坂本龍一が音楽を担当。
ジョニー・デップ製作/主演最新作『MINAMATA―ミナマター』の本編クリップ映像公開。
ジョニー・デップ扮する写真家のユージン・スミスが「LIFE」誌に突撃するシーン。水俣病のことを知り、その重大さに気がついたユージンが、ビル・ナイ演じる「LIFE誌」の編集長ロバート・ヘイズの元を訪れ、特集記事をと迫る。
映画『MINAMATA―ミナマター』は9月23日(木・祝)にTOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開されます。
以下は以前に公開された映像
日本版予告編映像
■映画『MINAMATA―ミナマター』
9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開
熊本県水俣市のチッソ工場の廃水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く水俣病。その存在を世界に知らしめたのが、写真家ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミス氏による写真集「MINAMATA」(1975)だ。
ジョニー・デップ自身が長年の憧れだったと語るユージン氏。
彼の遺作ともなったこの写真集を基に、ジョニー自身の製作/主演で待望の映画化が実現。映画では、報道写真家として功績を評価されながらも心に傷を抱えたユージン氏が、アイリーン氏とともに水俣を訪れ、現地で暮らし人々の日常や抗議運動、補償を求め活動する様子を写真に収めていく濃密な日々が描かれる。
「彼(ユージン氏)は心の中に痛みを抱えていた。でも、水俣が彼の心を再び開いたんだと思う」と語るジョニー・デップが容姿から内面に至るまで、傷ついた写真家が、再びカメラを手に取り、闘いに身を投じていくその生き様を見事に体現し現代に蘇らせた。
本作は、2020年ベルリン国際映画祭で特別招待作としてワールドプレミア上映され「デップが最高の演技を披露」「デップが役に消える」とジョニーの魂の演技に各国メディアに絶賛された。
共演はビル・ナイ、日本から真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子など実力派キャストが集結。音楽を手掛けたのは坂本龍一。
今年、2021年(5月1日)は水俣病公式確認から65年、環境庁(現 環境省)発足50年を迎える。
ユージンに長年憧れを抱いたジョニーが、「映画の持つ力をフルに活用して、この歴史は語り継がれなければならない」と映画化を熱望し、自ら製作・主演を務めた、役者人生をかけた衝撃の感動作!
【ストーリー】
1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。
水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。
そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだったが、ある事がきっかけで自身も危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る──。
【ウィリアム・ユージン・スミス William Eugene Smith】(1918-1978)
1918年12月30日、アメリカ・カンザス州ウィチタ生まれ。
世界的写真家集団「マグナム・フォト」の正会員。
太平洋戦争において、サイパン、沖縄、硫黄島で戦場カメラマンとして活躍。戦後は一般の人々の生活を捉えていき、「ライフ」誌で発表した「楽園へのあゆみ」、「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」などのフォト・エッセイは世界的評価を得る。52歳の時に当時の妻アイリーンと水俣市に移住。
3年間水俣市に暮らしながら水俣病の問題を取材し、1975年、アイリーンとの連名による写真集「MINMATA」がアメリカで出版され、世界中で大反響を呼んだ。
翌年、ロバート・キャパ賞を受賞。
1977年末、死去。享年59歳。
写真集「MINAMATA」がスミスの遺作となった。
製作:ジョニー・デップ
監督:アンドリュー・レヴィタス
脚本:デヴィッド・ケスラー
音楽:坂本龍一
原案:写真集「MINAMATA」W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス(著)
出演
ジョニー・デップ
真田広之
國村隼
美波
加瀬亮
浅野忠信
岩瀬晶子and ビル・ナイ
2020年/アメリカ/英語・日本語/115分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch
原題:MINAMATA/日本語字幕:髙内朝子
公式サイト:https://longride.jp/minamata/
提供:ニューセレクト株式会社、カルチュア・パブリッシャーズ、ロングライド
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
写真と文章をamassよりお借り致しました