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Supertramp-Lord Is It Mine
スーパートランプの「Lord Is It Mine:すべては闇の中」で、アルバムは79年『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』ですね。
ニューウェイヴに突入の79年、『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』とピンク・フロイドの『The Wall』は、ブリティッシュロック正統派(今はクラシックロックと言われますが・笑)の70年代末に出た、有終の音楽。
プログレと言われた両バンド、スーパートランプとピンク・フロイドが、陽陰を飾る70年代ロックでした。
『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』も正に捨て曲なしのコンセプト・アルバム、アメリカを題材とした、現代風刺、浪漫化ですが、これもよう聴いたアルバム。
この頃のブリティッシュロックも凄いですね~。
UKRockは69年最強説が自説ですが、79年はニューウェイヴがあって、大ヒットアルバムの『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』と『The Wall』でした。

【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞり、この頃は稀に、私見があります】
で、このアルバム『Breakfast in America』前のアメリカ大統領選挙の時、4年前に上げている。社会人2年目になる息子が、アメリカ大統領選挙とコロナ禍を解説するようになり、聞いてると相変わらじのマスゴミとネット記事の大きな差、そして、それ以上の反故。
「すべては闇の中」と言うより、「Lord Is It Mine」と真摯になって日米そして世界中の方々と、ホントの事、もしくは事実ぐらい押える事ができないのか と。
それは叶わない願い…グローバル化とは、えらく煩わしさが伴うと…思う。
と云うことでおまけは4年前のリブログで


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ニューウェイヴに突入の79年、『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』とピンク・フロイドの『The Wall』は、ブリティッシュロック正統派(今はクラシックロックと言われますが・笑)の70年代末に出た、有終の音楽。
プログレと言われた両バンド、スーパートランプとピンク・フロイドが、陽陰を飾る70年代ロックでした。
『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』も正に捨て曲なしのコンセプト・アルバム、アメリカを題材とした、現代風刺、浪漫化ですが、これもよう聴いたアルバム。
この頃のブリティッシュロックも凄いですね~。
UKRockは69年最強説が自説ですが、79年はニューウェイヴがあって、大ヒットアルバムの『Breakfast in America:ブレックファスト・イン・アメリカ』と『The Wall』でした。

【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞり、この頃は稀に、私見があります】
で、このアルバム『Breakfast in America』前のアメリカ大統領選挙の時、4年前に上げている。社会人2年目になる息子が、アメリカ大統領選挙とコロナ禍を解説するようになり、聞いてると相変わらじのマスゴミとネット記事の大きな差、そして、それ以上の反故。
「すべては闇の中」と言うより、「Lord Is It Mine」と真摯になって日米そして世界中の方々と、ホントの事、もしくは事実ぐらい押える事ができないのか と。
それは叶わない願い…グローバル化とは、えらく煩わしさが伴うと…思う。
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Bananarama – Rough Justice
バナナラマの「Rough Justice:ラフ・ジャスティス」で、アルバムは84年・2nd『Bananarama:愛しのロバート・デ・ニーロ』ですね。
グループ名のアルバムなのに、確かにアルバムに「Robert De Niro's Waiting...:愛しのロバート・デ・ニーロ」と曲がある。
アルバム邦題が何故「ロバート・デ・ニーロ」??と今は思いますが(笑)
この頃のデ・ニーロ、70年代から80年代の出演作品が凄かった。
74年『ゴッドファーザー PART II』75年『タクシードライバー』77年『ニューヨーク・ニューヨーク』そして皆さん大好き(俺は好きじゃねえ)『ディア・ハンター』そして80年『レイジング・ブル』他にも、凄まじい活躍。
特にNY舞台の映画は、小生のNYパンクへの興味と重なり、NYは憧れの地になり90年・93年と彷徨できました。
確かに、当時の俳優では神懸かり的な人気と評価、評判でした。まあ19年『ジョーカー』ではキルされたけど、昔の御威光はウルトラ級だった。
その御威光で『Bananarama:愛しのロバート・デ・ニーロ』と…枕詞が長くなりましたが(笑)

で、バナナラマの『Bananarama』久しぶりに聴くと「ロバート・デ・ニーロ」にすがらずとも、『Bananarama』立派なPOPなダンサブルなアルバムになっている!!
このところ、プチMYディスコブームで、オリビア・ニュートン・ジョンだったり、アバと聴いてましたが、そもそもブリティッシュロックファン、UKモノでディスコ系ミュージック、ダンスミュージックで選曲でバナナラマを。
80年代UKモノは、シンセPOP、テクノPOPで、ロック系バンドでもディスコでかかりましたが、POPなダンスミュージックなら、バナナラマの『Bananarama』かなと。
84年映画『ベスト・キッド』のサントラのヒット曲「Cruel Summer:クルーエル・サマー:ちぎれたハート 」から始まり、捨て曲なし、ように出来ているアルバム。
で、アホ発覚、「ちぎれたハート 」は「クールサマー」と覚えていて、今の今まで、36年間、間違いに気がつかなかった(笑)「クルーエル・サマー」なんですね、クールじゃない!
で、このアルバムも「King of the Jungle」を「ジャングル帝王」と邦題付けたり、昔はおおらか。
そしてバナナラマのメンバーのパートナー、サポートの男性ミュージシャンの事、80年代後半から90年代のヒット曲、を思い出し、けっこう聴いていたと…これも80年代サウンドですね。
と云うことでおまけは悩みました、このアルバムも捨て曲なしですが邦題で
Bananarama - Robert De Niro's Waiting:愛しのロバート・デ・ニーロ


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グループ名のアルバムなのに、確かにアルバムに「Robert De Niro's Waiting...:愛しのロバート・デ・ニーロ」と曲がある。
アルバム邦題が何故「ロバート・デ・ニーロ」??と今は思いますが(笑)
この頃のデ・ニーロ、70年代から80年代の出演作品が凄かった。
74年『ゴッドファーザー PART II』75年『タクシードライバー』77年『ニューヨーク・ニューヨーク』そして皆さん大好き(俺は好きじゃねえ)『ディア・ハンター』そして80年『レイジング・ブル』他にも、凄まじい活躍。
特にNY舞台の映画は、小生のNYパンクへの興味と重なり、NYは憧れの地になり90年・93年と彷徨できました。
確かに、当時の俳優では神懸かり的な人気と評価、評判でした。まあ19年『ジョーカー』ではキルされたけど、昔の御威光はウルトラ級だった。
その御威光で『Bananarama:愛しのロバート・デ・ニーロ』と…枕詞が長くなりましたが(笑)

で、バナナラマの『Bananarama』久しぶりに聴くと「ロバート・デ・ニーロ」にすがらずとも、『Bananarama』立派なPOPなダンサブルなアルバムになっている!!
このところ、プチMYディスコブームで、オリビア・ニュートン・ジョンだったり、アバと聴いてましたが、そもそもブリティッシュロックファン、UKモノでディスコ系ミュージック、ダンスミュージックで選曲でバナナラマを。
80年代UKモノは、シンセPOP、テクノPOPで、ロック系バンドでもディスコでかかりましたが、POPなダンスミュージックなら、バナナラマの『Bananarama』かなと。
84年映画『ベスト・キッド』のサントラのヒット曲「Cruel Summer:クルーエル・サマー:ちぎれたハート 」から始まり、捨て曲なし、ように出来ているアルバム。
で、アホ発覚、「ちぎれたハート 」は「クールサマー」と覚えていて、今の今まで、36年間、間違いに気がつかなかった(笑)「クルーエル・サマー」なんですね、クールじゃない!
で、このアルバムも「King of the Jungle」を「ジャングル帝王」と邦題付けたり、昔はおおらか。
そしてバナナラマのメンバーのパートナー、サポートの男性ミュージシャンの事、80年代後半から90年代のヒット曲、を思い出し、けっこう聴いていたと…これも80年代サウンドですね。
と云うことでおまけは悩みました、このアルバムも捨て曲なしですが邦題で
Bananarama - Robert De Niro's Waiting:愛しのロバート・デ・ニーロ
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ABBA – Knowing Me, Knowing You
アバの「 Knowing Me, Knowing You:ノウイング・ミー・ノウイング・ユー:離婚」で、アルバムは76年『Arrival:アライバル』ですね。
「離婚」でなく「別離」と思っていた、ミュージカル『マンマ・ミーア!』では「離婚」の曲名なんですね、アバは2組とも離婚で、解散でした。
アバのロゴがYoutubeのオフィシャルでもABBA してますが、ほんとはこれですね。

皆大好き「ダンシング・クイーン」が入っているアルバムですが、小生が手に入れたのは、正確には妹が買ったのはベストヒット77年『アバ / グレイテスト・ヒッツ 24』
前回ブログで懐かしと思い出した70年末から80年代にかけて、ディスコブームの連動大ヒット映画78年『サタデー・ナイト・フィーバー』からですが、その前に「ダンシング・クイーン」のアバがあり、全米ヒットでFENでかかり、それで妹も気にいった。まあ当時の洋楽ファンは皆好きなったと思いますが。

久しぶりに76年『Arrival:アライバル』を聴くと、捨て曲なし、全曲聴き覚えのメロ、やっぱり一世風靡した貫禄のPOPグループ。
日本ではこのアルバムの頃から人気が出たと覚えていますが、ヨーロッパからアメリカ伝わり、ヒットが回ったきたようですが、手っ取り早くベスト盤で、聴く事になったわけですが、世界的にアバは80年代になっても、90年代になってもベスト盤で受けたようですね。
映画音楽に使われ、そしてミュージカル『マンマ・ミーア!』・映画も、アバの曲があったからこその作品でした。
で、2018年35年ぶりに2曲・新曲発表との事でしたが2020年になり、2021年に延期なったようで5曲に増えてますが、18年発表の時は期待していたので、簡単に行かない、なかなか難しい事と…そしてコロナ禍の影響も有るようで。
新作も期待ですが、ベスト盤で覚えたグループですので、全盛期のアルバム毎に聴いて楽しみ、気長に待ちます。
と云うことでおまけは捨て曲なしですが同アルバムから好きな曲で
ABBA - When I Kissed the Teacher


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「離婚」でなく「別離」と思っていた、ミュージカル『マンマ・ミーア!』では「離婚」の曲名なんですね、アバは2組とも離婚で、解散でした。
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皆大好き「ダンシング・クイーン」が入っているアルバムですが、小生が手に入れたのは、正確には妹が買ったのはベストヒット77年『アバ / グレイテスト・ヒッツ 24』
前回ブログで懐かしと思い出した70年末から80年代にかけて、ディスコブームの連動大ヒット映画78年『サタデー・ナイト・フィーバー』からですが、その前に「ダンシング・クイーン」のアバがあり、全米ヒットでFENでかかり、それで妹も気にいった。まあ当時の洋楽ファンは皆好きなったと思いますが。

久しぶりに76年『Arrival:アライバル』を聴くと、捨て曲なし、全曲聴き覚えのメロ、やっぱり一世風靡した貫禄のPOPグループ。
日本ではこのアルバムの頃から人気が出たと覚えていますが、ヨーロッパからアメリカ伝わり、ヒットが回ったきたようですが、手っ取り早くベスト盤で、聴く事になったわけですが、世界的にアバは80年代になっても、90年代になってもベスト盤で受けたようですね。
映画音楽に使われ、そしてミュージカル『マンマ・ミーア!』・映画も、アバの曲があったからこその作品でした。
で、2018年35年ぶりに2曲・新曲発表との事でしたが2020年になり、2021年に延期なったようで5曲に増えてますが、18年発表の時は期待していたので、簡単に行かない、なかなか難しい事と…そしてコロナ禍の影響も有るようで。
新作も期待ですが、ベスト盤で覚えたグループですので、全盛期のアルバム毎に聴いて楽しみ、気長に待ちます。
と云うことでおまけは捨て曲なしですが同アルバムから好きな曲で
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Olivia Newton John -Twist Of Fate
オリビア・ニュートン=ジョンの「Twist Of Fate:運命のいたずら」で、アルバムはサントラ84年『Two of a Kind:セカンド・チャンス』ですね。
70年末から80年代にかけて、ディスコブームの連動スターターとして、大ヒット映画78年『サタデー・ナイト・フィーバー』とそしてオリビア・ニュートン=ジョンとジョン・トラボルタ共演・79年『グリース』
サントラ音楽がダンス・ミュージックがブームに、80年代のダンス・ミュージック映画が続きました。
大好きでした。音はPOP系強しですが83年『フラッシュダンス』84年『フットルース』87年『ダーティダンシング』あと敬愛するウォルター・ヒル監督の84年『ストリート・オブ・ファイヤー』も。
でも映画は難しい、製作費かけても宣伝費かけても、名優・旬の演者が出ても、コケる…
まずオリビア・ニュートン=ジョンが、サントラぐんばつなのに映画81年『ザナドゥ』の不振。
そしてオリビア・ニュートン=ジョンとジョン・トラボルタ共演・79年『グリース』の再来、二番煎じ感ありでしたが、この84年映画『Two of a Kind:セカンド・チャンス』も見事にコケました。

「Twist Of Fate:運命のいたずら」は正に80年代テクノPOPサウンドになっていて、今聴いても、エネルギッシュで時勢の曲だと思うけど、オリビア・ニュートン=ジョンのイメチェン路線が続き、リキ入れて、PVもほんのちびっと濡れ場入れたりしている。
81年「フィジカル」で、70年代のオリビア渡米してFENで覚えた爽やかPOPカントリーぽさは見事に消え、時代のPOPスターに、ほんと「フィジカル」は、ちまたでようかかりました、大ヒット。
そのパワーでヒット映画『グリース』のジョン・トラボルタと再共演しての映画84年『セカンド・チャンス』が……コケた。
84年映画会社に入社して、洋画配給会社の大先輩・レジェンドの方々に業界・歴代の名作の仕事など(これが配給会社へ行く楽しみでした)を聞くと、70年前半からは洋画ブーム、いろいろなジャンル・作品があり、忙しさに忙殺され作品をこなす事でいっぱい、ミュージカル・音楽映画にこだわりは無かったようで、まあ他で当たる、ホント洋画が強力な時期だったようです。
当時、小生はイチ映画ファンとして、ジョン・トラボルタは大丈夫?と…
ジョン・トラボルタは クエンティン・タランティーノ監督の84年『パルプ・フィクション』まで、厳しい時代が続きました。『パルプ・フィクション』の演技はとびっきりでしたが、他の役者も良く群像劇でした。
まあ、それほど一押し好きな男優ではないのですが、この『セカンド・チャンス』でゴールデンラズベリー賞(最低映画)ノミネート、近年のゴールデンラズベリー賞主演男優賞の連チャンはさもありなんと(笑)
と云うことでオリビア・ニュートン=ジョンの思い出が、PVのせいでジョン・トラボルタ落ちに、おまけはふたりデュエット曲がありました同サントラから
Olivia Newton John & John Travolta-Take a chance
トラボルタほんと唄ってる?アテレコ??(笑)


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70年末から80年代にかけて、ディスコブームの連動スターターとして、大ヒット映画78年『サタデー・ナイト・フィーバー』とそしてオリビア・ニュートン=ジョンとジョン・トラボルタ共演・79年『グリース』
サントラ音楽がダンス・ミュージックがブームに、80年代のダンス・ミュージック映画が続きました。
大好きでした。音はPOP系強しですが83年『フラッシュダンス』84年『フットルース』87年『ダーティダンシング』あと敬愛するウォルター・ヒル監督の84年『ストリート・オブ・ファイヤー』も。
でも映画は難しい、製作費かけても宣伝費かけても、名優・旬の演者が出ても、コケる…
まずオリビア・ニュートン=ジョンが、サントラぐんばつなのに映画81年『ザナドゥ』の不振。
そしてオリビア・ニュートン=ジョンとジョン・トラボルタ共演・79年『グリース』の再来、二番煎じ感ありでしたが、この84年映画『Two of a Kind:セカンド・チャンス』も見事にコケました。

「Twist Of Fate:運命のいたずら」は正に80年代テクノPOPサウンドになっていて、今聴いても、エネルギッシュで時勢の曲だと思うけど、オリビア・ニュートン=ジョンのイメチェン路線が続き、リキ入れて、PVもほんのちびっと濡れ場入れたりしている。
81年「フィジカル」で、70年代のオリビア渡米してFENで覚えた爽やかPOPカントリーぽさは見事に消え、時代のPOPスターに、ほんと「フィジカル」は、ちまたでようかかりました、大ヒット。
そのパワーでヒット映画『グリース』のジョン・トラボルタと再共演しての映画84年『セカンド・チャンス』が……コケた。
84年映画会社に入社して、洋画配給会社の大先輩・レジェンドの方々に業界・歴代の名作の仕事など(これが配給会社へ行く楽しみでした)を聞くと、70年前半からは洋画ブーム、いろいろなジャンル・作品があり、忙しさに忙殺され作品をこなす事でいっぱい、ミュージカル・音楽映画にこだわりは無かったようで、まあ他で当たる、ホント洋画が強力な時期だったようです。
当時、小生はイチ映画ファンとして、ジョン・トラボルタは大丈夫?と…
ジョン・トラボルタは クエンティン・タランティーノ監督の84年『パルプ・フィクション』まで、厳しい時代が続きました。『パルプ・フィクション』の演技はとびっきりでしたが、他の役者も良く群像劇でした。
まあ、それほど一押し好きな男優ではないのですが、この『セカンド・チャンス』でゴールデンラズベリー賞(最低映画)ノミネート、近年のゴールデンラズベリー賞主演男優賞の連チャンはさもありなんと(笑)
と云うことでオリビア・ニュートン=ジョンの思い出が、PVのせいでジョン・トラボルタ落ちに、おまけはふたりデュエット曲がありました同サントラから
Olivia Newton John & John Travolta-Take a chance
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サディスティック・ミカ・バンド – 塀までひとっとび
サディスティック・ミカ・バンドの「塀までひとっとび」で、アルバムは74年2nd『黒船』ですね。
中学生オンタイムで聴いたアルバム、高校生になって、聴いたほぼオンタイムのカルメン・マキ&OZ、紫、BOWWOW、後追いのフラワー・トラベリン・バンド、頭脳警察より、小生的には日本ロック、先行のサディスティック・ミカ・バンドですが…
凄さとパイオニアと気がついたのは70年代末、ギターの高中 正義がフュージョン、ドラマーの高橋幸宏がYMOとして、活躍してから、もちろん「タイムマシンにおねがい」は当時インパクトありましたが。
なにぶん、加藤 和彦 のザ・フォーク・クルセダーズから、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」からロックへの変身は、けっこう距離感がありました。
ロックは革新に在りが持論ですが、中学生には74年『黒船』は、すんなりとは肝には入らずで、何故?何故?でした。

ロックからのアプローチ、プロディーサーがUKのクリス・トーマス、70年代から80年代にかけては、小生好きなミュージシャンに関わる方、独自より共同プロディースが多いが、エルトン・ジョンの友人。
そのクリス・トーマスからお誘いの74年『黒船』ですから、日英ロック混合で日本よりなワールド・ミュージック風なのに、中坊にはザ・フォーク・クルセダーズのフォークからの変身に驚き、よく理解できず、レコードだけは買った(笑)
で、クリス・トーマスが原因でサディスティック・ミカ・バンドは解散。当時はあっと言うまに、いなくなったサディスティック・ミカ・バンド。アルバムは2枚のみですが、1stは73年『SADISTIC MIKA BAND』は有ることも知らず、80年代になって再販して、1stを認知でした。
『黒船』久しぶりに聴いたら、素晴らしい! 日本ロックも70年代早くから、頑張っていたと…【日本】のロックになっている。
と云うことでおまけは、70年代日本ロックを象徴的な曲、これまで上げていなかった!!
サディスティック・ミカ・バンド - タイムマシンにおねがい


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中学生オンタイムで聴いたアルバム、高校生になって、聴いたほぼオンタイムのカルメン・マキ&OZ、紫、BOWWOW、後追いのフラワー・トラベリン・バンド、頭脳警察より、小生的には日本ロック、先行のサディスティック・ミカ・バンドですが…
凄さとパイオニアと気がついたのは70年代末、ギターの高中 正義がフュージョン、ドラマーの高橋幸宏がYMOとして、活躍してから、もちろん「タイムマシンにおねがい」は当時インパクトありましたが。
なにぶん、加藤 和彦 のザ・フォーク・クルセダーズから、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」からロックへの変身は、けっこう距離感がありました。
ロックは革新に在りが持論ですが、中学生には74年『黒船』は、すんなりとは肝には入らずで、何故?何故?でした。

ロックからのアプローチ、プロディーサーがUKのクリス・トーマス、70年代から80年代にかけては、小生好きなミュージシャンに関わる方、独自より共同プロディースが多いが、エルトン・ジョンの友人。
そのクリス・トーマスからお誘いの74年『黒船』ですから、日英ロック混合で日本よりなワールド・ミュージック風なのに、中坊にはザ・フォーク・クルセダーズのフォークからの変身に驚き、よく理解できず、レコードだけは買った(笑)
で、クリス・トーマスが原因でサディスティック・ミカ・バンドは解散。当時はあっと言うまに、いなくなったサディスティック・ミカ・バンド。アルバムは2枚のみですが、1stは73年『SADISTIC MIKA BAND』は有ることも知らず、80年代になって再販して、1stを認知でした。
『黒船』久しぶりに聴いたら、素晴らしい! 日本ロックも70年代早くから、頑張っていたと…【日本】のロックになっている。
と云うことでおまけは、70年代日本ロックを象徴的な曲、これまで上げていなかった!!
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Pat Metheny Group – Last Train Home
パット・メセニー・グループの「Last Train Home:ラスト・トレイン・ホーム」で、アルバムは87年『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』ですね。
フュージョン系は70年代後半、これもブリティッシュ・ロックに夢中になる頃から、ちらほら聴いていまして、取っ掛かりはウェザー・リポート、ちょうどジャコ・パストリアス加入あたりから。
これもラジオのおかげ、小遣いが少ないけど、新しい音楽を知りたい、聴きたい好奇心がありました。
今は固定観念の塊ジジイ、タイムマシンで10代に戻りたい(笑)
ラジオでも、いろいろなフュージョンがよくかかり、リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ、高中正義、渡辺香津美あたりと…小生的には、クリエイションもフュージョンに演っていたと。やっぱりギター系はカッコいい!!
そしてパット・メセニーも知る事になります。
70年代はジャズ系から、電気系楽器が主力でPOP化な時期で、音楽好き・洋楽好きには耳にしやすい時代だったと思います。

あと、たびたび、このブログに書いてますが、70年代はレコードの音圧問題、特にロック系が、自前の低額ステレオ(それでもパイオニアと山水でしたが)で迫力がない作品もあり、少ない小遣いでやっと買えたのにとの、悶絶級の苦悶。
レコードへ不信になりそうでしたが、友から借りたフュージョン系ECMレーベルをかけると、正に目からウロコが落ちる状態で、素晴らしい音がチープな自前のステレオから鳴り、フュージョン系レコードの質の高さと音楽クオリティ-を知る事になりました。
録音状態、再生機器との相性・汎用性でロックアルバムはそこまで、考えていなかったと思う。音量上げて聴けば良いから。
今、音楽配信が主になりましたが、面白いのが、80年代後半の作品から、明らかに音質が上がっていて、より生感あり、録音技術の日進月歩あると思う。そして今、音楽ファンはレコードを高評価してますね。又トライして聴いてみたいなとは思っていますが配信は手前無しも事実、CDはアメリカではレコードより売れなくなったそうで。
で、パット・メセニーはECMレーベルから離れて、サントラの85年『コードネームはファルコン』のデヴィッド・ボウイの「ジス・イズ・ノット・アメリカ」でヒット、好きなモノは繋がるとメロも良かったと、パット・メセニーをますます好きになりました。
その次作が87年『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』で、これが小生的に超強力な効果、このアルバムを契機に、音楽指向はロック系から、ジャズ・フュージョン・クラシックものに移る起点になります。
ロックをセカンド・二次にさせたアルバムが『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』
小生のクロスオーバーであり、この作品がブラジル音楽とのクロスオーバーでした。
2015年アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』のサントラに「Last Train Home:ラスト・トレイン・ホーム」が使われ、特別アルバムが出ているのですね、これは今回知りました。
因みにロックは、40代後半ニール・ヤングに目覚め復活、そして2011年311東日本大震災後、音楽の啓示、ザ・フー 「Won't Get Fooled Again」が浮かんでから、ロックブログが始めました。
と云うことでおまけは『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』からで、このアルバムも捨て曲なしです!!全て素晴らしい!!
Pat Metheny Group -So May It Secretly Begin


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フュージョン系は70年代後半、これもブリティッシュ・ロックに夢中になる頃から、ちらほら聴いていまして、取っ掛かりはウェザー・リポート、ちょうどジャコ・パストリアス加入あたりから。
これもラジオのおかげ、小遣いが少ないけど、新しい音楽を知りたい、聴きたい好奇心がありました。
今は固定観念の塊ジジイ、タイムマシンで10代に戻りたい(笑)
ラジオでも、いろいろなフュージョンがよくかかり、リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ、高中正義、渡辺香津美あたりと…小生的には、クリエイションもフュージョンに演っていたと。やっぱりギター系はカッコいい!!
そしてパット・メセニーも知る事になります。
70年代はジャズ系から、電気系楽器が主力でPOP化な時期で、音楽好き・洋楽好きには耳にしやすい時代だったと思います。

あと、たびたび、このブログに書いてますが、70年代はレコードの音圧問題、特にロック系が、自前の低額ステレオ(それでもパイオニアと山水でしたが)で迫力がない作品もあり、少ない小遣いでやっと買えたのにとの、悶絶級の苦悶。
レコードへ不信になりそうでしたが、友から借りたフュージョン系ECMレーベルをかけると、正に目からウロコが落ちる状態で、素晴らしい音がチープな自前のステレオから鳴り、フュージョン系レコードの質の高さと音楽クオリティ-を知る事になりました。
録音状態、再生機器との相性・汎用性でロックアルバムはそこまで、考えていなかったと思う。音量上げて聴けば良いから。
今、音楽配信が主になりましたが、面白いのが、80年代後半の作品から、明らかに音質が上がっていて、より生感あり、録音技術の日進月歩あると思う。そして今、音楽ファンはレコードを高評価してますね。又トライして聴いてみたいなとは思っていますが配信は手前無しも事実、CDはアメリカではレコードより売れなくなったそうで。
で、パット・メセニーはECMレーベルから離れて、サントラの85年『コードネームはファルコン』のデヴィッド・ボウイの「ジス・イズ・ノット・アメリカ」でヒット、好きなモノは繋がるとメロも良かったと、パット・メセニーをますます好きになりました。
その次作が87年『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』で、これが小生的に超強力な効果、このアルバムを契機に、音楽指向はロック系から、ジャズ・フュージョン・クラシックものに移る起点になります。
ロックをセカンド・二次にさせたアルバムが『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』
小生のクロスオーバーであり、この作品がブラジル音楽とのクロスオーバーでした。
2015年アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』のサントラに「Last Train Home:ラスト・トレイン・ホーム」が使われ、特別アルバムが出ているのですね、これは今回知りました。
因みにロックは、40代後半ニール・ヤングに目覚め復活、そして2011年311東日本大震災後、音楽の啓示、ザ・フー 「Won't Get Fooled Again」が浮かんでから、ロックブログが始めました。
と云うことでおまけは『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』からで、このアルバムも捨て曲なしです!!全て素晴らしい!!
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Uriah Heep – Lady In Black
ユーライア・ヒープの「Lady In Black:黒衣の娘」で、アルバムは72年『Salisbury:ソールズベリー』ですね。
ユーライア・ヒープの初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーがお亡くなりに、又寂しい。
お気に入りのブログ・皆様の哀悼の記事を拝見して、ますます70年代ロックは遠のく、もろに世代交代・寿命を感じます。まあ自分も60歳ですから、ここまで生きるとは思わなかった。
動画はボーカルがジョン・ロートンに変わってますので、1977年のようです。楽曲は71年でボーカルがデヴィッド・バイロン時期、バイロンがこの「Lady In Black:黒衣の娘」を気に入らずで拒否で替りボーカルをケン・ヘンズレーだったようです。
(デヴィッド・バイロンをグーグルで引いたら、小生ブログが筆頭だった、うーん、この程度で恥かしい。ブログを書き始め頃、お気に入りのブログの方紹介で、バンドリーダーのミック・ボックスとのファンメールでの交流はさせていただいた事はある)
確かにユーライア・ヒープの記事は20項ぐらい書いている。それも初期デヴィッド・バイロン時期だけ、と言うか、ユーライア・ヒープはバイロン時期しか聴かなかった、レコードを持っていなかった。もうジョン・ロートンの外見を初見で失笑、聴かないとなった。(ジョン・ロートンは評価されています。ジョン・アンダーソンより自然な高音)
初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーの在籍は80年迄ですので、デヴィッド・バイロン時期のアルバムは一番旬だし、売れたし、そもそもブリティッシュハードロック隆盛期で勢いがあった。そしてケン・ヘンズレーは、80年代前半、何故かアメリカのザザンロックのブラックフットのメンバーに、不思議でした当時。
小生大好き、ブリティッシュ・ハード・プログレのキーボードでも、ジョン・ロードとケン・ヘンズレーは双璧。
初期ユーライア・ヒープの主コンポーザーはケン・ヘンズレー、ヒット曲絡みも多い、代表作の「Look at Yourself」「The Wizard」「Easy Livin'」まだまだたくさん。

で、ユーライア・ヒープなんですが、自力・セルース的に冷静に顧みると、グンバツに売れたハードプログレ・バンドでは無かったと思う…
けど、当時70年代はセンス良いか下世話か、判らないが、情報無しの10代ロックキッズに、音楽誌・レコード会社のプロモが効いた載せられた、ユーライア・ヒープは人気ありました、それも狂信的なファンもいた。
聴いたキッカケは70年代後半高校生、何故か登山部なのに、皆ロック好き、70年代男子たるものロックを聴いた(女の子も)部室にはレコードの貸し借りの為にレコードが必ずあり、自前レコードと交換、そしてレコード傷ついたの!ライナーノーツが無い!などの修羅場も。
バンドしてる部員もいてエレキも置いてあり、ブラスバンドの連中も出入りしていた、音楽部でないのに。
で、そこに狂信的なファンの先輩がいて、他の連中からZEP、パープルに洗脳された小生に、無理やにユーライア・ヒープ化を狙い、まず貸してくれたのが72年『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』そして『Look at Yourself:対自核』でした。
憂いあり寂寥感にケン・ヘンズレーの打楽器リズムのようなキーボード、綺麗ピュアな高音のアル中のデヴィッド・バイロン、悲劇のベーシストのゲイリー・セイン、ユーライア・ヒープのプログレハードロックの揶揄の表現は彼のベースにあると思う。そして皆さん、鬼籍です。
楽しめました。これからも楽しみます。感謝致します。
ハードロックですがプログレ風、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープと並び称されて言われたけど…大昔の話。ハーモニーなハードロック、メロディアス、チープ感……寂寥感とします。
と云うことでおまけは最初に聴いた曲とします。
Uriah Heep - The Wizard


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ユーライア・ヒープの初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーがお亡くなりに、又寂しい。
お気に入りのブログ・皆様の哀悼の記事を拝見して、ますます70年代ロックは遠のく、もろに世代交代・寿命を感じます。まあ自分も60歳ですから、ここまで生きるとは思わなかった。
動画はボーカルがジョン・ロートンに変わってますので、1977年のようです。楽曲は71年でボーカルがデヴィッド・バイロン時期、バイロンがこの「Lady In Black:黒衣の娘」を気に入らずで拒否で替りボーカルをケン・ヘンズレーだったようです。
(デヴィッド・バイロンをグーグルで引いたら、小生ブログが筆頭だった、うーん、この程度で恥かしい。ブログを書き始め頃、お気に入りのブログの方紹介で、バンドリーダーのミック・ボックスとのファンメールでの交流はさせていただいた事はある)
確かにユーライア・ヒープの記事は20項ぐらい書いている。それも初期デヴィッド・バイロン時期だけ、と言うか、ユーライア・ヒープはバイロン時期しか聴かなかった、レコードを持っていなかった。もうジョン・ロートンの外見を初見で失笑、聴かないとなった。(ジョン・ロートンは評価されています。ジョン・アンダーソンより自然な高音)
初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーの在籍は80年迄ですので、デヴィッド・バイロン時期のアルバムは一番旬だし、売れたし、そもそもブリティッシュハードロック隆盛期で勢いがあった。そしてケン・ヘンズレーは、80年代前半、何故かアメリカのザザンロックのブラックフットのメンバーに、不思議でした当時。
小生大好き、ブリティッシュ・ハード・プログレのキーボードでも、ジョン・ロードとケン・ヘンズレーは双璧。
初期ユーライア・ヒープの主コンポーザーはケン・ヘンズレー、ヒット曲絡みも多い、代表作の「Look at Yourself」「The Wizard」「Easy Livin'」まだまだたくさん。

で、ユーライア・ヒープなんですが、自力・セルース的に冷静に顧みると、グンバツに売れたハードプログレ・バンドでは無かったと思う…
けど、当時70年代はセンス良いか下世話か、判らないが、情報無しの10代ロックキッズに、音楽誌・レコード会社のプロモが効いた載せられた、ユーライア・ヒープは人気ありました、それも狂信的なファンもいた。
聴いたキッカケは70年代後半高校生、何故か登山部なのに、皆ロック好き、70年代男子たるものロックを聴いた(女の子も)部室にはレコードの貸し借りの為にレコードが必ずあり、自前レコードと交換、そしてレコード傷ついたの!ライナーノーツが無い!などの修羅場も。
バンドしてる部員もいてエレキも置いてあり、ブラスバンドの連中も出入りしていた、音楽部でないのに。
で、そこに狂信的なファンの先輩がいて、他の連中からZEP、パープルに洗脳された小生に、無理やにユーライア・ヒープ化を狙い、まず貸してくれたのが72年『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』そして『Look at Yourself:対自核』でした。
憂いあり寂寥感にケン・ヘンズレーの打楽器リズムのようなキーボード、綺麗ピュアな高音のアル中のデヴィッド・バイロン、悲劇のベーシストのゲイリー・セイン、ユーライア・ヒープのプログレハードロックの揶揄の表現は彼のベースにあると思う。そして皆さん、鬼籍です。
楽しめました。これからも楽しみます。感謝致します。
ハードロックですがプログレ風、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープと並び称されて言われたけど…大昔の話。ハーモニーなハードロック、メロディアス、チープ感……寂寥感とします。
と云うことでおまけは最初に聴いた曲とします。
Uriah Heep - The Wizard
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押していただき感謝です。m(_ _ )m
