洋楽 私の好きな曲一覧

John Lennon 「Stand By Me」




「あなたにそばにいて欲しい」
今年はこんな気持ちを強く感じました

いつも身近な存在で、毎日顔を合わせているんだけど、
もし貴方が居なくなったら
私は悲しみから立ち上がれない
"どうか、明日も変わらずに笑顔で会えますように"
私は、心の中で祈っていた

その人が存在することに価値があるのです

「スタンド・バイ・ミー」(Stand by Me)は、1961年11月にアメリカで発表された、ベン・E・キングのシングルレコードです
ジョン・レノンなど多くのミュージシャンにカバーされている楽曲です
元々黒人霊歌の「Lord,Stand by Me」という曲であり、これにインスパイアされた形で生まれています

作詞・作曲はベン・E・キング、ジェリー・リーバー、マイク・ストーラー
発売当時はBillboard Hot 100にて4位


1975年に、ジョン・レノンがカヴァー・アルバム『ロックン・ロール』で「スタンド・バイ・ミー」を取り上げています
全米で20位、全英30位でした


メロディーと歌詞が心地良く、長く愛されている楽曲です

ご視聴ありがとうございました(^_^)

ピンク・フロイド  「吹けよ風、呼べよ嵐」のアニメーション映像

ピンク・フロイド(Pink Floyd)のYouTubeチャンネルは、イアン・イームズが手掛けた「One of These Days(邦題:吹けよ風、呼べよ嵐)」のアニメーション映像をオフィシャル公開しています
1972年7月に制作された作品です
イアン・イームズは、この曲以外にもピンク・フロイドの楽曲(「Speak to Me」「Time」「On the Run」)のアニメーションを手掛けています

この映像はフロイド初期の未発表音源や映像を集めたボックス・セット『The Early Years 1965-1972』に収録されています






この曲は大好き(*^^*)
アニメーション映像が付いて、少し変わった企画ですね

ご視聴ありがとうございました

Michael Jackson 「The Way You Make Me Feel」

Michael Jackson の「The Way You Make Me Feel」 って、どんな曲だったの?



このイントロの部分が特徴ありますね(^_^)

マイケル・ジャクソンの曲も大好きで今でも聴いています(*^^*)


ギターマジシャン様、コメントをいただき、ありがとうございました(*^^*)

「Happy Christmas」 John Lennon

雪

おはようございます(*^^*)
12月15日の早朝(午前4時は早朝かしら?)から今冬初の雪が降りました。
最低気温は4℃
最高気温は5℃
バス車内 8℃

今朝も冷蔵庫内の様に冷えています
最低気温3℃
最高気温6℃
今日は卵とネギ、牛肉も少しあるから、あったかいすき焼きにしようっと(*^^*)
九州の北部でこんなに寒いです
皆様お身体を大切になさってくださいね(^^)/

今日の曲は、大好きな「Happy Christmas (War Is Over)」



「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」(英語: Happy Xmas (War Is Over))は、1971年に発表された、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの楽曲。

リリース 日本 1971年12月10日
録音 ニューヨーク、レコード・プラント・スタジオ(1971年10月28日、31日)
作詞・作曲 ジョン・レノン&オノ・ヨーコ

プロデュース
フィル・スペクター
ジョン・レノン
オノ・ヨーコ

ハーレム・コミュニティ・クワイアがバッキング・ボーカルで参加。
アルバム『イマジン』に続いてフィル・スペクターが共同プロデューサーを務めています。
反戦歌として制作された楽曲です。

心温まる良い曲で、平和への願いが強く込められていて泣けてきますね
当時のベトナム戦争反対運動を思い出します




それでは、今晩のすき焼き用のお豆腐と白菜を買ってきますね
行ってきます
皆様もお気を付けていってらっしゃいませ(^^)/

Wikipedia引用あり
ご視聴ありがとうございました(*^^*)




Danger Zone (トップ ガンのテーマ) / KENNY LOGGINS

トリトン様、リクエストにお応えして「Danger Zone」をお届けしますね!(^^)!





ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)について・・・

出生名 Kenneth Clark Loggins
生誕 1948年1月7日
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 アルハンブラ
ジャンル ポップ・ロック
職業 シンガー・ソングライター
活動期間 1970年代 - 現在

彼は、作曲家としても、ドゥービー・ブラザーズの「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」をマイケル・マクドナルドと共作しグラミー賞を受賞するなど、高い能力を示している。

1984年には映画『フットルース』の同名主題歌が全米1位を獲得。
一躍トップ・スターの仲間入りを果たし、1985年にUSAフォー・アフリカに参加。
「ウィー・アー・ザ・ワールド」で2小節リードボーカルをとっている(パートとしては2回目のサビで、ブルース・スプリングスティーンの次、スティーブ・ペリーの前)。

1986年には映画『トップガン』の主題歌「デンジャー・ゾーン(英語版)」が全米第2位の大ヒットとなり、映画とともに世界中でヒットを記録した。
「デンジャー・ゾーン」は、日本では1989年に「日産・マーチスーパーターボ」のCM曲として、1997年には「日産・マキシマ」アメリカのみは、スーパーボウル1997年のCM曲、 1997年にはトヨタ・カルディナのCM曲、さらには2010年にスバル・トレジアのCM曲としても採用された。

1990年代以降も、地道にアルバムをリリースして活動中です。

Wikipedia引用



明日は、ケニー・ロギンスとスティーヴ・ペリーの2人について書いてみたいと思います!(^^)!

ご視聴ありがとうございました

Sting 「Shape Of My Heart」

私の好きな曲のひとつが、映画『LEON』で有名なSting「Shape Of My Heart」です

スティング

作曲家、歌手、作家、俳優、そして活動家であるスティングは、1951年10月2日、イングランド、ニューカッスル生まれ。
1977年ロンドンに移住、スチュワート・コープランドとアンディ・サマーズとザ・ポリスを結成、5枚のアルバムをリリース、グラミー賞を6つ獲得し、2003年にはロックの殿堂入りを果たした。

1985年以来、13枚のソロ・アルバムをリリース。2011年には25周年という長きに渡るソロ・キャリアを記念した『ベスト・オブ・25イヤーズ』と、ボックス・セットの決定版『25イヤーズ』がiPadアプリのSting 25と共にリリースされた。同セットには、彼の60歳の誕生日に行われ、豪華スターが勢ぞろいしたチャリティ・コンサートの独占映像と、レアなインタヴュー、写真、ミュージック・ビデオなどが含まれており、国際クリエイティビティ・フェスティバルでベスト・デザイン/審美部門において栄誉あるカンヌ獅子を受賞した。
ザ・ポリス時代とソロ時代を含めると、これまでのアルバム売上枚数は約1億枚。グラミー賞は合計10回、ゴールデン・グローブ賞、エミー賞も受賞、更にはアカデミー賞にもノミネートされた経歴を持つ。
これまで15本以上の映画に出演し、ニューヨーク・タイムズのベストセラーとなった回顧録、Broken Musicを含む2冊の本を執筆している。
1989年に妻トゥルーディ・スタイラーと共同設立した熱帯雨林基金など、人権団体への支援は、彼の芸術の幅が広がっていることを反映している。(レコチョクより引用しています)






Writers
Sting, Dominic Miller


ご視聴ありがとうございました

カート・コベインを抱きしめて

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27歳で自殺したカートの苦悩とは・・・

彼はどうして壊れてしまったんでしょう

彼ついて調べてみました


【カートの生い立ち】

1967年2月20日、アイルランド及びフランス系の自動車整備工ドナルド・リーランド・コベイン(1946〜)と、イングランド及びドイツ系のウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ(1948〜)夫妻の間に誕生しています。

ビートルズが大好きで、絵の上手な子供だったという。
幸せな幼年期を送っていたが、1975年に両親が離婚したことで大きな精神的衝撃を受ける。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年に変わってしまった。
カートは、その後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。

離婚後、最初は父の元へ引き取られる。
トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度かインタビューで語っている。

学校では友達を作らず、図書館で主にチャールズ・ブコウスキーなどの本を借り、それを読んで過ごしていた。その中でウィリアム・バロウズの『裸のランチ』と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受けています。

ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会いました。
バズ・オズボーンから貰ったテープを聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していた。 (Wikipedia引用)


【NIRVANA】

カート・コバーン(vo,g)
デイヴ・グロウル(ds)
クリス・ノヴォゼリック(b)


89年にシングル「ラヴ・バズ」で デビュー(当時のドラマーはチャド・チャニング)。
同年、デビュー・アルバム『ブリーチ』発表。
91年にメジャー・レーベル<デヴィッド・ゲフィン・カン パニー(DGC)>に移籍し、セカンド・アルバム『ネヴァーマインド』を発表。

当時、ハード・ロックを含む全てのサウンドが、MTVやラジオでのオン・エ アに適する中高音域を強調した軽いサウンド・プロダクションになっていたが、ニルヴァーナとプロデューサーのブッチ・ヴィグはこの『ネヴァーマインド』で そんなセオリーを全く無視。パンキッシュなアティテュードを込めた歌詞と、確信犯的に中低音域を突っ込んだヘヴィ・サウンドを展開。
しかもファースト・シ ングルの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は「hello, hello, hello, how low?(ハロー、気分は最低かい?)」というネガティヴなメッセージを放出する、業界の常識からすれば、<最低の>ファースト・シングルだった。したがってこのアルバムは、アメリカ国内での初回出荷数がわずか25,000枚足らず、しかもプロモーションのためのツアーもなし、という悲惨なスタートを切 ることになった。
しかし関係者の予想は見事に裏切られる。「スメルズ〜」はラジオとMTVで爆発的なオン・エアを稼ぎ、全米のロック・キッズがあのフレー ズに合せてヘッド・バンギングした。それに呼応してアルバムが全米で300万枚以上のセールス、アルバム・チャートの1位を獲得。
この大ヒットは、アメリ カのミュージック・シーンがそれまでずっと目をそむけてきた<重さ>、<暗さ>という要素を表舞台に引きずり出し、それまでのロックの文体を完全に破壊し てしまった。このアルバムを境にして、瞬く間に彼らのフォロワーが続々とシーンに登場し、世界中に<グランジ>の毒が撒き散らされることになった。 2011年現在、アルバムの全世界でのトータル・セールスは2,600万枚を超えている。

92年2月にカートがホールのリーダー、コートニー・ラヴと結婚 したのをきっかけに、バンドは一時期活動麻痺状態に。困り果てたDGCはその年末にサブ・ポップ時代のシングル曲による編集盤『インセスティサイド』を発表し、急場をしのいだ。

翌93年には、ようやくカートの私生活のごたごたが落ち着き、バンドの活動が正常化。
待望のサード・アルバム『イン・ユーテロ』を発表 し、米英で初登場1位を記録。

この頃から、インディペンデントでパンキッシュでありたいという欲求 と、自分のコントロールを離れてどんどん巨大化していくバンドと自分のイメージの間に生じたギャップに悩み始めたカートはドラッグに深くおぼれ始め、奇行 が目立ち始める。

1994年3月頭には、興奮剤の過剰摂取による入院騒ぎを起こし(遺書が残されていた、という説がある)、4月には「精神的な障害 により自殺してしまう可能性が高まっている」という診断を下され、入院を強いられることになった。
カートはそこを逃げ出し、 失踪。4月4日に捜索願が出されたが、自宅のバスルームに閉じこもり、頭をライフルで打ちぬいたカートの無残な遺体が4月8日に発見された。(UNIVERSAL JAPANの記事より引用しています)



「Rape Me」





カートは人生の大半において、慢性気管支炎と、原因不明の腹痛に苦しめられていた。さらに彼のいとこは、カートは幼少期にADD(注意欠陥障害)、大人になってからは双極性障害と診断されていたと明かしています。


調べていくとカートの純粋さや繊細さに気付かされました

愛さずにはいられないですよね

ありのままのカートををこの腕に抱きしめた瞬間でした



ご視聴ありがとうございましたm(__)m

ブラジルのギタリスト、ジュニーニョ・アフフラム                                          

昨日このブログでご紹介しましたジョナタ・バストスさんが「尊敬しているアーティスト」と語っていた、"Juninho Afram"について調べました

先ずは、「Reckless Love」の曲からどうぞ(^^)/





彼はギタリスト、ヴォーカリスト、主要作曲家、指揮者、バンドOficina G3の創始者として知られているブラジルのミュージシャンであり作曲家です

彼は、ロック内の最高のブラジルギタリストの一人として専門誌に記述されているそうです

氏名 ホセアフラムジュニア 
別名 ジュニーニョアフフラム 
誕生 1970年10月9日 
職業 ギタープレイヤー、シンガー、作曲家  楽器:ギター、ヴォーカル 

活動期間 1987年-現在  

サンパウロ生まれで、13歳でクラッシックギターを学んでいます
その数年後、主にギタリスト、歌手David Gilmourのピンクフロイドのようなバンドのテクニックと70年代と80年代のロックの影響を受けてエレクトリック・ギターを選んだそうです

1987年、Oficina G3を結成

2009年、ラテングラミー賞ロック部門を獲得した「Oficina G3」のギタリストです








ご視聴ありがとうございました

ANDREA MOTIS

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私が好きなジャズ奏者をご紹介します(^_^)


先ずは、オシャレなこの曲「He's Funny That Way」




とても若くて、キュートなアンドレアについてご紹介します


★ANDREA MOTIS(アンドレア・モティス)

1995年5月9日生まれ 

職業 歌手、音楽家

担当楽器 トランペット、アルトサクソフォーン、ボーカル

活動期間 2010年 – 現在



スペイン、バルセロナ出身の女性ジャズ・シンガー&トランペッター

7歳の頃からトランペットを吹き始め、サン・アンドレウ市立音楽学校でジャズを学びました

講師であるベーシストのジョアン・チャモロとともに6枚のアルバムをリリースし、ライヴ活動を行っています

2012年クインシー・ジョーンズが彼女をステージに上げたことがきっかけで一躍脚光を浴びることとなり、2017年にデビューしました

ヴォーカルはスペイン語、カタルーニャ語、ポルトガル語、英語で歌えるそうです



こちらは2017年のライブから、「Crazy」




とっても和やかな雰囲気で、楽しいですね~(^^)



ご視聴ありがとうございました