2021年05月一覧

ロゼッタ・ストーンの2nd、これこそメロディアス・ロック!! 『Caught In The Act』はどうやって生まれた?

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このアルバム、目の前で演奏している様な錯覚を起こさせます
そんな素晴らしい作品です
この迫力、凄くないですか!?

どうやって演奏したんだろう
どうやって録音したんだろう

どの曲も完璧で
アルバム全体もまとまりがあるんです

さらに意外と演奏が巧いです
カッコイイ!!

このアルバムが大好きで、今でも大切にしています


『CAUGHT IN THE ACT』 ROSETTA STONE

構想一年間、待望のセカンド・アルバム
前作よりもロック色が強くなった、79年リリース
プロデュースは後にイアン・ミッチェル・バンドの作品も手掛けることとなるアラン・ブレイクリーでした
イアン・ミッチェルがギター専任になり、サウンドでも前作ほどキーボード演奏がありません






収録曲

01 Door to the party
02 There ain't nothin' but a house party
03 Na Na Na
04 Who you are
05 No better than the rest
06 Try it on
07 Gonna grab it
08 Hey little girl
09 Now's the time
10 Play the game

BONUS POINT
11 Sheila
12 I don't like it

ご視聴ありがとうございました

Rosetta Stone 『Caught In The Act』

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このアルバム、目の前で演奏している様な錯覚を起こさせます
そんな素晴らしい作品です
この迫力、凄くないですか!?

どうやって演奏したんだろう
どうやって録音したんだろう

どの曲も完璧で
アルバム全体もまとまりがあるんです

さらに意外と演奏が巧いです
カッコイイ!!

このアルバムが大好きで、今でも大切にしています


『CAUGHT IN THE ACT』 ROSETTA STONE

構想一年間、待望のセカンド・アルバム
前作よりもロック色が強くなった、79年リリース
プロデュースは後にイアン・ミッチェル・バンドの作品も手掛けることとなるアラン・ブレイクリーでした
イアン・ミッチェルがギター専任になり、サウンドでも前作ほどキーボード演奏がありません






収録曲

01 Door to the party
02 There ain't nothin' but a house party
03 Na Na Na
04 Who you are
05 No better than the rest
06 Try it on
07 Gonna grab it
08 Hey little girl
09 Now's the time
10 Play the game

BONUS POINT
11 Sheila
12 I don't like it

ご視聴ありがとうございました

イアンが遺した傑作、1stアルバム『Rock Pictures』

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スコットランド出身のポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズのギタリストだったイアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が2020年9月1日、咽頭ガンのため62歳で亡くなりました。 当時、ベイ・シティ・ローラーズがフェイスブックで訃報を伝えました。

R.I.P. IAN
今日は、彼が遺したロゼッタ・ストーンでのアルバム作品からご紹介いたします

ROSETTA STONE
『ROCK PICTURES』/ 『青春の出発』



収録曲
01 (If Paradise Is) Half As Nice 二人のパラダイス
02 Penny ペニー
03 At The Disco ディスコで踊ろう
04 Sunshine Of Your Love サンシャイン・ラヴ
05 Rock And Roll (I'm Comin' Home) 恋のロックン・ロール
06 Judy Judy Judy ジュディ・ジュディ・ジュディ
07 Drive On ドライヴ・オン
08 Angelina アンジェリーナ
09 Steel Willie スティール・ウィリィ
10 Free As A Bird 鳥になりたい
11 You Really Got Me ユー・リアリィ・ゴット・ミー

~BONUS TRACKS~
12 Hiding From Love ハイディング・フロム・ラヴ
13 Remember リメンバー
14 Debut Message To The Funs デビュー・メッセージ

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■ ロゼッタ・ストーン (Wikipedia)
北アイルランドの ダウンパトリック出身の北アイルランドのポップ・ロック ・バンドで、ベイ・シティ・ローラーズの元ギタリストであるイアン・ミッチェルが含まれていました。グループは1984年に解散する前に2枚のアルバムと1枚のEPをリリースしました。

ロゼッタ・ストーンの起源は1973年に始まり、幼なじみのミッチェル、テリー・マッキー、ダミアン・マッキー、コリン・マッキー(サッカー選手のコリン・マッキーではない)がヤング・シティ・スターズと呼ばれるバンドを結成しました。彼らは地元のクラブやダンスホールで演奏し、サウンド・エンジニアのブライアン・ヘロンとベイ・シティ・ローラーズのコンサートを開くことがよくありました。

1976年の初め、ミッチェルはヤング・シティ・スターズを離れてベイ・シティ・ローラーズに加わりました。ミッチェルは、ローラーズのマネージャーであるタム・ペイトンによって管理されているグループが名前をロゼッタ・ストーンに変更したため、その年の後半に戻っています。
1977年、Rosetta StoneはPrivate Stock Recordsと契約しました。彼らはマーク・ボランのテレビ番組でマークが彼らのシングル、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のカバーを演奏するのに出演しました。
彼らの名を冠したデビュー・アルバム(一部の地域では『ロック・ピクチャーズ』として知られています)は1978年5月に米国でリリースされました。セカンド・アルバム、1979年の『Caught in the Act』とリリースが続きました。

その後、1979年にミッチェルはロゼッタ・ストーンを脱退しましたが、バンドは彼抜きで1984年まで活動を続けました。一方ミッチェルは、しばらくの間、イアン・ミッチェル・バンド (Ian Mitchell Band) 名義で活動しています。

1980年代には、ベイ・シティ・ローラーズの元メンバーであるスチュアート・"ウッディ"・ウッドと共演もしました。

メンバー
イアン・ミッチェル
コリン・マッキー
テリー・マッキー
デミアン・マッキー
アンディ・レジア

活動拠点 イギリス・イングランド
別表記 Young City Stars


■ discovermusic 9.3.2020の記事によると
1970年代のスコティッシュ・ポップを代表するポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)の元メンバー、イアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が62歳で逝去した。現時点で、死因はまだ公表されていない。

「Saturday Night」「Shang-a-Lang」「Bye Bye Baby」などのヒット曲で知られ、全世界で3億枚近いレコードを売り上げたベイ・シティ・ローラーズは、バンドの公式Facebook上で、イアン・ミッチェルの死について次のような声明を発表している。

「イアン・ミッチェルの訃報を受け、深い悲しみに暮れています。彼の妻ウェンディ、ご家族やご友人の皆様のために祈りを捧げます。安らかにお眠りください、イアン」

また、バンドのギタリストであるスチュアート“ウッディ”ウッドもこう追悼している。
「イアン・ミッチェルの訃報を聞いて非常に悲しいです。ウェンディとイアンのご家族、ご友人の皆様に愛と哀悼の誠を捧げます。君のことは忘れません。イアンとはベイ・シティ・ローラーズだけでなく、80年代にはパッセンジャーズでも一緒に演奏した時の思い出がたくさんあります。イアン、君がいなくなってしまうのは本当に寂しいです」


北アイルランド出身のイアン・ミッチェルは、1976年、17歳の時にベーシストのアラン・ロングミュアーの後任としてバンドに加入し、エディンバラで結成されたベイ・シティ・ローラーズ初の非スコットランド人メンバーとなった。

イアン・ミッチェルを迎えたベイ・シティ・ローラーズは、1976年にアルバム『Dedication』を発表し、今作に収録のダスティ・スプリングフィールド「I Only Want To Be With You」のカヴァーが全米チャート12位を記録している。程なくしてバンドを脱退したイアン・ミッチェルに代わってパット・マクグリンが新たに加入し、彼は2018年に亡くなったアラン・ロングミュアーが1978年にバンドに復帰するまで後任を務めた。

その後、イアン・ミッチェルはロゼッタ・ストーンというバンドを結成したが、1979年に脱退。同グループは1984年に解散するまで彼なしで活動を続けた。また、1979年5月にはイアン・ミッチェル・バンドを結成。その後もソロ活動を続け、ベイ・シティ・ローラーズとロゼッタ・ストーンの再結成ライヴにも参加している。

ベイ・シティ・ローラーズの現在のラインナップは、リード・ヴォーカルとギターのイアン・トムソン、ベースのマーカス・コードック、ドラムのジェイミー・マグローリー、ギターのスチュアート・ウッドである。
Written By Tim Peacock


すっごい優れたアルバムなので、今でも大好きです
この音がイイです
この演奏もイイ!!
ロゼッタ・ストーン、良いバンドでした
イアン、ありがとう


ご視聴ありがとうございました

R.I.P. Ian Mitchell

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スコットランド出身のポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズのギタリストだったイアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が2020年9月1日、咽頭ガンのため62歳で亡くなりました。 当時、ベイ・シティ・ローラーズがフェイスブックで訃報を伝えました。

R.I.P. IAN
今日は、彼が遺したロゼッタ・ストーンでのアルバム作品からご紹介いたします

ROSETTA STONE
『ROCK PICTURES』/ 『青春の出発』



収録曲
01 (If Paradise Is) Half As Nice 二人のパラダイス
02 Penny ペニー
03 At The Disco ディスコで踊ろう
04 Sunshine Of Your Love サンシャイン・ラヴ
05 Rock And Roll (I'm Comin' Home) 恋のロックン・ロール
06 Judy Judy Judy ジュディ・ジュディ・ジュディ
07 Drive On ドライヴ・オン
08 Angelina アンジェリーナ
09 Steel Willie スティール・ウィリィ
10 Free As A Bird 鳥になりたい
11 You Really Got Me ユー・リアリィ・ゴット・ミー

~BONUS TRACKS~
12 Hiding From Love ハイディング・フロム・ラヴ
13 Remember リメンバー
14 Debut Message To The Funs デビュー・メッセージ

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■ ロゼッタ・ストーン (Wikipedia)
北アイルランドの ダウンパトリック出身の北アイルランドのポップ・ロック ・バンドで、ベイ・シティ・ローラーズの元ギタリストであるイアン・ミッチェルが含まれていました。グループは1984年に解散する前に2枚のアルバムと1枚のEPをリリースしました。

ロゼッタ・ストーンの起源は1973年に始まり、幼なじみのミッチェル、テリー・マッキー、ダミアン・マッキー、コリン・マッキー(サッカー選手のコリン・マッキーではない)がヤング・シティ・スターズと呼ばれるバンドを結成しました。彼らは地元のクラブやダンスホールで演奏し、サウンド・エンジニアのブライアン・ヘロンとベイ・シティ・ローラーズのコンサートを開くことがよくありました。

1976年の初め、ミッチェルはヤング・シティ・スターズを離れてベイ・シティ・ローラーズに加わりました。ミッチェルは、ローラーズのマネージャーであるタム・ペイトンによって管理されているグループが名前をロゼッタ・ストーンに変更したため、その年の後半に戻っています。
1977年、Rosetta StoneはPrivate Stock Recordsと契約しました。彼らはマーク・ボランのテレビ番組でマークが彼らのシングル、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のカバーを演奏するのに出演しました。
彼らの名を冠したデビュー・アルバム(一部の地域では『ロック・ピクチャーズ』として知られています)は1978年5月に米国でリリースされました。セカンド・アルバム、1979年の『Caught in the Act』とリリースが続きました。

その後、1979年にミッチェルはロゼッタ・ストーンを脱退しましたが、バンドは彼抜きで1984年まで活動を続けました。一方ミッチェルは、しばらくの間、イアン・ミッチェル・バンド (Ian Mitchell Band) 名義で活動しています。

1980年代には、ベイ・シティ・ローラーズの元メンバーであるスチュアート・"ウッディ"・ウッドと共演もしました。

メンバー
イアン・ミッチェル
コリン・マッキー
テリー・マッキー
デミアン・マッキー
アンディ・レジア

活動拠点 イギリス・イングランド
別表記 Young City Stars


■ discovermusic 9.3.2020の記事によると
1970年代のスコティッシュ・ポップを代表するポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)の元メンバー、イアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が62歳で逝去した。現時点で、死因はまだ公表されていない。

「Saturday Night」「Shang-a-Lang」「Bye Bye Baby」などのヒット曲で知られ、全世界で3億枚近いレコードを売り上げたベイ・シティ・ローラーズは、バンドの公式Facebook上で、イアン・ミッチェルの死について次のような声明を発表している。

「イアン・ミッチェルの訃報を受け、深い悲しみに暮れています。彼の妻ウェンディ、ご家族やご友人の皆様のために祈りを捧げます。安らかにお眠りください、イアン」

また、バンドのギタリストであるスチュアート“ウッディ”ウッドもこう追悼している。
「イアン・ミッチェルの訃報を聞いて非常に悲しいです。ウェンディとイアンのご家族、ご友人の皆様に愛と哀悼の誠を捧げます。君のことは忘れません。イアンとはベイ・シティ・ローラーズだけでなく、80年代にはパッセンジャーズでも一緒に演奏した時の思い出がたくさんあります。イアン、君がいなくなってしまうのは本当に寂しいです」


北アイルランド出身のイアン・ミッチェルは、1976年、17歳の時にベーシストのアラン・ロングミュアーの後任としてバンドに加入し、エディンバラで結成されたベイ・シティ・ローラーズ初の非スコットランド人メンバーとなった。

イアン・ミッチェルを迎えたベイ・シティ・ローラーズは、1976年にアルバム『Dedication』を発表し、今作に収録のダスティ・スプリングフィールド「I Only Want To Be With You」のカヴァーが全米チャート12位を記録している。程なくしてバンドを脱退したイアン・ミッチェルに代わってパット・マクグリンが新たに加入し、彼は2018年に亡くなったアラン・ロングミュアーが1978年にバンドに復帰するまで後任を務めた。

その後、イアン・ミッチェルはロゼッタ・ストーンというバンドを結成したが、1979年に脱退。同グループは1984年に解散するまで彼なしで活動を続けた。また、1979年5月にはイアン・ミッチェル・バンドを結成。その後もソロ活動を続け、ベイ・シティ・ローラーズとロゼッタ・ストーンの再結成ライヴにも参加している。

ベイ・シティ・ローラーズの現在のラインナップは、リード・ヴォーカルとギターのイアン・トムソン、ベースのマーカス・コードック、ドラムのジェイミー・マグローリー、ギターのスチュアート・ウッドである。
Written By Tim Peacock


すっごい優れたアルバムなので、今でも大好きです
この音がイイです
この演奏もイイ!!
ロゼッタ・ストーン、良いバンドでした
イアン、ありがとう


ご視聴ありがとうございました

R.I.P.. Ian Mitchell

FullSizeRrosettastone.jpg

スコットランド出身のポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズのギタリストだったイアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が2020年9月1日、咽頭ガンのため62歳で亡くなりました。 当時、ベイ・シティ・ローラーズがフェイスブックで訃報を伝えました。

R.I.P. IAN
今日は、彼が遺したロゼッタ・ストーンでのアルバム作品からご紹介いたします

ROSETTA STONE
『ROCK PICTURES』/ 『青春の出発』



収録曲
01 (If Paradise Is) Half As Nice 二人のパラダイス
02 Penny ペニー
03 At The Disco ディスコで踊ろう
04 Sunshine Of Your Love サンシャイン・ラヴ
05 Rock And Roll (I'm Comin' Home) 恋のロックン・ロール
06 Judy Judy Judy ジュディ・ジュディ・ジュディ
07 Drive On ドライヴ・オン
08 Angelina アンジェリーナ
09 Steel Willie スティール・ウィリィ
10 Free As A Bird 鳥になりたい
11 You Really Got Me ユー・リアリィ・ゴット・ミー

~BONUS TRACKS~
12 Hiding From Love ハイディング・フロム・ラヴ
13 Remember リメンバー
14 Debut Message To The Funs デビュー・メッセージ

m31922278596_1.jpg




■ ロゼッタ・ストーン (Wikipedia)
北アイルランドの ダウンパトリック出身の北アイルランドのポップ・ロック ・バンドで、ベイ・シティ・ローラーズの元ギタリストであるイアン・ミッチェルが含まれていました。グループは1984年に解散する前に2枚のアルバムと1枚のEPをリリースしました。

ロゼッタ・ストーンの起源は1973年に始まり、幼なじみのミッチェル、テリー・マッキー、ダミアン・マッキー、コリン・マッキー(サッカー選手のコリン・マッキーではない)がヤング・シティ・スターズと呼ばれるバンドを結成しました。彼らは地元のクラブやダンスホールで演奏し、サウンド・エンジニアのブライアン・ヘロンとベイ・シティ・ローラーズのコンサートを開くことがよくありました。

1976年の初め、ミッチェルはヤング・シティ・スターズを離れてベイ・シティ・ローラーズに加わりました。ミッチェルは、ローラーズのマネージャーであるタム・ペイトンによって管理されているグループが名前をロゼッタ・ストーンに変更したため、その年の後半に戻っています。
1977年、Rosetta StoneはPrivate Stock Recordsと契約しました。彼らはマーク・ボランのテレビ番組でマークが彼らのシングル、クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のカバーを演奏するのに出演しました。
彼らの名を冠したデビュー・アルバム(一部の地域では『ロック・ピクチャーズ』として知られています)は1978年5月に米国でリリースされました。セカンド・アルバム、1979年の『Caught in the Act』とリリースが続きました。

その後、1979年にミッチェルはロゼッタ・ストーンを脱退しましたが、バンドは彼抜きで1984年まで活動を続けました。一方ミッチェルは、しばらくの間、イアン・ミッチェル・バンド (Ian Mitchell Band) 名義で活動しています。

1980年代には、ベイ・シティ・ローラーズの元メンバーであるスチュアート・"ウッディ"・ウッドと共演もしました。

メンバー
イアン・ミッチェル
コリン・マッキー
テリー・マッキー
デミアン・マッキー
アンディ・レジア

活動拠点 イギリス・イングランド
別表記 Young City Stars


■ discovermusic 9.3.2020の記事によると
1970年代のスコティッシュ・ポップを代表するポップ・ロック・バンド、ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)の元メンバー、イアン・ミッチェル(Ian Mitchell)が62歳で逝去した。現時点で、死因はまだ公表されていない。

「Saturday Night」「Shang-a-Lang」「Bye Bye Baby」などのヒット曲で知られ、全世界で3億枚近いレコードを売り上げたベイ・シティ・ローラーズは、バンドの公式Facebook上で、イアン・ミッチェルの死について次のような声明を発表している。

「イアン・ミッチェルの訃報を受け、深い悲しみに暮れています。彼の妻ウェンディ、ご家族やご友人の皆様のために祈りを捧げます。安らかにお眠りください、イアン」

また、バンドのギタリストであるスチュアート“ウッディ”ウッドもこう追悼している。
「イアン・ミッチェルの訃報を聞いて非常に悲しいです。ウェンディとイアンのご家族、ご友人の皆様に愛と哀悼の誠を捧げます。君のことは忘れません。イアンとはベイ・シティ・ローラーズだけでなく、80年代にはパッセンジャーズでも一緒に演奏した時の思い出がたくさんあります。イアン、君がいなくなってしまうのは本当に寂しいです」


北アイルランド出身のイアン・ミッチェルは、1976年、17歳の時にベーシストのアラン・ロングミュアーの後任としてバンドに加入し、エディンバラで結成されたベイ・シティ・ローラーズ初の非スコットランド人メンバーとなった。

イアン・ミッチェルを迎えたベイ・シティ・ローラーズは、1976年にアルバム『Dedication』を発表し、今作に収録のダスティ・スプリングフィールド「I Only Want To Be With You」のカヴァーが全米チャート12位を記録している。程なくしてバンドを脱退したイアン・ミッチェルに代わってパット・マクグリンが新たに加入し、彼は2018年に亡くなったアラン・ロングミュアーが1978年にバンドに復帰するまで後任を務めた。

その後、イアン・ミッチェルはロゼッタ・ストーンというバンドを結成したが、1979年に脱退。同グループは1984年に解散するまで彼なしで活動を続けた。また、1979年5月にはイアン・ミッチェル・バンドを結成。その後もソロ活動を続け、ベイ・シティ・ローラーズとロゼッタ・ストーンの再結成ライヴにも参加している。

ベイ・シティ・ローラーズの現在のラインナップは、リード・ヴォーカルとギターのイアン・トムソン、ベースのマーカス・コードック、ドラムのジェイミー・マグローリー、ギターのスチュアート・ウッドである。
Written By Tim Peacock


すっごい優れたアルバムなので、今でも大好きです
この音がイイです
この演奏もイイ!!
ロゼッタ・ストーン、良いバンドでした
イアン、ありがとう


ご視聴ありがとうございました

One Direction – One Way Or Another

One Direction:ワン・ダイレクションの13年「One Way Or Another :ワン・ウェイ・オア・アナザー(ティーンエイジ・キックス)」ですね。

まあ、普通聴きません(笑)

朝起きて、久しぶりにブロンディを聴いていると、突然、娘にCDシングルを渡され、
娘「ワンディ」
小生「はあ……ブロンディ」
娘「ワン・ダイレクションの曲だよ」
小生「78年、父ちゃん18歳、ブロンディの曲、マドンナが出る前、日本でも世界でも皆聴いた。 人気あったのに彼氏の為に解散した、今は復活して、おばあちゃんでも頑張ってる」
ボーカルはデボラ・ハリーとは言わなかった。たぶんマドンナも知らない大学生。
娘「知らんかった、ワンディの曲と思っていた」

ワン・ダイレクション:One Direction:1DはUKのオーディション番組で、2010年代人気のボーイズグループと知っていましたが、娘はジャスティンビーバー同様に好きだったようで、ライブも奥方同伴で行った。

オーディション番組の寄せ集めと思っていましたが、世界中で超人気だったようで今回、21世紀のビートルズ と呼ばれていた事を知りました。ビートルズが偉大な証、いつまで続く、なんとかのビートルズ(笑)


【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞられて、時たま、私見があります】

コロナ編 One Way Or Another あれやこれやで

当家、娘が陽性・症状無で保健所の指示によりホテル隔離から先日帰宅。
家族は小生・奥方・息子と陰性、濃厚接触者は変わらずで、2週間外出自粛で30日。

昨日、保健所から確認の電話があり、本日から外出自粛を解くとの指示。娘も。

息子は2週間外出しなかった、そもそもテレワークにゲームオタク、そちらの方が心配、奥方に今日は、散歩に出ろと怒られた(笑)マンション回りの堤防はひと気なし。

小生と奥方が、自粛期間2回ぐらいスーパーマーケットに短時間買い出し。スーパーは奥方のみ入店、小生は運び屋。あとアマゾンフレッシュ・ネットショップをそれぞれ1回利用。さすがにいきができないような閉塞感で、明け方に散歩1回人は居なかった。ガチガチでなく、指示の自粛。

今、国・都、緊急事態宣言下でも「日中も含めた不要不急の外出と移動の自粛に加え、都道府県をまたぐ不要不急の移動は極力、控えるよう求めています」の事、それに準じるようにしましたが。

たぶん見てないとなると自由、いろいろ出来ると思う。法律として善意・悪意とありますが該当者を信とするのは当然と思いますが、感染者以外、強権的公権が行う国では無いので、長く続くと小生も世間も経済は、大打撃受。さてどうなる?

自粛期間、奥方が見ている無責任なTV報道には辟易な2週間、マスゴミ、ネタ作り…暇なんだ。和歌山のドンファン関係ねえ、どうでもいいよ、まあ見るなと言うことでしょうが(笑)

そしてブログ書いていると地震、ホント長く揺れた東京震度3? 相変わらず揺れる列島。
40年を超える関西電力原発それでも再稼働するよで、活発な震源地から離れているとの意見もありでしょうが、そもそも地震のない、火山活動のない、活断層のない土地はどこにあるのと…言いたい。

この国は有史以来、自然の脅威にさらされてきた、危機回避がリスクヘッジ、それでは経済が成り立たない…………と言うなら、利権・既得権益が切れると困ると言われれば説得力はあるかも、賛成しませんが。


と云うことでおまけは「One Way Or Another」の元祖の方で、これってストーカーされたデボラハリーの話だったのですね、知らんなんだ

Blondie - One Way Or Another •


 


恋の平行線


 





























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