本作の感想を1話分でも読んで下さった方なら
分かっていただけると思いますが…(そう伝わっていると良いですが…)、
本作は私にとって、作品のクオリティ関係なしに
人物描写も劇伴も、そもそも世界観がどタイプな作品でして、
基本的に、主人公頑張れ…!の応援の眼差しで見ております。
でも、「作品のクオリティ関係なしに」をわざわざ付け足したのにも理由があり、
決して全肯定という訳でもないんです。
例えば…宮沢賢治の話。
宮沢賢治の話自体はロマンチックでも、現時点ではモチーフとして物語に絡める事に
あまり必要性は感じず、私の中では、どちらかと言うと唐突な印象が強めです。
しかし、それ以上に作品への"好き"という感情が上回っていたので、
感想ではスルーしていたのですが…
今回の内容を見て、当ブログの「備忘録代わりに、見て感じた事を書き残したい」
スタンスでいるためにも、これは書いておこうかなと思える所がありました。
それが何かと言えば、男子校と女子校が共学化して間もない高校に
スクールロイヤーである健治(磯村勇斗)が派遣されるという設定です。
1話では制服にまつわる校則提案、2話では失恋きっかけのいじめ騒動、
3話では制欲目的の盗撮疑惑と、男女ともに共学化にまだ馴染めていないが故の
心の不安定さが引き起こすエピソードが描かれていましたが、
今回の個人情報漏洩騒動に関しては、統廃合による合併が原因でも話としては成立する訳で、
「男子校と女子校が共学化して間もない高校」という背景設定が
活かされていない所には、ちょっとだけ「そうなんだ?」と思いましたね。
そこは正直、最後まで貫いて欲しかったなぁとは思っちゃいました。
3話まで「ここが好き!」「ここが良かった!」といったポジティブな感想が続いてきて。
同じく本作が好きで、1話から、途中からでも私の感想を読んで下さっている方は、
きっと今回も、振り返りながら共感したくて
ご訪問して下さるんだろうな…と考えていたので、
上記の気になっていた事について触れようか迷いましたが、触れさせていただきました。
内容に入る前に書いたのは、何度も言うように本作が大好きだからこそ、
感想の後半になって「強いて言うなら…」という体で流れを遮りたくなかったためです。
…ここからは、通常運転で行きます。(ここまでが長いな…(苦笑))
今回は、「謝罪するな」「事を大きくするな」という学校の被害拡大防止対策に振り回され、
本音を言えず押し込められる側の心情を想像してしまうお話でしたね。
三宅(坂井真紀)は1話の時でも、スラックスを履いていた斎藤(南琴奈)に対して
「あなたそっち側だったの」とこぼしてしまっていたので、
今回の「トンチンカン」表記にしても、
珠々(堀田真由)への「あなたって本当に普通ね」発言にしても、
言葉の表現が上手くない人なんだろうな…と思うんですよね。
でも、創業当時からの「子ども・福祉コース」を
尾碕(稲垣吾郎)に頭を下げてまで守り続ける、教育に熱心な人であるのも事実。
だから…やってしまった事が重大だと自覚していて、
江見(月島琉衣)にも謝罪したいのに謝罪をさせてくれなくて、
ニュース特集風の映像で妄想するほどには、本当は違うのに…!という葛藤で
追い詰められてしまっている姿には、こちらも見ていて苦しくなりました。
苦しくなったのは、江見のエピソードも同じです。
「トンチンカン」は…三宅自身が理解しやすいように入力した言葉だとしても、
やっぱり良い意味には聞こえない。
その言葉が全生徒に広まった事で、生きづらさを抱えてしまっている。
家で何度も呟くほど彼女も追い詰められているのに、
「副校長が退職するから」と言われたら…もう何も返せなくなる訳で。
(井原(尾身としのり)も、理不尽な発言だとは理解して言っていたはず)
その後の対応は、心に蓋をした瞬間を目の当たりにしたようでした。
江見のいる場に、健治がいてくれて良かったと心底思いましたね。
健治がそこに行く前に、職員室で部分点の申し出を諦める
生徒の様子を見かけた描写があったからこそ、
また1人同じような境遇に置かれた時に、今度は自分がその人を救いたいという気持ちも
想像出来ましたし、実際に勇気を出してくれて安堵感さえ覚えました。
ビッグバンからの会話は分からなかったけれども、天体好きという共通点が解決してくれた。
健治なりの救い方…ほっこりした終わり方でしたね。
江見の母も、本当は学校に文句を言いに行きたくなかったけれども、
かつて不登校だった娘があそこまで好きな事に夢中になり、
夢を実現させるまでに成長した姿をそばで見ていて一緒に喜んだ過去があったから、
娘を守るためにと、学校に行く事を決めた。
…でも実際は、娘と一緒に"好き"を共有してくれる人が、
自分から離れた場所でも身近にいた事が判明して、ホッとして涙が…もそうですし、
この学校なら娘を任せられる…と確信したであろう三宅との面接での出来事も
ちゃんと覚えてくれている。
三宅も三宅で、面接で初めて会った時から江見の良さを見てくれていた。
ここの"人"の描き方も、現在までの背景、今まで過ごしてきた人生(の一部)が
垣間見えたようで、素敵でした。
本作の世界にいる人物は、展開を生み出すためとか、
話を盛り上げるために用意された「脚本家が設定した"登場人物"」ではなくて、
ただ純粋に"人"として、その世界で生きている事が想像出来ると
言った方が伝わりやすいんでしょうか。
両者を分かりやすく善悪で区別しないし、分かりやすい対立構造も作らない。
本作が好きだと思える理由、また1つ気づけました。
終盤、お泊まり会で健治がソワソワしているのは…
家に人を入れるのが嫌なんじゃなくて、入れた事がなかったからなんじゃないかなと。
クローゼットにグラデーションで綺麗にしまわれているシャツや、
夜のヨガのルーティーンを欠かさず行うのを見るに、
彼にとって家は恐らく自分の分身みたいなもので、
心のテリトリーを実体化したものなんだと思います。
スクールロイヤーとして派遣されてからの健治の日常生活の変化は、
止まる事を知りませんね…。
しかしそれはきっと、相手の心を知り、人と人が繋がる喜びを徐々に経験しているから
起こっている変化でもあるのかもしれません。
↓前回の感想はこちら↓
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