drums on 9
Boonn – guitar on 14
Blackbear – vocals on 5
K.Flay – vocals on 11
Chino Moreno – vocals on 12
Machine Gun Kelly – vocals on 12
Grandson – vocals on 14


チェスターは、明朗で周囲の人達に気配りのある人でした
しかし、自分自身を受け入れる事が出来ず、苦しんでいました

今も私の悲しみが消えないのは・・・
4年近く経つのに何がそんなに悲しいかって?

彼がもっと気楽に生きられたら良かったのに
自分自身をそこまで追い込まなくても良かったのに・・・と思うからなのです


「Brooding」



ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipedia引用あり

Blackmore's Night – Nature's Light (Full Album 2021)

全世界のリッチー・ファン待望、ブラックモアズ・ナイト5年半ぶり、11枚目のアルバムがついに登場!リッチーのギター・プレイはますます円熟味を増し、キャンディスの歌の美しさはこの世のものとは思えぬ域に。音楽がまだ魔法であった時代、中世ヨーロッパへのロマンを強烈に感じさせる本作は、疲れた現代人への最高の癒し。2021年最も美しいアルバムの登場だ。

ハードロック史上最高のギタリスト、リッチー・ブラックモアとその妻、キャンディス・ナイトによるプロジェクトであるブラックモアズ・ナイト。97年にリリースされたデビュー・アルバム『Shadow of the Moon』は、ディープ・パープルやレインボーでも垣間見ることのできたリッチーのルネサンス期の音楽、そして世界各国の民族音楽への傾倒が、初めてアルバムという形で提示された作品として、ハードロック/ヘヴィメタル・ファンからも大きな注目を浴びた。本作はドイツにおいて17週間連続チャートインし、ゴールドディスク認定を受けるなど、商業的にも大成功。その後もコンスタントにアルバムをリリースしてきたブラックモアズ・ナイトであったが、15年の『All Our Yesterdays』以降、しばらく新作発表が滞っており、ファンはやきもきしていた。だが20年12月、クリスマスEP『ヒア・ウィ・カム・ア・キャロリング』を発表。そしてついに21年3月、世界中のリッチー・ファン待望のニュー・アルバム『ネイチャーズ・ライト』がリリースとなる! (HMV & BOOKS onlineより引用)



『Nature's Light 』(Full Album 2021)



00:00​ - Once Upon December

03:08​ - Four Winds

06:10​ - Feather in the Wind

10:42​ - Darker Shade of Black (Inst)

16:47​ - The Twisted Oak

21:06​ - Nature's Light

25:36​ - Der Letzte Musketier (Inst)

30:33​ - Wish You Were Here (2021)

35:38​ - Going to the Faire

40:13​ - Second Element

【メンバー】
リッチー・ブラックモア (ギター/ハーディ・ガーディ/マンドラ)
キャンディス・ナイト (ヴォーカル/タンバリン)




ご視聴ありがとうございましたm(__)m

ブラックモアズ・ナイト 「Second Element」

リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)と、彼の妻キャンディス・ナイト(Candice Night)によるユニット、ブラックモアズ・ナイト(Blackmore's Night)の「Second Element」のミュージックビデオが公開されています
この曲は最新アルバム『Nature's Light』に収録

この曲、出だしからいいですよね(^_^)
映像美にも拘りがあって好きです
凄くお勧めの作品です




ご視聴ありがとうございましたm(__)m

地下鉄サリン事件、オウム真理教一連事件

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風化させてはいけない事件なので投稿いたしました
今日は26年前、地下鉄サリン事件が起きた日です

私は超常現象などは信じていないので、こういう境地は理解できません
若者達はどうしてこんな愚かな事に陥ってしまったのでしょう

こんないかさまを真剣に信じていたのでしょうか
彼等は何を獲得したかったのでしょう
彼等は自分自身を信じることすら出来なかったのでしょうか


■ 【「空中浮揚」をうまく活用】の文章を引用します
辻田 真佐憲
文筆家
近現代史研究者
2018.07.19

そもそも教祖の麻原彰晃は、希代のプロパガンディストだった。

麻原は、1984年にオウム真理教の前身にあたるオウム神仙の会を設立した。そのころより、かれはメディアを強く意識していた。

当時、「ノストラダムスの大予言」のような終末思想や、ユリ・ゲラーのような超能力者が世間を騒がしていた。麻原はそこに着目し、1985年、オカルト雑誌の双璧だった『ムー』と『トワイライトゾーン』への寄稿を開始。みずからの「空中浮揚」の写真を掲載するなどして、会員の獲得に努めた。

『トワイライトゾーン』については、毎号のように広告を出して、連載枠を獲得したという(高山文彦『麻原彰晃の誕生』)。

麻原の活動はとどまるところを知らない。1986年には、週刊誌の『プレイボーイ』にみずからの「空中浮揚」の写真を掲載させることにも成功した。

これは、蓮華座を組んだ麻原が飛び跳ねているのを、カメラマンがそれらしく撮影したものにすぎなかった。ただ麻原は、外部のものによって自身の超能力が証明されたとして、この写真を全面的に利用した。

1987年に刊行された最初の著作『超能力「秘密の開発法」』はその象徴だった。麻原はその同書に『プレイボーイ』に掲載された写真を載せて、みずからの超能力を誇示したのである。

さらに麻原は、同年にはインドのダラムサラに飛んで、ダライ・ラマと接見。そのとき撮影したツーショット写真を本部道場のいたるところに貼らせた。自分は、ダライ・ラマともコネクションがあるという露骨なアピールだった。明らかに麻原は、写真の宣伝効果を知り尽くしていた。

こうしたメディア戦略が奏功して、オウム神仙の会は急成長した。同年半ばにオウム真理教に改称されたときには、会員数が1000人近くに上っていた。

できもしない「空中浮揚」を何度も利用している点からみても、麻原は当初から真摯な宗教者というより狡猾な宣伝マンだったことがわかる。




■ 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)は事件後、山梨県にあった教団施設の隠し部屋で発見されましたが、ANNはその際に撮影された未公表の写真を入手しています


■ オウム真理教事件(オウムしんりきょうじけん)とは・・・
1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした一連の事件の総称である。

オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本を乗っ取って、自らその王として君臨するという野望を抱き、それを現実化せんとする過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。世界史的に見ても、アルカーイダやISILによるテロを先取りした事件である。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。
教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」とされている。

■ 「オウム真理教 20年目の真実」
この映像は、年齢制限がございます



■ こちらは、「隠された謎に迫る!! 今夜明かされるオウム無差別殺人への道」
ザ・スーパーサンデー (1995年12月17日放送)
1時間51分です


もう一つ、私がとても無念に思うことです。
熊本県阿蘇郡波野村は、オウムが数千万円で取得した土地を9億2000万円で買い取ることで和解していたのです。

■ 松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する東京地裁判決によると、この年の2月にあった衆院選で松本死刑囚らが惨敗、4月ごろになって無差別大量殺人の実行を教団幹部らに宣言した。波野村への進出は、その直後だった。後に、波野村の施設で90年秋ごろから、毒ガス「ホスゲン」などの製造工場をつくろうとしていたことが明らかになる。

 実際、土地を入手した教団はすぐ、施設建設に着手した。最も近い場所に農地があった岩下浩徳さん(57)によると、大型トラックが行き来し始め、村が管理する道は勝手に広げられ、プレハブの建物がどんどん建っていった。

 村民は6月、「波野村を守る会」を結成。教団に建設計画の説明などを求めたが拒否された。古くからの住人が大半を占める人口約2千人の村は、次々と信徒がやってくる状況を前に、「住民票を移されたら村が乗っ取られて、『麻原村長』ができる」と混乱に陥った。

 8月には、計約400人の信徒と村民がもみ合いになり、十数人のけが人が出る事態も起きた。村は、約450人の転入届の受理を拒み続けたが、教団に訴訟を起こされ敗訴。94年夏、村が教団に9億2千万円を払うことで、教団は土地を明け渡すという内容で和解が成立した。村の年間予算の半分近い金額だった。

 守る会の幹部だった飛田祖久美(ひだそくみ)さん(83)には、「もっと額を抑えられなかったのか」という思いもある。それでも和解によって、村民に死者が出る前に教団は出て行った。飛田さんは「あの時はあれでしょうがなかった」と振り返る。

 死刑執行は「あれだけの罪をしている。間違いが二度と起こらない社会を実現するには、やむを得ない」。そう受け止める。教団施設の跡地はいま、荒れ地になったままだ。(後藤たづ子、福井悠介)2018.07.06朝日新聞より





私は、大勢の犠牲者を出したこの事件を忘れることはできません
そして、自分の事として考えずにはいられません
ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipediaより引用あり

Linkin Park Live in Camden

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3月20日はチェスターの45回目の誕生日です
彼への感謝の気持ちと変わることのない愛を送ります

こちらは、リンキン・パーク・ライヴ映像
2014.08.15 ニュージャージー州カムデン


1. Guilty All The Same 1:40​
2. Given Up 7:38​
3. Points of Authority 11:10​
4. One Step Closer 14:22​
5. Blackout Instrumental 17:43​
6. Papercut 19:31​
7. Rebellion 21:48​
8. Runaway 25:38​
9. Wastelands 27:04​
10. Castle of Glass Experience 30:28​
11. LOATR/SOTD/Iridescent 34:51​
12. Robot Boy Instrumental 40:06​
13. Mr. Hahn Solo 42:05​
14. Burn It Down 44:20​
15. Until it Breaks/ Waiting for the End 48:15​
16. Final Masquerade 53:49​
17. Mike Shinoda Medley 57:53​
18. Numb/Encore: 1:00:28​
19. In the End 1:04:04​
20. Faint 1:07:35​

21. Lost in the Echo: 1:16:14​
22. New Divide 1:17:54​
23. Crawling 1:21:03​
24. Until It's Gone (With You rap) 1:23:15​
25. What I've Done 1:26:24​
26. Bleed It Out 1:30:13


ありがとう リンキン・パーク(^.^)
心からの尊敬と信頼をメンバー6人に感じています
パワフルで重低音、飽きることのない楽曲・・・大好きです

チェスターはいつもステージを全力で取り組んでいました
私もチェスターから愛を受け取ったひとりです

この約3年後、チェスターが居なくなるなんて誰もが想像していなかったことでしょう
当時、チェスターが突然に亡くなったことを"無責任だ"とネットに書いた人がいましたが、私には感謝しかありません
彼に贈る最後の言葉が「無責任」という一言だとしたら
悲し過ぎます

どんなに苦しくても、疲れていても、ファンの前では彼は常に精一杯尽くしていました
私達は彼から多くのものを貰ったのです
このことに感謝しています
私は何百回でも記事を書き続けて、この感謝の気持ちをチェスターに伝えます

「無責任」と書いた人も10年後、20年後にチェスターの偉大さに気付く時が来るでしょう


ご視聴ありがとうございましたm(__)m

J.Geils Band – Ain’t Nothing But A House Party

J・ガイルズ・バンドの「Ain't Nothing But A House Party」で、アルバムは72年『Bloodshot :ブラッドショット』です。

J・ガイルズ・バンドの日本でも世界的でも大ヒットは、81年『Centerfold:堕ちた天使』ですが、ちまたでよくかかりました。

で、息の長いバンドで70年代から活躍で、これも最初はFENでお覚えましたが、J・ガイルズと思っていました、J・ガイルズと言うバンドと(笑)

シングルヒットは、74年『Nightmares...and Other Tales From the Vinyl Jungle :悪夢とビニール・ジャングル』の「マスタ・ガット・ロスト」でしたが、70年代のアルバムとしては『Bloodshot :ブラッドショット』の方がヒットのようで、これは知りませんでした。

アメリカンロックは西海岸にフォーカスしがちですが、KISS、ボストンが出てきて、ハードロックでも、東側にもロックがあった事を知るわけですが、ブルースよりは、J・ガイルズ・バンドになると、西海岸の相対では評価高のリトルフィートあたり。


 


Bloodshot


 



J・ガイルズはブルースよりで目立つボーカル、マディ・ウォーターズしんぱのピーター・ウルフがアメリカンストーンズと言われましたが?

ファニーさはありますが、ロカビリー、カントリー、ロックンロールと一世代前的なカンジ。

ここらへんがブリティッシュロック育ちからだと、ちと辛い、ブルースもUKでトランスされてロックを聴いていたので、『Bloodshot :ブラッドショット』は音色は一色、曲風もバラエティでも、みんな同じかも(笑)

で、アルバム最後で、なんとレゲエも演ってる。クラプトンのボブ・マーリーのカバー74年「アイ・ショット・ザ・シェリフ」より早い。レゲエのロックなアプローチはクラプトン先行と思いこんでいた。

自力、ライブバンドの評価は納得、70年代はオーソドックスなバンド、でも少し遊びもするバンドだったのですね。

と云うことでおまけは同アルバムのレゲエで

J. Geils Band - Give It To Me































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マイク・シノダがレディング・フェスティバルでチェスター・ベニントンに賛辞を送る

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「OverAgain」はマイク・シノダの心情を歌った曲です。
2017年7月20日、バンドメイトのチェスター・ベニントンが自殺し、バンドと音楽業界に衝撃を与えました。

「Over Again」でシノダはベニントンの死を率直に歌いました。ベニントンのために行ったリンキン・パークでのトリビュート・コンサート中の心の葛藤、これから先をどうするのか考える時の不安。
「俺が歩いた一歩一歩も、俺が見た一歩一歩も、程遠かった」と重いビートを刻むドラムに合わせてシノダがラップしながら続けます。「だって時々、お前がサヨナラを言うとき、ああ、お前がそう言うんだよ、繰り返し、何度も、何度も……」


「Over Again」 歌詞&和訳付き




Reading Festival (2018.08.25)




■ この時のショウについて
JOE ウィル・ジョーンズの記事より引用(google翻訳)

「チェスターがあなたの声を聞くことができるほど大声で歌ってほしい。」
マイク・シノダは、今年のレディング・フェスティバルで「イン・ジ・エンド」を演奏する前に、元バンドメイトのチェスター・ベニントンに感動的な賛辞を送りました。


2017年7月20日、リンキン・パークのリードシンガーがカリフォルニアの自宅で悲劇的に死んでいるのが発見されてからちょうど1年余りが経ちました。

リンキン・パークは、多くの困難な時期にファンを本当に助けたバンドの1つでした。2000年代初頭に10代だった人は誰でも、間違いなく「ワンステップ・クローザー」または「ナム」に向かって叫びました。彼の死は彼の家族、友人、バンドメイト、そしてファンに衝撃を与え、10月にバンドはベニントンに捧げられた感情的な賛辞ショーを演奏しました。

共同ボーカリストでギタリストのマイク・シノダは、ベニントンの灼熱のボーカルを伴った彼の速射ラップで最もよく知られていますが、今週末にレディング・フェスティバルを演奏しました。彼はリンキン・パークの曲と彼のソロ素材を感情的なセットでミックスして演奏しましたが、本当に鳥肌が立ったのは彼の「イン・ジ・エンド」での演奏でした。

おなじみのキーボードリフで開く前に、篠田は群衆に次のように語りました。
「準備はいいですか?」

群衆は、篠田が詩をラップするときにコーラスのすべての単語を知って、正当に義務​​付けられ、2000年のアンセミックなオリジナルトラックの忘れられないほどストリップされたバージョンを作成しました。

彼はまた、ベニントンの死を乗り越え、音楽を演奏し続けることについて群衆に率直に話しました。

「ここに立ち上がって、私のためにこれを行うことは本当に充実しています。そして、それをもう一度行うことについての私自身の不安をちょっと乗り越えることは本当の達成です」。

play list

Introduction
(Fort Minor song)

Petrified
(Fort Minor song)

Castle of Glass
(Linkin Park song)

Roads Untraveled
(Linkin Park song)

Crossing a Line

In the End
(Linkin Park song) (piano version)

About You

Over Again / Papercut

Make It Up as I Go

Good Goodbye / Bleed It Out
(Linkin Park song)

Remember the Name
(Fort Minor song)

Running From My Shadow

■ 『Post Traumatic』について(激ロックより引用)

LINKIN PARKのChester Bennington(Vo)の急逝後、Shinodaは盟友を失った悲しみをアートで表現することで向き合ってきた。
LAのスタジオに入り浸り、ひたすら歌詞を書いてレコーディングするか、絵を描いて気持ちの整理をしていたという。そして今年1月には切実な新曲群3曲を収録した『Post Traumatic EP』をリリース。
Shinodaは全曲のミュージック・ビデオも自身で制作し、同時に公開している。同作品はメディアから高い評価を得ており、アメリカのニューヨーク・タイムズ社は『Post Traumatic EP』について"この3曲の悲歌のサビと韻から彼の憤然とした悲嘆や混乱が聴き取れる"と語っている。
 
EPのリリース後もShinodaは制作することをやめず、ひたすら歌を作り続け、そして結果今回発表された『Post Traumatic』にたどり着いた。絶望的な悲しみを語ったアルバムだというのはアルバム・タイトルで想像できるが、Shinodaは決してそれだけではないという思いを世界に告げている。
"ただ悲しみや闇に包まれていた世界感だけではなく、それを乗り越えた行路を表現したかったんだ"。死について語っている同アルバムだが、正直で誠実な歌詞には世界の誰もが共感できる要素がある。
"同じような経験を持っている人がいるなら、あなたがひとりじゃないということを伝えたい。そして経験したことがない人には、それが素晴らしいことなんだと気付いてもらいたい"と残している。


 

R.I.P. Chester Bennington
あなたの死を乗り越えるなんて出来ない、これからも悲しみは変わらない
あなたは私達とこれからも一緒に生きてゆく

ご視聴ありがとうございましたm(__)m

Teenage Fanclub 「The Sun Won't Shine On Me」

ティーンエイジ・ファンクラブ(Teenage Fanclub)が新曲「The Sun Won't Shine On Me」を公開しています
この曲は新アルバム『Endless Arcade』に収録されています



スタジオ・アルバムのリリースは2016年の『Here』以来。2018年に創設メンバーのジェラード・ラヴ(Gerard Love)が脱退してから初めてリリースされるスタジオ・アルバムです


出身地 スコットランド グラスゴー
活動期間 1989年 -

現メンバー
ノーマン・ブレイク
レイモンド・マッギンリー
フランシス・マクドナルド
デイヴ・マクゴワン
ユーロス・チャイルズ

旧メンバー
ジェラード・ラヴ
ブレンダン・オヘア
ポール・クイン




■『Endless Arcade』

01. Home
02. Endless Arcade
03. Warm Embrace
04. Everything is Falling Apart
05. The Sun won’t shine on me
06. Come With Me
07. In Our Dreams
08. I’m more inclined
09. Back in the Day
10. The Future
11. Living with You
12. Silent Song

アルバムは当初は3月5日発売予定でしたが、4月30日に延期されています
リリース元はPeMa/Merge


ご視聴ありがとうございましたm(__)m