洋楽 心に残る曲一覧

Tubular Bells (Pt. I)

Mike Oldfield「エクソシストのテーマ」として有名な曲です


この曲が好きなので、ご紹介致します(*^^*)
実は、私も最後まで聴いたのは初めてです
エクソシストのテーマ曲とは別物だったんですね




以下、wikipediaより引用します

『チューブラー・ベルズ』(Tubular Bells)は、マイク・オールドフィールドが1973年に発表したソロ・アルバムです。

1973年5月25日に本作が発売されると、7月14日付の全英アルバムチャートで初登場31位、9月1日付では7位に達してトップ10入りを果たす。その後も長期にわたってチャート・インを続け、発売から約1年4カ月後の1974年10月5日付で、全英1位に達した。なお、この時は、オールドフィールド自身のセカンド・アルバム『ハージェスト・リッジ』(1974年)が、本作によって1位から蹴落とされている。

本作発表当時、BBCでDJを務めていたジョン・ピールは本作を高く評価して、自身の番組で本作のAB面両方を放送した。それがきっかけで、イギリスで本作の売り上げが急増したという。

アメリカでは、1974年3月30日付のBillboard 200で最高3位を記録し、第17回グラミー賞では最優秀インストゥルメンタル作曲賞を受賞した。オランダでは1975年3月8日付のアルバム・チャートで初登場20位となり、同年に最高2位を記録した。


派生作品
「パート1」の冒頭が、1973年12月公開のアメリカ映画『エクソシスト』のテーマ曲として使用され、ワーナーから“「エクソシスト」のテーマ チューブラー・ベルズ”としてシングル発売された。ただし、版権の問題で、オールドフィールドが演奏しているオリジナルバージョンではなく、別途、録音された別アレンジのものであり、オールドフィールドはその録音には一切の関わりを持っていない(演奏者・アーティスト名に当たる部分のクレジットはTHE MYSTIC SOUNDSとなっていた)。

日本ではワーナーパイオニア発売の同シングル盤とは別に、当初ヴァージンの日本での発売元であった日本コロムビアからも“エクソシストのテーマ”としてオリジナルバージョンから編集されたものがシングル発売された。これは後にワーナーからサントラLPが再発された際MYSTIC SOUNDS版から差し替えられたオリジナルバージョンからの編集版とも映画の中で実際に使用された編集テイクとも全く異なる編集が施されたもので、エクソシストのテーマとしては市場に最も早く出回ったといわれるリチャードヘイマン楽団演奏のアレンジに準じたような編集となっている。オールドフィールド自身は、『エクソシスト』のおかげで『チューブラー・ベルズ』がアメリカで大ヒットしたことには感謝しているが、自分の曲を編集されたことに対しては不快に思っていたという。

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ご視聴ありがとうございました






EW&F 2021年デビュー50周年


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EW&Fにとっては、2021年の今年もデビュー50周年


「セプテンバー」
「宇宙のファンタジー」
「ブギー・ワンダーランド」
「レッツ・グルーヴ」
などの数多くの名曲を生み出してきたアメリカの世界的なソウル/ファンク・グループ、アース・ウインド&ファイアーですが、日本で根強い人気ですね






全世界でのCD・レコード総売上は9000万枚以上で、これまでにグラミー賞を6回受賞し、2000年にロックの殿堂入りを果たしています
昨2020年には結成50周年を記念して、日本記念日協会により9月21日が<アース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」の日>として正式に認定されたのだそうです

この日付は、彼らの代表的なヒット曲 「セプテンバー」冒頭の有名な一節、「Do You Remember, the 21st night of September/Love was changing the minds of pretenders:9月21日の夜のことを覚えてるかい?/あの夜、僕らは本当の愛を知った」 という歌詞にちなんだものだそうです

知らなかった!!



久し振りにヒット曲を聴いていました



ご視聴ありがとうございました

ボストンの創始者トム・ショルツ 

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ボストン(Boston)の創始者トム・ショルツ(Tom Scholz)は、バンドのデビュー・アルバム『Boston(邦題:幻想飛行)』の発売45周年を記念して、Apple Musicの番組『Rock Classics Radio with Jenn』に出演。「Foreplay」がボストンにとって初めて完成した楽曲であることや、「More Than A Feeling」がロック史の中でどれほどインパクトのある曲なのかを気づくのに40年かかったことについて語っています。

■「Foreplay」はボストンにとって初めて完成した楽曲であることについて

「その通りだよ。これはインストゥルメンタルなので歌はないけど、1969年(※22歳頃。マサチューセッツ工科大学在学中)に書いたものだよ。

Wurlitzerのエレクトリック・ピアノで書いたんだ。Wurlitzerのエレクトリック・ピアノを知らない人のために説明すると、実際には中に奇妙な小さな振動するリードが入っていて、すべて電気的な機械だったんだ。だから、演奏するときには、本物のピアノのように鍵盤を激しく叩くことになる。電子キーボードではなかったんだ。

僕の家は住んでいたアパートの4階にあったんだけど、宿題が終わって少しでも時間が残っていると、エレクトリック・ピアノを夢中になって演奏していた。その中に、この“Foreplay”という曲があった。宿題が終わった後、夜遅くまでやっていた。夜中の12時くらいに、この曲を叩いていた。床はフローリングで、アパートの下の階に住んでいた3人の女の子の部屋の天井と直接つながっているとは知らなかった。あの子たちは僕を嫌っていたんだろう、誰も文句を言わなかった。僕が2年後にアパートを出るとき、彼女たちは“毎晩、あなたがピアノを弾いているのを聴いていたわ”と言った。彼女たちは最高だった。神に感謝します。(もしも文句を言われていたら)僕は立ち止まっていたかもしれないから。今でも、あのピアノは僕のお気に入りの曲のひとつ。そしてありがたいことに、一度も練習しなくても覚えているものの一つなんだ」

■ボストンの「More Than A Feeling」の衝撃に気づくのに40年もかかったことについて

「人々がこの曲に夢中になるとはあまり思っていなかった。僕は6年ほど前から、素材を作ったり、スタジオを作ったり、音楽機材を作るための機器を設計したり、必要な音を作ったりと、本当に苦しい作業をしていた。その間、僕はいつもみんなに拒絶されていた。ポジティブなサポートはほとんどなかった。

好きなドラマーがいて、一緒にジャムをしたり、アイデアを出し合ったりすることはあったけど、それ以外には誰もいなくて、誰からも励ましてもらえなかった。だから、“More Than a Feeling”の最初のレコーディングをしているときは、誰も気に入ってくれないだろうと思っていた。その時には、このプロジェクトを始めてから6年ほど経っていた。僕の目標は、地元のラジオ局で曲を数回流してもらい、地元でバンドを組んでギターを弾くことで、人々に曲を知ってもらいたいということだった。

その後、“More Than A Feeling”が入った最後のデモを送った。これが最後のデモだと思って送ったんだ。それが完成したら、機材を整理しようと思っていた。僕はもうすぐ30歳になろうとしていたけど、基本的にすべての時間とお金をこの仕事に費やしていた。だから、そろそろ他のことをするべきだと思ったんだ。だから、皆がここまで気にしてくれるとは思っていなかった。

この曲が随所で耳にすることに衝撃を受けたよ。つまり、ロックを聴かない人でも、この曲を知っているということだよね。気が付いたのはいつ頃からかと言われると、本当にそうなんだけど、40年くらい後かな」






amassより写真と全文を引用いたしました
ご視聴ありがとうございました



The Best of Santana

昨日サンタナの新曲をご紹介しましたが、私ももっと聴きたいので、サンタナのLIVEとベスト盤で堪能しましょう

Carlos Santana with John McLaughlin - Live in Switzerland 2016


BEST ALBUM


本当にカッコイイ人で、演奏する姿も"演奏が楽しくて仕方ない"っていう想いが表れています
ライヴがいいですね!
オシャレで素敵
カッコイイ!!


Wikipediaより引用します
サンタナ(Santana)
アメリカのラテン・ロック・バンド
ギタリストのカルロス・サンタナ(Carlos Santana)を中心にしたグループ

出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
ジャンル ラテン・ロック
ブルースロック
ラテン音楽
活動期間 1966年 -

メンバー
デビュー時
カルロス・サンタナ / ギター、ボーカル
グレッグ・ローリー / キーボード、リード・ボーカル
デイヴィッド・ブラウン / ベース
マイケル・シュリーヴ / ドラムス
ホセ・チェピート・アリアス / パーカッション
マイケル・カラベロ / パーカッション


カルロス・アウグスト・サンタナ・アルベス(Carlos Augusto Santana Alves, 1947年7月20日 - )
メキシコ出身のギタリスト
アメリカ在住
自身の名を冠したロック・バンド「サンタナ」を1960年代から率いている

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第15位、2011年の改訂版では第20位

出生名 Carlos Augusto Santana Alves
生誕 1947年7月20日(74歳)
出身地 メキシコ
ハリスコ州 アウトラン・デ・ナヴァロ

ジャンル
ブルース・ロック
チカーノ・ロック
ラテン・ロック
ジャズ・ロック
クロスオーバー

職業 ソングライター
担当楽器 ギター
活動期間 1966 –

ご視聴ありがとうございました

「We are the world」 メイキング映像

live aid dvd

live aid dvd3

私は当時、「We Are The World」を歌っているスティーヴ・ペリーの姿が観たくて、ただそれだけの為にこのDVDを買いました(^_^)
今こうしてメイキング映像が観られてとても嬉しいです

もう亡くなられた方も多いですから、胸が熱くなりますね

「We are the world 1985 and behind the scenes full dvd rip」


We are the world -メイキング映像日本語訳付- 1/5
https://www.youtube.com/watch?v=YYKzS08k1cE




85年1月末「ウィー・アー・ザ・ワールド」の収録裏話
JORDAN RUNTAGH |2019/02/02 13:00より全文を引用します

音楽界を代表するビッグスターが集結し、長丁場のレコーディングを敢行。その後3月7日にリリースされることになる、USA for Africaの代表作が完成した。この歴史的記念日を振り返る。「音楽の力が人々をひとつにした」

これまで、チャリティ・ソングの頂点に立つこの曲の仕掛人はクインシー・ジョーンズだと言われてきたが、実際はハリー・ベラフォンテの発案だった。バンド・エイドの「ドゥー・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に影響され、エチオピアの飢饉撲滅に向けたアメリカ版オールスターソングを作ろうと考えたベラフォンテは、エンターテインメント関係の経営者で、活動家仲間だったケン・クラーゲンにコンタクトし、彼のクライアントだったライオネル・リッチーやケニー・ロジャース、スティーヴィー・ワンダーに声をかけてもらった。だが、ひとたびクインシー・ジョーンズが分厚い名刺ファイルを携えて仲間に加わると、話は少しずつ大きくなっていった。ジョーンズはマイケル・ジャクソンを呼び寄せ、リッチーやワンダーと共同で作曲にあたらせた。コラボレーションの噂は音楽業界のトップクラスの面々に瞬く間に広まった。ワンダーがスケジュールの都合で抜けざるを得なくなり、残された2人はジャクソン一家が所有するエンシノの邸宅にこもって曲を仕上げた――もっとも、ジョーンズが望んだほど早くはなかったが。「(マイケルと)ライオネルはぶらぶらして、のんびりモータウンや昔の時代の話ばかりしていた」とプロデューサーは自著『The Complete Quincy Jones: My Journey & Passions(原題)』の中でこう振り返っている。「それで私は『なぁお二人さん、3週間後には46人のスターが集まるんだ、早いとこ曲を仕上げないと!』と言った。2人は最初のレコーディングが始まる前の晩になってもまだ、のちに『ウィー・アー・ザ・ワールド』となる曲の歌詞を書いている途中だった」

1985年1月28日、音楽界のビッグスターがハリウッドのA&Mスタジオに続々と入っていった。同じ日の夜、街の反対側で行われていたアメリカン・ミュージック・アウォードから直行した者も多かった。タキシード姿でのチャリティ・ソング収録は誤った印象を与えかねない、と考えたジョーンズは服を着替えさせ、関係者全員に、かの有名な友好的なおふれを出した。「エゴは入口に置いていってくれ」。午後9時ごろ、まずジャクソンが自分のパートを収録。10時30分には全員そろってレコーディングが行われていた。リッチー、ワンダー、ロジャース、ジャクソン以外にソロパートを務めたのは、ポール・サイモン、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、スティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ。20名の精鋭によるバックコーラスには、ベット・ミドラー、スモーキー・ロビンソン、ポインター・シスターズ、ラトーヤ・ジャクソン、ウェイロン・ジェニングス、そしてバンド・エイドの発起人ボブ・ゲルドフの姿があった。

これだけのセレブが集まってはみたものの、スタジオ内には曲に対する反対意見もあった。曲が少々わざとらしいと感じる者もいた。「あの場にいたほとんどの人間が、あの曲をあまり気に入っていなかったが、誰も口に出さなかった」2005年、ビリー・ジョエルはローリングストーン誌のインタビューで答えた。「シンディ・ローパーが近寄って、こう耳打ちした。『なんかペプシのコマーシャルソングみたいね』僕も反対はしなかったよ」プリンスはあえてプロジェクトへの参加を断った。その理由については諸説あるが、彼は最終的に、この曲と合わせてリリースされたフルアルバムに1曲提供し、代わりにヒューイ・ルイスがソロパートを担当した。

レコーディングは12時間弱にわたり、翌朝8時まで続いた。最後までスタジオに残っていたのはジョーンズとリッチーだけだった。その時彼らの手に託されたものが、やがて大記録を打ち立てる。1985年3月7日にリリースされるや、アメリカのポップソングとしては前代未聞のスピードセールスで、3日間で80万枚を出荷。最終的に全世界で2000万枚以上のセールスを記録し、80年代最大のベストセラーとなった。すでにご承知のとおり、アフリカおよびアメリカの人道支援に6300万ドル以上もの募金を集めた。ジョーンズにとっては今でも、これが輝かしいキャリアの中での最高の瞬間だという。「はるか遠くで過酷な状況に苦しむ人々を救うために、世界中から46人のビッグスターがひとつの部屋に集まった」2015年、USA Today紙とのインタビューで彼は当時をこう振り返った。「あの夜、あの経験を、そっくりそのまま再現することはできないだろう。私は音楽の力を理解しているし、音楽の力が人々をひとつにし、人類をより良い方向へ導いてくれると信じている。『ウィー・アー・ザ・ワールド』という作品ほど、このことを最も表しているものは他にないだろうね」






ご視聴ありがとうございました

Live Aid 1985

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Eric Clapton - Layla (Live Aid 1985)


このライヴエイドDVDを発売当時、通販で予約して購入しました
実はこのDVDが今とんでもなく高値になっていることを知りました
こんなに人気が出るなんて嬉しいです

ご視聴ありがとうございました