2022年12月一覧

自転車屋さんの高橋くん 8話(最終回) 感想|バナナで繋がっていた2人

 

 

最終回にして初登場の朋子の父・志朗(近江谷太朗)。

3話の感想で「誰からも愛される良い子でいなさい」といつも言っていた件について、

ある種の"縛り"のようにも思えた事から、罪な人だなぁ…と書いていたんですが、

実際の父はTシャツの通り「LOSER」でしたね…(苦笑)

あたかも熱心に育ててやった風の言い方でしたが、朋子(内田理央)が小さい時に

親権を手放した以上は、もう口出しする権利はない訳で。

なぜ離婚したかは、拓郎の態度で一目瞭然でしょう。

今は彼に賛同している様子の再婚相手も、そのうちストレスが積もり積もって

離婚を申し出る時が来るんでしょうねぇ…。

 

それで、あのエピソードで1つ何となくでしか分からない所があったんですけど…

隼人(武知海青)って、志朗と再婚相手との子供で合ってますよね?

つまり、朋子とは親戚のようなもの??

(たもつの散歩は、朋子の代わりに手伝ってくれていた?)

最終回で父の家庭関係を盛り込んだのは、

遼平(鈴木伸之)との関わりや、聡子(濱田マリ)と向き合う事で強くなれた

朋子の成長を示すのに必要なエピソードだったとは思いますが、

30分×8話で締めるのには、いろいろと駆け足だったかなぁ…という気はしましたね。

 

惣司(斉木しげる)にしても、単純に、居場所がなくなった遼平を拾って

父代わりに育ててくれた関係性かと想像していたのが、まさかの訳あり&病気持ちだったので、

やっぱり、遼平との馴れ初めから現在に至る話を掘り下げて欲しかった感はありましたし。

本当の父とも完全に話し合えていないままですし。

退職した貴美子(長井短)が今どうしているのかも、ちらっとでも見てみたかったです。

あと4話くらいあったら、ちょうど良い感じに収まったのかもしれません。

 

まぁでも、いつもの交差点で朋子を見送ってから、

自販機で三ツ矢サイダーを買って一服する遼平の姿がラストシーンになっていたのは、

中々粋な見せ方でしたね。

数年後に飛んで、同居生活を始めた2人…という、

恋愛ドラマにおいて"分かりやすい"進展を見せて終わるのもアリですが、

本作の場合は、最後まで「なんでもない日常の中にある小さな幸せ」を描く事を

大切にしていた作品だったと思います。

 

また、ラブシーンをストレートかつロマンチックに魅せていたので、

キュンキュンしながら楽しむ視聴者も

多かったかもしれませんが(私も遼平の言動にはキュンとする時はありましたw)、

個人的にはどちらかと言うと、ちょっとだけ抜けていたり、不器用だったりする人たちが

どうやって互いを"補填"し合っていくのか?を、回想も交えながら多面的に描く

「成長物語」として見ておりました。

朋子も遼平も、聡子も山本(瀬口黎弥)も…

みんながみんな「完璧」「良い人」ではない事を示す人物描写が丁寧で、

だからこそ、自然と自分を重ねて、共感出来て、応援したくなれたんだと思います。

 

遼平がカラオケで愛を伝えようとしたら、きっとこんな感じなんだろうなぁ…と思える

鈴木伸之さんの真っ直ぐで誠実な主題歌も良かったです。

岐阜のロケーションも含めて、じんわりと温かい気持ちになれる作品でした。

 

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エルピスー希望、あるいは災いー 10話(最終回) 感想|一筋の光を信じるという気持ち

 

 

リアルの見せ方も、ファンタジーの見せ方も

どちらも"ちょうど良い"所に収まった最終回だったなぁ…と思います。

 

恵那(長澤まさみ)が逮捕させて欲しいと言っていた本城(永山瑛太)が

本当に逮捕されたのかどうかも不明であれば、

正一(鈴木亮平)が政界に入った事で、彼の活躍が恵那にとっては

"希望"か"災い"になるのかどうかも濁されたままですし。

大門(山路和弘)も残念ながら、

マスコミに追われ続ける日々を送っているだけで、失脚はしていない。

そして…恵那の切ったカードが、何か世界や内閣に変革をもたらした訳でもない。

本作の大元となっている松本(片岡正二郎)の冤罪は無事に晴れたものの…

確かに、随所にモヤモヤが残る内容ではありました。

 

ただ…「暗闇の中に刺した一筋の光(=目の前の人間)を信じてみる」という

たった1つの答えが出た事に、今まで積み重なっていた心のつっかえが

スッととれたような、そんな救いを感じさせました。

決してハッピーエンドではないんですけどね。

でも、初回からずっと「飲み込みたくなくても飲み込まれてしまう」事からくる

人間の弱さとか、脆さとか、巨悪の得体の知れなさとかが、

恵那と拓朗(眞栄田郷敦)の表裏一体の関係性や食べ物を通して描かれ続けたからこそ、

彼女がその答えを導き出せたという成長に、響くものがあったんだと思います。

 

最終回にして最も"王道ガッツリ"な牛丼(しかも大盛り)を2人が食べていて、

「何とかなる」とポジティブ思考になっていたのも、

フライデーボンボンからの異動や冤罪事件の調査を経て

また一段とたくましくなれた心境を感じさせて、グッときましたね。

そして、村井(岡部たかし)が店にやってきてからの、2人のとびっきりの笑顔。

立ち位置は違えど、3人はこれからも「一筋の光を信じる」事を大切にしながら

日々を過ごしていくんでしょう…。

それは、EDでは暗闇で1人で食べていたケーキを

ようやく一緒に共有出来たさくら(三浦透子)と松本にも言える事ですし。

もしかしたら…拓朗と目が合った際に、

顔の動きから「頑張れよ」と託してくれていたようにも見えた

正一にも言える事なのかもしれません。

マスコミ陣の中でも、大門に対して一際攻めの姿勢を見せた記者・佐々岡(池津祥子)は、

視聴者にとっての"光"とも捉えられますしね。

 

先ほど「ハッピーエンドではない」とは書いたけれども、

誰かを、何かを信じてみようかな…と思える、そんな着地点になっていた気がします。

個人的には、本作は見るのに一番気力のいる作品で、

正直、時々小難しく感じる部分もあったりはしたんですが、

最後まで見て良かった作品である事には間違いありません。

 

月曜10時台に引っ越ししてからの第1作目「アバランチ」以来、

久々に"カンテレドラマらしさ"を堪能出来ました。

次回作もこの調子で(まぁ、あのスタッフなので大丈夫でしょうけど)

挑戦的な仕上がりになってくれれば…と思います。

 

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【個人の意見です】ボクらの時代の"あの回"を見て、思った事を書き出してみた。

 

 

最終回も見終えて…つい最近SNSで物議を醸していた

「silent」の脚本家・生方美久さんと演出家・風間太樹さん、プロデューサー・村瀬健さん

出演された回の「ボクらの時代」をやっとこさ見ました。

 

まず、結論から言ってしまえば…

生方さんが「日本語が分かる人に見て欲しい」と仰りたくなったのも

まぁ分かるかな…というのが、全体を見ての感想です。

むしろ私としては、想像していたよりも、

その発言に至るまでにちゃんと"理由"があったのを知る事が出来て、安心もしたのです。

というのも、生方さんは「海外の人は日本語が母国語じゃないから、日本の作品を楽しめない」

みたいに、別に差別意識を持ってあの発言をされた訳ではなくて、

話をお聞きしていると、純粋に「日本のドラマ」が好きで、その良さを伝えたいし、

主に、普段ドラマを全く見ない人、韓国ドラマや洋画を日常的に見ている人に対して

「日本のドラマってこんなに面白いんだよ」と

知ってもらいたくてしょうがない方なんだろうな…という印象を持ったから。

 

あの発言をされるまでに至った経緯を一部抜粋してみると、こんな感じです。

「同じ言葉だけど違う意味で使うシーンというか、人によって違う意味で捉えられる言葉とか、

あれって日本語じゃないと意味がないと思うのを私は凄い感じてて。」

「これってもし海外で翻訳されて出たら、この意味って海外の人には伝わらないんだという

悲しさがちょっとあるくらいで。

私は日本のドラマとして、日本語の良さとか、日本語の面白さ、

ある意味"残酷さ"みたいなのを描きたいから、ぶっちゃけ海外って興味ない」

最後の一言にしろ、あの発言にしろ、言葉の表現は適切ではない部分はあるにしても、

「日本の作品が海外に出ても、その作品の本来の良さや日本独自のニュアンスが

完全に受け継がれるとは限らない」点では、共感は出来るんですよね。

そこに直結する例として…例えば、字幕放送や音声吹替放送が挙げられますよね?

"海外仕様"の作品は、元々の内容を、ターゲットとなるとある国の視聴者にも理解出来るように、

2つの機能で変換して初めて作られますが…

変換される以上は、それを担当した翻訳者自身の"考え"も無意識にでも入ってくるから、

その国独自の"生きた言葉"にはならない。

残念ながら、これが現状だと思います。

 

私も日本人だから、ぶっちゃけ、"生きた言葉"が役者さんの台詞の声色、強弱を

通して伝わって来る日本のドラマが好きですし。

逆に、韓国ドラマや洋画を普段ほとんど見ないのは、

現地の雰囲気を掴みたくて字幕放送で見ていても、

時折「ん?この表現は合ってるの?」と違和感を感じて

没入しきれない事があるからだと思っていて。

生方さんもきっと、海外向けに変換される作品からくる

そういった日常的なモヤモヤを伝えたくて、あの発言をされたのだという気がします。

 

また、SNSだと「『silent』は聴者とろう者の手話を交えての

コミュニケーションを描く作品じゃないの?」「手話を扱っている作品なのに…」といった

呟きも散見されましたが、私としては、「silent」を一から見てみると、

別にそこ"だけ"がテーマではないんじゃないかなぁ…とも。

聴者からしたら、自分の発する声が、ろう者や中途失聴者には届かなくて辛い

(いざ手話を初めてみても、相手には違う形で届いてしまう事もある)。

ろう者や中途失聴からしたら、手話が相手には伝わらなくて辛い。

そんな「言葉が通じ合わない」「分かり合えない」苦しみは、

何も聴者とろう者・中途失聴者だけに限られた話ではなく、

聴者と聴者、ろう者と中途失聴者、ましてや家族同士と、全ての人々に共通する話であって。

皆それぞれ相手に寄り添いたいと思っていても、その現実にぶち当たっては

どうやって気持ちを伝えて乗り越えていくか…という、

人と人が言葉を交わす事の難しさを良い意味でしぶとく描いている作品なので、

何も矛盾はしていないんじゃないでしょうか。

 

ただ…1つ誤解して欲しくないのは、

生方さんを庇護したくてこの記事を書きたかった訳ではなくて。

作品が大ヒットしていて、世間から注目を集められている以上は、

もう少し言葉を選んでいただきたかったかなぁ…というのも事実です。

今回の「ボクらの時代」を頭から見た視聴者なら、

生方さんの発言の意図も分かってくれる視聴者もいるはず。

だけど、現代だと、全容を見ずに先にネタバレを読んだり、

倍速再生でドラマや映画を見る人がいたりするように、

その番組の一部の発言や、切り取られた動画を見て物事(=その人自身)を

判断する人の方が圧倒的に多いと思うんですね。

中には、作品自体を全く見ていない人もいるでしょう。

別に、その行為が"悪"とも思っていないし、

そういった人々に対して「全部見もしないで呟くな!」とも言いません。が…

デジタル世界に簡単に晒される世の中だからこそ、

生方さんには発言の1つ1つにもっと責任を持って欲しかった…と思いますし、

あの発言に対して何もリスクを考えず、そのまま放送したスタッフ側にも

多少は責任があるとも思っています。

 

個人的には、生方さんが「韓国ドラマとか洋画がそんなにハマらない理由って〜」と

仰る前に、カットされた部分があったような気もしたんですよね。

その前では「地上波でドラマを放送する事の意義」

「ドラマがLINEやTikTokなどの様々な媒体で作られる可能性」について

話題が広がっていたのに、海外の話に発展したのにはちょっと唐突感が。

その前の対談にも少し触れられていたら、

少しでも解釈のズレが起こる事もなかったのかもしれませんし…う〜ん…

というかそもそも、手話を取り入れている以上は、

「なぜ手話を取り入れようと思ったのか?」といった核心に迫る話が一切なかったのも

不自然ではありましたね。

生方さんも、村瀬プロデューサーにも、プロならば"意図"があったはずなのに、

あの内容では「ただ何となく取り入れた方々」に思われてしまうかも…?

 

元はと言えば、作品がヒットしたからこうして呼ばれる事になったのでしょうが、

求められているものを汲み取ろうとして(?)、

ヒットした理由を考えるのにこだわろうとしたあまりに、

全体的に"言葉足らず"で終わってしまったのも惜しかったですね…。

「ボクらの時代」は台本なしで、

出演者の方々に進行してもらうというスタイルをとっているそうですが、

今回ばかりは、視聴者に事前にアンケートしてもらって、

中盤か最後の方で質問に答えてもらう…という流れを提案してみても良かったのかもしれません。

 

そんな感じで、頷ける部分もありつつ、残念な部分もあったのですが、

作品自体は好きである事には変わりありません。

最終回の感想も、近日投稿する予定です。

いつもながら拙い感想なので、あまり期待はしないで下さい(笑)

最後に、今更の話題ながら、

ここまで読んで下さった読者の皆様、本当にありがとうございました。

 

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作りたい女と食べたい女 10話(最終回) 感想|2人でいる理由など何もない…が"答え"だね。

 

 

多分原作通りなんでしょうけどね…

紅白を放送しているテレビ局のドラマで、

紅白の勝敗が決まる前にリモコンで消すシーンが描かれたのにはちょっと笑っちゃいました。

それ、良いんだ!って(笑)

でも、大切な人と過ごすと「なんだかんだ」もすっかり忘れてしまうほど

幸福感に包まれる…というのを象徴した、意味のあるシーンだったと思います。

 

おかずを1個ずつシェアしたり、車のラジオのボリュームを上げたりと、

春日さん(西野恵未)といると素でいられる心地良さを

徐々に行動で伝え始めている野本さん(比嘉愛未)の変化と、

初めて「春日さんから見た野本さん」がモノローグ越しで描かれた最終回。

最終回だからと言って、何か劇的な展開があった訳ではないのだけれども、

最初は「女性はこうだろう」と思い込んでご飯の量を決めていた店が

いつしか男女問わず量を尋ねていたように、

2人の関係性も、世間も、ほんの少しずつアップデートされていって、

物語が終わったとしても、これからも小さな幸せを見つけては

喜びを噛み締める日常を過ごしていくんだろうな…

と想像出来る締め方になっていたのが良かったです。

 

原作はまだ続いているんですよね。

10話×15分という短さで、2人の進展やジェンダーにどこまで踏み込んでいくのか

途中まで気になっていましたが、

ご飯で例えるなら、食べ過ぎて"消化不良"…ではなく、

"腹八分目"に収まっていたのにも安心しました。

ドラマはやっぱり「もっと先の話が見たい」と思えるくらいのバランスが丁度良いと思います。

 

この枠で、同じ放送尺で、また"おかわり"がしたいです。

出来れば半年やって欲しいけど…それは難しいかな(笑)

2人の間に流れる時間は基本ゆったりとしていて、

微笑ましく見ていたら、いつもあっという間に終わっていて。

「見守る」という言葉がぴたりとハマる作品でした。

 

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自転車屋さんの高橋くん 7話 感想|2人の関係性に点滅信号が?

 

 

祖母・清子(大澤洋子)と山本(瀬口黎弥)のエピソード…

30代手前か30歳の子供に対して、両親が結婚を望む話は何度も見てきたけれども、

おばあちゃんが…っていうのは珍しいですね。

おばあちゃんの立ち位置からしたら、

孫がすくすくと育っているだけで十分微笑ましいはずなのに。

まぁ、孫が可愛いからが故の思いやりなんでしょうけど。

でもねぇ…「両親」じゃなくて「おばあちゃん」から言われるからこそ

中々しんどいものがあって、

実家を出るまでずっと一緒に住んでいたのか、

両親どちらかの実家に遊びに行く時だけ会っていたのかは分かりませんが、

教育も学費も将来の事も何もかも面倒を見てくれていた両親と違って、

おばあちゃんとなってくると「子供の時に可愛がってもらった記憶」がこびりついているために、

物事をガツンと言いづらい山本の気持ちにも共感出来てしまうんですよね。

 

世代が前であればあるほど、多様性に触れる機会がなかった事から来る発言にも

かなりキツいものがありました。

「良いお医者さん知ってるから。必ず治してくれるから」には、

率直な想い過ぎて、ひえぇ…ってなりましたね。

自分には納得しがたい・受け入れられそうにないからって、

自分の望む形へと当てはめようとしてしまうのは、

その世代だけとは限らず、どの人にとってもあるあるだと思います。

そんなシリアスな雰囲気の中、隣のテーブル席でずっとそばにいてくれた

遼平(鈴木伸之)の存在が救いでした。

 

遼平って…今更なんですけど、"物理的な"距離感は確かに近いものの、

"心理的な"距離の取り方には長けているんですよね。

自分がどのタイミングで介入して、どのタイミングで一歩下がるべきか?の

加減を分かっているというのか。

そこが魅力的だなぁと思ってます。

 

例えば5話での、たもつに会わせるために

朋子(内田理央)を実家に送り届けたエピソードにしても、

聡子(濱田マリ)との関係性を既に聞いていた分、

途中までは心配そうに後ろから見守っていたんですけれども。

聡子が泣いている朋子に近寄って、肩を支える様子を見た途端、

「もうこの2人なら大丈夫かもしれない」と確信したかのように

外に出てもらい泣きをする…というのには優しさを感じさせたのです。

 

そして今回では、山本が清子の手をとって向き合おうとしているのが分かった途端、

少し体の向きを変えて1人ジュースを飲んで、

あくまでも「1人で過ごしてますよ」という体(テイ)を作る。

でも、体を作りきれていないっていうのがまた良くて、

ジュースを多く口に含んで、その後は減っている様子が見受けられないのも、

席を外そうとしないのも、

山本が無事に最後まで自分の言葉を伝えられるかどうか、

彼の立場になって内心ドキドキしている遼平の気持ちが伺えるようで

印象に残るシーンでした。

 

唐突な「こうちゃん」呼びも、

張り詰めた空気を和らげてくれる良いアクセントになっていましたし(笑)

そんなギャップがあるから、朋子が惹かれてしまうのも頷けるんですよねぇ。

でも…今まではサブタイトルが「パン子、〜」から始まっていたのが、

今回だと「遼平、〜」になっていたのと、

後半の遼平のエピソードに朋子が絡んでいない辺りに、

2人の距離が離れつつある"サイン"を感じ取れてしまって、切ないものがありましたね。

中華屋からの帰りで、2人を引きで撮るカットが差し込まれていましたが、

その隅に映っている照明が1個だけ点滅していたのが…

まさしく2人の現状を物語っていたとも思います。

 

朋子は左の方向へと歩き、遼平は右の方向へと歩く。

引っ越しと「プレゼント何しようかな〜」で、考えている事も全然違う。

最終回では、このすれ違った状態を解決するのはもちろん、

山本の変化を目の当たりにした遼平が

父と再び向き合おうとする話も描かれるんでしょうし、何やら朋子の父も出てくるようで…?

30分でまとまるのかどうかはちょっと心配ではあるんですが、

果たしてどんな着地に収まるんでしょうかね。

 

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silent 10話 感想|好きでいればいるほど辛い

 

 

※今回の感想を執筆するのに4時間程度かかったくらいには(遅筆過ぎる!^^;)

文章がめちゃめちゃ長いです。

そして、絶賛ばかりの感想ではございません。

良い所だけをご覧になりたい方は、こちら をクリックして下さいませm(_ _)m

 

初めにおことわりさせていただくと…本作は今期の作品群の中では

ずば抜けて"愛しい"作品です。

そして、これはただの個人的な見解でしかないので、

読者の皆様にとってはどうでも良い事かもしれませんが、

現段階では、初回から変わらず本作を「名作入り」にするつもりでいますし、

今年見てきたドラマにおいて、唯一の名作だとも思っています。

しかし…それを踏まえた上で、今回の内容を見て感じた

「こうすれば良かったのかも?」を先に書いておきたいと思います。

 

個人的には…今回で再び紬(川口春奈)と想(目黒蓮)の関係性にフォーカスを当てていた

内容になっていた所に、ちょっとした"今更感"は覚えてしまったのです。

もう少し言い換えると…「振り出しに戻った」が近いんでしょうか。

というのも、今回の1話前、つまり6〜9話とここ最近は

奈々(夏帆)と想をきっかけに、奈々と正輝(風間俊介)、

律子(篠原涼子)と想、律子と華(石川恋)、そして佐倉家と、

どちらかと言うと「紬と想の2人を見守る」側にいる登場人物を

1人ずつ掘り下げる話が続いていて、

各々の関係性を通して、全ての人々に共通する

恋愛を超えた"普遍的な愛"が描かれてきたんですよね。

私としては、この構成が「最終章へとバトンを渡す」には惜しかったのかなぁと思っていて。

"普遍的な愛"が数話描かれてから

1〜4話で取り扱われた"2人の恋愛"に本題がまた戻って、

しかもその話をたった2話でまとめようとしている。

2人の仲を育み、繋ぎ止めてきたのは"音楽"という存在で、

付き合っていると言われてもおかしくないくらい仲が進展しているように見えて、

2人でいる時間が多ければ多いほど「声が聞けない」事実をふと思い知らされては

辛い気持ちが募っていくはずなのに…

"現実"を目の当たりにし、その辛さを最終回前で吐露するのも

展開としては遅いんじゃないか?という感じは否めませんでした。

 

今までの話も「音のない世界」で生じる"壁"を軸に、

分かりたくても、その人の事をもっと知りたいと思っても

完全には通じ合えないし、伝わり切らなかったが故にすれ違いも起こってしまうという

言葉を交わす事の難しさを描いた"意味のある"内容になっていたので、

構成自体を特に否定するつもりはありません。

それに、今までのそういった描写の積み重ねがあったからこそ、

今回の、萌(桜田ひより)が紬に感謝の言葉を言うくだりや、奈々からの手紙、

時間が経って大人になった今だからこそ分かち合えた奈々と正輝の所に

湊斗(鈴鹿央士)がやってきて、「なんで別れたの!」なんて本音で話せるくだりに、

前回の佐倉家とはまた違ったそれぞれの"雪解け"を感じさせて、

「言葉を交わす事は難しいけれども、

どう向き合っていくかで"可能性"は少しでも残っているかもしれない」という点で

救われた心地にもなれましたしね。

 

そこで、思うのは…前回の歌詞カードのエピソードを

今回の後に持ってきても良かったのかな?って。

そして、今回の内容はせめて、9話で描いた方が

先ほど書いた「振り出しに戻った」印象もまだ薄れたのかもしれません。

紬と想の関係性も、5話で湊斗とのけじめを描き、6〜7話で奈々と向き合う姿を描いた上で

「正式に付き合い始めた」設定にしておいて…

付き合い出してから徐々に「もう"あの頃"のように好きな音楽を共有出来ない」

「もう好きな人の声が聞けない」事をお互い感じるようになって、

徐々に衝突が起きる変化を描いていって…。

う〜ん、その後の流れはどうすれば正解だったのかが更に分からなくなってくるので、

ただの思いつきで書いた文章として

軽く受け流して欲しいんですが…(汗)(ツッコミポイントも当然出てくるだろうし…)

紬と会わなくなってしまった想が、ある日律子から

「元気にしてる?」「って心配されるの嫌なのは分かってるけど、

想が元気でいてくれたら、お母さんは嬉しいから」というたった二言のLINEが来て。

それで思い立った想が帰省して、あのやり取りがあって、

萌と華と3人でCDを広げては歌詞カードをめくった時に、

「声が聞けない」現状は残念ながらもう変わる事はないけれども、それをゆっくり受け入れつつ、

「あの時の温もりも、思い出も、2人の間で培われた愛も全て失われた訳ではなくて、

今も"違った形"で確かに心の中で存在し続けている」事に気づいてから

紬の元に戻って、2人で腹を割って話し合う…

そんな流れでもアリだったのかと思います。

 

まぁ、こうして書いた事も、私が想と同じ経験をしていない以上は

安易な言葉にはなってしまうんですけどね。

でも…「もしも今回の内容を"今更感"を覚えさせないように描くならどうするか?」を

考えてみた次第です。

 

ああ…1つの事を書くのに、あまりにも文章が長くなってしまった…(汗)

要点を絞りきれない所は私の悪い癖ですね…。

という事で、気になった部分に触れるのはここで終わりにして、

今度はグッときた部分について簡潔に書いていこうと思います。

 

今回は、初回からずっと見てきた視聴者なら唸らずにはいられない、

たくさんの"リフレイン"がなされた回でもありました。

 

特筆すべき内容として…1つ目にハッとさせられたのは、

ポニーテールにしていた紬の髪を触ってはからかうシーン。

5話の時に湊斗が紬に教えていた「想のタイプの髪型」がポニーテールでしたし、

高校時代も同じ髪型をしていましたよね。

いたずらっ子っぽい表情を浮かべながら、何度も何度も触る想に対して

「ちょっとやめて!w ねぇ〜」って笑いながら注意する紬の2人の姿を見ると、

高校時代でも、たま〜にこうやってふざけ合っていた時が

あったのだろうな…というのが想像出来ます。

でも、だからこそ、"あの頃"とは同じにはならない残酷な現実を

ひしひしと感じてしまうんですよね。

一連の微笑ましいやり取りの後で、「や・め・て!」の次の言葉が

何を言っているのかが分からない苦しみが、無音の演出にして視聴者に共感させる形で

想目線で描かれていったのが、とにかく切ない気持ちにさせられました…。

 

そして2つ目は、踏切の向こう側にいる湊斗が「想!」とLINEで呼びかけて、

それに対して想が嬉しそうに振り返るくだり。

想の笑顔に、湊斗もつられて笑みを浮かべる様子を見て、

3話の終盤で回想として描かれた、湊斗のワンコのような笑顔…

あのカットを彷彿とさせた視聴者も少なくないはず。

あの時のような表情をまた見られた事が、私も嬉しくてしょうがなかったです。

と同時に、友達同士だったら今回のようにいつでも"あの頃"に戻れるのに、

肝心の恋人同士になると中々戻れないのは…

「音のない世界」で生きながら、それだけ「大切な人とこれからの永い人生を共にする事」

「大切な人の人生も背負う事」に対するハードルは高いという事なのだ…という"差"も

暗喩的に表現されていたように思います。

 

3話関連で言えばもう1つ、踏切も象徴的に描かれていましたよね。

私は当時の感想でこう書いていて…

・紬と遮断棒を同時に映したカットは、

今まで築き上げてきた紬と湊斗の関係性と、

"青春を共にした同級生"という、輝かしい思い出のまま時が止まっていた3人の関係性が

変わっていってしまうのを示すサインになっていて。

・鳴り響く音は、湊斗が今まで蓋をしてきた感情が

どっと溢れ出してしまうのを示すサインになっているのかもしれない。

当時は湊斗視点で踏切が絡められていたのが、今回ではそれが想に置き換わっていたのと。

加えて、いつの回だったか、「佐倉くん!」と元気に呼ぶ紬の声に、

イヤホンを外して返事をした想のシーンが、

実は音楽を聴いていた"フリ"だったのが今回の終盤で明かされて、

彼女が呼んでくれる自分の名前と、彼女の声がとても大好きで、

聞きたくて聞きたくて堪らなかった…といった2つの"段階"を作ってから、

ラストの「声が聞きたい」に落とし込んだのには、

なんて胸を抉る展開を作るんだ…と慄きましたね。

 

前々から書いていた事ですが、生方美久さんの脚本は、

とにかく、回想や過去エピソードを現在と鮮やかにリンクさせながら

視聴者に感情移入させる技に長けているんですよね。

冒頭では素人ながら、引っかかった所をつらつらと書いてしまったものの、

私はこの巧みさが好きで、惹かれて、最後まで応援して見続けてきたのです。

 

あ…ちなみに、SNSでザワついている例の番組はまだ見ておりません。

好評よりもモヤモヤしている意見の方が散見される辺り、

作り手の意図=情報が作品の感想・印象にも影響を及ぼしやすい私としては、

本作を完走してから見た方が自分のためだと判断しましたので…

(それがリタイアの決め手となった作品も過去にあったので…)

最終回を前にして「なんだ…」と考えをガラッと変えてしまう恐れがあると思うと、怖いのです。

"好き"は"好き"のままでいたい…という事で、

どんな答えを導き出すのか、明日じっくりと見守っていきたいと思います。

…感想は、またその日中には投稿出来ないかもしれませんが…(汗)

 

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エルピスー希望、あるいは災いー 9話 感想|実質、村井主人公回。

 

 

以前から好感度を上げてきた村井(岡部たかし)ですが…

今回はもはや、彼が主人公と言ってもおかしくない回でしたね。

存在感が強過ぎて、ラストシーンも含めて2人の印象があまり残っておりません(笑)

 

というのも、理由はあって…

最終回前になると、最終回で劇的に盛り上げるために

あえて一旦「嵐の前の静けさ」状態にした結果、内容そのものの見応えよりも、

次へと繋げるための引き延ばし感が強まってしまうのがあるあるだと思うんですが、

本作の今回の内容にもそれを感じさせてしまったんですよね。

いや、言葉通り「瞬殺で一撃しなければ反撃される」現実を描きたかったのは分かるし、

拓朗(眞栄田敦郷)に関しては、村井や佐伯(マキタスポーツ)を通して

動きを見せてはいたんですけれども…

何と言うか、ただ事件を追っているだけ…みたいな?

メインではないにしても、冤罪事件を取り扱っている以上、

最終章なら、松本死刑囚に関する新たな報道が出始めたり、過去の事件でも進展があったり、

弁護士・木村(六角精児)を登場させたりしながら

「いよいよ真相に迫る」緊迫した雰囲気を滲ませても良かったはずなのに、

今回はそのどれにも触れる事なく終わったが故に、

ちょっとした停滞感を覚えてしまったんだと思います。

恵那(長澤まさみ)に至っては、

終盤まで影を潜めるような立ち位置になっていたのが気になりましたしね。

 

あと…劇中で「YouTuber」というワードが出てきたのをきっかけに、もう1つ疑問に思った事も。

本作の時間軸って2018年から2019年になっていて、

3年前とは言え、一応現代の物語ではあるんですよね。

そこで、今更ではあるんですが…その頃なら既にネットニュースや動画配信サイトも

"情報"を伝える場としては主流になっている訳で(個人的印象)、

それなのに、なぜ彼らはテレビや雑誌といった昔ながらのメディアで

冤罪事件を取り上げてもらう事にこだわるんだろう?とも思えてしまったのです。

(「フライデーボンボン」を通して反響が集まった描写はあったものの)

SNSも栄えているのだから、ネットも利用すれば

もっと影響力も大きかったかもしれないのに…と。

まぁでも、これは恐らく、脚本家の渡辺あやさんのインタビュー↓

〈朝日新聞〉「エルピス」脚本家・渡辺あやさん 6年越しの脚本に込めた危機感と覚悟、東京では書けないこと

によると、プロデューサーの佐野亜裕美さんと企画を考え始めて一度白紙になり、

本作の実現に至るまで6年かかったとの事で、

もしかしたら元々の時間軸も2010年代初頭〜前半に設定されていたって

可能性もあるのかもしれませんけどね。

そこだけ、若干惜しかったかも…と感じて、書いてみた次第です。

 

ただ、消されたかもしれない亨(迫田孝也)の死や、

冒頭でも触れたように、再び「飲み込めない」状態に陥ってしまった

恵那の苦しみややるせなさがじっくり描かれたお陰か、

ラストの村井の暴れっぷりには、ちょっと気持ち良いものがありました。

村井については、後で冷静に考えてみれば、この件でマスコミ業界から追放されないかと

ソワソワさせられる部分もあるんですが、恵那目線でつい見てしまって。

スタジオを映すためのオレンジ色の照明も良い仕事をしていて、

彼女にとって彼の存在が"希望"となるのだろう…と思わせるにはぴったりでした。

 

最終回、どうまとめるんでしょうねぇ。

今までの作風を踏まえれば、巨悪を完全には倒せず、

冤罪事件は解決はしたもののちょっとした苦味が残る…

そんな終わり方になると予想しておりますけども。

 

 

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PICU 小児集中治療室 11話(最終回) 感想|何もかも欲張り過ぎ…に尽きる。

 

 

あれだけ引っ張った割に、圭吾(柊木陽太)…最後にはあっという間に元気になってましたね。

本来30分拡大で想定していたのが、急遽予定が変更になって

通常時間内に収めなければならなくなった結果、急いで巻きが入った感が凄い。

手術から回復までの間がなさ過ぎて、一瞬、もしもの世界かと思えてしまいましたよ…(汗)

っていうか、そこまでやるんだったら、

どうせなら優里(稲垣来泉)と教会で再会するシーンを盛り込んでも良かったような。

あえてそういった"ゴール"を設けなかったのは、

続編を作りたいから…という意図もあるんでしょうけども、

それにしても、消化不良で終わってしまった気がします。

 

「今期ナンバーワン!」「命の尊さや医者の葛藤を丁寧に描いた秀作だった」といった

絶賛コメントが多く散見された本作ですが、

個人的には、最後まで評価をするのが難しく思える作品でした。

…今までの感想を読んで下さった方なら分かっていただけるかと思いますが、

決して微妙って訳ではなく、基本、好意的には見ていたのです。

同じ「医療ドラマ」でも、スーパードクターが活躍する物語よりも

医者の等身大な部分を描く物語の方が好きですし、

微妙な印象の方が強いのなら、こうして感想を書き続ける事もなかったですからね。

でも…秀作と言いたくても言い切れなかったのは、

登場人物の多さと、設定の整理整頓不足…この2点が原因だったと考えています。

 

前回の感想でも書いた通り、最初から4人の青春群像劇として本作を描けば、

何を主体とした物語なのか曖昧に映る事もなかったんじゃないでしょうか。

そうすれば、最終回あるあるの大規模災害エピソードも、

結果的に植野(安田顕)を残留させるため"だけ"に用意されたものには

見えなかったのかもしれませんし、

「子供に向き合う姿を描くドラマでどうしても盛り込む必要があるの?」という

あざとさも感じさせなかったのかもしれません。

 

綿貫(木村文乃)の裁判の件もすっかり忘れているくらいで…

渡辺(野間口徹)が急に改心していたり、

裁判の結果が台詞でさらっと済まされたりしていた辺り、

渡辺のPICUを巡る陰謀論も、綿貫と渡辺の因縁の関係も、

なくても成立出来る話ではありましたよね。

放送してから約24分後の、1台のスマホに各々の食べている姿が4分割で映される形で

「みんな闘っている」を静かに表した演出が印象的だった分、

あんな風に"絆"や"もがき"の表現に工夫を凝らせるのならなぜ…とも思えてしまったのでした。

 

他のドラマにも触れちゃいますが…

本作だけに留まらず、「ザ・トラベルナース」や「祈りのカルテ」も同じで、

今期の医療ドラマはどれも欲張った結果、本末転倒で終わってしまったような気がします。

前者は本作と同様、描くべき登場人物を増やし、

主役ではない静の存在感と凄味を強調し過ぎたが故に、

主人公の成長ぶりにイマイチ実感が湧かず、

当初にはあったコンビでの痛快劇も薄まってしまった。

で…後者は、研修医ドラマならではの青臭さや未熟さ、親子での心温まる物語が

本来の「カルテから謎を読み解く」というコンセプトを食ってしまったのかなぁと。

 

何を1番の見所にしたいか?を設定する。

厳しい事を書かせていただきますが…医療ドラマだけでなく、

最近のドラマはそれが出来ていない作品が多いように思うんです。

本作だって、初期設定さえ定まっていれば全然印象が違っていたんですけどね…

う〜ん…登場人物は好きだっただけに、残念感が残りますね…(泣)

 

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作りたい女と食べたい女 8・9話 感想|もう"答え"は見えた模様。

 

 

8話

 

体調不良で寝込む事になってしまった野本さん(比嘉愛未)。

このシチュエーションは2話でもあった訳ですが、

同じような話を再び描く事にちゃんと意味を持たせているんですよね。

春日さん(西野恵未)に対して、

当時は"何となく"良いなぁと感じていたものが"確信"に変わる…

今回は、そんな野本さんの「こうありたい」という決心を、

回想も絡めながらゆっくり描かれた内容になっていた気がします。

 

第2週までの頃は、特に予習していなかった分

同性愛が絡む話になると思って見ていなかったので、ちょっと動揺してしまったんですが。

第3週かつ最終章(?)のスタート回でもある今回の内容を見る限りは、

あくまでも「女性同士の恋愛」にシフトしていくのではなく、

最後まで「生きづらさを抱える女性が居場所を見つけるまで」を

描き切る方向になりそうで安心しております。

 

あと…幼少期についても1話分使ってしっかり触れていたので、7話の感想については少し撤回。

最初は仲良かった友達が「みんなそうしてるから」の世界に飲み込まれていって

いつしか独りぼっちになってしまうという、

学生時代の野本さんが抱えていた苦悩や心細さに

焦点が当たった前半のエピソードが効いていました。

春日さん(西野恵未)が別れ際に「また来ます」と言ってくれたのも安心感がありましたが、

その"サイン"として自分の上着を野本さんにかけるというのがね…

野本さんと同じように、「ああ、この人となら大丈夫。そばにいてくれる」

そんな風に思えて、じわっと温かい気持ちになれたんですよねぇ。

 

9話

 

前々から思っていた事なんですが、森田望智さんが

同僚・佐山役にしっくり来るんですよねぇ。

野本さんがカミングアウトしても、言葉を慎重に選びながら変に気遣う訳でもなく、

「へぇ〜そうなんですね」みたいな感じで変わらずフラットでいてくれるし、

「私は男性が好きなんですけど」と言う事で、

男女の恋愛がスタンダードだとは思っていない気持ちを示してくれる所も良い。

「妻、小学生になる。」でもOL役で、

隅の方に追いやられ気味の主人公に唯一好意を持つキャラとして描かれていたのもあって、

この役を演じられるのにも説得力を感じさせます。

 

自分の中で溜め込んでいたモヤモヤを誰かに吐き出せて、

きっと肩の荷が降りたのでしょうね。

バスから降りた時にちょっとだけ野本さんの足音が弾んだ気がして、

こちらも嬉しい気持ちになれました。

多様性を理解してくれる人が身近にいると、心強いものですよね。

 

そして、今回のご飯はローストビーフ丼。

家でローストビーフ丼…羨ましい(笑)

黄身が乗っかるのを口を半開きにしながら見つめていて、

「いかんいかん!閉じなくちゃ」って後で気づいて閉じるという

春日さんのリアクションがかなり「分かる」。

あまりにも美味そうで、よだれが出そうになったんじゃないか?とも思える表情でしたw

 

春日さんも、元から気の利いた優しい人ではありましたが、

ローズマリーを持ってきたり、ワインを買ってきたりと積極性が増してきている辺り、

野本さんとの食事の時間を本当に楽しみにしているんだろうなぁというのが伺えます。

 

次回は最終回ですが、もうお互い"答え"は見えている様子。

このまま、本作から醸し出る心地良さを、最後まで楽しみたいです。

 

 

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PICU 小児集中治療室 10話 感想|ラストはフジ医療ドラマあるあるの展開に?

 

 

今まで以上に、武四郎(吉沢亮)・悠太(高杉真宙)・桃子(生田絵梨花)・舞(菅野梨央)

による、幼馴染の間にある根強い絆や友情が描かれた今回。

 

当時武四郎に助けられた悠太だからこそ言える「俺だけは、お前に絶対に気づくべきだった」

といった台詞があったように、

本作って、ドラマを魅せる上で重要だと考えている"人間"や"人間模様"の描写に関しては、

合格点を余裕で通過するくらいにはよく出来ているのです。

山田先生(イッセー尾形)のささやかな鼓舞も、純粋に胸を打たれましたしね。

ただ、それだけに、今回の内容を見ていて思うのは…

最初から4人の青春群像劇をテーマにした作品にしておけば、

PICUが出来るまでを描いて…主人公の成長期も描いて…

朝顔」を彷彿とさせる家庭パートも描いて…医師のちょっとした陰謀論も描いて…と、

結局何を主軸にしたいのかが曖昧な印象を持たずに済んだのではないか?という事。

 

というのも、今回だけに関係なく「幼馴染4人組」が強調される事が度々あるんですよね。

今では桃子以外の3人が同じ丘珠病院に勤めているとは言え、

当初は悠太は別の病院の人間だったし、

桃子は変わらず、医療に全く絡んでいない職に就いている。

なのに、PICUでの患者エピソードと並行して、それぞれの絡みも描かれている。

個人的にはそこがずっと引っかかっていて、

「PICUって、小児科の病院でしょ?」なんて、幼馴染の描写に

あまり必要性を感じていなかったのです。

 

PICUの医療体制がどうとか、ドクタージェットの常駐がどうとか、

そういった"未完成"の設定は取っ払って…いや、そもそもPICUを舞台にするのもやめて。

4人とも同じ病院に配属されている事にして、

自分たちより長く生き、人生経験が豊富な母親のふとした言葉に時に影響を受け、

先輩医師たちや先輩看護師たちに見守られながら

一人前の医師になるべく奮闘する新人群像劇に仕立て上げていたら、

"連続ドラマ"としては十分に成立したと思っています。

もちろん、4人の出番が平等だと散漫になりがちなので、

あくまでも武四郎をメインにする形でね。

 

作り手はきっと、4人をどう活かすかでずっと迷われていた事でしょうけど…

どこに重きを置くかを考え直してみるだけで、

同じスタッフや役者さんでも、全く別作品に仕上がったのかもしれませんね。

こんな事言うのもなんですが、「人間ドラマ」としては素晴らしい部分もあっただけに、

整理整頓が出来ていないまま、全て使っちゃえ〜!感が内容に滲み出ていたのが惜しい…

そんな印象が残る作品でした。(もう総括っぽくなってしまってますが(笑))

 

で、ラストの展開は…ちょっとやり過ぎじゃないですかねぇ。

最終回直前に災害を盛り込んで大規模な内容にするのは

フジテレビの医療ドラマあるあるではありますが、別に救急医でもあるまいし…(汗)

圭吾(柊木陽太)の手術の成功を感動的に見せるため…なのと、

大勢の患者を救って渡辺(野間口徹)率いる北海道の医療団体に評価され、

植野(安田顕)を存続させるためのエピソードなんでしょうけど、

突然異物が混ざり込んできたようで、困惑してしまいましたよ…。

 

 

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