なんかもう…今回のラストは泣くしかない。
今までの思い出が走馬灯のように蘇っていく演出は、やはり涙腺に訴えかけるものがありますよ。
グループホームで寿三郎(西田敏行)を見送ってから実家に一人ぽつんと佇むまでの流れに、
"TOKIOとしての人生"や"クドカンドラマでの思い出"を本作の中に残して
仲間も知り合いもいない新たな世界に飛び込む長瀬くんの心境と、
子供達が自立して家を出て、大切な人も他界して行って一人残される親の心境が勝手に重なって…
後者に関しては、うちのおばあちゃんがそうだったから。
遠く離れた実家で、娘も息子もいなくなって部屋もガラ空きになった家で
余生を送る側の気持ちってあんな感じなんだろうなぁ…なんて、想像しながら見ていました。
帰ってきた時に親がいて、家族ならではの"温もり"を感じさせるのが実家であって。
寿一(長瀬智也)にとって親がいなくなった今の家は、実家とは…呼べないですね。
「…嫌だったら、別に良いけど」
「そうだねぇ、行ってみっかなぁ」
「…嫌なら、断るけど」
「行くよ。行って欲しいんだろ?」
「良いよ行かなくて」
「行くよ。お前と二人っきりよりはマシだよ」
「じゃあ行けよ!なんだよ面倒くせぇな」
寿一と寿三郎によるこの一連のやり取りも、凄くこの二人らしいなぁと思えて印象的で。
どちらも客観的に今後を考えた上で、もう自分も良い歳なんだからと妥協して
新たな提案をしよう(受けよう)としているんだけど、
本当は「離れ離れになりたくない」っていうわがままな思いがせめぎ合って、
その気持ちが言葉の節々に、本音の形でも、強がっている形でも
滲み出ている所が親子揃って似てます。
でも…直接グループホームまで送り届けられるまで一緒にいられるのって、
よくよく考えたら凄く幸せな事だし、
心が離れ離れのままで終わってしまう事の方が多いと思います。
いつ終わりを迎えるか分からない日々だから、
こういう時こそ家族全員で支え合っていかなければならないだろうに、
あの「家族写真」が絶頂期だったと言わんばかりに
その先の日常が徐々に崩壊していく展開は…見ていて切ないです。
介護が取り入れられた話だから今回のような"リアルな過程"を表現したんでしょうけど、
やっぱりドラマだからさ。
家族が涙を流しながら、枕元を囲んで最期を看取る"理想"も見たいですよね。
「俺の家の話」だけではなく、「私の家の話」にもなっていた今回。
男だらけの芸能一家に生まれて、"女だから"と切り捨てられる舞と、
危うく離婚した元旦那に出産立ち会いされそうになったユカ(平岩紙)の話。
「家の話」なだけに、本当にいろんな登場人物にも焦点を当てる作りになっているなぁ。
ユカの件は、コメディタッチで「元旦那なのに出産に立ち会っちゃった!」なんて
笑いをとる描き方も出来ただろうけど、
何やってんだ!出てって!とちゃんと言ってくれる助産師の存在を作った所に、
本作に対する、クドカン先生に対する信頼が持てました。
女性だからこその生きづらさ、繊細で赤裸々な想いにも向き合おうとしているんだという
意思を感じましたね。
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