ジョージ・ハリスンの「Save The World(世界を救え)」で、アルバムは1981年『Somewhere In England(想いは果てなく〜母なるイングランド)』ですね。
あんまり、真剣に聴かなかったアルバムかもで、あくまでも、
80年ジョン・レノンの死への追悼歌「All Those Years Ago(過ぎ去りし日々)」のアルバムの位置づけだったかも。
この曲にポールやリンゴ・スターが参加に、注目でしたが、
なんか曲が軽快で、違和感だったけど、ヒット曲になりましたね。
このブログ、ビートルズファンとして、本家ビートルズに、ポール、ジョン、
ジョージ、リンゴの各ソロも上げているが、
「All Those Years Ago(過ぎ去りし日々)」はブログ書いているが、
アルバムは真剣に聴いたことあったけぇ・・・
アルバムのジャケは2種だったの、今は? 知らんかった。
70年代後半、ジョージは自レーベル・ダークホースを立ち上げて、
頑張っていたけど、80年代に入って、あんまり注目していなかったかもで、
当時、聴き込みしたような記憶はない。
で、久しぶり、45年ぶりに真剣に聴いた。アルバムは買ったと思うけど、
行方不明。
独身時代、我がアパート、バイトで知り合った高校生、
大学生のたまり場になっていたけど、勝手にカセットテープのライブラリーが
増えていたり、なんかレコード数は減ったりしていた。
アルバムリリース情報
アルバムタイトル:Somewhere in England
初版(US/UK等)発売年:1981年
日本盤発売年:1981年(ワーナー・パイオニア/Dark Horse Records)
位置づけ:配給元のワーナー・ブラザースとのいざこざ騒動や、制作期間中に起きたジョン・レノンの死。悲劇を乗り越えて発表された執念の一作。
ジョージ・ハリスンは、インド思想やボランティアへの探求と同じに、
音楽でも新しいモノ好きで、初期2作はインド音楽と実験音楽と電子音楽。
それを経ての70年『オール・シングス・マスト・パス』でしたね。
71年が『バングラデシュ・コンサート』でした。
それが70年代後半になると、なんか音楽的に目立ってなくて、ダークホースも
地味と思っていたら、レコード会社ワーナーと揉めていた時期の
『想いは果てなく〜母なるイングランド』だったようですね。
プライベートで、カーレースと映画制作の方に、興味がいっていたようですが、
ジョンの件で音楽へ戻された。
レコード会社から「地味だ」「ヒット曲がない」と突っぱねられたアルバムですが、今聴くと軽快、軽やか。
70年のビートルズ解散で、たくさん曲も作ってたし、お披露目するぞ、
という気概は無い。
10年で枯れたとは思えないけど、70年代ロックシーンが変化するなかで、
このアルバムは、ジョージを保つ方法だったかなと今は思える。
そんなアルバムです。
そんな中で、しっかり、冷戦の激化や地球規模の環境破壊、生態系の危機や反核を「Save The World(世界を救え)」と唄う。リスペクトです。
私はこう聴きました。
皆さまは、この曲をどう聴きましたか。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
このたびの「令和8年8月千葉豪雨」により、お亡くなりになられた方々に
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
早い復旧を心よりお祈りいたします。
【このブログ、反原発で始まったブログです。時々、私見があります】
茨城県に上陸した台風15号の影響で、1年以上空家になっている実家の点検と、
お盆なので帰省。
13日、東関東自動車道で実家に向かう時から、不穏な雲。
幸い実家に損傷等は無しでしたが。
夕方、迎え盆の墓地が大雨、車中で蝋燭の火をともして、
形式上、迎えたことにしました。
息子は用事の為、最寄りの駅から東京に帰りましたが、ふだん1時間かかるところ、4時間。
電車内は緊急停車中、乗客のスマホから一斉に緊急速報が鳴り、パニック状態になったようですが、それぐらい切羽詰まった状況だったと思います。
その時、実家で迎え盆してましたが、息子との連絡は、既読ならず、
けっこう心配しました。
13日夜、スマホで雨雲レーダーを見ていましたが、千葉県上空から赤色がなくなる事は無かったです。
もう昔のような気候、気象ではないですね。
地球規模で変化していると思う。
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