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Pat Metheny Group – Last Train Home

パット・メセニー・グループの「Last Train Home:ラスト・トレイン・ホーム」で、アルバムは87年『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』ですね。

フュージョン系は70年代後半、これもブリティッシュ・ロックに夢中になる頃から、ちらほら聴いていまして、取っ掛かりはウェザー・リポート、ちょうどジャコ・パストリアス加入あたりから。

これもラジオのおかげ、小遣いが少ないけど、新しい音楽を知りたい、聴きたい好奇心がありました。

今は固定観念の塊ジジイ、タイムマシンで10代に戻りたい(笑)

ラジオでも、いろいろなフュージョンがよくかかり、リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ、高中正義、渡辺香津美あたりと…小生的には、クリエイションもフュージョンに演っていたと。やっぱりギター系はカッコいい!!

そしてパット・メセニーも知る事になります。

70年代はジャズ系から、電気系楽器が主力でPOP化な時期で、音楽好き・洋楽好きには耳にしやすい時代だったと思います。


 


Still Life (Talking)


 


あと、たびたび、このブログに書いてますが、70年代はレコードの音圧問題、特にロック系が、自前の低額ステレオ(それでもパイオニアと山水でしたが)で迫力がない作品もあり、少ない小遣いでやっと買えたのにとの、悶絶級の苦悶。

レコードへ不信になりそうでしたが、友から借りたフュージョン系ECMレーベルをかけると、正に目からウロコが落ちる状態で、素晴らしい音がチープな自前のステレオから鳴り、フュージョン系レコードの質の高さと音楽クオリティ-を知る事になりました。

録音状態、再生機器との相性・汎用性でロックアルバムはそこまで、考えていなかったと思う。音量上げて聴けば良いから。

今、音楽配信が主になりましたが、面白いのが、80年代後半の作品から、明らかに音質が上がっていて、より生感あり、録音技術の日進月歩あると思う。そして今、音楽ファンはレコードを高評価してますね。又トライして聴いてみたいなとは思っていますが配信は手前無しも事実、CDはアメリカではレコードより売れなくなったそうで。

で、パット・メセニーはECMレーベルから離れて、サントラの85年『コードネームはファルコン』のデヴィッド・ボウイの「ジス・イズ・ノット・アメリカ」でヒット、好きなモノは繋がるとメロも良かったと、パット・メセニーをますます好きになりました。

その次作が87年『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』で、これが小生的に超強力な効果、このアルバムを契機に、音楽指向はロック系から、ジャズ・フュージョン・クラシックものに移る起点になります。

ロックをセカンド・二次にさせたアルバムが『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』
小生のクロスオーバーであり、この作品がブラジル音楽とのクロスオーバーでした。

2015年アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』のサントラに「Last Train Home:ラスト・トレイン・ホーム」が使われ、特別アルバムが出ているのですね、これは今回知りました。

因みにロックは、40代後半ニール・ヤングに目覚め復活、そして2011年311東日本大震災後、音楽の啓示、ザ・フー 「Won't Get Fooled Again」が浮かんでから、ロックブログが始めました。


と云うことでおまけは『Still Life (Talking):スティル・ライフ 』からで、このアルバムも捨て曲なしです!!全て素晴らしい!!

Pat Metheny Group -So May It Secretly Begin
































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Uriah Heep – Lady In Black

ユーライア・ヒープの「Lady In Black:黒衣の娘」で、アルバムは72年『Salisbury:ソールズベリー』ですね。

ユーライア・ヒープの初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーがお亡くなりに、又寂しい。

お気に入りのブログ・皆様の哀悼の記事を拝見して、ますます70年代ロックは遠のく、もろに世代交代・寿命を感じます。まあ自分も60歳ですから、ここまで生きるとは思わなかった。

動画はボーカルがジョン・ロートンに変わってますので、1977年のようです。楽曲は71年でボーカルがデヴィッド・バイロン時期、バイロンがこの「Lady In Black:黒衣の娘」を気に入らずで拒否で替りボーカルをケン・ヘンズレーだったようです。

(デヴィッド・バイロンをグーグルで引いたら、小生ブログが筆頭だった、うーん、この程度で恥かしい。ブログを書き始め頃、お気に入りのブログの方紹介で、バンドリーダーのミック・ボックスとのファンメールでの交流はさせていただいた事はある)

確かにユーライア・ヒープの記事は20項ぐらい書いている。それも初期デヴィッド・バイロン時期だけ、と言うか、ユーライア・ヒープはバイロン時期しか聴かなかった、レコードを持っていなかった。もうジョン・ロートンの外見を初見で失笑、聴かないとなった。(ジョン・ロートンは評価されています。ジョン・アンダーソンより自然な高音)

初期オリジナル・メンバーのケン・ヘンズレーの在籍は80年迄ですので、デヴィッド・バイロン時期のアルバムは一番旬だし、売れたし、そもそもブリティッシュハードロック隆盛期で勢いがあった。そしてケン・ヘンズレーは、80年代前半、何故かアメリカのザザンロックのブラックフットのメンバーに、不思議でした当時。

小生大好き、ブリティッシュ・ハード・プログレのキーボードでも、ジョン・ロードとケン・ヘンズレーは双璧。

初期ユーライア・ヒープの主コンポーザーはケン・ヘンズレー、ヒット曲絡みも多い、代表作の「Look at Yourself」「The Wizard」「Easy Livin'」まだまだたくさん。


 


Salisbury


 


で、ユーライア・ヒープなんですが、自力・セルース的に冷静に顧みると、グンバツに売れたハードプログレ・バンドでは無かったと思う…

けど、当時70年代はセンス良いか下世話か、判らないが、情報無しの10代ロックキッズに、音楽誌・レコード会社のプロモが効いた載せられた、ユーライア・ヒープは人気ありました、それも狂信的なファンもいた。

聴いたキッカケは70年代後半高校生、何故か登山部なのに、皆ロック好き、70年代男子たるものロックを聴いた(女の子も)部室にはレコードの貸し借りの為にレコードが必ずあり、自前レコードと交換、そしてレコード傷ついたの!ライナーノーツが無い!などの修羅場も。
バンドしてる部員もいてエレキも置いてあり、ブラスバンドの連中も出入りしていた、音楽部でないのに。

で、そこに狂信的なファンの先輩がいて、他の連中からZEP、パープルに洗脳された小生に、無理やにユーライア・ヒープ化を狙い、まず貸してくれたのが72年『Demons and Wizards:悪魔と魔法使い』そして『Look at Yourself:対自核』でした。

憂いあり寂寥感にケン・ヘンズレーの打楽器リズムのようなキーボード、綺麗ピュアな高音のアル中のデヴィッド・バイロン、悲劇のベーシストのゲイリー・セイン、ユーライア・ヒープのプログレハードロックの揶揄の表現は彼のベースにあると思う。そして皆さん、鬼籍です。

楽しめました。これからも楽しみます。感謝致します。


ハードロックですがプログレ風、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープと並び称されて言われたけど…大昔の話。ハーモニーなハードロック、メロディアス、チープ感……寂寥感とします。

と云うことでおまけは最初に聴いた曲とします。

Uriah Heep - The Wizard




























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ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ-Don’t Leave Me This Way

ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツの「Don't Leave Me This Way」で、アルバムは75年『Wake Up Everybody 』で、ボーカルはヒゲダンスの元ネタ、テディ・ペンダーグラスですね。

小生はソウル系はズブの素人、70年代はラジオのFENのおかげで、ヒット曲は聴くことが出来ました。

このすり込みは今だに効果ありで、ロック系・ソウル系の曲が何気なく、メロが頭に浮かぶ、基本このブログは書き溜め無し下書き無し、その日に浮かんだ曲を書いています。誤字脱字だらけですがご了承を(笑)

もともとエアチェック派、新しい音楽はまずカセット(それもモノ・ラジカセ)で揃え、これぞと思うモノだけレコードを買ってました。高校生時はバイト禁止、登山にも夢中で小遣いが足らない、ラジオで新しい音楽・ロックを探し聴いていた、もろFMレコパル世代。

その時、ソウル、モータウン・サウンドを知るワケですが、スプリームス、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、コモドアーズ、テンプテーションズ 他もたくさんetc。

そのソウル系に、もう一つの流れ・筋がフィリー・ソウル、フィラデルフィア・ソウルでしたが、当時は全く区別出来ず、ザ・スリー・ディグリーズ、ザ・スタイリスティックス、ビリー・ポール、etcそしてハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツとテディ・ペンダーグラスを知りました。

少々甘々のサウンドで、シティPOPだそうで、何となく、モータウン・サウンドと違いはあるような気分に。抜けるような音色ですがメロに憂いあり、ストリングス多めは正に70年代サウンド。


 


Wake Up Everybody


 



基本UKRockファン、又ニューウェイヴ世代、「Don't Leave Me This Way:ディス・ウェイ」は元ブロンスキ・ビート 離脱のジミ・ソマーヴィルとリチャード・コールズのユニット、コミュナーズの86年アルバム『Communards』のカバー・ヒット曲で、これが新宿二丁目のよく通ったカフェバーでようかかりました。懐かしさ、メロの良さですが、ダンサブルな80年代サウンドになっていた。

ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのアルバムは75年『Wake Up Everybody 』をスポティファイで聴きましたが、素晴らしい、女性ボーカルもありので、ゴージャスソウルで人気アルバムは納得。

で、この元曲はハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツですが、70年代に聴いた曲はテルマ・ヒューストンがカバーした76年「Don't Leave Me This Way:ディス・ウェイ」と気がつきました。当時は同時期に元曲とカバーは時節おかず、リリースがあったようで。

テディ・ペンダーグラスの方はアルバム『Wake Up Everybody 』はヒットのようですが、シングルヒットはUKで、当時、聴いたのは全米大ヒットとのテルマ・ヒューストンの方でした。

と云うことでおまけは高校生の時に初めて「ディス・ウェイ」で!

Thelma Houston - Don't Leave Me This Way
































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007は二度死ぬ Nancy Sinatra-You Only Live Twice

ショーン・コネリーがお亡くなりになったようで…

曲は映画67年『You Only Live Twice:007は二度死ぬ』のテーマでナンシー・シナトラですね。


子供から少年期、異性・女性も意識し始めるころ、TVで観たショーン・コネリーの007シリーズは思い出深い、大人への憧れ。

大人になって007シリーズは、ハードアクションのダニエル・クレイグ主演の最新シリーズが一番好き評価しているけど…おちゃらけ感なし

ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドのユーモア忘れずは、手本になりませんでしたが、英国紳士とはユーモアとすり込まれた。後に知り合った英国人達は皆紳士でしたが、でもユーモアは無かった。




ショーン・コネリーの作品は好き嫌いモノもありましたが、押しなべて肯定的スタンスで観る癖はついていたと。007効果だったと。歳を重ね、製作側になっていましたから、映画への貢献も大ですね。

映画をおおいに楽しみました、感謝致します。

生きとし生けるもの、終わりがあります。でも、皆様・ファンの心の残りますから、不死です。

と云うことでおまけは、ショーン・コネリーちょい役でしたが、えー役だった、大大大好きな映画86年『ハイランダー 悪魔の戦士』から主題歌で、これこそ不死!!

フレディ・マーキュリーが不死を唄う。

Queen - Princes Of The Universe































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Loverboy – Turn Me Loose

Loverboy:ラヴァーボーイの「Turn Me Loose」で、アルバムは80年・バンド名1st『Loverboy』ですね。

カナダのミュージシャン、御大はニール・ヤングとジョニ・ミッチェルですが、世代的には後追いで聴いたディランの弟子扱いの時もありましたがこれも御大ザ・バンド、そしてステッペンウルフ。

80年代にはブライアン・アダムス、コリー・ハート、そして娘今だに好きなジャスティン・ビーバー。

聴いたアルバムでは、アヴリル・ラヴィーン、ザ・ウィークエンド、ゲス・フー、セリーヌ・ディオン、ニッケルバック、もしかして苦手なラッシュも、そしてリスペクトの御大レナード・コーエンと他もたくさんいる…

と、忘れていたのが「Working For The Weekend:それ行け!ウィークエンド」のラヴァーボーイ。

「それ行け!ウィークエンド」は81年・次作2nd『Get Lucky』の曲で、日本では、これで認知だったと覚えていますが。


 


Loverboy


 


今で言う、パワーPOPなんでしょうが、昔はハードロック的紹介もあったような、これも裏覚え、アルバムはPOPなハードロックでバリエーションありで、才覚ありですが、なんとも言えぬ、チープ感。

これはディスコでかかっていた「それ行け!ウィークエンド」のすり込みかも、後にサントラで最低映画2003年『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』に使われていた(笑)

やっぱり、良くも悪くも80年代サウンド、そしてサントラ挿入歌のラヴァーボーイ、そちらの印象も。ハートのアン・ウイルソンとラヴァーボーイ・ボーカル、マイクの84年映画『フット・ルース』の「パラダイス~愛のテーマ」
新作はよう~観たい!!86年映画『トップガン』の「ヘブン・イン・ユア・アイズ 」

正に80年代POPロック!

で、超久しぶり聴いたアルバム1st『Loverboy』はバリエーション豊かで、ラヴァーボーイの才にビックリ、でも好き嫌いの曲がハッキリ別れました(笑)

と云うことでおまけは同アルバムのヒット曲で

Loverboy - The Kid Is Hot Tonight





























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Ten Years After – Standing At The Station

テン・イヤーズ・アフターの「Standing At The Station」で、アルバムは72年『Rock & Roll Music to the World:ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド』ですね。

今聴くとちっとも速くない(笑)元祖・速弾きのギタリストのアルヴィン・リーが思い切り主導権を取った、70年代少しマイルド指向のスタジオ盤ですね。

70年代後半高校生時は前アルバムの71年『A Space in Time:スペース・イン・タイム 』が人気、特に「I'd Love To Change The World」は絶妙なメロで大好きでした。

で、『Rock & Roll Music to the World:ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド』も憂いありのメロと詰めない蜜にしない音色。

でも、後にセールス的に厳しくなり、74年に解散でした。


 


Rock & Roll Music to the World by Ten Years After (2002-07-25)


 


前もこのアルバムはブログに上げましたが、飽きがこない、スカスカですが昔の音、聴きやすい、ブルースロック上がりのテン・イヤーズ・アフターならでは。

コンポーザー的にもアルヴィン・リー が仕切ったバンドなんでしょが、他のメンバーの役者そろい、ベースのレオ・ライオンズはテン・イヤーズ・アフター解散後、これもブリティッシュハードロック名盤UFOの74年『Phenomenon:現象』をプロディース。

ZAPやパープルより少し先行で、60年代末ブルースロックからハードロックへの橋渡し、折衷ならではテン・イヤーズ・アフター、70年代に入りマイルド感で、独特感ありでした。

と云うことでおまけは同アルバムの1曲目で

Ten Years After - You Give Me Loving































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Bert Jansch – BlackWaterside

バート・ヤンシュの「BlackWaterside」で、アルバムは66年・3rd『Jack Orion:自画像』ですね。

ボブ・ディランは今だに、苦手なんですが、まあ一生モノかなと思っています(笑)
でも、英国のボブ・ディランこと、バート・ヤンシュは和みます。英国でもスコットランドのフォークですが。

初めにビートルズ在りきのブリティッシュ・ロックファン、ブリティッシュ:スコットランド・アイリッシュ等トラッドなメロに惹かれるのですが、70年代ハードロックでもZEPで体現。

79年上京して、音楽に詳しい輸入盤も持っている友ができると、英国フォークを知る事をできました。

フェアポート・コンベンション、サンディ・デニー、etcそしてペンタングルで、創始メンバーのバート・ヤンシュを知るわけです。

バート・ヤンシュはペンタングル前からソロでデビューしてますが、65年・1st『Bert Jansch 』素晴らしいアルバム。

この3rd『Jack Orion:自画像』では多くのトラディショナルを演奏で、正に自国・自画像ことルーツミュージックと、トラッドですが音色はジャズ、中東風だったりと、そこは60年代の英国、革新性ありです。


 


Jack Orion [12 inch Analog]


 


で、「BlackWaterside」はどっかで聴いたような曲、ZEPの68年1st「Black Mountain Side」は、「BlackWaterside」にインスパイア・感化の曲のようですが…

山・川の違いはありますが、コンポーザーはジミー・ペイジ扱いのようで、御大も自身の編曲能力を高く評価なんでしょうが(笑)

海外ブログではジミー・ペイジの下手談義よりパクリ、もとい感化されやすい作曲への批判を目にした事があります。

ルーツは同じ、トラディショナルメロですから、変えようはないワケですが、それをアコギで演るか、ロックらしくエレキ、激しく演るかなんでしょうが、そもそもメロの寂寥感の音・曲風は変えられない。

只、バート・ヤンシュやサンディ・デニーのトラディショナルな曲を、エレキギターやロックするとノセるとロックで、新しい曲が生まれる…それがロック黎明期そして隆盛期60年代・70年代ロックだったとの思いです。

と云うことでおまけは同アルバムの主題曲で

Bert Jansch -Jack Orion



























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Bob Marley & The Wailers – Lively Up Yourself

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「Lively Up Yourself:ライヴリー・アップ・ユアセルフ 」で、アルバムは74年『Natty Dread:ナッティ・ドレッド』ですね。

動画はLive At The Rainbow Theatre, London / 1977のようで、力強く、70年代の名盤『Live!:ライブ!』のような出来、レゲエでギターソロが映えるライブ盤『Live At The Rainbow 4th June 1977』も迫力ありです。

70年代後半、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのレコードは75年『Live!:ライブ!』から入った者にとって、魂を揺さぶるライブ名曲「No Woman, No Cry」「Lively Up Yourself」が、このアルバム『ナッティ・ドレッド』スタジオ盤の軽さに思わず「え~」と下をむいてしまうぐらいガッカリでしたが……

差にあらず、アルバム全体はすこぶる良いのです。今ではボブ・マーリーのアルバムでも、もの凄く評価されているのですね。



 


Natty Dread


 


70年代後半、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、正に未知との遭遇、ロック以外に同様な音楽があったと!

驚き、夢中になるのですが、『ナッティ・ドレッド』はレゲエの反骨とラスタと音楽の融合と入門的なモノになりました。

『ナッティ・ドレッド』は大好きピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーが抜けて、奥様のボーカルユニット、アイ・スリーズを加入で、これも程よい合いの手になって、これが初期ウェイラーズとの違いなってるかもです。

で、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはライブ盤が良い、80年代になって大学生78年『バビロン・バイ・バス』も超愛聴盤だった一時期は日夜問わず、聴きっぱなし、大学にも行かない大学生だった。

ライブが凄いのは、ホントのロッカーの証。

スタジオ盤は少しピコピコサウンドぽいけど、ライブ盤も聴くと違いが在りすぎる。
要はスタジオとライブを両方聴くべし!!(笑)

と云うことでおまけは「No Woman, No Cry 」を2曲でライブとスタジオ盤で、違います(笑)

Bob Marley & The Wailers -No Woman, No Cry

初めて聴いた時は感涙にむせび震えたライブ盤と


初めて聴いた時は軽さに思わず「え~これ何に~」となったスタジオ曲で(笑)
























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