ミュージシャン達との別れの時のようで

ストラングラーズの「Toiler on the Sea」で、アルバムは78年・3rd『Black and White:『ブラック・アンド・ホワイト』ですね。

キーボードのデイブ・グリーンフィールさん、新型コロナウィスルでお亡くなったようで、お気に入りのブログで知りました。
The Stranglers - Toiler on the Sea.


 


BLACK & WHITE


 




70年代後半、高校時代がもろパンク、そして今年は還暦のようで、まあ頭のレベルはガキ・未だに家族、友人に迷惑かけてますが、時は経ちます。光陰矢の如し。

で、日本では、ストラングラーズは、セックス・ピストルズの少し後とプロモ紹介認知だったと不確実ですが、77年1st『夜獣の館』2nd『ノー・モア・ヒーローズ』そして78年3rd『ブラック・アンド・ホワイト』で、2ndと3rdが人気がありましたね。

パンクとの事でしたが小生には違和感、ニュー・ウェイヴ時代になり、ストラングラーズはインテリパンクと気がつきますが、ジャムもパンクとくくる時代でした。

その違和感は曲風的にオルガン・シンセが入っており、セックス・ピストルズやクラッシュと明らかに違う、ファニーですがシニカルなPOPのグルーブ感ありと。

これはパンクとも違うカンジで特に『ブラック・アンド・ホワイト』は、ニュー・ウェイヴ。原動力はキーボードのデイブ・グリーンフィールの貢献と思います。


小生、ストラングラーズは、90年創始メインメンバー、ヒュー・コーンウェルが抜けた時に終わっていると思っていましたし、ドラムのジェット・ブラックは15年に抜けていて、昨年の27年ぶり東京公演には興味がありませんでしたが……

パンク・ニュー・ウェイヴを創ったバンドすから、ストラングラーズへのリスペクトは変わらずです。

小生、別れが続く歳・年代かもです。これからは別れが多くなりますね。

R.I.P

で、続々と訃報を皆様のお気に入りのブログで知りましたので、リブログ・リンクさせていただきます。


クラフトワークのフローリアン・シュナイダーさん。
テクノですが、初耳の時はなんだこれは?? 
後のYMOが出て、テクノ元祖かなと気づき、無機質的でも知的な音楽あると…接点と。

キャ☆メルのプログレキマグレ・ブログさん

””クラフトワーク~コンピューター・ラヴ( Live in Tokyo)”フローリアンさん”






リトル・リチャードさんはレコードは買った事はなかったけどカバーから、ビートルズで知り、エルビス・プレスリー以外にもロックンロールがあると知りました。

多くのお気に入りのブログの方がUPしてます。
ブログを始めた頃から、長く拝見してる方々のブログをリンクさせていただきます。

HIROさん
きょうは日曜日だったのね!?


キースさん 
ROLLは、どおした?
リトル・リチャード























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スコーピオンズ



「Maybe I Maybe You」

アーティスト
Scorpions

Writers
Klaus Meine, Anoushirvan Rohani



今日は、スコーピオンズ(Scorpions)についてご紹介します

活動期間 1965年 - 現在

1965年にドイツのハノーファーでルドルフ・シェンカー(G)が中心となり結成されました

71年にクラウス・マイネ(Vo)とマイケル・シェンカー(G)らが加わり、72年にアルバム『恐怖の蠍団~ロンサム・クロウ』でデビューしています
(73年にマイケル・シェンカーが脱退(UFOへ加入))



旧ドイツ出身HR/HMバンドとしてアメリカ進出にも成功した、世界的に有名なロックバンドですね!(^^)!

91年のシングル「ウィンド・オブ・チェンジ」が7カ国で1位、全米4位、全英2位と世界中で大ヒット、ロックの枠を超えた平和と希望を象徴するアンセムとしてバンド史上最大のヒット曲となっています




「Wind Of Change」(Official Music Video)







「 We'll Burn The Sky 」- Musikladen (16.01.1978)




【現ラインナップ】

クラウス・マイネ Klaus Meine
ボーカル (1969- )

マティアス・ヤプス Matthias Jabs
リードギター (1978- )

ルドルフ・シェンカー Rudolf Schenker -
リズムギター (1965- )

パウエル・マキオダ Paweł Mąciwoda
ベース (2004- )

ミッキー・ディー Mikkey Dee
ドラムス (2016- )

バンドの宿命なのでしょうか(>_<)
スコーピオンズも多くのミュージシャンのメンバーチャレンジが繰り返されています



【旧メンバー】
ボーカル
ウェルナー・ホイヤー Werner Hoyer (1967-1968)
チャールズ・ポルター Charles Porter (1968-1969)
ベルント・ヘグナー Bernd Hegner (1968-1969)

リードギター
カール=ハインツ・フォルマー Karl-Heinz Vollmer (1965-1967)
ウルリッヒ・オロビエク Ulrich Worobiec (1968-1969)
マイケル・シェンカー Michael Schenker (1969-1973, 1978-1979) ルドルフ・シェンカーの実弟
ウリ・ジョン・ロート Uli Jon Roth (1973-1978) スコーピオンズ在籍時は『ウルリッヒ・ロート』

ベース
アヒム・カーカフ Achim Kirchoff (1965-1966)
ローター・ハインベルク Lothar Heimberg (1967-1973)
フランシス・ブッフホルツ Francis Buchholz (1973-1992)
ラルフ・リッカーマン Ralph Rieckermann (1993-2000, 2000-2003)
ケン・タイラー Ken Taylor (2000)
インゴ・ポインツァー Ingo Powitzer - (2004)

ドラムス
ヴォルフガング・ヅィオニー Wolfgang Dziony (1965-1972)
ジョー・ワイマン Joe Wyman (1972)
ウェルナー・ロア Werner Lohr - (1973)
ユルゲン・ローゼンタール Jürgen Rosenthal (1973-1974)
ユルゲン・フェヒター Jürgen Fechter - (1974)
ルディ・レナーズ Rudy Lenners (1975-1977)
ハーマン・ラレベル Herman Rarebell (1977-1982, 1984-1995)
クルト・クレス Curt Cress (1995-1996)
ジェイムス・コタック James Kottak (1996-2016)


リトル・リチャードさん、逝去

リトル・リチャードが亡くなった。享年87歳だった。

本名をリチャード・ウェイン・ペニマンというリトル・リチャードはロックンロールの創始者の1人として知られ、その大胆なスタイルと自由奔放なアティテュードで知られている。リトル・リチャードは現地時間5月9日に亡くなったとのことで、息子のダニー・ジョーンズ・ペニマンは米『ローリング・ストーン』誌に訃報を認めている。ただし、死因については明らかになっていない。

ジョージア州メイコンで1932年12月5日にリトル・リチャードは12人兄弟の1人として生まれた。彼の父はナイトクラブも経営する牧師で、母親は信心深いバプテストだった。

1998年にBBCラジオ4に対してリトル・リチャードは兄弟の中で目立ちたかったがために歌うことを始めたと語っている。

アーティストとしてリトル・リチャードは1956年に“Tutti Frutti”でブレイクを果たし、“Long Tall Sally”や“Lucille”、“Good Golly Miss Molly”といった矢継ぎ早でその名声と地位を確立することとなった。1957年発表のデビュー・アルバム『ヒアズ・リトル・リチャード』はジャンルの雛形であり続けている。

「ロックンロールの革新者にして創始者にして立役者」と呼ばれた彼は世界各地の音楽に計り知れない影響を与えており、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンなど、数え切れない影響を与えている。

リトル・リチャードは1986年の最初期にロックの殿堂入りを果たした1人となっている。同年、彼はソングライターの殿堂入りも果たしている。1993年にグラミー賞の特別功労賞も受賞している。

その死には多くのアーティストから追悼の声が寄せられている。



NME JAPANより全文を引用しています




私の年代では馴染みがないのですが、ロックの創始者として有名な人です

ロック界の偉大なる人、リトル・リチャード様

ロックをありがとう

感謝の意をここに表します


リトル・リチャードさんの"Tutti Frutti" の映像をご紹介します




リトル・リチャード(Little Richard)

1932年12月5日 - 2020年5月9日









ホワイトスネイク、「Give Me All Your Love」の新規制作MV

ホワイトスネイク(Whitesnake)は、新たなコレクション・アルバム『The Rock Album』から「Give Me All Your Love」の新規制作ミュージックビデオを公開しました



『The Rock Album』は、バンドの歴代ロック・ソングをフィーチャーしたコレクション作品で、すべての楽曲はリミックス&リマスタリングされています

「All Or Nothing」にはギターが追加され、「Tell Me How」は別アレンジ・ヴァージョンを採用するなど、一部楽曲は再検討されたヴァージョンが収録されるとのことです


『The Rock Album』は海外、日本で6月19日発売される予定です








アルヴァ・ノト+坂本龍一 「flux 1」のビデオ

アルヴァ・ノト(Alva Noto)+坂本龍一名義の「flux 1」のビデオが日本時間5月9日午前1時にYouTubeで公開されます
坂本龍一が新たにスタートさせた「incomplete」シリーズの第1回

坂本龍一はこの「incomplete」シリーズについて

「物事が“正常”ではないこの時代、自分が感じてきた感覚を記録したいと思いました。ミュージシャンの友人を何人か誘って、一緒にやってもらいました。その結果を皆さんと共有したいと思いました」

とコメントしています





amassより引用しています



ご視聴ありがとうございました(^_^)

Killing Joke – I Am The Virus

キリング・ジョークの「I Am The Virus」で、アルバムは15年『Pylon』です。

小生に珍しの21世紀アルバムですが…キリング・ジョークですから(笑)
ニューウェイヴ世代の小生には違和感なし、異端児でも、ハードロックですから聴ける。

なかなかハードなアルバム、キリング・ジョークはインダストリアルの元祖のことのようですが?

再三言いますが当時は、数多出てきた新規のバンドは、シンプルにニューウェイヴ。

後に、解説ロックジャンル分け・もしくは評論の産物で、インダストリアルロックの名なんでしょうが、オンタイムではアイアンメイデンとも違うし、モーターヘッドとも違うし あえて言えば、なんかダークサイドで、しかもかなりカウンターカルチャーでした。

 


Pylon


 




で、21世紀になって2008年から、メンバーが創始にもどっている、昔同様に過激なロックも変わらず。

「I Am The Virus:アイ・アム・ウイルス」と訳詞を見ると、正に今の事を、毒気反語的な内容でビックリ! 

近代社会は病気・感染症の撲滅を目指してきましたが、抗ウイルス対策となるとまだまだのようで、そこに利権・覇権、国・国際金融資本がらみ、複雑怪奇なのが今と!

小生に写るのですが、キリング・ジョークの詞が正調カウンターカルチャーなっている(苦笑)

彼らの80年代からのスタンスは復活創始メンバーで、現代社会に警告・毒気が図らずも、同期してしまったかなと。

で、映画では、大嫌いなスティーブン・ソダーバーグ監督の愚作11年『コンテイジョン』も、同期どころから前兆した映画と再認識。
才の無い監督(ホントの事・笑)との思い込みと、ちと反省はしてます。
まあ好きな監督にはなりませんが!!


と云うことでおまけも『Pylon』からでヘビィですがもろニューウェイヴな曲で

Killing Joke - Euphoria


























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Daryl Hall &amp; John Oates – Wait For Me

rock 魂ギター

この写真のCD『ロック魂』からピックアップして、懐かしい曲をご紹介しているコーナーです(^^)/

この『ロック魂』の解説者である渡辺實さんは、ダリル・ホール&ジョン・オーツの音楽について
「ロック・サイドからしっかりとした視線でソウルを見つめている姿勢がこのデュオの魅力」と記しています

今聴いてもポップな楽曲ですね(^^♪

ダリル・ホール&ジョン・オーツ「ウェイト・フォー・ミー」をお聴きください





ダリル・フランクリン・ホール

―1946年10月11日生、ペンシルヴァニア州ポッツタウン出身

ジョン・ウィリアム・オーツ

―1947年4月8日生、ニューヨーク出身



1967年テンプル大学在学時代に知り合い、2人のR&B思考が一致し、バンド活動を始めています

1972年、Atlanticレーベルからデビューしました

「リッチ・ガール」「ウェイト・フォー・ミー」「キッス・オン・マイ・リスト」などが大ヒットし、「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴ・フォー・ザット」が全米No1になっています




これまでに発表したヒット曲は34曲
その内6曲のNO.1ヒット、16曲のトップ10ヒットを記録し、デュオとして歴代1位の記録を残しているそうです




ご視聴ありがとうございました(^_^)