MISIA – 「アイノカタチfeat.HIDE(GReeeeN)」
ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Pat Benatar – All Fired Up
パット・ベネターの「All Fired Up」で、アルバムは88年『Wide Awake in Dreamland:ワイド・アウェイク・イン・ドリームランド』ですね。
パット・ベネターは70年代末から、79年「In the Heat of the Night:真夜中の恋人達 』の「ハートブレイカー」から、好きだったし、その後のアルバムもスマッシュヒットは、好みの曲が多かった。
ハードロック調のPOPハード多かったりしましたが、アルバム出す毎とに、POPロックありソフトPOPあり、ものすごくニューウェイヴ?POPよりな82年『ゲット・ナーヴァス』もあったりと。
ロック枠のなかで、かなりブレブレ、女性ロックボーカルとして為せる技で許させる事だったかも。
でも新しい音・曲風では、なかったと思います(笑)
パット・ベネター初期3部作はロッカーが、その時代に合わせて曲風・曲調が変化しても、その音色が小生の好みで相性が良かったと思います。
ベネター自身もコンポーザーですが、バンドの旦那さんの曲、外注の曲もありで、この時代アメリカの売れっ子のミュージシャンの利でもあり、問題点である、曲のリアリティーが軽いくカンジ。
このPOPロックが、正に80年代サウンドだったかもですね。好きだったけど(笑)
80年代は日本公演無しも、なんか判るような気がする。レコードで良いかもミュージシャン! リアリティー薄いと。
それでも好きな曲はたくさん、そこそこヒット、正に明るめアメリカPOPロックですね。
で、88年『Wide Awake in Dreamland:ワイド・アウェイク・イン・ドリームランド』は、ベネターのロック調と上手く合わせての、総括な80年代サウンドをなっています。
まあ、シンプルにボーカル・声が好きなんですが(笑)
と云うことでおまけは同アルバムからで
Pat Benatar - Don't Walk Away
押していただき感謝です。m(_ _ )m
パット・ベネターは70年代末から、79年「In the Heat of the Night:真夜中の恋人達 』の「ハートブレイカー」から、好きだったし、その後のアルバムもスマッシュヒットは、好みの曲が多かった。
ハードロック調のPOPハード多かったりしましたが、アルバム出す毎とに、POPロックありソフトPOPあり、ものすごくニューウェイヴ?POPよりな82年『ゲット・ナーヴァス』もあったりと。
ロック枠のなかで、かなりブレブレ、女性ロックボーカルとして為せる技で許させる事だったかも。
でも新しい音・曲風では、なかったと思います(笑)
パット・ベネター初期3部作はロッカーが、その時代に合わせて曲風・曲調が変化しても、その音色が小生の好みで相性が良かったと思います。
ベネター自身もコンポーザーですが、バンドの旦那さんの曲、外注の曲もありで、この時代アメリカの売れっ子のミュージシャンの利でもあり、問題点である、曲のリアリティーが軽いくカンジ。
このPOPロックが、正に80年代サウンドだったかもですね。好きだったけど(笑)
80年代は日本公演無しも、なんか判るような気がする。レコードで良いかもミュージシャン! リアリティー薄いと。
それでも好きな曲はたくさん、そこそこヒット、正に明るめアメリカPOPロックですね。
で、88年『Wide Awake in Dreamland:ワイド・アウェイク・イン・ドリームランド』は、ベネターのロック調と上手く合わせての、総括な80年代サウンドをなっています。
まあ、シンプルにボーカル・声が好きなんですが(笑)
と云うことでおまけは同アルバムからで
Pat Benatar - Don't Walk Away
押していただき感謝です。m(_ _ )m
Deep Purple – Kentucky Woman
今日は息子を無理やり誘い、バーチャルリアリティのソフト仕事に関わるなら、『ブレードランナー 2049』とか『レディ・プレイヤー1』をイメージするのも良いが…
ストーリーの奇天烈、物語を持つ映画見るべしとクエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観に行きました。
そうしたらビックリ、サウンド・トラック10数曲以上、挿入歌にディープパープルⅠ期の2曲がかかった。
そもそも1969年の頃のお話、パープルはⅠ期が筋。時代考証も合ってる。
ほかの曲もFEN育ち小生的に、お兄さん・お姉さんが聴いていた曲でしたが、70年代で後追いで覚えた曲が目白押し。
流石、クエンティン・タランティーノ監督、東映、マカロニウエスタン好きの映画バカは、音楽も外しはしない!!
映画は、相変わらずお得意、意味無しシーンが永遠に続くのかと思いましたが(笑)
映画の感想は、映画観てなんぼ、ご興味ある方は、ご覧ください(笑)ちなみに息子は大絶賛!
ピクサー、ジブリと幼い頃から良作は観せてきたつもりだけど、映画は、まあ大人レベルになったかなあと。まあ自己満ですが。
と云うことでおまけも同世代なら共鳴する曲で
Buffy Sainte Marie-Circle Game
押していただき感謝です。m(_ _ )m
ストーリーの奇天烈、物語を持つ映画見るべしとクエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観に行きました。
そうしたらビックリ、サウンド・トラック10数曲以上、挿入歌にディープパープルⅠ期の2曲がかかった。
そもそも1969年の頃のお話、パープルはⅠ期が筋。時代考証も合ってる。
ほかの曲もFEN育ち小生的に、お兄さん・お姉さんが聴いていた曲でしたが、70年代で後追いで覚えた曲が目白押し。
流石、クエンティン・タランティーノ監督、東映、マカロニウエスタン好きの映画バカは、音楽も外しはしない!!
映画は、相変わらずお得意、意味無しシーンが永遠に続くのかと思いましたが(笑)
映画の感想は、映画観てなんぼ、ご興味ある方は、ご覧ください(笑)ちなみに息子は大絶賛!
ピクサー、ジブリと幼い頃から良作は観せてきたつもりだけど、映画は、まあ大人レベルになったかなあと。まあ自己満ですが。
と云うことでおまけも同世代なら共鳴する曲で
Buffy Sainte Marie-Circle Game
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Grace Jones – Slave to the Rhythm
グレイス・ジョーンズの「Slave to the Rhythm」で、アルバムは同主題の85年『Slave to the Rhythm』ですね。ZTTレーベルですね。
リズムのとりこ なるほど。今頃納得。
で当時も、評価していてたし、新しいと思ったし、革新が宿命のブリティッシュ・ロック、UKRockの華と思ったし!
それが、ニュー・ウェイヴの先端尖りのZTTレーベルだと。
そのプロデューサー、トレヴァー・ホーンが仕掛けた、アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、大々好きなプロパガンダ には、ほんと夢中になったし。
ロックの大変化と思ったのですが…エレクトロ・ポップ、ダンスミュージックが主になると陳腐化、サンプリング、シーケンサー、コピー音楽??
逆に冷めて、80年代ロック、特にUKモノに冷めたいきました。
で、その冷める前、UKモノのギリギリラインで、すかし斜視の音楽のグレイス・ジョーンズの『Slave to the Rhythm』は名盤??
否 時代の音楽かもです。
この動画は12インチシングルのようですが。
アート・オブ・ノイズに女性ボーカルでアダルトな静かディスコチックかもで。
小生的には、寡作なプロパガンダ、アート・オブ・ノイズよりは、2の線と思っていた、グレイス・ジョーンズですが、モデル、女優も演り、70年代から活躍で、レゲエではスライ&ロビーとも共作してますので、パーフォマーの才女、ボウイのような女性かもです(ちと褒めすぎ・笑)
他の動画で見る奇天烈なパーフォーマンスもありますが、音楽はけっこう静かです。アンビエントよりなダンスミュージックの模索だったかもですね。
と云うことでおまけは80年代前半のヒット曲でディスコティック、ピコピコサウンドの頃で
Grace Jones - Pull Up To The Bumper
押していただき感謝です。m(_ _ )m
リズムのとりこ なるほど。今頃納得。
で当時も、評価していてたし、新しいと思ったし、革新が宿命のブリティッシュ・ロック、UKRockの華と思ったし!
それが、ニュー・ウェイヴの先端尖りのZTTレーベルだと。
そのプロデューサー、トレヴァー・ホーンが仕掛けた、アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、大々好きなプロパガンダ には、ほんと夢中になったし。
ロックの大変化と思ったのですが…エレクトロ・ポップ、ダンスミュージックが主になると陳腐化、サンプリング、シーケンサー、コピー音楽??
逆に冷めて、80年代ロック、特にUKモノに冷めたいきました。
で、その冷める前、UKモノのギリギリラインで、すかし斜視の音楽のグレイス・ジョーンズの『Slave to the Rhythm』は名盤??
否 時代の音楽かもです。
この動画は12インチシングルのようですが。
アート・オブ・ノイズに女性ボーカルでアダルトな静かディスコチックかもで。
小生的には、寡作なプロパガンダ、アート・オブ・ノイズよりは、2の線と思っていた、グレイス・ジョーンズですが、モデル、女優も演り、70年代から活躍で、レゲエではスライ&ロビーとも共作してますので、パーフォマーの才女、ボウイのような女性かもです(ちと褒めすぎ・笑)
他の動画で見る奇天烈なパーフォーマンスもありますが、音楽はけっこう静かです。アンビエントよりなダンスミュージックの模索だったかもですね。
と云うことでおまけは80年代前半のヒット曲でディスコティック、ピコピコサウンドの頃で
Grace Jones - Pull Up To The Bumper
押していただき感謝です。m(_ _ )m
Timmy Thomas- Why can’t we live together
ティミー・トーマスの「Why can't we live together:かなわぬ想い」で、アルバムは72年『Why Can't We Live Together 』です。
シンプルなオルガンとリズムマシ-ンとファンクなボーカルのティミー・トーマスの曲、これも70年代にFENで覚えた曲ですが…
リフレインしたのはシャーデーの85年『ダイアモンド・ライフ』でのカバー「Why can't we live together:愛の生活」の俊逸で、大人のPOPソング、ベットソングでは絶大な効果があったと自惚れていました。
で、邦題がティミー・トーマスの「かなわぬ想い」で、シャーデーは「愛の生活」なぜ???
曲風のイメージで、シャーデーの方は、メロウな夜にメロウにさせるボーカル曲として、あくまでも邦題がメロウ用にデフォルメだったかも。
元唄の詩は、今回知ったのですが、ティミー・トーマスの「Why can't we live together」は超立派な反戦歌!
同時期のロックのような拳上げのカウンターカルチャーでなく、諭すようのに自問するように唄う内省的に…ソウルって、凄いのですね!!
先行していたマーヴィン・ゲイの71年「What's Going On」は、これも平和を問う、時代の名盤・名曲ですが、シンプル音のオルガンと単調なリズムマシーンでのティミー・トーマスも素晴らしい!!
シャーデーのカバー曲ですが、女の子がお泊りの時のベッドソングとして、必殺技といい気になっていた、浅学の小生の稚拙な感性…おバカ
人間勘違いで生きてるようなモノと開き直りですが、ちと反省でした(笑)
と云うことでおまけは稚拙な感性を満足させていた曲で
Sade - Why Can't We Live Together
押していただき感謝です。m(_ _ )m
シンプルなオルガンとリズムマシ-ンとファンクなボーカルのティミー・トーマスの曲、これも70年代にFENで覚えた曲ですが…
リフレインしたのはシャーデーの85年『ダイアモンド・ライフ』でのカバー「Why can't we live together:愛の生活」の俊逸で、大人のPOPソング、ベットソングでは絶大な効果があったと自惚れていました。
で、邦題がティミー・トーマスの「かなわぬ想い」で、シャーデーは「愛の生活」なぜ???
曲風のイメージで、シャーデーの方は、メロウな夜にメロウにさせるボーカル曲として、あくまでも邦題がメロウ用にデフォルメだったかも。
元唄の詩は、今回知ったのですが、ティミー・トーマスの「Why can't we live together」は超立派な反戦歌!
同時期のロックのような拳上げのカウンターカルチャーでなく、諭すようのに自問するように唄う内省的に…ソウルって、凄いのですね!!
先行していたマーヴィン・ゲイの71年「What's Going On」は、これも平和を問う、時代の名盤・名曲ですが、シンプル音のオルガンと単調なリズムマシーンでのティミー・トーマスも素晴らしい!!
シャーデーのカバー曲ですが、女の子がお泊りの時のベッドソングとして、必殺技といい気になっていた、浅学の小生の稚拙な感性…おバカ
人間勘違いで生きてるようなモノと開き直りですが、ちと反省でした(笑)
と云うことでおまけは稚拙な感性を満足させていた曲で
Sade - Why Can't We Live Together
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三重)名張の伊勢湾台風被害伝える写真展、9月3日から
気になる記事が掲載されていましたのでご紹介します。
伊勢湾台風から60年を迎えるのを機に、三重県名張市内の当時の生々しい被害の様子を記録した写真展「あの日・あの時・今は!」が3日から同市新町の「やなせ宿 中蔵ギャラリー」で開かれるそうです。
伊勢湾台風は1959年9月26日夕方に和歌山県に上陸すると紀伊半島を北上し、東海地方を中心に約5千人の犠牲者を出した台風です。
名張市内でも11人の死者、橋や家屋の流出など大きな傷痕を残している。
こちらは、「伊勢湾台風が中川区にもたらした災害の記憶」です。
良かったらこちらもご覧ください。
特報 伊勢湾台風 第3報 水との闘いつづく災害地
ご視聴ありがとうございましたm(__)m
伊勢湾台風から60年を迎えるのを機に、三重県名張市内の当時の生々しい被害の様子を記録した写真展「あの日・あの時・今は!」が3日から同市新町の「やなせ宿 中蔵ギャラリー」で開かれるそうです。
伊勢湾台風は1959年9月26日夕方に和歌山県に上陸すると紀伊半島を北上し、東海地方を中心に約5千人の犠牲者を出した台風です。
名張市内でも11人の死者、橋や家屋の流出など大きな傷痕を残している。
こちらは、「伊勢湾台風が中川区にもたらした災害の記憶」です。
良かったらこちらもご覧ください。
特報 伊勢湾台風 第3報 水との闘いつづく災害地
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