「I Only Wanna Be With You 」 Bay City Rollers

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この曲「I Only Wanna Be With You」 は、B.C.R.で有名になったのです
今も愛されている名曲ですよね

グラハムボネ太郎様、記事にしていただき、ありがとうございました(^.^)



Bay City Rollers - 1976



この曲は、ダスティ・スプリングフィールドの1963年に発表されたデビュー曲にして代表曲です。
その後多くのアーティストによってカヴァーされ、ダスティ自身も64年にドイツ語版もカヴァーしています。特に、ベイ・シティ・ローラーズのカバーが世界的なリバイバル・ヒットとなり、特にイギリスと日本で大ヒットしました。TBS『はなまるマーケット』のオープニングテーマ曲としても知られている曲です。

カヴァーしたアーティスト
ドナ・リン
ベイ・シティ・ローラーズ(1976年)
ピンク・レディー - 「ペッパー警部(アルバム)」収録(1977年)
ザ・ツーリスツ(1979年)
ニコレット・ラーソン(1982年)
ルイス・ミゲル(1987年)
サマンサ・フォックス- アルバム「I Wanna Have Some Fun」収録(1988年)
ブリジット・ウィルソン(1994年)- 読売テレビ・日本テレビ系『鶴瓶・上岡パペポTV』のオープニングテーマに起用された。
ハッスル3(山元竜一、熊木翔、竪山隼太) - 『天才てれびくんワイド』の音楽コーナーミュージックてれびくん(MTK)で歌った。この曲を原曲とし、タケカワユキヒデが訳詞、編曲を担当した。曲名は「君のそばにいたい I only wanna be with you」。(2001年)
Tommy february6 - シングル「L・O・V・E・L・Y 〜夢見るLOVELY BOY〜」のカップリング。『はなまるマーケット』では2004年4月から2013年12月までこちらのバージョンが使われていた。(2004年)
ヴォルビート(2004年)
7Flowers (七朵花)(2005年)


Dusty による「I Only Want To Be With You」






Wikipedia引用あり
ご視聴ありがとうございました(^.^)

生活困窮者を見捨てる「追い返す」だけの対応

今日は、気になる記事をDIAMOND onlineより引用いたします
日本社会の現実を分かり易くまとめている記事です
2013年の記事ですが、日本社会は未だに何も変わっていません
これで良いのでしょうか



■ 何が餓死した31歳女性の生活保護を遠ざけたのか
  生活困窮者を見捨てる「追い返す」だけの対応

池上正樹:ジャーナリスト

ライフ・社会 「引きこもり」するオトナたち
2013.11.28 0:16


また起きてしまった。弱き者の声がどんどん置き去りにされ、なき者にされていく――。

 そんな時代を象徴するように、31歳の女性が自宅でひっそり餓死していたというニュースが報じられた。

 報道によれば、発見されたのは、大阪市東淀川区の団地に住む女性。部屋の押し入れに敷かれた布団の上で、半袖、半ズボンのやせ細った姿になって、仰向けの状態で倒れていた。遺体は腐敗が進んでいて、死後数ヵ月が経過していたという。

 すでに彼女の部屋の電気やガス、水道といったライフラインは、すべてストップ。家賃も滞納し、冷蔵庫にはマヨネーズなどの空の容器しか入っていないなど、貧困にあえぐ生活だったことが伺える。

 女性は元々、60歳代の母親と同居していて、父親の生命保険を切り崩して生活していた。

 しかし、その母親が1ヵ月ほど前に脱水症状で見つかって入院。11月18日午前、合いカギで部屋に入った親族によって、彼女も餓死した姿で発見されたという。

■ 生活保護相談するも断られ困窮
  死後1ヵ月、誰にも気づかれず押し入れに

 11月20日付の産経新聞によると、女性は母親とともに、4年前の11月、区役所を訪問。生活保護の窓口に、生命保険がなくなったときに生活保護を受給できるのかどうか、相談に訪れている。

 生活保護の担当者は「保険金がなくなったときに相談に来てほしい」などと対応したものの、その後、2度と彼女たちが窓口に来ることはなかったという。

 また、近所の住民たちも、娘が同居していたことを知らずに1人暮らしだと思っていたなどと証言。事件や災害などが起きたのを機に、本人の存在が明らかになるという点でも、筆者がこれまでさんざん見てきた、地域に埋もれて引きこもっていた人たちの事例と同じである。

 約1ヵ月前、管理会社から「連絡が取れない」という通報を受けて安否確認に来た警察が、脱水症状を起こして倒れている母親を発見。病院からの連絡で役所も調査に入ったものの、電気やガスが止められていたことから、いずれも1人暮らしと判断されて、押し入れのある部屋を確認しなかったようだ。

 その後も、彼女の遺体は押し入れの中で、1ヵ月余りにわたって、誰にも気づかれることがなかった。

「私の置かれた状況とよく似ていて、他人事ではない」と明かすのは、心の病で働くことができず、生活保護の申請を4度目の訪問で受理されたものの、結局、受給を取り下げることになった40歳代の当事者男性。 

「私も団地暮らしで、母と二人暮らしです。生命保険の解約返戻金が下りたので、生活保護の申請を取り下げたのですが、そのときに担当者から“海外旅行などで使い切って、生活保護を再申請しないように” と言われ、すごく感じが悪かった。(亡くなった)彼女の自治体の事情はわかりませんが、命に関わる問題なのに、自治体によって温度差があるのはおかしいと思います。生活保護法の改正を再検討しても良いくらいの出来事ではないでしょうか」

■ なぜ貯金が底をついても親子はSOSを出せなかったのか

この親子は、一旦は役所の生活保護の窓口に出かけていって、SOSのシグナルを送っている。しかし、その後、貯金が底をついて生活に困窮しても、助けを求めなかったのはなぜなのか。

 日本の「迷惑だ」という言葉のもつ疎外感に、原因があるのではないか。そう指摘するのは、当事者たちで仕事創りを進める大阪市のNPO法人「わかもの国際支援協会」代表理事で、元当事者でもある横山泰三さんだ。

「日本人って、誰かから相談をされたり、誰かの困りごとが自分に寄りかかってきたりすると、家族でも『迷惑をかけるな』っていう風潮がありますよね」

「迷惑」という言葉のもつ響きには、日本独特の文化や美徳に根ざした意識が影響しているのだろう。しかし、そのことがかえって、コミュニケーションの大きな阻害要因になっていると横山さんは言う。

「結局、何か世間の常識とか漠然とした社会の正しさを疑わせる“迷い惑わし” に対して、いまの日本人は、異様な被害者意識を持ち過ぎだと思います。元をたどると、イラク人質事件のときの“自己責任論”も同根だと思います。“迷惑かけるな。自己責任だ”みたいな、寛容のなさがあるように思います」


■ 助け合うはずが「迷惑」「甘え」に、弱き者の声が封じ込められる社会

 確かに日本では、自分が傷つけられた当事者の立場であったとしても、つらかった体験や困っていること、悩んでいることなど、そのままの思いを口にしようするだけで、周囲から「迷惑をかけるから」という口実のもと、言葉を封じ込められる風潮がある。

 こうして当事者が声を上げられないまま、その場を「なかったことにされる」ことによって、解決されない事態は長期化、複雑化し、そのことが結果的に当事者や社会を不幸なものにしているのではないだろうか。

 「引きこもり」当事者らでつくる兵庫県のNPO法人「グローバル・シップス こうべ」代表の森下徹さんも、こういう。

「家族でも学校でも社会でも、言いたい事が言えない。人と違ったことや、ネガティブなことを言うと、すぐに否定され、排除される雰囲気がある。力のある人に都合がいい、弱い人には厳しい社会。そのことが、精神障がいや引きこもりの一因のように思っています」

 引きこもる当事者やマイノリティの人たちの中には、そんな弱者が切り捨てられ、強者の大きな声がまかり通る社会に違和感を抱いている人が多いと、森下さんはいう。

「弱き声を聴いてくれる場。対等な立場で対話のできる場を求めている人が多い。なのに、支援機関では、社会に合わせる支援ばかり。今回の特定秘密保護法のこともあるし、これからどうなっていくのか、危惧を感じます。

 行政の責任ももちろんありますが、周囲ももう少し関わったり、本人も周囲に助けを求めたりできるようになれば良かったのですが…。生死を分けるのは、ほんとうに小さいことかもしれません。 それでも、この状況が変えられなければ、同じような悲劇は増えていきそうです。残念ながら…」

前出の生活保護の申請を取り下げた40歳代男性は、役所の窓口での体験から「自助>共助>公助」という福祉の優先順位を痛感させられたという。つまり、自己責任の次に「親族の扶養」、最後の最後に「生活保護」というものだ。

「生活保護を申請する人は、家族や親族との関係も悪化していたり、疎遠だったり、DVの被害を受けていたりするのが現実。扶養義務の強化は、時代に逆行し、貧困の連鎖を生みかねないと思います。 片山さつき議員や世耕弘成官房副長官は、今回の事件についてどう思っているのでしょうか。生活保護費の削減も、無意味どころか逆効果です。社会保障の全体を見直さないといけないのに、とりあえず文句の出ないところから削ってやったことにするのかという印象があります。 私の場合、申請書類を自分で作って持っていくことができましたが、母だったら無理だったでしょう」

 そもそも、電気やガスが止まったら、見回りに行かなければいけないと指摘するのは、都内で「ネッコカフェ」を運営する、一般社団法人「発達・精神サポートネットワーク」 代表理事の金子磨矢子さん。

「ライフラインの会社は、ただ止めるだけでなく、確認する必要がある。とくに水道は最後に止まる。水がなくなったら、人は死にます。生保の窓口担当者も、1度相談に来た人は、気をつけなければいけない。ただ、追い返すだけではダメです。ちょうど(生保)バッシングの影響で行けなくなったのか。窓口で2度と行きたくないと思ったのか。31歳で、本当に気の毒です」

 傷つけられ、封じ込められて、声を発することのできなくなった当事者たちは、世の中の空気に敏感だ。一旦、失われた言葉を再びどうやって紡ぎ出し、弱き者の声が届く社会の仕組みをどのように構築していけばいいのか、いま改めて私たちは問われている。


■ 池上 正樹(いけがみ まさき、1962年- )は日本のジャーナリスト。 主に痴漢冤罪問題や引きこもり問題、東日本大震災関連を中心に取材・執筆活動を展開している。 日本大学新聞学科卒業後、通信社勤務を経てフリージャーナリスト。


 池上正樹 新刊のご案内
 ひきこもり歴12年の40代男性と向き合ってきた3年間の記録。
『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)


フー・ファイターズ 新アルバム『Medicine At Midnight』全曲公開

フー・ファイターズ(Foo Fighters)が新アルバム『Medicine At Midnight』をリリースしました。
YouTubeほかで聴けます。

1. Making A Fire




2. Shame Shame




3. Cloudspotter




4. Waiting On A War



5. Medicine At Midnight



6. No Son Of Mine



7. Holding Poison



8. Chasing Birds



9. Love Dies Young



アルバムは2021年2月5日発売。リリース元はRoswell Records/RCA Records。

スタジオ・アルバムのリリースは2017年の『Concrete and Gold』以来。通算10作目。新アルバムはグレッグ・カースティンとフー・ファイターズがプロデュース。


■『Medicine At Midnight』

1. Making A Fire
2. Shame Shame
3. Cloudspotter
4. Waiting On A War
5. Medicine At Midnight
6. No Son Of Mine
7. Holding Poison
8. Chasing Birds
9. Love Dies Young

amassより引用しました(*^^*)
ご視聴ありがとうございました


麻生財務大臣よ、恥を知れ! ここまで酷い裏切りがあるとは・・・

国民が死にそうな時に、何故助けないのですか!!
それでも人間ですか!!
それでも政治家と言えるのですか!!

国民の為に働くのが政治家でしょ
このまま助けないのならば、私達が支払った税金を返してください
今にも死にそうな人から平気で税金をとる政策は正しいでしょうか




[三橋TV第347回] 三橋貴明・高家望愛



日本の政治に未来を感じられないです
若い人達に尊厳を!!

政策が誤りだったと認めて国民に謝罪し、日本を立て直してください

Paul Kossoff – Molton Gold

ポール・コゾフの「Molton Gold」で、アルバムは73年『Back Street Crawler:バック・ストリート・クロウラー』ですね。

年末に息子からもらったW10ノートで、PCステレオの音楽ソフトRoonの為、中古アンプ、スピーカー、果ては電源トランスまで、入れてしまい、とんだ散財、CDとスポティファイだけで良かったかも(苦笑)音楽を楽しむのか機器調整なのか…

それでも女性ボーカルを中心に聴いて調整、もう2か月目にはいる、全然楽しくない、音苦(苦笑)思った音がでない。

そして、やっぱりロック聴きたい(笑)

ハードロック系が迫力がない、音楽配信やハイレゾMQA規格。まあDACが安価だから?電源系はそれなりにしたと思うが、大音量でかけないと迫力なし、マンションだから、息子の叱られる。これもヘッドホンで良かった?

で、60年末から70年代のかけて、やっぱりUKRockブルースロック系、フリー、ハンブルパイ、フェイセズ、テインイヤーズアフターあたりは、適度な音量で少しまともに聴けるようになってきた。


 


Back Street Crawler


 


フリーは中学生の頃、クイーンを知った頃、少し後追いで、生意気で意地悪で大嫌いな同級生(近所の朝通学同じ、中坊なのにベースを演っていた)に教わり、これは良かった。

76年高校生になる頃はフリーは無く、ポール・ロジャースとサイモン・カークはバドカン(バッドカンパニー)になっていましたが、ポール・コゾフは亡くなった。

脱退してから、フリーのメンバーとのソロでセッション的アルバム『バック・ストリート・クロウラー』

ドラック禍のコゾフはそれでも、このソロ・アルバム名をバンドにして、2枚アルバム出して、事切れる事になったわけで26歳。ロックバンドには、死はつきものなのとホント思う。

ブリティッシュロックには、たくさんの鳴きのギタリストがいると思いますが、10代多感な時に聴いてポール・コゾフも、もちろん入ります。

で、今回フリーを音楽ソフトRoon・TIDALを聴いていたら、『バック・ストリート・クロウラー』とコゾフのバンドの75年『The Band Plays On』76年『2nd Street 』も引いてきた。バンドの方が聴いていなかった。

いろいろ文句はあるが、音楽ソフトが6000万曲から勝手に選曲ですが、確かにセンスはある、小生よりずぅっと!

75年『The Band Plays On』76年『2nd Street 』についてはおいおいブログにしたいと。

ネットオーディオはそれなりに手間かかると思う。レコードが一番かも。でもプレーヤーは昔に処分して、CDのみで、それもこの頃はネットワークプレーヤー主になっていた。少し後悔。これだけは言えるオーディオは、音楽を楽しむようにしないと本末転倒。

と云うことでおまけは同アルバムから長い曲ですがA面1曲でした。

Paul Kossoff -Tuesday Morning































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T-SQUAREの安藤正容、2021年ツアーを最後にT-SQUAREから引退

T-SQUARE Family “YEAR-END SPECIAL 2020” at Kobe CHICKEN GEORGE
「T-SQUARE」
in Kobe,Japan December 27,2020
1st show start pm3:30




この曲大好きです(^.^)
T SQUARE 「TRUTH」


"Asia Music Festival 1994"
Live in Yebisu Garden Place - The Garden Hall

Masahiro Andoh (G.)
Hirotaka Izumi (Key.)
Hiroyuki Noritake (Dr.)
Mitsuru Sutoh (B.)
Masato Honda (EWI.)


安藤まさひろさんからのメッセージ動画です



T-SQUAREの安藤正容は、2021年ツアーを最後にT-SQUAREから引退すると表明しています。メッセージ動画あり↑

以下、声明より

ファンの皆様へ

いつも応援いただき、ありがとうございます。
ここで重大な発表をしなければなりません。
今春発売予定の最新アルバムが自分の、T-SQUAREとしての最後の
オリジナル作品になります。
そしてそのツアーを最後にT-SQUAREからの引退を決断致しました。
実は数年前から、どこかでT-SQUAREの活動から身を引かなければ
ならないと考えていました。
理由は多々ありますが、一つは年齢を重ねる毎に一年がとても短く
感じるようになった事。
これは一年に一作アルバムを作り、新曲を携えてツアーを行う事への
重圧がしだいに大きくなる事へと繋がりました。
その昔ユーミンに聞いた事があります。
「毎年毎年新しいアルバムを出して、煮詰まったりする事はないんですか?」
ユーミンは、
「たとえそうだとしても、ありのままの自分をファンに聴いてもらえるのが
嬉しいし、大事な事。」
正確な言葉ではないかもしれませんが、そういう意味の内容でした。
その答えには感心し、器の大きさを感じたものです。
しかしスクエアはバンドだし、また違った状況があります。
スクエアのメンバーは皆才能豊かでエネルギーに満ちています。
毎年アルバムを作る事を楽しみにしているメンバーをさておき、
自分が足を引っ張るような形になるのは避けなければいけない、
と言うのが最大の要因です。
ただ安心して下さい。T-SQUAREは継続します。
伊東さん、坂東の2人ユニット&サポートメンバーによって
T-SQUARE alpha として活動を続けます。
これは長年スクエアを牽引し続けてくれたマネジメントの青木、そして
もちろん伊東さん、坂東の理解があっての結論です。
1978年にデビューして42年間、スクエアがあればこそ自分がありました。
永きにわたり応援して頂き感謝にたえませんが、
自分は音楽家を引退する訳ではありません。
所属事務所も変わらず、あんみつや他の演奏活動も機会があれば
続けていくつもりです。
そしてまたいつかスクエアのメンバーとステージに立つ事があるかも知れません。
自分勝手な決断ではありますが、引き続きT-SQUARE alpha と共に、
安藤正容の活動も応援して頂けるよう御理解頂けたら幸いです。
最後に、今まで本当にありがとうございました!
そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2021年02月01日
安藤正容



Novelbright 「ツキミソウ」

2020年12月に配信リリースされた「ツキミソウ」は、ファンの間でも「心に沁みる」「切なすぎる歌詞」「泣きそう…」と話題のラブバラードだそうです



ご視聴ありがとうございましたm(__)m

ウィーザーの新アルバム『OK Human』全曲公開

ウィーザー(Weezer)の新アルバム『OK Human』がストリーミング配信開始。YouTubeほかで聴けます




アルバムは1月29日リリース。リリース元はAtlantic。

プレスリリースによると、『OK Human』はビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』にインスパイアされています。また、タイトルがレディオヘッド『OK Computer』へのオマージュであることを認めていますが、『OK Human』のサウンドは「あのレコードとは全く似ていない」と明言しています。

『OK Human』についてリヴァースは「(ハリー・ニルソンが全曲ランディー・ニュ-マンの楽曲を歌った)1970年のアルバム『Nilsson Sings Newman』にインスパイアされたんだ。全てピアノをベースにしているけど、オーケストレーションがたくさん入っているんだ。ストリングスはアビーロードでやったんだ。華やかなメロディーと非常にエキセントリックな歌詞だよ」と語っていました。

バンドはこのアルバムとは別に、メタルに触発されたアルバム『Van Weezer』を5月7日にリリースする予定。

■『OK Human』

01 All My Favorite Songs
02 Aloo Gobi
03 Grapes Of Wrath
04 Numbers
05 Playing My Piano
06 Mirror Image
07 Screens
08 Bird With A Broken Wing
09 Dead Roses
10 Everything Happens For A Reason
11 Here Comes The Rain
12 La Brea Tar Pits



ご視聴ありがとうございました(*^^*)

ジャーニーのアーネル・ピネダ、スティーヴ・ペリーとのリユニオンには大賛成だと語る

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ジャーニー(Journey)のシンガー、アーネル・ピネダ(Arnel Pineda)は米ローリングストーン誌のインタビューの中で、バンドが元シンガーのスティーヴ・ペリー(Steve Perry)とリユニオンするというアイデアについて話し、たとえそれが彼自身の仕事を失うことになっても、そのアイデアにはとても賛成だと述べています。

“長い年月を経て、ついにスティーヴ・ペリーと会ったのはどんな感じだった?”(※2017年のロックの殿堂の式典で2人は初対面)と尋ねられるとピネダは、

「35年待っていたとInstagramに投稿したんだ。夢のようだったよ。彼はとても引っ込み思案で人を避けているから、彼に会えたなんて信じられなかったよ」

「彼はインタビューを受けようとはしなかったんだ、少なくとも新譜(『Traces』)を出すまではね」

「彼が僕に会うことに同意してくれたことには本当に驚いた。僕の人生で起きたことの中で、最も特別なことの一つだよ。彼は歌に関しては、僕のヒーローの一人だ」

インタビュアーは過去数年間に何度もスティーヴと話をしたことがあるそうで、インタビュアーは“彼がジャーニーのバトンをあなたに託して喜んでいることは間違いない”と話すとピネダは

「それを聞いて、さらにプレッシャーを感じる。同時に、本当に光栄だ。でも、いつか彼が2〜3曲だけでもバンドに参加してくれる日が来ることを期待しているよ。もしそうなったら、僕の人生のハイライトの一つになるだろう」

インタビュアーはジャーニーのリユニオンはこの時点でレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドの再結成に匹敵するだろうと述べるとピネダは

「なんてことだ。レッド・ツェッペリンもピンク・フロイドも見たことがないので同じだね。もう一回復活してほしいね。一周回って、またステージに戻ってくるような感じだね」

「もう一度言うけど、僕は“スティーヴ・ペリーが復活すればいいのに”と思っているよ。意味分かるよね?」

インタビュアーが“そうなんだけど、もし彼が戻ってきたら、それは...”と話すとピネダは

「分かってるけど、一緒にいると寂しくてたまらない。時々彼らのビデオを見るんだ。僕が見るビデオでは、いつも彼らはスティーヴ・ペリーと一緒だ。アダム・ランバートに悪気はないんだけど、彼は素晴らしいパフォーマーで、素晴らしい声を持っているけど、僕は今でもフレディ・マーキュリーとの古い(クイーンの)ビデオを見ているんだ」

「だからこそ“No Perry, No Journey”と言われても、僕はそれを理解できる。僕の出身地は西洋音楽の影響を強く受けている。僕たちはオリジナルが大好きでした」

インタビュアーが“彼が帰ってくると仕事がなくなるよ”と話すとピネダは

「僕はそれでいい!本当だよ。それだけ彼を慕っているし、ジャーニーを愛しているということだ。2005年、僕は香港での仕事を辞めた。酸の逆流で声が出なくなったから」

「当時、僕は友達にスティーヴ・ペリーと並んで歌う前に声を失ったことが唯一の後悔だと話していた。冗談だったけど、その時とは違う状況になっている」

「僕はただ彼と一緒にショーをしたい...僕の人生を永遠に変えてくれると思っていたんだ。もう30年になるけど、バンドは誰もが想像できないような方法で僕の人生を変え続けているんだ」

ジャーニーは現在、新しいアルバムに取り組んでいます。




amassより全文を引用していますm(__)m