アル・クーパーは70年代後半高校生、これもFENで覚えたと思いますが、日本でも人気の73年『 Naked Songs:赤心の歌』の「Jolie」もあり、この時のセッションバンドのアトランタ・リズム・セクション、このバンドが70年代後半ヒット、当時は闇雲にもカントリー色強しバンドを偏見の気嫌いでしたが、何故か、相性がよく聴けた。
ブログでアトランタ・リズム・セクションを書いた自分に驚きがあるぐらいでしたが…これもアル・クーパーの流れだったのですね。POP感は!
アル・クーパーがNY音楽、そのPOPセンスで聴けたと、その流れで聴けたと思うのです。
NY音楽でも、ベルベットアンダーグラウンドのような尖りでなく、アメリカンPOP、トラッド、AOR風に通じる、音楽の幅広のPOPなアル・クーパー。

上京して80年代、音楽好き・洋楽好きの友・先輩から、69年『I Stand Alone』前のマイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスとの68年『スーパー・セッション』、そして69年ライブ盤『フィルモアの奇蹟』70年『クーパー・セッション』を教わり、スタジオミュージシャンとの役を知りました。そしてブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの立ち上げも。
で、ブログは、昔聴いたロック・バンドを思い出し始めたのですが、すっかり忘れいたレイナードスキナードを再度聴き込み、大好き 73年『Lynyrd Skynyrd (Pronounced 'Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd) 』74年『Seconed Helping』 のプロデューサーがアル・クーパーこれも、のけ反るぐらい、ビックリ。ほんと幅広、なんでも演れるミュージシャン・コンポーザーと再確認。
只、レイナードスキナードのメンバーとは、えらく仲悪くなってのレコーディングだったようで、良き音楽が生まれるのに付き物の苦労あります、ミュージシャンは。
アルバム『I Stand Alone』は12曲中カバーは5曲、コンポーザーぷらすアレンジでの才と、スタジオミュージシャンとしての演奏者の3役の評価かもですが、なんでも出来るが合っている。ガチガチのロックでないですが、60年代のアメリカンPOPがありますね。
と云うことでおまけは伴奏参加のボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」でなく、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ時代の曲で
Blood, Sweat & Tears- I love you more than you´ll ever know
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