AIを使ってまでデータ化したブログは英国偏重がバレてしまった(笑)。
で、その英国勢の頂点に立つのがディープ・パープルだ。全4066記事を通して、登場回数なんと58回。堂々の第1位。
76年高1から聴きだして、中学から聴いていたビートルズや、ストーンズ、クイーン、バドカン、フリー、スージー・クアトロより、ディープ・パープルの方が、10代は夢中になった。
なぜか?
■ 16歳の衝撃 ── すべては「Black Night」から
高1、新入生の最初のクラス会。自己紹介で小生は「ビートルズが好きです、ロックが好きです」と言った。そうしたら、名前順の席次、S君が「ビートルズは子供の音楽、俺はハードロックが好き、ディープ・パープルが」と来た。
俺の好きな音楽が、子供の音楽??頭にきた。喧嘩はしないが、なんだこいつ、と。そいつはバンドをやっていて、(高1と思った)リッチー知らないの、『銀嶺の覇者』(1975)とか、当時、登山に夢中で、なんか山岳関係の音楽???
その放課後、入ったばかりの登山部、(登山部のくせになぜかロック好きの集まり(笑))
自己紹介の一件を先輩に話したら、『24 Carat Purple』(1975)を出してきて「聴いてみな」と。「銀嶺の覇者」はリッチー・ブラックモアだよと。この登山部で、ハードロックとプログレを教わり、レコードを借りた。今の小生のロックの母体だった。
『24 Carat Purple』。中学までは、ハードロックはお兄さんが聴く音楽と思っていた。バドカンより「Black Night」の迫力にビックリ、そこから、ほどなく夢中になっていた。
■ 心をかっさらわれた ── 『Machine Head』と『Live in Japan』
最初に自分のものとして買ったハードロックのアルバムが『Machine Head』だ。ライブ盤『Live in Japan』を借りたが、スタジオ盤と違い、生々しさに、これも心をかっさらわれた。これも買った。少ない小遣いをためて買ったレコードを、大音量で聴く。
母親に「出ていけ」とよく怒られた(苦笑)。その母は52才で亡くなるのだが、『Machine Head』と『Live in Japan』は母を思い出すアルバム。
今65才、母は人生を楽しんだのかと、ほろ苦い気持ちになるアルバムになった。
■ ツェッペリン派か、パープル派か ── 第2期派の矜持
70年代の高校のロック少年といえば、レッド・ツェッペリン派か、ディープ・パープル派か。
小生は迷わず「パープル、それも第2期派」と公言していた。
でも、音楽的に今も感動するのはレッド・ツェッペリン(笑)凄いね! 本音はZEPはビートルズと同等。
ディープ・パープルの「Child In Time」「Black Night」「Lazy」「Space Truckin'」でハードロックの鍛錬をした。ハードロックの土台を作った。
ここがベースになって、オンタイムでのレインボー、ホワイトスネイク、メタル前のジューダス・プリーストを聴きだしても、
けっこうえらそうに「聴かせてもらおうか、新しいハードロックの性能とやらを」の気分だった(笑)
■ 実は隠れ第3期派? ── 『Burn(紫の炎)』の刷り込み
ところが、自称・第2期派と言いながら、ディープ・パープルで一番聴いたのは
『Burn(紫の炎)』(1974)だったりして、隠れ第3期派!?(笑)
何も考えずにいると、頭の中に流れてくるハードロックは、ほぼ「BURN」。
相当、刷り込まれている。これはもう、信仰。
スタジオ盤の「Burn」は最初「演歌みたいで変だな」と思っていたが、ライブ盤『Made in Europe』の「Mistreated」を聴いたら、「本当に演歌だ!」と。
デヴィッド・カヴァデールも侮りがたし。ギランなのに浮気した気分のパープル・ファンになった。昔は演歌調と思ったのは、ブログして、ソウルフルというらしいと知った(笑)
■ 第4期と先輩の呪い ── トミー・ボーリンへの再評価
オンタイムの小生は、第4期=トミー・ボーリン期は、先輩の「トミー・ボーリン批判」を真に受けて、当時はその風潮があった。先輩は70年代ディープ・パープルの最後の日本公演にいって、トミー・ボーリンにがっかりしてしまい、それは生の話として、信用するし、早く東京でライブを見たいと羨ましさになった。
で、そのままリッチーのレインボーへまっしぐら。
後年、ちゃんと聴き直してみたら、「なんだ、悪くない。むしろカッコいいじゃないか」と素直に認めることになった。お気に入りブログの皆さまも『Come Taste the Band』(1975)を評価していることを知ったこと、パープル加入前のソロとバンド時代のトミー・ボーリンの素晴らしい曲をいくつも見つけ、長年の偏見はなくなった。
■ しっぺ返し ── リッチーがいなかった来日公演
1993年、『The Battle Rages On』ツアー。小生はお世話になっていた方がリッチーのファンと知って、リッチー目当てでチケットを取った。小生は第2期派、リッチーのギター目当てと、その方に調子を合わせて。
会場に着いて席に座る。すると置いてあったのは ── リッチー脱退を告げるチラシ、一枚きり。本人、もういない(笑)。代役はジョー・サトリアーニだという。
これには、恥ずかしいやら、自分の責任でないけど、主催者の安易な告知に呆れ、その方としらけたライブを聴いたのでなく、見ただけは、強烈に覚えている。
考えてみれば、このバンドの本筋は、リッチーとギラン、二人に振り回され続けた歴史。ギランをクビにし、ジョー・リン・ターナーを入れ、また呼び戻し、ようやく『The Battle Rages On』を作ったと思ったら、ツアーの途中で出ていった。
後日、この日本公演は、ジョー・サトリアーニは、東京の空港でメンバーと初めて顔を合わせ、リハーサルはたった一回。来日公演をやり切ったとの話を知ったが、それはどうでもいい事。只、サトリアーニは優秀なミュージシャンなんだと思うだけだった。
まあ、そう言いながら、2018年公演は後輩に誘われていったが、だって、The Long Goodbye tourだったはず(笑)
■ でも、パープル!
16歳の衝撃、母親の怒鳴り声、派閥論争、隠れ第3期派の告白、先輩の話のすり込みと解毒 ── 58回ぶんの「思い」が、ここにある。
今は、懐かしさの音楽、これがいいんだか、悪いんだか、判らない。
ただ、ストーンズやポール・マッカートニーは新作をだす。
現役感は、こんなところかなと、思う。
もちろんパープルの新作はアルバム『SPLAT!』が7月リリースされるのだが…
これ以上書くと批判になりそうなんで止めます(笑)
好きなバンドは愛憎あり!
パープルは70年代のままかもしれない! 小生の場合は!
4100頁、15年の熱量を、今の視点で削り出す。
ロック前
ロックはここから始まった
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