私が思うこと一覧

楽しかった趣味のハンドメイド

パワーストーン


パワーストーン3


パワーストーン4

パワーストーン1


手作りアクセサリーに憧れて始めたのが2、3年前でした
初心者だったので簡単に出来る物はないかな~って思い探していたのです

そして、辿り着いたのがフェリシモのクチュリエでした
少し高額ですが、月一で届く手作り用のテキストとパーツが嬉しくて、楽しかったです
パワーストーン2

ビーズのアクセサリー作りでもBeeBee Craftの初心者向けキットを購入して、一通り挑戦しました
かなり面白くて夜中まで作業したりして、夢中になりました
娘にプレゼントできたので良かったです

特にオススメしたいのですが…
意外と簡単に出来るのがパワーストーンのブレスレット作りです
男性でも楽しめますよ(^∇^)ノ

実は、パートナーが私より先に作っていて、出会って暫くした頃、手作りブレスレットをプレゼントしてくれたのです
世界に一つしかない、想いのこもった手作り品に感激しました

とても楽しいので奥様やお友達に作ってみてはどうでしょう♥

動画も沢山有りますので、オススメ動画を貼ってみました


■ パワーストーン ブレスレット 作り方




■ 一番丈夫で切れないやり方!!パワーストーンのゴム交換



ご視聴ありがとうございました

「東京 夢と幻想の1964年」

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『映像の世紀プレミアム 第15集「東京 夢と幻想の1964年」』

「首都美化はオリンピックの一種目」と200万人が一斉清掃、ビル密集の大都会に首都高速建設の秘策、下町で愛された「おばけ煙突」、特攻機の開発の反省から生まれた新幹線、わずか1年半で完成した東洋一のホテル、太平洋戦争の戦地を走った聖火リレー、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた「東洋の魔女」の猛特訓。ドラマ「いだてん」には描かれなかった、アナザーストーリー。夢と希望の時代の真実を発掘映像で描く。

【語り】山田孝之,山根基世







真の勇者、モハメド・アリ
モハメド・アリの生き方に深く感銘を受けたのでご紹介致します
以下、Wikipediaより引用いたしました

「リスクを選ぶ勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない」
(He who is no courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.)
~モハメド・アリの言葉~



■ モハメド・アリ(Muhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː])
1942年1月17日 - 2016年6月3日
アメリカ合衆国の元プロボクサー
ケンタッキー州ルイビル出身
本名 カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)
アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの血も引く
元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン
身長 190cm

マルコム・Xと出会いその思想に共鳴
イスラム教にも改宗
ベトナム戦争への徴兵を拒否したことにより米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取っています

その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、世界タイトル剥奪や長期の試合禁止など様々な圧力が加えられました

引退から3年が経った42歳のとき、現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病と診断され闘病生活を送っており、2016年6月3日に74歳で死去
死因は敗血症ショック

2005年11月9日、アメリカ合衆国のホワイトハウスにて文民に送られる最高の勲章である大統領自由勲章を授与されました

2009年、アイルランド クレア県エニスの名誉市民に選出され、9月1日に記念式典が行われました

2012年ロンドンオリンピックの開会式に参加、オリンピック旗掲揚の場面で姿を見せています

■ リング外での闘い
1960年に勃発し、のちにアメリカが本格参戦したベトナム戦争への徴兵を拒否したことから、彼は無敗のままWBAWBC統一世界ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランクを作ったが、復帰後、実力で王座奪還を果たしています。また露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返しています。その後公民権運動などの貢献が称えられ、ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞しています。


■ 強い意志を表す感動的な言葉をご紹介致します

「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ」
「不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない」
「不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ」
「不可能とは、誰かに決めつけられることではない」
「不可能とは、通過点だ」
「不可能とは、可能性だ」
「不可能など、何でもない」(Impossible is nothing.)
アリは不可能という言葉を忌み嫌っており、この他にも様々な所で同様の発言をしています

アディダスのCMでも引用された言葉
「挑戦を恐れるのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる」

「友情は、この世でもっとも説明しづらいものだ。それは学校で教えてくれる知識じゃない。でもその意味を知らなければ、実際何ひとつ知らないのと同じだ」

「リスクを選ぶ勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない」
(He who is no courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.)


※画像には無音声、不快な音楽が2ヶ所挿入されていました
ご視聴ありがとうございました


真の勇者、モハメド・アリ

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『映像の世紀プレミアム 第15集「東京 夢と幻想の1964年」』

200万人の一斉清掃
首都高速建設
新幹線、
東洋一のホテル
戦地を走った聖火リレー
「東洋の魔女」の猛特訓など
発掘映像で描いている

【語り】山田孝之,山根基世






第4集「英雄たちの栄光と悲劇」


真の勇者、モハメド・アリ
モハメド・アリの生き方に深く感銘を受けたのでご紹介致します
以下、Wikipediaより引用いたしました

「リスクを選ぶ勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない」
(He who is no courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.)
~モハメド・アリの言葉~



■ モハメド・アリ(Muhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː])
1942年1月17日 - 2016年6月3日
アメリカ合衆国の元プロボクサー
ケンタッキー州ルイビル出身
本名 カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)
アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの血も引く
元WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン
身長 190cm

マルコム・Xと出会いその思想に共鳴
イスラム教にも改宗
ベトナム戦争への徴兵を拒否したことにより米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取っています

その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、世界タイトル剥奪や長期の試合禁止など様々な圧力が加えられました

引退から3年が経った42歳のとき、現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病と診断され闘病生活を送っており、2016年6月3日に74歳で死去
死因は敗血症ショック

2005年11月9日、アメリカ合衆国のホワイトハウスにて文民に送られる最高の勲章である大統領自由勲章を授与されました

2009年、アイルランド クレア県エニスの名誉市民に選出され、9月1日に記念式典が行われました

2012年ロンドンオリンピックの開会式に参加、オリンピック旗掲揚の場面で姿を見せています

■ リング外での闘い
1960年に勃発し、のちにアメリカが本格参戦したベトナム戦争への徴兵を拒否したことから、彼は無敗のままWBAWBC統一世界ヘビー級王座を剥奪され、3年7か月間ブランクを作ったが、復帰後、実力で王座奪還を果たしています。また露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返しています。その後公民権運動などの貢献が称えられ、ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞しています。


■ 強い意志を表す感動的な言葉をご紹介致します

「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ」
「不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない」
「不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ」
「不可能とは、誰かに決めつけられることではない」
「不可能とは、通過点だ」
「不可能とは、可能性だ」
「不可能など、何でもない」(Impossible is nothing.)
アリは不可能という言葉を忌み嫌っており、この他にも様々な所で同様の発言をしています

アディダスのCMでも引用された言葉
「挑戦を恐れるのは信頼が欠如しているからだ。私は私を信じる」

「友情は、この世でもっとも説明しづらいものだ。それは学校で教えてくれる知識じゃない。でもその意味を知らなければ、実際何ひとつ知らないのと同じだ」

「リスクを選ぶ勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない」
(He who is no courageous enough to take risks will accomplish nothing in life.)


■ 1995年から1996年にNHKの総合テレビで放送された歴史ドキュメンタリー『映像の世紀』、ならびに2015年から2016年まで総合テレビで放送された『新・映像の世紀』(いずれもNHKスペシャル枠)の内容を再構築し、さらに未公開映像や新たに発掘された映像も交え、1回につき90分の内容で放送している[1]。

『映像の世紀』と『新・映像の世紀』は100余年の映像を時系列順に紹介していたが、『映像の世紀プレミアム』は特集ジャンルごとに紹介する構成を取っている。これは、2016年5月16日時点で既に決まっていた「芸術家」「兵器と科学者」「女性」の3つのテーマからなり、総合テレビでの放送時よりも人々の物語をより深く描けると制作側が判断したためである[2]。

放送日程
集数  タイトル             初回放送日
第1集 世界を震わせた芸術家たち  2016年5月28日 19:30 - 21:00
第2集 戦争 科学者たちの罪と勇気  2016年8月13日 19:30 - 21:00
第3集 世界を変えた女たち       2016年12月3日 19:30 - 21:00
第4集 英雄たちの栄光と悲劇      2017年3月18日 19:30 - 21:00
第5集 グレートファミリー 巨大財閥の100年 2017年6月10日 19:30 - 21:00
第6集 アジア 自由への戦い       2017年8月19日 19:30 - 21:00
第7集 極限への挑戦者たち       2017年12月16日 19:30 - 21:00
第8集 アメリカ 自由の国の秘密と嘘  2018年2月10日 19:30 - 21:00
第9集 独裁者 3人の“狂気”       2018年6月16日 19:30 - 21:00
第10集 難民 希望への旅路       2018年8月11日 19:30 - 21:00
第11集 運命の3つの都 パリ・ベルリン・ニューヨーク  2018年12月8日 19:30 - 21:00
第12集 昭和 激動の宰相たち      2019年3月9日 19:30 - 21:00
第13集 戦場の黙示録           2019年6月22日 19:30 - 21:00
第14集 運命の恋人たち          2019年11月30日 21:00 - 22:30
第15集 東京 夢と幻想の1964年     2020年1月3日 21:00 - 22:30
第16集 オリンピック 激動の祭典     2020年6月20日 19:30 - 21:00
第17集 人類の危機             2020年9月19日 21:00 - 22:30
第18集 ナチス 狂気の集団[20]   2020年12月12日 19:30 - 21:00
第19集 東京 破壊と創造の150年   2021年4月3日 18:00 - 19:30
第20集 中国 “革命”の血と涙       2021年8月14日 19:30 - 21:00

以上、Wikipediaより引用いたしました
  ******************************



※画像には無音声、不快な音楽が挿入されています
ご視聴ありがとうございました



カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~

気になる映像がありましたので、いつも通り保存しておきます


昭和初期の日本(その1)

昭和の始まり、ツェッペリン伯号来日(昭和4年)、慢性的不況、大卒の新卒9割が就職できず、頻発する労働争議、最初の普通選挙、治安維持法と社会主義者弾圧、政党内閣時代の終焉、悲惨な農村と娘の身売り


カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~


映画『おしん』




昔私が読んだ小説や、テレビドラマにも登場していた貧しい農村の子供達の丁稚奉公や身売りは事実だったのですね。ずっと気になっていたので調べていました



こちらの書籍も気になります
『戦後日本の人身売買』
藤野豊

「戦後民主主義」の下、人身売買はどのような論理で維持されてきたのか。超インフレ、ドッジ不況、農地改革、北海道・東北冷害、炭鉱合理化…目まぐるしく変動する戦後の日本で、女性・子どもの人身売買は「暗黙の了解」としてまかり通っていた。敗戦まもない1940年代後半から高度経済成長に向かう1950年代を中心に、全国各地の史資料を渉猟、現代につながる問題の実態を明らかにする。研究史の空白を埋める貴重な成果。





アウシュヴィッツ生き延びた101歳の苛烈な手記

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アウシュヴィッツ生き延びた101歳の苛烈な手記
残虐非道な強制収容所で心の支えとなった友情

2021/09/09 17:30東洋経済より引用いたします

エディ・ジェイク

アウシュヴィッツにいた被収容者の平均生存期間は7カ月だ。もしクルトがいなかったら、わたしはその半分も生きられなかっただろう。わたしが喉を痛めたときは、喉を温めて治せるよう、クルトは自分のスカーフを半分に切って、わたしにくれた。おそろいのスカーフをみて、兄弟だと思った人もいた。それほどわたしとクルトは親しかった。

 わたしたちは毎朝目を覚ますと、仕事の前に周囲を歩きながら話をし、はげまし合った。ささやかなプレゼントの隠し場所は、トイレの壁のなかだ。わたしがレンガをひとつはずせるようにしておいたのだ。ここに石けんや歯みがき粉、ぼろ布などを隠した。

 この友情と彼への感謝の気持ちは、ヒトラーがつくり出した非人道的な場所で生き抜くのに欠かせないものだった。多くの人は生きるよりもみずから命を絶つことを選んだ。それが普通になり、こんな言葉まで生まれた。「フェンスに行く」。アウシュヴィッツ第2収容所のビルケナウは、いくつかの収容所の集まりである広大なアウシュヴィッツ収容所の一部で、周囲の有刺鉄線には電気が流されていた。


人の営みの中で最もすばらしいのは愛されること

 このフェンスに触れると確実に死ねるので、ナチスに殺す喜びを与えずに自分の人生を終わらせられる。多くの人はフェンスまで走って有刺鉄線をつかんだ。わたしの親しかった友人もふたり、この方法で死んだ。ふたりは手をつないで裸でフェンスまで走った。彼らを責めることはできない。わたしだって、死んだほうがマシだと思う日がよくあった。

 だれもが寒さに凍え、体調も悪かった。わたしは何度もクルトに言った。「フェンスに行こう。生きててどうなる? 明日も苦しむだけじゃないか?」。

 クルトは首を振った。彼はわたしをフェンスに行かせようとしなかった。

 わたしがいままで学んだなかで最も重要なことはこれだ。

 「人の営みのなかで最もすばらしいのは、愛されることだ」

 特に若い人には、何度でも大声で言いたい。友情がなければ、人間は壊れてしまう。友人とは、生きていることを実感させてくれる人だ。

 アウシュヴィッツは悪夢が現実になったような、想像を絶する恐ろしい場所だった。それでもわたしが生き残れたのは、親友のクルトがいたからだ。もう1日生きのびたら、また彼に会えると思えたからだ。たったひとりでも友人がいれば、世界は新たな意味をもつ。たったひとりの友人が、自分の世界のすべてになりうる。

 友人は、分け合った食料や暖かい服や薬よりも、ずっと大切なものだ。なにより心を癒やしてくれるのは友情だ。友情があれば、不可能も可能になる。

(翻訳:金原 瑞人)


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とても良いお話でしたのでご紹介致しました

生涯において、自分を愛してくれる人を一人見つけられたら、それは最高の幸せだと思います
今苦境に立っている人にも、その巡り逢いを求めて、希望を持って生きて欲しいです

"友情があれば不可能も可能になる"


日清・日露戦争ー帝国主義への道

まず自国のことを知りたいという気持ちが強くて、時々勉強しています
自分たちが生まれる前の日本はどんな国だったのかが気になりませんか

私は日清戦争や韓国のことを詳しく知りませんでした
今まで、学生時代に教科書で習った程度の知識でした

日本って恐ろしい国だったんですね
当時の日本国民は戦争による貧困に苦しんでいたこと
「国の為に戦うは子供の名誉である」と学校で教えていたこと
武器製造の為に八幡製鉄所が建てられたこと

もし、このまま変わっていなかったら、今の平和はなかったでしょう

以下、Wikipediaより引用いたします

帝国主義(ていこくしゅぎ、英: imperialism)またはインペリアリズム
一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。


日清戦争(にっしんせんそう)
1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。
なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。

李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で両国は交戦し、日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。また、講和条約の会議に出席したのは陸奥宗光外相と伊藤博文首相である。

講和条約の中で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、また巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになった。戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、支払われた賠償金の大部分は軍備拡張費用、軍事費となった。

           ━─━─━─━─━━─━─━─━─━─━─━



NPO法人科学映像館より引用いたします

製作:東映教育映画部
カラー(一部白黒) 19分27秒 主として写真と絵画による映像作品

アジアの植民地を狙う列強諸国の利害が対立する時代、近代的な国家づくりと朝鮮支配をめぐる2度の戦争によって国際的地位を向上させた明治の日本の姿を描く。

スタッフ
製作:布村建/松本寿夫
脚本/演出:米内義人

赤ちゃんを救いたいと銀メダルを出品したアンドレイチクさん

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HUFFPOST
TOKYO 2020
2021年08月20日 15時37分 JSTより全文を引用いたします

「赤ちゃんを救いたい」と銀メダルを出品⇒落札した企業が受け取らず「寛大な行動に心を動かされた」
自らも病を経験して、銀メダルに輝いたポーランドのマリア・アンドレイチク選手。生後8カ月の赤ちゃんを救うために、メダルを出品していました
Ryan Grenoble
東京オリンピックで手にした銀メダルをオークション出品したポーランドのマリア・アンドレイチク選手に対し、落札した企業がメダルを同選手から受け取らないと発表した。

アンドレイチク選手は、生後8カ月の赤ちゃんの手術費用を捻出するために、やり投げで獲得した銀メダルをオークションに出品していた。
最後の希望、私も手助けしたい

アンドレイチク選手が、赤ちゃんの手術費用を集めるためにメダルのオークション出品するとFacebookで発表したのは、8月11日だった。

赤ちゃんには、総肺静脈還流異常という先天的な心臓疾患があり、アメリカで手術を受けるための費用を集めていた。

ESPNによると、アンドレイチク選手は「ある家族がすでに手術費用の半分を提供してくれている」と説明。

その家族は、自分たちの子どもも手術が必要で費用を貯めていたが、子どもは手術を受ける前に亡くなったという。

アンドレイチク選手は、「私も何か手助けしたい」とオークションで手術の残り半分の費用を捻出したいと呼びかけた。

手術の募金を呼びかけるページによると、赤ちゃんは現在自宅でホスピスケアを受けており、症状が悪化している。

また、ヨーロッパで手術できる病院が見つからず、アメリカ・カリフォルニア州にあるスタンフォード大学メディカルセンターが最後の希望だという。

自らも苦難を乗り越えて手にした銀メダル

アンドレイチク選手の銀メダルは、ポーランドのコンビニエンスストアチェーン「ジャプカ」が、12万5000ドル(約1370万円)で落札した。

アンドレイチク選手は8月16日に「これでアメリカに行くことができる」と感謝のコメントを投稿。

メダルは自分自身にとって「多くの困難がある中での、苦しみや信念、夢を追うシンボル」であり、ジャプカにとって「メダルが、私たちが共に闘ったシンボルになって欲しい」とつづった。

しかし、落札したジャプカは、銀メダルを受け取らなかった。

ジャプカはSNSで「オリンピック選手の美しく寛大な行動に、私たちは心を動かされました」「素晴らしい人間であることを示したマリアさんの手元に、銀メダルを残すことを決めました」と伝えた。


アンドレイチク選手は、2016年のリオオリンピックで、わずか2センチの差で銅メダルを逃した。

その後、2018年に骨肉腫と診断され、怪我にも苦しんだが、闘病を経て復帰した東京オリンピックで銀メダルに輝いた。

NBCによると、同選手はユーロスポーツ・ポーランドに「メダルの本当の価値は、いつも心に残っている」と語り、オークションに出品した理由を次のように説明した。

「メダルはただの物ですが、他の人にとっては素晴らしい価値があります」

「クローゼットの中でホコリを集める代わりに、この銀メダルは人の命を救うことができるのです。だから私は、病気の子どもを救うために、オークションに出品しました」

ハフポストUS版の記事を翻訳しました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

とても素敵なお話でしたので、ご紹介致しました
本当に肉体も精神も素晴らしい方ですね

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サンタナ 新アルバムを10月発売 

コロナの影響なのか、最近の音楽界が面白くないですね
心から感動する様な楽曲があまりないです

でもこの曲いいですよね




サンタナ(Santana)は新スタジオ・アルバム『Blessings and Miracles』を海外で10月15日発売。リリース元はBMG。

スタジオ・アルバムのリリースは2019年の『Africa Speaks』以来。

新作にはチック・コリア(Chick Corea)、スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)、メタリカ(Metallica)のカーク・ハメット(Kirk Hammett)、デス・エンジェル(Death Angel)のマーク・オゼグエダ、リヴィング・カラー(Living Colour)のコリー・グローヴァー(Corey Glover)、クリス・ステイプルトン(Chris Stapleton)、G-Eazyらが参加。

アルバムからの1stシングル「Move」では、1999年のヒットシングル「Smooth」以来、22年ぶりにマッチボックス・トゥエンティ(Matchbox Twenty)のロブ・トーマス(Rob Thomas)とコラボレーションしています。この曲はYouTubeで聴けます。

カルロス・サンタナ(Carlos Santana)は2年間にわたって『Blessings and Miracles』の制作に没頭し、プロデューサーを務め、ダイアン・ウォーレン(Diane Warren)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(Narada Michael Walden)、クリス・ステイプルトン、グレッグ・ワッテンバーグなどのレコードメーカーやライターとコラボレーションしました。

■『Blessings and Miracles』

1. Santana – Ghost of Future Pull/New Light
2. Santana – Santana Celebration
3. Santana & Salvador Santana & Asdru Sierra – Rumbalero
4. Santana & Chris Stapleton – Joy
5. Santana & Rob Thomas & American Authors – Move
6. Santana – Whiter Shade Of Pale (feat. Steve Winwood)
7. Santana – Break (feat. Ally Brooke)
8. Diane Warren & G-Eazy & Santana – She's Fire
9. Santana – Peace Power (feat. Corey Glover)
10. Santana – America For Sale (feat. Kirk Hammett & Marc Osegueda)
11. Santana & Stella Santana & Avi Snow & MVCA – Breathing Underwater
12. Santana – Mother Yes
13. Santana – Song For Cindy
14. Santana – Angel Choir/All Together (feat. Chick Corea & Gayle Moran Corea)
15. Santana – Ghost Of Future Pull II

ワンフレーズで好きになりました
カッコイイですね!!
さすがサンタナ♥♥♥

amassより引用しています
ご視聴ありがとうございました


映像の昭和 占領から講和へ

おはようございます
今日も自宅にて勉強中です
パートナーは昨日37.8℃の熱が再び出て、今日も仕事を休んでいます
今朝は熱は下がりましたが、様子を見ているとろこです


昔の映像を観ながら、自宅にて過ごしています
「映像の昭和 占領から講和へ」




雨が降り続いています
大きな被害も出ています
日本全国どこもが危険で、他人事ではありません

被災地、被災者の方々にお見舞い申し上げます
亡くなられた方、行方不明の方が多く、
とても悲しいです

心からのご冥福をお祈りいたします