本作を好意的に見ていた身として…まずはポジティブな事から書き始めます。
最終回で唯一上手いなぁと感心させられたのは、
心の声の有無で4人それぞれの心境の変化を表していた所でしょうか。
本作の特徴で挙げられるのは、やっぱり頻繁に盛り込まれたモノローグで、
本来誰かに気持ちを伝えるための手段である言葉を自分の中に押し込めていたのが、
全体に漂う苦しさや胸が締めつけられる想いに繋がっていたと思うんですね。
しかし…そのモノローグが最終回ではほぼなく、
唯一あったのは、締めの言葉の意味合いも兼ねた
「雨が上がっても、明日になっても、その向こうに何が見えるのかよく分からない」
「だから私は歩いて行く」のみち(奈緒)の2台詞だけ。
最後まで見て、何だかいつもよりカラッとした雰囲気だな…という
違和感の正体が分かってスッキリしたと同時に、
夫婦の時は晒け出せなかった本音を、離婚して以降はありのまま晒け出す4人の姿には、
夫婦・子供・セックス…といった様々なしがらみから
解放出来た喜びを物語っていたような気がします。
また、内容全体を通して言えば、分かりやすい悪役を登場させて引っ掻き回す事なく。
何やってるんだ…と思いつつも、自分にもどこか心当たりがあって
ついつい共感してしまいたくなる"人間の弱さ""ズルさ"や、そこから生まれるすれ違いを
描写するのに徹底していたのは、本作のこだわりが感じられて好きでした。
演出も含めて、"気持ち"の表現の仕方が繊細だった作品として記憶に残るとは思います。
後で冷静になってみて、どうしても特筆しておきたい!って所はそこくらい。
ここからはツッコミだらけの感想が続いて…
もう、最終回を一言でまとめるなら「なんそれ!」な印象が強かったですかね。
最も視聴者がモヤモヤしているであろう みちと陽一(永山瑛太)の元サヤについては、
個人的には、"楓の家政婦さん"扱いに耐えられず、夫婦らしい生活を送ってこれなかったのが
離婚のきっかけとなった新名家とは違って、みちと陽一にはまだ愛が残っているのは伝わるし。
近年のドラマはハッピーエンドが多くて
同じ放送枠の「純愛ディソナンス」の最終回も綺麗にまとまったくらいだから、
2人が何やかんやで元サヤに収まるんじゃないか…と想定はしていたんです。
だから、それ自体は否定はしません。
ただ問題なのは、2人がそう決心するまでの過程を端折り過ぎって話。
そもそも…子供を作るか作らないかの価値観の相違で、離婚を決意したんでしょ?
子供をどうするのかお互い考えて、話し合うシーンが挿入されていれば
再び…ってオチにも納得出来たかもしれませんが…
そこはなぁなぁなままで終わりにしたのが、消化不良感が満載でしたよね。
カフェで自分のダメな部分を打ち明けた事で、お互い割り切れたかな?と思いきや、
その流れで家で影絵をやってはしゃぐっていう展開にも、ついて行けませんでしたし。
いくら「してくれなくても、夫婦としてこれからも一緒に生きていきたい」を
表してそうなタイトルの表示のタイミングが洒落ていたとしても、
それまでがあまりにも強引過ぎました。
描写過程の雑さが影響したのか、新名(岩田剛典)がコイントスしたり、
元妻を挟んで歯が浮く言葉で口説いたりと、
急にヤバい奴と化してしまっていたのも気の毒で…(中の人が…)。
そして、2ヶ月後、9ヶ月後で時間経過させているんだから、
4人が割と頻繁に会う内容にしない方が自然だった気がします。
子供と面会する訳でもないのに、なんでそんなに会ってるの?って
見ていて疑問符が浮かびまくりでしたもん(笑)
どうしてもそうしたいんだったら、せめて、
みちも楓(田中みな実)も新たな環境で奮闘していて…陽一は独立のための準備をしていて…
それぞれ別の世界で"今"を忙しなく生きているから、再会しそうで中々再会しない…
という体で、序盤は進めてみたら良かったのかもしれません。
しかし、その肝心の「空白の期間」はなんと来週の特別編でやるそうで(汗)
しかも1時間での放送なので、だったら、最初から本編内に組み込んで
12話構成にする事も可能だったんじゃないでしょうかねぇ。
今期のフジテレビのドラマは月9も水10(※有料配信)も木10も特別編との事で…
最後に手厳しいかつ生意気な発言をしますが、
正直、好きで作品を見ている視聴者の善意に甘え過ぎだと思います。
大元を解決せず、明らかに"続き"を匂わせている作品もそうですが…
「最終回」と銘打ったのなら、そこできちんと完結させて欲しい。
「最終回」の定義について、改めて考え直していただきたいです。
※特別編の感想は、その日は外出先にいるため書く予定はありません…。
↓今までの感想はこちら↓