One Direction – One Way Or Another

One Direction:ワン・ダイレクションの13年「One Way Or Another :ワン・ウェイ・オア・アナザー(ティーンエイジ・キックス)」ですね。

まあ、普通聴きません(笑)

朝起きて、久しぶりにブロンディを聴いていると、突然、娘にCDシングルを渡され、
娘「ワンディ」
小生「はあ……ブロンディ」
娘「ワン・ダイレクションの曲だよ」
小生「78年、父ちゃん18歳、ブロンディの曲、マドンナが出る前、日本でも世界でも皆聴いた。 人気あったのに彼氏の為に解散した、今は復活して、おばあちゃんでも頑張ってる」
ボーカルはデボラ・ハリーとは言わなかった。たぶんマドンナも知らない大学生。
娘「知らんかった、ワンディの曲と思っていた」

ワン・ダイレクション:One Direction:1DはUKのオーディション番組で、2010年代人気のボーイズグループと知っていましたが、娘はジャスティンビーバー同様に好きだったようで、ライブも奥方同伴で行った。

オーディション番組の寄せ集めと思っていましたが、世界中で超人気だったようで今回、21世紀のビートルズ と呼ばれていた事を知りました。ビートルズが偉大な証、いつまで続く、なんとかのビートルズ(笑)


【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞられて、時たま、私見があります】

コロナ編 One Way Or Another あれやこれやで

当家、娘が陽性・症状無で保健所の指示によりホテル隔離から先日帰宅。
家族は小生・奥方・息子と陰性、濃厚接触者は変わらずで、2週間外出自粛で30日。

昨日、保健所から確認の電話があり、本日から外出自粛を解くとの指示。娘も。

息子は2週間外出しなかった、そもそもテレワークにゲームオタク、そちらの方が心配、奥方に今日は、散歩に出ろと怒られた(笑)マンション回りの堤防はひと気なし。

小生と奥方が、自粛期間2回ぐらいスーパーマーケットに短時間買い出し。スーパーは奥方のみ入店、小生は運び屋。あとアマゾンフレッシュ・ネットショップをそれぞれ1回利用。さすがにいきができないような閉塞感で、明け方に散歩1回人は居なかった。ガチガチでなく、指示の自粛。

今、国・都、緊急事態宣言下でも「日中も含めた不要不急の外出と移動の自粛に加え、都道府県をまたぐ不要不急の移動は極力、控えるよう求めています」の事、それに準じるようにしましたが。

たぶん見てないとなると自由、いろいろ出来ると思う。法律として善意・悪意とありますが該当者を信とするのは当然と思いますが、感染者以外、強権的公権が行う国では無いので、長く続くと小生も世間も経済は、大打撃受。さてどうなる?

自粛期間、奥方が見ている無責任なTV報道には辟易な2週間、マスゴミ、ネタ作り…暇なんだ。和歌山のドンファン関係ねえ、どうでもいいよ、まあ見るなと言うことでしょうが(笑)

そしてブログ書いていると地震、ホント長く揺れた東京震度3? 相変わらず揺れる列島。
40年を超える関西電力原発それでも再稼働するよで、活発な震源地から離れているとの意見もありでしょうが、そもそも地震のない、火山活動のない、活断層のない土地はどこにあるのと…言いたい。

この国は有史以来、自然の脅威にさらされてきた、危機回避がリスクヘッジ、それでは経済が成り立たない…………と言うなら、利権・既得権益が切れると困ると言われれば説得力はあるかも、賛成しませんが。


と云うことでおまけは「One Way Or Another」の元祖の方で、これってストーカーされたデボラハリーの話だったのですね、知らんなんだ

Blondie - One Way Or Another •


 


恋の平行線


 





























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Orchestral Manoeuvres In The Dark – Telegraph

オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークの「Telegraph」で、アルバムは83年『Dazzle Ships:ダズル・シップス』ですね。

これも好きなOMD:オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク、テレ朝の84年始り『CNNデイウォッチ』のテーマ曲「エノラ・ゲイの悲劇(Enola Gay)」でも有名になりましたが。

当時、曲名と詩が面白く無く不愉快感、テレ朝らしいと(苦笑) 

OMDはテクノPOP(昔、小生はシンセPOPって言わなかった)ですがメロディアス、静かサウンド、けっこう実験的、環境音楽的(アンビエントも後覚え言葉)で、日本では万人受けのバンド・ユニットでは、無かったと思います。

小生的には大学演劇で使わせていただいた環境音楽でのブライアン・イーノに夢中になっていた時期に重なり、80年1st『Orchestral Manoeuvres in the Dark』から、興味深々でしたが。

で、UKモノでは、この手のバンドは他にもいました、この手の80年代サウンドは、シーケンサー、リズムマシーン等を利用・多用ですし。


Dazzle Ships


 


ここらへんは、登場から先進だったYMOの進行形と比較、ちゃんとシンセで音楽なのか、ビジュアル流行りなのかとけっこう厳しい目で、日本のテクノ系とオンタイムで洋楽が比較できる音楽でもありました。

先進なのか単にPOPなのかと?

OMDは初期はかなり先進的だったと思います。英国では初期からヒット、ブリティッシュロックのキモである革新性を生むベースは、この頃までは十分にありました。

小生的にスペクタクル・ドラマ的と思ったが革新性はありとは感じなったレディオヘッドが参考しているようで、さもありなんですね。

それでも、アルバムたびに段々とPOPになりますが、この『Dazzle Ships:ダズル・シップス』は、彼らがリスペクトする独逸のクラフトワークへのオーマジュ的曲もあり、けっこう実験的なコンセプトアルバム、前作81年『 Architecture & Morality:安息の館』はアンビエントよりと揃えながら、POPヘと向かっていたなあと、久しぶりに聴いての再確認でした。

と云うことでおまけは同アルバムからで

Orchestral Manoeuvres In The Dark - Of All the Things We've Made





























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ローラーズの創設者、アラン・ロングミュアーは、とても謙虚な人だった

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ベイ・シティ・ローラーズの創設メンバーの1人、ベーシストのアラン・ロングミュアーが、現地時間の2018年7月2日早朝、亡くなった。BBCによると、3週間前、休暇で訪れていたメキシコで体調を崩し、スコットランドへ帰国後入院していた病院で息を引き取ったという。6月20日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。

アランは60年代半ばに、弟デレクらとバンドを結成。ベイ・シティ・ローラーズと改名し、1971年に「Keep On Dancing」でデビューした。1973年にマッコーエンが加入してから「Shang-A-Lang」「Summerlove Sensation」「Bye Bye Baby」「Give A Little Love」などがヒット。日本でも旋風を巻き起こした。

アランは2015年、ベイ・シティ・ローラーズの再結成に参加。数十年ぶりの来日を果たした(BARKS JAPAN MUSIC)



レスリーの言葉
「アランは真の紳士であり、素晴らしいミュージシャンでした」と彼は言いました。「彼は素晴らしい人で、誰についても悪い言葉を言うことはありませんでした。私たちは皆、彼をとても恋しく思うでしょう。」


ロングミュア氏の友人で伝記作家のリアム・ラデン氏は、ツイッターで
「私が今までに知った中で最も優しく、寛大で、心の優しい人の一人」と説明した。

彼は「出会ったすべての人の人生に、彼らを特別な気分にさせる笑顔で触れた」と付け加えた。


ベイシティローラーズはそのキャリアの中で1億2000万枚のレコードを販売し、英国、米国、オーストラリア、日本で成功を収めました。

彼らは、バンドのトレードマークであるワイドズボン、スキニーシャツ、必須のタータンを着た10代の少女たちに襲われました。

しかし、1976年の成功の絶頂期(グループが米国をクラックし、サタデーナイトでビルボードチャートのトップに躍り出た年)に、ロングミュアはバンドを辞めました。

2015年、彼はBBCスコットランドのドキュメンタリーに、圧力が犠牲になっていると語った。

「私は落ち込んでいました。もうそれを受け入れることができませんでした」と彼は言いました。

バンドはついに1978年に分裂したが、お金をめぐる激しい法廷闘争は何年も続いた。

出生名 Alan Longmuir
生誕 1948年6月20日
スコットランド エディンバラ
死没 2018年7月2日(70歳)

職業 ミュージシャン
担当楽器 ベース
活動期間 1970年 – 2018年



■ discovermusic より引用いたします
アラン・ロングミュアーは1948年6月20日にエディンバラのシンプソン記念産科別棟病院で生まれた。協同葬儀屋の息子だった彼は、カレドニアン・ロードにあったアパートで幼い頃から音楽に囲まれて生まれ育った。

過去のインタビューでは、自分がミュージシャンになったのは当然のことで、彼の叔母も素晴らしいピアニストで、彼の父もアコーディオン奏者だったことを明かし、「いつも僕の周りには音楽があったんだ」と語っていた。

彼は10歳の時に観たエルヴィス・プレスリー主演の映画『監獄ロック』でロックンロールを知り、1965年、17歳の時に弟のデレク・ロングミュアーと従兄弟のニール・ポーティアス、ノビー・クラーク、デイブ・ペティグルーと共にベイ・シティ・ローラーズを結成した。

バンドの顔ぶれは数年で何度も変わり、1976年に一度グループを脱退したアラン・ロングミュアーはその2年後にはグループに戻り、それ以降はベース、リズム・ギター、キーボードなどを担当している。 Written by Tim Peacock




■ アラン・ロングミュアーがリード・ヴォーカルをとっている楽曲です

この曲も大好きで彼等の代表曲だと思います
恋のフィーリング
「Here Comes That Feeling Again」 (1975年)
ソングライター: Eric Faulkner / Stuart "woody" Wood



「Rock and roll honeymoon」
Written by Faulkner/Wood. Lead singer Alan Longmuir.



R.I.P. ALAN
哀愁を感じる、大好きなこのインスト曲は
あなた達の活動の結晶の様で
今も心に響いてきます
「End Piece」
作詞 / 作曲
Eric Faulkner



【ベイ・シティ・ローラーズ】
1970年代に人気が最も高かったスコットランドのポップ・バンドでした。ブリティッシュ・ヒット・シングルス&アルバムは、それらが「エジンバラからのタータンティーンのセンセーション」であり、「ビートルズ以来の最大のグループ」として予告された多くのアクトの最初のものであり、 1970年代の比較的短いが熱心な期間(「ローラーマニア」と呼ばれる)の間、彼らは世界的な十代のアイドルでした。グループのラインナップには、長年にわたって多くの変更が加えられましたが、全盛期のクラシックなラインナップには、ギタリストのエリック・フォークナーとスチュアート・ウッド、歌手のレスリー・マッコーン、ベーシストのアラン・ロングミュアー、ドラマーのデレク・ロングミュアーが含まれていました。


B.C.R.の生みの親であるアランが居なくなって、残念です

アラン、いつも明るい笑顔でメンバーを見守っていてくれましたね
B.C.R.と巡り会えたから、10代の多感な時期を乗り越えられたんだと思います
まさしく私も11歳でした


R.I.P. Alan Longmuir

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ベイ・シティ・ローラーズの創設メンバーの1人、ベーシストのアラン・ロングミュアーが、現地時間の2018年7月2日早朝、亡くなった。BBCによると、3週間前、休暇で訪れていたメキシコで体調を崩し、スコットランドへ帰国後入院していた病院で息を引き取ったという。6月20日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。

アランは60年代半ばに、弟デレクらとバンドを結成。ベイ・シティ・ローラーズと改名し、1971年に「Keep On Dancing」でデビューした。1973年にマッコーエンが加入してから「Shang-A-Lang」「Summerlove Sensation」「Bye Bye Baby」「Give A Little Love」などがヒット。日本でも旋風を巻き起こした。

アランは2015年、ベイ・シティ・ローラーズの再結成に参加。数十年ぶりの来日を果たした(BARKS JAPAN MUSIC)



レスリーの言葉
「アランは真の紳士であり、素晴らしいミュージシャンでした」と彼は言いました。「彼は素晴らしい人で、誰についても悪い言葉を言うことはありませんでした。私たちは皆、彼をとても恋しく思うでしょう。」


ロングミュア氏の友人で伝記作家のリアム・ラデン氏は、ツイッターで
「私が今までに知った中で最も優しく、寛大で、心の優しい人の一人」と説明した。

彼は「出会ったすべての人の人生に、彼らを特別な気分にさせる笑顔で触れた」と付け加えた。


ベイシティローラーズはそのキャリアの中で1億2000万枚のレコードを販売し、英国、米国、オーストラリア、日本で成功を収めました。

彼らは、バンドのトレードマークであるワイドズボン、スキニーシャツ、必須のタータンを着た10代の少女たちに襲われました。

しかし、1976年の成功の絶頂期(グループが米国をクラックし、サタデーナイトでビルボードチャートのトップに躍り出た年)に、ロングミュアはバンドを辞めました。

2015年、彼はBBCスコットランドのドキュメンタリーに、圧力が犠牲になっていると語った。

「私は落ち込んでいました。もうそれを受け入れることができませんでした」と彼は言いました。

バンドはついに1978年に分裂したが、お金をめぐる激しい法廷闘争は何年も続いた。

出生名 Alan Longmuir
生誕 1948年6月20日
スコットランド エディンバラ
死没 2018年7月2日(70歳)

職業 ミュージシャン
担当楽器 ベース
活動期間 1970年 – 2018年



■ discovermusic より引用いたします
アラン・ロングミュアーは1948年6月20日にエディンバラのシンプソン記念産科別棟病院で生まれた。協同葬儀屋の息子だった彼は、カレドニアン・ロードにあったアパートで幼い頃から音楽に囲まれて生まれ育った。

過去のインタビューでは、自分がミュージシャンになったのは当然のことで、彼の叔母も素晴らしいピアニストで、彼の父もアコーディオン奏者だったことを明かし、「いつも僕の周りには音楽があったんだ」と語っていた。

彼は10歳の時に観たエルヴィス・プレスリー主演の映画『監獄ロック』でロックンロールを知り、1965年、17歳の時に弟のデレク・ロングミュアーと従兄弟のニール・ポーティアス、ノビー・クラーク、デイブ・ペティグルーと共にベイ・シティ・ローラーズを結成した。

バンドの顔ぶれは数年で何度も変わり、1976年に一度グループを脱退したアラン・ロングミュアーはその2年後にはグループに戻り、それ以降はベース、リズム・ギター、キーボードなどを担当している。 Written by Tim Peacock




■ アラン・ロングミュアーがリード・ヴォーカルをとっている楽曲です

この曲も大好きで彼等の代表曲だと思います
恋のフィーリング
「Here Comes That Feeling Again」 (1975年)
ソングライター: Eric Faulkner / Stuart "woody" Wood



「Rock and roll honeymoon」
Written by Faulkner/Wood. Lead singer Alan Longmuir.



R.I.P. ALAN
哀愁を感じる、大好きなこのインスト曲は
あなた達の活動の結晶の様で
今も心に響いてきます
「End Piece」
作詞 / 作曲
Eric Faulkner



【ベイ・シティ・ローラーズ】
1970年代に人気が最も高かったスコットランドのポップ・バンドでした。ブリティッシュ・ヒット・シングルス&アルバムは、それらが「エジンバラからのタータンティーンのセンセーション」であり、「ビートルズ以来の最大のグループ」として予告された多くのアクトの最初のものであり、 1970年代の比較的短いが熱心な期間(「ローラーマニア」と呼ばれる)の間、彼らは世界的な十代のアイドルでした。グループのラインナップには、長年にわたって多くの変更が加えられましたが、全盛期のクラシックなラインナップには、ギタリストのエリック・フォークナーとスチュアート・ウッド、歌手のレスリー・マッコーン、ベーシストのアラン・ロングミュアー、ドラマーのデレク・ロングミュアーが含まれていました。


B.C.R.の生みの親であるアランが居なくなって、残念です

アラン、いつも明るい笑顔でメンバーを見守っていてくれましたね
B.C.R.と巡り会えたから、10代の多感な時期を乗り越えられたんだと思います
まさしく私も11歳でした


アラン・ロングミュアーへ

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ベイ・シティ・ローラーズの創設メンバーの1人、ベーシストのアラン・ロングミュアーが、現地時間の2018年7月2日早朝、亡くなった。BBCによると、3週間前、休暇で訪れていたメキシコで体調を崩し、スコットランドへ帰国後入院していた病院で息を引き取ったという。6月20日に70歳の誕生日を迎えたばかりだった。

アランは60年代半ばに、弟デレクらとバンドを結成。ベイ・シティ・ローラーズと改名し、1971年に「Keep On Dancing」でデビューした。1973年にマッコーエンが加入してから「Shang-A-Lang」「Summerlove Sensation」「Bye Bye Baby」「Give A Little Love」などがヒット。日本でも旋風を巻き起こした。

アランは2015年、ベイ・シティ・ローラーズの再結成に参加。数十年ぶりの来日を果たした(BARKS JAPAN MUSIC)



レスリーの言葉
「アランは真の紳士であり、素晴らしいミュージシャンでした」と彼は言いました。「彼は素晴らしい人で、誰についても悪い言葉を言うことはありませんでした。私たちは皆、彼をとても恋しく思うでしょう。」


ロングミュア氏の友人で伝記作家のリアム・ラデン氏は、ツイッターで
「私が今までに知った中で最も優しく、寛大で、心の優しい人の一人」と説明した。

彼は「出会ったすべての人の人生に、彼らを特別な気分にさせる笑顔で触れた」と付け加えた。


ベイシティローラーズはそのキャリアの中で1億2000万枚のレコードを販売し、英国、米国、オーストラリア、日本で成功を収めました。

彼らは、バンドのトレードマークであるワイドズボン、スキニーシャツ、必須のタータンを着た10代の少女たちに襲われました。

しかし、1976年の成功の絶頂期(グループが米国をクラックし、サタデーナイトでビルボードチャートのトップに躍り出た年)に、ロングミュアはバンドを辞めました。

2015年、彼はBBCスコットランドのドキュメンタリーに、圧力が犠牲になっていると語った。

「私は落ち込んでいました。もうそれを受け入れることができませんでした」と彼は言いました。

バンドはついに1978年に分裂したが、お金をめぐる激しい法廷闘争は何年も続いた。

出生名 Alan Longmuir
生誕 1948年6月20日
スコットランド エディンバラ
死没 2018年7月2日(70歳)

職業 ミュージシャン
担当楽器 ベース
活動期間 1970年 – 2018年



■ discovermusic より引用 Written By Tim Peacock
アラン・ロングミュアーは1948年6月20日にエディンバラのシンプソン記念産科別棟病院で生まれた。協同葬儀屋の息子だった彼は、カレドニアン・ロードにあったアパートで幼い頃から音楽に囲まれて生まれ育った。

過去のインタビューでは、自分がミュージシャンになったのは当然のことで、彼の叔母も素晴らしいピアニストで、彼の父もアコーディオン奏者だったことを明かし、「いつも僕の周りには音楽があったんだ」と語っていた。

彼は10歳の時に観たエルヴィス・プレスリー主演の映画『監獄ロック』でロックンロールを知り、1965年、17歳の時に弟のデレク・ロングミュアーと従兄弟のニール・ポーティアス、ノビー・クラーク、デイブ・ペティグルーと共にベイ・シティ・ローラーズを結成した。

バンドの顔ぶれは数年で何度も変わり、1976年に一度グループを脱退したアラン・ロングミュアーはその2年後にはグループに戻り、それ以降はベース、リズム・ギター、キーボードなどを担当している




■ アラン・ロングミュアーがアルバムのリードを歌っています


恋のフィーリングHere Comes That Feeling Again (1975年)
ソングライター: Eric Faulkner / Stuart "woody" Wood



Rock and roll honeymoon
Written by Faulkner/Wood. Lead singer Alan Longmuir.



R.I.P. ALAN
哀愁を感じる、大好きなこのインスト曲は
あなた達の活動の結晶の様に
心に響いてきます
「End Piece」
作詞 / 作曲
Eric Faulkner






【ベイシティローラーズ】
ベイシティローラーズは、1970年代に人気が最も高かったスコットランドのポップバンドでした。ブリティッシュヒットシングルス&アルバムは、それらが「エジンバラからのタータンティーンのセンセーション」であり、「ビートルズ以来の最大のグループ」として予告された多くのアクトの最初のものであり、 1970年代の比較的短いが熱心な期間(「ローラーマニア」と呼ばれる)の間、彼らは世界的な十代のアイドルでした。グループのラインナップには、長年にわたって多くの変更が加えられましたが、全盛期のクラシックなラインナップには、ギタリストのエリックフォークナーとスチュアートウッド、歌手のレスリーマッコーン、ベーシストのアランロングミュアー、ドラマーのデレクロングミュアーが含まれていました。




ビリー・アイリッシュ 新曲「Your Power」MV

ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)は新曲「Your Power」をデジタル/ストリーミングでリリースしました
ミュージックビデオが公開されていますのでご紹介いたします
この曲は新アルバム『Happier Than Ever』に収録



アルバムは7月30日発売

彼女は新アルバムについて
「私がこれまでに作った中で最も気に入っているもので、皆さんに聴いていただくのがとても楽しみで、緊張していて、熱望しています。言い表せないほどです。このプロジェクトほど多くの愛を感じたことはありません」
とSNSに投稿しています

プレスリリースによると、アイリッシュは兄のフィニアスと一緒に『Happier Than Ever』を書いています

amassより引用しました
ご視聴ありがとうございました

ティーンエイジ・ファンクラブの新アルバム『Endless Arcade』全曲公開

ティーンエイジ・ファンクラブ(Teenage Fanclub)の新アルバム『Endless Arcade』が、ストリーミング配信を開始しました
YouTubeほかで聴けます



■『Endless Arcade』

01. Home
02. Endless Arcade
03. Warm Embrace
04. Everything is Falling Apart
05. The Sun won’t shine on me
06. Come With Me
07. In Our Dreams
08. I’m more inclined
09. Back in the Day
10. The Future
11. Living with You
12. Silent Song


アルバムは当初は3月5日発売予定でしたが4月30日に延期されています
リリース元はPeMa/Merge

スタジオ・アルバムのリリースは2016年の『Here』以来。2018年に創設メンバーのジェラード・ラヴ(Gerard Love)が脱退してから初めてリリースされるスタジオ・アルバムです

新アルバムには2019年にシングル・リリースした「Everything Is Falling Apart」を含む全12曲を収録

アルバム・タイトルについて、ソングライターのレイモンド・マッギンリーは声明で
「僕は“エンドレス・アーケード”を、謎に包まれた、永遠に続く想像上の街として考えています」
「アルバム・タイトルを選ぶことになったとき、この曲集のために何かを持っているように思えた」
と話しています


The Rollers 『Ricochet』 (1981)

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なかなか振り返られることの無いこの最末期BCRですが、内容は恐ろしいほどに最高です。ミュートを効かせたギターの刻みから爽快なサビが炸裂するタイプの曲が多数でパワーポップ好きなら100%気に入るはずの一枚。QUEENやSPARKS風のオペラっぽいアレンジもあったりして、 この時期は演奏力/曲のレベル共に最高だったことが分かります。この機会に是非再評価しましょう(diskunion.netより引用しました)


『Ricochet』は、3番目のアルバムで最後のリリースでした
カナダでは、エピックレコードで「TheBrown Bag Album」としてリリースされ、後に「The Famous Brownbag Album NowExposed!」というプロモーションステッカーが貼られました

リリース 1981年
リコシェは2008年にCDで再発行され、1つのボーナスカット「Life on the Radio(シングルバージョン)」が追加されました

Track listing
Side one
No. Title Writer(s)
1. "Doors, Bars, Metal"
Faure


2. "Life on the Radio"
Faulkner



3. "No Doubt About It"
Faulkner



4. "Roxy Lady"
Faulkner



5. "Ricochet"
Faure (instrumental)

6. "Won't You Come Home With Me"
Faure


Side two
No. Title Writer(s)
1. "Ride"
Faure



2. "Lay Your Love on the Line"
Faulkner, Faure, Wood



3. "That's Where the Boys Are"
Faulkner



4. "Set the Fashion"
Faure, Wood



5. "This Is Your Life"
Faulkner, Faure, Longmuir, Wood


■ Personnel
Eric Faulkner
lead guitar, lead vocals and backing vocals

Duncan Faure
lead vocals and backing vocals, rhythm guitar

Alan Longmuir
guitar, bass, keyboards

Derek Longmuir
drums, percussion

Stuart "Woody" Wood
bass guitar, vocals

Stephan Galfas – producer
Judd Lander – bagpipes, harmonica
Pat Bianco – saxophone

このアルバムも素晴らしい出来でした
ザ・ローラーズとしては、ここで活動は終わっています
もったいないですね

まだまだB.C.R.特集は続きます(^^)/
ご視聴ありがとうございました