2020年、英国で最も流れた曲とアーティスト・トップ10

英国の著作権管理団体PPLが、2020年に英国のテレビ、ラジオ、公共の場で最もプレイされた曲とアーティストのランキングを発表した。


曲では、2月から4月にかけて非連続8週間全英チャートの1位に輝いたザ・ウィークエンドの「Blinding Lights」がトップだった。2位にデュア・リパの「Don’t Start Now」、3位にカイゴの「Higher Love」と続いた。両曲ともチャート上は最高2位だった。買わずとも頻繁に耳にしていたことになる。

アーティスト別では、2017年から連続トップだったエド・シーランを破り、デュア・リパが1位となった。彼女がこのランキングに登場するのは2度目で、2018年、8位につけた。女性アーティストがトップに輝くのは2014年のケイティ・ペリー以来だという。

デュアは「みんな、2020年の1年間、私の音楽を聴き、愛してくれて本当にありがとう。最もプレイされたアーティストになったなんて、ものすごく誇らしい」とコメントしている。

PPLが発表した2020年英国で最もプレイされた曲トップ10は──

1. ザ・ウィークエンド「Blinding Lights」
2. デュア・リパ「Don’t Start Now」
3. カイゴ&ホイットニー・ヒューストン「Higher Love」
4. トーンズ・アンド・アイ「Dance Monkey」
5. ハリー・スタイルズ「Adore You」
6. ルイス・キャパルディ「Before You Go」
7. デュア・リパ「Physical」
8. マルーン5「Memories」
9. ジャックス・ジョーンズ&エラ・ヘンダーソン「This Is Real」
10. レディー・ガガ&アリアナ・グランデ「Rain On Me」

アーティスト別のトップ10は以下のとおり。

1. デュア・リパ
2. エド・シーラン
3. アリアナ・グランデ
4. サム・スミス
5. カルヴィン・ハリス
6. リトル・ミックス
7. コールドプレイ
8. ジャスティン・ビーバー
9. マルーン5
10. ザ・ウィークエンド

Ako Suzuki
BARKSより引用いたしました


今日は1~3位の楽曲をご紹介いたします
1. ザ・ウィークエンド「Blinding Lights」
2. デュア・リパ「Don’t Start Now」
3. カイゴ&ホイットニー・ヒューストン「Higher Love」


The Weeknd - Blinding Lights (Official Video)



Dua Lipa - Don't Start Now (Official Music Video)



Kygo & Whitney Houston - Higher Love (Official Video)



ご視聴ありがとうございました

若くして世界的成功を収めたベイ・シティ・ローラーズ

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Curse of the Bay City Rollers
若くして世界的成功を収めた代償!?
ベイシティ・ローラーズ、その後の人生の”呪い”
Published on 5/7/2021
https://www.cubeny.com/topic_21rollers.htm#container
こちらより引用いたします
この記事は彼等の様々な問題について、詳しく語っています



2021年4月20日に報じられたのが、元ベイシティ・ローラーズのヴォーカリスト、レスリー・マッコーエン死去のニュース。 自宅で突然息を引き取った彼の死のニュースと共に報じられたのが、「ベイシティ・ローラーズの呪い」の報道。 そう言われて仕方がないほどに、災難やトラブルが多いことで知られていたのがベイシティ・ローラーズの元メンバーたち。
1970年代半ばにメンバーのほぼ全員がティーンエイジャーとして世界規模のサクセスを収めたベイシティ・ローラーズは 当時イギリスでは「ビートルズの再来」と言われた存在。 そのサクセスが世界に轟き始めたのは1975年のヒット曲「Bye Bye Baby」が6週連続でイギリスのヒットチャートのNo.1に輝き、 ティーンエイジャー達がローラーズのトレードマークであるタータン・チェックのスカーフやファッションを身につけて熱狂するようになってから。
そして大ヒット曲「サタデー・ナイト」がアメリカでもビルボードNo.1に輝いたベイシティ・ローラーズは、 以来1億枚以上のレコードを売上げ、1970年代を象徴するポップカルチャー現象の1つになっているのだった。

そのサクセスの最中でもメンバーの交代劇が起こり、ドラッグの問題やメンバーの不仲が常に取り沙汰されてきたベイシティ・ローラーズが解散したのは1981年のこと。 ですが人気が根強かった日本では1982年、1983年に元メンバーが集まったコンサート行われ、1985年には レスリー・マッコーエン、パット・マッグリンが中心となったリユニオン・アルバム「ブレークアウト」が日本とオーストラリアのみで発売。 しかしその後は活動がストップし、2015年にリユニオン・コンサートが行われたのがローラーズとしての最後の活動。
解散からの約40年間にベイシティ・ローラーズのメンバーが見舞われたのはドラッグ&アルコール中毒、病気、破産、逮捕等、様々な問題で、 若くしてサクセスを収めたセレブリティに”転落”は付き物とは言え、その様子は前述のように”呪い”とまで言われるもの。
以下ではベイシティ・ローラーズのメンバーのその後の人生のフォローアップをご紹介していきます。



■ レスリー・マッコーエン

ベイシティ・ローラーズのサクセスの立役者と言われるのがオリジナル・メンバーのヴォーカリスト、ノビー・クラークに代わって1975年に18歳でメンバーに加わったレスリー・マッコーエン。 彼がローラーズに在籍したのはその後の4年間で、最初の約2年間がベイシティ・ローラーズの黄金時代。 しかし1978年にメンバーから「自分達のことをバックバンドだと思っている」と言われたレスリーはローラーズを脱退。 その後ソロ活動をしていた彼であるものの、約20年に渡ってアルコール&とコカインの中毒状態。 2006年には0.5キロのコカイン流通に関与したとして刑事起訴され 裁判では無罪になったものの、法廷で認めたのがコカインを長く常用していたこと。
彼の人生の中で唯一安定していたのが1978年に出会って直ぐに結婚した妻のペコ・ケイコ。 レスリーは30年に渡ってゲイであることを隠し、 少なくとも12人の男性パートナー、多数の女性浮気相手が居たものの、彼を見捨てることなく寄り添ってきたのがケイコ夫人。 そのケイコ夫人にとっても、レスリーがゲイであることを乗り越えるのはかなりの苦痛であったと言われますが、ドラッグ中毒のレスリーをリハビリに送り出したのは彼女で、 彼女無しには2015年のローラーズ・リユニオン・コンサートは実現しなかったとレスリーはコメントしています。



■ アラン・ロングミュア

アラン・ロングミュアは1964年にベイシティ・ローラーズの前身を設立したメンバー。 当時はサクソンズという名前で、彼の弟のデレク、従兄、クラスメート2人というメンバーであったものの、デレク以外が全員入れ替わった状態が サクセスを収めたローラーズ。1976年にローラーズがサクセスの頂点にある段階で、10歳年下のイアン・ミッチェルと入れ替わりに脱退した彼は、1977年に ソロ・デビュー、1978年にはイアンの後釜のパット・マッグリン脱退の後を埋めるために再びバンドにカムバック。1981年にバンドが解散した段階の彼には 6台の車、邸宅、農場など、かなりの資産があったものの、僅か2~3年で破産状態になり、バンドが成功する前の職業、配管工に戻らざるをえなかったとのこと。
やがて定年を迎え年金を受け取っていたアランですが、2015年のベイシティ・ローラーズのリユニオン・ツアーにレスリー、ウッディと共に参加。 その後アルバムをレコーディングして、日本ツアーを行う計画があったものの、バンドは2016年に再び解散。 原因は彼とウッディがレスリーと対立したため。そのアランは2018年にメキシコで感染した謎のウィルスが原因で死去しています。



■ スチュワート・ウッディ・ウッド

15歳でオリジナル・メンバーとしてベイシティ・ローラーズに加わったスチュワート・ウッドは、ウッディのニックネームで呼ばれ、現在64歳。 ギターの弾き方も知らない状態からスタートして、ベースとキーボードを担当。 バンド解散後は小規模なライブハウス等で パフォーマンスを続け、一時はLAに3年、サウスアフリカに5年間移住。2003年にはパートナーと共に小規模なレコード・ラベルを設立しています。 彼は今もエジンバラに妻と共に暮らしており、レスリー・マッコーエンの悲報について、「彼とは何年も意見の違いや対立があったが、本当に残念だ。 ベイシティ・ローラーズの歴史にとって悲しいことだ」とコメントしています。



■ デレク・ロングミュア

現在69歳のデレク・ロングミュアはアラン・ロングミュアの弟で、ティーンエイジャーでローラーズのオリジナル・メンバーとなり、ドラムを担当。 81年にローラーズ解散した後は 音楽業界をリタイア。 エジンバラの小児病院でボランティアをしたことがきっかけで、 1990年からナースになるためのトレーニングを始めたデレクは、1993年に資格を取得。しかし1998年に警察に寄せられた匿名の通報がきっかけで、 チャイルド・ポルノグラフィー所有の容疑で捜索を受けた彼の自宅から 153本のビデオ、73枚のフロッピーに収められた1000以上の チャイルド・ポルノ写真が押収され、本人はそれを自宅に滞在したアメリカ人の友人のものと主張。
しかしメディアのさらし者になるのを避ける理由で 罪を認めた彼は2000年に300時間のコニュニティ・サービスの判決を受け、 小児科病院からは解雇処分を受けています。 2001年には再びナースとして働くことを許され、以来目立たない生活を続けてきたデレクが 最後にインタビューを受けたのは2005年のこと。「ベイシティ・ローラーズの成功と名声はトラウマになっているか?」と尋ねられた彼は、 「トラウマになっているのは成功や名声ではなく、音楽ビジネスが如何に冷酷であったかだ」と語っています。



■ エリック・フォークナー

現在67歳のエリック・フォークナーはローラーズの中にあって、比較的まともな人生を送っている存在。 「Money Honey」 、 「Love Me Like I Love You」といったヒット曲の作曲を手掛けていた彼は スチュワート・ウッド同様に バンド解散後もずっと音楽業界で活動を続けた存在。 ソロになってもツアーをしていますが、2015年のローラーズ・リユニオンの際は、レスリー・マッコーエンとの不仲が原因で不参加。 その2015年に エリックは ウイルス性脳炎で死にかけており、回復はしたものの 脳炎後症候群が持病として残り、 同じ症状で苦しむ人々のために募金集めをスタートしています。
一時は音楽を続けるのは不可能と思われたものの、2017年にはレコーディング・スタジオに戻り、2018年にはミュージック・フェスティバルに出演。 しかし現在は長年彼をフォローしていたジャーナリストでさえ 何処で何をしているかを 把握していないとのことです。



■ イアン・ミッチェル

アラン・ロングミュア脱退と入れ替わりに加入したイアン・ミッチェルは僅か7ヵ月のみローラーズに在籍。ファンの間での人気は高く、バンドに音楽的には貢献したものの、 本人は脱退の理由を 「ガスオーブンの中に頭を突っ込みたくなる前に辞めた」と説明しています。 その後ローラーズと同じマネージャーの下で ロゼッタ・ストーンというバンドをスタート。 日本とタイでのツアーを成功させるものの、欧米ではサッパリで、 程なくロゼッタストーンは解散。再び自らバンドを結成するものの それも振るわず、やがてアメリカに移住。 その後ベイシティ・ローラーズのリユニオンには参加したものの、 コンピューター・プログラマーを営みながら、モチベーショナル・スピーカーを時折務めるという地道な生活を送り、2020年9月に特にメディアの注目を集めることもなく 62歳で死去。
2001年の「フレンズ」のエピソードでは、コートニー・コックス演じるモニカのベイシティ・ローラーズについての台詞で 彼の名前が出ており、本人は2016年の英国メディアとのインタビューで 「そのシーンを観た時は、驚いて椅子から転げ落ちた」と語っていました。



■ パット・マッグリン
イアン・ミッチェルがローラーズを脱退した1976年後半にギタリストとして加入したのがパット・マッグリン。日本で大人気を博した彼は1977年にはローラーズを辞めて、1978年には マット・マッグリンズ・スコッティ―ズというバンドで、日本とドイツでツアーを行っています。そのパット・マッグリンは来日の際、 中野サンプラザでコンサートを行いましたが、楽屋から出て来る彼を近くで観ようと考えたファンが こぞって会場を出て楽屋出口に向かったことから、アンコール・パフォーマンスのために彼がステージに戻った時には会場がガラガラだったというエピソードが残っています。
2003年にパットは「マネージャーが1977年にホテルの部屋で自分をレイプしようとした」と告発しましたが、証拠不十分のためマネージャーは刑事訴追されずに終わっています。 2005年にはパットは元ローラーズの仲間、レスリー・マッコーエンと共にドラッグ使用の容疑で逮捕されましたが、こちらも不起訴処分に終わっています。 現在63歳の彼が近年メディアを賑わせたのは、2018年に実の兄に対する暴力で逮捕された時。この兄との問題は複数回警察沙汰になっています。



■ 6人目のローラーズと言われたマネージャー、タム・ペイトン

ベイシティ・ローラーズを生み出し、破滅させと言われるのが ”6人目のローラーズ” と言われたマネージャーのタム・ペイトン。 2009年に70歳で死去した彼は、ベイシティ・ローラーズのメンバーをドラッグでコントロールしていたと言われ、 レスリー・マッコーエン自身も、「ペイトンによってドラッグを覚えさせられた」と証言しているほど。 アイドルに肥満は大敵と考えた彼は アンフェタミンでローラーズのメンバーにダイエットをさせ、 メンバーが疲労やストレスを訴える度に エクスタシー、スピード、コカイン等を与えてきたとのこと。
前述のように2003年にパット・マッグリンにレイプ未遂で告発されたペイトンですが、レスリー・マッコーエンもローラーズのツアー中、 彼がドラッグでハイになっていた時にペイトンがアレンジした男性との関係を強要されたと証言。 そのペイトンは1982年に未成年の少年に対する性的虐待で1年の服役刑を受けており、 翌年にはマリファナを供給していた罪を認めて、20万ポンドの罰金を支払っています。 彼は深刻な健康問題を抱えており、心臓発作で死去する以前にも 2回の発作と1回の脳卒中に見舞われていたとのことです。

Nazareth-Razamanaz

ナザレスの「Razamanaz:ラザマナズ 」で、アルバムは同主題73年『Razamanaz』ですね。

これもブリティッシュロック、正確にはスコットランドロックですが。

75年のヒット曲カバー「ラヴ・ハーツ」がFENでよくかかっていました。その曲からアルバム『Hair of the Dog:人食い犬』の人気ありで、後追いでロジャー・グローヴァーがパープルしながらプロデュースした73年『Razamanaz:ラザマナズ』と知るわけですが。

パープルの前座も経験してますが、ブリティッシュロックでもハードロックンロール風のノリ。


 


Razamanaz


 


このアルバム『Razamanaz』では、ロックンロール・ハード・ブギと三すくみの融合、アクも強い。

ノリだけなら、同時期のステイタス・クォーの上手かもですが、ボーカルのダン・マッカファーティーのハイトーン・ダミ声に、オリジナルがありかも。久しぶりに聴くとモロ70年代だけのロックともいえる(笑)

ガンズのアクセル・ローズ(クイーンといい、UKRockファン)のお気に入りバンドのようですが、なんか判るようなマッカファーティーの歌い方。

ナザレスは、カバーも得意のようで、『Razamanaz』でもレオンラッセル、ウディ・ガスリーを演っている。アメリカンロック、トラディショナル指向で、そもそもザ・バンド
(カナダだけど)の「ザ・ウェイト」の聖書引用のナザレからのバンド名なんですね。これ覚えてもいなかった。

2013年ダン・マッカファーティー引退で、メンバーも変えて、今も現役なんですね。

と云うことでおまけは同アルバムのヒット曲で

Nazareth - Bad Bad Boy


























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リンキン・パーク、スポティファイでの“In The End”の再生回数が10億回を突破

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おめでとう!リンキン・パーク!!
リンキンのこの曲も大好き!!
私は、「Numb」より好きなんです

これからもずっと応援しているよ
期待しているよ、リンキン・パークのみんな

「In The End」


NME JAPANより引用します

リンキン・パークは2001年発表の“In The End”がニューメタルの曲としては初めてスポティファイでの再生回数が10億回を突破している。

『チャートデータ』は『ハイブリッド・セオリー』からのシングルである“In The End”のスポティファイでの再生回数が10億回を突破したことを指摘しており、同曲は昨年夏にYouTubeでも再生回数が10億回を突破していた。

リンキン・パークの楽曲としては2003年発表のセカンド・アルバム『メテオラ』からのシングル“Numb”が2018年にYouTubeでの再生回数が10億回を突破している。

今年2月、エミネムの“Lose Yourself”もスポティファイでの再生回数が10億回を突破したことが明らかになっている。

先日、リンキン・パークはサード・アルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』の制作を追った2007年のドキュメンタリー『ザ・メイキング・オブ・ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』がYouTubeで公開されている。

『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』のボーナスDVDとして2007年5月にリリースされたこのドキュメンタリーはスタジオでアルバムを制作するバンドの姿を広範囲に追ったものとなっている。

リンキン・パークはダウンロード・フェスティバルによるテレビ番組『リローデッド』で過去のライヴ映像が放送されることも決定している。



Linkin Park - Minutes to Midnight (Live Performances)


…ということで、DVD映像もご紹介いたしました
このパフォーマンスも素敵でしたね~
chester、若いしカッコイイですね

The Making of Minutes to Midnight (Minutes to Midnight DVD) - Linkin Park




ご視聴ありがとうございました


ベイ・シティ・ローラーズ 新曲リリース

あのベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)が、新曲のリリースを発表しています

曲名やリリース日は未発表ですが、「新しいベイ・シティ・ローラー・ミュージックがやって来る!」というコメントが添えられたティーザー映像が公開されました





Stone Temple Pilots-Big Empty

ストーン・テンプル・パイロッツの「Big Empty」で、小生が聴いたのはオリジナル・アルバムでなく、94年『The Crow:クロウ/飛翔伝説』サントラからでした。

90年代になると30歳代、ロックへの情熱は皆無、それでもロックは革新と反骨にありと今も(笑)オンタイムでニルヴァーナ、レイジ:Rage Against the Machineは、流石に気がつきましたが。

新しいロック・バンドに疎かった。それでも仕事がら映画から、サントラで知るバンド・曲が多かったのです。

94年映画『The Crow:クロウ/飛翔伝説』に、俄然注目しました。主演ブランドン・リーが公開時には、亡くなっていて話題に。

それは70年代に同様な経験・父ブルース・リーの73年日本公開『燃えよドラゴン』で、大ファンになった時、ブルース・リーは亡くなっていた。それでもドラゴンシリーズは、たぶん同世代、中坊はみんな観た。これも映画への憧れの原典。

94年『The Crow:クロウ/飛翔伝説』で、その悲劇を知った時は、驚きよりは、なんという血筋、運命と。息子ブランドン・リーの場合は撮影時の事故、『The Crow:クロウ/飛翔伝説』が遺作。


 


クロウ ~飛翔伝説~ <OST1000>


 


サントラは流行りのバンドと小生のしっているバンドが少々、キュア、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ、パンテラ、ロリンズ・バンドetcで、未だにオルタナティブロックでな~に???と思っているモノには、それらしく聴けるサントラ。

映画がダークサイド、アメコミが原作のようで、この頃から、ノー天気なアメリカ文化とは言えないと…薄々気づいた頃で、ニルヴァーナ、レイジしかりで、ここらへんからUKRockよりは時勢の表すアメリカンロックの方が、ロックらしいと思うように。因みに大好きキュアはUKですが。

この映画音楽担当は元SPKのグレーム・レベルですが、楽曲だけのサントラは、当時のバンドの旬が聴け、全体トーンは暗め、そして映画とシンクロする正にサントラ。
ロック版エンニオ・モリコーネとも言える絶妙な映画的楽曲となっていると思うのです。

と云うことでおまけはUKファンの意地で、初期から聴いていましたが、いつの間にかダークよりな評価になっていたキュアで

The Cure - Burn




























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ジョー・ウォルシュ、インド古典音楽界の巨匠とのコラボ

イーグルス(Eagles)のジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)が新EP『प्रार्थना : Prayers』をデジタル/ストリーミングでリリースしています

インド古典音楽界の伝説的存在であるアムジャッド・アリ・カーン(Amjad Ali Khan)と、その息子であるアマーン・アリ・バンガッシュ(Ayaan Ali Bangash)とのコラボレーション作品で計3曲を収録しています

第一線で働く人々を支援し、平和、愛、希望のメッセージを伝えるための贈り物として作られました





ご視聴ありがとうございました



SHAKATAK 2019

近年のシャカタクの活動を調べてみました
2019年にもアルバムがリリースされています
メンバーはデビュー当時と変わっていますが、まだ元気に活動を続けているようですね

Shakatak 『In The Blue Zone』
2019.年リリースのアルバムより2曲ご紹介いたします(*^^*)

To Be Loved


Dance In Your Eyes


アルバム収録曲
01. トゥ・ビー・ラヴド
TO BE LOVED

02. メイキング・マイ・ドリームス・カム・トゥルー
MAKING MY DREAMS COME TRUE

03. バック・トゥ・ザ・ハート・オブ・イット
BACK TO THE HEART OF IT

04. レディ・トゥ・テイク・ア・チャンス
READY TO TAKE A CHANCE

05. ハイ・タウン
HIGH TOWN

06. ザ・ブルー・ゾーン
THE BLUE ZONE

07. ソウル・パラダイス
SOUL PARADISE

08. ラヴ・ライト
LOVE LIGHT

09. ホワイル・ザ・シティ・スリープス
WHILE THE CITY SLEEPS

10. キョウト・ドリーミング
KYOTO DREAMING

11. フォーエヴァー・リオ
FOREVER RIO

12. ブリーズ
BREATHE

13. ダンス・イン・ユア・アイズ
DANCE IN YOUR EYES

14. スリンキー
SLINKY



■ PROFILE
ビクターエンタテインメントより引用しています
https://www.jvcmusic.co.jp › Profile

1980年イギリスで結成。
1981年『DRIVIN HARD』でアルバム・デビュー。
1982年シングル「NIGHT BIRDS」が英トップ10入りを果たす。同名のアルバムが、アルバム・チャート4位を記録し、約6ヶ月間もチャートインするというビッグ・ヒットとなる。これがヨーロッパ各国、日本、南米などを巻き込む世界的ヒットとなり、不動の地位を築く。

日本での人気は一際高く、1987~1989年は3年連続で東京国際音楽賞を受賞、数々の日本企画アルバムもリリースしている。
1997年からは日本でのレーベルをビクターに移籍、8枚のオリジナル・アルバムをコンスタントに発売、ベスト盤、企画盤も多数リリースしている。

ご視聴ありがとうございました

高中正義 虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS

高中正義『虹伝説』のスタジオアルバムが聴きたかったので、ご紹介いたします

The Rainbow Goblins (1981) & The White Goblin (1997)


Rainbow Goblins: 0:00

00:00 - 03:15 01 Prologue
03:15 - 08:25 02 Once Upon A Song
08:25 - 11:36 03 Seven Goblins
11:36 - 15:55 04 The Sunset Valley
15:55 - 21:32 05 The Moon Rose
21:32 - 27:58 06 Soon
27:58 - 28:31 07 Magical Night Light
28:31 - 34:52 08 Rainbow Paradise
34:52 - 38:03 09 Thunderstorm
38:03 - 42:52 10 Rising Arch
42:52 - 46:33 11 Just Chuckle
46:33 - 52:28 12 Rainbow Was Reborn
52:28 - 1:00:00 13 Plumed Bird
1:00:00 - 1:08:03 14 You Can Never Come To This Place

Arranged By [Strings] – Katz Hoshi
Bass – Akihiro Tanaka
Drums – Masahiro Miyazaki, Shigeru Inoue, Shuichi Murakami
Keyboards – Kiyosumi Ishikawa, Izumi Kobayashi*
Mixed By – Susumu Ohno, Ken Takagi*
Mixed By [Assistant] – M. Taira, S. Yamazaki*, T. Shimizu*
Narrator – Roy Garner
Percussion [Latin] – Makoto Kimura, Susumu Yamazaki, Yuki Sugawara
Producer [Executive] – Hidenori Taga
Producer, Composed By, Arranged By, Guitar – Masayoshi Takanaka
Saxophone – Koji Satsuma

White Goblin: 1:08:03​

1 1:08:03​ Heaven And Earth
2 1:13:42 Who?
3 1:18:09 Away
4 1:23:41 Goblin's Theme
5 1:29:07 Cave City
6 1:33:59 March For Colors
7 1:37:33 Monochrome
8 1:42:42 Smoke
9 1:47:30 Died Out
10 1:52:50 Gray
11 1:57:07 Into The Sky
12 2:02:53 Morning Of Creation ~ You Can Never Come To This Place


50周年LIVE行きたいな~
一度くらい聴きたいなって思うけど
でも、行けそうにないです


『アメリカン・ユートピア』絶賛!!

お気に入りブログ Hobo Jungle  昭和のかおり ♪♪♪ Jasmomさんの記事で2019年に知った。デヴィッド・バーンのブロードウェイミュージカル『アメリカン・ユートピア』が、スパイク・リー監督で映画『アメリカン・ユートピア』になって、東京でも観れるようになり、本日朝8:30回に鑑賞。

素晴らしい。NYで生で観たかった。一生モンだわ!! Jasmomさん 羨ましい。

でもでも、映画で堪能してきました。スパイク・リー監督ならではマルチカメラ、カット・編集で、映画ならではの演出。



小生、ニュー・ウェイヴ世代と思いますが、70年代ハードロック好きから、すんなりとNWに移行できたのは、新しいモノ好きと当時ロックとは革新の音楽との思い込み(笑)あり、とくかく聴いた事ない音・曲風、音色に興味に、時勢のロックが合った。

UKばかりでなく、NY音楽にも先進の音があり、それがクラブCBGBから、デヴィッド・バーンのトーキングヘッズ、ラモーンズ、テレヴィジョン、B52s、ブロンディ、パティ・スミス、ディクテイターズ、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレーカーズ、デッド・ボーイズetcが出て、興味を持ち、NY行った友から話を聴いたり、悶々として憧れが90年・93年にNY訪問に繋がりました。

が、トーキングヘッズは正直、興味あるけどまして初期はブライアン・イーノ師匠をプロデューサーに迎え入れ、聴きましたがけっこう苦手、小生には不協和音的なファニーなPOPと、ここらへんはB52sの方がダンサンブルで好きだった。

で要約、本日の映画『アメリカン・ユートピア』を観て、苦手との偏見が解凍、デヴィッド・バーンの人となり、そして人として当然と思う全うな主張、これが効果グンバツだった字幕スーパーの詞がやっと理解……と言うより、腑に落ちた。

90年NYのレコード屋店主と仲良くなり、トーキングヘッズは「レコードでなくライブだよ」を思い出し、ライブ・パフォーマーとしてデヴィッド・バーン、才ありアーティスト、感銘でした。

と云うことでおまけは劇中歌の元で2002年デヴィッド・バーンをフィートしたX-Press 2で

X-Press 2 Ft. David Byrne - Lazy































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