ビートルズ編④ 「ポール死亡説」の真実、1975年100円のLIFE誌が教えてくれた
古本屋で見つけた真実――ビートルズの「解散」の兆し
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日立の街で手にした自由、そして運命の2300円
三度目の転校。またひとりぼっち。
だが、今度は違った。日立には、映画館があった。レコード店があった。古本屋があった。
ひとりで、好きな場所へ行ける自由。
親の目を気にせず、土曜の午後、古本屋の埃っぽい棚を物色する時間。
それは、転校を繰り返した少年にとって、初めて手にした「解放感」だった。
そしてある日、私は人生を変える買い物をする。
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お年玉で買った『ビートルズ事典』――2200円
中学生にとって、2200円は大金だった。
だが、どうしても欲しかった。『ビートルズ事典』。
お年玉を握りしめ、書店へ向かった。分厚い事典を開くと、 そこには知らなかったビートルズの歴史が詰まっていた。
そして、その中に**「ポール死亡説」**の記述を見つける。
* 1966年、ポールは交通事故で死亡した?
* 現在のポールは「ウィリアム・キャンベル」という替え玉?
* アルバム『アビイ・ロード』のジャケットには暗号が隠されている
裸足のポールは「死体」。背景のワーゲンのナンバープレート「28IF」は
「もし生きていれば28歳」。
中学生の私は、この「謎解き」に完全に魅了された。
ロック・POP音楽の話題で、新たな友人たちに得意げに語った。
孤独から逃れるために、得意げに。まるで、自分だけが真実を知っているような気分で。
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古本屋で見つけた決定的証拠――100円の『LIFE』誌
そして数週間後、いつもの古本屋で運命の1冊に出会う。
『LIFE』誌(1969年11月7日号)
表紙には、ポール・マッカートニーの顔。
「これだ!」
事典に書いてあった、あの伝説の雑誌。
ポール本人が「死亡説」に反論した記事が載っている号。
値札を見る。
100円。
2200円の事典を買った直後だったが、迷いはなかった。
わずか100円で、決定的証拠が手に入る。
家に帰る道のりは、まるで宝物を手に入れた冒険者のような高揚感に包まれていた。
なかなか買えないLPアルバムより、このお宝を手に入れた興奮は、今もしっかり覚えている。
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「ポール死亡説」の熱狂――裸足のポールと28IF
事典に書いてあった「証拠」を、私は直ぐ覚えた。
* ジャケットで裸足のポールは「死体」を意味する
* 背景のワーゲンのナンバープレート「28IF」は「もし生きていれば28歳」
* ポールだけ目を閉じている写真がある
* 逆再生すると「ポールは死んだ」と聞こえる
* 『サージェント・ペパーズ』のジャケットには墓がある
友人たちと、夢中で語り合った。
「ポールの左手がタバコを持ってるのは、葬儀の習慣だ」
「ジョンは牧師の白い服を着てる」
「リンゴは葬儀屋の黒い服だ」
そして今、手元には本物の『LIFE』誌がある。
英語なんて読めない。辞書を引いても歯が立たない。
それでも、この雑誌には「真実」が載っているはずだった。
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雑誌に写っていた「真実」
ページをめくる。
そこに写っていたのは、スコットランドの農場で家族と暮らすポール・マッカートニーだった。
妻リンダと幼い子どもたち。羊の群れ。静かな田園風景。
英語は読めなかった。でも、写真から伝わってくる「何か」があった。
怒り。拒絶。そして、疲労。
「私は死んでいない」――そう語るポールの目には、どこか諦めにも似た静けさがあった。
当時の私は、それを「死亡説の否定」として受け取った。
「ほら、ポールは生きてるじゃないか!」
私は「真実」を手に入れた。
だが、本当の意味を理解したのは、何十年も経ってからだった。
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2026年の視点――それは「解散宣言」だった
映画宣伝のプロとして働いていた者として、あの記事を振り返ると、別の意味が見えてくる。
あれは、事実上の解散宣言だった。
ポールは、ビートルズから逃れるために、スコットランドの果てに隠れ住んでいた。
「もうバンドには戻らない」
その意思を、彼は言葉ではなく、水を浴びせる行為で示していた。
当時のファンは、それを「死亡説の否定」として喜んだ。
だが実際には、ビートルズという存在の死の兆しだった。
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プロの視点:「死亡説」というパブリシティの皮肉
今思えば、あの「ポール死亡説」騒動は、結果的に凄まじいパブリシティ効果を生んだ。
アルバム『アビイ・ロード』は、全米チャート1位を記録。
「謎解き」に夢中になったファンは、何度もレコードを買い、ジャケットを凝視し、逆再生を試みたという。
意図しない形で、ビートルズは「終わり」を演出していた。
そして、その仕掛けに乗せられた中学3年の少年がいた。
私は「ビートルズの終わり」で、孤独から逃れ、音楽好きの友達ができた。
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写真が語っていたもの――家族との平穏と、失われたバンド
英語が読めなかった少年時代、私は写真から「何か」を感じ取っていた。
ポールの目力。家族と過ごす平穏な時間。そして、どこか寂しげな表情。
あれは、バンドの崩壊と引き換えに得た、新しい人生だった。
ジョン・レノンは、ヨーコとニューヨークへ。
ジョージ・ハリスンは、ソロ活動へ。
リンゴ・スターは、俳優業へ。
そして、ポールは、家族とスコットランドへ。
4人は、もう同じ場所には戻れなかった。
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結び:2300円が教えてくれたこと
1975年、日立の街。
2200円の『ビートルズ事典』で「謎」を知り、100円の『LIFE』誌で「真実」を見た。
英語が読めなかった少年には、その意味が分からなかった。
でも、写真から感じた「得体の知れない真実」は、今も心に残っている。
ポールは生きていた。
でも、ビートルズは解散していた。
私の中で本当の「終わり」を実感したのは、1970年の解散発表ではなく、
あの100円の雑誌を手にした、1975年の冬だった。
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編集後記
中学生だった私は、2300円でほんとの「ビートルズの終わり」を知りました。
次回⑤では、『アビイ・ロード』語りたいです。これも皆さん思い出いっぱいのアルバム。
あの「終焉の音楽」が、なぜ今も色褪せないのか。私も思い出もいっぱいです。
ロックはここから始まった!
気になった記事から、読み進めていただければ幸いです。
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