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Sal Filipelli & Sly Stone – One More Hit

とりあえず陰性、保健所の指示により、4月30日まで外出自粛。音楽三昧となるか、ヘッドホン聴きはブログ時にしているから、スピーカーで聴きたいと思いきや!

隣室の息子テレワーク「五月蠅い」と生意気、「アホ上司との仕事なんか適当にしろ」と、とんでもねえ親父に(笑)

奥方はリビングTVで、ここぞとばかりに韓流ドラマ観まくり。小生、いちおう映画はプロ、でも夢中の方に、70年代大映テレビの焼き直しとは、言えない(笑)

で、仕方なく、アマゾンプライム、ネットフィリックスをPC23インチでのサブスク・ビデオ鑑賞。便利ですが、映画は劇場で見るべしが持論ですので、ちと後ろめたさも感じる~

こうなれば見落としの音楽映画、ドキュメンタリー映画をチョイス、けっこうはある!

まずはアマゾンプライムから2015年公開『スライ・ストーン』 ブログしてから80年代以降の凋落を知りましたが、今回じっくりと…


 


Sly Stone スライ・ストーン(字幕版)


 


70年代黒人音楽のソウル系はFENで知りますが、レコードで当時世界一のメロディメーカーと思うスティーヴィー・ワンダーとロック系は後追いですが定番・今でもNo1ギタリストのジミ・ヘンドリックス、そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンがダンスミュージックのノリもありますが、ファンクそしてロックで印象深いし、大好き。

70年代後半、人気に陰りありでしたが、60年代後半から70年代のアルバム群、特に69年『スタンド!』71年『暴動』はロックがカウンターカルチャーとして機能していた時代、スライの音楽の才がシンクロした名盤以上の公民としても意味があると思う。

ドキュメンタリー映画『スライ・ストーン』は時代の寵児だったスライが隠遁した状態を90年代から20年かけてオランダのウィレム・アルケマ監督とスライ伝記を書くため、スライを探し求めたディープファンのコニング双子兄弟の追跡・追随記。楽しめた、良き映画でした。

スライはドラックとエージェントの罠にハマっていたと知っていましたが、音楽の天才、単なるカウンターカルチャーでなく一言居士………やめます(笑)

映画は観てなんぼ、興味のある方、見逃した方ご覧下さい。

動画の曲がエンディング曲でスライをヒートした近作「One More Hit」もう一度ヒット曲とはグットきました。

と云うことでおまけは曲は体を表すとの思いで

Sly & The Family Stone - Everyday People




























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The Clash – Should I Stay or Should I Go

ザ・クラッシュの「Should I Stay or Should I Go:ステイ・オア・ゴー」で、アルバムは82年『Combat Rock:コンバット・ロック』ですね。

日本でもヒットの『コンバット・ロック』の「ロック・ザ・カスバ 」ですが、自国UKシングルで20位で、10位に入れず、この「ステイ・オア・ゴー」が10年後、92年CMソングで再リリースでバンド唯一のシングル1位だったのですね。

良き曲ですね、正にロックです。

パンクは小生の場合、高校生時、ロック友で誰よりも早く買ったセックス・ピストルズ・77年『Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols:勝手にしやがれ!!』を音楽クラブでかけて、ハード・プログレ命のロック友とは、反目の口論を長くしたと覚えています。

でも、推していたピストルズはすぐ解散との事でアルバムは続かず、パンクと言えば、その後はザ・クラッシュ。

そして、このバンドには、ブリティッシュロックのキモの革新性があった。79年『ロンドン・コーリング』80年『サンディニスタ!』の多様性、もうしっかりニュー・ウェイヴでしたが、リーディングなバンドだったと。

『コンバット・ロック』のヒットさらに期待でしたが、なんと「ステイ・オア・ゴー」で歌うコンポーザーでもあるミック・ジョーンズが脱退と言うか、いなくなった。

その後が興味も薄れ、85年『Cut the Crap』後、解散でしたね。今はジョー・ストラマーのソロ起点と思えば聴けるかもですが…これも当時はバンドが、なくなった でした。


 


Combat Rock


 



【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞられて、時たま、私見があります】

コロナ編 Should I Stay or Should I Go 

昨日、医院から連絡があり、小生・奥方・息子3人とも、陰性でした。
保健所に当方から、再確認の電話を入れて(直ぐ出ました)濃厚接触者は変わらずで、2週間、娘の判明日から2週間、今月末まで外出自粛は変わらずです。

奥方、号泣。
パートでも、勤務先にご迷惑をかけなくすんだと、ほっとしたようで、真面目。

小生、なるようになるさと。
心肺疾患持ちの小生も奥方は罹ったら、命関わる可能性は高いと…覚悟と言うより開き直り。
マスクと手洗いと距離をとっている、お酒は飲めない、会合等は昨年から出席してない。医学的にも社会参加的にも家族と親類以外は、距離をとっている。更に3年前から、どうでもよい間柄の方々とは断捨離、会わない、連絡しない。

テレワークの息子はメール報告、会社の上司とは少し揉めたようで。
「保健所のエビデンス」を出せと、これまの経験上の「エビデンスは?」と言う奴は、たいがい腹黒い奴か、責任転嫁野郎。
「てめえで保健所に連絡するか、厚生労働省・区役所HPでも確認しろ」と言えと父エキサイト(笑)
テレワークで週1回ぐらいに出勤なのに、調整つける手立ても考えろと、相変わらずバカはいる。小生だったら「良かったですね。今後も気をつけてください、変化があったら直ぐに連絡してください」と言う、息子の会社が少し心配になった(笑)

で、これから都、又又又増えるようで、厳しい状況になる。
月明け、父の介護帰省と経済的に仕事の外出が必要、予防注意は絶対条件ですが………

恋唄ですが Should I Stay or Should I Go 身にしみる。

さてさて 明日はどっちだ

と云うことでおまけは昭和の子ですので

























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Roger Waters – The Gunner’s Dream

ロジャー・ウォーターズの「The Gunner's Dream:ザ・ガンナーズ・ドリーム」で、元曲はピンク・フロイドの83年『The Final Cut:ファイナル・カット』からですね。

コロナ禍、ロジャー・ウォーターズは自宅でYouTube配信を、この曲含め4曲、期間を置きながら、これまでのライブ・メンバーと遠隔操作で演ってます。
これがアコギ主ですが少しエレキも入りますが、愁いあり聴き入る。

昨年「Mother」上げましたが、79年『ザ・ウォール』83年『ファイナル・カット』から、4曲選曲。

当時、ピンク・フロイドがロジャー・ウォーターズ体制になり、リーダーと言うより、強権的なレコーディングだったようですが、小生的には『ザ・ウォール』『ファイナル・カット』も大好きなアルバム。

『ファイナル・カット』は、極私音楽ウォーターズ・アルバムと、第二次世界大戦で戦死したウォーターズの父への鎮魂歌、さらに80年代の英国情勢を加味でしたアルバム、思い・メロ含めて!

ちょこっとデヴィッド・ギルモアも演りますが、外部ミュージシャン多用でこなしましたがピンク・フロイドのアルバムに。

聴く側は結果アルバムが良ければと、このアルバム後ツアーはきるような状況ではなく、そしてウォーターズ脱退、裁判ざたのピンク・フロイド名義で揉めました。
これは驚きましたが、この時点で、もう無理なんだと、そして最後のアルバム『ファイナル・カット』の暗さに合点でした。


 


The Final Cut by Pink Floyd


 


【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞられて、時たま、私見があります】

コロナ編

娘コロナ陽性(入院治療の必要がない軽症)昨日より、都指定ホテルでの宿泊療養。

本日、PCR検査を奥方、息子と3人で受けて来ました。奥方と息子は有給扱いしたと、俺は有給?(笑)

保健所指定の医院へ、予約を入れて歩きで出かける。医院について名前を言うと同室案内され、3人一緒に書類書き。

唾液検査、検査前、医師により説明、温和な方で和み、ナーバスになっている奥方の質問にも明確に返答。検査は2・3日かかると、結果は電話連絡、保健所にも報告されるとの事。

検査は唾液を口の溜めて、容器に入れる。けっこうな量、大きめ試験管の底に溜まるぐらい、「5分間ぐらいかかります」と看護士さん。

終わり、医院カード渡され、会計で保険対応で一人2,020円(初診料・PCR検査料は無料)【因みに自費申請の場合は18000円から33,000円ぐらいのようです】
合計6,060円 診察料は日本医師会がこだわったやつね、なるほど利権だもの。
診察料が払いたくない方は指定保健所での検査は無償のようです。

指定保健所までは交通費もかかるし、公共交通機関・タクシー等利用で、他の方にうつす可能性はゼロでないと思い、当家は徒歩圏内の保健所指定の医院を選択でした。

さて結果は、奥方がかなりナーバスになっております。
「なるようになる」と声をかけると返答は「一度死んだ男は違う」と、6年前の心筋梗塞はやっぱりギリギリだったと再自覚。

で、ロジャー・ウォーターズの暗めですが、彼ならでは愁いありの動画を観入っております。

さてさて結果は、明日はどっちだ、やっぱり昭和の子(笑)

と云うことでおまけはこれも『The Final Cut:ファイナル・カット』からで

Roger Waters - Two Suns In The Sunset



























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Philip Glass – Opening

フィリップ・グラスの「Opening:オープニング」です。アルバムはコンピレ2016年『Glassworks』や98年サントラ『The Truman Show: Music From The Motion Picture』です。

フィリップ・グラスはアメリカの現代音楽、作曲家ですが、映画音楽も多くあり、ミニマル繰り返しフレーズでPOP・ロックそして多くのミュージシャンが影響を受け、グラスはデヴィッド・ボウイの『Low』『Heroes』の曲をオーケストレーション、シンクロ的同位関係と思います。

日本では公開されなかった85年『Mishima ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』のサントラもフィリップ・グラス。

「Opening」は98年ジム・キャリー主演映画『トゥルーマン・ショー』のサントラ。

久しぶりにプチじじいの主張(笑)の為の引用で、この後。


 


The Truman Show: Music From The Motion Picture


 



【このブログ、反原発で始まったブログです。例えをロックのカウンターカルチャーになぞられて、時たま、私見があります】

この頃、至って事なかれ主義、主義主張ないブログですが、皆さんのブログの方が、情報リテラシー正確には情緒リテラシーが確保できて、参考になる。

福島第一原発の処理水、海洋放出の政府決定は予測してましたが、まあモヤモヤ感、そもそもコントロールできないモノは高くつく。

英国・仏国の原発関連施設の水際では、日本の処理水以上に放射線が高い地域があるとは、知ってましたが。

保管場所も無くなるわけで、安全神話・利権構造の付け、これまでの体たらくの結果だと思うけど、批判はしたいと。

で、柏崎が核物質防護不備問題で、再稼働全基停止は継続、原子力規制委員会の決定。
行って来いのようなプラスマイナス、ゼロと考えたが?

安全構造・仕組みに万全はない、電力会社は出来ないと言うより、日本社会でも出来ない、自然の脅威、もしくは人心の乱れ、それを超えると歴史が示している。


少しやるせない気持ちのところ、娘が体調悪く、昨日病院に行くと本日、コロナ陽性と連絡があり、安全・安住の地は家庭すら無いと。

娘は今元気、家族は濃厚接触者として保健所の連絡まち、小生・奥方は疾患持ち両人とも良好ですが、さてどうなる…

なんも知らずに作られた世界で明るく暮らしてきたトゥルーマンがオーバーラップ、なんも知らないで生きていけば幸せなモノ、特定の方が儲かるように作られた世界であっても。

日本はもう誤魔化し切れない、世界も誤魔化し切れない、気がついたトゥルーマンのように外に出る勇気があるのかと…歳なのに。

と云うことで少し散漫なブログですがおまけはこの頃ソフトな曲が多いですが、根っこはハードロック、揺り戻しのサバス、未来への厳しい提言になっている曲で

BLACK SABBATH - Children of the Grave


























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The Moody Blues-New Horizons

ムーディー・ブルースの「New Horizons:新しい地平線」で、アルバムは72年『Seventh Sojourn:セヴンス・ソジャーン 神秘な世界』ですね。

70年代のプログレでは、マストは『Seventh Sojourn』の前作『Every Good Boy Deserves Favour:童夢』なんでしょうと! 日本で人気アルバムと。

でもでも、当時も今もなんか古臭い60年代サウンドのノスタルジックなロック、プログレよりは、ムーディー・ブルースの音との思いありです。

ムーディーそのもの、名が体を表すと思いきや、ムーディーは気分屋、むら気、ようで、メローやソフトとの例えは、合わない。

小生には、プログレよりは、ソフトロックと思えるけど、ほぼ英米では同時期人気もあり、新しいロックとの位置づけなんですね。

67年ヒット曲「サテンの夜」が このアルバム『Seventh Sojourn』同時期に米でヒットで72年シングル1位、アルバムが初の全米1位。

「サテンの夜」の2度踏み、道理でFENでムーディー・ブルース知った理由が今頃、判りました(笑)


 


THE SEVENTH SOJOURN


 


プログレロックより、アメリカのシカゴのブラスロックより、ライトなオーケストラ伴奏ロック、シンフォニーロックが、ムーディー・ブルースが合ってる。不協和音よりは、イージーリスニング、AORに通ずる、アートロックな優しい音色で、ノスタルジックな感じ。

当時はキングクリムゾン、ピンクフロイド、ELPも聴いていたので、電子楽器メロトロンが威力ありですが、ソフトなメロディアス・ロックと!

「New Horizons:新しい地平線」がネットラジオかかり、超久しぶりに『Seventh Sojourn:セヴンス・ソジャーン 神秘な世界』を通しで聴きまして、ストリング、スシンフォニー伴奏に70年代の古さを感じても、懐かしメロで思わずUPでした。

と云うことでおまけは同アルバムから、少しはロックバンドらしい曲で

The Moody Blues - I'm Just A Singer (In A Rock And Roll Band)

























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David Crosby – Music Is Love

デヴィッド・クロスビーの「Music Is Love:ミュージック・イズ・ラヴ」で、アルバムはソロ1st・71年『If I Could Only Remember My Name:イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』ですね。

ソロとして、時代には少し遅れですがサイケデリック・フォークロックとして評価されているアルバムですね。


 70年代の後追いアメリカンロックの60年代モノでは、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、そしてバーズが好きでドアーズはレコードを買いましたが他のバンドはレコードを借りた方が多かったと覚えております、買えたのは80年代になってCD再販。

小生の70年代はハードロック・プログレそしてパンクですので、フォークロックには、幾分引き気味で、サイケデリック・ロックに興味があったから聴きましたが、バーズのメロディアス、ハーモニーそして儚いたどたどしいさに、多感な10代の感性があったと思います。

バーズのサイケ作との3rd・66年『Fifth Dimension:霧の5次元』の「Eight Miles High:霧の8マイル」はドラックソングと有名な事は後日知りますが、今思うにビートルズに負けない『リボルバー』と同時期に同じ様な事を演っていた。ビートルズより先との評も。

当時は素直に変な曲なのにカッコイイとビートルズのサイケから始まり、ドアーズ、ピンクフロイド1stとそしてクリーム1st、時代の音・ロックの変化・先鞭と思い聴きました。


 


If I Could Only Remember My Name


 


「Eight Miles High:霧の8マイル」は、ロキシー・ミュージックの80年にカバーもありました。このアルバム『Fifth Dimension:霧の5次元』では、コンポーザーとして、デヴィッド・クロスビー作も多く、サイケの才・要素があった。

デヴィッド・クロスビーは、バースからCSN&Y:クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングでフォークロックの潮流をきずいたメンバーですが。

これは完璧に超遅れての後追い、21世紀なって40歳過ぎてから、好きなった小生にはCSN&Yのクロスビーは先頭に名前がありますが、昔の栄光バーズで威光で、出ています感もありと思っていたのですが?

71年『If I Could Only Remember My Name:イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』で、実力ありのミュージシャンと確認できたアルバムでした。

でも次作『Oh Yes I Can』は89年、CSN&Y、CSN、CNとの時間に割き、ソロは寡作。
この『If I Could Only Remember My Name』がフォークロック・ハーモニー・アコースティック・サイケの集大成。

参加メンバーはニール・ヤング、グラハム・ナッシュ、ジョニ・ミッチェル、ジェリー・ガルシア、フィル・レッシュ、ビル・クルーツマン、グレース・スリック、ポール・カントナー、ジャック・キャサディ、ヨーマ・コーコネン等60年代アメリカンロックの寵児達、ソフトなロックですが、柔いアルバムでは無いですね。

と云うことでおまけは同アルバムからで

David Crosby -Cowboy Movie

























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The Cars – Shake It Up

カーズの「Shake It Up:シェイク・イット・アップ」で、アルバムは81年・4th同主題『Shake It Up』ですね。

アメリカのニュー・ウェイヴ 、UKでも人気あったブロンディ、ストーンズのカバーが冴えたディーヴォ、ファニーで今でもよく聴くB-52's 、そしてカーズが一挙に70年代終わりに登場でした。

ロックバンドなりはカーズ、ブロンディあたり、カーズは78年1st『The Cars:錯乱のドライブ』の「Just What I Needed:燃える欲望」から、ヒットでした。

小生的には79年2nd『キャンディ・オーに捧ぐ』のアルバムジャケがエロく、これも大好き(笑)音もいいしPOPでバラエティー。


 


シェイク・イット・アップ(エクスパンデッド・エディション)SHM-CD


 


同時期ファニー・ユニークでUKモノの対抗となると?

スカミュージック系のマッドネス、ザ・スペシャルズあたりと思うけど、ほんとカーズ・B-52's は独特、50年代・フィフティーズ憧れもあったと思いますが、新しいかった。

80年代になってカーズは、テクノ、シンセ化の『Shake It Up』カーズは元々、リーダーのリック・オケイセックがオールのコンポーザーで、リックの世界がカーズと。

ボーカルはリックとベンジャミン・オール 分け合いますが、バンドの好き嫌い、別れ道かもです。リック・オケイセックは、カーズでは最新作・遺作となった11年『ムーヴ・ライク・ディス』ではヘビィなPOPロックも演っていますが。

久しぶり聴くと全て同じ曲のように聴こえジジイ化? 少し己の音楽感を疑いました。カーズの全曲の流しは危険!曲の区別がつきにくい(笑)

でも才ありリック・オケイセックの世界、明快な音色と程よい歪、ファニーな合いの手のシンセ、綺麗な音のPOPロックと再確認でした。

と云うことでおまけはアルバムの好きな曲で

The Cars - Since You're Gone


























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The Who – A Quick One

ザ・フーの「 A Quick One (While He's Away)」で、アルバムは66年2nd『A Quick One:ア・クイック・ワン』ですね。

長らく日本では聴けなかったアルバムですね。当時は日本盤『The Who』は編集盤だったようで、小生は80年代になって輸入盤で聴きましたが、アルバムはファニー、ヘビィでもありますが、わけわからん、正にモッズがサイケを演ってしまった感!!

日本盤は80年代末CDが出ていたようで、リマスター盤は90年代なって、だいぶ時間かかった。

当時フーは、2nd『A Quick One:ア・クイック・ワン』なのに、メンバー間は険悪、マネジメントとは法的な争いと前途多難。

レコード会社とのアルバム制作の確約が、コンポーザーはメンバー全員参加で、後アルバムのようなピートタウンゼントが主力でない、絶妙なバランス。

アルバムとしては、非常にクラシックですが古臭いのですがこれが良いです。
UKのサイケ時のPOPロックを伝えるのには!


A Quick One


 


8年前「 A Quick One (While He's Away)」を上げましたが、その時はローリング・ストーンズのBBC-TV予定だった映像作品68年『ロックン・ロール・サーカス』の参加曲として、直ぐに落とされていました。画質も悪かったと。 

68年『ロックン・ロール・サーカス』はメインのストーンズが この「 A Quick One (While He's Away)」のレベル高のパーフォーマンスの為、長らく御蔵入りと噂だったやつで、今はフーのオフィシャルYouTubeで観れる。

何故、今回上げたかと言うと、勝手に又又YouTubeがお薦めで上げてきた。
で、じっくり見るとキースムーンのドラミングが半端ない、前から半端ないのは、知ってましたが、やっぱり半端ない、踊りながら、それも狂ったような、やっぱり凄い、リードドラムなの?(笑)

曲はピートタウンゼントで、これがロックオペラの原型となった曲のようで、後にフーの主コンセプト、主コンポーザーとなるのですが人生って面白い。

何事も順風満帆よりは、ちと少しばかり負荷がかかった方が物事は大成する、歳を重ねて、少し判るようになった来た。曲数が制限されたアルバムがキッカケ。溜めて爆発だったのですね。

と云うことでおまけは同アルバムから、こちらはリードベースでジョン・エントウィッスルのボーカル・曲で、これも変な曲だ(笑)

The Who - Boris The Spider:ボリスのくも野郎

























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Peter Frampton – Do You Feel Like We Do

ピーター・フランプトンの「Do You Feel Like We Do:紫の夜明け」で、アルバムは73年『Frampton's Camel :フランプトンズ・キャメル』ですね。

家にいる時はインターネットラジオでかけっぱなしで、気に入った曲で曲名が判らないものはスマホのアプリ検索でそのままスポティファイに移行、さらに興味をもったら、音楽ソフトRoon+TIDALで、バンド・伴奏ミュージシャン・プロデューサーを確認してます。知ってる曲も、さらに深淵で知らないアルバムを引いてくる、尽きない。

ほんとはレコード店でジャケ確認しなが、又は判らないまま、当てずっぽうで、アルバム選びが、至上楽しみと思いもありますが、特にレコードを。取り合えずは便利な機械を利用。

何と言っても、しっくり馴染み、結局ブリティッシュロック。曲名を忘れていたり、勘違いも多いですが、一番しっくりするのが69年ブリティッシュロックが最強説を唱えてるだけに(笑)60年代末から70年代中期ぐらいパンク出現前。

バンドでは、ミック・テイラー在籍時ストーンズ、フェイセズ、フリー、バドカン、ハンブル・パイ あたりで、ラフラフなノリとブギロック、ブルースロックをUKナイズに。

さらにPOPロックよりは、ギターロックで演ってる元ハンブル・パイ のピーター・フランプトン、この頃、お気に入りで再び聴いております。


 


Frampton's Camel


 


小生の世代は、76年『フランプトン・カムズ・アライヴ!』の「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」「君を求めて」「紫の夜明け ライク・ウィ・ドゥ」はラジオでもよくかかりで、アルバムが大ヒット。

ギターロックでのPOPロックとして、よく聴いた。そもそも楽曲が明るい、なんかウキウキした気分になるライブ盤でしたね。

このライブ盤に、ソロで72年1st『ウインド・オブ・チェンジ』のカヴァー「ジャンピング・ジャック・フラッシュ -」と2nd『Frampton's Camel :フランプトンズ・キャメル』から「紫の夜明け ライク・ウィ・ドゥ」が入ってました。

ハンブルパイの71年『ロック・オン』を最後に脱退、ソロで少しづつハードロック、ブルースロックをPOP化、それをピーター・フランプトンをならではのギターロックで演っていた。

オーソドックスですが典型的なロックですが、安堵な曲風。
ギタリストとして、評価されていたわけでないですが(60年代後半・70年代のUKRockのギタリストは他者がもの凄すぎですから)ギターロックの曲で、勝負でしたね。

ソロのアメリカツアーで鍛え、ブギロック、ブルースロックをUKナイズなPOPなメロも用意で、76年『フランプトン・カムズ・アライヴ!』の大ヒットにつながったと再確認、アルバムに和むパワーありでした。

と云うことでおまけは同アルバムから好きな曲で

Peter Frampton - I Got My Eyes On You



























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