キャッチコピー「ひとりで生きたいわけじゃない」で始まって終わる。
でも…その言葉に対する印象は、最初の頃と今とでは全く違う。
どんな経験を味わおうと、とわ子(松たか子)は一貫してとわ子のままだったし、
三人の元夫とも相変わらず一緒にいる。
こう書いたら何も変化がなかったとも捉えられるでしょうが、
彼女の中では「誰かとの恋や結婚をまだ諦めない」人生ではなく
「愛する人との思い出や日常を愛し続けたいから、それが結果的にひとりを選ぶ事になる」
人生を歩んでみるのもアリなのかも…という、
いろんな人々との関わりを通してそう決心するまでの過程が
地道に描かれていたと思っています。
旺介(岩松了)はとわ子に自転車の乗り方を教える事は出来なかったけれど、
目の前で網戸の直し方を見せる事が出来た。
母・つき子の恋文が「夫と娘の面倒を見るだけの人生なんて」で止まっていたのは、
マーさん(風吹ジュン)に向ける感情と家族に向ける愛情が
並行していた矛盾に気づいたからであって、
最終的には家族を守る道を選び、あえて書きかけの状態にして送らないままでいた。
自分のした事に時に後悔しながら、
人はそうやって無意識に誰かのために生きている生き物なのだと気づかされた最終回。
つき子の恋はとわ子の母親らしかったし、
唄(豊嶋花)の恋もまさしくとわ子の遺伝子を受け継いでいる…とも言えますね。
そう考えると、西園寺は三人の元夫のように
最初は面倒臭そうに見えてもだんだん愛らしく思えてくる人になるのかもしれないし、
唄もきっと、母と同じく、転んだ時には起こしてくれる人達に愛される日々を送る事となる。
とわ子とマーさんの背中を見る彼女のシーンが印象的でした。
前回の内容が"今"の話なら、今回の内容は"これから"の話だと感じられました。
坂元裕二さんが描くキャラクターは、基本的に何かを失っている者ばかり。
でも、それは"欠落"や"欠損"ではなく、"喪失"を指していて。
ぽっかりと空いた穴を時間ごとに埋めようとする所から生まれる想いとか、記憶とか、幸せとか…
そういうものがかけがえのない思い出に変わっていって、
その経験値が大きければ大きいほど、辛かった出来事もやがて愛せる広い心が育まれるし、
自分を動かすバネにもなる。
作風は新しいようで、普遍的な幸せを見つめる大切さを教えてくれた作品だったと思います。
好きな作品を見終えると、
「続編やって欲しい!」か「もうこれで完結したのかもしれない」の
2パターンに分かれるのですが、これは後者の方ですね。
冒頭にも書いた通り、とわ子の中である程度の結論がついたように感じられましたし、
4人の関係性を見ていたら、
これからもみんなで助け合っていくんだろうな〜…という未来が見えたのでね。
それに、台詞や心情から滲み出てくる"何か"を自分なりに感じ取って、
その意図を考える楽しさも含まれている作品だから、
富士山でのキャンプの様子を脳内で想像してみるのもアリなのかもしれません。
最後はシナモンロールを食べる大豆田とわ子…からの、
「大豆田とわ子と三人の元夫、ありがとう!」で締めるのも乙なもの。
最終回で感じた内容を、どうやって言語化しようか、
どうやって感想をまとめようか時間がかかり過ぎて、上げるのが遅くなってしまいましたが、
それだけ充実した時間を過ごす事が出来ました。
こちらこそ、素敵な作品をありがとうございました〜!!
P.S. 「着飾る恋には理由があって」は木曜未明に上げます(謝) 上げました!
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