2020年08月一覧

Girlschool – C’mon Lets Go

ガールスクールの「C'mon Lets Go」で、アルバムは81年『Hit and Run』ですね。

ブリティッシュロックでも、女性バンドはいたわけで、それもハードロックで、70年代終わりにアイアンメイデンや、ちと毛色は違いますがモーターヘッドが出る頃NWOBHM:ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルの流れですね。

当時、再三このブログで書いていますが、小生はNWOBHMなんて言葉は言わないし、新しいUKハードロックバンドの登場だと思っていた。

レインボーは新バンドでなく、モーターヘッドはホークウインドから派生したバンド。

純新しいのはアイアンメイデン、サクソンあたりでしたが【新しいハードロック】は、アメリカのヴァン・ヘイレンが強力で、ロック友のハードロック好きには、ヴァン・ヘイレンと次席アイアンメイデンが人気あったと覚えています。

 


Hit & Run


 



で、ガールスクールはモーターヘッドのパートナーバンドのぐらいの認識。

70年代後期高校生、この手のバンドは米のランナウェイズで認知できて、女性バンドが珍しいとはうつらなかった。ランナウェイズ解散後のジョーン・ジェットやリタ・フォードは気になる存在だったし、二人とも売れてよかった(笑)

ガールスクールだけのアルバムを知ったのは、80年代になってからで…

本道ニューウェイヴはソリッドなポリス、U2登場、テクノPOP、ダンスミュージック、パンク、レゲエ、にアンビエントありの音色・曲風は多種多様。

今で言うNWOBHMと言われても、グンバツに新しい音なんて、思わなかったです。ほんとに!

音の方はパンクとハードロックの折衷で、キャッチなイントロも上手いと思いますが、けしてヘビィロックとまでは行かないと。60年代末・70年代の名曲をカバーしてるし、ヘビィメタルとは言いにくい(笑)

ガールスクールはメンバー入れ替え、バンド名変え、解散。復活して長きわたり活躍で今も現役、21世紀になっても新譜を出すバンドなんですね。

今回、ガールスクール名はポールマッカートニーのウイングスの77年の曲から取っているのですね。知らなかった。

と云うことでおまけはWで、1曲目はモーターヘッドの伴奏パートナーバンドと勘違いした曲で

Headgirl-Please Don't Touch



2曲目はバンド名の元ネタのウイングスの曲で、けっこうキワドイたぶらかしの詞なんですね。これも知らんかった(笑)

Wings - Girls School

























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スラッシュ 「Come Together」

このカバー曲は、凄くカッコイイですね!(^^)!


参加したアーティストは・・・

スラッシュ(Slash)
ギルビー・クラーク(Gilby Clarke)
マット・ソーラム(Matt Sorum)
リジー・ヘイル(Lzzy Hale)
マイク・ガーソン(Mike Garson)
リンダ・ペリー(Linda Perry)
ロブ・“ブラスコ”・ニコルソン

ヴァーチャル・チャリティー・フェスティバル<(De)Tour>にて、ビートルズ(The Beatles)のカヴァー「Come Together」のヴァーチャル・セッションを披露しています







ReN 「Hot and Cold 」

日本のシンガーソングライター、Renの楽曲をご紹介します


長渕 蓮(ながぶち れん)
誕生 1994年2月28日

日本のシンガーソングライターで元レーシングカードライバー
東京都世田谷区出身

父親はシンガーソングライターの長渕剛
母親は元女優の志穂美悦子の間
姉は女優の長渕文音

現在は、ReNという名前で音楽活動をしています





3wayハンドウォーマー

こんにちは(^_^)

最近の私は編み物に熱中していまして、今日3wayハンドウォーマーが完成しました!(^^)!

セリアの1玉100円の毛糸とかぎ針を使用しています

毛糸




こちらは、20代の娘にプレゼントする為に編みました
アクリルにウール混の毛糸2玉(並太)を使用しています

3wayハンドウォ―マー 舞


こちらは、80代の母に贈るものです
羊毛100%の毛糸2玉(合太)を使用しました

コロナウイルス対策の為今年は母には会えないので、手作りの物をプレゼントしたいと思い編んでみました(^_^)

3wayハンドウォ―マー 母


初心者の私にもとても簡単に編めました
楽しいですね~(^^)

編み方は、こちらです

【かぎ針編み】 3wayハンドウォーマーの編み方(How To Crochet Hand Warmer)



ご視聴ありがとうございました

Mike Shinoda (Fort Minor) 「Kenji」

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今日は、日系移民迫害の事実を語った楽曲、「Kenji」をご紹介いたします



マイケル・ケンジ・シノダ(篠田賢治)はカリフォルニア州ロサンゼルスの郊外にあるアゴーラヒルズで日系アメリカ人の父と白人の母親の元に生まれ育ちました

3歳の時、ピアノを習い始めたのが音楽との出会いです

高校、大学時代は、友達とともにXeroという名のバンドを組んでいましたが、同じ名前のバンドが既に存在していたため、バンド名をHybrid Theoryと変更し、最終的にLinkin Parkの名前に落ち着きました

2000年には最初のアルバムをリリース

以来、Linkin Parkの活躍は目覚しく、2002年には「Crawling」でグラミー賞最優秀ハードロックパフォーマンスを受賞、2006年にはJay-Zとのコラボレーション「Numb/Encore」でもグラミー賞(最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション賞)を受賞しました

2005年、シノダはFort Minorのプロジェクトをたちあげ、初のソロアルバム『The Rising Tied』をリリースしました
これは自ら作曲・プロデュースしたヒップホップのアルバムです
このデビューアルバムの中にある「Kenji」は全米日系人博物館を訪れたのをきっかけに作った曲で、第2次大戦中に収容所経験のある親戚から話を聞き、父親と叔母のインタビューの一部を歌に組み入れています

また、カリフォルニア州パサデナにあるArt Center College of Designで学んだ彼は、音楽のキャリアのほかに、視覚芸術の分野でも活躍していますし、Linkin Parkの出版物やウェブサイトのデザインなども手がけており、Linkin ParkやFort Minorのアルバムカバーのデザインも彼の作によるものです

彼は、多くのプロジェクトを手がけているにもかかわらず、慈善事業にも多数参加しています
母校のArt Center College of Designで奨学金を立ち上げ、さらにはユナイテッド・ウェイ、Denshō 、Make-A-Wish Foundation、全米日系人博物館のような団体もサポートしています
2005年に行われたロサンゼルスでの二世ウィーク祭のパレードにも参加し、2006年には彼のアメリカ文化へのクリエイティブな貢献に対し、全米日系人博物館から賞を受賞しています



【アーティストとしての役割】
「アーティストとしての私の役割は、常に変化していますね。というのも、私がひとつのところに留まるタイプではなく、同じ事を何度も繰り返すことに満足できないからです。常に新しい世界で、新しいものに挑戦したいんです。創造活動をする人の多くは、常に純粋な創造的アイディアというのを追い続けていると思うんです。「100%オリジナルで、100%自分のものをついに創り上げた!」と言えるようにね。それを実現できるよう、日々努力しているんです。その一方、芸術的な不満足感という感覚がつきまとうんです。自分に厳しく、完璧主義なので、自分達のしていることを吟味し、もう少し上手くできないだろうかと常に考えてますから」

「基本的に、私は歌やアートを楽しんで創っています。時には、ばかげたことをやってみたいとか、人を喜ばせたり、楽しませたり…楽しい時間を過ごすためにね。しかし時には、他の人々に自分自身や世界を考えてもらうえるよう、そのきっかけとなるものを創りたいと思うときもあります。アートというのはそういうものではないでしょうか。(自分の作品を通して)自分の感情を表現したい、すなわち感情吐露のようなもので、その一方、他の人達にも何か感じてもらい、感情的に何かを示してもらいたいんです。私の考えられる限りの言葉で自分の感情を表現することで、「そう感じるのはあなただけじゃない!」と共感してもらい、共有できる何かを感じたいのです」


【一般人の良きモデルとして】
「Linkin Parkとしては、現在ここまでこられたことをとても幸運に思いますし、今やっていることで食べていけること自体、恵まれていると感じています。ある時点で、2、3年前だったと思いますが、私たちもやっと一人前になった、つまり他の人からもちゃんとした目で見られるようになった、と感じました。良きモデルと言われたり・・・呼び方自体はどうでもかまいませんが・・・そう言われるようになってもう少し意味のあることに目を向けるべきでないか、と考えるようになったんです。自分の事しか考えないやりたい放題のロック・スターでは、全く意味がないですから。社会にでてみんなに模範を示していかなくてはと考えたのです」

「私とメンバーは慈善事業に参加するようになったんです。アルバムFort Minorのヘッドラインツアーでは、メンバーのひとりひとりが、6回行ったライブの1回分の報酬を、それぞれが自分達の好きなように慈善事業に使いました。各メンバーは同額の報酬を得るのですが、それをユナイテッド・ウェイや赤十字、あるいはDenshoや全米日系人博物館のような団体など、様々なところに寄付をしました。私は、(母校の)Art Center College of Designで奨学金を立ち上げ、他のメンバーはUCLAなどで奨学金を立ち上げました」



この文章は2006年10月のインタビュー、Discover Nikkeiより引用しています


私は、マイクのアーティストとしての生き方や考え方に強く惹かれます

もちろん一人の人間としても大好きです

これからも創造者としての活躍を期待しています



ご視聴ありがとうございました(^^)/

Love And Rockets – No New Tale To Tell

ラヴ・アンド・ロケッツの「No New Tale To Tell」で、アルバムは87年・3rd『Earth, Sun, Moon』ですね。

これもニュー・ウェイヴ、還暦なんで、通称ラブロケとは言わず。20代の時と同様にラヴ・アンド・ロケッと言う(笑)

初期2作の無機質的なアルバムジャケデザインの頃から、クラブでも曲がかかり、日本でも、それなりに人気はあったと覚えています。どちらからと言うと初期作の方が聴いていたかも。

ラヴ・アンド・ロケッツは、アバンギャルドで人気もあった短命バンド・バウハウスのピーター・マーフィー抜きの新生スリーピースバンドでしたが、ピーター・マーフィーのデヴィッド・ボウイへのリスペクト風パクリで、二番煎じな感じもありでしたが。

 


Earth, Sun, Moon


 



それから袂分かちのラヴ・アンド・ロケッツは、音的に面白いPOPな感じに、ダンスミュージックとも上手い割合い、かなりのPOP指向でしたが。

アメリカで受け始めが『Earth, Sun, Moon』で、その次作バンド名アルバム・89年『Love And Rockets』で、ヒットでしたね。

今聴くと憂いありですが、出始めがバウハウスですので、陰りダークサイド風ニュー・ウェイヴからですので、このバンドはPOPなバンドと感じたと思います。

『Earth, Sun, Moon』のアルバムジャケ、モノトーンでメンバーも登場でした。

相変わらず、ニュー・ウェイヴがオンタイムの小生には、ネット記事で見かける後日談的に、ゴシック、ネオ・サイケ風とのジャンルワケされてのラヴ・アンド・ロケッツの紹介には、違和感ありあり(笑)当時そんな言葉は使ってねえし!ですが。

ラヴ・アンド・ロケッツは80年後半から90年代にかけて、アコギ含め、ダンスミュージックと上手く曲風が広げで、基本静かロックと思います。

今で言うポストパンク、ネオサイケでは、かなりPOPよりなロック。打ち込み・シーケンサーテクノの影響下では、そのように聴こえたと思うのですが。

と云うことでおまけも同アルバムからダンスミュージックで

Love and Rockets - Mirror People



























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