2021年03月一覧

アイアン・メイデンのエイドリアン・スミス+リッチー・コッツェン デビューアルバム全曲公開

アイアン・メイデン(Iron Maiden)のエイドリアン・スミス(Adrian Smith)と、リッチー・コッツェン(Richie Kotzen)による新プロジェクト、スミス/コッツェン(Smith/Kotzen)のデビューアルバムをご紹介します(*^^*)

デビューアルバム『Smith/Kotzen』がストリーミング配信開始しました。YouTubeほかで聴けます。



■『Smith/Kotzen』

01. Taking My Chances
02. Running
03. Scars
04. Some People
05. Glory Road
06. Solar Fire
07. You Don't Know Me
08. I Wanna Stay
09. 'Til Tomorrow


アルバムは海外で3月26日発売。リリース元はBMG。

エイドリアンはこのプロジェクトについて「リッチーと僕はお互いをとてもうまく補完し合っていると思う。彼はギターの達人だが、メロディのセンスは抜群だよ。全体がとても自然に感じられた」と話し、またリッチーは「僕らはクラシックとブルースをベースにしたロックに共通点がある。この1年間一緒に作曲とレコーディングをしてきたんだけど、その結果に舞い上がっているよ」と語っています。


以下は、以前に公開された映像です

「Running」のリリックビデオ



「Scars」のMV




「Taking My Chances」MV



amassより引用しましたm(__)m
ご視聴ありがとうございました


スティング&シェラージー “Englishman / African In New York”



この曲は「イングリッシュマン/アフリカン・イン・ニューヨーク with シェラージー」で、アフリカ人アーティスト シェラージーとのデュエット曲です。



■ スティング(Sting)が2021年3月19日にリリースしたデュエット・アルバム『Duets』を記念して、米公共放送NPRの人気企画タイニー・デスク・(ホーム)・コンサート・シリーズに出演し、ニューヨークの開放的なラウンジから3曲を披露した。

オープニングは、ベナン出身のアーティスト、シラジーとのデュエットで、1987年に発表したスティングのヒット・シングル「Englishman in New York」の歌詞の一部を“African in New York”にアレンジしたハイブリット・ヴァージョン「Englishman/African in New York」を軽快なビートに乗せてパフォーマンス。



1曲目が終わると、2人は同じ空間で共演できることの喜びを共有し、スティングはこう語った。

「この1年は、ずっと一人だけで演奏していました。それが音楽のいいところで、それでも人と繋がることはできるんですが、実際に同じ部屋で誰かと一緒に音楽をやると、まったく違う化学反応が起こるんです」

シラジーは、新型コロナウイルスのパンデミック中にこの曲をカヴァーしたことがきっかけで、突如スティングと共演することになった、その状況について、(パンデミックよりも)さらに非現実的で「少しばかりクレイジーなこと」だったと自身の心境を明かし、スティングはこう語っている。

「僕が書いた曲を基に、他のアーティストがより良いものにしたり、別のものにアレンジしてくれるのは、いつだって楽しいことなんです。僕をワクワクさせてくれます」

discovermusic.jpより引用しましたm(__)m
ご視聴ありがとうございました

グレタ・ヴァン・フリート 新曲「Broken Bells」

グレタ・ヴァン・フリート(Greta Van Fleet)が新曲「Broken Bells」を公開しました
この曲は新アルバム『The Battle at Garden's Gate』に収録されています





以下は、以前に公開された映像です

「Heat Above」のミュージックビデオ



「Age of Machine」のミュージックビデオ



「My Way, Soon」のミュージックビデオ



■『The Battle at Garden's Gate』

01 Heat Above
02 My Way, Soon
03 Broken Bells
04 Built By Nations
05 Age of Machine
06 Tears Of Rain
07 Stardust Chords
08 Light My Love
09 Caravel
10 The Barbarians
11 Trip The Light Fantastic
12 The Weight Of Dreams



ご視聴ありがとうございましたm(__)m


チェスター・ベニントン、45回目の誕生日

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「The Messenger」




チェスター・ベニントンの45回目の誕生日に際して追悼の声が寄せられました。



あるファンは「誕生日おめでとう、天使なるチェスターよ。45年前にあなたが生まれたことが私たちにとってはありがたいです。あなたが歌ってくれる度にありがたい気持ちになります。あなたの愛、あなたの笑顔、あなたのやさしさ、リンキン・パークのあなたの兄弟、あなたの美しい魂、あなたの伝説は忘れられることはありません」とツイートしている。

別のファンは「天国での誕生日おめでとう、かけがえのない天使であるチェスター・ベニントン。あなたが忘れられることはないし、あなたは永遠に愛され、惜しまれるでしょう。足りないけれど、この日は私たちにあなたを思い出させてくれる非常に特別な日であり、あなたの人生を祝福し、あなたの家族を愛して応援していきます」とツイートしている。


■ 元妻タリンダは、インスタグラムで自身のメッセージを投稿しています。

「あなたは45歳になるはずでした。(息子の)タイラーはあなたにこのダンスをさせたはずです」とタリンダ・ベニントンはチェスターが息子と踊る動画のキャプションに記している。「あなたのいない現世は楽になることも痛みが和らぐこともありません」

「あなたのことが心底いとおしいです」と彼女は続けている。「今日はあなたのことをいろんな形で祝福していきます。タイラーが妹たちと私にこのダンスを教えてくれるのもその一つです。あなたのことを永遠に愛しています」


● FRONTROWによると、故チェスター・ベニントンの元妻、1年連れ添った夫との離婚を申請していました。
2021-01-28

リンキン・パークのフロントマンである故チェスター・ベニントンの元妻であるタリンダが、2020年1月に結婚した夫マイケルとの離婚を申請したことが明らかになった。(フロントロウ編集部)

リンキン・パークのフロントマンである故チェスター・ベニントンの元妻であるタリンダが米現地時間1月26日、現在の夫であるマイケルとの離婚を申請したという。米E!Newsや米TMZなどが報じた。

2005年から、チェスターが亡くなった2017年7月までチェスターと結婚していたタリンダは、2020年1月4日にロサンゼルスで消防士として働くマイケル・フレッドマン氏と結婚。「家族、友達、そしてリンキン・パークの兄弟たちは、両手を広げて彼を家族として迎え入れてくれました」と、家族やリンキン・パークのメンバーたちもマイケルを歓迎してくれたことを明かした上で、「大切な人を自殺で亡くしてしまった人達へ。もう一度幸せを得ることは出来ます。あなたの心には悲痛、喜び、幸せ、悲しみ、そして愛を感じられる場所があるんです」と、あたたかいメッセージを寄せていた。

タリンダはチェスターとの間に、息子のタイラー(14)、双子のリリー(9)とライラ(9)の3人の子供をもうけている。

今回、タリンダはマイケルと離婚するにあたり、離婚を申請する数日前にインスタグラムでコメントを発表して、次のように述べている。「マイケルと私は、今後の人生を友人として歩んで行くことを決めたことを発表する準備ができました。離婚は決して簡単なものではありませんが、私たちのケースでは、これが最善でした。私たちは仲の良い友人のままですし、彼はこれからも、私の子供たちの人生において重要な存在であり続けます。愛や喪失は人生の一部ですが、公衆の面前ではそれが一層難しいものになります。皆さんからの愛やサポート、このような時期にプライベートに配慮していただけることに感謝しています」。

タリンダはチェスターの死後、彼の死を無駄にしないようにチェスターと同じくメンタルヘルスの問題と闘う人や依存症に悩む人々を支援するプロジェクト「320 Changes Direction」を立ち上げ活動を行なっている。



ご視聴ありがとうございましたm(__)m

Japan – Nightporter

ジャパンの「Nightporter:ナイトポーター」で、アルバムは4th・80年『Gentlemen Take Polaroids:孤独な影』ですね。

「ナイトポーター」は次作アルバム5th・81年『Tin Drum :錻力の太鼓』の後、シングルだったようで、これは今回知りました。覚えてもおらず。

小生的には、デビューでの日本の人気、ビジュアル・音的にもグラムぽさの初期ジャパンは音楽誌・数少ない洋楽TV情報のアイドル的なノリで、下手なの?と思う気持ち、手放しで絶賛するバンドでなかった、正直!

3rd・79年『Quiet Life:クワイエット・ライフ』あたりから、本気で聴きるように、でも未だにここらへんからをニュー・ウェイヴと呼ぶのは抵抗ありで、グラムロックからジャパンのアートロックの変調子。


 


Gentlemen Take Polaroids


 


で、えらく評価したのは81年『Tin Drum :錻力の太鼓』で、これは一時期ベット音楽で、寝る時は必ずかけていた。

何故ジャパンなのに毛沢東との思いもありですが、これこそ、ワールドミュージックとダウナーなリズムとアンビエントの融合、これこそUKのニュー・ウェイヴ!

そして前哨的なアルバムが『Gentlemen Take Polaroids :孤独な影』で、『Quiet Life:クワイエット・ライフ』からヒット曲狙いのメロ重視より、ミック・カーンのリズムとデヴィッド・シルヴィアン のボーカルのアンビエントへの適応変換は、正調アートロック。

79年ジョルジオ・モロダーとの共作「Life in Tokyo」でテクノ、シンセPOPへ舵取りも、このアルバムでは坂本 龍一参加と知的な雰囲気も醸し出しで、初期の下手なの?が払拭したアルバムでしたね。

と云うことでおまけは同アルバムの主題曲で

Japan - Gentlemen Take Polaroids






























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マイク・シノダ 『ポスト・トラウマティック』

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私達は同じ悲しみを心に抱く仲間であり、同じ想いで繋がっています
もうすぐチェスターが居なくなって4年になりますが、悲しみは変わることはなく、乗り越えることは一生出来ません
しかし、悲しんでばかりもいられません
私達は前進するしかないのです

マイクも同じ気持ちだったと思います
恐れずに、ありのままを形(音楽)にすることが表現者であり、マイク自身のあり方だからです


「Looking For An Answer」
2017年10月、LINKIN PARKがハリウッド・ボウルで開催したChesterの追悼公演
MikeはChesterが亡くなった8日後に書いた「Looking For An Answer」という曲をピアノの弾き語りで披露しました。この曲はアルバムには収録されていませんが、彼のソロ曲は、この夜初めてファンに紹介されました。



皆大丈夫だよというけれど
俺は忘れられないんだ
どうすればいいか教えてくれ

俺はひとり  
見失ってしまったんだ

答えを探してしまうんだ
そんなのどこにもないのに


Album 『Post Traumatic』


■ 以下、rockin'on 2018.02.13の記事より全文を引用いたします
【マイク・シノダが最新EP『Post Traumatic』に託した、「チェスター喪失の先」を生きる決意】

1月25日に配信リリースされたマイク・シノダの最新EP『Post Traumatic』。リンキン・パークの一員としてともに音楽を紡いできた盟友=チェスター・ベニントンを喪った衝撃に今なお揺れ続けるシノダの胸中が、今作に収められた切実な新曲群“Place To Start”“Over Again”“Watching As I Fall”からも色濃く滲んでくる。

「僕が作り上げるものは粉々に壊れてしまうかもしれない」と怖れるのはもう嫌だ、終わりなんて知りたくない、僕が欲しいのは「始まりの場所」だ――とモノローグのような調子で切々と歌われる“Place To Start”。昨年10月27日に米LA・ハリウッドボウルで開催されたチェスター追悼コンサートの舞台に立つまでの感情を包み隠さずラップ越しに述懐した“Over Again”。そして、重厚かつ不穏なリズムトラックとともに「《彼ら》は僕が墜ちていくのを見ている」と自分を取り巻く世間の視線に対する違和感を露わにした“Watching As I Fall”――。

リリース直後にシノダがTwitterでファンに向けて公開した自筆のメッセージにも「これはリンキン・パークでもフォート・マイナーでもなく、僕自身だ」と綴られていた通り、ここにあるのは極めて私的な、シノダの心の奥底にある想いの結晶そのものなのだろう。
リンキン・パークのライブアルバム『ワン・モア・ライト・ライヴ』の発売に際して昨年12月に行われたInstagram上のリスニングパーティーで「チェスターの声をあんなに長い時間聴いているのが辛かった」と途中退席したことを後日明かしていたシノダ。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)を示唆するシリアスな作品タイトルはそのまま、彼自身の状態を残酷なまでにダイレクトに自ら描ききったものと言える。

しかし。今作には、チェスター追悼コンサートでシノダがピアノ弾き語りで披露した“Looking For An Answer”は収められていない。チェスター急逝後のシノダ自身の、虚空を彷徨うような喪失感をそのまま焼き込んだあの楽曲の哀しい美しさとは、今のモードは明確に一線を画したものである――ということも、この『Post Traumatic』という作品はリアルに物語っている。

「リンキン・パークを続けるつもりだし、メンバーみんな同じ気持ちだ。でもそのために、たくさん立て直さなきゃいけないものもあるし、答えるべき問いもある。時間が必要だ」――困難な状況に屈することなく一歩一歩前に進もうとするシノダのアティテュードが、彼の日々のツイートから伝わってくる。今年8月にはマイク・シノダ名義で「SUMMER SONIC 2018」に出演することも決定。「その先」へ向けて歩み始めた彼の決意に、最大限の拍手を贈りたい。(高橋智樹)


■ 【マイク・シノダ1万字インタビュー:チェスター・ベニントンの死と自身の現在地】
Rolling Stone Kory Grow 2018/06/28 より一部分を引用しています

● 『ポスト・トラウマティック』のテーマはベニントンの死というよりも、彼を失ったシノダが向き合った自分自身の姿だ(本作がベニントンのトリビュートアルバムと解釈されることだけは避けたいと彼は話す)。ベニントンの死の直後に書かれたと思われる、悪夢の中を彷徨っているかのような「プレイス・トゥ・スタート」で彼はこう歌う。「誰か俺の存在意義を教えてくれないか?過去を忘れようと必死なんだ」


「感じたままを歌詞にしたんだ」彼はそう話す。「こんなことは曲にすべきじゃないとか、世間はどう思うだろうとか考えたこともあった。大切な誰かを失った人間が何かを生み出そうとする時、それは避けられないと思う。途方もない悲しみに暮れている時、人は不毛な自問自答を繰り返す。俺もそうだった。曲を作ることに怯えていた時期もあった」


シノダの友人でもあるデフトーンズのフロントマン、チノ・モレノは彼に共感する。2008年にバンドのベーシストだったチ・チェンが交通事故に遭い、5年間生死の境をさまよった果てにこの世を去った。ベニントンが逝去したことを知ったモレノは、当初はシノダに連絡することをためらっていたが、後にメールを送ったという。それがきっかけで2人は共にスタジオ入りし、『ポスト・トラウマティック』に収録された「リフト・オフ」を共にレコーディングした。

またその時、2人は両者が経験した喪失感について語り合ったという。「主に話し合ったのは、罪悪感を覚えることなく創作活動ができるようになるまでに、どれだけの時間が必要かということだった」モレノはそう話す。「彼が生み出してきた音楽のいちリスナーだからこそ、俺には彼の葛藤がよく理解できたんだ」



● シノダが最後にベニントンと会ったのは、彼がこの世を去るわずか数日前のことだった。「あいつからワツキーっていう名前の少年を紹介されたんだ」ラッパーであり詩人でもあるその少年の才能に、ベニントンは惚れ込んでいたという。「あいつは彼のことをしょっちゅう話題にしてたから、俺にも紹介してくれよって言ったんだ。それからしばらくして、ワツキーは友達と2人で俺たちがいるスタジオにやってきた。彼らが帰った後も、チェスターと俺はしばらくスタジオに残ってた。できそこないの曲をいじってみたり、控えていたブリンク182とのジョイントツアーのことなんかを話したりしてた。どうってことのない、いつものムードだったよ」


その数日後、ベニントンはロンサンゼルスの自宅で自ら命を絶った。本誌の取材に応じた友人によると、彼はアルコールへの依存に苦しんでいたという。また同年上旬に行われたインタビューの場で、リンキン・パークのヒット曲「ヘヴィ」について尋ねられたベニントンは、うつ症状に悩まされていることを告白している。検死報告書によると、ベニントンの体からはアルコールが検知されている。「当日の彼がどれだけ飲んでいたかは分からないけど、彼のアルコール依存の深刻ぶりを考えれば、わずかな量がその引き金になってしまった可能性も否定はできない」ベニントンの友人であり、彼のサイドプロジェクトであるデッド・バイ・サンライズのメンバーであるライアン・シャックは本誌にそう語っている。「ほんのわずかなアルコールが、彼の自制心を奪ってしまったのかもしれない」



● シノダから見たベニントンは、予測不可能で巨大なエゴを抱えた、複雑なキャラクターの持ち主だった。「声だけじゃなく、あいつはパーソナリティもラウドだった」彼はそう話す。「あいつはどこでも誰とでもすぐ打ち解けるって、いつも俺たちからからかわれてた。とにかく楽しいことに目がないやつだったんだよ。その一方で、内面はとても繊細で複雑だった」

「やたら熱いくせに、ものすごく冷淡なところもあるんだ」彼はそう続ける。「あいつは映画オンチだって、俺はいつもネタにしてた。俺がまだ観てない映画の感想を聞くと、『10点中11点』とか『あんなクソみたいな作品に巨額の金が注ぎ込まれたなんて信じらんねぇよ。金返せってんだ』なんて言ってた。そういうやつだったんだよ」

感謝祭の日には何十人もの親戚を招いて料理を振る舞うなど、家庭人として知られたベニントンは、他人にも驚くほど気さくに接することもあったという。「まるで予想がつかないんだ」シノダはそう話す。「そっけない態度をとることもあれば、相手がひくような話をし始めることもある。飛行機で隣に座ってる赤の他人を相手に、どう考えても場違いな話を延々と続けたりね。小さな子供のように純粋で、無防備なところがあったんだ」

ベニントンの死の直後、リンキン・パークはウェブサイトにコメントを掲載した。ある一節が感じさせる切実さは今も当時のままだ。「悪魔がお前を奪い去ることは運命だったと、俺たちは自分に言い聞かせようとしてる。音楽を通じてその悪魔と向き合ったお前に世界中の人々が共感したことは、きっと奴らとの契約の一部だったんだろう」

その一節について尋ねられると、シノダはしばらく押し黙り、適切な言葉を探すかのように周囲を見渡していた。「あのくだりが言わんとしていることを一言で説明するなら、俺たちはあいつがどういう人間かを知ってたってことだよ」彼はそう話す。「何が起きてもおかしくないと、俺たちは心のどこかで覚悟してたし、それはあいつ自身も同じだったと思う。そういうことだよ。大切な人間を失った悲しみは、そう簡単に癒えはしない。傷口は今も開いたままだ」

● 「誰かの死と向き合うっていう行為は、様々な感情に順番に向き合っていくことだと思ってた」彼はそう話す。「実際はそうじゃない。家族や友人がその人物の死を悼む時、彼らは同じタイミイングでまったく異なる感情を抱えている。その状態はカオスへと変貌していくんだ。精神的脆さを露呈する人間もいれば、ただ悲しみに暮れたり、怒りに身を任せる人もいる。かと思えば、中にはその事実を深刻に受け止めようとしない人間だっている。そういう感情のズレは、やがて人間関係に影響し始める。俺が1人で作品を作ろうと思ったのは、そのカオスから自分を遠ざけ、自分自身の感情と向き合おうとしたからでもあるんだ」

● 「過去数年間で、俺はソングライターとして大きく成長したと感じているんだ」彼はそう話す。「それはヒット曲を書けるようになったっていう意味じゃない。ある曲に対して、多様なアプローチができるようになったってことなんだ。以前は曲の大半を俺が一人で書き上げて、スタジオでバンドのメンバーに弾いてもらうっていうやり方だった。彼らと一緒に曲を作り上げていくこともあったけど、あまりいい結果に繋がらなかったんだ。でも(リンキン・パークの2014年作)『ザ・ハンティング・パーティ』の一部、それと『ワン・モア・ライト』(2017年)の大半で外部のソングライターと作業した経験を通じて、俺はそれまでとは異なる作曲アプローチを身につけた。それは今作にも生かされているし、その制作過程からも多くを学んだと思う」

「あらゆる曲にはテーマがあるべきだ」彼はそう続ける。「人生そのものに退屈してしまっているような状況では、優れた作品は生まれにくい。でも人生が波乱に満ちていると、想像力の泉から無数のアイディアが湧き起こってくるものなんだ」


● 冒頭曲の「プレイス・トゥ・スタート」から、最終曲の「キャント・ユー・ヒアー・ナウ」を書き上げていく過程は、彼の心情を大きく変化させていったという。『ポスト・トラウマティック』は、彼が大切な人間を失ったという現実を受け入れられるようになるまでの、9ヶ月間にわたる精神面の変遷を描いた作品だ。歌詞の中には自意識の膨張を抑えきれず、理性的な言葉を見つけられなかった部分もあるという。本作には「ホールド・イット・トゥギャザー」のバースデイパーティーの一節のような、彼の日常を切り取った描写が数多く登場する。

「あのラインは特に印象に残っているもののひとつだ」彼はそう話す。「普段は『これは曲になるかもしれない』なんていう風に、日常のワンシーンを書き留めておくようなことはしないんだ。このアルバムにおけるそういう描写は、俺が創作活動にいかに没頭していたかを物語ってると思う。その幾つかは、アルバムにおける個人的ハイライトと言ってもいい」

「このアルバムを作ることは、俺のキャリアにひとつの区切りをつけるっていう意味もあったんだと思う。『思いはすべて吐き出した、もう言うべきことはない。このチャプターは終わりを迎えた』そんな風に感じてるんだ」彼はそう話す。「普段なら恐怖を伴う感覚だ。でも俺にとっては、新しいチャプターの幕開けを告げるコールだったんだ。このアルバムを完成させたことで、こういう区切りのつけ方もあるってことを学んだよ」

彼の描く絵がそうであるように、その音楽もまたベニントンの死と切り離して受け止められることは決してないということを、シノダはある時点で理解したという。「アバウト・ユー」のコーラスでは、その思いがこう歌われている。「思い浮かべるのは別の誰かなのに、気づけばそれはお前の姿をしているんだ」シノダはこう話す。「チェスターのこと以外にも、俺は曲にしたい思いをたくさん抱えてる。でも人々は、何もかもをあの悲劇的な出来事と結びつけてしまう。そのもどかしさを曲にしたかったんだ」


そのコンセプトは『ポスト・トラウマティック』をリリースするべきかどうかという葛藤とも結びついていた。「有名人の身に起きる出来事を、世間はいつだって深読みしようとする」彼はそう話す。「ある男性が彼女が別れた途端、『知ってる? 彼はコーヒー党なのに、今朝は紅茶を飲んでたらしいわよ。きっと彼女と別れたせいね』なんて世間は噂し始める。本当のことは誰にもわからないのにさ。インターネットは誰かのイメージを勝手に作り上げてしまうんだよ」

自身もその状況に置かれるであろうことを「ある程度は覚悟している」と話す彼は、他人と気まずいやり取りを交わすことにも慣れたという。


● リンキン・パークの今後について考える前に、まずは『ポスト・トラウマティック』がどう受け止められるかを見極めたいとシノダは話す。5月にソロのミニツアーを開催した際、当初こそ感情の波に飲み込まれそうになりながらも、自信をつけるまでに長くはかからなかったという。「すごく緊張したけど、ショーの半分を終えた頃にやっと落ち着きを取り戻して、マイクを通してオーディエンスにこう話したんだ。『一番ハードな部分を乗り越えたから、最後までやれるはずだ』」彼はそう話す。「決して感極まったわけじゃないんだ。ただ過去のショーとは何もかもが違ったから、覚悟を決めるまでに少し時間がかかったってことさ」


当日のセットリストは『ポスト・トラウマティック』の曲やリンキン・パークのトラックだけでなく、シノダの別プロジェクトであるフォート・マイナーの曲も交えられていた。その内容は今後変わっていく予定だという。「今はいろんな選択肢を残しておきたいんだ」そのスタンスは、ショーの内容が(ベニントンに対する)トリビュート的だとする批判を受けてのことなのかもしれない。「そんなつもりはないんだけどね」彼はそう話す。「トリビュート的な部分もあるかもしれないけど、それはあくまでショーの一部でしかない。後日、あのショーがトリビュート的だったかどうかファンに意見を求めたんだけど、大半はそうじゃないって言ってくれた。メディアはアクセスを集めるヘッドラインを立てようとするもんなんだよ」

彼は席を立つと、飲み干したコーヒーの隣で手付かずのままになっていたマフィンを手に取った。どんなことがあったとしても、自分が置かれている状況を受け入れて前に進み続けること、それが彼がファンと共有しようとするマインドセットだ。「アートには傷を癒す力がある」彼はそう話す。「俺は大切ものを失い、悲しみに暮れていたけれど、こうしてまた再び歩き出した。このアルバムが、同じように感じてる誰かの背中を押してくれることを願ってるよ」


■ Track listing

特に記載のない限り、 すべてのトラックはマイク・シノダによって書かれています
01. Place to Start
02. Over Again
03. Watching as I Fall
04. Nothing Makes Sense Anymore
05. About You (featuring Blackbear)
ShinodaMatthew Musto
ShinodaJordan ReyesAaron Harmon

06. Brooding (Instrumental)
07. Promises I Can't Keep
08. Crossing a Line
09. Hold It Together
10. Ghosts
11. Make It Up as I Go (featuring K.Flay)
ShinodaBrad DelsonKristine Flaherty

12. Lift Off (featuring Chino Moreno and Machine Gun Kelly)
ShinodaRory AndrewColson BakerAndrew DawsonChino Moreno
ShinodaAndrew Dawson

13. I.O.U.
14. Running from My Shadow (featuring Grandson)
ShinodaBrad DelsonKevin HissinkRoss GolanJordan Benjamin
ShinodaBoonn

15. World's on Fire
16. Can't Hear You Now
17. Prove You Wrong
18. What the Words Meant

■ Personnel
Mike Shinoda – vocals, piano, guitars, bass, drums, percussion, keyboards, synthesiers, samplers, mixing, composer, art direction, paintings, producer

【Additional musicians】
Rob Bourdon – percussion on 1
Darren King – drums on 9
Boonn – guitar on 14
Blackbear – vocals on 5
K.Flay – vocals on 11
Chino Moreno – vocals on 12
Machine Gun Kelly – vocals on 12
Grandson – vocals on 14


チェスターは、明朗で周囲の人達に気配りのある人でした
しかし、自分自身を受け入れる事が出来ず、苦しんでいました

今も私の悲しみが消えないのは・・・
4年近く経つのに何がそんなに悲しいかって?

彼がもっと気楽に生きられたら良かったのに
自分自身をそこまで追い込まなくても良かったのに・・・と思うからなのです


「Brooding」



ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipedia引用あり

マイク・シノダ 『ポスト・トラウマティック』

私達は同じ悲しみを心に抱く仲間であり、同じ想いで繋がっています
もうすぐチェスターが居なくなって4年になりますが、悲しみは変わることはなく、乗り越えることは一生出来ません
しかし、悲しんでばかりもいられません
私達は前進するしかないのです

マイクも同じ気持ちだったと思います
恐れずに、ありのままを形(音楽)にすることが表現者であり、マイク自身のあり方だからです


「Looking For An Answer」
2017年10月、LINKIN PARKがハリウッド・ボウルで開催したChesterの追悼公演
MikeはChesterが亡くなった8日後に書いた「Looking For An Answer」という曲をピアノの弾き語りで披露しました。この曲はアルバムには収録されていませんが、彼のソロ曲は、この夜初めてファンに紹介されました。



皆大丈夫だよというけれど
俺は忘れられないんだ
どうすればいいか教えてくれ

俺はひとり  
見失ってしまったんだ

答えを探してしまうんだ
そんなのどこにもないのに


Album 『Post Traumatic』


■ 以下、rockin'on 2018.02.13の記事より全文を引用いたします
【マイク・シノダが最新EP『Post Traumatic』に託した、「チェスター喪失の先」を生きる決意】

1月25日に配信リリースされたマイク・シノダの最新EP『Post Traumatic』。リンキン・パークの一員としてともに音楽を紡いできた盟友=チェスター・ベニントンを喪った衝撃に今なお揺れ続けるシノダの胸中が、今作に収められた切実な新曲群“Place To Start”“Over Again”“Watching As I Fall”からも色濃く滲んでくる。

「僕が作り上げるものは粉々に壊れてしまうかもしれない」と怖れるのはもう嫌だ、終わりなんて知りたくない、僕が欲しいのは「始まりの場所」だ――とモノローグのような調子で切々と歌われる“Place To Start”。昨年10月27日に米LA・ハリウッドボウルで開催されたチェスター追悼コンサートの舞台に立つまでの感情を包み隠さずラップ越しに述懐した“Over Again”。そして、重厚かつ不穏なリズムトラックとともに「《彼ら》は僕が墜ちていくのを見ている」と自分を取り巻く世間の視線に対する違和感を露わにした“Watching As I Fall”――。

リリース直後にシノダがTwitterでファンに向けて公開した自筆のメッセージにも「これはリンキン・パークでもフォート・マイナーでもなく、僕自身だ」と綴られていた通り、ここにあるのは極めて私的な、シノダの心の奥底にある想いの結晶そのものなのだろう。
リンキン・パークのライブアルバム『ワン・モア・ライト・ライヴ』の発売に際して昨年12月に行われたInstagram上のリスニングパーティーで「チェスターの声をあんなに長い時間聴いているのが辛かった」と途中退席したことを後日明かしていたシノダ。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)を示唆するシリアスな作品タイトルはそのまま、彼自身の状態を残酷なまでにダイレクトに自ら描ききったものと言える。

しかし。今作には、チェスター追悼コンサートでシノダがピアノ弾き語りで披露した“Looking For An Answer”は収められていない。チェスター急逝後のシノダ自身の、虚空を彷徨うような喪失感をそのまま焼き込んだあの楽曲の哀しい美しさとは、今のモードは明確に一線を画したものである――ということも、この『Post Traumatic』という作品はリアルに物語っている。

「リンキン・パークを続けるつもりだし、メンバーみんな同じ気持ちだ。でもそのために、たくさん立て直さなきゃいけないものもあるし、答えるべき問いもある。時間が必要だ」――困難な状況に屈することなく一歩一歩前に進もうとするシノダのアティテュードが、彼の日々のツイートから伝わってくる。今年8月にはマイク・シノダ名義で「SUMMER SONIC 2018」に出演することも決定。「その先」へ向けて歩み始めた彼の決意に、最大限の拍手を贈りたい。(高橋智樹)


■ 【マイク・シノダ1万字インタビュー:チェスター・ベニントンの死と自身の現在地】
Rolling Stone Kory Grow 2018/06/28 より一部分を引用しています

● 『ポスト・トラウマティック』のテーマはベニントンの死というよりも、彼を失ったシノダが向き合った自分自身の姿だ(本作がベニントンのトリビュートアルバムと解釈されることだけは避けたいと彼は話す)。ベニントンの死の直後に書かれたと思われる、悪夢の中を彷徨っているかのような「プレイス・トゥ・スタート」で彼はこう歌う。「誰か俺の存在意義を教えてくれないか?過去を忘れようと必死なんだ」


「感じたままを歌詞にしたんだ」彼はそう話す。「こんなことは曲にすべきじゃないとか、世間はどう思うだろうとか考えたこともあった。大切な誰かを失った人間が何かを生み出そうとする時、それは避けられないと思う。途方もない悲しみに暮れている時、人は不毛な自問自答を繰り返す。俺もそうだった。曲を作ることに怯えていた時期もあった」


シノダの友人でもあるデフトーンズのフロントマン、チノ・モレノは彼に共感する。2008年にバンドのベーシストだったチ・チェンが交通事故に遭い、5年間生死の境をさまよった果てにこの世を去った。ベニントンが逝去したことを知ったモレノは、当初はシノダに連絡することをためらっていたが、後にメールを送ったという。それがきっかけで2人は共にスタジオ入りし、『ポスト・トラウマティック』に収録された「リフト・オフ」を共にレコーディングした。

またその時、2人は両者が経験した喪失感について語り合ったという。「主に話し合ったのは、罪悪感を覚えることなく創作活動ができるようになるまでに、どれだけの時間が必要かということだった」モレノはそう話す。「彼が生み出してきた音楽のいちリスナーだからこそ、俺には彼の葛藤がよく理解できたんだ」



● シノダが最後にベニントンと会ったのは、彼がこの世を去るわずか数日前のことだった。「あいつからワツキーっていう名前の少年を紹介されたんだ」ラッパーであり詩人でもあるその少年の才能に、ベニントンは惚れ込んでいたという。「あいつは彼のことをしょっちゅう話題にしてたから、俺にも紹介してくれよって言ったんだ。それからしばらくして、ワツキーは友達と2人で俺たちがいるスタジオにやってきた。彼らが帰った後も、チェスターと俺はしばらくスタジオに残ってた。できそこないの曲をいじってみたり、控えていたブリンク182とのジョイントツアーのことなんかを話したりしてた。どうってことのない、いつものムードだったよ」


その数日後、ベニントンはロンサンゼルスの自宅で自ら命を絶った。本誌の取材に応じた友人によると、彼はアルコールへの依存に苦しんでいたという。また同年上旬に行われたインタビューの場で、リンキン・パークのヒット曲「ヘヴィ」について尋ねられたベニントンは、うつ症状に悩まされていることを告白している。検死報告書によると、ベニントンの体からはアルコールが検知されている。「当日の彼がどれだけ飲んでいたかは分からないけど、彼のアルコール依存の深刻ぶりを考えれば、わずかな量がその引き金になってしまった可能性も否定はできない」ベニントンの友人であり、彼のサイドプロジェクトであるデッド・バイ・サンライズのメンバーであるライアン・シャックは本誌にそう語っている。「ほんのわずかなアルコールが、彼の自制心を奪ってしまったのかもしれない」



● シノダから見たベニントンは、予測不可能で巨大なエゴを抱えた、複雑なキャラクターの持ち主だった。「声だけじゃなく、あいつはパーソナリティもラウドだった」彼はそう話す。「あいつはどこでも誰とでもすぐ打ち解けるって、いつも俺たちからからかわれてた。とにかく楽しいことに目がないやつだったんだよ。その一方で、内面はとても繊細で複雑だった」

「やたら熱いくせに、ものすごく冷淡なところもあるんだ」彼はそう続ける。「あいつは映画オンチだって、俺はいつもネタにしてた。俺がまだ観てない映画の感想を聞くと、『10点中11点』とか『あんなクソみたいな作品に巨額の金が注ぎ込まれたなんて信じらんねぇよ。金返せってんだ』なんて言ってた。そういうやつだったんだよ」

感謝祭の日には何十人もの親戚を招いて料理を振る舞うなど、家庭人として知られたベニントンは、他人にも驚くほど気さくに接することもあったという。「まるで予想がつかないんだ」シノダはそう話す。「そっけない態度をとることもあれば、相手がひくような話をし始めることもある。飛行機で隣に座ってる赤の他人を相手に、どう考えても場違いな話を延々と続けたりね。小さな子供のように純粋で、無防備なところがあったんだ」

ベニントンの死の直後、リンキン・パークはウェブサイトにコメントを掲載した。ある一節が感じさせる切実さは今も当時のままだ。「悪魔がお前を奪い去ることは運命だったと、俺たちは自分に言い聞かせようとしてる。音楽を通じてその悪魔と向き合ったお前に世界中の人々が共感したことは、きっと奴らとの契約の一部だったんだろう」

その一節について尋ねられると、シノダはしばらく押し黙り、適切な言葉を探すかのように周囲を見渡していた。「あのくだりが言わんとしていることを一言で説明するなら、俺たちはあいつがどういう人間かを知ってたってことだよ」彼はそう話す。「何が起きてもおかしくないと、俺たちは心のどこかで覚悟してたし、それはあいつ自身も同じだったと思う。そういうことだよ。大切な人間を失った悲しみは、そう簡単に癒えはしない。傷口は今も開いたままだ」

● 「誰かの死と向き合うっていう行為は、様々な感情に順番に向き合っていくことだと思ってた」彼はそう話す。「実際はそうじゃない。家族や友人がその人物の死を悼む時、彼らは同じタイミイングでまったく異なる感情を抱えている。その状態はカオスへと変貌していくんだ。精神的脆さを露呈する人間もいれば、ただ悲しみに暮れたり、怒りに身を任せる人もいる。かと思えば、中にはその事実を深刻に受け止めようとしない人間だっている。そういう感情のズレは、やがて人間関係に影響し始める。俺が1人で作品を作ろうと思ったのは、そのカオスから自分を遠ざけ、自分自身の感情と向き合おうとしたからでもあるんだ」

● 「過去数年間で、俺はソングライターとして大きく成長したと感じているんだ」彼はそう話す。「それはヒット曲を書けるようになったっていう意味じゃない。ある曲に対して、多様なアプローチができるようになったってことなんだ。以前は曲の大半を俺が一人で書き上げて、スタジオでバンドのメンバーに弾いてもらうっていうやり方だった。彼らと一緒に曲を作り上げていくこともあったけど、あまりいい結果に繋がらなかったんだ。でも(リンキン・パークの2014年作)『ザ・ハンティング・パーティ』の一部、それと『ワン・モア・ライト』(2017年)の大半で外部のソングライターと作業した経験を通じて、俺はそれまでとは異なる作曲アプローチを身につけた。それは今作にも生かされているし、その制作過程からも多くを学んだと思う」

「あらゆる曲にはテーマがあるべきだ」彼はそう続ける。「人生そのものに退屈してしまっているような状況では、優れた作品は生まれにくい。でも人生が波乱に満ちていると、想像力の泉から無数のアイディアが湧き起こってくるものなんだ」


● 冒頭曲の「プレイス・トゥ・スタート」から、最終曲の「キャント・ユー・ヒアー・ナウ」を書き上げていく過程は、彼の心情を大きく変化させていったという。『ポスト・トラウマティック』は、彼が大切な人間を失ったという現実を受け入れられるようになるまでの、9ヶ月間にわたる精神面の変遷を描いた作品だ。歌詞の中には自意識の膨張を抑えきれず、理性的な言葉を見つけられなかった部分もあるという。本作には「ホールド・イット・トゥギャザー」のバースデイパーティーの一節のような、彼の日常を切り取った描写が数多く登場する。

「あのラインは特に印象に残っているもののひとつだ」彼はそう話す。「普段は『これは曲になるかもしれない』なんていう風に、日常のワンシーンを書き留めておくようなことはしないんだ。このアルバムにおけるそういう描写は、俺が創作活動にいかに没頭していたかを物語ってると思う。その幾つかは、アルバムにおける個人的ハイライトと言ってもいい」

「このアルバムを作ることは、俺のキャリアにひとつの区切りをつけるっていう意味もあったんだと思う。『思いはすべて吐き出した、もう言うべきことはない。このチャプターは終わりを迎えた』そんな風に感じてるんだ」彼はそう話す。「普段なら恐怖を伴う感覚だ。でも俺にとっては、新しいチャプターの幕開けを告げるコールだったんだ。このアルバムを完成させたことで、こういう区切りのつけ方もあるってことを学んだよ」

彼の描く絵がそうであるように、その音楽もまたベニントンの死と切り離して受け止められることは決してないということを、シノダはある時点で理解したという。「アバウト・ユー」のコーラスでは、その思いがこう歌われている。「思い浮かべるのは別の誰かなのに、気づけばそれはお前の姿をしているんだ」シノダはこう話す。「チェスターのこと以外にも、俺は曲にしたい思いをたくさん抱えてる。でも人々は、何もかもをあの悲劇的な出来事と結びつけてしまう。そのもどかしさを曲にしたかったんだ」


そのコンセプトは『ポスト・トラウマティック』をリリースするべきかどうかという葛藤とも結びついていた。「有名人の身に起きる出来事を、世間はいつだって深読みしようとする」彼はそう話す。「ある男性が彼女が別れた途端、『知ってる? 彼はコーヒー党なのに、今朝は紅茶を飲んでたらしいわよ。きっと彼女と別れたせいね』なんて世間は噂し始める。本当のことは誰にもわからないのにさ。インターネットは誰かのイメージを勝手に作り上げてしまうんだよ」

自身もその状況に置かれるであろうことを「ある程度は覚悟している」と話す彼は、他人と気まずいやり取りを交わすことにも慣れたという。


● リンキン・パークの今後について考える前に、まずは『ポスト・トラウマティック』がどう受け止められるかを見極めたいとシノダは話す。5月にソロのミニツアーを開催した際、当初こそ感情の波に飲み込まれそうになりながらも、自信をつけるまでに長くはかからなかったという。「すごく緊張したけど、ショーの半分を終えた頃にやっと落ち着きを取り戻して、マイクを通してオーディエンスにこう話したんだ。『一番ハードな部分を乗り越えたから、最後までやれるはずだ』」彼はそう話す。「決して感極まったわけじゃないんだ。ただ過去のショーとは何もかもが違ったから、覚悟を決めるまでに少し時間がかかったってことさ」


当日のセットリストは『ポスト・トラウマティック』の曲やリンキン・パークのトラックだけでなく、シノダの別プロジェクトであるフォート・マイナーの曲も交えられていた。その内容は今後変わっていく予定だという。「今はいろんな選択肢を残しておきたいんだ」そのスタンスは、ショーの内容が(ベニントンに対する)トリビュート的だとする批判を受けてのことなのかもしれない。「そんなつもりはないんだけどね」彼はそう話す。「トリビュート的な部分もあるかもしれないけど、それはあくまでショーの一部でしかない。後日、あのショーがトリビュート的だったかどうかファンに意見を求めたんだけど、大半はそうじゃないって言ってくれた。メディアはアクセスを集めるヘッドラインを立てようとするもんなんだよ」

彼は席を立つと、飲み干したコーヒーの隣で手付かずのままになっていたマフィンを手に取った。どんなことがあったとしても、自分が置かれている状況を受け入れて前に進み続けること、それが彼がファンと共有しようとするマインドセットだ。「アートには傷を癒す力がある」彼はそう話す。「俺は大切ものを失い、悲しみに暮れていたけれど、こうしてまた再び歩き出した。このアルバムが、同じように感じてる誰かの背中を押してくれることを願ってるよ」


■ Track listing

特に記載のない限り、 すべてのトラックはマイク・シノダによって書かれています
01. Place to Start
02. Over Again
03. Watching as I Fall
04. Nothing Makes Sense Anymore
05. About You (featuring Blackbear)
ShinodaMatthew Musto
ShinodaJordan ReyesAaron Harmon

06. Brooding (Instrumental)
07. Promises I Can't Keep
08. Crossing a Line
09. Hold It Together
10. Ghosts
11. Make It Up as I Go (featuring K.Flay)
ShinodaBrad DelsonKristine Flaherty

12. Lift Off (featuring Chino Moreno and Machine Gun Kelly)
ShinodaRory AndrewColson BakerAndrew DawsonChino Moreno
ShinodaAndrew Dawson

13. I.O.U.
14. Running from My Shadow (featuring Grandson)
ShinodaBrad DelsonKevin HissinkRoss GolanJordan Benjamin
ShinodaBoonn

15. World's on Fire
16. Can't Hear You Now
17. Prove You Wrong
18. What the Words Meant

■ Personnel
Mike Shinoda – vocals, piano, guitars, bass, drums, percussion, keyboards, synthesiers, samplers, mixing, composer, art direction, paintings, producer

【Additional musicians】
Rob Bourdon – percussion on 1
Darren King – drums on 9
Boonn – guitar on 14
Blackbear – vocals on 5
K.Flay – vocals on 11
Chino Moreno – vocals on 12
Machine Gun Kelly – vocals on 12
Grandson – vocals on 14


チェスターは、明朗で周囲の人達に気配りのある人でした
しかし、自分自身を受け入れる事が出来ず、苦しんでいました

今も私の悲しみが消えないのは・・・
4年近く経つのに何がそんなに悲しいかって?

彼がもっと気楽に生きられたら良かったのに
自分自身をそこまで追い込まなくても良かったのに・・・と思うからなのです


「Brooding」



ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipedia引用あり

Blackmore's Night – Nature's Light (Full Album 2021)

全世界のリッチー・ファン待望、ブラックモアズ・ナイト5年半ぶり、11枚目のアルバムがついに登場!リッチーのギター・プレイはますます円熟味を増し、キャンディスの歌の美しさはこの世のものとは思えぬ域に。音楽がまだ魔法であった時代、中世ヨーロッパへのロマンを強烈に感じさせる本作は、疲れた現代人への最高の癒し。2021年最も美しいアルバムの登場だ。

ハードロック史上最高のギタリスト、リッチー・ブラックモアとその妻、キャンディス・ナイトによるプロジェクトであるブラックモアズ・ナイト。97年にリリースされたデビュー・アルバム『Shadow of the Moon』は、ディープ・パープルやレインボーでも垣間見ることのできたリッチーのルネサンス期の音楽、そして世界各国の民族音楽への傾倒が、初めてアルバムという形で提示された作品として、ハードロック/ヘヴィメタル・ファンからも大きな注目を浴びた。本作はドイツにおいて17週間連続チャートインし、ゴールドディスク認定を受けるなど、商業的にも大成功。その後もコンスタントにアルバムをリリースしてきたブラックモアズ・ナイトであったが、15年の『All Our Yesterdays』以降、しばらく新作発表が滞っており、ファンはやきもきしていた。だが20年12月、クリスマスEP『ヒア・ウィ・カム・ア・キャロリング』を発表。そしてついに21年3月、世界中のリッチー・ファン待望のニュー・アルバム『ネイチャーズ・ライト』がリリースとなる! (HMV & BOOKS onlineより引用)



『Nature's Light 』(Full Album 2021)



00:00​ - Once Upon December

03:08​ - Four Winds

06:10​ - Feather in the Wind

10:42​ - Darker Shade of Black (Inst)

16:47​ - The Twisted Oak

21:06​ - Nature's Light

25:36​ - Der Letzte Musketier (Inst)

30:33​ - Wish You Were Here (2021)

35:38​ - Going to the Faire

40:13​ - Second Element

【メンバー】
リッチー・ブラックモア (ギター/ハーディ・ガーディ/マンドラ)
キャンディス・ナイト (ヴォーカル/タンバリン)




ご視聴ありがとうございましたm(__)m

ブラックモアズ・ナイト 「Second Element」

リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)と、彼の妻キャンディス・ナイト(Candice Night)によるユニット、ブラックモアズ・ナイト(Blackmore's Night)の「Second Element」のミュージックビデオが公開されています
この曲は最新アルバム『Nature's Light』に収録

この曲、出だしからいいですよね(^_^)
映像美にも拘りがあって好きです
凄くお勧めの作品です




ご視聴ありがとうございましたm(__)m

地下鉄サリン事件、オウム真理教一連事件

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風化させてはいけない事件なので投稿いたしました
今日は26年前、地下鉄サリン事件が起きた日です

私は超常現象などは信じていないので、こういう境地は理解できません
若者達はどうしてこんな愚かな事に陥ってしまったのでしょう

こんないかさまを真剣に信じていたのでしょうか
彼等は何を獲得したかったのでしょう
彼等は自分自身を信じることすら出来なかったのでしょうか


■ 【「空中浮揚」をうまく活用】の文章を引用します
辻田 真佐憲
文筆家
近現代史研究者
2018.07.19

そもそも教祖の麻原彰晃は、希代のプロパガンディストだった。

麻原は、1984年にオウム真理教の前身にあたるオウム神仙の会を設立した。そのころより、かれはメディアを強く意識していた。

当時、「ノストラダムスの大予言」のような終末思想や、ユリ・ゲラーのような超能力者が世間を騒がしていた。麻原はそこに着目し、1985年、オカルト雑誌の双璧だった『ムー』と『トワイライトゾーン』への寄稿を開始。みずからの「空中浮揚」の写真を掲載するなどして、会員の獲得に努めた。

『トワイライトゾーン』については、毎号のように広告を出して、連載枠を獲得したという(高山文彦『麻原彰晃の誕生』)。

麻原の活動はとどまるところを知らない。1986年には、週刊誌の『プレイボーイ』にみずからの「空中浮揚」の写真を掲載させることにも成功した。

これは、蓮華座を組んだ麻原が飛び跳ねているのを、カメラマンがそれらしく撮影したものにすぎなかった。ただ麻原は、外部のものによって自身の超能力が証明されたとして、この写真を全面的に利用した。

1987年に刊行された最初の著作『超能力「秘密の開発法」』はその象徴だった。麻原はその同書に『プレイボーイ』に掲載された写真を載せて、みずからの超能力を誇示したのである。

さらに麻原は、同年にはインドのダラムサラに飛んで、ダライ・ラマと接見。そのとき撮影したツーショット写真を本部道場のいたるところに貼らせた。自分は、ダライ・ラマともコネクションがあるという露骨なアピールだった。明らかに麻原は、写真の宣伝効果を知り尽くしていた。

こうしたメディア戦略が奏功して、オウム神仙の会は急成長した。同年半ばにオウム真理教に改称されたときには、会員数が1000人近くに上っていた。

できもしない「空中浮揚」を何度も利用している点からみても、麻原は当初から真摯な宗教者というより狡猾な宣伝マンだったことがわかる。




■ 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)は事件後、山梨県にあった教団施設の隠し部屋で発見されましたが、ANNはその際に撮影された未公表の写真を入手しています


■ オウム真理教事件(オウムしんりきょうじけん)とは・・・
1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした一連の事件の総称である。

オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)が、宗教を隠れ蓑に日本を乗っ取って、自らその王として君臨するという野望を抱き、それを現実化せんとする過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。世界史的に見ても、アルカーイダやISILによるテロを先取りした事件である。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)負傷者は6000人を超えた。
教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」とされている。

■ 「オウム真理教 20年目の真実」
この映像は、年齢制限がございます



■ こちらは、「隠された謎に迫る!! 今夜明かされるオウム無差別殺人への道」
ザ・スーパーサンデー (1995年12月17日放送)
1時間51分です


もう一つ、私がとても無念に思うことです。
熊本県阿蘇郡波野村は、オウムが数千万円で取得した土地を9億2000万円で買い取ることで和解していたのです。

■ 松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する東京地裁判決によると、この年の2月にあった衆院選で松本死刑囚らが惨敗、4月ごろになって無差別大量殺人の実行を教団幹部らに宣言した。波野村への進出は、その直後だった。後に、波野村の施設で90年秋ごろから、毒ガス「ホスゲン」などの製造工場をつくろうとしていたことが明らかになる。

 実際、土地を入手した教団はすぐ、施設建設に着手した。最も近い場所に農地があった岩下浩徳さん(57)によると、大型トラックが行き来し始め、村が管理する道は勝手に広げられ、プレハブの建物がどんどん建っていった。

 村民は6月、「波野村を守る会」を結成。教団に建設計画の説明などを求めたが拒否された。古くからの住人が大半を占める人口約2千人の村は、次々と信徒がやってくる状況を前に、「住民票を移されたら村が乗っ取られて、『麻原村長』ができる」と混乱に陥った。

 8月には、計約400人の信徒と村民がもみ合いになり、十数人のけが人が出る事態も起きた。村は、約450人の転入届の受理を拒み続けたが、教団に訴訟を起こされ敗訴。94年夏、村が教団に9億2千万円を払うことで、教団は土地を明け渡すという内容で和解が成立した。村の年間予算の半分近い金額だった。

 守る会の幹部だった飛田祖久美(ひだそくみ)さん(83)には、「もっと額を抑えられなかったのか」という思いもある。それでも和解によって、村民に死者が出る前に教団は出て行った。飛田さんは「あの時はあれでしょうがなかった」と振り返る。

 死刑執行は「あれだけの罪をしている。間違いが二度と起こらない社会を実現するには、やむを得ない」。そう受け止める。教団施設の跡地はいま、荒れ地になったままだ。(後藤たづ子、福井悠介)2018.07.06朝日新聞より





私は、大勢の犠牲者を出したこの事件を忘れることはできません
そして、自分の事として考えずにはいられません
ご視聴ありがとうございましたm(__)m
Wikipediaより引用あり