HAIR METAL って何 ?

マイク・シノダの記事に出てきた"ヘアメタル"って何なのか私も知らなかったんです(>_<)

早速調べて聴いてみました
お勧めは、Warrantの楽曲「Heaven」です(^_^)





【ヘア・メタル】
つまり毛髪に大きな特徴を持つメタルです。
その語源には〈髪型を整えることにばかり時間をかける軟派ども〉といった侮蔑的な匂いが含まれていることも否めません。が、日本では同意語として考えられがちな〈LAメタル〉という呼称が出身地を、〈グラム・メタル〉といった形容が音楽性を限定するものであるのと違い、この言葉は良い意味での曖昧さをもって、〈ヘア・スプレー不可欠な80sメタル〉を総称しているのです。

あえて音楽的な傾向を言うなら、正統派メタルの様式以上に〈カッコ良さ〉を重んじたロックンロール寄りのアプローチをするバンドが目立ちますが、いわゆる〈産業ロック〉的なバンドや技術至上主義型のバンドの多くもヘア・スプレーを必需品としていた時代ですから、厳密に特定することには無理があります。

そもそもメタル・バンドが毛髪や視覚要素を重視するようになったのは、80年代にUSの音楽シーンがMTV主導型になったことと無関係ではありません。
発祥地はやはりハリウッド。
当時のシーンに溢れていたのは、キッスやエアロスミス、ヴァン・ヘイレンを直接的なルーツとする世代のバンドでした。
彼らは破れたTシャツとレザーを身に纏い、ヘアメイクにこだわりながらゴージャスでセクシーなイメージを打ち出そうと目論んだのです。
結果、同じような外見のバンドが異常増殖することになったのは皮肉なものですが、少なくとも80年代半ばから後半にかけて、無骨なスラッシュ野郎ども以外ほぼすべてのメタル・バンドには〈時代遅れにならないために、そうした手法を取るべき必要〉があったと言えます。

当時、多くのバンドは、豊かな髪の毛をなびかせながら異性の視線を集めることに躍起になっていました。LAにはその種のバンドマン御用達のヘア・サロンもあり、金髪のシンガーを擁するという単純な理由で浮上のきっかけを掴んだバンドも皆無ではありません。
ただ、なかには本当に中身のないバンドもいましたが、ヘア・メタルと総称されるカテゴリーのなかで幾多の名盤が生まれ、後続世代がロックに目覚めるきっかけとなったのも事実なのです。


TOWER RECORDS ONLINE 2010年の記事より全文を引用しています



RATT 「Round And Round」



Loudness 「Crazy Nights」






リンキン・パークのマイク・シノダ、ヘア・メタルは白人の色が強すぎたと語る


hybrid theory


リンキン・パークのマイク・シノダはヘヴィ・メタルがニューメタルが人気になるまで「あまりに白人過ぎた」とヘア・メタルを批判している。

父親が日系アメリカ人のマイク・シノダは『メタル・ハマー』誌のインタヴューで自身の見解を明かしている。

初期のリンキン・パークのキャリアにおいてマイク・シノダは「たくさんのロック・バンドを見てきたけど、自分としては『あまりに白人過ぎる』と思っていたんだ」と語っている。

「それが僕が嫌いだったことの一つだよね。特にヘア・メタルはね」と彼は語っている。

「人種のことについて言ってるんじゃないんだ。肌の色のことでもない。カルチャーのことを言っているんだ。ニューメタルが始まった最初期はすごく多様な場所だったんだよ」

「非常に多様な街」で生まれ育ったというマイク・シノダはニューメタルが現れるまでメタルに「興味がなかった」として、「響くものがなかったんだ」と語っている。

リンキン・パークは今月デビュー・アルバム『ハイブリッド・セオリー』が20周年を迎えている。

先日、ブリング・ミー・ザ・ホライズンのジョーダン・フィッシュはリンキン・パークの『ハイブリッド・セオリー』から受けた影響について語っている。

「今、作っている音源でもそうだよ。いまだに参考にしているんだ。曲を次にどこに向かわせるか考える時に心の片隅に常にいるバンドの一つだよね」

「ヘヴィでキャッチーな音楽をエレクトロニックやポップ・ミュージックと融合させる時のバイブルだよ。本当に多くの領域をカヴァーしていて、それをあんな形でやってしまっているんだ」

NME JAPANより全文を引用しています

ブリングー・ザ・ホライズン 新曲“Teardrops”


“Teardrops”はEP『ポスト・ヒューマン:サヴァイヴァル・ホラー』から公開された4曲目の楽曲となっている。

“Teardrops”のミュージック・ビデオはこちらから。



“Ludens”は2019年11月にゲーム『デス・ストランディング』のサウンドトラックとしてリリースされており、2020年6月には“Parasite Eve”が公開されているほか、先月にはヤングブラッド参加の“Obey”が公開されていた。

ブリング・ミー・ザ・ホライズンは2021年9月にEP『ポスト・ヒューマン』シリーズを引っ提げたUKアリーナ・ツアーを行うことも決定している。

今年6月、オリヴァー・サイクスはEP『ポスト・ヒューマン』シリーズについて次のように語っている。「『ポスト・ヒューマン』のアイディアは進化や食物連鎖から脱してみるということについてなんだ。それができれば、自分たちが地球にしていることにも責任が持てるし、今の人間よりもよりよき存在になれると思ったんだ」

「みんなを引き込んで、みんなを怒らせたいんだ。ここ最近やってきたのよりはずっとアグレッシヴなんだ。今は世界は気楽なポップ・ミュージックは求めてないからね。怒りのアンセムが必要なんだよ。怒るべきことはたくさんあるからね」

NME JAPANより全文を引用しています


ショーン・メンデス、新曲「Wonder」

自身の過去アルバムは全て全米1位を獲得、第61回グラミー賞では2部門にノミネートされ、昨年「If I Can't Have You」と「Señorita」が日本を含め全世界で大ヒットした、カナダ出身の22歳シンガー・ソングライター=ショーン・メンデス。






先日、2年半ぶりとなる4thアルバム『Wonder』を2020年12月4日(金)に発売することを発表し、10月2日にはタイトル・トラックとなる1stシングル「Wonder」をリリースしたばかり。
そんな中、本日ユニバーサル ミュージック ジャパンの公式YouTubeアカウントで、和訳付きのBehind The Sceneが公開された。
この映像はパート1とパート2に分かれており、MVでは見せていないショーンの素顔がありのままに描かれている。照れながら自身の演技を自画自賛したり、撮影方法に驚いたリアクションなどを含めスタッフとの何気ないやり取りなどは、ショーンの人の良さが伺える。
また、大掛かりなセットで撮影された本MVが、完成に近づく過程も映し出されており、普段は見られない貴重な映像ばかりだ。

この映像を見た後に、「Wonder」のMVを観ると、面白さが増すだろう。ぜひこの機会にご覧いただきたい。


BARKより全文を引用しています

ピーター・クソン監督が蘇らせた第一次世界大戦の記録映像/映画『彼らは生きていた』






「映像の進化もココまで来たか」と驚きの声続出!!ピーター・ジャクソン監督、100年前のカメラマンに救いの手『彼らは生きていた』。

『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどで知られる名匠ピーター・ジャクソン監督の最新作。
本作は、第一次世界大戦の終戦から100年を迎えた節目である2018年にイギリスで行われた芸術プログラム「14-18NOW」と、帝国戦争博物館の共同制作で、帝国戦争博物館に保存されている記録映像を再構築することで誕生したドキュメンタリー映画。

イギリス本国のみならず、2019年度のアメリカ・ドキュメンタリー部門でNo.1ヒット、映画批評サイトのロッテントマトにて驚異の100%フレッシュを獲得するなど高い評価を受けている。

ジャクソン監督は、2200時間以上あるモノクロ、サイレント、経年劣化が激しかった100年前の記録映像に、修復、着色、3D化という3段階の作業を400人以上のアーティストを動員し実施。
修復作業には、バラバラのスピードで撮影されていた古い映像を現代の24フレームに修正するため、足りないフレームを作成するなど、今までにない最新のデジタル技術が施されている。
また、大戦当時は録音技術がなかったため、BBCが所有していた600時間以上ある退役軍人たちのインタビュー音声や、兵士たちが話す口の動きを読唇術のプロが解析した言葉や効果音を追加。完成作はまるでジャクソン監督に魔法をかけられ、命を吹き込まれたかのよう。

この度完成した予告編は、口笛で奏でられる第一次世界大戦の軍歌に乗せ、粒子の荒い不鮮明なモノクロ映像の中でイギリス兵たちが行進する場面から始まる。

その後、予告映像の舞台が戦場へ移ると、リアルな着色が施された修復後の映像に。
今まで遠い過去の出来事としてしかとらえられなかった記録映像がその瞬間から、菱形戦車や馬車、塹壕での兵士たちの姿など、躍動感溢れる映像へと変化していく。
また、「映画の撮影だぞ」とカメラを意識しながら話す若き兵士や、カメラ目線で笑顔を見せる兵士たち一人ひとりの表情もイキイキと輝き出し、現代に撮られた映画と見紛うほどの仕上がりになっている。

ジャクソン監督は、幾度となく命を危険にさらしながら手回しで撮影していた当時のカメラマンを思い、「記録を残すために撮影していたのだから、出来ればカラーで撮影したかっただろうし、誰もが映像は出来る限りよく見せたいと思うはず」と話しており、本作について、「現代の技術が、100年前のカメラマンに救いの手を差し伸べた映画なんだ」と語っている。

普通の青年たちが兵士となり、死と隣合わせの戦場を生き抜き、終戦を迎えるまでがドキュメンタリーでありながら、兵士たちの心の動きを感じられるひとつのドラマとして描かれる。

2020年1月25日公開



今年はコロナウイルス対策の影響もあって映画館に行っていません

この映画も観たい映画の一つです

余命宣告の織田無道が暴露「テレビはヤラセ」「除霊はできない」「有罪判決」

「一昨年に“ステージ4”で余命1年を宣告されました。でも、まだ生きていますよ(笑)。最近も“7月までもたない”と言われましたが、別の医師からは“免疫性が上がって、回復しています”と。がんは本当にわからないことが多いので、あわてないことです」

 末期がんで闘病中だという織田無道だが、血色はよく意気軒昂。ニコニコしているが、時折、見せる鋭い眼差しは“怪僧”と呼ばれたころと変わらない迫力だ。

「織田さんは1990年代に霊能者としてテレビに引っ張りだこでした。当時は宜保愛子さんもいてオカルトブームだったんです。水晶玉を使って霊視をするんですが、酒は飲むし女が好きという破天荒キャラ。神奈川県の円光寺住職で、信長の子孫を名乗っていましたね。2002年に虚偽登記で逮捕され、その後も給与トラブルがあり、テレビから消えました」(テレビ誌ライター)

「お祓いは気合」で住職稼業が一転
 最初から霊能者だったわけではなかったという。

「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。司会の宮尾すすむさんが“悪い霊が来てしまったらどうすればいいの?”と聞いてきたのですが、私の宗派にお祓いはないから、“それは気合です”とアニマル浜口さんみたいなことを口走ってしまった(笑)。その場で霊との闘いが始まって、それが全国に放送され、住職ではなくて“除霊をする人間”になってしまった。それから、“ここを除霊してくれ”という依頼がたくさん来たんですよ。私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」

 多いときで週に10本の番組に出演する売れっ子に。

「テレビを何百本もやっているとヤラセが出てくる。ある深夜番組で“あの木の下にこういう霊がいることにしましょう”と言われたことがあります。司会者から“織田さん、すごいですね。霊は本当にいるんですね”なんてふられて困りました。当時のテレビはヤラセだらけ。クイズ番組なんかはひどくて、最初から解答が渡されていたんです」

 バラエティー番組だからと割り切って出演していたという。バブルの余韻でテレビ業界はイケイケだった。

「1回の制作費が5000万円なんてザラ。海外ロケにも行って大盤振る舞い。ギャラもすごくて、1回で500万~600万円なんて普通でしたね。アメリカでシカゴのテレビ番組に出たときは1本で2000万もらいました。当時は1000万円もらって、それをひと晩で飲み切るなんてことが当たり前の時代だったんですよ。視聴率さえ取れれば、何でも可能でした」

 金銭感覚がだんだんおかしくなっていく。

「視聴率がよくなれば担当プロデューサーにボーナスが出るし、経費も上がる。だから、“今夜もどっと飲みましょう!”なんて言われる。楽しい時代でしたね。1万円札を見ても今の100円と同じ感覚でした。月に億単位の金を稼いでいましたね」

 テレビの黄金期の中で、もっとも輝いて見えたのが石橋貴明だったという。

「すごく面白いし、私ら坊主にとっても参考になることがいっぱいありました。禅には『有溝無溝』という言葉があります。構えはあってないのと同じで、最終的には心の闘いが勝敗を決定するものだという意味ですが、まさに石橋さんはその言葉どおりの人。僧侶でも普通の悟りでは到達できない領域です。“お笑いの達人”というレベルを超越した本当にすごい人です」

石橋貴明の凄みと勝新の力
 日本テレビ系の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に出演していて、石橋のアドリブに驚かされた。

「霊がとりついている人を呼んでスタジオ収録をしたんです。若い女性で、ミニスカート姿。そうしたら石橋さんが急に“霊がいる!”と、女性のひざを指さしました。カメラがひざのお皿をアップで映すと、人の顔のようにも見えますよね。彼女が出てきた一瞬で、ひらめきが芽生えたんです。いつも、よくそんな発想が出るなと感心していましたね」

 勝新太郎さんも、織田に強い印象を残した。

「彼の死後のことです。心霊番組で、夜中にお墓に行きました。カメラが回った瞬間に照明がパッと消えたんです。かわりに静止画を撮ろうとシャッターを切っても、ストロボがつかない。勝新さんの“力”を感じましたよ。勝新さんが納得するスタッフ、カメラマンでないと映させてもらえない。“お前らなんだ勝手に来やがって、玉緒に金を払ったのか?”ということではないでしょうか」

 2002年に逮捕されて有罪判決を受けたことについては、今も納得していない。

「まったくくだらない理由です。会ったこともない人間にテレパシーで虚偽登記などの文書偽造を指示したというバカげた判決。取り調べでは“織田よ、認めれば出られるんだよ。早く書類にサインしちゃえよ”と言われました。もっと重要な犯罪があるのに、私がテレビにバンバン出ていたから狙われたんでしょう」

 留置所には3か月ほど入っていたが、さほど苦痛ではなかったらしい。

「うなぎでも天丼でも、好きな出前を頼んで食べていました。不自由さはありませんでしたね。留置所から出た後も普通にしていましたよ。別に大した罪でもあるまいし。沢尻エリカだって、堂々と出てくりゃあいいんだよ」


 沢尻は違法薬物所持という重い罪状だが……。

「テレビはもともとデタラメな世界だから、デタラメなやつが出ていいんですよ。きれいごとなんか言っていられない。視聴率を取れなかったら番組がなくなっちゃうんですから、否応でもヤラセをやる。それで視聴率を取れているんだし、バラエティーだからいいじゃんということです。UFOや幽霊なんかはほとんどが合成写真のインチキ。でも、見ているほうが楽しければいいじゃないと思います」

死んだらどうなるわかっている
 相変わらずの怪気炎だが、体調がすぐれないことも。


織田の現在の体重は70キロと細くはないが、30キロも落ちたので体力的にもキツいようだ
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「長く座ったりしていると、脚が冷えて氷のようになってしまいます。すぐに疲れますが、夜にまったく眠れないんですよ。1日に2時間でも3時間でもいいから寝たい。1~2月は40度以上の高熱が出て、本当にキツかったんです。めまいがひどくて起きられなくなって、いよいよおしまいかなと思っていましたよ。食べ物も限定されて、体重も100キロあったのが、30キロ落ちて、今では70キロ。これからどうなるのかはわからないですね」

 それでも、死に対する不安はない。

「私は仕事で葬式もたくさんやっていますし、死んだらどうなるかわかっていますから。人間はわからないことに対して恐怖心を抱くんです。私は坊主なので、自分の真意、本当の自分悟りを示したうえで人生の幕を閉じたいですね。できれば70歳まで生きたい。 “人類のために”とか大それたことを言える立場でもないですが、自分自身の答えを出したいですね」

“怪僧”にとって死は恐れるに足らないものなのだ。

週刊女性2020年6月23日号
週刊女性PRIMEより全文を引用していますm(__)m


やっぱりね~って感じですね(^_^)
視聴者はいつまでも騙されませんよ
テレビ離れが加速している理由の一つだと思いました

Bob Marley & The Wailers – Lively Up Yourself

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「Lively Up Yourself:ライヴリー・アップ・ユアセルフ 」で、アルバムは74年『Natty Dread:ナッティ・ドレッド』ですね。

動画はLive At The Rainbow Theatre, London / 1977のようで、力強く、70年代の名盤『Live!:ライブ!』のような出来、レゲエでギターソロが映えるライブ盤『Live At The Rainbow 4th June 1977』も迫力ありです。

70年代後半、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのレコードは75年『Live!:ライブ!』から入った者にとって、魂を揺さぶるライブ名曲「No Woman, No Cry」「Lively Up Yourself」が、このアルバム『ナッティ・ドレッド』スタジオ盤の軽さに思わず「え~」と下をむいてしまうぐらいガッカリでしたが……

差にあらず、アルバム全体はすこぶる良いのです。今ではボブ・マーリーのアルバムでも、もの凄く評価されているのですね。



 


Natty Dread


 


70年代後半、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、正に未知との遭遇、ロック以外に同様な音楽があったと!

驚き、夢中になるのですが、『ナッティ・ドレッド』はレゲエの反骨とラスタと音楽の融合と入門的なモノになりました。

『ナッティ・ドレッド』は大好きピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーが抜けて、奥様のボーカルユニット、アイ・スリーズを加入で、これも程よい合いの手になって、これが初期ウェイラーズとの違いなってるかもです。

で、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはライブ盤が良い、80年代になって大学生78年『バビロン・バイ・バス』も超愛聴盤だった一時期は日夜問わず、聴きっぱなし、大学にも行かない大学生だった。

ライブが凄いのは、ホントのロッカーの証。

スタジオ盤は少しピコピコサウンドぽいけど、ライブ盤も聴くと違いが在りすぎる。
要はスタジオとライブを両方聴くべし!!(笑)

と云うことでおまけは「No Woman, No Cry 」を2曲でライブとスタジオ盤で、違います(笑)

Bob Marley & The Wailers -No Woman, No Cry

初めて聴いた時は感涙にむせび震えたライブ盤と


初めて聴いた時は軽さに思わず「え~これ何に~」となったスタジオ曲で(笑)
























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フィーバー333 “BITE BACK”

10月23日に新作EP『WRONG GENERATION』をリリースするフィーバー333が、同EPからリード・トラックの“BITE BACK”を先行配信した。

アメリカのミネアポリスで起こったジョージ・フロイドの傷害致死事件を受け、ボーカルのジェイソン・エイロン・バトラーはLAでの抗議運動に13日間参加。14日目に制作へ取り掛かり、8日後に完成したのがこのEPだという。

公式YouTubeチャンネルではビジュアライザーが公開になった。




“BITE BACK”について、ジェイソンは以下の様に語っている。

「この曲の全ては、俺が(ジョージ・フロイド事件の抗議行動にて)13日間ストリートで見てきたこと、そして、今起こさなければならないことについて表しているんだ。

ビルディングが燃え、抗争が起きていた。白人の同胞が、州兵の目の前に飛び出していくのを見た。なぜなら奴らは、後ろにいる黒人たちが持っていない力を持っていることを知っていたから。当然だろ? もしも街角になんかのクリーチャーがいて、そいつらが俺たちの生命を脅かすってことがわかるのなら、抵抗するってこと以外の選択肢が見当たらないから」


同EPのリリースに伴い、バンドは日本やオーストラリアを含む初のバーチャル・ライブストリーム・ツアー『WORLD TOUR FOR THE WRONG GENERATION』を行うことが決定している。


rockin'onより全文を引用しています