ボストンの創始者トム・ショルツ 

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ボストン(Boston)の創始者トム・ショルツ(Tom Scholz)は、バンドのデビュー・アルバム『Boston(邦題:幻想飛行)』の発売45周年を記念して、Apple Musicの番組『Rock Classics Radio with Jenn』に出演。「Foreplay」がボストンにとって初めて完成した楽曲であることや、「More Than A Feeling」がロック史の中でどれほどインパクトのある曲なのかを気づくのに40年かかったことについて語っています。

■「Foreplay」はボストンにとって初めて完成した楽曲であることについて

「その通りだよ。これはインストゥルメンタルなので歌はないけど、1969年(※22歳頃。マサチューセッツ工科大学在学中)に書いたものだよ。

Wurlitzerのエレクトリック・ピアノで書いたんだ。Wurlitzerのエレクトリック・ピアノを知らない人のために説明すると、実際には中に奇妙な小さな振動するリードが入っていて、すべて電気的な機械だったんだ。だから、演奏するときには、本物のピアノのように鍵盤を激しく叩くことになる。電子キーボードではなかったんだ。

僕の家は住んでいたアパートの4階にあったんだけど、宿題が終わって少しでも時間が残っていると、エレクトリック・ピアノを夢中になって演奏していた。その中に、この“Foreplay”という曲があった。宿題が終わった後、夜遅くまでやっていた。夜中の12時くらいに、この曲を叩いていた。床はフローリングで、アパートの下の階に住んでいた3人の女の子の部屋の天井と直接つながっているとは知らなかった。あの子たちは僕を嫌っていたんだろう、誰も文句を言わなかった。僕が2年後にアパートを出るとき、彼女たちは“毎晩、あなたがピアノを弾いているのを聴いていたわ”と言った。彼女たちは最高だった。神に感謝します。(もしも文句を言われていたら)僕は立ち止まっていたかもしれないから。今でも、あのピアノは僕のお気に入りの曲のひとつ。そしてありがたいことに、一度も練習しなくても覚えているものの一つなんだ」

■ボストンの「More Than A Feeling」の衝撃に気づくのに40年もかかったことについて

「人々がこの曲に夢中になるとはあまり思っていなかった。僕は6年ほど前から、素材を作ったり、スタジオを作ったり、音楽機材を作るための機器を設計したり、必要な音を作ったりと、本当に苦しい作業をしていた。その間、僕はいつもみんなに拒絶されていた。ポジティブなサポートはほとんどなかった。

好きなドラマーがいて、一緒にジャムをしたり、アイデアを出し合ったりすることはあったけど、それ以外には誰もいなくて、誰からも励ましてもらえなかった。だから、“More Than a Feeling”の最初のレコーディングをしているときは、誰も気に入ってくれないだろうと思っていた。その時には、このプロジェクトを始めてから6年ほど経っていた。僕の目標は、地元のラジオ局で曲を数回流してもらい、地元でバンドを組んでギターを弾くことで、人々に曲を知ってもらいたいということだった。

その後、“More Than A Feeling”が入った最後のデモを送った。これが最後のデモだと思って送ったんだ。それが完成したら、機材を整理しようと思っていた。僕はもうすぐ30歳になろうとしていたけど、基本的にすべての時間とお金をこの仕事に費やしていた。だから、そろそろ他のことをするべきだと思ったんだ。だから、皆がここまで気にしてくれるとは思っていなかった。

この曲が随所で耳にすることに衝撃を受けたよ。つまり、ロックを聴かない人でも、この曲を知っているということだよね。気が付いたのはいつ頃からかと言われると、本当にそうなんだけど、40年くらい後かな」






amassより写真と全文を引用いたしました
ご視聴ありがとうございました


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日清・日露戦争ー帝国主義への道

まず自国のことを知りたいという気持ちが強くて、時々勉強しています
自分たちが生まれる前の日本はどんな国だったのかが気になりませんか

私は日清戦争や韓国のことを詳しく知りませんでした
今まで、学生時代に教科書で習った程度の知識でした

日本って恐ろしい国だったんですね
当時の日本国民は戦争による貧困に苦しんでいたこと
「国の為に戦うは子供の名誉である」と学校で教えていたこと
武器製造の為に八幡製鉄所が建てられたこと

もし、このまま変わっていなかったら、今の平和はなかったでしょう

以下、Wikipediaより引用いたします

帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism)またはインペリアリズム
一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。


日清戦争(にっしんせんそう)
1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。
なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。

李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で両国は交戦し、日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。また、講和条約の会議に出席したのは陸奥宗光外相と伊藤博文首相である。

講和条約の中で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、また巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになった。戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、支払われた賠償金の大部分は軍備拡張費用、軍事費となった。

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NPO法人科学映像館より引用いたします

製作:東映教育映画部
カラー(一部白黒) 19分27秒 主として写真と絵画による映像作品

アジアの植民地を狙う列強諸国の利害が対立する時代、近代的な国家づくりと朝鮮支配をめぐる2度の戦争によって国際的地位を向上させた明治の日本の姿を描く。

スタッフ
製作:布村建/松本寿夫
脚本/演出:米内義人

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